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- 2008/08/29 17:45古代科野の国と戦国時代への旅
- 夏休みに息子達と登った古代科野の国の大王の墓、森将軍塚古墳と渡来人の王家の谷、大室古墳群、そして斎場山(妻女山)のトレッキングの模様を、モリモリキッズでアップしました。ご笑覧ください。歴史好き、里山好きは必見です。 妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。 写真は、上が森将軍塚古墳で、下が妻女山展望台より見た眼 [続きを読む]
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- 2008/08/25 22:27ソフトバンクの新書に粘菌の写真が
- ソフトバンクから出版された『カラー図解でわかる 光と色のしくみ』という新書に私の粘菌(変形菌)の写真が4枚掲載されました。なぜ空は青く二字は七色なのか? どうして花は彩り生物は光るのか?というキャッチが示す通り、光と色の不思議を写真や図を豊富に使って紐解いていくサイエンスの入門書です。 私の写真が掲載されたのは、[第4部 生物の色、命の輝き]の[5 カラフルな粘菌]のページです。山梨県小菅村の [続きを読む]
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- 2008/08/25 09:05京都御所と松代藩とわが家の芝生
- わが家の庭には、妙に丈の長い芝生がある。私が子供の頃は、奥の露地(日本庭園)の前一面が芝生で、よくそこで相撲を取ったものだ。その後長芋の生産が本格的になり、種芋を干すために石灰を使うため年々縮小し、現在は母屋角の水道の周りに僅かに残るだけとなっている。 この芝生には幕末の激動期の歴史が詰まっている。戊辰戦争の頃らしいが、松代藩が京都御所の警護をしていたときに、わが家の祖先の妻の弟が松代藩に仕 [続きを読む]
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- 2008/08/20 13:20後藤新平と松代と祖父
- わが家に一枚の写真と「定慧」と書かれた額がある。写真は岩野の旧家の庭で、晩年政治の倫理化を唱えて全国を遊説中の後藤新平が写っている。松代のはずれの寒村になぜ彼がわざわざ来たのかは父も祖父から聞いたことはないそうだ。時は大正から昭和へ時代が移る頃。右から二番目が祖父である。 後藤新平は、台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、東京市(現・東京都)第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長、東京放送局 [続きを読む]
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- 2008/08/08 09:03旅立ちの時
- 朝7時半頃、ベランダに出た長男が、「あっ! 蝶が羽化している」とささやく。見ると羽化したばかりのコミスジが、アピオスの葉にぶらさがっている。コミスジは、ミスジチョウの中では小型で最も普通に見られる蝶。羽化したばかりではねが乾いていないらしく閉じたままじっとしている。 羽ばたきと滑空を繰り返し、まるでワルツを踊るように軽やかに梢の間を飛んでいく。食草がマメ科の植物なのでアピオスに来たのだろう。 [続きを読む]
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- 2008/07/19 12:33古代科野の国と斎場山(妻女山)のお話
- 戊辰戦争の戦没者を祀った現在の妻女山(411m)ではなく、江戸時代まで妻女山と呼ばれていた本名斎場山(513m)の頂上には円墳があります。二段の墳丘裾があり頂上は、直径10mほどの平地です。岩野村誌によると、「古代この山は、斎場山といい、天神山祗を祀る聖なる霊場であった」と書かれています。また、「明治初期には、円形の祭祀壇凡四十九箇あったという。信濃国造(くにのみやつこ)、続いて埴科郡領が斎場・斎壇 [続きを読む]
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- 2008/07/11 07:43西條山は、斎場山である!
- 斎場山? 初めてだなあと思われる方も少なくないはず。妻女山じゃないのと思われる方がほとんどかと。しかし、西條山は、斎場山なんです。では、なぜ斎場山という言葉が400年以上も史料や軍記物、はたまた歴史研究家の文章に出てこなかったのか。不思議に思われるかもしれません。ここでは、それを解説していきましょう。 西條山の初出は、『甲陽軍鑑』です。もちろん、これは斎場山と間違えた西條山のことです。間違えたのは [続きを読む]
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- 2008/07/10 09:18上杉謙信の誤算
- 山本勘助が信玄に「この度の軍術木啄(ぼくたく・きたたき・啄木鳥)の木をつついて虫を取るに朽つる穴を構わず後ろの方を嘴にてたたき候 故に虫は前に現るを喰い候 この度の軍法ははばかりながらこれに等しく存せられ候と申し上げる。」と提唱します。 さらに、「半進半退の繰分と唱え、味方二万余の御勢を二手に分けて、一万二千を大正(たいせい)の備え、八千余人を大奇(たいき)の備えとし、一万二千の大正をもって夜中 [続きを読む]
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- 2008/07/08 16:57武田信玄の誤算
- 『武田信玄の古戦場をゆく』安部龍太郎著 集英社新書という興味深い新書を読みました。副題には「なぜ武田軍団は北へ向かったのか?」とあります。確かに、普通に考えれば上洛を果たし天下を狙うのであれば、東海道、或いは甲州道中から中山道を西へ向かうのが最短距離のはず。しかし、著者は故網野義彦氏の「日本中世社会における武田氏」という講演録に着目し、武田一族が、鎌倉時代より対馬、安芸、遠江の守護をつとめ室町時 [続きを読む]
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- 2008/07/03 08:49埴科郡(長野市松代町・千曲市)における山名の考察
- 旧埴科郡における山名の考察をしてみると、尾根を境に反対側で異なる山名をもっているという例がいくつもみられます。山名の統一ということも実はなかなか難しいのです。また、山名が時代と共に変化した例もあります。明治13〜15年頃調査の「長野県町村誌」の記述から見てみたいと思います。 例えば、鏡台(臺)山から北へ延びる埴科山脈において、西条の戸神山は、千曲市倉科では、三瀧山といいます。その北の大嵐山は、杉山。 [続きを読む]
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- 2008/07/01 08:04絶品! ニシンのオリーブ油煮
- ニシンは、和食だと身欠きニシンの煮物で鰊蕎麦が有名。干物か半生で割とくせのある魚として認識されていると思います。鮮度のいいものなら塩焼きもいいのですが、洋風にオリーブ油煮にすると、これがあのニシン?と思うぐらい上品な白身魚。 オリーブ油煮は、いわゆるオイルサーディンと作り方は同じです。ニシンは、まず三枚におろします。大きな骨はともかく、細かな小骨は火が通ると食べられるので、そのままでOK。三枚に下... [続きを読む]
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- 2008/06/30 08:5344年ぶりの歓喜 西班牙優勝!
- ユーロ(欧州選手権)2008は、ファイナリストに相応しいスペインの優勝で幕を閉じました。“クアトロ・フゴーネス”(4人の創造者)と呼ばれるシャビ、セスク、イニエスタ、シルバの「真の黄金のカルテット」を有したスペインは、本当に優勝に相応しいチームでした。反対に、ドイツはファイナルに相応しいチームかというと疑問が残ります。おそらくトルコに怪我人がいなければ、決勝に進出したのはトルコだったかもしれません。... [続きを読む]
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- 2008/06/27 10:33呪縛のとけた西班牙
- アッという間の試合展開でした。走れなければヒディンクマジックもただの尾座敷芸でしかないわけで。突然の豪雨がロシアから、体力と共に戦意も奪ってしまったのでしょうか。スペインは、人も走れば球も走らせる。前半は、これもヒディンクマジックのシナリオか、後半初めは怒濤の攻撃で来るぞと予想しました。 確かにその気配はありました。けれども、前述のように体力も戦意も、オランダ戦のロシアではありませんでした。攻撃... [続きを読む]
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- 2008/06/26 12:29近頃創作の「妻女山」という名は最低!
- そう看破したのは、明治15年編纂の土口村(現長野県千曲市土口)村誌の編者・飯島謙貞氏でした。以下は、その土口村村誌からの抜粋です。凡例:■以下は、村誌の文章。()は、私の注記。[]は、注記として小文字で表記された文章です。●以下は、私の解説です。■山【手城山】高二百三十丈(天城山・696.9m正しくは694.6m)、周囲未だ実測を経ず。村の南の方(正確には東南)にあり。嶺上より界し、東は清野村、生萱村に分属... [続きを読む]
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- 2008/06/23 09:57ユーロ2008と日本代表の眠い朝…
- ロシア3-1オランダの目の覚めるような激戦を観た後のこの二試合は退屈以外のなにものでもありませんでした。消化試合の難しさはあるとはいえ、自陣での守備とボール回しはいいとしても、相手陣内に入ってからサイドでいつも人数が多すぎてつまってしまうのはなんとかならないものでしょうか。ポジションが重なってしまいいつも詰まってしまう。それにあのダブルボランチの組み合わせは、良かったことがないですね。ストッパーが不... [続きを読む]
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- 2008/06/21 21:32時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その3
- 多くの電子辞書に搭載されている『百科事典 マイペディア』の記述。「さいじょさん【妻女山】長野県松代(まつしろ)町清野(きよの)の西部にある山。鞍骨(くらぼね)城から続く山系の突端に位置し、北には海津(かいづ)城、西には千曲(ちくま)川の彼方に川中島(かわなかじま)が望める。標高546m。西条山とも記される。永禄4年(1561年)8月上杉政虎(謙信)は西条山に登って武田信玄の拠る海津城攻略の評定をしている。9... [続きを読む]
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- 2008/06/21 00:04時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その2
- ああっ惜しい!記述の『角川日本地名大辞典』です。 岩野について、「いわの 岩野く長野市> 千曲川流域,薬師山・妻女山の支脈赤坂山山麓に位置する。多くの円墳が分布し,また往古斎場山に会津比売神社(信濃国造建五百建命の室)があったが(埴科郡志),その祭祀を行う地の麓にあるため古くは斎野村と称し、延徳年間頃に上野村となり,寛文6年に岩野村と改称したという(県町村誌)。妻女山中央の南部の高原は,永禄4年の [続きを読む]
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- 2008/06/17 18:00時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その1
- まず最初に取り上げなければならないのが、吉田東伍が1895年(明治28)から独力で足掛け13年かけて完成させた『大日本地名辞書』冨山房でしょう。「学校はわかりきったことしか教えてくれなかったので行く気がしなかった」と語り、「図書館卒業」と言って憚らなかったという大変ユニークな人物。そのためか、辞書の記述も大変ユニークです。 その『大日本地名辞書』では、妻女山は、なぜか清野村の隣村の西条村の項目にあります。... [続きを読む]
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- 2008/06/15 10:12牡蠣と鰤白子の薩摩揚げうどん
- 最近の冷凍食材は窒素冷凍が主なので、牡蠣などは下手な加熱用などより新鮮で美味しかったりするわけですが、2Lサイズの牡蠣が1キロで1000円足らずというのを見つけたので買い求め冷凍庫に入れておきました。つれがサッカー部の懇親会とかで、留守なので男三人で夕食です。買い物に行くとブリの大きな白子が200円で売られていました。 見ていると、主婦は目もくれませんね。お爺さんが一人、手にとって見ていましたが、迷ったあ... [続きを読む]
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- 2008/06/14 16:15自家製アンチョビーの本漬け
- 2ヵ月前に塩漬けして冷蔵庫に入れておいたカタクチイワシを、アンチョビーにすべく本漬けしました。頭と内臓を取ってあるカタクチイワシを、まず流水で洗います。次に、手で2枚に開きながら骨と背びれ、尾びれを取り除きます。キッチンペーパーを敷いておいて、イワシを並べていきます。全て並び終えたら、上からもキッチンペーパーを敷いて抑え、しばらくそのままにして水気を取ります。煮沸消毒した密閉容器(瓶、またはタッパー... [続きを読む]
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- 2008/06/12 14:34第四次川中島合戦・上杉謙信妻女山布陣想像図
- 第四次川中島合戦の折りに、上杉謙信が妻女山に布陣したことはよく知られています。しかし、どう布陣したのかを描いた本はなかなか無いのが現状です。『甲越信戦録』や『妙法寺記』に出てくる細かな地名などは、現在は使われていない古いものも多く、なかなか図式化するのが困難だからでしょう。 そんな訳で、妻女山展望台に行って妻女山松代招魂社の敷地と近年整備された駐車場を見て、ここが謙信本陣と思ってしまう人が後を絶... [続きを読む]
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- 2008/06/06 14:17長野郷土史研究会会誌『長野』259号に「妻女山の真実」掲載
- 掲載された記事は、「妻女山の真実」-妻女山は往古赤坂山であった。本当の妻女山は斎場山である。-という約8000字(原稿用紙20枚)+地図2点の文章です。妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」(現在は限定公開)をご覧いただいた方には、既にお馴染みだと思いますが、それらを要約してまとめたものです。 制限された文章量のため、書ききれなかったことも少なくありません。古地図や古い航空写真... [続きを読む]
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- 2008/06/01 13:54『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証
- ●文字が小さく読みにくいときは、表示を大にしてお読みください。 啄木鳥戦法という言葉の初出は、江戸後期に信濃で書かれた『甲越信戦録』であろう。ただ、『甲越信戦録』には、二種類ある。川中島合戦の実録がないことに気付いた三代将軍家光の命により、越後長岡城主牧野備前守忠精の家臣山本主計が編集して出版献上した『甲越信戦録』五巻。これがオリジナル。この書に旧武田方家臣は、『甲陽軍鑑』『武田三代記』『信玄全集... [続きを読む]
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- 2008/05/27 10:32仙川通と小学生と猫しか知らない「仙川お役立ちマップ」
- 6月1日まで、仙川のカフェギャラリーniwa-coyaで開催中の「林真理水彩画展-仙川を描く-」で販売中なのが、この地図です。以前A4版で50円で販売したものを、B4(地図のみ)200円、林真理の描いた絵とその場所が分かる「絵の場所を探して仙川散歩」に記事がついたA3のものを300円で販売中です。お陰様で大好評、けっこう買っていただいています。J:COMでも紹介していただけるそうで。しかも、この地図は現在進行形で発展中で、増刷の... [続きを読む]
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- 2008/05/07 10:38牛飼尾根から三頭山へ、大茅尾根から大長作沢に下る
- 6日、長男とサッカーの試合が終わってやっとオフになった次男と三人で三頭山へ登りました。29日に長男と奈良倉山へ登った時に、長作の人から牛飼尾根を登り三頭山へ行った話を聞いて、牛飼尾根を登ってみたくなりました。話しでも地形図を見ても、取り付きさえこなせば、長い尾根ですが、そう難しくはなさそうでした。帰りは三頭山から大沢山へ、大沢山から南へのびる大茅尾根を下ることにしました。牛飼尾根はヤセ尾根が多く、花... [続きを読む]
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