orimasa さん

orimasaさん: 日本周遊記(C)
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プロフィール

ハンドル名orimasa さん
ブログタイトル日本周遊記(C)
サイト紹介文日本周遊記(G)
自由文日本一周のブログです
参加カテゴリー
更新頻度(2年)情報提供69回 / 138日(平均3.5回/週) - 参加 2008/06/02 13:02

orimasa さんのブログ記事

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  • 2008/09/01 09:34日本周遊紀行:【あとがき?】
  • 日本周遊紀行:【あとがき?】 旅の印象・・、東日本、西日本を二度に分けての慌しい旅であったが、それでも延日数で43日間(東16日、西27日)、総距離:12535km(東5403、西7132km)を要している。 その「東日本」について、印象的、特徴的なところを掻い摘んで述べてみよう・・。先ず東北では・・、夕景、日の入りを謳う日本海、それとは逆に朝日や日の出を愛でる太平洋岸であった。確かに両海は「陰と陽」とよく言われるが... [続きを読む]
  • 2008/08/30 09:23日本周遊紀行:【あとがき(1)】
  • 日本周遊紀行:【あとがき(1)】 先ず、「脳」の話から・・、巻末になって突飛で、唐突であるが・・、旅や旅行とは無縁に思える「脳」の話からであります・・。執筆(・・とはいってもP・C上のことであるが)の最中に養老孟司氏の「バカの壁」を読んで見た。 なんでも近頃の超ヒット作品で300とか400万部を売ったとか言われる本である。そして更に最近、春山茂雄氏の「脳内革命」という書をペラペラとめくる機会もあった、これらが... [続きを読む]
  • 2008/08/29 09:55日本周遊紀行:「まとめ」(東日本編)
  • 日本周遊紀行:「まとめ」(東日本編)延日数16日間   出発日 2004年9月20日 ⇒⇒⇒⇒最終日 2004年10月6日通過都道府県(沿岸部)神奈川(厚木)⇒ 山梨⇒ 長野⇒ 新潟⇒ 山形⇒ 秋田⇒ 青森⇒ 北海道⇒ 岩手⇒ 宮城⇒ 福島⇒ 茨城⇒ 千葉⇒ 神奈川(厚木)宿泊地宿泊施設 7日  道の駅(車中) 8日1日目・白馬村(別宅)、2日目・温海町(道)、3日目・男鹿温泉(保)、4日目・浅虫温泉(保)、5日目・湯の... [続きを読む]
  • 2008/08/28 08:44日本周遊紀行(132) 厚木・?「厚木の山地(3)」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・?「厚木の山地(3)」引続き厚木周辺のハイキングコースの紹介です。★ 鳶尾山コース(コース多彩)鳶尾山は小生宅の裏山といっていい位の至近距離にあって、トレーニンググラウンドでもある。 厚木、この地に在住して以来30数年この山の世話になっていて、今でもほぼ毎日のように1時間前後は徒歩、強歩を楽しんでいる。山は、家族で十分楽しめるコースで、明るく開けた野道がつづき、時おり猿の軍... [続きを読む]
  • 2008/08/27 09:22日本周遊紀行(132) 厚木・?「厚木の山地(2)」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・?「厚木の山地(2)」前回に引続き「厚木周辺のハイキング・コース」の紹介です。★ 日向山コース(家族向き)広沢寺温泉から日向薬師へ向かうコース。 大沢川からは水のせせらぎが聞こえ、小さな鳥居が見えたら大釜弁財天で、せせらぎの音を聞きながらの森林浴は格別である。 山道に入ってしばらくは七曲りといわれる急な上り道、上りはやや急であるがほんの5分ほどで尾根道に出て、更に緩やかな... [続きを読む]
  • 2008/08/26 10:16日本周遊紀行(132) 厚木・?「厚木の山地(1)」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・?「厚木の山地(1)」最後に、山好きの小生でもあるので、ここで慣れ親しんだ厚木周辺の行楽地・ハイキングコースを紹介してみよう・・。厚木の、小宅の周辺には家族でも楽しめる低山地帯、良く整備されたハイキングコースが数多く点在している。★ 高松山コース(家族向き)★ 飯山白山コース(家族向き)「飯山観音」から、四季にわたって美しい飯山白山森林公園を抜け、白山山頂をめざす。 飯山... [続きを読む]
  • 2008/08/25 09:55日本周遊紀行(132) 厚木・?「宮が瀬ダム」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・?「宮が瀬ダム」宮が瀬ダム昨今、この宮が瀬地区に大きなダムが完成した、「宮が瀬ダム」という・・。東京都心から約50kmの至近に位置した首都圏最大級のダム、貯水池として注目されている。愛川町半原と相模原市津久井町(旧津久井町)、更に清川村宮ヶ瀬の3市町村に跨る相模川水系中津川に建設されたダムで、湖名は宮ヶ瀬湖という。1991年10月に宮ヶ瀬ダム本体コンクリート打設開始、1995年10月から... [続きを読む]
  • 2008/08/23 11:21日本周遊紀行(132) 厚木・?、「厚木の由緒、由来」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・?、「厚木の由緒、由来」奈良から平安時代の仏教の伝播を物語るものとして、遺跡から発掘されている瓦塔片や飯山金剛寺・船子観音寺などの仏像があり、この頃、南都仏教(奈良期、平城京を中心に栄えた仏教)及び天台・真言宗などが伝わっていたことが判明している。中世には、相模国(神奈川県)を北から南へ流れる相模川の東、海老名の地に国府を、また1200年には国分寺と国分尼寺が建立され、当時... [続きを読む]
  • 2008/08/22 10:13日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「厚木・毛利氏」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「厚木・毛利氏」厚木市及び周辺の状況、地史を色々と記したが、更に述べることにしよう・・。厚木市街から西方に毛利台地区、南毛利といった地名がある。 又、旧来の住人に「毛利」と名の付く人々も多いという・・。厚木は、初め「森の庄」と称していた。 当時の愛甲郡内の大半が山林であったことから起こった地域名とされ、森の庄は愛甲郡一円を含めた地区であった。相模国・愛甲郡の内、庄... [続きを読む]
  •   関連キーワード
  • 山林
  • 2008/08/21 18:36「前畑がんばれ」(北京オリンピック特別)
  • 「前畑がんばれ」(北京オリンピック特別) 第11回ベルリン・オリンピック(1936年)での競泳女子200m平泳の前畑秀子の優勝の瞬間です。ベルリンオリンピック女子二百平水泳決勝実況放送 (NHKアナウンサー:河西三省 )『……切らないで下さい、スヰツチを切らないで下さい、もう予定時間ですが、切らないで待つて下さい、そのまゝ待つて下さい…… 強敵はスタートのよいドイツのゲネンゲルです。はじめ抜かせて、あとでぐんぐんつ... [続きを読む]
  • 2008/08/21 10:04日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「戦国大戦」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「戦国大戦」厚木には「信玄道」、「甲州道」という甲斐・武田信玄に因んだ歴史的な名称がある。東海道・平塚より厚木岡田に入り、小生在住の妻田・荻野等を過ぎ、半原(愛川町)より長竹、津久井から甲州街道に達する。 又は、中依知の追分で三増峠(愛川町)を過て長竹から津久井、甲州街道に達する。いずれも現在の厚木市街を南北に貫く国道129号線、412号線に沿って愛川町、津久井町から甲... [続きを読む]
  • 2008/08/20 08:42日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「小江戸と渡辺崋山」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「小江戸と渡辺崋山」その「厚木」は古来より知られた名称で、特に江戸期に入って「大山参詣」に通じる地域として多くの旅人に利用され親しまれところである。 厚木市内を横断する道には古来から多く道があり、その名前の由来も興味あるもので矢名街道、矢倉沢往還、信玄道、甲州道、順礼道、殿様道、糟屋道など多くの道が縦横に走っていた。矢倉沢往還は古来「足柄道」とも言われ歴史的にも最... [続きを読む]
  • 2008/08/19 09:37日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「厚木基地」
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「厚木基地」厚木駅・・?、ところで、小生が初めて「厚木」を知ったのは東京在住の頃、45年(20代前半)も前になろうか・・・、 この頃、山歩きの味を覚えた時期で厚木周辺の低山や大山、丹沢山塊を歩くために厚木の駅(小田急・本厚木駅)でよく仲間、友人と待ち合わせをしていたもんである。 その頃の駅周辺はかなり鄙びた感じで、鉄筋コンクリートの建物などは無く、薄ぎたない木造平屋建... [続きを読む]
  • 2008/08/18 10:37日本周遊紀行(132) 厚木・・?、
  • 日本周遊紀行(132) 厚木・・?、「厚木」「厚木市」(あつぎし)について、最後に我が居住地・地元「厚木」について書かねばなるまい・・。 相模の国、神奈川県のほぼ中央、南に相模平野を望み、北、西の丹沢山地に抱かれた緑豊かな土地柄で・・、更に、富士五湖の一つでもある標高凡そ1000mの山中湖に水源を持つ「相模川」の畔に位置している。 厚木は県央地域の物流拠点となっており、東名高速と小田原厚木道路のインターチ... [続きを読む]
  • 2008/08/06 19:01旅について
  • >小生は、旅には三つの「楽しみ」が有ると思っている。>実は、それらのことを考慮しながら、『日本一周の旅』の決行に>繋がったのであるが・・、若年の頃より夢に描いていた事が、熟>年になってやっと実現したのである・・・。幽霊メンバーのmekemekeです。旅の3つの楽しみは、とても共感出来きます。長年の夢を実現できて良かったですねぇ。なかなか出来る事ではないと思います。HP、見せていただきました。山歩きも長いよ... [続きを読む]
  • 2008/08/06 15:51「旅について・・、」(夏季休題)
  • 旅行、山旅情報新聞http://www.kankokeizai.com/  観光経済新聞http://www.ryoko-net.co.jp/  旅行新聞http://www.maitabi.jp/  毎日新聞旅行(山旅)「旅について・・、」(夏季休題)「旅」という文字を三つも重ねて書くと、「旅」という字・・!、こんな字が有ったかな・・?、と不思議に見えてくる。更に、『旅』という字をバラバラにすると、「方」という字に「人」という文字が三つ入っているのが判る・・、 何とも意... [続きを読む]
  • 2008/08/05 19:03旅について・・、」(夏季休題)
  • 旅行、山旅情報新聞http://www.kankokeizai.com/  観光経済新聞http://www.ryoko-net.co.jp/  旅行新聞http://www.maitabi.jp/  毎日新聞旅行(山旅)「旅について・・、」(夏季休題)「旅」という文字を三つも重ねて書くと、「旅」という字・・!、こんな字が有ったかな・・?、と不思議に見えてくる。更に、『旅』という字をバラバラにすると、「方」という字に「人」という文字が三つ入っているのが判る・・、 何とも意... [続きを読む]
  • 2008/08/02 16:34日本周遊紀行(131) 「横浜(2)」
  • 開港記念館日本周遊紀行(131) 「横浜(2)」横浜開港・・、江戸期の「横浜」の中心は、東海道の宿場として神奈川宿それに保土ヶ谷や戸塚が賑やかであったにすぎなかったという。当時の横浜(横浜村)は、砂浜が広がる戸数100戸足らずの小さな漁村だった。19世紀半ばの幕末開港にあたって、港としては神奈川宿の湊が取り合えず開港場に指定された。 しかし、東海道に直結する神奈川宿・神奈川湊は避けるべきだとの合意で、対岸... [続きを読む]
  • 2008/08/01 10:49日本周遊紀行(131) 「横浜」(1)
  • 山下公園界隈と横浜みなとみらい21地区日本周遊紀行(131) 「横浜(1)」横浜ベイエリア・・、首都高速道の湾岸線から、美景な横浜ベイブリッジを渡る・・。「ベイブリッジ」は、横浜港湾口部の航路を、本牧ふ頭から大黒ふ頭を全長860mを横断するもので、支柱を立てて、そこからワイヤーで両方から突っ張る「斜張橋」という工法で世界最大級といわれる。この橋は上下2層の道路橋で、上層は首都高速湾岸線と下層は国道357号線にな... [続きを読む]
  • 2008/07/31 10:34日本周遊紀行(130) 「川?(?)」、 六郷と堀の内・・、
  • 日本周遊紀行(130) 「川?(?)」、 六郷と堀の内・・、江戸時代、東海道を行く者にとって、多摩川の「六郷の渡し」は江戸に入る大切な要であり、常時十数隻程度の舟で旅人や荷馬を渡した。 明治元年(1868)、明治天皇の渡御の際には、23隻の舟を横に並べ、船橋を作って渡ったという。 欄干には渡船のモニュメントがあり、当時の多摩川の姿を伝えている。川?の宿場は、六郷の渡しを渡りきると、現在の堀の内町から駅前の... [続きを読む]
  • 2008/07/30 08:49日本周遊紀行(130) 「川?(?)」、川崎の街道・・、
  • アクアラインの海底トンネルを抜けると、川崎市の浮島JCTに到る。 すぐ北側には東京都・神奈川県境である多摩川が流れ、河口の都側には羽田空港が隣接している。「川崎市」、この多摩川より南の沿岸地帯は、かの有名な京浜工業地帯、或いは臨海工業地帯などと言われる、石油コンビナート、重化学工業などの大規模な重工業地帯となっていて、昭和30年代の高度経済成長と合わせて大いに発展した。しかし、この時期、「川崎公害」と... [続きを読む]
  • 2008/07/29 07:26日本周遊紀行(129) 東京・江戸城界隈(6)
  • 日本周遊紀行(129) 東京・江戸城界隈(6)明治維新を期に、皇室が京都御所から江戸城に転居し、以後は江戸城中心部の西側が皇居となっている。  通常は皇居部分(西の丸と吹上御所)には入れないが、その東側にある本丸・二の丸と三の丸の一部は皇居東御苑として開放されている。 南側の皇居外苑と北側の北の丸公園(日本武道館)は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっている。 紀尾井町・・、この江戸... [続きを読む]
  • 2008/07/28 09:15日本周遊紀行(129) 東京・江戸城物語(5)「勝と西郷」
  • 東京都・墨田区役所に立つ「海舟像」と上野公園の「西郷像」日本周遊紀行(129) 東京・江戸城物語(5)「勝と西郷」「江戸城」は江戸時代末期の維新時、徳川幕府消滅後に明治政府(官軍)に明け渡されることになった。 官軍・西郷隆盛と幕府軍・勝海舟の最終談判によるものだった。幕末当時の勝海舟(麟太郎)は、剣、禅、蘭学を修めて蘭学塾を開いていた無役の御家人だった。ペリー艦隊が浦賀沖に現れた時、人材登用、海防整備... [続きを読む]
  • 2008/07/26 08:43日本周遊紀行(129) 東京・江戸城物語(4)「振袖火事」
  • 最短寿命の「江戸城」さて、この江戸城郭の大天守であるが・・、完成からわずか19年後の明暦3年(1657)1月の、いわゆる「振袖火事」(明暦の大火)で焼失してしまう。 天守再建の声も多かったが、保科正之(徳川秀忠の庶子)が異議を唱え、四代将軍徳川家綱もこの意見を受け入れたため、天守はついに再建されなかったという。つまり、世界に誇る江戸城・大天守閣は、僅か19年という最短の寿命を記録してしまったのである。現在、NPO法... [続きを読む]
  • 2008/07/25 09:14日本周遊紀行(129) 東京・江戸城物語(3)「半蔵門と甲州道」
  • 現在の半蔵門明治初期の半蔵門日本周遊紀行(129) 東京・江戸城物語(3)「半蔵門と甲州道」ところで、江戸城(皇居)内堀の真西、千鳥が淵に面したところに「半蔵門」がある。名称は、江戸城警備を担当した徳川家の家来である伊賀同心組頭・服部正成・正就父子(忍者・服部半蔵:忍者ハットリ君のモデル)に由来している。 立地条件や服部家の部下(伊賀同心)が門外に屋敷を与えられたことからその名が付き、将軍が、非常時に... [続きを読む]
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