satsumakko さん

satsumakkoさん: 鹿児島みてある記2
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プロフィール

ハンドル名satsumakko さん
ブログタイトル鹿児島みてある記2
サイト紹介文鹿児島の歴史遺産、隠れた魅力を紹介するブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(2年)情報提供316回 / 422日(平均5.2回/週) - 参加 2007/10/11 08:18

satsumakko さんのブログ記事

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  • 2008/10/18 08:07国分麓(2)−石垣のある風景
  • 国分麓には、当時の石垣や石柱が比較的残っています。▼竪馬場。国分中央1丁目。▼国分中央1丁目。▼中之馬場。▼中之馬場。▼東馬場。国分中央2丁目。▼石垣と生垣の組合せ。国分麓では少数派。国分中央2丁目。▼国分中央4丁目▼国分中央1丁目。こんな空間がまだ残ってたんですね。▼突き当りには石敢当があります。▼国分中央1丁目▼大隅国分寺跡。跡地一帯を市民憩いの広場として、上手く整備して欲しい。国分中央1... [続きを読む]
  • 2008/10/17 22:26霧島市−国分麓の風景(1)
  • 旧国分市は 中学3年から高校3年までの4年間、暮らした街です。今年の4月に続き、訪れました。▼国分小学校前の犬追馬場。綺麗に整備されました。▼鹿児島県立国分高等学校。武家屋敷風の塀が新設されました。校舎は昔のまま。現在の国分高校から国分小学校の西側にかけての敷地に地頭仮屋が設けられました。▼国分小学校。舞鶴城跡。島津義久が城を新設し、富隈城(旧隼人町)から移り住みました。▼国分麓には、国分中央2丁... [続きを読む]
  • 2008/10/16 07:42生駒高原〜満開のコスモス
  • えびの高原から宮崎県側に下り、生駒高原のコスモス園まで足を延ばしました。生駒高原は宮崎県小林市に位置します。▼コスモスが満開です。この日は観光客でたくさん賑わっていました。入場料大人400円。小学生以下無料。▼牛肉や鶏肉の炭火焼はよく見ますが、マスの塩焼きは珍しい?生駒高原を後にして、えびの高原から霧島温泉に戻り、そこから湧水町の霧島アートの森へ向かいました。(続く)... [続きを読む]
  • 2008/10/15 22:31秋のえびの高原〜旧車との遭遇
  • 13日 子供のミニバスケットがお休みでしたので、久しぶりに家族でえびの高原へドライブに出掛けました。▼えびの高原の中心地にある「足湯の駅 えびの高原」。宮崎交通が運営。▼不動池。▼不動池の近くの丘へ登りました。ススキの穂が揺れています。▼賽の河原。硫黄の臭いがぷんぷんします。▼ぶろぶろと低いエキゾースト音が聞こえてきたと思ったら、数台の旧車が通過しました。いすゞべレットGTを先頭に、角目と丸目の1... [続きを読む]
  • 2008/10/12 08:34秋〜稲刈りの風景
  • 11日 用事で川辺に出掛けました。ちょうど実家が稲刈りの最中でした。▼黄金色に輝く稲穂。先日の台風の影響で所々稲穂が倒れています。▼ゴムクローラ式コンバインが出動します。▼刈り取り開始。手前のはさみのような物で稲を根元から刈り取り、機械の後方へ運んで脱穀し、脱穀した籾を写真の袋に詰めます。▼脱穀した後の藁は、機械後方から排出します。高価なコンバインには、結束まで自動でしてくれるのもあります。▼一番... [続きを読む]
  • 2008/10/11 09:05屋久島訪問(2)
  • ▼千尋の滝から鯛の川下流のトローキの滝へ向かいました。バス停で地元のバスから観光客が何人か降りてきました。▼鯛の川下流。手前のトローキの滝で直接海に流れ落ちる。▼トローキの滝。奥のピークはモッチョム岳。海に直接流れ落ちる滝は、オホーツク海に流れ落ちる知床のオシンコシンの滝とここだけらしい。知床と屋久島、ともに日本が後世に残すべき大事な自然遺産ですね。トッピーの最終便の時間の関係で、大川の滝は断念し... [続きを読む]
  • 2008/10/11 08:09屋久島訪問
  • 7日 仕事で屋久島を訪れました。2年振りの訪問です。▼鹿児島港南埠頭。トッピーを利用しました。▼トッピー船内の窓から見える佐多岬。種子島の西之表港を経由して約2時間半で屋久島の安房港に到着します。移動手段として非常に快適です。到着した日の安房は非常に強い雨でした。▼翌日はカラリと晴れました。朝方 安房を散歩しました。高台から安房の町並みと安房港を眺める。▼安房川と まんてん橋。▼安房港にて。▼松峰... [続きを読む]
  • 2008/10/04 14:02SATSUMAKKOのホームページ開設のお知らせ
  • ホームページを開設しました。SATSUMAKKOのホームページ今まで当ブログで紹介した外城(麓)の風景を少し大きいサイズの画像で楽しんでいただけます。これからも各外城の風景を、まずは当ブログにアップし、上のホームページに記録として少しずつ残していきたいと考えております。これからも、当ブログ「鹿児島みてある記」および「SATSUMAKKOのホームページ」をよろしくお願い致します。管理人(satsumakko)... [続きを読む]
  • 2008/09/29 22:22南九州市川辺町−宮の武家門
  • 旧川辺町出身の郷土史家、青屋昌興氏が書いた「川辺町風土記」という本があります。タイトルに惹かれて購入し、読んでみると、旧川辺町内には、知覧に負けないくらいの立派な庭園の武家屋敷がいくつもあったと書かれていました。本の中に、川辺町の宮地区にも、武家門があると書かれていたので、本当にあるのかなと半信半疑で宮に出掛けてみました。8月のことです。結果として、ありました!▼宮にある「板倉神社」。1200年の... [続きを読む]
  • 2008/09/28 17:59宮崎県都城市−野々美谷
  • 都城は都城島津家4万石の城下町です。薩摩藩時代、その広大な私領地を支配するため、ミニ外城ともいうべき6つの外城(安永・山口・志和池・野々美谷・梶山・梅北)(郷)を私領地内に設けました。それらの外城には、当時の名残を示す麓の地名が残されています。▼野々美谷集落内にて。▼野々美谷集落の中心の交差点付近。交差点の角には簡易郵便局がある。郵便局はその歴史から、麓の中心に設けられることが多い。▼野々美谷集落... [続きを読む]
  • 2008/09/27 10:02桜島−虹の出現
  • 先日の台風13号が種子島・大隅半島南部沖を通過する頃、桜島の上空に2本の大きな虹が出現しました。南日本新聞でも紹介されたので、ご存知の人は多いと思います。▼自宅のベランダから撮影。魚眼レンズや超広角レンズなら虹全体を撮れたかも。私のカメラではこれが限界。▼反対の西の空。赤く輝いていました。(後記)台風13号のあおりを受けて、甑島への出張が取り止めになりました。麓集落である上甑島の里集落や下甑島の手... [続きを読む]
  • 2008/09/27 09:32秋の大運動会
  • 23日 子供の通う小学校で大運動会がありました。上の子は桃組。下の子は青組。結果は桃組優勝。11年振りだそうです。おめでとう。久しぶりにビデオを取り出し、子供の出場種目に合せてビデオ片手にグラウンドの回りをあちらこちら移動しました。当日は天気にも恵まれ、いい運動会でした。... [続きを読む]
  • 2008/09/21 09:55志布志市−松山麓の風景
  • 曽於市での仕事の帰り、旧松山町に立ち寄りました。旧松山町は隣の旧志布志町と合併し、現在は志布志市の一部となっています。松山といえば、KKBの「ふるさとCM大賞」に出てくる手作りの松山城がまず頭に浮かびます。平成元年より、町興しの一環として、「大隅の國やっちく松山藩」を開き、毎年、秋に「やっちく松山藩−秋の陣祭り」を開催しているそうです。やっちくとは、地元特産の野菜と畜産、それとやる気(鹿児島の方言で... [続きを読む]
  • 2008/09/21 08:16都城市・今町街道−一里塚と楠見家の門
  • 都城市から曽於市へ戻る途中、今町街道(現国道269号線)を通りました。都城・末吉・松山・志布志を結ぶこの街道の脇に一里塚と楠見家の門があります。▼国指定史跡「今町一里塚」。昭和10年頃まで美しい緑の松並木が続いていたらしい。街道の両側に土盛のように残されていた塚が国の指定を受け保存されることとなった。現在はその松並木もなくなっているが塚だけは残っており、一里塚としては、九州で唯一の国指定史跡となっ... [続きを読む]
  • 2008/09/20 07:57三股町内の歴史的景観
  • 三股町の山王原は、いわゆる麓地区ではありませんが、当時の薩摩藩郷士(士族)による明治初期の開拓の歴史を 町割りや景観にうかがい知ることができる地区です。これは思わぬ発見でもあり、勉強にもなりました。▼道の両側には川原石を積んだ低い石垣が作られています。▼低い石垣の上には生垣が配置されています。綺麗に剪定され、気持ちのいい空間となっています。▼上の各写真はいずれも、山王原地区内を東西に走る道ですが、... [続きを読む]
  • 2008/09/15 14:30宮崎県三股町−三島通庸の足跡
  • 明治2年、都城地頭として赴任した三島通庸(みしまみちつね)は、庄内の地頭仮屋を役館として、庄内の町づくりを始めとして、薩摩・大隅・日向各地から多数の郷士を移住させ、道路建設、原野開発に力を注ぎました。▼三股町山王原にある早馬神社と境内内にある三股開拓の碑。▼三島通庸は、勝岡郷と梶山郷を合併して三股郷を作り、その中心をここ山王原におきました。原野を開拓するため、70戸を移住させたとあります。▼早馬神... [続きを読む]
  • 2008/09/14 12:18都城市・勝岡付近の風景
  • 仕事で曽於市を訪れた際、隣の都城市(宮崎県)まで少し足を延ばしてみました。▼都城から三股町に向かう途中で かつての郷士集落らしい雰囲気の残る地区を見かけました。下のお宅は綺麗な生垣で囲まれています。よく見ると少し入った所に武家門が見えます。▼幹線道路を脇に入った奥に石垣と生垣が見えます。▼丸石を積んだ石垣と、その上に生垣が続いています。奥に見えるこんもりした山がどうやら都城12外城の一つ、勝岡城址... [続きを読む]
  • 2008/09/13 20:53加治木町・仮屋馬場通り
  • 加治木町の中心で外城らしい雰囲気の残る地区としては、加治木高校や裁判所のある仮屋町くらいかも知れません。▼仮屋町界隈。右は裁判所。奥の樹木がこんもりとした所は加治木島津家の屋形跡。島津義弘の終焉の地でもある。▼加治木島津家屋形の跡。敷地内に、東の丸(現在の加治木高校)、中の丸、西の丸(現在の柁城(だじょう)小学校)の各屋敷が並ぶ広い屋形であった。▼護国神社。▼加治木高校。▼柁城(だじょう)小学校。▼加... [続きを読む]
  • 2008/09/11 22:45加治木町・曽木家の茅葺門
  • 仕事で霧島市に向かう途中、加治木町に寄りました。加治木町は島津義弘の館址のある城下町ですが、市街地に空襲を受けたためか、残念ながら城下町あるいは麓としての雰囲気に乏しい。ところが、加治木町の市街地で、茅葺門を見つけました。▼曽木家の茅葺門。茅葺門としては、入来の入来院家、高山の二階堂家の例があります。加治木町にもあるとは知りませんでした。▼袖屋根付き。観音開きの潜り戸付き。古文書によると、曽木家の... [続きを読む]
  • 2008/09/08 07:37市来鶴丸城址界隈(2)
  • ▼JAの前の通りです。右のお宅は鶴丸城址前の道路にも面する広い屋敷ですが、残念なことにブロック塀。かつては石垣だったと思うのですが。▼通りを進むと、永山在兼生誕地の碑がありました。大正時代に釧路土木事務所長として北海道東部の道路建設に情熱を傾け、美幌峠や屈斜路回遊の道を開いたそうです。情熱家だったんですね。▼その先に崩れかけた武家門の残る屋敷跡がありました。奥には白壁の倉も残っています。主屋は既に... [続きを読む]
  • 2008/09/07 12:00日置市東市来町−市来鶴丸城址界隈(再訪)
  • 旧東市来町は、旧市来町とともに古くは市来院と呼ばれており、中世に市来氏が郡司となって支配していましたが、島津氏にその支配が移り、地頭が置かれるようになりました。その後、地頭仮屋は旧市来町の湊町(現在の市来支所)に移されました。現在も市来鶴丸城址の周辺には地名とともに当時の麓の面影が残ります。▼麓下。市来鶴丸城址に向かう旧道に沿って石垣が残ります。宅地分譲中になってました。▼東市来支所前。高い石垣が... [続きを読む]
  • 2008/09/04 08:32知覧特攻平和会館
  • お盆に子供を連れて知覧特攻平和会館へ出掛けました。▼これは知覧の石灯籠。特攻隊員の姿が彫られています。▼知覧特攻平和会館。館内は見学者が非常に多いでした。知覧特攻平和会館は、旧日本陸軍の知覧飛行場跡地の一部に建てられ、多くの特攻隊員の遺品や関係資料が展示されています。なかでも若い隊員の遺書や時世の句には胸打たれるものがあります。多くの隊員の遺影の中には朝鮮半島出身者のものも複数ありました。戦闘機の... [続きを読む]
  • 2008/08/31 21:56田舎に泊まろう!
  • 今日で夏休みは最後。子供達そしてお父さんは夏休みの宿題、自由研究に最後の追い込みを掛けたのではないでしょうか。我が家もそうです。▼お盆は川辺の実家にみんなで泊まりに行きました。夕闇迫る時刻です。▼子供達は近くのグラウンド(普段はグラウンドゴルフ場)で遊びました。夜は庭で花火大会。▼翌日。朝の田園風景。目の前の田圃で米を作っています。▼子供は虫取りへ。バッタや蛙はいました。▼岩屋公園(清水)の流水プ... [続きを読む]
  • 2008/08/31 09:46串良麓を訪ねて(2)
  • 岡崎郵便局の角から串良商業高校に上がる道に戻りました。▼S字に曲がる道路の左右に石垣が続きます。▼背の高い方の石垣は少し意匠が凝らされています。▼三棟目の武家門を確認しました。▼こちらは石柱の門構えです。▼こちらは高い生垣で囲まれています。▼こちらは五〜六段の石垣と生垣が続きます。▼屋敷跡のようです。石柱が残っていました。▼仮屋屋敷跡に戻りました。石塀は串良小学校の南側に建っているものです。(訪問... [続きを読む]
  • 2008/08/31 07:47串良麓を訪ねて(1)
  • 串良麓を訪ねました。旧串良町は大隅半島のほぼ中央部に位置し、国道220号線の要衝にあたります。東は東串良町、南は旧高山町、西は旧鹿屋市、東北は大崎町に接しています。その昔は串良郷と呼ばれ、大隅半島では志布志、根占と並び大郷で、薩摩藩時代は1万8千石以上を産する実り豊かな土地でした。明治22年町村制施行により串良郷が串良川を境に東西に分かれ、西串良村と東串良村に分かれ、昭和7年の町制施行とともに、串... [続きを読む]
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