さだ坊 さん

さだ坊さん: 「共生」なんてまっぴらだ!
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身体が不自由でも頑張ってます!
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プロフィール

ハンドル名さだ坊 さん
ブログタイトル「共生」なんてまっぴらだ!
サイト紹介文大切なのは「共に生きる」ことではなく「安全に穏やかに生きる」こと。障害を持ち半世紀生きてきた私の遺言
参加カテゴリー
更新頻度情報提供8回 / 163日(平均0.3回/週) - 参加 2008/01/30 16:39

さだ坊 さんのブログ記事

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  • 2008/02/29 12:00自分のこと2
  • 子供心にショックだったのは、一緒に訓練していた子供がどんどん死んでいったこと。もうすぐ、私も死ぬんだなーーーと思っていた。生きている間に良い事しとこーーーと考えていたのだけは覚えている。そうこうしてるうちに小学校に入る歳になりちょうどその年に出来た養護学校に入った。当時は障害児を持った親は就学免除するのが一般的だったが、私の親は全くそういう気持ちはなく、同じ歳の子を持った親を訪ね歩いて学校へ行くこ... [続きを読む]
  • 2008/02/27 10:52自分のこと1
  • なぜ、こんな事ばかり書いているのか、拘っているのか分からないと思うので、しばらく、私のことについて書いてみたいと思う。私が産まれたのは戦争が終わって十年余りたった頃、予定日からは2ヶ月近く早い早産だった。当時、医療設備の進んでいた病院で出産し、まだ珍しかった保育器のおかげで生き延びることが出来た。地方の小都市では、まさに「奇跡」に近かった。そのわりに、すくすくと大きくなったようだが、首が据わらない... [続きを読む]
  • 2008/02/25 21:59障害者の不幸
  • 障害者が他のマイノリティー(少数派)に比べて不幸なのは、その親は障害者ではないということだろう。障害者の親は、障害を持った子供を産むまでは、障害者の存在などとは無縁に生きている場合が多い。ところが、障害児を産んだとたんに否応なく障害者の世界にたたき込まれる。これは親にとって、不幸なことであるが、実はそれ以上に障害者にとって不幸なことである。障害者は産まれてすぐの時点から「障害者でなければ良かったの... [続きを読む]
  • 2008/02/04 14:20大半の障害者は
  • 障害をなくそう、あるいは軽減しようという努力をする人は、そのことによってその眼前の障害を持った人の存在を否定している。その当たり前のことにあまりに無自覚な人が多い。生まれたときから障害を持っていたりすると、親をはじめとして周りの人すべてが自分の存在を否定する中で育ってくる。このことが人生に与える影響は計り知れない。障害者と話していると、二言目には「迷惑になるから」と言う。私のように生きていく便法と... [続きを読む]
  • 2008/02/01 15:06根本的な当たり前のこと2
  • 障害者を障害者でなくする努力はありとあらゆるところでなされている。そして、そのことに莫大な労力と費用がかけられている。「訓練」や「教育」という名の下に尊い労力として語られることが多い。そして、ニュースになるほど希有な例として、一般社会に入り込み、障害者でなくなる人がいたりする。それはそれで美談であろうが、その裏で恐るべき数の人間が挫折している。その悲劇を誰も止めようとしない。そういえば、「社会復帰... [続きを読む]
  • 2008/01/30 17:49根本的な当たり前のこと
  • 当たり前のことだが、障害者が不便な生活を強いられているのは、「障害を持たない人」がいるからである。階段を見ていると、「ああ、世の中にはこれを使って上っている人がいるんだなーー」と不思議な気分になるときがある。私にとって、そういう人の存在は想像しているだけであって、心的な距離は遠い。だが、実際には私の周りはそういう人だらけ、というか、そういう人しかいないのだ。一種の強い疎外感があるが、そんなことを言... [続きを読む]
  • 2008/01/30 16:22うさんくさいぞ!共生
  • 「共生」という言葉が俄に流行ってきた。元々は生物学用語、そこから派生した宗教用語に過ぎなかったはずの言葉が、各種運動のスローガンやチラシに踊っている。「どんな人でも共に生きられる社会」を目指している人がいるらしいが、そんなのうさんくさい。と思っている人は多いはずだ。この拙いブログでは障害者と呼ばれて(障がい者とかく人がいるが、こんな不正確で汚い言葉を使うのはやめよう)生きてきた私の経験をベースに、... [続きを読む]
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