イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
キリストの模範に従う者が それがキリスト者。 であれば、キリスト者である 私たちもキリストのように 命懸けで仕える者であるべきだ。 命懸けでお互いに仕える社…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
ガラテヤ書5章14節は 私が大好きな聖句です。 この世の人々が 隣人を自分を愛するように 愛することが出来れば この世は天の御国のように なるのでしょうね。…
私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
教会とはキリスト教の 礼拝堂の事ではありません。 同信の兄弟姉妹の集いを 教会と言うのです。 教会はイエスを頭とし、 神に召し出された 同信の兄弟姉妹が 肢…
信仰生活は やはり一人では難しいです。 その理由は、 私たちは人には厳しく 自分には甘いからです。 他人様がみことばから 少しでも逸脱した生活を しているの…
神が全き方であられるように 神の子と見做していただいた 私たちキリスト者も 全き存在となるように 努めなければなりません。 とは言え、特別な修行をしたり 何…
主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
やましい事を行なっていると それが露呈するのを恐れて 神から遠ざかろうとする。 神を知りたがらない者にも 様々なタイプはあろうが、 何でも自力でという人間も…
やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…
教派神学に盲従するのでなく みことばを生きることで 心に平安を得て生きる親に 育てられた子どもは 親のそういう生き方を学び 長じてからは親と同じように みこ…
神の御心に適った願いは かなえられます。 御心は聖書に啓示されています。 ですから聖書に毎日親しむ事で 御心に適った生活を送ることが 出来るようになります…
アダムとエバの背信により 被造物の世界に罪と死が 入り込んできました。 サタンは罪と死を 被造物を支配するために 利用してきました。 神は全きお方であるがゆ…
天においても、地においても 一切の権威が 与えららえている主イエス。 イエスがみことばが 受肉された方であることを 思い出そう。 そうすれば、 私たちが毎日…
イエスは 王、祭司、預言者として、 権能をお持ちであると 聞いたことがあるでしょう。 最初の二つの部分については パウロがヘブル書の5章や7章で 論証してい…
山は黙示文学的表現法では 信仰を阻害する諸要因の形容だ。 からし種は日本語なら 「豆」に相当する イスラエルで最も小さいものを 表す言葉だ。 もし私たちに豆…
私たちの手に負えない事は 神がしてくださいます。 しかし、手に負える事かどうかは やってみないと分かりません。 いずれにせよ、 手に負える事案であれば 出来…
真の力は神のみことばから。 荒んだ時代には 暮らし向きへの不安の所為なのか 目先の利益に翻弄されがち。 私たちには 先の見通しがつかなくても 時の流れも創造…
私たちは、 とかく他人と比較して 自分で自分を評価しようとします。 ですが、聖書は他人と比べず 神がどう評価されるかを 基準にするように教えています。 善を…
キリスト者として貧窮者を 助ける事は大切な働きの一つです。 ですが、ここにも 大切な心の在り方が求められます。 それは、神(みことば)への 愛ゆえに神の似姿…
主の祈りを唱えているだろうか? 祈祷文の出だしの部分に 「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ。」とある。 天、つまり神の国は みこころが100%…
みことばが 受肉して来られた方が 私たちキリスト者がお仕えしている 主イエスなのであるが、 受肉されたがゆえに、 人としての弱さもお持ちであった。 神であり…
光は福音であり 闇はその光に抗う この世の価値観。 今も昔も変わらないのが 自らの道徳的問題を 知的問題に転嫁して 隠蔽しようとする姿勢だ。 今もそうではな…
福音を思い起こし、 それを反芻して 真理を生きる事が 今まで以上に求められる時代に 私たちは生きています。 信仰を賜わったキリスト者は 心の中に聖霊がお住ま…
自分では努力もせず、 神に丸投げする者がいる。 そういう者は 神から賜っているタレントにも 無頓着である事が多い。 信仰とは、 神から既に賜っていると確信…
神はモーセを通して イスラエルに与えた 石板に刻まれた律法でなく、 新たな律法である福音を 私たちの心に刻んでくださいました。 信仰を賜わったキリスト者の心…
これまで多くの方々との 出会いがありました。 生きる望みを失っていた方。 深い悩みに苦しんでおられた方。 何を目指すべきか悩む青年。 親との関係に悩む学生。…
信仰を賜わったキリスト者が 教会に集う同信の兄弟姉妹と どのように交わるべきかを パウロは簡潔に コロサイ書3章12-13節に まとめてくれている。 このパ…
私たちキリスト者は 救いの器として 神に用いられている事を 忘れてはいけません。 神が私たちを救われたのは、 私たちを通して また別も者たちを救うためです。…
塩には様々な効能がありますね。 塩は味付けの基本ですし、 保存効果に殺菌効果まで、 塩は多目的に使える 万能調味料です。 さて、イエス様は 私たちキリスト者…
神の独り子イエスでさえ 郷里では奇跡を行えなかった。 イエスに力がないのではない。 イエスの力を否定する力が 郷里の者たちに強かったのだ。 不信は神の力を…
今では夜でも 街灯が煌々と街中を照らして 夜も昼のように 明るく過ごすことが出来ますが、 古代社会では夜は真っ暗闇。 夜間に砂漠を移動する行商人は 遠くの山…
イエスの恵み、 みことばの恵みが 私たちの霊と共にあって 生活の全てがみことばを 礎として営まれる事こそ キリスト者の喜びです。 そのような生活を送れるよう…
形あるものであれ、 時のあがれであれ、 それを始められた方の 存在がなければ スタートしません。 その始められた方こそ 神なのです。 人も、また、神の被造物…
イスラエルには ガリラヤ湖と死海という 大きな湖があります。 前者はペテロ、アンデレ、 ヨハネ、ヤコブが イエスに弟子として召し出されるまで そこで漁師とし…
委ね切ることが大切。 自分で抱え込んだって 解決できない。 委ねてみませんか。 あなたがたの思い煩いを、 いっさい神にゆだねなさい。 神があなたがたの…
約2000年前に イスラエルで政治犯として 十字架で処刑された 自称ユダヤの王ナザレのイエスが 救い主(メシア:キリスト)だと 信じる事は 愚かしく思えるの…
モーセは律法を与えて 罪とは何かを知らせると共に その罪を行いでもっては 償えない事を悟らせる役割の 神の器でした。 律法によって罪が確定しましたが、 その…
父と子と聖霊という 三つの位格を神はお持ちですが、 一つの神です。 顕れる神の性質により 三つ位格でお呼びしているだけです。 なにぶん神についての事なだけに…
アダムの背信によって 罪と死が人の世に入り込んで 神との関係が断絶したように、 イエスの贖いによって 罪の赦しと永遠のいのちという 神の祝福が与えられたと …
私たちキリスト者が 慕い求めるべきものは 本来、みことばであるべきです。 ですが実際は恵みばかりを 求めてしまっているのでは ないでしょうか? 恵みもみこと…
信仰生活を送る中で 辛い事もたくさん経験します。 いや、どちらかと言えば そちらの方が 多いかもしれません。 しかし、完全に 打ち負かされることはありません…
ローマ書4章20-21節を読んでいて ふと気付いた事があります。 それは、アブラハムは 神に約束されたことを 堅く信じたということです。 往々にして私たちは…
光は真理のみことば。 真理のみことばを生きる 私たちキリスト者は 罪の赦しを得て 互いに仕え合います。 なぜなら自らの弱さ(罪)を 悟った者こそキリスト者だ…
サタンの支配から解放され 自由を得たキリスト者は 勝利者です。 勝利が先に確定しているので 私たちは希望をもって 前進し続けることが出来るのです。 …
虐げられた時、 苦しみの渦中に置かれた時、 そこに主も共にいてくださいます。 そのことを信じられる人は 幸いです。 その信仰を主は裏切られません。 必ずあな…
永遠のいのちは キリスト者に与えられている。 そしてそのいのちは キリスト・イエスのうちにある。 イエスはみことばが受肉された方。 なので、みことばのうちに…
キリスト者はイエスに 主(しゅ)という接頭辞を付けて お呼びしていますが、 少々、宗教用語のようになってしまい 本来の意味合いが褪色してのではと 思ってしま…
いつでも主は 「我に任せよ」と 私たちに向かって 叫んでおられます。 その声を聴いて 主に委ね切った時、 苦悩のどん底から 私たちを 救い出してくださるので…
自分の弱さ(罪)に気付き、 その罪を自力では 決して克服できない事を悟って 主の御名を呼んで助けを求める者は 必ず救われます。 ただ呼べばよいわけではありま…
心の中で思い描いている事が 行動となり実現します。 しかも心の中で去来する思いは 無自覚であることが多いのです。 自覚できる思いは5~10%とも 言われてお…
愚か者の特徴は 学ばない。 聞かない。 自分勝手。 現代社会は、そんな人間が 非常に増えたように思う。 皆が自分勝手なので 助け合う事もない。 だから社会性…
信仰を賜わる以前の私たちは 私たち人間を縛る罪と死の 支配を受けていました。 また、罪のある私たち人間は 全き方である 神と正常な交わりを 持つことが出来ま…
罪の代償が死である以上、 罪を償うために 命がささげられなければ 罪の赦しを得ることは 出来ません。 神の要求する律法を 完全に守り得ない私たちは 罪人とし…
善行は自分自身もしている事に 気付かないぐらいでないと 善行ではないのかもしれません。 私の恩師であるイエズス会の 故草野純英神父から 奉仕は「する」もので…
神の御心から離れて 自分勝手に生きる事を 罪と言います。 そして罪を犯した人間は 全き方である神とは 交わることが出来ません。 神との親しき交わりを得るには…
私たちは自力では 神の御心に適った良い行いに 励むことが出来ませんが、 そんな私たちも信仰を賜わって 神の導きに従うならば 良い行いを為し得るのです。 キリ…
イエスは立派な行いをしている人を 救いの来られたのではありません。 立派になり得ない人を 救うために来られたのです。 私たちは弱いままですが、 その弱さの…
「わたしがあなたがたを 愛したように、 あなたがたも互いに 愛し合いなさい」と イエスは私たちに教えられた。 これを知らぬキリスト者は おそらくいないだろう…
私たちが神を信じ、 私たちが神を愛しているように 考えがちですが、 実は、先に神の方から 私たちを愛してくださり、 私たちとの関係を修復するために その障害…
住み慣れた環境から脱するのは 勇気がいる事です。 胎児は母の胎内が安全です。 しかし、胎から出なければ 人としての営みは始まりません。 子どものように親の保…
聖書に記録されている 神の御心の啓示を 私たちは聖書を朗読することで 私たち一人ひとりに対する メッセージとして 受け取ることが出来ます。 文字で記録された…
最近、多文化共生という 聞こえは良いが 実態は複雑な問題が 政府主導で推し進められ、 世界中で大混乱が起こっています。 共生というからには そこには互いの文…
ああだったらいいな。 こうだったらいいな。 人は様々な夢を思い描きます。 しかし、自分基準の夢は 夢ゆえにかなわない事が大半です。 夢や理想はかなわないから…
新約聖書に記録されている 二つのペテロの手紙は、 ペテロがローマで殉教する 少し前に書かれたと 伝えられています。 つまり、晩年に書かれたのです。 ペテロを…
受けるよりも与える方が 幸いであるとイエスは教えられた。 しかし、私たちの日常はどうか。 与えることに躊躇するが、 受ける方は無尽蔵となりがちだ。 赦すがf…
今も昔も人は悪行三昧。 他人様の悪行はよく見えても 自分の過誤には盲目。 これが私たちの本性です。 神が憐れみ深い方でなければ、 私たちはたちどころに 滅ぼ…
パウロは実子のように 大切に育てた若き同労者テモテに 次のように文を送りました。 「神が私たちに 与えてくださったものは、 おくびょうの霊ではなく、 力と愛…
欧米では マインドフルネス瞑想が 流行しています。 大手企業では、 社員の業務中の ミスの軽減のために マインドフルネス瞑想を 業務の一環として 組み込んで…
上の写真のように 子どもの頃に自転車の乗り方を 親から教わった人は多いと思います。 後ろを持っているから安心しろとの 親の声に安心してペダルを踏んで、 補助…
救いとはとても価値のあるものです。 なんといっても御子イエスの命と 引き換えに与えられたものなのですから、 あなたにはそれだけの価値があると 神は考えておら…
神から信仰を賜わった キリスト者は 自ら積極的に神の御心を 無視しない限り、 善い行いを自ずとするように 変えられます。 というのも御子イエスの命と 引き換…
キリスト者は毎日の生活が 神の栄光を顕すものとなる事が 求められています。 自分の言動や行いが 周りの人々の助けや喜びとなれば 天の父である神は それを喜ば…
パウロはエペソ書1章4節で 「神は私たちを世界の基の 置かれる前から彼にあって選び、 御前で聖く、傷のない者に しようとされました。」と述べて、 私たちの救…
罪の赦しを得て みことばを通しての 神との親しき交わりが 回復した時、 私たちは生まれ変わるのです。 この新生の経験なしに 神の国へは行けないのです。 先ず…
神の御心を尋ね求めて 御心に適った生活を送る人は 幸いです。 その歩みは神に喜ばれるでしょう。 私たちは、もう少し みことばに対しては ハングリーであった方…
神の御心は 私たちが幸せになる事です。 ですから神は私たちが幸せになる 最高のプランを 準備してくださっています。 ですが、そのプランを無視して 自分勝手に…
神の約束は必ず成就します。 その約束を信じるキリスト者の 生活の真っ只中で その約束は成就するのです。 成就を信じて行動に結びつけるとき、 あなたは成就とい…
神は私たちを創造された方です。 私もあなたも神の計画の下で この世に生を受けた存在です。 ですから私たちが幸せとなる 最高の計画をも 前もって準備してくださ…
試練に耐えると聞くと すごくしんどそうが感じがしますが、 イエスがすでに世に対して 勝利されたわけですから、 そのイエスと共に歩む私たちも 世に対して勝利が…
混迷を極めたこの時代にあって キリスト者としてなすべきことは 色々あるでしょうが、 忘れてはならないのは、 祈るという事です。 祈ると聞くと、 静かに座って…
闇は深まっても 光を消し去ることは出来ません。 しかし、小さな光であっても 暗闇を明るく照らすことが出来ます。 無碍光であるイエスのみことばは サタンの暗闇…
神は約束されたことを 必ず果たされます。 その約束の数々は 聖書に記録されています。 聖書に書かれた約束は 信じるすべての人に有効です。 あなたが信じるなら…
イエスの公生涯の嚆矢は 代償の十字架による罪の赦しと 救いという福音を しっかりと受け止めることが 出来るように 悔い改めるようにとの メッセージだった。 …
神に見張られているとの 意識を忘れなければ、 私たちは、もう少し 行動に慎重さが伴うでしょう。 しかし、現実は忘れがちですね。 ストレートに言うなれば、 忘…
神の恵みは知れば知るほど 有難く感じるものです。 ですが、一番最初に、 一番素晴らしい恵みをいただいたので 恵みの不感症になってしまう キリスト者が多いのも…
自分の弱さに気付いて 悲しみを覚える者は 神から慰めを与えられます。 悲しみには2種類あります。 【神の御心にそった悲しみ】と 【世の悲しみ】です。 前者は…
みことばを隣人にお伝えする時、 より効果的に伝えようと 話を盛る必要はない。 自分がみことばを生きる事で どのような喜びがあるのかを そのまま飾らずにお話す…
旧態依然の悪習を踏襲して 厳しい生活を続けるのは 明らかに間違った生き方ですが、 だからといって先人たちが 長い年月の間、守り続けた 大切な生活様式などを …
信仰も救いも 神からの賜物です。 私たちの努力の賜物でなく 神からの賜わりものです。 与えてくださった神が 責任をもって私たちを お救いくださいます。 私た…
何を頼りにして生きればよいのか 皆目見当がつかない今日この頃、 あなたは如何お過ごしでしょうか? 頼るものなく生きるのは 骨が折れる事であります。 羅針盤を…
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イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
キリストの模範に従う者が それがキリスト者。 であれば、キリスト者である 私たちもキリストのように 命懸けで仕える者であるべきだ。 命懸けでお互いに仕える社…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
ガラテヤ書5章14節は 私が大好きな聖句です。 この世の人々が 隣人を自分を愛するように 愛することが出来れば この世は天の御国のように なるのでしょうね。…
私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
教会とはキリスト教の 礼拝堂の事ではありません。 同信の兄弟姉妹の集いを 教会と言うのです。 教会はイエスを頭とし、 神に召し出された 同信の兄弟姉妹が 肢…
信仰生活は やはり一人では難しいです。 その理由は、 私たちは人には厳しく 自分には甘いからです。 他人様がみことばから 少しでも逸脱した生活を しているの…
神が全き方であられるように 神の子と見做していただいた 私たちキリスト者も 全き存在となるように 努めなければなりません。 とは言え、特別な修行をしたり 何…
主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
やましい事を行なっていると それが露呈するのを恐れて 神から遠ざかろうとする。 神を知りたがらない者にも 様々なタイプはあろうが、 何でも自力でという人間も…
やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…
教派神学に盲従するのでなく みことばを生きることで 心に平安を得て生きる親に 育てられた子どもは 親のそういう生き方を学び 長じてからは親と同じように みこ…
栄養過多は肥満や糖尿病の 原因となるように、 恵みも受けてばかりいると 恵みを当たり前と思うようになり、 結果的には害となってしまいます。 私たちは先に神か…
信仰生活は守備より攻撃を 選択した方が賢明です。 守備は相手に攻撃の機会を 先に与えてしまうことになります。 ですから攻撃の方がよいのです。 攻撃的信仰とは…
サタンが人間を支配する二大武器は 罪と死でした。 罪は私たちを神と断絶させます。 律法によって罪が確定し、 私たちをさらに罪深い者としてのです。 しかし、イ…
聖書的に死とは別離を意味します。 そのことをふまえて ヨハネの福音書11章25ー26節を読むと イエス様は二つの約束をされたことに 気付くと思います。 先ず…
神が万物を創造され、 今もトータルコーディネートして くださっている事を 忘れないようにしたいですね。 私たち人間は 神から被造物の管理を 委任されましたが…
神の力は 私たちがみことばを生きる事で 品行方正となったから その代価として与えられるものでは ありません。 神の力はみことばを通して 自分の弱さを自覚した…
救いは全ての人に オープンとなっています。 救いと聞くとこの世の事でなく 死後の事のように考える人が 多いように思いますが、 救いは今、最も重要なのです。 …
人の真心など感じられない 荒涼とした現代社会であっても、 傷ついて壊れかけた心であっても、 神のみことばとの深い交わりを 取り戻すならば、 たちどころに癒し…
私たちが豊かな実を結ぶには イエスという幹に しっかりとつながればよいのです。 イエス様はみことばが受肉された方。 ですから、 みことばとつながれば良いので…
罪の赦しを得て、 神と深くお交わりを させていただけるように なったのですから、 信仰を賜わって 罪の赦しを得る以前の 生活習慣を見直して みことばを生きる…
聖書に書かれているみことばは 神の私たちに対する約束です。 私はカルヴァン派の牧師なので 約束より契約という単語を よく使います。 神が私たちに対して必ず果…
残念ながら人は 自分の努力のみでは 神の御心に100%そった生き方を 恒常的に選択することはできません。 どうしても自分に都合が良いことや 自分に利益を来た…
私たちは自分の弱さを認めるのを 非常に恐れます。 自分の弱さを認めるという事は 自分のそれまでの生き方を 全て間違っていたと認めるかのように 感じるからです…
イエス様はみことばが受肉して 私たちの許へと 来てくださった方です。 なのでパウロは イエス様のお語りになった福音が 万物を保っているとまで喝破しました。 …
イエス様は私たちのために いのちすら惜しまれませんでした。 イエス様はその姿勢を学ぶようにと 弟子たちに旧約の律法に代わる 新しい戒めを残されました。 その…
罪の赦しを得るためには 苦痛の果ての死です。 本来、この恐ろしい死を 私たちの全てが味合わなければ ならなかったのです。 しかし、いつくしみ深き神は その罪…
かつては罪の奴隷であった私たち。 今はイエス様を主と仰いで 生きるキリスト者となりました。 イエス様はご自身のいのちを 罪の代償として捨てることで 罪から神…
愛とは何かを 端的に表した個所として 第一ヨハネの3章16節を 挙げることが出来そうです。 アガペーの愛とは、 命懸けで兄弟姉妹に尽くす事。 私たちを救うた…
救いは彼岸のためのものでなく 此岸でこそ大切なもの。 なぜなら、救いは此岸での信仰により 決定するものだからです。 この世で救いを得て、 生きている間も神の…
イエスは天に戻られて 神の右に座し給いて 定められた再臨のその日まで 私たちを執り成してくださっています。 私たちは12弟子たちのように 直接にイエス様を拝…