nike3 さん

nike3さん: 思い出のサッカー
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プロフィール

ハンドル名nike3 さん
ブログタイトル思い出のサッカー
サイト紹介文サッカーの思い出を中心に綴っていきたいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度情報提供33回 / 562日(平均0.4回/週) - 参加 2008/05/16 00:17

nike3 さんのブログ記事

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  • 2008/08/15 16:45オーバーエイジを巡る雑感
  • 北京オリンピック男子サッカーでの日本の戦いは終わりチームも解散、協会も総括(?)めいたコメントを出したけれど、”さあ、次”とドライに切り替えられる性格でもないので(だからこんなブログをやっている)、今回も半出張版のような形で近年のオリンピックサッカー、オーバーエイジについてあれこれ。========================================そもそもオリンピックにまるで興味がなかった私だったが、サッカーを始めるととも... [続きを読む]
  • 2008/08/12 20:02オランダ戦を意味ある最終戦に
  • 本来であれば現在進行のネタはこっちに書くのだが、書ききれなくなった時にはこのブログにも記述。北京オリンピックのサッカーU-23代表は予選を通じて見る機会が少なかったためまさかこちらで書くとは思わなかったが、いざ始まるとあれやこれやと盛り上がり、ついに最終のオランダ戦を前に出張版。=================================================以前ワールドカップドイツ大会の日本-ブラジル戦を前に、このブログで「無意味な... [続きを読む]
  • 2008/07/20 01:29捉えどころのないタイプ
  • 北京オリンピックが近づいて来た。OAを巡るドタバタ劇、まさかのメンバー発表などで脚光を浴びる反町監督。どちらかと言うと世論は批判的か。まあ、予選の最中から批判が多かったけれど・・・。私が”反町”というサッカー選手の名を知ったのは、清水東でも慶応でも全日空でもなく、東邦学園。なんのこっちゃ、だろう。マンガ『キャプテン翼』に出てくる、翼のライバル日向小次郎の通う中学校だ。まだ知ってる世界が小さいガキんち... [続きを読む]
  • 2008/07/15 15:03二つの彗星
  • メキシコを経て、'90年はヨーロッパにワールドカップ本大会が戻ってきた。開催国イタリアは地元であるとともに優勝経験国、また名実ともに”世界最高のリーグ”セリエAを持つ国として優勝を大いに期待され、名だたるビックネームが名を連ねていた。しかしながらワールドカップという短期間の大会は、時に残酷なコントラストを生み出す事になる。守備の要として期待されたバレージは準決勝でアルゼンチンに敗れるまで無失点と十分に... [続きを読む]
  • 2008/07/10 12:02JSL時代の日本代表VSリーグ選抜
  • Jリーグ選抜VSKリーグ選抜、といった形になった「JOMO CUP 2008」。いくつかのブログを見ていると"A代表対Jリーグ選抜で試合をしたらどうだ”とあり、そういえばJSL(日本サッカーリーグ)時代にあったな、と思って調べてみると、1987年に国立競技場でおこなわれていた。今回のJリーグ選抜の日本側メンバーについては、A代表に選ばれている選手、そうでない選手等の選択基準やFWがすべて外国人選手であるといった事について意... [続きを読む]
  • 2008/07/02 00:31狂気と呼ばれた男
  • 『狂気の左サイドバック』、というノンフィクションをご存知だろうか?'94アメリカワールドカップ予選の日本代表、そして左足首の疲労骨折のため試合出場は不可能だったにも関わらず”唯一無二の左サイドバック”としてドーハに帯同され、ベンチからその悲劇を味わった名手・都並敏史について綴られたノンフィクション作品であり、21世紀国際ノンフィクション大賞も受賞した傑作だ。都並自身はこれでフォーカスされるずっと以前より... [続きを読む]
  • 2008/06/22 01:44番外編的Number706のススメ
  • 『Sports Graphic Number』706号は”日本代表論”。今の代表に散々と苦言を呈している私だが、読むとやや意気消沈。皆さん寛大なんだなあ・・・。「思い出のサッカー」で扱うのは、”日本代表と私たちの15年”ということで90年代からの代表の歩みがダイジェスト収録されているため、ではない。やや歴代監督への評価がおかしい、とお得意の苦言を呈するためでもない。過去の代表と比較する形のインタビューで、大野俊三という渋い人... [続きを読む]
  • 2008/06/11 18:05PKの思い出をあれこれ(世界)
  • 前回に引き続きPKの思い出を。今回は世界で。======================================='86メキシコワールドカップではブラジルのソクラテスのPKが印象深い。軸足を少し蹴るようにしてみせ、逆の足で蹴り込む。ツーモーションでないかとGKはクレームをつけたが、この主張は聞き入れられなかった。ちなみに不格好ながら私もこれに憧れ練習をしたものだ。ところがソクラテスは、ベスト4をかけた伝説の名勝負、フランスとのPK戦でもこ... [続きを読む]
  • 2008/06/10 18:00PKの思い出をあれこれ(日本)
  • 2010年ワールドカップ予選、アウェーのオマーン対日本の試合は両軍ともにPKが大きな役割を果たした。そこで、今回はPKについての思い出をあれこれ。=====================================オマーンの血迷ったような緩い転がしPKとはいうものの、根負けせずにそれを敵地で冷静にストップしてみせた楢崎は素晴らしかった。1985年のメキシコワールドカップ、アウェーの香港戦でも同じような事があった。初戦のホームゲームを3-0(これ... [続きを読む]
  • 2008/06/07 02:09EUROの思い出
  • いよいよEURO2008が始まる。明日(もう今日か)は昼間に中田主催のチャリティーマッチがあるかと思えば夜は日本代表のワールドカップ予選、そして深夜にEURO開幕だ。なんともサッカーに溢れた一日だが、日本代表の大事な試合とEUROといえば四年前もそうで、中国でのアジアカップとEUROがほぼ同時期に行われていて、私は旅先のホテルなんかでもテレビにかじりつかねばならないといった忙しい事態にもなったりしていた。ヨーロッパの... [続きを読む]
  • 2008/06/06 00:12長沼健氏のこと
  • 書こうか書くまいか迷ったが、日本サッカーの大きな礎を築いた方だ。少しだけでも触れておこうと思う。長沼健氏の現役はもちろん、監督としての姿も私は知らない。メキシコ五輪で杉山のパスを釜本が決めるシーンは何度も見たものの、その時代を生きているわけではない。つまりは長沼健氏の現場での功績は実感としてまったくわからないのだ。協会では日本サッカー激動の時代に重職に就かれていた方だ。発表される書面に連なる名前、... [続きを読む]
  • 2008/06/05 02:44そびえたつFW 3 ポストプレーと可能性
  • 高校サッカーでは大きな実績を残す事ができなかった高木だが、大商大へ進学できたことは大きな幸運だった。これはやはり小嶺監督の力によるとこが大きかったと思われる。大学サッカーの覇権は高校サッカーのスターが多く流入していた筑波、東海、順天堂などを中心とした関東に移りつつあったものの、大商大はまだ強豪の一角だった。そしてそこでも、高木はすぐにレギュラーを獲得した。卒業後はJSLのフジタへ進みマツダへ。Jリーグ... [続きを読む]
  • 2008/06/02 15:37また横道、岡田のこと
  • こちらのブログに今のサッカーの話題を書くのは本意ではないが、まあ予選直前ということで再び横道にそれて日本代表(というか岡田)の話。武藤文雄氏は自身のブログでこう述べられている。(10年前に突然に代表監督を引き受け、知性と技巧あふれるサッカーでワールドカップ初出場を決め、本大会でも質の高いサッカーでアルゼンチンとクロアチアに堂々たる勝負を見せ、コンサドーレを1部に昇格させ、マリノスをJで2連覇させた... [続きを読む]
  • 2008/05/31 03:14そびえたつFW 2 とどかなかった全国
  • その年の夏、国見高校は順当に長崎を制し高校総体に出場する。もちろんFW、チームの軸は高木琢也だった。しかしながら国見は早々に敗退を喫し、あっけなく全国の舞台から姿を消す。おぼろげな記憶では初戦で静岡代表と戦い、PKでの敗退だったような気がする。夏の総体は冬の選手権に比べ格段に注目度が低く、話題になるのはせいぜい決勝戦ぐらいだった。そのため早々に姿を消した国見が騒がれることはなかった。当然、高木もだ。あ... [続きを読む]
  • 2008/05/30 18:35少し横道。オマーンのこと、岡田のこと
  • 本来であれば引き続き「そびえたつFW」を書いていく予定だったが、ワールドカップの3次予選が近くイライラが沸騰しているので、それに関連して過去と現在を交えてチラホラ。オマーンの監督はあの時のウルグアイ代表のメンバーなのか、というのが驚き。このブログでも何回かふれている私的思い入れが強い'86メキシコワールドカップ予選の日本代表が戦ったウルグアイ代表。報道されているようにキリンカップで行われたこの試合は1-4... [続きを読む]
  • 2008/05/24 01:20そびえたつFW1 長崎のバケモノ
  • 全国サッカー選手権で帝京と島原商業が優勝を分け合い、”長崎、島原商業時代の始まりか?”とされていた頃、九州では別の流れができつつあった。島原商業を強豪に育て上げた小嶺忠敏監督が指揮を取り始めた、同じく長崎の国見高校だった。とにかく当時つるんでいた友人がいかに国見が凄いかを連発するものだから、私達は連れだって九州大会観戦となった。2月の寒い時期、各地の新人戦を勝ち抜いた全国レベルのチームが新体制とな... [続きを読む]
  • 2008/05/22 00:05サッカーの価値
  • 前回まで3回に渡り、武田修宏というゴールへの嗅覚という特異な能力を持ちながらも時代に恵まれなかったストライカーのことを書いたが、逆に時代に愛されたストライカーもいた。しかも世界レベルで。ゲーリー・リネカー。彼はスピードも無ければテクニックもない。まったく何もできない選手だ。ただ得点を取る、という事をのぞいて。'86年メキシコワールドカップ。グループリーグでサッカーの母国イングランドは1敗1分けと最終戦を... [続きを読む]
  • 2008/05/21 00:37誤解されたストライカー3 さまよった情熱
  • 帰国当初こそ日本サッカーにとまどいを見せていたカズだったが、持ち前のテクニックで徐々に存在感を見せ始める。また陽気な性格とスター性は、アマチュアからプロへと大きく脱皮しようとしているサッカー界の現状と相まって脚光を浴びた。武田はこのカズ、加えて”ボス”の風格漂うラモスの舎弟のようにとらえられていく。Jリーグ開幕の頃のJリーグ人気は異常で、一般誌やテレビなどはピッチの中だけでなく選手の夜の街でのプライ... [続きを読む]
  • 2008/05/15 17:14誤解されたストライカー2 躍動と沈黙
  • 高校卒業が近くなると、武田の進路に注目が集まった。当時はJSLで社会人としてプレーするか大学への進学が一般的。江尻や真田など選手権で活躍した選手、また井原など有望選手も大学進学組が多くいた。筑波や順天堂、東海大など大学サッカーがまずまず勢いがあったというのもあるが、所詮は社会人のアマチュアサッカーとJSLにも希望は持てなかった時代だ。果たして、武田は緑色のユニフォームに身を包んだ姿が雑誌に掲載された。読... [続きを読む]
  • 2008/05/09 19:08誤解されたストライカー1 高校サッカーのスター
  • 日本は決定力不足、とたびたび言われまたその理由を強力なFWがいないから、とされる。ただ得点力不足はずっと以前から言われていたことで、それはJリーグが始まるはるか昔から変わらぬことである。釜本という稀有な存在があったからかチーム力で点をとるというよりも傑出した個人に得点を求める傾向も強く、少し目立つ存在が出てくるとたちまちスターに祭上げられる、武田は良くも悪くもその代表的な選手である。=================... [続きを読む]
  • 2008/05/04 11:36キャリアを重ねる才能
  • 前回書いたように私は『キャプテン翼』でサッカーを好きになるのだが、リアルなサッカーはといえば高校サッカー選手権決勝で清水東が韮崎を粉砕した試合を見てからだ。その頃は世界のサッカーはおろか日本代表もJSLも知らなかったので、清水東こそが宇宙一強いのではないかと思った。その中心だったのが有名な三羽ガラス。長谷川健太、堀池巧、大榎克己だった。だんだんとサッカーの情報が入るようになった頃、神戸で大学生の祭典... [続きを読む]
  • 2008/04/30 16:33海外プロ”第3”の男
  • 日本サッカー黎明期に海外でプロとなった日本人サッカー選手と言えば、その第1号として奥寺康彦が語られる。その活躍もあって今でも雑誌などでそうした特集があれば必ず出てくるのでご存知の方も多かろう。個人的には私がサッカーを初めた頃に海外に渡ったとして、尾崎加寿夫も思い出が深い。そして”3人目”として記憶しているのが水島武蔵だ。武蔵はヨーロッパではなくブラジルでプロとして契約。ただ当時のブラジル国内の規定と... [続きを読む]
  • 2008/04/21 22:30街頭テレビのクリンスマン
  • 街頭テレビとは3丁目の夕日的な象徴ではない。昭和と平成の挟間でも、私はそれに似た体験をしていた。当時NHKが衛星放送(BS)なるものを本格的に開始しようとしていた。目を引くようなコンテンツは当然そちらで放送されることになる。スポーツもそのひとつ、ソウルオリンピックはその最たるものだった。ソウルオリンピックはロサンゼルスの後を受け、事実上プロが解禁されようとした大会だった。その話題になったのが西ドイツのク... [続きを読む]
  • 2008/04/14 03:02プライド高きチャンスメーカー-2
  • メキシコワールドカップアジア地区最終予選で韓国に惜敗した日本代表は、石井義信監督を迎えすぐにソウルオリンピック予選へと臨むこととなった。敗れたとはいえ本大会出場に後一歩と迫る快挙を成し遂げたチームのベースは変わらないと思われたが、肝心の木村和司が不調に陥り、日本は中盤で攻撃のタクトをふるう選手が存在しなかった。水沼は評価を落としていたのか、立ち上げの頃から呼ばれることはなく、このまま”元代表”とい... [続きを読む]
  • 2008/04/12 14:49プライド高きチャンスメーカー-1
  • '86メキシコワールドカップアジア地区予選にのぞむ日本代表の中に、水沼貴史はいた。キャプテン加藤久や絶対的な司令塔木村和司がいる中、水沼が注目を集めていた理由は日韓戦で韓国をアウェーで沈める一撃を放ったことが大きい。ただ怪我のため初戦のシンガポール戦は欠場、出番はホームの北朝鮮戦からとなった。この試合は伝説に残る雨中の決戦、泥まみれの中技術うんぬんではない蹴り合いが展開された。水沼も得意のドリブルは... [続きを読む]
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