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- 2008/10/11 22:09バンコク カトマンズからバンコクへ‐2 機内にて
- 歩いても2,3分の距離だが、航空機までのバスに乗り、航空機まで いつも見慣れた2百人乗りのボーイング機である。 座席番号が航空機後方なので 後ろよりに据え付けられた階段から、機内に入っていく。 少し経って 乗客の数を眺めると 定員の半分にも満たず、がらがらである。 私の座席は28の番号だったが、私の後ろの35の番号まで誰も乗客はいない。 私のところも3人掛けの席が独り占めである。 全く快適である [続きを読む]
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- 2008/10/11 13:17バンコク カトマンズからバンコクへ‐1
- 午前1時に寝付いたのはいいが、うとうとするばかりで4時前には起きてしまった。 目覚ましは午前5時にかけておいたのだが、寝過ごしてしまうのは怖い。 残っていた片付け、野菜の始末、残っていたご飯は おにぎりにして、空港の中での 朝ごはん用に、そんなことをしているうちに午前6時、パッキングしていたバッグ、 畿内持込用のリュックを背負って、通りへと出る。 朝の仕事始めのタクシーに出会うが、空港まで4百 [続きを読む]
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- 2008/10/10 03:13カトマンズ 明日は バンコクへ
- 今日は ダサインの祭りの中の ダサミ・ティカの日である。 目上の親戚の家に出かけ、年上の人からティカをおでこにつけてもらい、 日頃のつながりを確かめ合うのである。 ダサインのために買ったり、買ってもらったりした新しい衣服を見につけ、 皆、目上の親戚の家へと出かけていく。 ダサインの祭りは ヒンズー教徒の祭りであることから、バウン族、チェットリ族に とって、互いの絆を確かめ合う重要な祭りであるが、 [続きを読む]
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- 2008/10/09 15:13カトマンズ スラムから集落へ
- カトマンズのバグマティ川に沿って、いくつかのスクンバシと呼ばれる密集した スラムがある。 ここ1年半の間で出来たスラムは カトマンズとパタンに架かるバグマティ橋の袂に 拡がるスラムとバルクーと呼ばれる地域のバグマティ側沿いに広がるスラムだ。 何年か前に出来て 建物もいつの間にかレンガ造りや木造の建物に変わり、集落らしい 体裁を整えているものもある。 どれも国の土地である河川敷に違法に住み着いたも [続きを読む]
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- 2008/10/09 04:17カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち
- ダサインの祭りの最中に 黒い吊橋を渡って、バグマティ川の川辺にある シバ寺院に行ってみた。 私の愛すべき場所なので、機会があれば顔を出すようにしている。 このあたり一帯の人たちとは すっかり顔見知りになってしまった。 このシバ寺院の中には いくつかの家族が住んでいる。 カトマンズの大半の寺院はそんな具合だ。 貧しい人たちが安い家賃で住めるのは、こうした古い寺院だけだ。 ほんの僅かの家賃の代わりに [続きを読む]
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- 2008/10/08 14:19カトマンズ ネワール族の初七日
- 秋晴れのダサインの祭りの中、バグマティ川にかかる黒い鉄製の吊橋のすぐそばの 川辺のシバ寺院を歩き回ってみた。 シバ寺院のすぐ近くの沐浴場の上の四角い石造りの休憩所で、4,5人の女たちが 何やら料理を作っている。 カトマンズの寺院の近くでは よく見かける風景で礼拝のようでもある。 しかし、礼拝のための僧侶はいない。 近づいて行き、訳を訊くと 七日前に亡くなった母親のための供養を行っていると言う [続きを読む]
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- 2008/10/08 04:20カトマンズ ダサインの日の散策
- 今週に入り、官庁も会社、工場も休みに入ったせいか、計画停電がなくなっている。 60万人とも、70万人とも言われる人々も カトマンズを離れて郷里に向かった そうだから、カトマンズ盆地の電力消費量がかなり減ったためだろう。 今週は停電に悩まされることはなさそうである。 近所に住む人たちも1週間という休みということで、のんびり過ごしている様子である。 表通りからちょっと路地に入った家の玄関では、一匹の [続きを読む]
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- 2008/10/07 12:30カトマンズ 路上の視点
- カトマンズ滞在もあと何日は残すだけになった。 計画停電、水不足、雨、インドラ・ザットラ、ダサインの祭りと息を抜く暇も ないような今回の滞在だった。 私のように歩くことを基本にしている人間にとっては、1ヶ月という滞在期間は 瞬く間に過ぎ去ってしまう。 私がカトマンズにやって来て、最も心惹かれるものは、路上を生活の場をして 生活している世間から忘れ去られている人々の姿である。 政治の表舞台で生きる人 [続きを読む]
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- 2008/10/07 02:13カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代
- カリマティから坂を登り、ビシュヌマティ川に架かる橋を渡り、 旧王宮広場へと続く坂道を再び登り始める。 夕暮れの薄明かりから夜の闇に変わり始め、通りの店には灯りがともり始める。 カトマンズ盆地にネワール族の王国が生まれたのは 紀元5世紀のことである。 その王国の名は リッチャビ王国、ネワール族の民にとっては、理想の王国のように 言われている。 その王国は 紀元13世紀初頭に、新たに起こったマッラ王 [続きを読む]
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- 2008/10/06 13:28カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち
- ダサインの祭りが近づき、そしてダサインの祭りの15日間に入ると、 子供たちは 凧揚げを競うようになる。 凧揚げは、本来 天にいる天候を司る神インドラに もう雨はいらないと伝えるための ものであり、稲の刈り取り、乾燥を願う農民たちの祈りをこめてのものだったが、 今の子供たちは、もうそのことを知らない。 凧揚げの季節になると 子供たちは ガラスを粉々に砕き、糊の中にそれを入れ、 タコ糸に塗りつけ、凧 [続きを読む]
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- 2008/10/06 03:12カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で
- 1週間に3日も夜3時間の停電があると、光と闇の交差する世界に出会う機会が 増えてくる。 電気が充分に供給されている国では 味わえない世界である。 神々の像が 人の数と同じくらいにあるといわれているカトマンズ、 薄暗い明かりの中で カトマンズの神々も復活しているのではと思わせる。 ほのぼのとした蝋燭の燈す明かりの外側には 闇の世界が広がる。 そこは精霊の棲家であり、魑魅魍魎の活躍する舞台でもある。 [続きを読む]
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- 2008/10/05 15:20カトマンズ もう1つのスラム
- カトマンズのバグマティ川の辺には ビニールと竹で作ったバラックの建ち並ぶ スラムが2ヶ所ある。 1つは カトマンズとパタンに架かるバグマティ橋のたもとに広がるスラムと もう1つは もっと下流のバルクー近くにあるカトマンズで最も大きなスラムである。 世帯数は 4世帯以上だろう。 1年前のダサインの祭りの時には もう出来上がっていたから、1年半以上も前から 人々は住みつき始めたのだろう。 スラムの... [続きを読む]
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- 2008/10/05 09:57カトマンズ ダサインの風景‐3 賭け事
- ネパール人は本来賭博好きの国民である。 法律では賭博を禁止しているが、ダサインの祭り、そのあとに始まるティハールの 祭りの間は、賭博は許可される。 といっても、こうした祭りの日以外でも、皆 結構普段から、隠れてトランプ賭博など に興じており、賭博で身上をつぶしたなどという話もよく聞く。 祭りの間は、路上でもよく賭博が開かれている。 6種類の図柄の描かれたビニールなどを置き、その図柄の上にお金が置 [続きを読む]
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- 2008/10/04 19:01カトマンズ ダサインの風景‐2 生贄の山羊たち
- 昨日は 夕方からカトマンズに出かけた。 パタンとカトマンズに架かる橋 バグマティ橋を渡り、マイティ・ガールに向かい、 ネパールの国会議事堂になっているラナ家の宮殿であるシンハー・ダルバールまで やって来て、そのまま 真っ直ぐ プットリ・サラックに入る。 プットリ・サラックの途中で左に向かう大通りに入ると、その通り一帯には、 ダサインの祭りの時期に入ると 多くのカシ(去勢山羊)、ボカ(雄の山羊)、... [続きを読む]
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- 2008/10/04 13:15カトマンズ 川辺の子供たち‐8 洗濯をする少女
- ダサインの祭りも形だけは始まり、本格的な祭りが始まるのは プルパティと 呼ばれる日の10月6日からプルニナまでの1週間だ。 プルパティまであと3日残すだけだ。 ネパール最大の祭りといわれているダサインの祭り中も 週30時間近い計画停電は 続き、改善の兆しはない。 今日も朝7時から10時まで、夕方は5時45分から夜の9時15分までの停電だ。 午前中の停電の間、近所を散策することにした。 ほとんどの学校は [続きを読む]
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- 2008/10/03 18:24カトマンズ ダサインの風景‐1 ダサイン商戦
- 一帯どこから湧き出てきたのというぐらいの人、人、人のカトマンズの中心部だ。 スーン・ダーラ周辺、ニューロード、アッサン・バザール、ラットナパーク周辺と 歩くことすら難しい人の波である。 日本には年末商戦ということがあるが、ネパールも同じようにダサインというお祭りが 近づくと 同じ様相を示し始める。 形の上ではダサインの祭りには入っているが、プールパティからプルニナまでの 1週間 にダサインの祭り [続きを読む]
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- 2008/10/03 15:12カトマンズ 川辺の学校
- バグマティ川のカトマンズとパタンに架かる橋 バグマティ橋のすぐ下の河川敷きに 広がるスラムに再び行ってみた。 午前10時から午後1時までの計画停電中の時間帯を 外で過ごすためである。 暑い陽射しの中で、スラムの中央を走る泥道も乾き、歩き易くなっている。 その道を歩き続けると、最近 建てられたばかりの小さなレンガ造りの学校がある。 その学校の子供たちの様子や授業風景も見てみたかった。 今日は平日に... [続きを読む]
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- 2008/10/02 19:42カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり
- 昨日も 夕方の5時半から夜8時半までの計画停電だった。 部屋の中に居てもすることがないので、夕食のメニューにしていた鶏すきの材料を 求めて、散歩がてらにカトマンズのキチャポカリまで行くことにした。 豆腐と青葱と白菜を買うためだ。 豆腐や白菜は 近所では手に入らず キチャポカリまで行かなくてはならない。 鶏肉と春雨は 家にある。 家から30分ほど歩いて スーン・ダーラに到着し、横断陸橋に登り、カト [続きを読む]
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- 2008/10/02 07:59カトマンズ 路上で育つ少年たち
- カトマンズの露店の物売りたちに混じって、一人前の顔をして物を売っている子供たち に出会うことが多い。 又、父親や母親のそばにいて、商いを手伝い、大人の仕事を見ている子供たちもいる。 日長一日、父親や母親の仕事ぶりを見て、その苦労を知ることも多いだろうし、 売り買いのいろはを少しずつ学び、品物を買いにやってくる人たちの表情や仕草から 人間について知ることも多いだろう。 学校は 知識は与えてくれて [続きを読む]
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- 2008/10/01 23:06カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺
- スーン・ダーラの雑踏を抜け、地方へ向かうバスの小さな切符売り場、 バスに乗り込む乗客たちが腹ごしらえする小汚い食堂の並ぶ一廓を通り過ぎ、 ツリップレソールへと向かう下り坂を歩き始める。 道の向こう側はネパール軍の宿舎、その下には名ばかりの国立競技場、 そちら側は人気もないので夜になると歩かない。 少し歩くと 暗闇の中に浮かぶインド人の果物屋、インド人の果物屋は ネパール人の果物屋と違って、ディス... [続きを読む]
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- 2008/10/01 13:31カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には
- 旧王宮に近いこの橋を渡ると カリマティという場所に出る。 カリマティも ビシュヌマティ川をはさんで隣にあるテクも物騒なところである。 テクに近いバグマティ川沿いには ビニールを張ったバッラクの建ち並ぶスラムがある。 明るいうちは 別に問題はないが 夜遅くなると、強盗も出るような場所だ。 夜8時を過ぎれば、歩きたくない場所のひとつだ。 25年前、カトマンズ郊外のキルティプールという小さな町に住んで [続きを読む]
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- 2008/09/30 17:28カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には
- カトマンズの中心部を流れる聖なる川は 二つある。 1つは バーグ(トラ)の口から流れ出た水から出来た川ということから、 バーグマティと名づけられ、もう1つは ヒンズー教のビシュヌ神の名をとって 名づけられたビシュヌマティ、この二つの川 聖なる川にもかかわらず、 すっかり汚染され、自らの名前をつけられた神もトラも苦笑していることだろう。 私の住んでいるところからカトマンズの中心部へ向かう道は 二 [続きを読む]
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- 2008/09/30 15:03カトマンズ 帰り道‐2 スーン・ダーラ
- キチャポカリの肉・魚を売る店の並ぶ通りを抜けると、スーン・ダーラと 呼ばれている広場に出る。 何故 スーン・ダーラと呼ばれているかというと、そこにはネワール族の マッラ王朝時代に造られたドゥンゲ・ダーラ(石造りの水場)、ネワール語でヒティと 呼ばれる共同水場があり、その水の出口に当たる石造りの蛇口が真鍮で細工されており、 それが黄金色に輝いているからだ。 スーンとは黄金のことであり、ダーラは水の [続きを読む]
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- 2008/09/29 17:52カトマンズ 帰り道‐1 キチャポカリ
- 夕方6時台から3時間の計画停電が 週3日あるので、 そんなときには 家を遅めに出て、夜8時過ぎに家に着くようにしている。 停電の暗闇の中の部屋での3時間はやることもなく、あまりにその3時間が 長く感じられるからだ。 カトマンズの中心部から家に向かうコースは いつも同じコースである。 夜になると 安全面でも問題があるので 出来るだけ人通りのある道を選ぶことになる。 カトマンズのメインストリート ニ [続きを読む]
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- 2008/09/29 11:54カトマンズ 路上の物売りたち
- カトマンズの路上や広場は 物売りたちの天国だ。 人の行き交う通りに少しでも隙間があれば、ビニールを拡げ、品物を並べている。 野菜・果物、中国からの輸入品の衣類、文房具、魚・卵の揚げ物、水牛の内臓の炒め物、 店で売られているものなら、何でも路上で手に入れることも出来る。 店を持つだけの財力を持つことの出来ない庶民たちが 生活の糧を得るための手段である。 これらのささやかな商いで生計を支える人もい [続きを読む]
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