熊田一雄 さん

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プロフィール

ハンドル名熊田一雄 さん
ブログタイトル熊田一雄のブログ
サイト紹介文社会学者のエッセーです。
主として、ジェンダー・ポピュラー文化・宗教の話題について。
参加カテゴリー
更新頻度情報提供86回 / 291日(平均2.1回/週) - 参加 2008/01/27 16:24

熊田一雄 さんのブログ記事

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  • 2008/08/25 14:04100番目の記事
  • いつの間にか、100番目の記事になりました。ブログ創設から1年で、1日の平均アクセス数も20を超えました。どんな人が読んでくださっているのかわかりませんが、定期的に覗いてくださっている方には感謝しています。私は、「連帯を求めて孤立を恐れず」「わかってもらおうは乞食の心」(田中美津)という気構えでブログを書いていますが、読者がいるとやはり嬉しいものです。これからも、「わかりにくい文章」を書き続けるつもりで... [続きを読む]
  • 2008/08/24 21:47池田大作氏の功罪
  • 戸田城聖氏・池田大作氏には、牧口常三郎の思想を一般社会に広めたという功と、大衆迎合的なものに変えてしまったという罪の両面があると思っています。例えば、参謀室長時代の池田氏が導入した軍隊式の規律訓練は、牧口ならば認めなかったと思います。牧口を一番理解していたのは、皮肉なことですが、弟子の戸田城聖ではなく、キリスト者(絶対平和主義を掲げるクェーカー派)であった親友の新渡戸稲造だと思います。中央では無名... [続きを読む]
  • 2008/08/23 23:56<侠育>としての創価教育
  • 「角川新字源―改訂版」(角川書店、1994年)では、「侠」という漢字は、「人と、音符・夾(たのむ意)とから成り、自分の力をたのみにして人に協力する人、『おとこだて』の意を表す。」とあります(p62)。「侠」は、神仏儒の宗教伝統にはない概念ですが、「倫理的態度の血肉化されたもの」という意味で、ウェーバー社会学でいう「エートス」として位置づけることができるでしょう。独創的教育の要諦は行詰まったときに自分の力... [続きを読む]
  • 2008/08/23 09:52「エートス」としての「侠」
  • 「角川新字源―改訂版」(角川書店、1994年)では、「侠」という漢字は、「人と、音符・夾(たのむ意)とから成り、自分の力をたのみにして人に協力する人、『おとこだて』の意を表す。」とあります(p62)。「侠」は、神仏儒の宗教伝統にはない概念ですが、「倫理的態度の血肉化されたもの」という意味で、ウェーバー社会学でいう「エートス」として位置づけることができるでしょう。「上のものとしか喧嘩をするな」(牧口常三郎... [続きを読む]
  • 2008/08/19 11:42ひとりで生きる現実は夢
  • 「ふたりで見る夢は現実」(オノ・ヨーコ)だとすれば、「ひとりで生きる現実は夢」でしょう。自分ではない誰か。目の前にいて自分を見つめてくれる誰か。自分がいなくなってもその場に在りつづけ、自分と同じように世界を眺め語り死んでいくであろうそんな<他人>を信じることは、きっとそのまま私たちの生きる世界を信じることであり、それが唯一の<現実>であることを信じることに違いない。 そんな<他人>に会いたい。 そ... [続きを読む]
  • 2008/08/18 15:53女侠とゴス文化
  • 1970年代の東映映画「緋牡丹博徒」シリーズの流れはどうなったかと思っていたら、現在のゴシック文化と相性がいいようです。ALI PROJECT「勇侠青春謳」http://jp.youtube.com/watch?v=bUO_3ZthUM0... [続きを読む]
  • 2008/08/16 18:12アダルトチルドレン・よそ者・私とあなた
  • 「AC・異邦人・ブーバー―『見捨てられ』感覚をめぐって」、「アディクションと家族」vol.18-4、日本嗜癖行動学会、2001年、p570-576より再録抄録:この論文の目的は、通俗心理学で言うアダルトチルドレンの概念を用いて、フランス文学の古典的名作であるアルベール・カミュの「異邦人」、および宗教哲学の古典であるマルティン・ブーバーの「我と汝」の新しい解釈を提出し、更に1990年代の先進諸国における「AC現象」の社会的... [続きを読む]
  • 2008/08/14 11:17或る旅人の日記
  • ネット上で、優れたアニメ作品を見ました。http://jp.shockwave.com/animations/drama/tabibito/癒されるファンタジーです。... [続きを読む]
  • 2008/08/12 19:15現代日本の若者と「自分」
  •  今年、授業で「DVとは、親密な領域において相手の個的領域を奪うことである」という宮地尚子さんによるDVの定義を紹介して、学生に「あなたにとって恋人に奪われたくない個的領域は何か?」という小レポートを書かせてみました。もちろん、「束縛されていないと不安です」という被害者予備軍のような女子学生もいました。しかし、その学生のレポートを次の授業で匿名で読み上げると、期末レポートでは「同性・同世代にそんな人が... [続きを読む]
  • 2008/08/09 08:28研究会の案内
  • 研究会の案内をさせていただきます。宗教(特に新宗教)は、日本のジェンダー研究では無視されがちですが(ちなみに、上野千鶴子さんは若い頃キリスト教徒でした)、それだけに辺境革命の発信地になる可能性を秘めています。 ======================================================================■□「民衆宗教」研究会のご案内□■======================================================================場所:金光教東京... [続きを読む]
  • 2008/08/08 18:38「人間力」の自己目的化
  • 「朝日新聞」8月8日号、夕刊コラム「素粒子」より引用 「期末の成績が親に分かると自分も怒った親も嫌な思いをする。その前に家族全員を殺して自殺」と父親刺殺の中3少女。 「不快」を避ける価値観、蔓延。「人に合わせ、人から嫌われないように生きていくのに疲れ、耐えられなかった」とも。 「人に嫌な思いをさせない」ことは、本来は、「人との関係を大切にする」という目的のための手段に過ぎないはずです。この少女にお... [続きを読む]
  • 2008/08/07 17:40暴動の時代へ?
  • 日本のマスゴミ(2ちゃんねる風)はバカだから、いつの時代も変わらず起きている無差別(本当は抵抗できない弱者をターゲットとして「選択」しているのですが)殺人事件のことばかり書くのですが、後世の歴史学者は、ホームレスたちがとうとう暴動を起こし始めたことの方を、時代の転機と見るでしょう。http://jp.youtube.com/watch?v=F3kvwWE1PKU子供たちが、機動隊に火炎瓶を投げつけています。日本の政治がこのままだと、10... [続きを読む]
  • 2008/08/07 08:23日本の官僚の実態
  • 衆議院銀の河野太郎さんのメルマガを転載します。日本には、「政治家はとにかく官僚は信用できる」と思っている人がまだまだいると思いますが、実態はこの程度です。     ごまめの歯ぎしり メールマガジン版 衆議院議員河野太郎の国会日記===========================================================無駄遣い撲滅PTの「その他チーム」で、文部科学省の政策棚卸しを始める。マスコミや一般の方々にも公開し... [続きを読む]
  • 2008/08/06 10:22避難所としてのビジュアル系
  • 雨宮 高校時代に、私は完全に症状をこじらせてしまって、普通の人間関係が築けなくなってしまいまし た。普通の友達は、裏切られるのが怖くてつくれない。唯一つくれたのはやっぱり追っかけ友達です。 自分と同じような境遇の子が多かったので。  いまもそうなんですが、ビジュアル系バンドのファンって、なぜか手首に傷があったりするんです  よ。やっぱり親との関係が悪かったり家庭が複雑だったり、過酷ないじめに遭って... [続きを読む]
  • 2008/08/02 07:50民衆的正義感としての「侠気」
  • (前略)とはいえ、原始任侠道についての文献的資料といったものがあるわけではない。それは、江戸時代の初期・中期の男伊達の物語やら、近くは長谷川伸の小説やらを手がかりにして想像されるものであるにすぎない。 しかしながら、それは、たしかにあったはずのものであり、民衆的正義感の心のふるさとのようなものなのである。それは偉大なる原典といったものをもたず、数多くの物語の中をつかまえどころのない曖昧な存在として... [続きを読む]
  • 2008/07/31 06:51かもめ食堂ー「男らしい国家」からの逃走
  •  荻上直子監督の映画「かもめ食堂」(2006年)が佳作だったので、群ようこの原作「かもめ食堂」(幻冬舎、2006年)も読みました。本の帯には、以下のようにあります。 毎日ふつうで、おいしくて、小さいけれど堂々としていました。 ヘルシンキの街角にある「かもめ食堂」。日本人女性のサチエが店主をつとめるその食堂の看板メニューは、彼女が心をこめて握る「おにぎり」。けれども、お客といえば、日本おたくの青年トンミただ... [続きを読む]
  • 2008/07/25 22:35現代日本の宗教文化と「カフカ的なるもの」
  • 現代日本におけるニヒリズムについて。  東京大学の島薗進氏は、現代日本の宗教状況について、「軽薄なまでの明るさの追求とグノーシス主義的なニヒリズムが共存している」という大局観をお持ちだと思います。間違いではないと思いますし、グノーシス主義に対する着眼は、島薗氏らしいスケールの大きい慧眼だと思います。しかし、現代日本におけるグノーシス主義は、古代ヘレニズムのそれからはずいぶん性質が変化していると思い... [続きを読む]
  • 2008/07/25 18:07天使のたまごー神話なきグノーシス主義
  • 中澤英雄さんは、カフカの思想を「神話的要素を抜き去ったグノーシス主義」として分析しています。押井守監督の傑作OVA「天使のたまご」も、同様に分析することができると思います。http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/Kafka/nazo1.htmより転載 ハンス・ヨナスはグノーシス思想の根本特徴を、超越的な神性と闇としての世界の「ラディカルな二元論」としている。「神性は絶対的に超世界的であり、世界とはまったく本質を異... [続きを読む]
  • 2008/07/23 22:46怖い人形の写真
  • たまには、堅い話は抜きにして、怖い人形の写真を紹介しておきます。http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/113751159 ロボット工学で「不気味の谷」現象というそうですが、人間は、「人間そっくりの姿形」でも「まるで違った姿形」でも怖くないが、「人間と似ているけれども少し違う」ものには強い恐怖を感じるそうです。ホモ・サピエンスがネアンデルタール人のような近縁の「似て非なる」ライバル種と激しい生存競争を... [続きを読む]
  • 2008/07/23 11:58ゴス・カルチャーとグノーシス主義
  • http://ameblo.jp/le-corps-sans-organes/entry-10040625272.htmlより引用 ゴス・カルチャーは、死を意識した生の文化ではないか。暗黒というよりは、暗黒を意識しているがゆえに燃え上がる炎の文化。言うなれば、グノーシス主義的思考のヴァリエーションではないか。グノーシス主義とは、反宇宙論的二元論であるが、グノーシス主義の文献である「ナグ=ハマディ文書」が再発見されるよりも前に、グノーシス主義的思考は現代思想... [続きを読む]
  • 2008/07/21 06:32牧口常三郎と総力戦体制
  •  いわゆる「滅私奉公」は、一生に一度しか行えない理想である。この非常道徳を銃後の生活に強行しようとするには無理である(辻武寿(編)「牧口常三郎箴言集」第三文明社、1979年、p171)。 牧口のこの言葉から、牧口が1930年代に始まった「総力戦体制」に違和感をもっていたことがわかります。牧口は、「(天皇に対する)忠義の人」である以上に、「(民衆に対する)侠気の人」だったのでしょう。... [続きを読む]
  • 2008/07/20 14:04意地と粋について
  •  九鬼周造が「『いき』の構造」(1930年)で論じたように、「粋」は「意気地」の霊化されたものです。しかし、逆は真ならずで、たいていの「意地」は「野暮」です。「自分という存在の正しさを証明する」ものである「意地」には、自己中心性と視野狭窄が伴います。意地は、本来は非常事態を乗り切るためのものなのでしょう。強者から「いじめ」にあったら、弱者は意地を張るしかありません。意地は、無冠の弱者にのみ許されると思... [続きを読む]
  • 2008/07/18 12:58「幡随院長兵衛もの」はなぜ復活しなかったか
  •  大正時代には、講談や歌舞伎などの大衆文化を通じて「国民の一般常識」にまでなっていた、江戸時代初期の伝説の侠客を扱った「幡随院長兵衛」ものがなぜ第二次世界大戦後復活しなかったのかを考えてみました。それは、戦後は「官憲の横暴」がなくなったからではないでしょうか。 講談研究の専門家に訊いても、歌舞伎研究の専門家に訊いても、「幡随院長兵衛もの」の研究は、歌舞伎の劇評くらいしか存在しない、ということです。... [続きを読む]
  • 2008/07/15 14:15「鋼鉄の檻」の志願囚人
  •  1990年代以降の、日本の若者の「自分探し」ブームは、結局は「新自由主義の罠」だったのではないでしょうか?M・ウェーバーが「プロテスタンティズムと資本主義の精神」の末尾で警告した、近代産業資本主義の「鋼鉄の檻」を生きる「精神のこびと」、「精神なき専門人、心情なき享楽人」を作り上げるための精巧なメカニズムだったのではないでしょうか?「精神世界」周辺で自足している若者たちを、資本主義の「鋼鉄の檻」を生き... [続きを読む]
  • 2008/07/11 09:57牧口常三郎の任侠精神
  • 以下の文章は、1983年に行われた「回想の牧口先生」という創価学会会員の座談会の記録です。和泉 私は戦争から復員して、「牧口先生の顔」という講演を、総会でやったことがあるんですよ。怖い顔と怖くない顔と、冬の寒い夜なんか赤ちゃんおんぶして(熊田註;創価教育学会に)女の人が相談にくる、帰る時にね、牧口先生がおぶい半纏の間に、新聞紙をはさんでご自分で着せてあげるんです。「新聞紙一枚で、きものひとつ分違うんだ... [続きを読む]
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