- 2008/05/05 09:09戦国期の畿内を理解する
- 三週間ぶりの投稿です。みなさまご無沙汰しております。早速ですが、表題。「戦国期の畿内を理解する」こととは、どういうことか。いきなり結論からですが、戦国時代の近畿は、現代社会に通じる人間感情が存在しているといえます。戦国時代ファンの方々は、みな贔屓の武将なり大名なりがいると思います。当然、オラが国の大将に惚れる人も多いでしょう。そんな中、近畿の武将のファンというのは、他に比較して、そんなに多くはない [続きを読む]
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- 2008/04/12 16:00戦国大和のキーワード
- 中世大和の、画期となった様々な出来事を、キーワードと略解説としてまとめてみたので、参考にしてください。・永享の乱1429年~これにより、興福寺の権威に束縛されていた大和国人がより独自な活動を活発化する。南北朝の対立の後始末、幕府(足利義教)の大和介入。などもキーワード。幕府方の尖兵となった筒井党と南朝方のとりでとなった越智党の戦い。・畠山氏の党争と応仁の乱1440年代、筒井氏に内紛が起こり、大和の情勢も不 [続きを読む]
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- 2008/04/09 09:13戦国時代の終結 中世から近世への移行
- さて、ここ数回は、大和や興福寺について中世から近世への過渡期を扱う研究論文などを紹介してきました。次回に、一度、中世後半の大和について、キーワードをつかって分かりやすいように整理する予定ですが、今回はその前に大和の過渡期のについて、自分なりの解釈を少し書いておきます。このブログを書きながら、過去に集めた資料や、新しく著書やネットで得た知識から、私は、やはり永禄年間の松永久秀の乱入と、天正13年の豊臣 [続きを読む]
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- 2008/04/04 20:18中世興福寺終焉期の研究
- 今回から、興福寺の終焉を扱った論文をいくつか紹介します。最近は、卒論を書いた頃にとった論文などのコピーを読み直しています。前回紹介したものの他に、「16世紀後半の奈良における貨幣流通-多門院日記にみる支払手段の変化をめぐって-」浦長瀬隆「興福寺の「枡の体系」と京枡使用令の構図」河野昭昌「近世興福寺領覚書、内部構成と支配倫理の特質」幡鎌一弘「戦国期大和の権力と在地構造―興福寺荘園支配の崩壊過程―」安国陽 [続きを読む]
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- 2008/04/02 11:35織田信長の対寺社政策
- 織田政権の寺社に対する政策の基本姿勢について。2000年の『史林』に朴秀哲氏が発表された論文「織田政権における寺社支配の構造」がとても分かりやすく読みました。信長の対寺社政策を、年代的に整理し統計、その方向性を見出すことを目的としておられます。元亀二年、天正三年、天正八年、天正十年に、それぞれ変化があることを認められ、特に、天正三年と、天正十年は、大きな画期となったとされています。つまり、天正三年は、 [続きを読む]
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- 2008/03/31 21:23興福寺の立場
- 研究によれば、興福寺の守護職も怪しいという。どのように怪しいかといえば、本人以外に、「大和の守護は興福寺なり!」とはあまり大きい声で言っていないから。しかし、本人(興福寺)は大和の守護はわれわれである。と自分自身に言い聞かせていたのは間違いないので、大和では、一応守護として成り立っていたのだろうと思う。さて、前回、筒井順慶は、一体何者なのだろうか?と問いました。天正4年に信長から大和の国を任せおか [続きを読む]
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- 2008/03/30 21:14筒井順慶の立場
- さて、今日はまた、前回と矛盾したことを書きます。毎度毎度矛盾した話ばかりですみませんが、気長にお付き合いください。さて、表題「筒井順慶の立場」とは、「織田政権と大和」本文でも何度か扱っていますが、つまり、「官符衆人」についてです。何度か解説しましたとおり、中世大和の守護は興福寺です。そして、他の国で言う守護代にあたるのが「官符衆人の棟梁」です。その官符衆人は、20名が三年興福寺に常住して、治安維持 [続きを読む]
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- 2008/03/28 07:58信長の収入源
- 織田信長の軍団の源はなんだったのでしょうか?「織田政権と大和」で得た答えをもう一度振り返ってみます。信長は、本願寺との戦が終わると、大和の国に二つの命令を出します。一つは、城をすべて破壊し、郡山城一つにすること。一つは、大和一国規模の検地(指出)を実施し、大和の米の年貢高を把握する。どちらも、直接信長から命令がだされている。実行者は、城割りは、筒井順慶。検地は、滝川一益、明智光秀。どちらも、大和一 [続きを読む]
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- 2008/03/25 19:12当為と実情
- 前回の常識と非常識の話の続きとして。大和の中世史をコツコツと色々な本などを読んで、理解をしようとしてきましたが、なかなか理解できなかったのです。何度も書きますが、先日本郷和人氏の王権論に触れてから、突然、スっといろんなことが分かるようになってきました。結局、現代人が、現代の今までの常識を持ったままだと、中世を想像すること自体がとても難しいんだということです。わかってるつもりでわかっていなかったこと [続きを読む]
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- 2008/03/23 09:45常識と非常識
- 先日紹介した、本郷氏の『武家から王へ』これを読んでから、頭の中が、泡だっています。やはり、常識というのは恐ろしい話で、「定説⇒教科書⇒常識」ということが、世間では刷り込まれている事実に、驚きました。色々な歴史サイトで、日本史を学生向けに解説されているものを読んでみましたが、その傾向は強そうです。歴史の研究に定説を作ってはいけない。「あったであろう事実」と「研究者が論じる定説」は、しばしばイコールで [続きを読む]
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- 2008/03/20 20:42自己紹介
- ~はじめに~この「織田信長を考えてみる」は、私が10年以上前に書いた「織田政権と大和」という卒業論文をを基にして、その研究したいきさつや、解説、その後発見した間違いや、新しく見つけた見解などを、信長と大和を中心に調べ、投稿しているものです。「織田政権と大和」を読まれたい方は、右のお気に入りリンクから入っていただくか、こちらをどうぞ~さてさて、当拙ブログも、中断を繰り返しながら、はや2年半ほど過ぎまし [続きを読む]
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- 2008/03/17 20:28松永久秀の大和乱入
- 以前に紹介しました、天理参考館の公開講座に行ってきました。内容は、龍王山城及び、周辺の古墳の発掘の成果から、松永久秀が大和で影響力をもった、という話でした。その松永久秀の築城に際する行為から、彼は神仏を恐れない男で多くの古代の遺物を破壊していた。と話が進み、最後は「文化財は大切にしよう」とまとめられて終わりました(笑)得たものもありましたので、以下、少し感想を述べます。まず、龍王山城の発掘の成果か [続きを読む]
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- 2008/03/12 17:42発掘資料に見る大和
- おそらく、私の卒論が、学科の研究誌に載せていただいてすぐだと思いますが、大和郡山市の教育委員会の山川均先生に見ていただきました。その後、とてもご丁寧な感想と参考資料を送ってくださっていました。直後に引越ししたために、失礼な話ですが、荷物の山にまぎれていたようです。最近、過去に集めた資料を整理しているときに、発掘されました(汗)中世大和研究、信長研究に役に立つ内容ですので、ここにその一部を掲載します [続きを読む]
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- 2008/03/09 13:20信長の教養
- 前回紹介しました、本郷氏の『武士から王へ』は私にいろいろと新しい想像力を与えてくれました。直接信長に関するところなどはほとんどありませんでしたが、「国家」「王権」という考え方は、中世を考える時にポイントになります。天皇の権威についても、以前より興味があるので、脇田晴子氏や、網野善彦氏の著書なども、少しですが読んでいました。また、もともと、鎌倉前後には疎かったのですが、本郷和人氏をはじめ、奥さんの本 [続きを読む]
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- 2008/03/07 19:30『武士から王へ』本郷和人著
- 図書館で借りて読みました。まだ、出たばっかりの新しい本です。副題は「お上の物語」日本の国家と王権について論じていますが、中世史入門書にもってこいです。オススメ。一般読者をきっちりと意識して、解説を怠っていないのが○。キーワードは「当為と実情」「統治」など。30節あるのですが、学校の授業で、一節一時間でやれば、かなり日本中世史についてマスターできるんでは無いでしょうか。一般論から見れば、批判される内 [続きを読む]
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- 2008/03/06 09:52歴史の勉強方法3
- またまた短期集中連載ぽくなってきました。第三回目今回は原点に戻って、中高生の皆さんが、どうすれば歴史を理解できるのか、について。今、高校一年生がうちに来てるのですが、今日は世界史のテスト。夕べ、「世界史の勉強方法教えて」って言われて、「物語(ストーリー)を頭に描けばいいよ」と伝えました。その後、部屋を覗きにいくと、そこには学校でもらったプリントを暗記する姿が。どれどれとそのプリントに目をやると、も... [続きを読む]
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- 2008/03/05 07:52歴史の勉強方法2
- 前回の続き。一人の著者の本を、一時期に沢山読んでみる。これとは別に、一つの事象について、できるだけ沢山の人の意見を調べてみる。これもまた試してみて欲しい方法です。むしろ、必ずしてもらいたいことです。歴史の楽しさは、「これが正解」というものがないことです。誰がどんな理論をたてようと、全てが想像でしかありません。自由です。そのため、一つの事件に対して、千差万別の意見がでるのは当たり前です。一人の意見に... [続きを読む]
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- 2008/03/04 21:47歴史の勉強方法
- ここで言う勉強とは、当然、テスト勉強ではなく知識としての歴史を学ぶ方法。以前に、「卒業論文を書いてみよう」と題して(カテゴリでは卒論ができるまで)色々と書きましたが、今日はもう少し簡単に思うところを書いてみます。東大やら京大やらの研究者ならいざ知らず、一般人がそう頻繁に文書などには出会えません。それでも、歴史を勉強するのに、ただひたすら他人の書物を読むだけでは、物足りません。誰もが、小説の舞台に立... [続きを読む]
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- 2008/02/29 21:18大和ハ神国ニテ
- 1月6日大和国興福寺別会五師釈迦院寛尊、「或人物語」により旧冬(天正9年冬)に織田信澄(「小田七兵衛殿」)が大和国拝領を直訴したところ、織田信長(「上様」)より「大和ハ神国ニテ往代ヨリ在子細」というので「無用之訴訟旨御気色」であったため重ねての懇願を止めたことを知る。〔『蓮成院記録』三〕http://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho16.htmより転載しました。この「蓮成院」の文書は活字になって... [続きを読む]
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- 2008/02/28 20:43ご紹介 公開講座
- 私の地元でこんな講座があります。181回天理参考館公開講演会 『ヤマト王権を語る』シリーズ最終回 ―大和古墳群と中世山城 古墳を壊した人々― 日 :平成20年3月15日 時間:午後1時30分~(受付は午後1時より) 場所:天理大学付属参考館 研修室 費用:入館料のみ※常設展も見ることができます。(大人400円、小中学生200円、団体300円) 定員:100名内容 奈良盆地東部の山中(東山内)にはいくつかの山城が知られ... [続きを読む]
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- 2008/02/16 14:18雪の朱雀門
- 信長どころか、戦国時代でもなんでもありませんが、先日、雪の平城京跡をあるきました。雪の朱雀門は、光を浴びて、まぶしかったです。... [続きを読む]
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- 2008/02/02 09:52多聞山城からの眺め
- 先日、奈良町、興福寺、多聞山城に行ってきました。車に折りたたみ式の自転車を積んで、京終(きょうばて)にいき、そこから、多聞山城までサイクリングしてきました。この道は江戸期に上街道と呼ばれていた道で、興福寺から桜井市まで続いています。古代の上ッ道ともつながるようですが、奈良市のほうでは、少しずれているようです。さて、上街道、興福寺、多聞山城は、ほぼ一直線で結ばれています。このブログでも以前に紹介して... [続きを読む]
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- 2008/01/23 21:22歩いてみよう
- 私はときどき、生駒山の麓から山之辺方面まで歩きます。郡山城を通過したり、龍田方面を通ったり。来月は、奈良町を通ります。朝9時頃出発し、途中休憩や食事を取りながらのんびり歩いても、夕方には到着します。郡山周辺はちょうど北和の中間点で、大和を縦に横に斜めに歩いても、通ります。ただし、生駒から矢田丘陵を越えないで、南下する場合と、南都からまっすぐ南へ上街道を南下し、山之辺の道、伊勢街道などへ抜けると、通... [続きを読む]
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- 2008/01/16 11:08カエサルと信長と星野仙一
- 新年の記事からもう二週間以上過ぎてしまいました(汗)前回紹介した蓮成院の記録が、行方不明になってしまっていて、見つかり次第ご紹介します。今日は、雑談です。さて、何ゆえ突然、カエサル?ということですが実は、お正月特番で、塩野七生のローマ学をやっていて、それを見た私は塩野ローマに興味をもち、今ぼちぼちと読書中なわけです。とりあえず目を通したのが『痛快!ローマ学』です。歴史学としての西洋史の教養は私には... [続きを読む]
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