|
- 2008/11/28 23:332008紅葉 鷹峰エリア
- 鷹峰エリアには、光悦寺、源光庵、常照寺と紅葉の名所が連なっています。 本阿弥光悦の工房跡 光悦寺 中には七つの茶室に、花札の坊主の元になった景色もありますよ。 源光庵 悟りの窓に、迷いの窓で有名です。 常照寺 吉野太夫ゆかりの朱塗りの門、紅葉とのコントラストが見事です。 [続きを読む]
|
- 2008/11/27 08:20松山閣
- 松山閣松山本店は、御室御所の奥山・宇多野山に囲まれた閑静な京料理の料亭です。近くには、世界遺産に登録された旧御室御所「仁和寺」や石庭の「竜安寺」、日本画家の巨匠堂本画伯の作品二千点を展示した「京都府立堂本印象美術館」などもある。御室は、江戸中期の名工野々村仁清の釜跡としても有名です。 金閣寺のある西大路通りから、蓮華谷を越えて、急な山間の道路を登っていくと、僅か5分ほどで、木々に囲まれた静寂の地に到り... [続きを読む]
|
- 2008/11/15 02:26天龍寺
- 定番ですが、天龍寺に行ってまいりました。京福電車の嵐山駅を降りてすぐ目の前に山門があります。境内は綺麗に色づいた所もありましたが、お目当ての宝厳院の獅子吼の庭や曹源池は、まだ早かったようです。 嵯峨野は、太秦・宇多野の西、桂川の北、小倉山の東、愛宕山麓の南に囲まれた付近に広がる広範な地域の名称です。天龍寺(霊亀山天龍資聖禅寺)は、吉野で崩御した後醍醐天皇を弔うために、宿敵であった足利尊氏が高僧夢... [続きを読む]
|
- 2008/11/12 09:172008紅葉 曼殊院門跡
- 京の町もようやく朱に色づいてまいりました。ここ数日冷え込んできましたので、紅葉の見ごろとなっていきますでしょうね。 「見事な霧島つつじの季節を経て、新緑から紅葉へ、これからの季節がまたいい」というのが曼殊院門跡でございます。門跡とは皇室一門の人々が住職であった事を意味し、曼殊院は妙法院・三千院・青蓮院・毘沙門堂とともに天台宗五ヶ室門跡の一つです。天台座主ともなった良尚法親王の美の結晶といわれるこ... [続きを読む]
|
- 2008/10/04 11:282008年 西陣十月の陣
- 一年って、早いですね!というわけで、今年もやってきました。西陣十月の陣。妙蓮寺さんや西陣界隈で色んなイベントが行われます。 芙蓉満開の妙蓮寺さんでは、 10月12日 妙蓮寺万灯会(日没から8時頃)− 全国の著名作家から新進アーティストまで、奉納による万灯絵画、イラスト、書道などを本堂周囲に展示、ライトアップ 同12日 ミョウレンジャーショー(午後6時から) 奉納コンサート(午後6時半) ... [続きを読む]
|
|
|
- 2008/09/29 21:04洛北の秘境
- 西賀茂から北へ、柊野堰堤を横目にどんどん登る。美しい杉木立の中を、鴨川源流をなす雲ケ畑川が流れる。洛北雲ケ畑の険しい山中にある志明院は、小さな集落にある古いお寺、岩屋山不動教の本山です。不動明王を祀ることから岩屋不動とも呼ばれています。 白雉元年(650)に役の行者が草創し、天長6年(829)、空海が淳和天皇の勅願により再興したと伝えられています。諸堂が点在し、岩屋山全体が山岳道場となっています。鴨川... [続きを読む]
|
- 2008/09/04 07:15惣国の結集拠点・向日神社
- 向日市役所を北に山をどんどん登っていくと、競輪場の裏山へ至ります。向日神社の参道は、すぐ近くの道路や近代施設とはうって変わって、鬱蒼とした昔ながらの鎮守の森が続きます。 戦国時代桂の里から二里と少し、馬で四半刻ほど駆けると、十一ヵ郷を抜けて、向日野から乙訓地域(現在の向日市や長岡京)に入りました。 この乙訓地域と、十一ヵ郷を合わせた地域が、西岡(にしのおか)と呼ばれていたのです。 松尾社、天竜寺... [続きを読む]
|
- 2008/08/30 19:29羅城門と鳥羽の作り道
- 東寺の五重塔を横目に、九条通りを西へ進むと、かつての平安京の羅城門の跡地付近に至ります。 平安京の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門で、「羅城」とは都城の城壁のことです。暴風雨で倒壊後、再建されず。羅城門周辺は夜ともなれば誰も近付かぬ荒れはてた一画となっていたといいます。荒廃した不気味な羅城門はやがて今に伝わる数々の奇譚の題材になりました。芥川龍之介の『羅生門』などで有名ですね。 ... [続きを読む]
|
- 2008/08/19 11:22地蔵盆と六地蔵めぐり
- 京の町々では、「地蔵盆」の準備があちこちで見られますね。地蔵菩薩は、辻々に沢山、祀られています。8月22日、23日の両日、町内の地蔵さま近くで集まりが催されます。地蔵菩薩は、子供の無事の成長を守る仏様。「地蔵盆」は、六地蔵信仰に起するといわれております。 京の六地蔵巡り 京都では、8月22日、23日の両日、都の出入り口六ヶ所に祀られた地蔵菩薩を巡拝して、罰障消滅、家内安全、無病息災、家運繁栄を祈願する「六... [続きを読む]
|
- 2008/08/15 16:50愛宕常夜灯
- 戦国時代、久我畷から北へ、現在の桂大橋あたりは、桂の渡しと言われたようです。この辺りは、丹波地方から送り出される木材の揚陸地となっていたし、野菜や穀物、諸年貢、肥料としての糞尿の運搬にもこの渡り舟が使われたと申します。 桂川は、梅雨の時季や秋から冬への台風などでは、決まって洪水を引き起こし、流路もそのたびに変わるほどの、暴れ川だったとか。桂川周辺は、度重なる洪水で、陸路を確保するのが難しいほどに... [続きを読む]
|
- 2008/08/04 22:18古の味、今に伝える桂飴
- 桂の里、松尾から桂川の清流を下ってきた下桂、広々としたこの一帯は、平安の古から、景勝や保養の地として王朝貴族に愛されてきたといいます。江戸時代に入り、八条宮智仁親王がこの地に桂離宮を造営したのでございます。 桂離宮に向かう途中に桂飴本家・養老亭という創業は明暦年間(1655〜57)と350年の歴史を持つ飴屋さんがございます。ご主人は12代目で、遠山さんといい、江戸初期に桂の地へ来られたそうですが、元々は美... [続きを読む]
|
- 2008/07/16 12:55祇園祭の胡瓜絶ち
- 祇園祭が終わるまで、氏子さんたちは、胡瓜(キュウリ)を食べないと言います。八坂神社の神紋がキュウリの輪切りに似ているからだそうです。お祀りしている神社の紋を食べるのは失礼だということのようでございます。また旬のものを断って、祭典に精進するという意味があるとも言われています。 この木瓜紋(もっこうもん)とよばれる紋、たしかにキュウリの断面に似ております。そういえば、徳川ゆかりの人たちも、葵の紋にに... [続きを読む]
|
- 2008/07/15 11:43祗園の御祭神
- 祇園祭は、八坂神社をはじめ氏子区域一帯で、7月1日の「吉符入」から31日の「疫神社夏越祭」までの1カ月間、様々な神事や行事が執り行われます。 さてこの祇園祭で行われる神輿渡御、神輿洗式、宵宮祭で 御神霊をうつした神輿が、山鉾巡行のある17日夕刻八坂神社を出発し、鴨川以東や河原町などを巡り、四条寺町の御旅所に入ります。花傘巡行の行われる24日まで鎮座され、今度は寺町通以西の区域をまわり、夜半に八坂神社に戻る... [続きを読む]
|
- 2008/07/14 10:40いちばんえらいお稚児さん?
- 山鉾が出揃いましたね。 上久世の綾戸国中(あやとくなか)神社からやってくる久世駒形稚児は、神幸祭と還幸祭の神輿渡御で、素戔嗚尊を祀る神輿の中御座の行列に伴って廻る稚児でございます。 八坂神社のご祭神が、素戔嗚尊の和御魂(にぎみたま・神の優しい側面)で、遠く離れた上久世の綾戸国中神社の祭神が、八坂神社と同一神の荒御魂(あらみたま・同じ神の荒々しい側面)といわれております。八坂神社の和御魂に綾戸国中... [続きを読む]
|
- 2008/07/06 18:09冬の祗園祭
- こんこんちきちん、こんちきちん、私にはどうしてもキントンシャン、テットンシャンとしか聞こえないのですが……、京では祗園祭が幕を開け、新町、室町、烏丸あたりでは、二階囃子が聞かれる様になってきましたね。 これから七月の終わりまで、様々な行事が繰り広げられます。さてこの祗園祭、元来は祗園御霊会と呼ばれていました。平安初期の貞観十一(869)年に疫病が流行した時、疫神(御霊)の退散を祈願して、当時の... [続きを読む]
|
- 2008/06/25 18:24桂女の里
- やれ、おもしろや、えん、京には車、やれ、淀に舟。えん、桂の里の鵜飼舟よ。と詠われた。桂川では鵜飼が盛んであったと申します。 濃紺地に楓葉を絞りぬき、胴あきの部分に浅葱水玉、肩と裾とに文様をあしらう、辻が花の小袖姿。 頭には、桂包みといわれる白布が、巻貝のようにぐるぐる巻いて締めてある。ふっくらと少し余裕があって、裾回しも短めの桂女装束。かつて西岡・桂の里より出て、竹の桶に入れた若鮎の酢(燻製)と... [続きを読む]
|
- 2008/06/16 17:36革嶋一族
- 山城国葛野郡革嶋南荘(現在の京都市西京区川島)は、桂の里の南に位置し、西岡諸豪族の居館の中では、最も北部にございました。現在の三宮神社の西側あたりでございます。 元近衛家政所屋敷(御所垣内)を引き継ぐ居館は、今井用水に沿って、堀と土塁に囲まれた方形の縄張りで、南北に細長くある平城だったと申します。城の周囲は、田畑に囲まれ、さらに郷の周り、桂川の流れぬ処を土塁で囲む惣構の環濠集落を形成していたので... [続きを読む]
|
- 2008/06/10 06:08今も流れる中世郷村の用水
- 嵐山付近で桂川をせき止め、物集女・寺戸をへて羽束師で、再び桂川に注ぎ込む今井用水。かつて渡来氏族の秦氏が造った潅漑用水路がございました。。 西岡十一ヵ郷(上六郷・上桂、徳大寺、下桂、革嶋、下津林、寺戸、下五ヵ郷・牛が瀬、上久世、下久世、大藪、築山)が契約を結び、用水の掟の順守を誓い合い、維持・管理しており、おかげで、この地域は、随分と活気を帯びていたのでございます。 東寺に伝来する「東寺百合文書... [続きを読む]
|
- 2008/06/03 18:25月の桂と愛される土地柄
- 松尾大社より旧道を300メートルほど下っていくと、松室の地に、月読命を祀る月読神社がございます。現在は松尾大社の摂社となっており、ひっそりと立っておりますが、かつては、広大な領地を有し、朝廷より最重視された延喜式内社でありました。 松尾山麓が間近に迫る朱塗りの鳥居。桂の里は、月の影は桂の巨樹、とその名を中国の故事に由来し、月読尊が天照大神の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、保食神のもとに至ったと... [続きを読む]
|
- 2008/05/18 13:07パティシエが嫁いだ和菓子のお店
- 曼殊院や詩仙堂、金福寺など北白川の代表的寺院群の入り口にたたずむ和菓子屋さんが一乗寺の中谷菓舗。江戸時代からこの地域に伝わるでっち羊羹が代表銘菓です。「でっち」はこのあたりでいう「でっちる」からきていて、練るという意味。竹の皮に丹波小豆の餡をつつんだ素朴な羊羹で、祭礼の輿かきの弁当などに用いられた昔からのおやつです。 店内には和風カフェもあり、和菓子やぜんざい、豆乳プリンなど洋菓子も取り揃えてあ... [続きを読む]
|
- 2008/05/09 11:13桂川
- 桂川は、古くより、暴れ川と称されました。 京北の流域にかけては上桂川、南丹市の園部町に入ると桂川、八木町から亀岡市にかけては大堰川(おおいがわ)、保津峡から嵐山までは保津川と呼ばれ、嵐山から合流地点は再び桂川と称されますが、行政上の表記では、全流域において桂川の表記に統一されておるようでございます。 黒川道裕の記した「雍州府志」では、川の西に桂の里が有ることから嵯峨より南の下流域を桂川と呼ぶよう... [続きを読む]
|
- 2008/05/04 05:17こいのぼり縁起
- 五月五日の節句は、五と五を重ねる事から「重五」、菖蒲を用いる事から 「菖蒲の節句」などと呼ばれています。「五」と「午」が相通ずることか ら、初節句を「端午」「端五」(端ははじめの意)と書きました。端午の節句の起源は、中国の戦国時代、今から約2300年前、楚(そ)の国の屈原(くつげん)の故事に由来するといいます。日本の端午(たんご)の節句は、奈良時代から続く古い行事です。昔の日本では季節の変わり目である... [続きを読む]
|
- 2008/05/01 16:49隠密だったのかな?
- 詩仙堂で霧島つつじが綺麗に花開いています。 石川丈山(いしかわ じょうざん、石川喜右衛門尉重之)は、江戸時代初期の文人で、もとは武士、漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していたと申します。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に石川丈山が記載されており、煎茶の祖とも言われておりまる。徳川家康に仕え、大坂夏では一番乗りで功をあげたつもりが、先陣争いを禁止していた軍律違反と... [続きを読む]
|
- 2008/04/26 17:19叡山焼き討ちの隠れ史跡
- 曼殊院や詩仙堂などで有名な北白川から狸谷山を登っていくと交通安全のお守りなどで知られていますが、狸谷不動尊の奥の院にたどりつきます。そこの裏山が瓜生山・将軍地蔵尊道でございます。比較的安易にのぼれるといいますが、でもグーたらな小生にはきつかった。疲れた・・・、でもいい景色を見れて晴れ晴れと下山しました。 元亀元年(1570)九月、織田信長は朝倉・浅井勢をかくまった比叡山を包囲しますが、この際、比叡山の... [続きを読む]
|
- 2008/04/19 18:27一押し・わらびもち
- とろ〜り、つるるん、ふにゃあ〜っと。わらびもちのおいしい季節です。私のおすすめは亀屋博永さん。あの祇園石段下の亀屋清永さんで40年修行した堀江さん... [続きを読む]
|