徳薙 零己 さん プロフィール

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徳薙 零己さん: 北家起つ 〜藤原冬嗣の苦悩〜
ハンドル名徳薙 零己 さん
ブログタイトル北家起つ 〜藤原冬嗣の苦悩〜
サイト紹介文仲成を殺し薬子を自殺に追いやり、権力を手にした藤原冬嗣。だが、その前に苦悩が立ちはだかる。
自由文<フィクション>
・わかりあえるはず
・あおひとくさ
・ほしがき
・せむかた -restart-
・ほむらみさき
・苦悶の捕虜

<ノンフィクション>
・獅子光臨〜三原修の足跡
・朴正煕の野望
・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。
・左大臣時平
・蟹工船の時代
・安殿親王と薬子
・北家起つ
参加カテゴリー
更新頻度(2年)情報提供407回 / 404日(平均7.1回/週) - 参加 2008/01/03 23:29

徳薙 零己 さんのブログ記事

  • 北家起つ 33/120
  •  一方、朝廷に伝わる情報は希望を抱かせないものばかりであった。 水害にみまわれ、田畑が水没し家を失う地域があった。 かと思えば、干害で井戸も川も枯れる地域が出てきた。 被害の原因も状況も異なるが、どちらも生活の手段を失った農民たちが、とりあえずの生活を求めて放浪生活に放り出されたことでは共通していた。 しかし、被災者に対する援助は全く無かった。心無いからでなく、援助にまわせる国家財政が無いからで [続きを読む]
  • 北家起つ 32/120
  •  一方、綿麻呂の軍勢に攻められ続けている反乱軍は壊滅状態にあった。日本の勢力内に侵攻していたのが逆に自分たちの勢力を縮めることとなり、内部分裂さえ起こすようになっていた。 軍勢結集前、日本と蝦夷との事実上の国境となっていたのは岩手県北部から秋田県北部にかけて。それより南では反乱軍であった軍勢も、それより北では日本の侵略に抵抗する義勇軍であった。 ところが、自分たちを守るはずの義勇軍が、こともあろ [続きを読む]
  • 北家起つ 31/120
  •  そこで、嵯峨天皇に働きかけ、綿麻呂の軍勢に参加して兵役を務めた者に限り、三年間の納税を免除すると布告させた。俘囚は既に免税であるため、ターゲットは東北地方に入植した日本人である。 これに興味を引かれたのか、軍勢は綿麻呂が望む人数に増えた。 綿麻呂は、自分たちを民族の垣根を越えた連合軍であるとしたが、新たに軍勢に加えた者を、日本人は守備、縄文人は攻撃と分けている。つまり、新たに加わった日本人を集 [続きを読む]
  • 北家起つ 30/120
  •  五月二三日、坂上田村麻呂死去。享年五四歳。 桓武天皇に忠誠を尽くして東北地方の制圧を進め、奈良の反乱の鎮圧にも功績のあった武人も、病には勝てなかった。 田村麻呂の死の情報を綿麻呂が掴んでいたのかどうかはわからない。だが、掴んでいたところで綿麻呂の軍勢の勢いが止まることはなかった。 軍勢は次第に北上を続け、反乱軍はその勢いを弱めていった。 この時点の綿麻呂の軍勢はおよそ一万五千人。京都から連れて [続きを読む]
  • 北家起つ 29/120
  •  平安京に詰めかけた者の中に俘囚は居なかった。 そこは俘囚に対するもっとも激しい差別を見せる場所であった。寄り立つものなど何もない人間でも、他人を見下すことによる最後のプライドは存在する。自分を賛美し他人を見下す極端な思想に走る人間は右も左も関係なく人間社会の敗北者。 しかし、最後のプライドにすがろうと、生きる手だてのないことはどうやってもごまかせない。 ある者は生きるために犯罪に走り、またある [続きを読む]
  • 北家起つ 28/120
  •  東北では蝦夷が日本人を襲い、それ以外では日本人が蝦夷を襲う混乱は次第に収束してきた。 綿麻呂の軍勢が次第に北上し、それまで京都の権力の及ばなかった岩手県北部に侵攻。また、反乱軍に襲われた村を救済し失業を解消すると同時に、今後の軍勢の移動を容易にするため、道路工事を中心とする公共事業を展開する。これは大伴今人が山陽地方(資料には「備?国」とある。二文字目は記録に残されていない)に赴任していた頃の [続きを読む]
  • 北家起つ 27/120
  •  飢餓に苦しむ日本人にとって、格下であるはずの俘囚が何かを持っていることすら怒りを呼ぶことだった。 何もかも捨てて逃げ出すことが出来た俘囚はそれだけでも幸運だった。 俘囚のために渡された生活物資は跡形もなく持ち去られ、飢えを満たすために使われた。 俘囚の開墾した土地は日本人のものとなった。 そして、多くの俘囚が殺され、レイプされ、奴隷として売られた。 自由の身になれた俘囚も元の土地に住むことは許 [続きを読む]
  • 北家起つ 26/120
  •  二月八日、日本国内の俘囚が東北地方の反乱軍に合流することのないよう、それまで移住者一代限りであった生活援助を俘囚の子にまで適用し、よりいっそうの生活の安定を図った。 その上で、翌二月九日、田村麻呂の副官として戦場を渡り歩いた文室綿麻呂を筆頭に、佐伯清岑や、田村麻呂の弟である坂上鷹養らを東北地方へ派遣した。田村麻呂の進言では二万六千人の軍勢であったが、それだけの軍勢を整える余力は朝廷にはなかった [続きを読む]
  • 北家起つ 25/120
  •  もはや役所の警察権力でどうこうなるものではなくなった。 東北からは早急に軍勢を派遣するよう要請があり、嵯峨天皇は坂上田村麻呂に再度東北地方に出向くよう命じる。 だが、田村麻呂の体調がそれを許さなくなっていた。 桓武天皇の忠臣として軍を率い東北地方を制圧してきた田村麻呂も、このときすでに五四歳になり、かつての風邪すら知らぬ健康は消え失せ、病のせいで身動きできぬほど衰弱していた。 軍勢の派遣は国家 [続きを読む]
  • 北家起つ 24/120
  •  必死にもがき苦しんで神仏に頼む姿は痛々しいが、神仏の御利益はなかった。 全国の田畑から農民が次々と消え、食料を求めて各地を放浪しているという情報がほぼ毎日朝廷に届いてきた。 冬嗣は現在の状況を調べるように命じるが、調べるだけで、流浪する彼らを救う手だては打ち出せなかった。 特に、陸奥と出羽の二ヶ国の状態が最悪だった。 農耕の浸透はまだ途中で、生活の中にそれまでの縄文時代の生活が溶け込んでおり、 [続きを読む]
  • 北家起つ 23/120
  •  具体的な打開策を打てないまま、翌弘仁二(八一一)年を迎えた。 「正三位、藤原朝臣葛野麻呂、渤海使饗応役を命ず。」 「御意。」 「従四位上、藤原朝臣冬嗣、現業務は兼任の上、参議に命ず。」 「はっ。」 新年の儀式は何事もなかったかのように例年通りに行われ、年始恒例の人事刷新として貴族や役人の出世が公表された。冬嗣もこのときに参議へ出世している。 「奴が参議とは世も末だ。」 「嘆くな。参議にもなれば [続きを読む]
  • 北家起つ 22/120
  •  もっとも、それは冬嗣一人ではない。おそらく情報を掴んでいたであろう嵯峨天皇にも言えるし、冬嗣の取り巻きのおかげで職務を掴んだ貴族や役人にも言える。 会議は日々繰り返されるが、具体的な対策は誰も打ち出すことができずにいた。 不足分の税収を埋めるために有力者から税を召し上げようという意見も出たが、すでに限界まで負担させている状況で、有力者の中には公出挙が払えず、家財道具一式を残して夜逃げするという [続きを読む]
  • 北家起つ 21/120
  •  では、そのオフィシャルな冬嗣、つまり、政治家としての冬嗣を見た場合の評価であるが、これが難しい。 政治家の冬嗣は間違いなく冷酷である。そして冷徹でもある。ただ、結果が伴っていない。徳薙零己が以前に書いた作品で言うと、性格としては朴正煕に似ている。ただし、朴正煕は国民生活の向上を実現させたのに対し、冬嗣の治世下では間違いなく生活が悪化している。 これに対する反論もあるだろう。朴正煕は大統領として [続きを読む]
  • 北家起つ 20/120
  •  オフィシャルの冬嗣は厳しい人であった。他者を冷たく突き放し、命などゴミのように軽く扱う冷徹で冷酷な人間というのが世間における冬嗣の評価であった。そのため、オフィシャルな場での冬嗣には常に緊張がつきまとっている。 ただ、プライベートの冬嗣はそこまで緊張させていない。笑いの絶えないという雰囲気ではないにせよ、時に温情を見せ、時に優しさを醸し、細かな気配りを欠かさない。 使用人の子が熱を出したと聞き [続きを読む]
  • 北家起つ 19/120
  •  冬嗣には五人の妻がいたと記録されており、記録に残っているだけで八人の息子と二人の娘をもうけている。また、その他にも愛人がいたらしいが、平城上皇のように恋愛に人生を左右されるようなことはなかった。 女性にモテたかと考えるのは難しい。名門貴族中の名門貴族なのだからそうした上流階級に対する憧れの視線はあっただろうし、この時代の貴族が子供を産ませるために何人もの女性と関係を持つことは珍しくないから、セ [続きを読む]
  • 北家起つ 18/120
  •  その日の夜、御者はこの母子を連れて、冬嗣の屋敷を訪ねた。 「命ばかりは……、せめて、この子だけでも……」 女性は恐怖に震えていた。 油が貴重で夜になると寝るしかないこの時代、夜に明かりが灯っているだけでもここは別世界だと感じたのに、室内には夢にまで見た豪勢な食事が並んでいる。これはいったい何のパーティーかと思わせたが、ここにいるのは冬嗣のみ。どうやらこれが冬嗣の夕食らしいと感じた。 「別に殺す [続きを読む]
  • 北家起つ 17/120
  •  職を失い、生活する手段を失った人が逃れてくるのは大都市と決まっている。奈良壊滅後のこの時点でそれは平安京しかない。 そして、不作から来る経済苦境は平安京の貴族の目の前で起こるまでになっていた。 ボロボロの服を着て、食べ物を手にしていないために痩せこけ、生活する手段もなく、ただそこで死ぬのを待つだけという人の群れが、平安京の道という道にあふれるようになった。 冬嗣は悪化する一方のこの光景を毎日、 [続きを読む]
  • 北家起つ 16/120
  •  「このままでは餓死者が出ます。」 「餓死とは大げさな。冬嗣殿もヤキが回ったか。」 「冗談などでは無い! 状況もわからずへらへらしている貴様に何がわかる。」 そして、冬嗣は手に持っていた書類を床にまき散らした。 書類は木簡と紙とが混在し、床に落ちるときに木簡の乾いた音が響いた。 床に落ちた書類を手にとって眺めた瞬間、葛野麻呂から笑いが消えた。 嵯峨天皇への冬嗣の進言は苦渋に満ちたものだった。つい [続きを読む]
  • 北家起つ 15/120
  •  その一ヶ月後、冬嗣は東西から同じ知らせを受け取った。 「不作のため税が納められなくなっております。」 「不作となり、田畑を捨てる農民が続出しております。」 各国から続々と同様の知らせが飛び込み、無事を伝える国は一つとしてなかった。そして、特例としての免税を求める国が続出した。私出挙どころか、公出挙も戻ってこなくなったのである。 このときになって冬嗣は、漠然とした不安の正体を知った。 「まずいな [続きを読む]
  • 北家起つ 14/120
  •  意外かもしれないが、農業が食糧確保の圧倒的多数を占める地域では、環境の変動があってもすぐには命に直結しない。まず生活が苦しくなり、命に影響を与えるのはしばらく経ってからとなる。 環境の変動が起こると不作になり、食料品の値上がりが起こり、店頭から食料品が消え、台所の食料も消えて、生活が苦しくなる。 だが、生活が苦しくても蓄えさえあれば生きていける。 農業という行動自体が自然界ではあり得ない量の食 [続きを読む]
  • 北家起つ 13/120
  •  その官吏にとって海を渡ってきた者らは自分たちの仲間であり、また武装集団というわけではなかったこともあり穏健に対応しようとしていた。おそらくであるが、このときの官吏自身が俘囚であった可能性が高い。そしてこれは、官吏の仲間に対する友愛であるだけでなく、桓武天皇の対外強硬路線とは逆の平城天皇の対外融和路線の影響がまだ残っていたということでもある。 だが、融和路線の交渉は強硬路線の交渉より難しい。その [続きを読む]
  • 北家起つ 12/120
  •  さらに、蝦夷や俘囚に対する当時の庶民の視線は「野蛮人」というものであり、国に逆らう異民族というものであった。反発の中にはそうした差別感情も色濃くあった。 実際、制圧時に捕虜にした蝦夷は見せ物であるかのように朝廷に連れて行かれたし、強制的に地方に移転させられる俘囚も居た。東北地方に残った縄文人に対しても、狩猟・採集を中心とする縄文時代の生活習慣を野蛮と一括し、農耕を中心とする日本の習慣をするよう [続きを読む]
  • 北家起つ 11/120
  •  葛野麻呂をはじめとする貴族を敵に回し、民衆も敵に回した冬嗣に、一ヶ月後、さらなる難問が現れた。 一〇月二七日、陸奥国に二〇〇人ほどの集団が海の向こうから押し寄せてきた。このとき押し寄せてきたのは北海道の縄文人(当時の用語では「蝦夷(えみし)」)の集団という説が有力であり、このときの朝廷も海の向こうの蝦夷が渡来してきたということで対応している。 現在、日本の歴史は旧石器時代より始まり、縄文時代を [続きを読む]
  • 北家起つ 10/120
  •  ただ、その第一歩となる出挙の利率引き下げに対する民衆からの感謝の声は全く挙がらなかった。 これには三つの理由がある。 まず、そもそも出挙の最高利率は法で定められており、年によって違いはあるが三〇から五〇パーセントと定められている。この時点でもその法は有効であり、一〇〇パーセントというのはとんでもない利率であると同時に、法に反する利率でもあった。観察使が国司や郡司を処罰できたのはその法に違反する [続きを読む]
  • 北家起つ 9/120
  •  冬嗣の強引なやり方に貴族は猛反発した。 だが、彼らはすぐに気づいた。 この十日間、冬嗣が何をしてきたか。 冬嗣は、人事権を握っているのである。そして、冬嗣より下位の者は息の掛かった者を抜擢し、冬嗣一門とも言うべき派閥を作り上げることにも成功していた。 気がつけば、高位の者こそ桓武天皇の忠臣で占めているが、それより下は異なる派閥の者になっていた。三位以上の高齢の貴族とその仲間という派閥、そして、 [続きを読む]
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