- 2008/05/11 17:19第11話:職場〜落ち着かぬスタジオの柔らかい絨毯
- 信濃町のスタジオまでは、母が車でわたしたちを送った。 うちの近所にもありそうな小さなビルの正面に、『R』と、ドアから大きくはみ出した白い文字が描かれていた。わたしは、何かに騙されたような気がした。 父が『R』のドアを押す。ドアの中には真っすぐ長い廊下が伸びていた。 誰の姿もなかった。 父とわたしは、廊下の奥まで黙って歩いた。 廊下のところどころにソファーと灰皿が置かれていたが、灰皿はどれも光るほ [続きを読む]
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- 2008/05/11 14:20第10話:仕度〜不機嫌な母
- 「どうしてそんな野暮ったい格好するのよ」 その日の朝の母は苛立っていた。「そんな格好って」 わたしは水色のシャツのボタンを留めているところだった。ベッドの上には薄茶色のボックス型スカートを出してある。足下には、すでに紺色のハイソックスを履いていた。 何がいけないというのだろう。 肩をすくめた母が部屋から出て行くと、わたしは今留めたばかりのシャツのボタンを外していった。 お洒落にはあまり関心がなか... [続きを読む]
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- 2008/05/09 09:56第9話:宿題〜父の職場見学
- 冬休み、進路指導の準備にと、『皆さんのお父様やお母様の職場を見学してきて下さい』という宿題が出された。「いいテーマだな」と父が言った。「お母さんの仕事は専業主婦で、このうちがお母さんの職場なんだから、わざわざ邪魔しに行かなくてもいいじゃない」 母は、自分が迷惑しているような顔だ。「邪魔ってことはないだろう。小さい子供じゃあるまいしな」と父が笑顔を向ける。 自分がそれを面倒臭く思っていると言える... [続きを読む]
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- 2008/05/06 08:18第8話:喪失〜大ちゃんの代役
- 大ちゃんが不意に来なくなった。 ゲームセンターに行って「大ちゃんちの電話番号とか、知らないよね」と店員に訊いた。「弟、そこにいるよ。大ちゃんの」と、店員が顎をしゃくる。 店の隅で、表紙の破れたマンガ本を読んでいた少年が、顔を上げて、「知ってる。アリでしょ」とわたしに言った。きっぱりした言い方だった。「同い年だよね、あたしと」「そう」 またマンガに視線を戻して、勢いよくページをめくる。「学校、鉢... [続きを読む]
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- 2008/05/05 23:39第7話:大樹〜開けていた玄関の鍵
- わたしは、大樹を「大ちゃん」と呼ぶことになり、大ちゃんはわたしを「アリ」と、ボクサー風にきっぱりした言い方で呼んだ。 大ちゃんは、学校に行っていれば高校二年だけど、一年の冬休みで自主的に退学した。「中学んときは生徒会長だったんだから。二年になったら生徒会に立候補しようと思ってたんだけどさあ」と、熱心に弁解した。 大ちゃんの父親が、お正月に事故で亡くなった。 まだ弟が中学生で、母親は耳が聞こえ... [続きを読む]
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- 2008/05/05 20:48第6話:出会い〜操縦士を失った宇宙船
- 三十分ほど、おっぱいの大きな女の子の着ている服を脱がしたり、また着せたりしていると、お客さんが入ってきた。「暇だねえ、相変わらず」 大きな声で言いながら、わたしと同じくらいか、それより少し上くらいの年格好の痩せた男の子が、居眠りをしていた店員を足で蹴った。「なんだよぅ」 店員の眠そうな声が聞こえた。やっぱり声が低い。首が長過ぎるのだ。「暇だと思って来てやったんじゃん」 客の男の子は、明らかに自... [続きを読む]
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- 2008/05/05 18:06第5話:遊技場〜うらぶれた雑居ビルの空間
- 少し前からゲームセンターが流行っていた。 それとも、ゲームセンター自体は、もっと昔からあったのかも。 わたしたちが、ゲームセンターが気になる年頃になったというだけなのかもしれない。 渋谷駅のそばに新しくできた大きなゲームセンターは入り口で身分証明書を見せなければならなかったので、一度追い返されてからは近寄れなかった。 わたしは、どうしてもゲームがやりたかった。 小学生の頃に夢中だったインベーダ... [続きを読む]
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- 2008/05/05 16:43第4話:都会〜個性を受け入れる渋谷の雑踏
- わたしが暮らすマンションは、比較的新しく建てられたものだ。 分譲された二つ分を改装工事でくっつけて、ぐるりと回遊する間取りにしたので、玄関が二つある。 両親の寝室と応接間のある側に一つ、わたしの部屋と居間と台所のある側に一つ。 どちらの玄関も同じ形で同じ色の、味気ないスチールのドアだ。 それらが風呂場と洗面所とトイレを真ん中にして配置されているので、家の中をぐるぐる回れば犬の散歩ができる。「ミ... [続きを読む]
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- 2008/05/05 13:57第3話:凶行〜夜明け前の爆弾処理
- そろそろまずいな、とは思っていた。 寝酒をやる習慣のある母が、トイレに起きてくる時間だからだ。 わたしの部屋は以前父が書斎にしていた小部屋で、電話回線がそのまま残っている。 回線の使用許可が出たのは、中学三年になってすぐだった。 家の電話回線とは別の契約をして、小遣いで輸入ものの折り畳み電話機を買ってきて、つないだ。 わたしが小遣いの中から自分の電話代を支払っているのだから、どれほどの長電話だ... [続きを読む]
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- 2008/05/05 12:12第2話:深夜〜完璧な作戦
- 香奈と親しくしているのは、香奈が、やっぱり「個性的なお嬢さん」と呼ばれて育ったタイプだったからだろう。みょうに馬が合う。 香奈は、新任の体育の先生を狙っていた。 学校では素知らぬふりをしているけれど、先生と電話で話したり、手紙の返事をもらったりしている。「完璧な作戦がある」 香奈が自信満々に電話をしてきたのは、夜中の一時だった。 わたしも香奈も、ラジオの深夜放送を聴くために起きていた。 しっと... [続きを読む]
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- 2008/05/05 11:04第1話:少数派〜酒と煙草とセックスを知る15歳
- 酒と煙草とセックスを知っている15歳は、世の中でも少数派だと思う。 だけど、存在するのは事実で、わたしはそういう一人だった。 名前は中川有という。『ユウ』ではなくて『アリ』と読ませるのが、代理店で広告ディレクターをやっている父のこだわりだ。 わたしが産まれた年に、戦争に行くことを拒否してボクシングを奪われたモハメド・アリ。 闘う男の名前を引き継いだわたしは、期待通りやんちゃに育った。 何の不自... [続きを読む]
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