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- 2008/11/18 21:45カルマ
- 先日の記事で私は光線という単語を用いたが、この概念は覚者がおっしゃるように、あくまでもこの考えが間違いであることが証明されるまでは仮説であるという立場を私たちは守らなければならないと思う。 私は敢えて先日、この単語を用いたが、この言葉に夢中になり、私はどういう光線なのだろうということに囚われないようにすることが大切であると思う。 どんな教えでもそうだが、外部からのものは単なる情報、知識だけであって [続きを読む]
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- 2008/10/31 09:21オリジナリティ
- 現在、世界の経済そして政治は、大混乱の状態にある。 真理を学ぶ者、精神世界に傾倒する者達の中には、この状況をひそかに喜ぶ者もいるであろう。世間の人々は、精神世界に関する事を学んでいないから、この状況に大パニックを起こしている。肉体や物質を全てと思っているから、この世が本物だと思っているから、この状況に対して、精神的に耐えることが出来ないであろうと。自分たちは真理を学んでいるから、この世がすべて偽物 [続きを読む]
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- 2008/07/08 23:30奉仕への道
- 奉仕という言葉にとてつもない深遠さを感じる日々である。 我が兄弟たちよ、共に奉仕の道を進もうではないか。 ある大師のこの偉大なる言葉に、私はずしりとくる大きな重みを感じたのである。この言葉が繰り返し繰り返し、頭の中に入ってきて、常に意識するような状態にある。 今までは瞑想、瞑想と瞑想を追究してきたが、奉仕があるが故に瞑想をするというような意識へと変わりつつある。一に奉仕である。奉仕があるがこそ、瞑想 [続きを読む]
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- 2008/06/19 22:55更なる飛躍へ
- ここ暫く、記事を書かないでいた。いや正確に言えば、書けないでいたというべき状態であった。それは決して悪いことではなく、私は今、霊的道を進むにあたって、大きな岐路に立たされることとなり、更なる飛躍へのステップを踏むこととなった。私の今の心情を素直な気持ちでここに記したいと思う。 無一元の瞑想、表現は全て幻であるという瞑想を続けてきた私にとって、アリス・ベイリーなどを筆頭とする秘教と言われる教えは、無 [続きを読む]
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- 2008/05/17 23:18神に酔う瞑想
- 瞑想とは何か。瞑想を通さずして、神の国に至った者は誰一人とていない。この言葉は偉大なる真理であります。何故、瞑想を通さないと、神の国に至ることが出来ないのか。何故、聖者と言われる方々は、瞑想を訴えるのか。釈迦は内観と言い、イエスは瞑想と言われた。これらは、全く同じものであります。 私たちは、この世に赤ん坊として産まれ、物心ついた時から、父親がいて母親がいて兄弟姉妹がいてという、その家族というものを... [続きを読む]
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- 2008/05/12 23:57真の光を観よ
- 光、この光という言葉が、霊的道を進む私たちにとって、非常に囚われやすい、躓きやすい、掴まりやすい言葉ではなかろうか。実在、この”一”たるものは、国々の違い、人種の違いによって様々な呼び方をしている。この”一”たる実在は、意識ということである。唯、実在するのは、この一つの意識である。この意識は、神であったり、仏であったり、愛であったり、大霊、慈悲、生命、エネルギー、キリスト、仏陀、天照大神と、様々... [続きを読む]
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- 2008/05/08 22:39大師とは
- 私たちの瞑想、そして霊的進化における動機の中に、大師の弟子になりたい、大師に会い直接教えを乞いたい、といったような動機があるならば、私たちの進み方は間違っていることでしょう。この世の中には公然と、私は大師の弟子であると、何々大師の弟子であることを自覚したという方々もおります。また、瞑想中に大師が現れて、何か啓示をしてくれるだろうということを期待しながら瞑想する方々もおられるでしょう。 キリストが再... [続きを読む]
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- 2008/05/04 21:47すべてを許すとは
- すべてを許すとは何でしょうか。神は許しそのものであるから、すべてを許すんだと。私たちは、本当にすべてを許しているでしょうか。 まず、身口意を制御せよと。思いを正しく、言葉を正しく、行動を正しくと。ある意識段階までは、このことを意識するのは必要でありましょう。私も、そのような瞑想をしてきました。思いを正しく、言葉を正しく、行動を正しくしていこうと。 ある程度、霊的な道を進む方々は、ポジティブに肯定的... [続きを読む]
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- 2008/05/03 08:30苦しき者よ幸いなり
- 苦しき者よ幸いなり、その者は天国を見るであろうと。 まさに人は苦しみが自分を襲うことによって、追求する心が生まれます。何故、私はこんなに苦しむのだろう、何故、私はこんな目に遭うのだろう、この苦しみ、悩みはどうすればなくなるのだろうかと。まさに今、このような苦しみを背負っている者たちは、幸いそのものであります。今、悩み、苦しみを背負っていて、そのような余裕が心にないかもしれませんが、その悩み、苦しみ... [続きを読む]
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- 2008/05/01 16:26依存心
- 神という観念は、神そのものではない。「神」という言葉は神そのものではない。神は、完全なるままに久遠であり、常在であり、神のみが唯一者である。このことは心が静まった時にのみ体験し得る。神は決して知り得るものではないことを心が知った時、それはあがくことをやめる。その時初めて心の中にのみ存在する未来における何かではなく、実に今!であるところの「実在するもの」が現前する。 あなたは、このことを自分自身で... [続きを読む]
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- 2008/04/30 22:19幻から執着を解き放て
- 囚人という言葉を聞いて、何を連想するであろうか。この現世で罪を犯し、牢屋に入っている受刑者たちを連想するであろうか。一切自由がなく、自分の好きなことが出来ず、可哀想だなあと憐れみを感じるが、まあ悪いことをして罪を償うのだから仕方がないと思うであろうか。囚人、これはまさに私たちのことを言っているということが理解できる者は、霊的道を歩む者である。 そう、私たちはまさに囚人なのである。この肉体に、自分の... [続きを読む]
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- 2008/04/29 10:25偽物は消えなければならない
- この物質世界、肉的な波動状態における我々が住む世界には、様々な霊的指導者がいるが、その多くが偽物の指導者であることに気付かなければならない。この水瓶座の時代、その多くの偽物の指導者たちは、消えていかなければならない。偽物の指導者が消えるにはどうしたらよいのか。その多くの偽物の指導者がはびこるのは、我々がまだまだ霊的に盲目であり、真実を見抜く力が、識別心がないからである。偽物が消えるには、我々の意... [続きを読む]
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- 2008/04/26 16:21悟りを軽んじてはならぬ
- この世の輩の中には、”悟り”という言葉を軽んじて使う者が何て多いことか。「私はもう悟りました」「悟りを授けましょう」「悟りとはこうこうしかじかこういうものである」と。人間という個我意識の観念、概念で悟りを捉えて、悟りを語る者の何て多いことなのか。悟りというものを知れば知るほど、神の叡智の深さを知れば知るほど、天上の父なる方の偉大さ、無限さに触れれば触れるほど、そのような言葉は絶対に口にすることは... [続きを読む]
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- 2008/04/25 22:16瞑想は歩くこと(2)
- 一日三十分歩けるようになったら、あなたは山登りの歓びを少しずつ感じ始めているかもしれません。あー、何か気持ちがいいなあ、すがすがしいなあと、山登りに慣れてきた状態があります。そして一年、二年と経過が経ち、一日に一時間は歩けるようになったものは幸いであります。この一日一時間歩くことが一年でも続いたならば、あなたは山登りの醍醐味を知り始めているでしょう。山登りに歓びを感じ、毎日の山登りが欠かせないと... [続きを読む]
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- 2008/04/24 22:42瞑想は歩くこと(1)
- 瞑想を山登りに例えてお話ししたいと思います。 私たちは、神という頂上を目指して、スタート地点を出発いたします。その頂上は、下からぼんやりと見えはしますが、どこがゴールかはよく分かりません。登山家の有名な言葉で何故山に登るのかと問われ、「そこに山があるから」と答えられた方がいました。私たちも神を知るために、神を知りたいという欲求から、「そこに神があるから」という意識状態で瞑想という山登りを始めます。... [続きを読む]
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- 2008/04/23 18:51使命を思い出すことの意義
- 真理を学ばられた方々の中から、「いつでも私は死んでもいいなあ。この肉体にいるのはとても不自由だから早く霊界に行って自由そのものを味わいたいなあ」といったような思いを持った方々を見受けることがある。 真剣に死にもの狂いで真理を学んでこられた方々(かのパラマハンサ・ヨガナンダは毎日泣き叫んで神に祈られたと言います)、毎日、時間がある度にこの世の快楽に見向きもせずに瞑想に時間を取る方、この世はすべて幻で... [続きを読む]
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