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- 2008/06/05 02:44そびえたつFW 3 ポストプレーと可能性
- 高校サッカーでは大きな実績を残す事ができなかった高木だが、大商大へ進学できたことは大きな幸運だった。これはやはり小嶺監督の力によるとこが大きかったと思われる。大学サッカーの覇権は高校サッカーのスターが多く流入していた筑波、東海、順天堂などを中心とした関東に移りつつあったものの、大商大はまだ強豪の一角だった。そしてそこでも、高木はすぐにレギュラーを獲得した。卒業後はJSLのフジタへ進みマツダへ。Jリーグ... [続きを読む]
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- 2008/06/02 15:37また横道、岡田のこと
- こちらのブログに今のサッカーの話題を書くのは本意ではないが、まあ予選直前ということで再び横道にそれて日本代表(というか岡田)の話。武藤文雄氏は自身のブログでこう述べられている。(10年前に突然に代表監督を引き受け、知性と技巧あふれるサッカーでワールドカップ初出場を決め、本大会でも質の高いサッカーでアルゼンチンとクロアチアに堂々たる勝負を見せ、コンサドーレを1部に昇格させ、マリノスをJで2連覇させた... [続きを読む]
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- 2008/05/31 03:14そびえたつFW 2 とどかなかった全国
- その年の夏、国見高校は順当に長崎を制し高校総体に出場する。もちろんFW、チームの軸は高木琢也だった。しかしながら国見は早々に敗退を喫し、あっけなく全国の舞台から姿を消す。おぼろげな記憶では初戦で静岡代表と戦い、PKでの敗退だったような気がする。夏の総体は冬の選手権に比べ格段に注目度が低く、話題になるのはせいぜい決勝戦ぐらいだった。そのため早々に姿を消した国見が騒がれることはなかった。当然、高木もだ。あ... [続きを読む]
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- 2008/05/30 18:35少し横道。オマーンのこと、岡田のこと
- 本来であれば引き続き「そびえたつFW」を書いていく予定だったが、ワールドカップの3次予選が近くイライラが沸騰しているので、それに関連して過去と現在を交えてチラホラ。オマーンの監督はあの時のウルグアイ代表のメンバーなのか、というのが驚き。このブログでも何回かふれている私的思い入れが強い'86メキシコワールドカップ予選の日本代表が戦ったウルグアイ代表。報道されているようにキリンカップで行われたこの試合は1-4... [続きを読む]
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- 2008/05/24 01:20そびえたつFW1 長崎のバケモノ
- 全国サッカー選手権で帝京と島原商業が優勝を分け合い、”長崎、島原商業時代の始まりか?”とされていた頃、九州では別の流れができつつあった。島原商業を強豪に育て上げた小嶺忠敏監督が指揮を取り始めた、同じく長崎の国見高校だった。とにかく当時つるんでいた友人がいかに国見が凄いかを連発するものだから、私達は連れだって九州大会観戦となった。2月の寒い時期、各地の新人戦を勝ち抜いた全国レベルのチームが新体制とな... [続きを読む]
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- 2008/05/22 00:05サッカーの価値
- 前回まで3回に渡り、武田修宏というゴールへの嗅覚という特異な能力を持ちながらも時代に恵まれなかったストライカーのことを書いたが、逆に時代に愛されたストライカーもいた。しかも世界レベルで。ゲーリー・リネカー。彼はスピードも無ければテクニックもない。まったく何もできない選手だ。ただ得点を取る、という事をのぞいて。'86年メキシコワールドカップ。グループリーグでサッカーの母国イングランドは1敗1分けと最終戦を... [続きを読む]
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- 2008/05/21 00:37誤解されたストライカー3 さまよった情熱
- 帰国当初こそ日本サッカーにとまどいを見せていたカズだったが、持ち前のテクニックで徐々に存在感を見せ始める。また陽気な性格とスター性は、アマチュアからプロへと大きく脱皮しようとしているサッカー界の現状と相まって脚光を浴びた。武田はこのカズ、加えて”ボス”の風格漂うラモスの舎弟のようにとらえられていく。Jリーグ開幕の頃のJリーグ人気は異常で、一般誌やテレビなどはピッチの中だけでなく選手の夜の街でのプライ... [続きを読む]
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- 2008/05/15 17:14誤解されたストライカー2 躍動と沈黙
- 高校卒業が近くなると、武田の進路に注目が集まった。当時はJSLで社会人としてプレーするか大学への進学が一般的。江尻や真田など選手権で活躍した選手、また井原など有望選手も大学進学組が多くいた。筑波や順天堂、東海大など大学サッカーがまずまず勢いがあったというのもあるが、所詮は社会人のアマチュアサッカーとJSLにも希望は持てなかった時代だ。果たして、武田は緑色のユニフォームに身を包んだ姿が雑誌に掲載された。読... [続きを読む]
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- 2008/05/09 19:08誤解されたストライカー1 高校サッカーのスター
- 日本は決定力不足、とたびたび言われまたその理由を強力なFWがいないから、とされる。ただ得点力不足はずっと以前から言われていたことで、それはJリーグが始まるはるか昔から変わらぬことである。釜本という稀有な存在があったからかチーム力で点をとるというよりも傑出した個人に得点を求める傾向も強く、少し目立つ存在が出てくるとたちまちスターに祭上げられる、武田は良くも悪くもその代表的な選手である。=================... [続きを読む]
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- 2008/05/04 11:36キャリアを重ねる才能
- 前回書いたように私は『キャプテン翼』でサッカーを好きになるのだが、リアルなサッカーはといえば高校サッカー選手権決勝で清水東が韮崎を粉砕した試合を見てからだ。その頃は世界のサッカーはおろか日本代表もJSLも知らなかったので、清水東こそが宇宙一強いのではないかと思った。その中心だったのが有名な三羽ガラス。長谷川健太、堀池巧、大榎克己だった。だんだんとサッカーの情報が入るようになった頃、神戸で大学生の祭典... [続きを読む]
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- 2008/04/30 16:33海外プロ”第3”の男
- 日本サッカー黎明期に海外でプロとなった日本人サッカー選手と言えば、その第1号として奥寺康彦が語られる。その活躍もあって今でも雑誌などでそうした特集があれば必ず出てくるのでご存知の方も多かろう。個人的には私がサッカーを初めた頃に海外に渡ったとして、尾崎加寿夫も思い出が深い。そして”3人目”として記憶しているのが水島武蔵だ。武蔵はヨーロッパではなくブラジルでプロとして契約。ただ当時のブラジル国内の規定と... [続きを読む]
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- 2008/04/21 22:30街頭テレビのクリンスマン
- 街頭テレビとは3丁目の夕日的な象徴ではない。昭和と平成の挟間でも、私はそれに似た体験をしていた。当時NHKが衛星放送(BS)なるものを本格的に開始しようとしていた。目を引くようなコンテンツは当然そちらで放送されることになる。スポーツもそのひとつ、ソウルオリンピックはその最たるものだった。ソウルオリンピックはロサンゼルスの後を受け、事実上プロが解禁されようとした大会だった。その話題になったのが西ドイツのク... [続きを読む]
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- 2008/04/14 03:02プライド高きチャンスメーカー-2
- メキシコワールドカップアジア地区最終予選で韓国に惜敗した日本代表は、石井義信監督を迎えすぐにソウルオリンピック予選へと臨むこととなった。敗れたとはいえ本大会出場に後一歩と迫る快挙を成し遂げたチームのベースは変わらないと思われたが、肝心の木村和司が不調に陥り、日本は中盤で攻撃のタクトをふるう選手が存在しなかった。水沼は評価を落としていたのか、立ち上げの頃から呼ばれることはなく、このまま”元代表”とい... [続きを読む]
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- 2008/04/12 14:49プライド高きチャンスメーカー-1
- '86メキシコワールドカップアジア地区予選にのぞむ日本代表の中に、水沼貴史はいた。キャプテン加藤久や絶対的な司令塔木村和司がいる中、水沼が注目を集めていた理由は日韓戦で韓国をアウェーで沈める一撃を放ったことが大きい。ただ怪我のため初戦のシンガポール戦は欠場、出番はホームの北朝鮮戦からとなった。この試合は伝説に残る雨中の決戦、泥まみれの中技術うんぬんではない蹴り合いが展開された。水沼も得意のドリブルは... [続きを読む]
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- 2008/03/23 20:2484-90日本代表GKの三角関係
- '80年代の日本代表には松井(日本鋼管)、森下(ヤマハ)という二人の有能なGKがいた。この二人は学生の頃からライバル関係だったらしく、西の松井(大体大)東の森下(東農大)という呼称もあったらしい。85年のメキシコワールドカップ予選では松井が北朝鮮戦での神がかり的な堅守、またその年のキリンカップまで続く不敗神話によりこの関係は松井が勝ったまま続くと思われた。ところがよくしたもので続くソウルオリンピック予選... [続きを読む]
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- 2008/02/08 00:42星屑から外れた星
- 山口貴之という選手がいる。その名はアトランタ五輪世代を描いた数少ないノンフィクション『星屑たち』にさえ出てこない。しかしながらあの五輪代表で本来最も注目されるべき中盤の選手は、この山口であった。絶対的なエースは前園であり、また頭角を現したのは若き日の中田英寿であったが、このチームの元々の10番は山口だった。山口は立ち上げ当初からエースとされ注目を集めたものの、予選が始まると怪我のため先発から外れる。... [続きを読む]
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- 2007/10/24 23:4010月26日
- また10月26日が近づいてきた。1985年以来、その日付は特別な感情を沸き起こさせる。「ああ、あの日ね」とJリーグ以降のファンはしたり顔で言うかもしれない。確かに木村和司はあの日良いフリーキックを決めたけど、僕はあれが木村のベストゴールとは思っていない。あの日はそんな一場面で語りつくせるものではない。いつも閑古鳥が鳴いていた国立が満員、しかも自国を応援するファンで埋まっていたこと。それを見て満面の笑みを浮... [続きを読む]
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- 2007/07/09 01:23放漫なジェニオ
- サッカーの世界で、天才と放漫は極めて近い関係にある。デヤン・サビチェビッチもまた、そのひとりである。スピードではなくテクニックで切り裂くようなドリブルは、独特の魅力を放っていた。ミラン時代に見せた片方のインサイドにあてて相手を抜き去るテクニックは、今でも鮮烈な印象だ。そして最も強烈なイメージは、トヨタカップで来日したレッドスター時代だ。華麗なターンから1点目をアシスト。ユーゴという玄人筋にしか伝わ... [続きを読む]
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- 2007/06/12 22:16フランス四銃士の激しきナイト
- フランス、四銃士といえばある世代の人にはたまらない響きだろう。ジレス、ティガナ、プラティニ、そしてここには異論もあろうが私は”フェルナンデス”を入れる。私が世界のサッカーに初めて触れたのは’86メキシコ大会からなのだ。ジレス、ティガナはボルドーの一員として、プラティニはユベントスで日本に来ており、まったくはじめて目にするのはフェルナンデスひとりだった。フェルナンデスは中盤のやや下がり目、そのダイナミ... [続きを読む]
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- 2007/02/06 00:12”マンツーマンなら日本一”と評された男
- 前回「ゴールにパスしろ!」と同じくルディ・グーテンドルフが語ったとされる言葉。「彼はマンツーマンのディフェンスをさせたら、日本一だ。だからストッパーで使うのが適している」その彼とは、読売クラブのディフエンスを束ねるとともに日本代表不動のキャプテンでもあった加藤久だ。代表でのポジションは常にスィーパーだったが、そのマンツーマンの力というのをぜひ代表で発揮してもらい、初のワールドカップ出場を決めて欲し... [続きを読む]
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- 2007/02/05 12:58ゴールにパスしろ!
- 読売クラブの戸塚哲也は、もともとは攻撃的MFだった。それがドイツ人監督ルディ・グーテンドルフによりFWへコンバート、2年連続で得点王を獲得した。「ゴールにパスしろ!」戸塚がゴールを量産できたのは、かのドイツ人監督にこうアドバイスを受けたからだという。釜本がかつてテレビで「今日本一のFWは中田英寿。あれだけ正確なパスが出せるんだから、それをゴールに向ければいい」と語った事がある。一流のFWは勘と経験とでグー... [続きを読む]
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- 2007/02/01 12:56天才のぼんやりとした記憶
- 磯貝洋一は私にとって不可思議な選手だ。天才と言われ続けていたものの、プレーでそれを感じたことは実は一度もない。マスコミがつくりあげた幻想のようにも思えるが、他の天才とうたわれた選手たちに比べ選手、監督、解説者など誰もがその才能を賞賛したので、それは疑う余地はないのだろう。先日ご紹介した元帝京小沼監督の自伝でもその姿は異質に綴られている。関西という当時マイナーに分類されていたG大阪へ入団したJリーグ... [続きを読む]
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