- 2008/05/16 01:00越前一乗谷城
- 一乗谷城というよりは、一乗谷朝倉氏遺跡と一般的に呼ばれています。日本100名城には、一乗谷城と紹介されています。現地に行ってみると、谷あいに城下町を作ったというのが良く分かります。そこから山城への登城口があり、ここを一乗谷城と呼ぶようです。平時は谷あい、戦時は山城といったとこでしょう。山城より、谷あいが見所です。復元の武家屋敷があったり、庭園跡があったり、トイレの遺構があったり見所が多いです。近 [続きを読む]
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- 2008/05/15 23:46美濃岐阜城
- データを整理して思ったのですが、岐阜城へは、夜景を見に行ったことしかありませんでした。お城ファンとしてはあるまじき行為ですね。反省します。次回はロープウェイを使わず、登城したいと思います。岐阜城は、明治43年に模擬天守が再建されています。(明治以降の再建の城としては一番古いのでしょうか。)明治初期には、各地の城を解体していたのに、末期にはもう再建したことになります。岐阜城そのものは、関ヶ原の戦い [続きを読む]
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- 2008/05/14 20:21伊豆山中城
- 山中城は、北条氏の独特の築城方法が色濃く残るお城です。写真のような、畝堀や障子堀と呼ばれる堀が見事に復元されています。復元とはいえ、あまりの見事さに驚かされます。このお城以外にも畝堀や障子堀が残っている城跡がありますが、ここが一番規模も大きいです。しかしこの城は小田原攻めの際、わずか半日で落ちたというのだから判らないものです。城域も広く見学する箇所もたくさんあるので、充分な時間を取って見学したほ [続きを読む]
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- 2008/05/13 22:29遠江掛川城
- 掛川城の天守は戦後としては始めて、木造によって再建されています。(伊賀上野城・郡上八幡城など昭和初期ですが、再建天守ではなく模擬天守になります。)また、二の丸御殿は、幕末の再建ですが現存しています。小高い山の上に建っているので、結構良い写真が撮れます。1994年に再建しているので、かなり綺麗でした。逆に二の丸御殿は、現存なので歴史を感じます。このギャップもなかなか良いですネ。 [続きを読む]
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- 2008/05/12 02:58三河長篠城
- 奥平氏の出世城ともいうべき長篠城は、現地に行くと確かに堅城ぶりが窺えます。川の合流点(豊川・宇連川)という地形を活かした縄張り。さすがの武田軍15000人をもってしても落とせませんでした。城域に鉄道が走っているのが少々残念ですが、空堀・土塁はよく残っています。本当は、川の辺りから城に向って撮影したかったのですが、良いアングルが見つかりませんでした。近くの長篠城址史跡保存館に長篠籠城の際、使用した [続きを読む]
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- 2008/05/11 23:55三河岡崎城
- 岡崎城は本当に撮影が難しいです。木々が邪魔して、上記のような写真になっちゃいました。冬場なら葉も落ちているのでもう少し良いかとは思うのですが…近くのホテルから撮影すると、やや上方から撮影ができ、いい写真がとれるそうです。一度行ってみたいと思います。三層の天守・追手門・櫓などが復元さており、遺構は石垣や堀です。ちょっともの寂しい気もします。岡崎公園内に小さいながらも本多忠勝公の銅像がありました。これ [続きを読む]
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- 2008/05/10 21:37尾張犬山城
- 国宝四城のひとつ犬山城です。お城正面からの写真も良いですが、少し離れて木曽川沿いに撮影すると山の上に天守がそびえて見えるのでいい感じです。残念なところは建築物がこの天守のみのところです。小天守や櫓・門などが残っていれば、もう少し壮大に見えることでしょう。以前は、この天守が江戸時代尾張徳川家の家老・成瀬氏の個人所有でしたが、2004年より財団法人犬山城白帝文庫の所有になりました。平成のこの時代まで ... [続きを読む]
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- 2008/05/09 15:01幕臣たちの明治維新
- 教科書ではもちろんですが、なかなか取り扱われにくい幕府側、それも大名クラスではなく、幕臣、旗本・御家人クラスの人々がどのように激動の時代を生き抜いたかが描かれています。正直知らないことが多かったので驚きでした。というかここまで記録が残っていることが驚きかもしれません。当時の東京(江戸)住民が時の明治政府を快く思っていなかったことが分かりました。自分は、あまり幕末ものは読まなかったので結構新鮮で [続きを読む]
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- 2008/05/08 00:16戦国五大山城
- 『戦国五大山城』ってご存知ですか?有名なのは、『日本三大山城』と呼ばれている、美濃岩村城 大和高取城 備中松山城3つの山城です。近世城郭のため、山城でありながらも、かつ壮大な石垣群を見ることもできます。それとは別に『戦国五大山城』と呼ばれているものもあります。(何かの本で読みました。)越後春日山城 能登七尾城 近江観音寺城 近江小谷城出雲月山富田城です。落城した城もありますが [続きを読む]
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- 2008/05/07 23:38近江小谷城
- 小谷城もデジカメ購入前に訪問したので、インスタントカメラの写真です。他にも良いアングルの写真があるにはあるのですが、暗いのでこの写真にしました。この城も戦国の山城として遺構が良く残っています。しかも車で山の中腹まで行けるので楽です。見所も多いのですが、なんと言っても山王丸下の大石垣ではないでしょうか。野面積みの苔の生えた荒々しい石垣は、歴史を感じます。ここが浅井氏最期の地なんだなぁ、実感してきま [続きを読む]
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- 2008/05/06 13:40近江彦根城
- 彦根城へは、デジカメ購入前に行っていますので、写真が少しボケて見えますね。庭園の玄宮園から撮影した写真です。彦根城はどの角度から写真を撮っても美しく見えます。この彦根城の天守閣ですが、徳川家譜代大名筆頭とも言うべき井伊家の居城ですので、当然廃城となるべきところだったのですが、大隈重信公が、彦根城の美しさを見て取り壊すのは惜しいということで、天皇に保存を願い出て、解体が免れたそうです。いつの時代で ... [続きを読む]
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- 2008/05/05 22:04近江観音寺城
- 観音寺城には2回行ったことがあります。1回目は、国道8号線近くの日吉神社から、2回目は、信長の館から繖(きぬがさ)山の山頂を経由して登りました。この登山道で行くと安土山を見下ろすことができます。それにしても規模の大きさには驚かされます。あまりの規模の大きさにどころ見学したのか分からなくなります。詳細マップ見たいのが欲しいところです。それにしてもなぜ、信長侵攻時、六角義賢公はこれほどの山城を落城前 ... [続きを読む]
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- 2008/05/04 23:27河内千早城
- ご存知、河内の土豪・楠木正成公が幕府軍を撃退した城です。現在は、千早神社となっており城の遺構はほとんど確認できません。曲輪っぽいところも神社の境内になっています。『千早城跡』と書いた石碑や説明板も多いので、ここが千早城と分かるのですが、正直近くの上赤坂城の方がよっぽど城跡らしいです。なぜここが100名城に選ばれたのか謎です。ネームバリューでしょうか?あと、ここは金剛山の登山口なので、駐車場が有料 ... [続きを読む]
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- 2008/05/03 00:57播磨明石城
- JR明石駅からの城の眺めが良いらしいのですが、自分は車で行きましたのでその姿は見ていません。おそらく写真のような現存櫓が2基見えるのだと思います。ちなみに左が坤櫓、右が巽櫓です。赤穂城と同じく天守台は築かれましたが、天守は築かれませんでした。そのためこの2基の櫓が天守の役割を努めていたと思われます。野球場や陸上競技場がすっぽりはいるほどの広い公園内に、立派な石垣が残っていますので、ゆっくり散策で [続きを読む]
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- 2008/05/02 02:17丹波篠山城
- 通常、城といえば、天守閣(天守台はありますが、結局建築されませんでした。)を思い浮かべますが、ここ篠山城は大書院(写真)が有名です。大書院は現存していたのですが、昭和19年火災により焼失、平成12年に再建されました。城は天下普請ということで、縄張りは藤堂高虎公、普請総奉行は池田輝政公のもと、各地の大名を集め、わずか6ヶ月で築城されました。天下普請にふさわしい石垣が残っていますが、その石垣にはさま [続きを読む]
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- 2008/05/01 01:42播磨赤穂城
- 『忠臣蔵』で有名な赤穂城は、現存の建築物はありませんが(しいて言えば長屋門が2基)、復元櫓・門・庭園等で、往時を偲ばせています。本丸に巨大な天守台が残っていますが、五層天守の建築を予定していたそうですが、結局築かれませんでした。その本丸ですが、御殿跡などが平面にて間取りの確認できるように工夫されていました。すぐ近くの赤穂市立歴史博物館と大石神社の義士宝物殿も見学しました。博物館は『赤穂の塩』に関 [続きを読む]
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- 2008/04/30 20:23但馬竹田城
- 竹田城には、2回訪問していますが、1回目の訪問の際、日が昇る前に行き、日の出と共に見た時は本当に感動しました。その時は、インスタントカメラだったんので、良い写真が撮れなかったですが、本当に『天空の城』って気がしました。早朝にもかかわらず結構人がいたので、城の散策ができませんでした。(写真撮っている人が多かったので…)2回目は、お昼前だったんですが、逆に人はほとんどいませんでした。散策したのですが... [続きを読む]
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- 2008/04/29 23:57石見津和野城
- 津和野城は、山城のため、リフトで登ることができるのですが、朝一番だったので、歩いて登りました。時間もあったので、大手道から登ったのですが、整備もされておらず、ひどい目に遭いました。それにしても山頂部分の石垣は見事です。山頂にもかかわらず、高石垣なところもすごいです。山頂部分には、建築物は一切ありませんが、麓に物見櫓・馬場先櫓が現存しています。また城下町も整備されており、歩いて散策しても良いと思 ... [続きを読む]
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- 2008/04/28 20:11関ケ原合戦四百年の謎
- 先に紹介した『関ヶ原合戦と大坂の陣』(戦争の日本史 17)と同じ、笠谷 和比古氏による書籍です。関ヶ原合戦後、400年後の2000年に出版された書籍ですので、『関ヶ原合戦と大坂の陣』より古い書籍になります。関ヶ原のみを扱った書籍ですので、石田三成公の豊臣七将襲撃事件、秀忠部隊の遅参問題等、より詳しく紹介されていました。関ヶ原に関する書籍はたくさん出ていますが、こういった本は、より事実・真実に近いので ... [続きを読む]
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- 2008/04/27 22:23出雲月山富田城
- 月山富田城には、2回行っています。1回目は冬・2回目は夏でした。1回目は、整備中(簡易トイレを建設していたのを覚えています。)で、草とかも生えておらず、石垣も良く見え感動しておりましたが、2回目は、夏のためか草が伸び放題で、石垣も隠れてしまい、1回目ほどの感動はありませんでした。それにしても、その規模の大きさには驚かされます。写真は山中御殿と呼ばれるところで、ここまで来るのに少し歩きますが、本丸 [続きを読む]
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- 2008/04/26 23:07備中鬼ノ城
- 中世・近世の城はよく行くのですが、鬼ノ城は古代山城になります。天智天皇時代の白村江の戦いに敗れた際、防衛の為に築いた城と言われていますが、確証がないそうです。駐車場から復元の建造物は近いのですが、写真の石垣までは少し歩きます。ですので、山頂部分の規模は大きいです。石垣も復元したところはあると思いますが、それでも見事です。この城も日本100名城に入っています。ここに入っていなければ、自分は行かなか [続きを読む]
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- 2008/04/25 20:26備中松山城
- 備中松山城は、全国に12ある現存天守の一つです。左の写真の左・五の平櫓、中央・六の平櫓が、平成になって復元され往年の姿に近づきました。確かにここからの眺めは、この城として一番の角度と思われます。天守もさることながら、大手門近くの石垣(写真右)もかなりの迫力があります。石垣と天然岩とが合わせ重なって石垣が以上に高く感じます。実は、さらにこの奥に大松山城と呼ばれる中世城郭(もともとこの地が備中松山 ... [続きを読む]
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- 2008/04/24 23:45逆転 日本史―仮説で読み解く歴史事件簿
- タイトル通り、日本史ということで古代から幕末・明治まで、誰もが思うような『もし〜』を取り揃え、作者・加来耕三氏の考えをまとめた書籍になっています。(最後の『もし〜』はなぜか小説風になってます。)やはり戦国時代の『もし〜』が多いですが、源平や南北朝時代の『もし〜』もあるので楽しめます。周辺の時代が分からなくとも歴史事実を述べた後に『もし〜』を展開していくので、わかりやすいです。一応、どこからでも読 [続きを読む]
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- 2008/04/23 19:05戦うリーダーのための決断学
- ご存知小和田哲男氏によって書かれた本です。よくある自己啓発本と違い、歴史的視点から論じておられます。知らないような逸話が載っていたりと面白かったです。これも簡単に読めちゃうので、気になる方は読んでみては? ... [続きを読む]
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- 2008/04/22 00:43「本能寺の変」はなぜ起こったか
- 小説「下天は夢か」の著者である津本陽氏よって書かれた書籍です。自分は、この小説を読んでいないのですが、戦前の豊臣秀吉公、昭和の徳川家康公と人気がうつり、現在の織田信長公の人気を作り出した小説とのことです。さすが歴史小説の第一人者として、資料を良く読まれており、前半は信長の生涯をおい、後半は黒幕説をひとつずつ理由をつけて否定していきます。そこで著者の考え『○○○○説』。(←読んでね)目新しい点として [続きを読む]
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