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- 2008/07/24 11:16生活
- 今日から一か月、母と二人っきりです。 妻は、昨日、ロンドンの孫のところへと旅立ちました。 一人面倒を見る人が減って、静かな日を過ごしています。 これから、図書館に行って、午後は傾聴に行こうかと思っています。 母は、あまりうまく起きることができませんでしたが、9時にはベッドから出ることができ、デイサービスに行きました。 昼は、昨日の残りと、稲庭うどんにして、夜はまだ決まっていません。 ... [続きを読む]
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- 2008/07/22 13:55悟り
- 「人生生涯小僧の心」 塩沼亮潤著に書いてありました。 修行した人だけしか悟れないというものではない。 それぞれの生活の中で、それぞれ与えられた役目を果たしていく中で、心を研ぎ澄ませ目を凝らし、耳を澄ませたとき、いろいろなものが悟れる。 この著者は、大峰千日回峰行者です。 ... [続きを読む]
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- 2008/07/22 10:48修業は必要か
- 何らかの悟りを得ようと修行をします。坐禅であったり、回峰行であったり、その他多くの修行があります。 でも、悟りとは、そのような修業をしなければ得られないものでしょうか。 多くの人を見てみると、何かに一生懸命に打ち込んでいる、その中に悟りがあるという感じがしています。 しかしそこに悟りがあるとは、皆さん気がつかれていないようです。 また、仕事なり、何かに打ち込んでいても、ちょっとそれから離れた時、... [続きを読む]
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- 2008/06/24 10:21限りない私
- 限りない私。 ふだん私というと、何かこの小さな体に限られた存在のように思ってしまっていますが、・・・。 けさ坐っているときに感じたのは、その限界がないということです。感じるすべての範囲で、その隔たりはありません。 すべてつながっているというか、すべては一体です。 この一体なるものこそが、本来の自分なのでしょう。 そこから切り離したこの小さな体に限定した私というものを想定し、それだけのことを考えて... [続きを読む]
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- 2008/06/23 20:40小規模多機能型在宅介護事業
- 先週の土曜日、21日に法政大学の大原社会問題研究所で話を聞いて来ました。 一つの事業所で、通い、泊まり、居宅という介護を総合的に実施するというもので、一人ひとりの特性に合わせるという、話を聞いて、これは理想的だなと思いました。母のデイサービスを見ても、みんなが一緒のことやらされているという感じがして、私であれば行きたくないというのが正直な思いでしたので。 でも今までに私はこの小規模多機能型居宅介... [続きを読む]
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- 2008/06/19 11:28社会とのつながり 自覚を
- 今日の日経詩文スポーツ欄の「チェンジアップ」というコラムに豊田泰光氏が書いている。 プロスポーツは社会とのつながりを意識しないといけないということで、今自分は茨城県に救急器具を寄付しているということだ。 そして、「現役時代は野球に一生懸命で、人のためになろうと思ったことはあまりなかった。73歳になってなぜ急に物心がわいたと問われても、よくわからない」と書いている。 そして、「どんな形で(社会に)... [続きを読む]
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- 2008/06/16 10:37人間関係を作る
- yuua104さんのブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/yuua104)の文章です。「思えば半年〜1年前はIさんとどうやったら上手く話せるか、どうしたらIさんが怒らずに過ごしていただけるか必死に考えていた。Iさんに怒鳴られて怖くて涙を浮かべた日もあった。それが今ではニコニコニコニコ。Iさんは始終といっていいほど笑顔を見せてくださる。」 介護施設で働いておられる方ですが、最初はうまくいかなかった利用者との人間関係... [続きを読む]
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- 2008/06/14 09:12全てを受け入れる
- 全てを受け入れる、これが自然な状態です。 それなのに、全ての中から自分に都合のいいものだけを受け入れようとするから、不自然なありえないことを望むことになり、苦しみが起きるのです。 全てを受け入れれば、自然に自分のなすべきことがわかって、それに集中することができて、充実感や達成感を得ることができ、喜びを感じます。 それは、今ここという存在があるだけであり、自分というようなものは実際にはないからです... [続きを読む]
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- 2008/06/13 10:52全てはつながっている
- 仏教では、縁起というのを強調します。 一般的には、全部つながっているという意味だと言われています。どんなものでもそれ一つでは存在できないということです。周りのものがあるから存在できるということです。 言われてみればまったく当たり前のことです。私たちは空気や水がなくては、存在できません。また食料を生産しそれを私に渡してくれる人たちがいなくては、生きてはいけません。それはそうだよと言えばそれで終わり... [続きを読む]
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- 2008/06/12 10:55坐らなければ楽になれないのか
- 坐禅を始めて、少し物事が見えてきて楽になった時には、坐禅しか苦をなくする方法がないかのように思っていました。 でも今はちょっとその考えが変りました。 ほとんどの人は、自分のなすことを一生懸命になしています。そしてその時にはなにがしかの充実感、達成感を感じています。それを意識するとしないとにかかわらず。 そのような人たちでも、ひょっと立ち止った時に、本当にこれでいいのだろうかと思ってしまいます。特... [続きを読む]
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- 2008/06/03 10:15「自分」なんてない
- 「自分」なんて実際にはありません。 深く深く坐っていくと、そのことがわかります。 自分というのはそれでも現実にあるではないかというでしょうが、それはあくまで物事をこの限られた数の脳細胞が処理するために設定した概念にすぎないのです。 言葉だといってもいいのでしょう。 仏教では、言葉は「仮施設」、仮に設けたものだと言いますが、このことを言っています。 すべては「空」であるということもこのことです。 ... [続きを読む]
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- 2008/06/02 09:05自分と今ここ
- 今朝坐っているとき、「自分とは」と言葉を離れて感じてみた。 そして、また、同じように「今ここ」を感じてみた。 この二つには違いがなかった。 自分と言っても、限りがなかった。いつもなら、自分というと何となくこの小さな体だけをイメージするのだが、深く深く観ていくとその限定するところ、ここまでというようなところはどにもない。 言ってしまえば、全部だ。 今ここも、同じ感じだ。 今と言っても、一瞬ではない... [続きを読む]
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- 2008/05/30 11:11介護の問題は、本当に、できれば避けて通りたい
- 介護の問題は、本当に、できれば避けて通りたいというのが多くの方の実感だと思います。 確かに私もそうでした。 でも、最近は、そのような環境に置かれて、返ってありがたいと思っています。 孫の時もそうですが、ダウン症ということで、はじめはどのように対応すればいいのか、正直戸惑いましたが、今では自分を高めてくれたと喜んでいます。 このような問題は、それを避けるのではなく、乗り越えた時に大きな喜び、あるい... [続きを読む]
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- 2008/05/29 10:01仏教介護の薦め
- 仏教介護という言葉を考えてみました。介護に仏教を生かすという意味です。 現在91歳の認知症の母を介護しています。 最初に母が認知症と診断された時には、これから先どのようになるのかと、正直言って不安でした。 でも、実際にここ数年母と一緒に暮らしてきて、それは杞憂でした。 仏教の教えを介護に生かすことによって、介護は特別なことではなくなります。ただたんに一緒に暮らすだけということです。 人が一緒に暮... [続きを読む]
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- 2008/05/22 09:49悟り
- 悟りというと何か特別のものがあるような気がつい最近までしていました。 でもそんなものはありません。 私たちは、いろんなことを知る装置として、脳をもっています。しかしその中の脳細胞は約一千億しかありません。ということで一人で知ることができるのは、この現実の世の中のことのほんの一部です。 このほんのちょっとしか知らないことから、もう少し知ることが増えたというのが悟りではないかと思います。もちろん単に... [続きを読む]
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- 2008/05/22 09:35一人ひとり違う
- 一人ひとり違う。 これが最近私が感じることです。 坐禅を座り、何かが見えて来たときには、「誰でも坐禅をしなければならない」と、つい思ってしまうことがあります。 坐禅をしないから苦しむのだとかです。 でも最近は、多くの人は坐禅をする必要などない、その人が果たすべきことを果たせばいいのではないかと思っています。 そして、静かな心で現実のこの世界を眺めてみれば、多くの人が一生懸命に、中には自分の命をか... [続きを読む]
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- 2008/05/19 22:08すべてを受け入れるのが悟り
- 悟りというと、何か特別のもののような響きがありますが、ありのままのこの現実を、ありのままに受け入れることです。 いいとか悪いとか、自分にとってためになるとかならないとか、そうあるべきとか、いろんなことを超越して、そのまま受け入れることです。分別をしないということです。これを仏教では、無分別智と言います。 そして、その現実に対して、自分のなすべきことを済々となすだけです。それが正しい行いです。 の... [続きを読む]
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- 2008/05/14 10:40この人生の主人公
- この人生の主人公が、この自分であることに異論はないと思います。 でも、この自分というものをどうとらえるかで、その結果は大きく異なります。 本当の自分というのは、この肉体に範囲を限った小さなものではありません。この小さな自分だけでは、この世に存在を続けることはできません。 それなのに、この小さな自分だけで幸せになれる、この小さな自分だけで喜ぶことができると思って、そのような行いをする人がいます。し... [続きを読む]
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- 2008/05/14 10:15死ぬ
- 私たちは誰でも必ず死にます。それは生まれた時に運命づけられたことです。 こういえば、みんな、当たり前だと言います。 でも、多くの人が、そのことを我が事として捉えていないような気がします。 というより、私もかってはそうでした。 でも最近は、一日たてば、一日だけ死ぬ時が近づいたのを感じます。一年を過ぎた時は、それだけ近づいたのです。 そう感じてくると、この一日一日が今まで以上に貴重に思えてきます。 ... [続きを読む]
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- 2008/05/14 10:02一人では幸せになれない
- 周りの人みんなが幸せにならなければ、自分も幸せにはなれない。 当たり前のことのようですが、意外とこれが分かっていない人が多いような気がします。 というよりも、周りの人を、関係ないと思い込んでいるのかもしれません。 ほんとは、すべてのものみんながつながっていて、それらは相互に関係し合っているのです。 昔は、海の向こうのことはほとんど影響しませんでしたが、現代では世界中が大きな影響を与え合っています... [続きを読む]
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- 2008/05/12 09:43人は本来的に仏である
- 人は、本来的には仏であるけれども、本当のことを知らなかったり、よそ見をしているからそのことを知らずに苦しみます。 一生懸命に何か(仕事等)に打ち込んでいるとき、人は仏であり、いわゆる幸せな気持ち(達成感、充実感などを含めての)になります。 でも、いつのそうであるというのはなかなかに難しいことです。ちょっと仕事を休んだ時や他にやることがない時に迷いが生じて苦しみが起こります。人と比較したり、ラクし... [続きを読む]
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- 2008/05/11 11:13仏教は生き方であり、それを実践することに意味がある
- 仏教へのアプローチとしては、その人の特性によって二種類あるように感じています。 人(お釈迦さまも含めて)の言ったことを素直に信じることのできる人は、とにかくそのことを実践すればいいと思います。 お経を唱える、坐禅をする、人のために尽くす等々です。もっと具体的には、六波羅蜜の実践です。 それから私のようにとにかく理屈側がわからなければ納得できない人は、いろんな本を読み、いろんな人の話を聞き、それ... [続きを読む]
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- 2008/05/09 13:44当たり前のことが仏教の教え
- 仏教といっても、何も特別なものではありません。 当たり前のことです。 人が生きていく上での基本となるものを教えるもので、その具体的内容は、まったく当たり前のことです。 人が人としてどう生きていくかを教えるものです。生き生きとこの人生を送るための教えです。 その具体的内容は、仏教を信じていなくても、人として守るべきまったく当たり前のことなのです。 それは、また人類が遠い過去から学んできたことでも... [続きを読む]
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- 2008/05/06 12:01脳は変わることができる
- 脳は変わることができる。 これは、先日NHKで放送された「プロフェッショナル脳活用法」問う番組の中で、茂木健一郎が言ったことです。 全くその通りだと思います。 人間の脳の素晴らしいところは、この変わることができるというのが一番だというのです。 だから人間は現在のような素晴らしい文化を育てることができたのです。 仏の教えも、その文化というものの一番基本になるものだと思います。 仏教で「殺すな」とい... [続きを読む]
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- 2008/05/05 13:27輪廻転生なんてない
- 仏教では、輪廻転生ということを言うと誤解している人がいますが、この思想は、仏教が生まれた時代にインドで信じられていたものです。仏教ではこのように身が滅しても心が滅しないという見方を常見と言い、これを外道の見として否定します。 お釈迦様は、死んだあとのことのように、わからないものを論じること(議論のための議論)をされませんでした。 それよりも現実に今苦しんでいるのなら、それを解決するのが先である... [続きを読む]
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