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- 2007/10/19 11:29たたりってあるの
- 昔から、どこの地方にもありますね「たたり」って、特定の土地、建物や木等をさわるとケガをしたり死んだりすると言われてますね偶然が重なって、口伝えに話が大きくなってだれもさわらなくなっていっと言うのがほとんどだろうと思いますが、誰もが進んで挑戦しませんよね、棚機神社なんかもそんなことがあったみたいですよ。... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:50西塔(国宝)
- 西塔は東塔と対になるものではあるが、意匠はかなり異なっている。一見した所、斗キョウの形も隅での組合わせも相違していて、その建造時に相当時の距たりのあるのを感じさせるのである。この塔も三層目では二手先と三手先間の斗キョウの間隔が下層のものより狭められて支輪の立上りが急になっており、原形が乱されているようである。先ず平面寸尺から見よう。 三層 二層 初層三・... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:49東塔(国宝)
- 東塔 この塔の細部の様式ははっきり奈良時代のものと見られる性質を具えている。即ち肘木(ひじき)は笠繰(ささぐり)を持って力強い曲線を作り、斗は高くてボリュームを見せ、二手先の斗きょうと三手先の斗きょうとの間隔が広く、支輪の傾斜は緩やかで、ゆったりと軒を持出している(第一図)。支輪や小天井の組子が目立って細いのはちょっと異例であるが、それは反って堅い感じを救ってもいる。しかし三手先斗きょうの構成から... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:47當麻寺仁王門
- 門の形式は三間一戸の楼門で、入母屋造り(注1)、本瓦葺(注2)の建物である。下層では円柱をたて頭貫(かしらぬき)(注3)を縦横に通して柱上ではすべてに木鼻(注4)をだし、中央の柱間をのぞき地覆をおき、飛貫(注5)、腰貫(注6)を通す。中央の柱間では頭貫は虹梁状(注7)にみせ、中備に繰型の多い板蟇股を三個所に飾るが、その他では揆形間斗束(けんとづか)(注8)を入れる。斗きょうは和様二手先として上層回... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:46講堂(重要文化財)
- 金堂より面積が大きく、桁行七間梁間四間であるが、正背面では中央一間と隅の間がやや広く、側面では中央二間がはるかに広く、寸尺にして正面中央及び各隅間は九尺強、正面の他の間八尺強、側面中央間は一一・五尺といった値で、奈良時代の尺には復原出来ず、又このような隅の間の広い平面は奈良時代のものらしくない。これについては修理の際別に旧礎石のいくつかを発見し、桁行一二・五尺、身舎梁行九尺という柱間寸尺が出ている... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:45金堂(重要文化財)
- 桁行五間、梁間四間の小じんまりとした堂であるが、斗きょうが二手先斗きょうで、小天井、支輪附になっているため、建ち上りも高く見え、軒の出も大きく、外観が引き立っている。屋根は入母屋造(いりもやづくり)(注1)で、扠首組(さすぐみ)(注2)の簡素な妻飾の頭が少し見える古風な形。元は本瓦茸であったらしく、解体修理の際(昭和八〜一〇)葺板、瓦棒(注3)等が発見されている。現在の基壇は石垣積で、東で地盤がひ... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:43本堂 曼荼羅堂(国宝)
- 曼荼羅堂は先回の解体修理を経て、その複雑な変遷が解明されたのであるが(国宝當麻寺本堂修理工事報告書参照)、ここでは永暦二年(一一六一)に改造された現在の建築について重要な点を指摘するに止めたい。 この堂内で、寄棟屋根を二重虹梁で受けた内陣構架(注1)だけには平安前期のものを残しているから、それから記していこう。この内陣の後列及び側列の柱は古く、径が小さく上方で細まり、頂に丸面を取ったもので、奈良・... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:40現在の来迎会
- 四月二十九日 ネリゾメ 十四日に行われる来迎会のために菩薩に扮する菩薩講の人々が山内護念院であらかじめ打ちあわせ及び行道の稽古を行う日である。この日に菩薩講各組から1名ずつ順次菩薩役等(ただし観音・勢至をつとめる人は特定されている。)が決められる、ただし観音・勢至をつとめる人は特定されている。 五月十四日 来迎会 午後十二時頃より菩薩・天童に扮する菩薩講の人々が護念院に集まり、菩薩の面や装束をつけ... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:39来迎会を支える人々
- 来迎会の日に行通する人々は「菩薩講」から選ばれることになっている。この講は當麻寺のある當麻町を中心にしてかなり広い地域に広がっている。當麻寺護念院を中心に當麻町のほか二市一町に渡り、講員役百八十名で組織され、二十五組に編成されている。 この講中から菩薩・天童役の人はくじびきで選ばれる。但しこの来迎会の重要な役である観音・勢至・普賢の三菩薩に扮するのは地元當麻組の人に決まっている。この講の成立時期を... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:39中将姫信仰と来迎会
- 来迎会をはじめたのは『古事談』第三によると「迎講者恵心僧都始給事也」(〓)とある。この記録を信ずれば、来迎会をはじめたのは源信(注1)ということになる。源信が當麻に生まれたということには確かな文献がのこされているわけでなく、現在では歴史家の間でも信憑性(しんぴょうせい)が薄いといわれている。『本朝高僧伝』によれば、當麻は源信の生地とされているが(〓)古来、源信一浄土教−當麻寺は一つの線に結ばれてい... [続きを読む]
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- 2007/10/18 09:38名称
- 當麻寺では毎年五月十四日に「二十五菩薩来迎会」が行われる。當麻寺近辺の人々は當麻寺で行われる「二十五菩薩来迎会」を「練供養」、「れんぞ」または「れんど」、「面かつぎ」と呼んでいる。「れんぞ」または「れんど」は連道からきた言葉であろうし、「面かつぎ」はこの行事が面をかぶって行われる所から呼ばれたと考えられる。... [続きを読む]
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