chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
玄徳道 https://blog.goo.ne.jp/sinnkiraifukukirai

古今東西、道を語るブログです。

坐は坤地の道なり、誠は乾天の道なり。そして天地の真神、真心を受託すは人の道なり。天地人合一して純陽、いづのめの働きと申すなり。

鬼雷
フォロー
住所
大阪府
出身
陸前高田市
ブログ村参加

2012/04/29

arrow_drop_down
  • 神の真通力道

    梅で開いて、松で治めるのが、神の御心。人には、魔法が存在します。黒魔術、白魔術などは、悪魔と天使から授かったとされる方もおられるかも知れませんが過去の妄想(呪い、嫉み、破壊、自己幸福、利己主義)として、生まれた類のもののような、感じが致します。全ては、想像。妄想なのかも知れません。人の起源より、億年の産物。人を魔法で呪い殺すには、生霊を憑けても、神社にて、藁人形に五寸釘を打ち付けても、人は決して、殺せません。されど、暗示を与えれば、人は自らを殺める。人の生死とは、言わば、天命、自然によります。。。天災地災人災すべては、自業自得に因るのかも知れません。天命を得る者は、「生とは天が我を労するなり。死とは、即ち天が、汝を安んずるなり。」と感じるでありましょうか。天命を知らぬ、存じぬ者は、災害により、病で死に、人...神の真通力道

  • 令和六年三月 三六九神示

    田ニ八(丹波米+⬜︎)なる、男島女島の中程の、天と海との堺に、浮かぶ中津神の岩の上に、塩土翁が立ち、世界の行く末の事説いてて、ゆくぞよ。(注塩土神=海之御中主大綿津見神の変化。亦名を、全ての情勢を知れる故、知識大都知神(しりおおづち)とも称す。鬼雷が述べる。かの神は、又の御名を住吉老人、又、南極老人とも、称されておられます。要所を悟る神でございます。)今の世は、八頭八尾の八岐大蛇が荒れ狂いておるぞよ。八つも頭(かしら)があると言う事は、地球の上には、この世界を自在にせんとする、国々の頭が、いがみ合い戦争をいたし、多くの人民が犠牲になっておるのが、当に、八頭八尾の八岐大蛇が荒れ狂いておるぞよ。八つ頭があると言う事は、地球の上には、この世界を自在にせんとする国々の頭が、いがみ会い、戦争をいたし、多くの人民が犠...令和六年三月三六九神示

  • 平成二十八年 七月三十一日、白百合の華。

    善も悪も、使いて、現の世の四九三を進めてある、大芝居であるぞよ。悪事を為す者もありて、舞台も変わり、次の四九三が起こるのじゃぞ。この度の東京都知事、〇〇殿当選、それで良いのじゃ。〇〇は、六甲の神に縁りの御魂であるぞよ。白山菊理比咩の神、白百合の花を持ちて、出現と申してあるぞよ。清浄明白でありたいぞ。菊理比咩の本神霊の出現は未だ先であれど、今は龍宮系の女性の御魂が、段々と仕切るようになるぞ。母の愛で無いと、荒びた世は治らぬ。良い子は育たぬぞ。香ぐわしき、白百合の花、咲く世を願うぞよ。(注西宮の甲山は、廣田神社の神体山であり、真名井御前の開いた神呪寺がある。又、弁財天(瀬織津比売)や、役行者の伝承もあり、甲山と六甲山は、相通じる神氣で結ばれている。)(注鬼雷が述べる。それから、開いて修める、八年後、白百合の花...平成二十八年七月三十一日、白百合の華。

  • 令和六年三月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(三月八日示し)

    始め、和歌山県の熊野灘の波が寄せる、七里浜や、熊野川の河口が見え、新宮速玉大社の神谷体山中に坐す、神倉神社のコトブキ岩が拝され、次に那智の滝、そして、熊野本宮の故地、大斎原と熊野三山の聖地が次々に拝されました。そして、大斎原には、朱塗りの大きな舞台が設けられ、その上で素戔嗚尊が八岐大蛇退治の大神楽が舞われており、その様を出口聖師が眺めておられました。(注熊野と地名は、丹後、出雲、紀伊と各地にあるが、熊野とは、隈野であり、遠く奥まった聖き地で、神や祖霊を祀る隠り国の音が変化したものであろう。神倉神社には、彦火明命の御子、高倉下命(天香語山命)が祀られ、熊野を開いた、神とされている。大斎原は、熊野本宮の故地であり、本宮主祭神は、家都御子神(素戔嗚尊)である。八岐大蛇は、大本教のお筆先に、「現の世は、七王八王あ...令和六年三月小長谷修聖三六九神示霊視篇(三月八日示し)

  • 黙真人訓、功行道。

    功行のニ字は、各仙仏真人が多く発揮せられたところであり、修行の導師とするのに、過ぎるものである。自分(黙真人)に一悟するところがあったので、未だ適当か、否かを詳らかにしないが、同修(道を修める者)も共にこれを研究することを希望する。功の意義は、包含するところ、甚だ多く、行の候(情状)を証するに、また、いたるところに妙理がある。ニ字について言えば、功行とは、行いに、功を得たものである。その要(かなめ)は、もとより、行いにある。すなわち、行いが「允(まこと)に厥(そ)の中を執れ」の中を得たものであり、「これ精これ一」を得たものである。(注鬼雷述べます。允に厥の中を執れ=道統の相伝。中庸の奥義)(注これ精これ一=道統の相伝であり、允に厥の中を執れを補助するものでもあり、一とは無欲を、精とは、太極を指すものと考え...黙真人訓、功行道。

  • 令和六年二月 三六九神示

    (注いま、人類の欲望に九尾が入り込み緑の地球を焼野ヶ原にせんとしている。九尾=金権主義。金を自己主張の為に悪用する。🔵物金を皆の為、善用するのが、龍宮経済である。)龍宮水火土伝授爆撃で荒れる世界の瓦礫の跡にも、地震の山崩れ、地割れ隆起、津波と跡にも春なれば、緑は芽吹き、花も咲くのじゃぞ。火の中、水の中も神の生命は不滅じゃぞ。人は切格築いた、文明も争いを繰り返し破壊しておるぞよ。九(現)の世は六の数で成り、六の数は、建設と破壊を繰り返しつつ、時を進めてゆくのであるぞ。禍い転じて福と為す、この意に狂いは無いぞよ。戦災や、地震にあいし者は、可哀想であれど、必ず芽吹き花咲く春は、来るのじゃ。人は、この地球に住むのでは無く、住まわさせてもらっている事を忘れず、地球を大切に守らねばならぬのじゃ。我が身...令和六年二月三六九神示

  • 令和六年二月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(二月八日示)

    丹後の冠島(男島)と沓島(女島)の海中より、大なる、金龍が現れ南に向かって飛んでゆきました。(注男島は、籠神社本社の主宰神天照国照彦火明命降臨の神島であり、女島はその妃、瀬織津姫命(又之名は、市杵島姫命))降臨の神島であり、龍宮乙姫神谷鎮まる、神島であるが、大本教の主宰神、艮金神国常常立尊、三千年隠棲された、島と伝えられる。男島、女島の辺りの海を龍宮海と称し、出現こ金龍は、龍宮乙姫の龍体であろうか。地球を七回り半する龍体と言われている。男島女島は籠神社や大本教の神の出現の神島であり、国常立大神の大望の御経綸、実現の為、龍宮神界の活動が活発になる、御示しであろう。)次に、爆撃か地震の跡か、瓦礫の山のそばに少しずつ、緑の草が、芽吹き始めのその中に、一輪、日本タンポポの花が咲いていました。(注建設と破壊を繰り返...令和六年二月小長谷修聖三六九神示霊視篇(二月八日示)

  • 菜根譚道

    「硬い野菜の根っ子も、よく噛めば食べることが出来るように、苦しく辛い、環境の中々いても、耐え忍ぶことによって、志を成し遂げる事が出来る。いや、そう言う意味もあるが、そうでも無い。硬い野菜の根っ子にこそ、栄養がある、そして、林檎や、バナナ、蜜柑、人が排斥される、皮の部分にこそ、価値がある。今のわたしならば、こう言うであろう。イエスや釈迦、数多の聖人教祖。かれらは、硬く、不味く、根っ子のように、人に忌み嫌われる人であったのであろう。。。なんせ人の枠に収まらない。常に権力や権威に媚びない。菜根譚道の魂を持つ者は、得てして、他人の価値観に左右されない。それだけ。私は幼少期より、邪悪であり、発達障害もあり、弱き者を虐めるのを、好む癖あり。例えば、蟻を見ては、踏み潰す、幼き我あり。多くの蟻を踏み潰した私には、幸せはや...菜根譚道

  • 令和六年一月 三六九神示

    コロナ(五六七)コロナ(五六七)で振り回された、その上に、太平の夢を醒まさせと震いたる、能登の地震であるぞ。(鬼雷が述べる。私的には、皇室に於ける祭祀への真心に因るに縁り、天皇祭祀に於ける、伊勢神界のあり方が破られたと。天皇が天皇たる、由縁は一重に、日本国の霊的族長なり。地震は天地自然のありかた。しかしだ、霊的族長が真剣に日夜、日の本御国の天照鳴る神に祈っておられれば、一月一日の国民を堕とします、災害は未然に防げたと、悪人鬼雷は妄想するなり。これは、三六九神示に関係なく、我が思う悪念なり。これは天皇廃止を目論むものでは無く、君臣として、忠諫である。そして、霊的族長は、民草を護らねばならぬ。君が君たる由縁は、社稷あるのみ。)寝ぼけ眼(まなこ)で飛び起こされた。令和の五六七(みろく)の六の年のめぐりであるぞ。...令和六年一月三六九神示

  • 令和六年一月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(令和六年一月八日示)

    始め、青森県の十和田湖が見え、湖の水がぐるぐる回転を始め、竜巻の如くなり、空に昇りました。すると、その水氣の渦巻きは、大なる青龍と化し、火炎を吹きながら、日本列島を南西の方へ向かい、鹿児島の開聞岳の上空を旋回していました。(注この霊視は一月一日の能登半島地震の経路を示されたものであろう。十和田湖から、南西(坤方)へ線を引くと、その下に能登地震の震源地の能登の先端や、丹後半島の上を通り、開聞岳に到る、艮坤線である。十和田湖には青龍神が坐すと言われ、青龍神は、刷新の氣、即ち全く改新する意であり、また、地震の氣を起こすとも、言われている。令和六年の六の数は、万象崩壊、建設と破壊の変転、極まり無く、繰り返す意義がある。旧(ふる)き世の過りを破壊し、新しき道を建設する動きである。十和田より、艮坤の線は艮金神国常立大...令和六年一月小長谷修聖三六九神示霊視篇(令和六年一月八日示)

  • 令和五年十二月 三六九神示

    令和五六七の年、元なり、始めなら五年も後、一ヶ月となりたぞよ。六の年のめぐれば、六は万象崩壊、破壊と建設の動き激しく、地球、又、社会の修理固成厳しくなると示しておくぞよ。扨ても明治二十五年旧正月、国祖国種立大神、三千年封じられて居りたが、世に出る年月契りの時来たり、丹波綾部の出口直殿の手を借りて、世の元の艮の金神の世が返り、梅で開いて松で治める五六七の世を開くと、膨大な筆先(神示)を現し、筆先の後も様々な神示(日月神示など)に神界の仕組みを現し、人類に伝えるべき事は皆言うてあるぞよ。この年は令和五年(霊和五年)と言う、真に大きな節目の年であり、世界にもそれぞれの身にも、厳しき因縁が現れたが、ロシアとウクライナの戦争、中東の紛争、罪無き人民犠牲となり辛く悲しの事であるが、我が身が勝ちて、主張を通すまで、戦う...令和五年十二月三六九神示

  • 令和五年十二月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(令和五年十二月八日示)

    神代、国譲りが行われたと伝える、出雲、稲佐の浜が見え、その浜にある弁天島の周りを恵比寿様と大黒様が、荒々しく砂を踏み鳴らしながら、舞っておられました。その弁天島の上にら弁財天が立たれて、その様を見ておられましたが、弁財天の姿は、段々、白山菊理比咩神の姿に見えて来ました。(注大黒神とは、インドの破壊を意味する暗黒神(鬼雷注マハカーラ)とか、三宝(仏法僧)の守護(鬼雷注麁乱神)をし、飲食を司る神とか、日本の大国主命との習合とか、様々な解釈が、なされているが、一般に恵比寿之神(事代主命、亦、彦火火出見命)と合わせ、七福神中の福神とされている。荒々しく舞っておられる様から見れば、エベス大黒大車輪で出雲をいずくも(何処も)、すなわち、世界の事と受け取れば、英米ソ(ソ=ロシア<エビス>と)大黒(中国)大車輪で、令和六...令和五年十二月小長谷修聖三六九神示霊視篇(令和五年十二月八日示)

  • 黙真人訓 真修道。

    各地では、災劫が頻発して多難である。吾が道の堅誠にして、仁慈憐憫の士は、みな誠心でこれを弭化(災害が起こす、因果のカルマを消す)しようと、吾が師(至聖先天老祖)及び、各教の教主(釈尊、キリスト、マホメット、老子、孔子、最澄、空海、王仁師等等)、ならびに聖神仙仏に祈っている。吾が師及び各教の教主、聖神仙仏は、各方の誠願に感じて、再三各聖神仙仏、各教教主及び、各真人菩薩に一致して、合霊弭化するように、訓を伝え、その功効は、大きくない、ことは、無い。しかるに、災劫が出現するのは、これを推し測るのは、難しいようであるが、それは、どうしてであろうか。化し去るところの、劫は無形にあり、それが化す、ハジから造られ、生じるハジから、有(業が形となる)となるのは、劫を造ることが、人心に在り、また、測り難いものも、人心に在る...黙真人訓真修道。

  • 坐道奥義、八宝。

    世は乱れる。何故、乱れるのであろうか。人は調和秩序を大切にするが、乱しもする。何故、乱すのであろうか。人種は、調和秩序より、自己利益を大切にする。例え、調和秩序を乱しても、自己に利益があれば、人は許すなり。小さな乱れは、大きな流れとなる。それが人類を呑み込む大津波ともなりえる。先天坐とは、人の貴種等の生まれは関係無し。もし、先天坐をすれば、調和のなんたるかを知り得るかもしれません。何故ならば、人の存在意義を悟るから。それが、天皇である、日本の族長であるとも然り。なんせ人の種は、同じ木の実。誠による、誠実が、神により、人を分ける由縁であります。坐すれば、開かれん。何を開くのか。吾が本性を開く。開けば、ひらめかん。何をひらめくのか、吾が神をなり。そこで、何故、人は瞑想し、また、迷走するのか。確かに瞑想すれば、...坐道奥義、八宝。

  • 令和五年十一月 三六九神示

    今は鳴門の渦の渡りの世と申してあるぞよ。世界には激しく戦火の炎が立ちのぼり、苦渋の渕に追いやられる人民が段々と、増えてゆくぞよ。鳴門の渦の渡りと申してあるのは、富士の鳴門の仕組みの事であり、富士の仕組みとは、天地を結ぶ真柱が立ち、その神気を受けて、人類覚醒し、霊主体従(ひとのも)の道へ返り、その末、お出ましになる世界のすめらみことの下、万民万物まつろいて、共存共生の世を開く事であり、国常立大神、須弥山なる富士の山に腰かけて、世界に睨みをきかせ、木花咲耶姫の神は、草木だけで無く、世界万民の身魂の花を咲かせてゆく、働きをなすぞよ。富士は二二であり、火であり、I(たて)であり、鳴門は七🌀十であり、水であり、一(よこ)であるぞよ。体主霊従(からたま)と化した、世の中で人類が積み重ねて来た、罪や汚れ...令和五年十一月三六九神示

  • 令和五年十一月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。(令和五年十一月八日示)

    始め、激しく渦の巻く、大潮の阿波の鳴門が見え、次には戦闘の続く地中海の東部、ウクライナやイスラエル、パレスチナ等の国から黒煙が上がっておりました。(注日本の国の形は、拡大すると世界の形となる。これを蜻蛉(あきつ)臀占(となめ)と言う。秋津島日本とは、蜻蛉の国日本の意味の意である。地中海を日本地図にあてはめると、瀬戸内海となり、東方のイスラエル辺りは、総ての罪穢れを浄化する鳴門にあたるのであり、パレスチナやイスラエル、ウクライナ等の戦闘は、長い人類史の闘争の因縁が浮上し、浄化されてゆく型と思う。日本は世界の縮図である。)次に伯耆の大山が美しい姿を見せ、弓が浜が美保ヶ関に向かって延びている様が見えました。(注大山には、大山寺や大神山神社がある。一般に大国主命が祭られているように伝えされているが、その奥には素戔...令和五年十一月小長谷修聖三六九神示霊視篇。(令和五年十一月八日示)

  • 令和五年十月 三六九神示

    十(むす)びて八(ひら)く、十月八日であるぞ。和の大事、結び絆の大事を忘れ、世界の国々も人民も、利己主義(われよし)に走りて分裂してゆく今の世であるぞ。今のこの時、天地万物万民括り結び、共存共生の世を開く、白山菊理比咩神の働きが〇九十(まこと)に大事な時となり、その、御現れを待てども、その神霊の器となる者が未だ出ておらぬから、これからも我が我がの争いの世が続くぞよ。八九十(はくと)の四九三(しくみ)と申してあるが、八九十の四九三とは、白山菊理比咩の神、世に現れて大和の三六九世を開く四九三の事であり、世界中に白山の霊筋が通してあり、時到れば、その霊筋の縁(ゆかり)の御魂の者が目を開きて争い絶え間なき世を治めてゆく事となるのであるぞ。世界中の動きの型を示す、朝鮮の太白山も白頭山にも、中国大雪山やヒマラヤやアフ...令和五年十月三六九神示

  • 令和五年十月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。(令和五年十一月八日示)

    始め、冠雪をした美しい富士山が拝され、次に北陸白山の御鏡池が拝され、白山火山帯にある但馬の神鍋山や伯耆の大山、島原の雲仙岳など北陸、山陰、中国地方から九州五島にかけて、山々が拝されました。(注富士山は日本一の山と称え、又、神界と現の世を結ぶ、真柱が立ち、そこに天降り給う神霊は、その末世界を統べ治める、スメラ尊(皇尊)となられる重大な山であり、白山菊理比咩の神とは呼応の関係である。白山菊理比咩神は万物万民を括り結び、その末、共存共生の地上天国の要となられる神である。神鍋山からは、昭和五十年十月五日、金勝要神の神霊石が出、金勝要神は白山比咩の神の変化であり、言霊で「ン」のはたらき、締め括りの神力であり、島原雲仙が「ン」の神力を秘めた山である。分裂し乱れる世を治める白山菊理比咩の働きが日本海側から出る、即ち裏が...令和五年十月小長谷修聖三六九神示霊視篇。(令和五年十一月八日示)

  • 坐息道

    坐と言うのは、この息を運化する。運んで化する。この息を真坐息と呼ぶ。しかし、この息は、非常に難しい。我々が息といえば、それは呼吸である。呼吸とは、肺により連動し、空気の恩恵を受け入れて、不用なものを排出する。はあはあ、スウスウ、して、音が聞こえるのは、本当の呼吸では、ございません。動物も植物も呼吸します。そして、植物の呼吸とは、聞こえない。けれども、植物が呼吸しているのは、水の中に入ればすぐ解ります。水の中に植物を入れると泡が出ます。酸素、また、二酸化炭素を吸収して、排斥している事実が、あるからです。人の呼吸も、坐すると、今の呼吸から離れます。口で呼吸しない。鼻で呼吸しない。当然に、最初は、口と鼻を使って呼吸しますが、坐に深く根ざすと、呼吸を忘れて、呼吸がだんだん細くなり、呼吸しているが、わからなくなる。...坐息道

  • 神仙の寵児、秀和道。

    鶴に乗った仙人こと、笹目秀和先生。かつて、朝鮮白頭山にて、また、チベット崑崙山において、二人の神仙(受肉された、本物の人間であり、特命を背負う神の使徒。)に出逢われた。月の精気を喰らう秘法。太陽の精気を喰らう秘法を授かり、その二つを合わせて、「いずのめのみたま」と呼ぶらしい。しかし、これば、先天坐における、水火の交わりでもあります。余談ですが、太陽とは火であり、月とは、水であり、水火が交わり、自己、宇内において、初めて、「いずのめのみたま」、神人合一と申すのでございます。秀和老師は、出口王仁三郎聖師や出口日出麿師とも、交流があったのは、事実でありますが、かつて、崑崙山行く前に、金毛九尾霊の邪魔が入ったさい、聖師と日出麿さんに会い、大本神を崑崙山へ奉じされた神事が、秀和さんの著者(神仙の寵児。モンゴル神仙邂...神仙の寵児、秀和道。

  • 自然坐道。

    坐するとは、瞑想とは、ただ、黙って坐る。損も、得もなく、ただ、坐る。そこで、自発があっても、強制しては、ならない。そこで、無理をしては、ならない。自然に坐れるか、坐れないか。もし、自然に坐る事が出来ないのであれば、坐は、辞めるべきである。「自然にまかせていると、何時か早い人は早く、遅い人は遅く、何事も急ぐ事は無い。坐とは急がないでやって下さい。もし、それを、坐することを強調すると、今度は、枯寂になってしまう。これは、どう言う事か。丁度木が枯れたのと同じように、芽が出ない。化しない。変化上昇しない。坐を強制し、何がなんでもしなければ、ならないと、坐すると、枯寂し、枯渇し、自己の神をも苦しめ、内鳴る神を削り、自らの御魂を滅ぼしてしまう。瞑想とは、かつての、古の修道人でも、仏教でも、儒者墨者、耶蘇教、回教でも、...自然坐道。

  • 令和五年九月 三六九神示

    一寸法師の日本は、北から赤き辰に、にらまれ、今や赤き鬼の腹に呑まれてしまったぞよ。さあ、これから鬼の腹のなかで如何なる働きを為すか。針の刀を抜きて、この日本が、赤き辰や赤き鬼を退治で、無いぞ。言向け和(や)わす、働きをなさねば、真の世界の平和は来たらぬぞよ。針の刀とは、真実(まこと)の九十〇(言霊)のことであるぞ。言霊の力で大和の道を開くのがこの日本の神命であるぞ。退治すれば、また、抗いて、争いが起こるのじゃぞ。始めは、真実で向かいても、あなどられ押さえつけられても、抗うでないぞ。時の流れに従いつつ、腹をすえ、真の平和の道を開く目標を忘れる事無く、その末に九十向け和わして、大和の道を開くのじゃぞ。、この事は世界の事も.日本の事も、各家の事も同じであるぞ。一寸法師の日本が、和(話)の道を開かねばならぬ、時が...令和五年九月三六九神示

  • 令和五年九月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    兵庫県但馬の鉢伏山が見え、山頂辺りに、龍宮城のような立派な宮殿が建っており、その門を出口聖師と出口澄様が入って行かれました。次に素戔嗚尊の須賀宮があったと伝承される氷の山(須賀山)、次には、昭和五十年十月五日、金勝要神の神霊石の出た神鍋山、麓に金龍神社のある、蘇武岳、妙見祭祀の元とも感じられる妙見山、日本三大権現の一つとも言われる。三川山、そして、伯耆の大山や那岐山、登拝しては、岩戸開きの神業に奉仕した、但馬等の山が拝され.最後、天照国照彦火明命が丹後より来臨され.但馬を開かれたと伝える、来日岳(五六七m)が拝されました。(注鉢伏山は、陸(おか)の龍宮奥の院と神の示される大事な山で、戦後、出口聖師と出口澄様によって、開かれた。(昭和二十一年五月二十三日)来日岳は、山頂に彦火明命が磐舟で来臨された、舟着磐と...令和五年九月八日、小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • いずれ、世界が滅びる道

    世は滅びるのであろうか。世界は滅びるのである。また、人類も滅びるのである。太極で述べれば、惑星にも、人と等しく寿命があり、全ての惑星、そして、地球もいずれは滅びる。それに、同化して、人も滅びる。しかし、この、地球(星)の寿命を縮める存在が、ある。自然の概念から離れ、また、自然の仕組みから離れ、独自の科学により、害を撒き散らす存在である、人群。近世、誕生した人類は、地球の資源をぞんざいに使い、自然を汚染して、なぜ、人類、世界が生き残れると考えるのであろうか。石油、ガソリン、灯油、ベットボトル、プラスチック、天然ガス、戦争による、資源のぬすみ。殺人、泥棒、暴力、強盗、詐欺、ネット暴力、妬み、嫉み、宗教による、優越、また、貴族と平民の立ち位置、金持ちと貧乏人による思念の穢れ。この凄まじき世界で、当たり前にある、...いずれ、世界が滅びる道

  • 老祖の弟子とは、弭化の道を歩む者。

    やべえ、忘れとった。自分が、老祖の弟子であることを。ちなみに、不肖の弟子。近頃は、コロナ化の洗礼。人が作り出した、化学ウィルス。否、人たる一部の悪意が創造したウィルス。ただ、悪意をも、弭化すれば、悪しき洗礼も善き洗礼ともなりうる。そして、ロシア、ウクライナの戦果。現在、ウクライナへの寄付金の多くは行方不明となり、その国の最高頂点の政治家のふところが潤っているらしい。私から言えば、現場の責任者は、自ら矢面に立たねばならない。兵士が盾では無く、自らが兵士の盾にならねばならない。ウクライナへ贈った武器がハマスへと流れるとも聞く。全ては、金力主義(おもいのまま)による思想なり。大国の戦略、ネオコン、グローバリスト。日本とは、未だに、大国の奴隷。まあ、そんな話もあるのかも知れないが、忘れてはいけないのが、私達、この...老祖の弟子とは、弭化の道を歩む者。

  • 乱道。

    あ〜あ、嫌になるなあ。世は争いで満ちている。過去の結末があり、今、現在への結果となっている。戦果へ至る道から、回帰をなすのが、真の政治家であり、私欲、政治理念よりも、無辜の民の安寧を守が真の為政者である。そんな、為政者が現れて来ない。邪悪な神々は、戦争を臨んでおられる。正義の神々は、秩序を臨んでおられる。そして、人間の歴史的とは、戦の一文字こそが、当たり前。人が生まれ、自然に即していた、縄文時代は、大道を歩み、人は一つと群として、大同の境地であった。歴史では、弥生から稲作が生まれ、故に、貧富の差が生まれたと、する説もありますが、稲作は縄文時代から行われており、弥生時代からは、与える思想から、奪う思想となり、また、人を神はその様に造られた経緯もある。弥生時代の豊かさは、人に欲をもたらす。欲が増えると、知恵が...乱道。

  • 昭和五年綾部道院聖訓文。

    弥勒仏。老祖の命を奉じて妙山より、前駆を為して至る。老祖、妙山より来る。世界の残酷なる殺し合いの闘争の過を弭(とど)め、人類の善を愛して、熙暭(やわら)ぐ、幸福を謀るに果たして、何を以て導けば、能く其の功を致す事が出来るのであろうか。曰く、中道あるのみである。中なるものは、天下の正道にして、人世の普遍の真理である。大にして、包まざる所無く、細にしては、微(かす)かにして、入らざるは無く、己に偏らず、人に滞(こだわ)らず、自然を以て広大なる徳化を行い、公正を以て、乱を治める方法とする。故にその用(はたらき)たるや適(ほどよ)く、その体を守るや恬(やすら)かである。それ故に能(よ)く育て、能く化し、しかも平易(たやす)く無為にして、為さざる無きの大道と為す所以である。今の世を以て、その未来を推測するに、その能...昭和五年綾部道院聖訓文。

  • 祈り道

    昔、ある宗教団体に属していた時(その団体は、株式会社にて、宗教団体しないと言われていたが、手の平を返して、宗教団体申請を行い、宗教教団となりました。)その団体では、神様に通じる祈りを、秘伝として、教えてもらいました。当然に金銭がかかります。その宗教は、教祖教主(大本教の出口直刀自と王仁三郎聖師の関係の如く、教祖と教主の関係があったようだが、教祖の女性が認知症となった噂があり、教主は教祖にもなりました。女性の教祖は表から隠されました。)話は変わるが、最近では予備校などの学習塾にて、宗教やそれに繋がる団体が蠢いていますね。そこには(予備校と占いも事業としている)、占い師がおられ、多くの人々を幸せへ導いていると、自画自賛。さらに、北極老人、南極老人とのたまう。人間は、知らないのであろうか。他者から、与えられた助...祈り道

  • 平成三十年十月四日、三六九神示。

    世界の国々は、誠信の外交無く、駆け引きで様々の策をめぐらせ、自主の国の利を獲んとして、道に外れた事も平気でやっておるぞよ。軍備を調え……これからは、経済力じゃと、核兵器で威嚇しながら.金儲けの外交をいたして居るのであるが、現の世は、艮の金神が閻魔と現れて、目を光らせておるのであるから、理の通らぬ悪態は神界が許さぬぞよ。核兵器を山と持つ国、隠れて核兵器を造っておる国も、その内、えたいの知れぬ、病に多くの人民が罹りて、始めはかくして、おるが、かくし、通せぬ、事が起こりて来るぞよ。原発の損壊した、日本も同じ事であるぞよ。現の世の始め、生き物の生命の種を生み出した龍宮界の皆が恵み合い助け合う、やり方で無いと、嘘偽りで塗り固め、生命より、金が大事な利己主義(われよし)の今の世は行き詰まりてしまうぞよ。大宇宙から見て...平成三十年十月四日、三六九神示。

  • 黙真人訓、善の解明道。

    善は一切の宗家北極真経に曰(い)う。真道有るは、「善道に他ならず」、又曰う「吾が善、気を練り、吾が善、行を踏み、吾が善、霊を回するに如かず」と。こうして、修養一切に関して、わが老修(道の先輩)は能(よ)く研鑽して実行したものである。新しい修方においては、只善の一字に対して、徹底して明らかにせねばならない。或いは言う、善の字は即ち、良い事をすることであると。しかし、誠心ある修方にとっては、善の一字は、そう簡単な事では無いと覚える。われわれ修人は、善を以て一切の宗となす。つまり、善における、その範囲を詳細に分析、解明して、新しい修方のために、ここに先覚の経験や、その効果の大要を分析し.諸子と共に、これを討議、研鑽することにしようではないか。善といっても、その種類は多い。善に真と偽がある。直と曲がある。陰と...黙真人訓、善の解明道。

  • 三六九神示。苦悩道。

    知るほどに、学ぶほどに、理を知るだけでは、頭でっかちとなるばかり、何が何だか判らぬようになるぞ。迷路に迷い込むぞ。目の前真っ暗となるぞ。それからが大事じゃ。神を信じて迷いなされ、悩みなされ、苦しみなされ。神を忘れては真っ暗のままじゃ。神を信じ、御魂ある事信じておれば、そこに光が見えて来る。暗い程、一点の光も明るく見える。目の前に忘れておりた、道が見えて来る。有難いぞ。道を求める誠あれば、神は、道の光と現れる。御魂から光が出る。縁ある人をもって導き助けもする。悩み苦しみは、御魂の成長の為と申してある。御魂をおおう思凝の殻を割る為であるぞ。焦ってはならぬ。ひたすらに、真の神を信じよ。利己主義(われよし)の思凝霊(しこりごみ)に魅入られたら、神理が見えぬようになり、楽を求めて、我欲の道に走り、真の神の道から離れ...三六九神示。苦悩道。

  • 先天坐道雑記12

    先天坐とは、何の為にするのであろうか。はっきり言って、これを行じたからと言って、霊能力も超能力も身につかない。かつて、笹目秀和仙人は、出口王仁三郎聖師との関係から、大本と道院結びを託され、鎮魂帰神術(大本では鎮魂法帰神術を霊法としていたが、あまりの発狂者と妖言者が続出し、正神界と神との交わりより、邪神界の神と交わる者が続出し、出口聖師は、鎮魂帰神術を断念されました。)の変わりに、先天坐をもって、鎮魂法の代わりとし、大本信者に、説き、また、機関紙をもって、大本と道院は同一であると、説かれたようですが、大本三代教主は、拒否され、中の道院と和の大本は、袂を別れた言われがあるのです。鎮魂法とは、人の真心による接霊に於いて、神人合一を為す法であり、一種の霊能力を得る法でもあるが、その道は途絶えつつある。(神界が働か...先天坐道雑記12

  • 三六九神示、闇光道。

    天之御中主の神氣は降る。天橋立、真名井神社の建替えも成り、五四五四(いよいよ)、三千世界の、立替立直し、厳しくなる時節とめぐりあえたのであるから、世界の事から、人民の事から、これまで隠れておりた因縁が、善きにつけ、悪しきにつけ、皆、浮かび上がりて浄化されるのであるぞ。人民は、何事も無く、平穏に暮らしたい、元気で長生きしたいと、思えども、あるだけの因縁が浮かび上がりて来るから、これほど、信心いたしておるのに、何で、こんな事になるのじゃとら神を疑いたり。うろたえ、騒がねばならぬ事も、出来て来るが如し。どんな事が起こりても、神を信じてある者は、大難を小難にいたし、現の世で肉体の持たぬ時は、霊界で救うよう、神は、見守りておる事を忘れてはならぬぞよ。何事も無く、調子良く行く時は、神様は有難い、感謝せねばと、言うてお...三六九神示、闇光道。

  • 令和五年七月 三六九神示

    天に七(な)り地に七(な)る七月七日の示しであるぞよ。昭和五十二年六月二十七日、丹波小多利の小富士山神社にて、(鬼雷注令和四年の七月三六九神示を参照されて、くださいませ。)八月一日大本教金龍海の神業の砌(みぎり)出口直殿、龍宮乙姫の姿で修聖に、お筆先一巻を授けられ、その形代のゆずの葉一枚、旭洞窟の玉石十個等を玉手箱に入れ、七年間開けてはならぬと、麻の緒で封をいたしたのであるぞ。昭和五十四年九月九日、修聖は、豊岡光の道より追放され、左官や大工の下働きで、五年間、糊口をしのぎおったのであるが、昭和五十二年より、七年目に故郷の丹後へ帰り、その年、七月七日(なたばたの日)神前に、龍宮乙姫の絵を掛け、七年間封じておった玉手箱開きの神業に仕えさせたのが、龍華館の祭の始まりであり、今年で四十一年目の七夕祭りをささやかに...令和五年七月三六九神示

  • 令和五年七月八日、小長谷修養聖 三六九神示霊視篇。

    小雨の降る夜明けの海上に、船を浮かべ、出口直刀自、日の丸扇を開いて持たれた、出口聖師、出口澄子様、出口直日様、夫の日出麿様、大本教三代に関わる人々が乗られ、男島、女島や中津神の岩を巡っておられ、中津神の岩には、龍宮の乙姫様や塩土翁様が立たれていました。空が白み、夜明けとなり、日が登ると、遠くの山々の向こうに白山が輝いていました。最後、五人の方々は真名井神社の磐座に前で礼拝されていました。(注大本は、日の出、三六九の世を開く神界の型を示すところで、三代直日の世までに、それを示すと神示され、日出麿様は、日の出の神の型である。その因縁の地場を巡られ、大本の元、真名井神社で方々礼拝されている様である。)次に但馬竹田の竹田城の天守閣に出口直日様、日出麿様が立たれ、対面の立雲峡の桜をながめておられました。綾部五六七(...令和五年七月八日、小長谷修養聖三六九神示霊視篇。

  • 黙真人訓 月道。

    月は、満ちれば欠けるし、欠ければ、また、満ちて丸くなる。天の心は、唯自然であって、人為で造作することは無い。自然なるものは、道慈であり、道慈に連なる存在は、安心と安全が附与されるのである。月が円くなったり、欠けたりすることは、人々のよく、目にする所であって、別に不思議とは、思わないのである。天の心は、無為自然にして運化し、無心にしてめぐっているのである。これは、唯、人が天の心を持っているので、このように言ったのである。そこで、人意が一度、起きるのは即ち、一念より、起こってくるのである。例えば、月が円くなったら、自分に有利であろうか。欠けたら自分に不利であろうかをどうしても考える。月が円くなった方が有利であれば、必ず、その利益を手に入れてようとして、妄念を起こす事になる。また、月が欠けた方が自分に有利であれ...黙真人訓月道。

  • 黙真人訓、虚空道。

    鬼雷、先に述べます。虚とは、空であり、空であれば、全て同一であり、故に無となる。そして、無とは、極であり、極とは、は終わりから始まりである。無極にして、始めて、炁となる。無極、霊極、亜極。それらを自然の運行と述べる。荘子の言に、「唯道は、虚に集まる」とあり、荘子は、これを判り易く説き、万物の中で、知覚の作用を備えているものは、皆、呼吸をすることによって、生命を維持している。その呼吸が十分に出来ないというのは、天の罪ではない。天は、時々刻々休む事なく、穴を開けて気を通しているのであると。ところが、人はこの、自然に従わず、かえって、この穴を塞いでしまうのである。人の肺臓には、空虚な場所があり、これで、呼吸していると同様に、心にも、また空虚な場所があって、道を楽しむ事ができるのである。室内にも空虚な余裕(ゆとり...黙真人訓、虚空道。

  • 慧真人訓、病気道。

    鬼雷が先に述べる。人が病を発症するは、因果に依る。添加物を沢山、喰らえば、自ら破れ、癌となる。ジャンクフードを沢山、喰らえば、自ら破れ、癌となる。精製された、小麦粉による、食パン、ラーメンを喰らえば、全身の細胞は即座に拒否し、抵抗するが所以により、己が細胞は腫れる。ああ、人が便利に食物を得る方針を得れば、飢えはしないが、因果により、人を滅ぼす一因と為す。食物で言えば、精白とは、邪悪である。砂糖、白米、小麦粉。されど、此処で日本人の主食である、白米が、一番優しい。されどされど、玄米に及ばす。玄とは暗黒。砂糖は黒糖が一番。そして、小麦粉とは精製されない、黄金の全粒粉が一番である。。。慧真人訓。人は、皆、有形の病を治すことは知っているが、無形の病を治すことは知らない。有形の病を取り除くことは、容易では無いが、無...慧真人訓、病気道。

  • 進化道。

    神兕とは、神が人を介して、諭された道。大本神諭。霊界物語。伊都能売神諭。日の出神諭。日月神示。火水伝文。肚で行く。龍宮神示。天言鏡。三六九神示。大日月神示。まあ、多くの霊覚者があり。多くの未見真実がある。信じる、多くの者は、それに囚われて、それに固執し、そこから分析し、今の世に、変遷す。今の世に価値を付ける。今の世に、位置づける。知識が如何に増えようとも、ウクライナ、アメリカvsロシア戦争は止まない。人が存在する以上、戦火は消火出来ない。神は善を為して悪を成し、悪を為して善と化す。コロナワクチンを私は、4回受けた。世に蔓延る邪悪を受ける覚悟にて。それは、どうでもよいが。まだ、元気に生きております。納豆と松葉を食べていますよ。扨。悪の中に善人がおり、善人振る人に大悪人がいて、悪人の中に、希少な真善人もおられ...進化道。

  • 孚聖訓、愚道。

    愚とは、霊明の心が、モノに蒙(おお)われ、昧(くら)まされて、いる状態である。それは、あたかも、鏡が塵やゴミに蔽われているように、鏡の本来の光明のはたらきを失うことはようになり、ただの、つまらない、物質となってしまう。人の本性もまた、鏡と同じように、本来光明であるが、それが、私欲の塵に蔽われて、是非善悪を知らず、正邪を明らかにする事が出来ない。故に是を愚と、言うのである。この愚の字は、修道の大障害である。そこで、聖人や哲人の書をよく読み、達人の教えを多く学ぶべきで、そうして、自らの心の光明が、もの(欲)に蒙(おお)われていて、その愚かな事を知れば、則ち、つとめて、智慧の明らかな者の、教えを受けて、これらの愚を取り除き。それによって、一盲、衆盲を引き(一人の盲人が多くの盲人を案内する、一人の愚者が他の多く...孚聖訓、愚道。

  • 出口日出麿、あいうえお道句。

    あてもなく、生まれて死ぬとは、情けない。いよいよの、時になったら、神様だ。うんの良いも悪いも、神の守護次第。駅へ、着く前に、手荷物整理せよ。お光の射すも、こころの窓次第。解釈のしようで、神示に異論あり。気位を低く、実績あげること。苦労、しただけ、甲斐ある、神の道。結構に、なるもならぬも、心がけ。コツコツと、いろいろ、コツを覚えとけ。幸いは、日本人たる、一事でも。しっかりと、腹に力を作るべし。すくやかに、神苑(みその)の若木、伸びてゆく。せめて、世に何か手柄を、したいもの。卒業で、学問済んだわけはない。たね、蒔いておかねば、刈り入れできはせぬ。ちよろずの、宝こころの、舟につみ。辛い目に、合えば我儘、治るなり。ていさいも大事、心もなお大事。ところどころ、思わぬ所に神柱。なる儘に、ある儘にある世なりけり。荷を背...出口日出麿、あいうえお道句。

  • 孚聖訓、悪道。

    悪とは、何であろうか。我々の日常における想念の中に於いて、不正なる一念邪道に引き込まれるのである。人として生まれた以上は、生まれると同時に悪(人心の欲望)も合わせ持って来たのである。この悪の一字を具体的に述べると、人というものは、美(よ)いものを見れば、そこに惹かれて、そこで悪(欲心)が生じ、財貨というものを、手にする事ができると思えば、そこに悪(欲心)が働き、大きな勢力や高貴な地位を見れば、大いに繁栄することが出来るので、また、そこに悪(欲心)が芽生えるのである。すべて、自分の無いところのものを、もし、これを手にすることが出来ると思えば、なんとかして、これを手に入れようとするのである。このように、すべて、自分に無いところの、ものを手に入れようとする、欲心こそが、念々に人を邪道に引き入れて、悪業を生じる本...孚聖訓、悪道。

  • 孚聖訓、実道。

    実とは、虚に対して言い、幻に対して言い、また、因(原因)に対して、果(結果)を言うのである。全ての人が生まれるには、必ず、その因があり、上は聖人から、下は愚者まで、皆、その自(よ)って来る來源や、因とするところがある。修道の人は、その因に順(したが)い、その果に循(したが)うべきであり、人の身分の高いことを羨んではならず、また、己の身分の卑いことを嘆いてはならない。これが、真実なる実を守るところの一つである。また、虚に対して、実と言うのは、たとえば、現在富貴な身分にいれば、その富貴は実であり、それに反し、貧賤は虚となり、その身分が貧賤にいれば、その貧賤が実であり、それに反し、貧賤は虚となるのである。これがいわゆる、「位に素して、その他を願わず。」ということであり、修道を歩む者は、これに勤めねばければ、なら...孚聖訓、実道。

  • 関羽雲長 関聖訓、氣練道。

    人が道を修めるのには、自ら専一にして、集中することが大切である。一に集中して、他のものによって、惑わされ無い者は、その内候と外功は、自ずから、深遠となって、その運用も自由自在となる。何を専と言うのであろうか。目に専一とするところがあり、これに集中すれば、神は渙(ち)ることなく、耳に専一とすることろがあり、これに集中すれば、その精は漏れる事が無く、口に専一とするところがあり、これに、集中すれば、その炁は必ず凝ることになり、鼻に専一とするところあり、これに集中すれば、その霊は必ず聚(あつ)まるのである。そこで専一にして、これに集中するとは、どう言う事であろうか。それは、みな、後天的な意識が無く、また、有形の色相も無いところから、言を尋ね、意を究めるのである。先天の功候は、本来静定にして、安定しており、それが長...関羽雲長関聖訓、氣練道。

  • 人の生きる道。

    人は、何処から来て、何処に帰るのか。それを悟る人が非常に少ない、人が生まれてから、オギャーと発音し、慈愛ある両親の元で育つもの、親から忌み嫌われる者もあり。また、殺される者もあり。先天の坐を、以て、人は、完璧とはならない。完璧とは、和氏の碧。それは、物である故に、滅びる。我々人には、輪廻があり、肉体は坤に還るが、玉、霊は、吾が真軸に孵る。人は、実に不可思議な生き物である。なんせ、人は天地宇宙の中の、一つの小宇宙であられる。どんなに邪悪な存在であろうとも、小天地を現しておられる。何故、悪が栄えるのであろうか。善悪の概念は、人の思想にして、天地宇宙では、天地開闢からある、普遍の存在である。神に栄える意識無し。人のみが、我や、貴方が栄えると感じるのみ。所詮善悪とは、歴史から観ても、善を為して悪意となり、悪を為し...人の生きる道。

  • 令和五年六月 三六九神示

    艮の金神国常立大神、須弥山なる富士の山に腰掛けて、世界ににらみをきかせ、世の立替立直しの神業を進めておるぞよ。人民の体主霊従(からたま)のやり方に任せておりては、この地球は益々に汚れ穢れ生物も、滅びてしまうから、神が表に現れて構わねばならぬ時節となりたぞよ。艮の金神、陰に隠れて三千年の神図りは、人は更なる禽獣虫魚草木石ころに到るまで喜び勇みて暮らす世の開きでありて、天照国照日の出の神と龍宮乙姫が、先頭に立ちてまず、龍宮界の神々や龍神、縁ある人民を使いて仕組みを進めてまいるから、これまでの表に出て地球を自在にしてきた、思凝霊や人民、早く改心して、霊主体従(ひのもと)の道へ帰らんと、尻に火がつく、泥の舟は沈むぞよ。この前、厳島の龍宮のある広島でG7の国の頭やウクライナの頭も集いて大事な会議をさせたのは、龍宮界...令和五年六月三六九神示

  • 令和五年六月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    始め、美しい富士山が拝され、次に大潮の渦が巻く鳴門が見え、次にヒマラヤの山脈が見え、地中海や黒海の辺りまで見えました。(注地球修理固成(ちきゅうつくりかため)の要、富士と鳴門、艮坤、火水の神線は、ヒマラヤから、地中海、黒海辺りへと延びているのであり、ロシア、ウクライナの戦争も、世の立替立直しの為、今後、戦争はしてはならぬと、目に物見せて、示されているのであろう。)次に、水量多い、那智の滝が拝され、滝の拝所に素戔嗚尊に扮された出口聖師が立たれ、剣をぬき、左右左と祓われると、滝の中に瀬織津姫の神か、女神が現れになりました。(注出口聖師の御霊は瑞霊で素戔嗚尊である。滝の神は、多岐都比売命即ち、瀬織津姫の神であり、海へ出れば、龍宮乙姫となられる。天照国照神の妃であり、祓戸神の筆頭であらせられる。世の大峠厳しくなる...令和五年六月八日、小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 老祖訓、人の救われる道。

    全ての基礎は、自分の心にある。今世及び、来世を救おうとすれば、先ず、自分の身を修めることから、始めるべきである。万行は、一より.始まり、全ての行いの基礎は、一心が自ずから主体となる。末は、本より始まり、彰(あきらか)なものは、微かなものは微かなものより始まる。結果というものは、原因より、始まる。そこで、原因のない結果はというものは、ありえないし、また、結果の無い原因というのは、ありえない。このようにして、一切の因果というものは、この心から.離れる事は出来ないのである。それは、例えて言えば、これがあれば、それに関連して、それが現れてくるし、これが生じてくれば、それに関連してそれが生じて来る。そこでもし、これが無ければ、それは現れて来ないし、これが滅びてしまえば、それよ滅びてしまう。心中の一念の僅かな、差がや...老祖訓、人の救われる道。

  • 合坐合霊道。

    霊とは如何なるモノであり存在であろか。「神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の主体であり、神人合一して、ここに無限の権力を発揮する。」普遍とは、宇宙創造の現象であり、ありのままと言うことでもあり、そして、そのありのままの自然とその現象には、霊が在ると言う事でございます。坐とは如何なるモノでありましょうか。一般的には瞑想と呼ばれ、自身の深奥に至り、また、自然と調和する事と成り得られる道でございます。私は左足がモートン病になった時に、何とか足指を開きのアイテムを付ければ登れるかもと、六甲山剣座へ登りましたが、途中、激痛により、脂汗を流しながら、何とか到着致しました。痛みの為、剣座の前の小岩に腰を下ろし、そのまま、坐をする事にしました。季節は四月中旬にして、藪蚊さん等おいでにならない時期であり、痛みを鎮化する為...合坐合霊道。

  • 雑記道。

    私は、三ヶ月前、左足にモートン病を発症しました。まあ、大した病気では無く、女性では、ハイヒールを履いている女性の多くがなる神経病でありまして、ジョギングのし過ぎでなる病気でもあります。ランニングしている時に何故か痺れる左足の中指薬指。違和感を感じておりましたが、痛くも無く、ランニング後は何の痺れも感じて無い為に放置していました。そして、勤める会社の専属医の整体の先生に聞くと、おそらくその原因は、足首の柔軟性が無いと言われました。何にせよ、走る事は、心肺機能、体力を鍛える事になるのと修行、修道の一環と考えていたので、空いた時間を見つけると走ったり、筋トレをしておりました。ある時、仕事でしゃがみ、爪先立ちで、動いていると、左足裏に激痛が走りました。現在の左官仕事は、しゃがみ、爪先立が多い仕事なのです。痛みを愛...雑記道。

  • 黙真人訓、究坐道。

    坐の真の意義は、ただ、静を凝らすことだけである。どうして、静を凝らさなければ、ならないのであろうか。それは、後天に生まれて來てから、すべて、一切の物質によって、誘惑されるからである。これらの誘惑は、みな六根(目、耳、鼻、舌、身、意)によって、六塵(色、声、香、味、触、法。眼で見て色塵となり、耳で聞いて、声塵となり、鼻で嗅いで香塵となり、舌で嘗めて味塵となり、身に触れて触塵となり、意に着して法塵となる。)となる。知らず、覚らずのうちに、心が外のものに、囚われて、常に妄念妄想をめぐらし、元気を損傷し、それによって、先天の炁は、日に日に、衰弱して、固有のエネルギーを消耗し、尽くすのである。(鬼雷注固有のエネルギーとは、人の魂力であります。今の人は、自己の根源なる親神を知らず、ただ、惰性に、世の習慣の中で、生きて...黙真人訓、究坐道。

  • 令和五年五月 三六九神示

    令和(霊和)五年は天垂敷(あたらし)き四九三(仕組み)の始まりの年であるぞよ。五(ご)は元であり、神意(い)であり、生命(いのち)の元であり、語(ご)の元でもあるぞよ。(注五=別天津神の五柱、五色、五行、五常、五体、五官、五教、五彩、五味、五経、等等。コロナ=五種となる。五はいつつ、「い」である。)この五月八日、元(五)開(八)くと示す日であるぞ。曇り空の雨上がり登る日の出に明けそめぬ。さても、丹後の男島女島は世の元の国常立大神が新しき世を開く大事な四九三をいたしておいたところであるぞ。大本の筆先に「龍宮の乙姫日の出の神と現らわれる世界のとどめの事であるぞよ。」示してある〇九十(まこと)に十大な筆先の証しの地場であると幾度も示してあるぞよ。昇る日の出に照らされて男島には、天照国照日の出の神の出現、女島には...令和五年五月三六九神示

  • 令和五年五月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    始め丹後伊根の新井崎より見える、男島女島が拝され、両島の中程より、太陽が昇り始めると男島から美しい錦の装束の男神が両手に大小の鏡を持ち、矢を背に負い、金龍に乗り出現になり、女島からは、龍宮乙姫の姿の女神が青龍に乗り出現になり、天橋立の上空を舞った後、籠神社の境内に降り立たれました。男神は籠神社の本殿の前に立たれ、女神は、江尻の江之姫神社に桃色の玉を納めた後、拝殿の左横の天照皇大神社の前に立たれました。(注男島女島より、天照国照日の出神と龍宮乙姫連れそられ御出ましの姿を見せられたのであろう。新井崎には、秦の徐福を祀る神社があるが、新井崎は赤土の岬があり、新井は、丹生の転化であり、丹生都比売の神も坐すであろう。龍宮乙姫は瀬織津姫の神と同体であり、天照国照神の偶神である。男神の奉持されている鏡は、息津鏡、辺津鏡...令和五年五月八日、小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 主観道。

    スオアエイ人の魂には、多くの因縁カルマが刻みつけられており、故に、善悪、正邪なる思想も、その人の歩みや修業により、主観は偏ります。多くの魂への切磋琢磨は、磨かれる人がおり、研かれる人もおられ、また、身が枯れる人も当然におられます。傷が練磨となる人もあり、傷が乱魔となる人もあり。昭和の時代、神人合一された方は、昭和天皇であり、また、佐藤愛子さんの著書「私の遺言」に出て来る、神界から来たとされる相曾誠治さんも昭和の時代に神人合一された方でもありました。相曽誠治さんは、1910年に静岡県に生まれ、1999年に亡くられておられます。大変に皇室を大切にされ、大嘗祭を重んじておられました。彼は謫仙(天上界より、人間界に追放された仙人とされるが、実際は、主神のより、使命を受けられた方。また、土佐の神仙たる宮地水位師が神...主観道。

  • 令和五年四月 三六九神示

    三千世界一同(いちど)に開く梅の花。艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める神国の世になりたぞよ、と。明治二十五年旧正月、丹波綾部の出口直刀自に筆を持たせ書かせた、艮金神国常立尊、三千世界の年月契、封印解けた初声であるぞよ。厳寒の冬を堪えて花咲く梅(埋め)の花。この地球も修理固成(つくりかため)た、国常立尊は、三千年、艮(うしとら)の方に、鬼や蛇じゃと.封じ込まれ、厳寒の冬の如き艱難辛苦を堪えながら、陰から、現の世の守護を致してまいりたぞよ。丹後の荒海、絶海の孤島、女島に封じられ、龍宮乙姫が御仕えして、お世話を致し、陸の真名井原磐座から、御祭りを海人族がいたしてまいりたのであるぞ。龍宮島女島へ隠棲いたしたのは、時来れば、隣の男島より、籠宮に鎮まる、天照国照日の出神、龍宮の乙姫つれそうて、お出ましの仕...令和五年四月三六九神示

  • 令和五年四月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    紀州熊野の伊邪那美命の陵と伝えられる、花の窟と、その前の火の迦具土の神の磐座が見え、次に伊邪那美命と迦具土の神を祀る産田神社が拝され、その前に白衣の女神が赤い布でくるんだ、赤児をだき、にこやかな顔で御立ちでありました。(注伊邪那美命は火迦具土を産まれる時、火傷して亡くなり、我が母を殺した子を怒り、父なる伊邪那岐命は迦具土の神の首を切り給うと言う。この事は、自然現象ではマグマ(火迦具土)が山頂を吹き飛ばし、溶岩が山を焼く、この地球の修理固成の様であり、又争いは親子夫婦近親の争いから始まり広がる事を示されている。火は天の太陽だけで無く、この地球の底にもあり、マントルやマグマは火迦具土神であり、天照国照日の出神は、太陽の氣と地球の底の火気一体となりて、神霊(みたま)が成っている事を示されている。産田神社の母子の...令和五年四月八日、小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 超抜冥修道

    人は、死ぬ。例え、それが聖人であり、仙道の奥義を究めた仙人でありとも、神人合一を窮めた神人でも然り。神界、神仙界なる世界は存在する。そこは、やはり、死んだ魂がおもむきます。もちろん、天国と地獄は存在し、其処は、自己の想念、思念により赴く世界でもあります。それは、真実でございます。日本古来の神道で言えば、隠り世であり、人は死ねば、魂は、神に還り、魄は、大気に返り、肉体は地に帰るのみです。故に、神道では、教えはありませんが、神なる根源に戻り、また、復活を致します。隠れたら、また、必ず現れるからです。佛を述べれば、人が死ねば葬式があり、その想念の流れは、三途の川があり、姥捨が俗世の着物を脱がし、魂魄は、人生の功罪により、閻魔の裁きを受けます。子孫は、先祖にあの世で幸せになって欲しいために、戒名をつけて、お寺にお...超抜冥修道

  • 令和五年三月 三六九神

    時は流れて止まらず、歳月は人を待たずと申すぞよ。辛くとも悲しくとも、今の一刻、今日一日有難く大事につとめねば、ならぬぞよ。(注言霊は神也と申すが、時の流れその間をもって神の仕組みは現れる、時は神也とも申せる。)扨もロシアとウクライナの戦争が始まって早や一年。時日のたつのは、早いものであるぞ。戦い治る兆しは見えず、犠牲は増すばかりじゃ。ロシアもウクライナも、我が正しいばかりで争い、折り合いはつかず、要の外れた扇の如く、治めようも無い有様であり、頭(かしら)と立つ者、引っ込みがつかず意地を張り合い、犠牲になる者が増えるのが判らぬのか。国常立大神は、黒海に居る眷属の大龍神にトルコの大地震を起こさせて早く戦争を止めよと警告を発しておれども、地震は自然の働きと神の意を解する者無く、一つも改心いたさぬから、言うても聞...令和五年三月三六九神

  • 令和五年三月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    薄暗い夜空に大なる赤龍が赤黒い炎を吹きながら舞い、その頭上に大きな赤鬼が乗り龍の髭を持ってあやつるが如く上に舞い上がりながら、ロシアのクレムリン宮殿、そして、中国の紫禁城、上空を行ったり来たりしており、その龍の後ろに小さい赤龍が何頭もついた.飛んでおりました。(注赤き辰や赤い鬼は、ロシアや中国の事であり、小さい龍は、ロシアや中国に従う国。)次に出雲の熊野神社の神楽殿で、出口聖師が素戔嗚尊に扮し、八岐大蛇退治の舞をされていました。(注八岐大蛇は頭がたくさんあって、治らぬ体主霊従の今の世界を象徴し、その退治、即ち世の立替立直しに、素戔嗚尊が活動される時代である事の御示しであろう。天照大神を厳霊とすれば、素戔嗚尊は瑞霊となる。)次に兵庫県豊岡市にある、海抜五六七mの来日山と九州上五島に海抜三六九の丹那山の一二三...令和五年三月八日、小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 内流道。

    何を内流と言うのであろうか。神と人とが、他人、宗教、教祖と関わらず、神と一対一に直接に交わる。それを内流と呼ぶ。ちなみに、守護霊や眷属神との会話とは、大分意味が違う。スピチュアルの世界では、人を教育し、守る守護霊があるらしい。人を守る為の霊。また、反対の人を害毒する為の霊。まあ、守護霊云々の御伽話に頼れば、世界には争いは生まれるはずもない。なんせ、人には必ず、守護霊が教育すると言う。しかし、邪悪なる因縁霊や悪魔的要素が、人を惑わすと。いやいや、人が神と親しむ時代の太古には、守護霊もいないし、因縁霊や悪霊も居なかった。霊界の増大は、人の私欲、智慧、人の産み出す想念に伴っている。仮に守護霊が太古から居れば、教育宜しく、戦争なんて起きるわけがない。人と人との争いは皆無である。例え農作物による、指導者と従事者との...内流道。

  • 孚聖訓、劫道。

    沙宝。雲宝。孚聖、妙山より、命を奉じて来たる。紛紜たる、世劫。道は昌(さか)んに、なり難し。黒闇の夜長く。夢も亦、長し。首を回(めぐ)らせば、白雲多く変幻す。田は滄海に帰し新桑に変ず。世上の劫は已むことなく、人心は陥溺して、これを救うにも救うことが出来ず、これを消すにも消す事ができない。ここで劫を消したとしても、あそこで、劫が大きくなり、絶えず、劫を消していっても、劫は、益々大きくなっていくのは、どうしてであろうか。どうして、科学が昌明(さかん)になれば、なる程、災劫が益々荒れ狂ってくるのであろうか。たとえ、多くの災劫の発生を観て見ても、人事で想像が出来ない程、悲惨である。戦禍や、水害火災、震災、空の難、海の難などが断(た)えず、発生しており、また、各種の癌性の腫瘍、新型コロナウィルス、エイズ、エボラウィ...孚聖訓、劫道。

  • 黙真人訓、神道。

    道を学ぶ者は、必ずその身を調柔し、その気を調柔して、はじめて神に合し、最後には想念がともに止み、気息も又尽きて、はじめて無に合するのである。何故に、神が無に合して、はじめて道に入る事が出来るのであろうか。それは、天下の物はみな、有より生じて、有は無より生じてくるからである。調柔の二字は、調について論ずれば、調整、調養、調正などなど、一様ではない。柔とは則ち、和である。身を調正するとは即ち、道の理によって身を修めるので、身が調わなければ、則ち精を損ない、その行為は不当で、でたらめとなり、その行動は傲慢となるなど、一様ではない。その身を調柔するとは、その身の不当なところを調和して、当を得るようにし、不和なところは、以て和を得るようにし、不正なところは以て正を得るようにすることである。故に身が調柔しなければ、精...黙真人訓、神道。

  • 黙真人訓、天道。

    天理良心は、自然に基づくものであり、私情に偏った人欲を、どうして欲しいままに、する事が許されようか。世間の多くの聡明なる者は、誤って、貪り欺くことを、真理と解している。天が人に授けた理。これを、天理と、言う。この、天理がどうして、能(よ)く知り、能く明なのであろうか。それは、良心だからである。良心とは、良知良能である。何を良知良能と言うのであろうか。それは、知らずして、知るのがこれ、良知で在り、能くする(習得による事無く、自然に能くするを言う)のが良能である。天の人に授けるところのものは、本来は公平無私で、心を差し挟む事無く、人々に対して本来均等である。従って、人々は皆、聖賢仙仏となることが出来るのであるが、何故、人々が皆、聖賢仙仏となる事が難しいのであろうか。これには、多くの研究の余地がある。天から授け...黙真人訓、天道。

  • 黙真人訓、修道。

    時のある所、機がこれによって生じてくる。機は、どうして生じてくるのであろうか。吾が心の感応によるのである。吾が心はどうして、能(よ)く感じるのであろうか。それは、一誠が中に蔵され、運(めぐ)るからである。中は炁霊感化の本である。心が道慈に在りて、大公至正の心で、偏った欲望の私心(利己心)が無くして、はじめて、感応の顕現は、吾が心に悟るのであり、吾が心は一虚空の包(宇宙)であり、能くこの能力がある者は、功候の修進にある。功のあるところ、候を養うところは、均しく平生の人に応待し、物に接し、世に処して、事を処理する上において、テストするのである。たとえば、心が能く止水の如く、また明鏡の如く清らかで、事物が発生して来るや、ひとたび、照らして、そのしかる由縁の故を知り、そのしかる所以の理を明らかにし、その事が過ぎ去...黙真人訓、修道。

  • 三六九神示 大地がフルウ道。

    さあ、ドンドン、オノコロ、オノコロ、淤能碁呂嶋が動き始めたぞ。さあ、団子をこねるぞよ。吉備丹後(黍団子)じゃな。キビダンゴを、オノコロオノコロ、まるめてさあ、串をさすと言う、さあ、どうじゃ。キビダンゴをこしらえて、日の神様、月の神様に御捧げ申すぞ。さあ、ドンドンさあドンドン、ちょっとな、仲なか、上手に丸くならぬ。さあ、そこで、水かげんと言うな。結んで開いて又、結ぶ、こねて、こねて、こね回す、するとねばりが出るのじゃな。これからの日本もこねまわしの始めじゃな。もっともっと、練らねばならぬ。さあ、神界の吉備丹後(黍団子)と言うな。黍団子が出来ぬと鬼退治が始まらぬ。政治の世界もコネマワス、真の桃太郎出(い)でませる準備じゃな。練るぞ練るぞ、結んで開いてと言うな。古き世の型崩れてゆく。粉々になって、その粉にまずを...三六九神示大地がフルウ道。

  • 三六九神示 雪道

    この度の北陸の大雪は、白山菊理比咩の神、九頭龍と化し、浄めの息吹であるぞよ。人民大雪で困って居るが、雪は水となり、万物を育てはぐくむ事となるのじゃ。降る雪には白山比咩氣が入っておるぞ。浄め満ち充つぞ。白山菊理比咩御現れの雪じゃ。さあ、雪道は、最初に歩む苦労をいたすぞ。その跡を皆ついてゆくのじゃ。道にまよう人民を救わむと現れた聖人達の苦労を忘れてはならぬぞ。救世の神霊(みたま・九聖の神霊)と称えて奉らむ。感謝せねばならぬぞ。先人の道開きの苦労ありて、今日があるのじゃ。さまよえる現の世に、言うに言われん苦労いたして道を開きし聖人達。救世の神霊を称え奉らむ。さあ、降り積む雪にも感謝なされよ。春となれば、溶けて流れて水となる雪、姿は消えてしまうのじゃ、苦労と言うのもそんなものじゃ。苦あれば楽あり、禍(わざわい)転...三六九神示雪道

  • 潜道

    密かに、潜り、道を修める。神の道とは、他人に知られず、褒められず。誉められず、自己責任にして、見返り無く、ただ、天の命のままに、それを行うのみ。故に、他人の評価は決して、得られない。もし、神事にて、自己の行いを宣伝しているならば、それは、人事の行いにて、無形なる、神の道ではありません。神の鳴る、道とは、他人の評価を必要とせず、人知らず、行うのみであります。それは、人が、行う、修道、道を修めるについても、同様であります。神業なる言葉が、ありますが、神は火水であり、嚼むであり、業とは、因果律であり、カルマであり、人の働きであり、合わせれば、無為自然なる実相を誠意にて、自らの自神(自身)を示す道でもございます。その自神が示す道をに於いては、毀誉褒貶は全く無用であり、ただ、神命、天命のままに、自己だけが知り、四知...潜道

  • 令和五年一月 三六九神示

    丑寅の年を送りて迎えし卯の年であるぞ。卯は東方の日の出の時であり、穏やかな年明けでありたが、その裏に予測通りにまいらぬ、変転奇象の事も起こる厳しさがある年のめぐりとなるぞよ。艮の金神国常立大神、三千年の四九三を実らせてまいるのが、日の出の神と龍宮乙姫の働きであり、その四九三の型を日の丸扇に見せてあると申してあるぞ。現の世では、男島女島の間より昇る日の出で見せてあるが、世の闇を晴らす、日の出の光を、さえぎらんと、北から迫り来る黒雲、北西から吹き来る風強し。その事は、現の世に神人和楽の三六九世を開かんとする、日の出の神の出現を思凝霊等が黒雲となりて、さえぎらんとする様であり、現の世に於いては、日出る和の国、日本の国の台頭を、おさえつけ従わせんとする大国の圧力とも申せるのであるぞ。赤き辰や赤鬼の手先になりておる...令和五年一月三六九神示

  • 令和癸卯五年一月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    男島女島の中程にある、中津神の岩の上に、塩椎(水火土)翁が立たれ、表裏金銀の扇面の日の丸扇持ち、海の水平線の方へ向かい、あおがれると、海上より太陽が昇り始め、海面は金波銀波に輝きましたが、太陽をさえぎる如く、北方より黒雲が迫って来ました。(注塩椎翁は大綿津見神(海の御中主)の変化である。世の闇を晴らす、日の出の神の出現であり、それをさえぎる黒雲は、これまでの世の中を自在にして来た、思凝霊の体主霊従の氣であり、日の出の国、日本の台頭をはばむ、外国の圧力であろう。)次に和歌山新宮の神倉神社の磐座コトブキ岩が拝され、その岩の上に、三つ足烏が居り、岩の周囲には、澤山の烏が居りました。飛び立って熊野本宮、大斎原の上を飛び、熊野三山奥の院、玉置神社の方へ飛んでゆきました。(注熊野神宮の神倉神社は、熊野を開かれた高倉下...令和癸卯五年一月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 三六九神示 国祖への道

    現の世の初発の時、国祖国常立尊は、神霊(みたま)を分ち、それぞれの神に役目を持たせて世を修理固成(つくりかため)たのであるぞ。あまりにも厳格なきびしい神でありた故、下々の神々は不足を申し、挟蝿(さばえ)なす如く荒びて治らぬようになりた故、やむえず、艮(うしとら)へ隠退いたし、陰から世の守護をいたす事となりて、それ以来、表に出て居る神々や人民の自由自在に、構う世となりたのであるが、是も深い神策のありての事であり、確(しっ)かりと、現の世が構いてゆける人民に育つように、苦労もせよ、頭打ちもして目醒めよと、陰から見守りておりたのであるが、利己主義の念の凝りた思凝霊の力が強くなりて、表に出ておりた神々も、手のつけられないような世となりたのであるぞ。もう、これ以上、思凝霊の自在にさせては、おけぬと、時節まつりて、艮...三六九神示国祖への道

  • 三六九神示 悪の道

    人間肉体を持つからは、誰も利己主義(われよし)の心あるぞ。皆、氣をつけねばならぬのが、思い上がりの心であるぞ。宗教を信じる者は、特に氣をつけねばならぬぞ。自分の思いが最高に正しいと思いておるから、独善となり、他に悪をつくるのじゃ。神々と言いながら、一所懸命、真の神の心から外れてゆく事もあるぞ。宗教も思想も同じようなものであるぞ。凝り固まったら、自分等だけが正しく、他は間違いの如く見えて、悪を作りだしてしまうのじゃ。神等あるか無いか、自分に判らぬから、神など無いと言うのも間違いじゃ。人間には判ろうが判るまいが神は在るのじゃぞ。草木石ころ一つ作れぬ、人間でありても、天地自然の恵みによりて、生かしておるのじゃぞ。少し霊能がありて、神の姿等、見えたら、偉い者になったように思うのも、思い上がりであるぞ。霊能があろう...三六九神示悪の道

  • 伏見稲荷山道2。

    伏見稲荷山への登拝です。伏見稲荷大社は観光客が多いので人の少ない早朝に参拝致します。まず伏見稲荷本殿と奥宮を参拝。その後、神宝神社に参拝。大岩神社を目指します。大岩神社。此処の神様は、その神社の鱗型紋章から、アメブロブログ玉置の森ブログ、玉置の森さんは、蛇か龍かの話しでありましたが、この謹書を読むと実に、太陽神と関連しているようです。三輪山の神とも関連しているとも考えます。まあ、真実なる神は、己を名乗らず。吾が師、至聖先天老祖も、吾は姿も形も名も無く、どのように唱えても良いとされて、おられ、金光大神(金光教の教祖)も、神様は、各自、好きな神様の名を挙げれば良いと、申されております。しかし、此処も、あそこも、太陽の神と縁が有るとは、善きかな。此処は、私のみ、唯一人が祀る磐座。場所はだいたい知っているのですが...伏見稲荷山道2。

  • 三六九神示、神の御用道。

    神の御用に立つ者は、一度は、生きながら死んでくれよと申してあるぞ。死んでくれと申すのは、現の世を去る事では無いぞ。いらぬ、悩みや苦しみの利己主義(われよし)の思いを捨てて、蘇り生まれ替わりて、神に生かされ、活きる勇気、喜びを知る、真の神民になれと申すのであるぞ。人の思いは一つで無く、神から授けられた御魂(直霊なおひ)の神理を見る、慈悲仁愛の正しい思いと、御魂の器(うつわ)である、肉体の霊(魄)の我を守らんとする、利己主義の思いがあるのであり、渾然として心に映るのであるぞ。肉体は現の世に人の種が成りてより、この方、子々孫々の血のつながりを持って、今まで続いておるのであるぞ。何時しか、元の土に帰らねばならぬ肉体であるが、御魂が現の世で働く為には、生宮として肉体も大事なものであるぞ。されど、肉体霊の我を守らんと...三六九神示、神の御用道。

  • 食道

    先ず始めに、天と地の狭間にて、穀物を育てる人は、宝であります。吾が師、至聖先天老祖は、水から生まれた人は、穀物によらねば生きられず、火による暖が無ければ生きられないと、言われております。故に、農作物を育て、人に貢献されるお方を神様は、国の宝と示されているのでございます。農作物を育てる人が少なくなる中、懸命に育ててくれてありがとうございます。何時頃であろうか。コンビニの弁当が臭く不味く感じるようになったのは、若い時は、朝飯代わりに飲んでいた缶コーヒーが不味く、味に嫌悪感が感じるようになったのは。私がまだ、小学生の頃、食べた玄米が美味かったです。米が口の中で踊っている錯覚があり、それ程美味さを表していました。今の人は、あまり玄米を食べませんね。白米が主食の方が殆どであると思います。徳川幕府の時代、江戸では白米...食道

  • 三六九神示、剣の山道。

    剣の山。剣とは、鶴亀(つるぎ)の事でもある。されど剣とは、九十八(言葉)の事じゃぞ。神と人も人と人も九十八で通じ合いておるのじゃぞ。その言葉の奥に言霊(九十0)があり、光があるのじゃ。これまでの世は人や切る言葉の世でありた。片刃の剣じゃな。これからの世は活人の剣を振るえよ。九十0(ことだま)、九十八(ことば)、0九十(まこと)、大和の道を開く要(かなめ)であるぞよ。剣であるぞよ。ン。先に九十八(ことば)は剣と申してあるな。元々は諸刃の剣で、世を治める象徴(しるし)でありたぞ。剣が片刃の刀となりて、人や切る武器となりたな。さあ、これは偽りの言葉、利己主義(われよし)の言葉の事じゃ。これまでの世は、偽りの言葉で塗り固めた世で、嘘も方便と申して来たが、これからの世は、元の神代の如く、0九十(まこと)の剣(言葉)...三六九神示、剣の山道。

  • ブログ道。

    いつも水仙さんを虐めるブログ、「爺の独り言+」さんに、コメント欄にて、呪、いえ、祝を述べたら、爺い様は、コメント欄を閉ざしてしまいました。人の文言を悪しきに、とり、赤ペン先生、青ペン先生と称して、一心さん、水仙を添削するなどと、称して、ひとを誹謗中傷するブログでございます。ああ、私鬼雷にも添削して欲しいとも、お願いしております。すみません。頭が悪い者でして、誤字脱字には、自信があります。いつもすみません。いずれにせよ、人を虐めるブログは、要らない、また、天も我も許さない。この「爺いの独り言+」を見れば、そして、被害を受けている水仙さんのブログを見れば明らかであり、「根暗爺いの独り言」と名を改めて欲しいです。水仙さんは、耳が悪いらしいです。その最中、ネットと出逢い、自己の発露を遺憾なく、発揮出来る場が出来ま...ブログ道。

  • 神業なる道

    ああ、人類の歴史とは、戦争の歴史である。ああ、滅びるかな、道。ああ滅びるかな、人類。道は滅びず、人類が自ら滅びへと誘導しているのである。この情報化社会.互いに共存する中で、善なる働きと、悪質な働きがある。神の道に生きる者は、善悪の情報は鵜呑みにせず、ひたすら、吾が神を顕すのみ。多くの神人は、人類の業を肩代わりして、次世代へと繋ぐ役割がある。それは、人知れず行う御業なり。されど、神業を繋ぐ役割があり、神界より、その是非を伺い、顕す事もある。神の業とは、簡単に述べれば地球の苦しみを我が身で受けることである。蓋し、人なる身でそれを受けるのは、地獄の拷問より凄まじい。故に神もまた、それを乗り切らせる為に守護するのである。金光大神師、出口直刀自、王仁三郎尋仁聖師、日出麿運霊師、五井昌久昱修師等はそれを為して来られま...神業なる道

  • 先天坐道雑記11。

    最近は、ジョギングし、身体の代謝を上げた後に、筋トレをし、真経を学び、坐すれば、慶びが倍増します。人にとって、身体は、とても大切であり、身体をおろそかにし、精神や心だけを大切にするのは、真の霊主体従の道では無いと、思う日々であります。身体を造るのは、水や食べ物であり、それを消化吸収する内蔵であり、脳髄であり、血液筋肉運動であり、螺旋する氣であり、心であり、本性であり、神に連なる魂であり、宇宙を運(めぐ)る霊でもあります。もし、この世で病を経て、亡くなる事になれば、その人の生成化育の神業は、害(そこな)われます。魂と肉体は、別物では無いからです。相互互助。魂が清いから、魂のみが神界に行ける訳でも無く、清い魂の持ち主でも自殺したら、当然に地獄に堕ちるが如く、魂肉は不二であり、常に一体であります。戦争で殺し殺さ...先天坐道雑記11。

  • 令和四年十二月 三六九神示

    今日のこの日は、先の大戦の開戦の日であるぞよ。先の大戦は、日本だけでは無く、アジアやその他の国々の辛く悲しい大きな犠牲を重ね、その上、日本には原爆を落とされ焼野ヶ原の中の敗戦となりたが、先の大戦は大きな犠牲を払いし日本、三千年の大禊であり、自由を封じられていた大なる岩戸開きでありたぞよ。天皇自ら二度と戦争せぬから日本の国を残し欲しいと神に誓い、神も人も、自由に働ける世になりたのであるが、外国の流れに振り回されて再び軍備増強と時代を逆のぼらせる如き動きのある事は、気をつけねばならぬこの時であるぞ。扨も、修聖には、龍宮界の図りによりて、子供の頃から神や佛を祀らせて遊ばせたのは、その末、神の取次をさせる先がけありたぞよ。長じて昭和四十一年十一月、二十三歳のおり、但馬豊岡の光之道(宗教法人)へ奉仕させる事となり、...令和四年十二月三六九神示

  • 令和四年十二月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    修聖、子供の頃(小学高学年から中学頃)、家の庭に、カマボコ板を割り、柱となして土に打ち、その上に古瓦を乗せて屋根となし、向かって右に神の宮、左に佛の堂を造り、神の宮には、石を御神体にし、小さい幟(のぼり)も立て、佛堂は、自ら彫った小さな佛像を祭り、僧の人形を作って堂の中に入れ、遊んでいる様を、庭木の中から、白髪白髯の老神と、龍宮系の女神が見ておられる様が見えました。(注長じて神の御用をせねばならぬ、先がけの型をさせられたのであろう。老神は塩土翁、女神は龍宮の乙姫であろうか。自らは何とも思わず、神様遊びをしていたが、人から見れば変わった子と見なされたのであろう。世界平和や、縁ある人の倖せを祈っていたと思う。佛像は今も何体か残っている。)次に但馬の神鍋山の上空に、金勝要神の神霊石(みたまいし)をくわえた...令和四年十二月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • クリスマスイブに述べる道。

    イエスが生誕した由縁は、一重に、慈愛あるのみ。それは、釈迦意識に繋がり、すべての人を幸せにしたい。キリスト意識ともいう。イエスも釈迦も水より樹木と生誕し、自然の調和を愛する大樹の化身でもある。いや、その水より人と成らず、水より大樹となり、そして、人と生まれたゆえに、人意識よりも、より、主一無適なる静寂を悟り、涅槃ヘ辿り着きた存在でもあります。故に、争うことをされず。競うことをされない。植物は、競わず、群れても同調せず、個により、成長する。いにしえの人は、全て、水より生まれたが、生まれ変わりがある以上、人は、木や、磐から、生まれた人に劣るなり。人は知恵があり植物を下に見る。そして、人は、物に乱れるが、樹木や岩石は物に乱れず。ゆえに、太古の樹木岩石は聖人となり、人は愚かになり、物に、左右されやすい。小人閑居し...クリスマスイブに述べる道。

  • 善と悪の別れ道。

    ああ、人は善と悪に別れる習性がある。その善悪は、常に人の主幹に寄る。なんせ、神に善悪は無い。たぶん。無極であるが故に。吾が師、老祖は、善悪を含む中、人に於いては、その善なる活動を臨んでおられるが。神は鳴り響き活動されるのみ。道を求める者は、常に、ふんわり、心を浮かさねばならない。何事にも囚われては、鳴らない。この善悪響きある、世界において、ただ、空を無を求める。雲の様に流されるのみ。太陽の様に、熱を帯びず、大地の様に、震わず。ただ、月の如く、夜空に反射するのみ。月の裏には、重大な秘密があろうとも、月は、優しく人を護るのみ。身体には、南極と北極とがあります。南極に、文明あり。北極に試練あり。これは、頭脳と、体幹のサトシ。脳よりも、腹を括る。人の身体が宇宙を示されておられる証でもある。いや、南極たる、天庭も、...善と悪の別れ道。

  • 令和四年十一月 三六九神示

    今日のこの日は、日月地と天王星、一直線に結ばれる、真に大事な月食の日であるぞよ。宇宙の氣も新しくなり、この地球も新星に向かい、一段と立替立直しの神業が世界に進むぞよ。(注日月地、天王星が重なる皆既月食は千五百八十年以来四百四十二年ぶりの事である。千五百八十年は土星食であった。)先月の神示には、日の丸扇が神の四九三の大本の型であると申してありたが…さあどうじゃ、扇を開き、手にもてば、要(かな)は、手の中に隠れてしまうであろうがな。人に現の世を任せて三千年。扇の要を手にかくし、人間だけの世の中であると思い上がり、肝心要(かんじんかなめ)の神あって生まれた人の身である事を忘れて、頭でっかちとなり、人知人学で何でも自在になるものと、我が我がで…争いをいたし、未だに大事な人の生命を犠牲にしながら、国取合戦をいたして...令和四年十一月三六九神示

  • 令和四年十一月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    出雲の日御崎神社の上宮、下宮(日沈(沈)宮)が拝され、続いて、国譲りや国引きの神話が残り、旧暦十月十日には、神迎えや龍蛇迎えが行われる行われる稲佐の浜が見え、水平線に太陽が沈むと、浜にある大きな岩の弁天島に金色に輝く、大黒様が立たれ、日の丸扇を開き、海へ向かい招く様に扇をあおられると、海上に金銀の龍や、色とりどりの龍が渦をなし、玉の如くとなって、浜の方へ、向かって来る様が見えました。(注日御崎神社は、厳霊系(いずのみたま)系の天照大神を祀る下の宮と、瑞霊系(みずのみたま)の素戔嗚尊を祀る上の宮とがあり、厳瑞結びの型を示されている。下の宮は日沈(沈)宮と称される。それは春分、秋分の日、千葉県房総半島から登った太陽が、丹後の男島女島の間を通り、日御崎の沖に沈む故である。伊勢系は昇る日を、出雲は沈む日を尊崇する...令和四年十一月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 三六九神示、身魂磨き。

    人の身は、神の御魂の生く宮と申してあるぞよ。神々は、天地世界、大自然を宮として鎮まり、創造化育の神業(かむわざ)を進めてあるが、高天原の神の四九三(仕組み)を、この地上に実らすにつけては、八百万の神々は神霊を分ち、人の身に鎮め、この地球に住まわせて、地上天国(うましみくに)を開かんとせるのであるぞ。人の身魂は、神氣霊氣の受信器であり、発信器と四九三(しくみ)であるぞ。神界や霊界の氣を受ければ、様々の霊も憑って来るから、常に我が身を神の鏡(神意)に照らして正邪を審神(さにわ)しておらねばならぬぞよ。思い上がったり、利己主義(われよし)の思いでありたら、善き神は憑って来ぬぞ、響いて来ぬぞ。神は霊、人は体と申してあるが、人の身が善き思いに磨かぬと、神界で善き事を計りても、現の世に実らぬのであるぞ。余りにも、利己...三六九神示、身魂磨き。

  • 三六九神示、大江山。

    新緑に藤の花映える、大江山へ修聖他二名の者、久々に登らせ、御嶽明神(鬼嶽稲荷)へ参らせて、平成八年の神業の変動以来の守護の御礼を申させたぞよ。大江山は古代丹波の要、丹後の重要な守りの地場であり、豊受大神の分霊、倉稲魂(うがのみたま)の神が鎮まりて、長らくの間、丹後を守りたと申してあるが、元の神魂は、国常立尊であるぞ。諸神から恐れられ、それ故に大江山は、鬼の住む山と言われたのであるぞ。大江山の山頂、千丈ヶ岳は、天橋立から坤(南西)方にあたるぞよ。扨ても昭和六十二年から神業を共になした者等の中に、真名井ヶ原を我が身に等で自在にせんとする野望の者あり。次第にその正体を現し、海部家や修聖にも反抗するようになり、平成八年の夏、その動きは一段と激しくなって来たのであるぞ。修聖は何とか円満に納まる事を願えども、相手の思...三六九神示、大江山。

  • 三六九神示、縁。

    人民が救う役目の宗教も形ばかりとなり、佛事も真の救いの力を失いて、殿堂伽藍を守る事や金儲けに走り、人民も我さえ良ければ良い、今さえ良ければ良いの、利己主義(われよし)の道に落ちいり、国の政治を司るお偉方も仁慈誠信の道を忘れ、党利に走る。世界の国々も核兵器で威嚇しあい、その末は戦争いたしても、経済の発展じゃと申すような今の世は当に末法の世であるから、神理の道を外れて、利己主義のしたいほうだいでは、世界が潰されてしまうから…男島女島や天之橋立真名井ヶ原が世の元の神、出現の御地場である事を証して、そこから神力を発動なし、神理の判る、誠の御魂を引き寄せて、世を立直し、現の世が万劫末代続く事を神界は願いておるぞよ。されど、噂を聞きて、どえらい神様がおわすところだから、どんなお陰でも、もらえる所かと、御蔭信心で真名井...三六九神示、縁。

  • 荘子物語、自分自神を知る道、心斎2。

    中国では、数千年前から天地日月星辰の動向を把握して暦を作った。このように、遥か遠くある日月星辰を明確に捉えているが、最も身近な自分自身の事については、全く無知である。そこで荘子は、自己の内面を開発する具体的な方法を提起している。それは総括するのが荘子の「心斎」の二字である。「心斎」とは全ての煩悩や妄念、妄想をきれいに洗い流して心を清浄にすることである。それを日本語では、「みそぎ」と言う。「みそぎ」とは、一身の罪や穢れを水で取り去ることである。(鬼雷述べる。先天坐でも、水を主体として、様々な穢れを浄化する。自ら身体の虚の中で生成した炁水により、客火(欲望の火)を化し、炁火とし、炁火が炁水と交わり、水火既濟の象を示し、全ての災いの元なる劫を弭化するのであります。)また、儒教では、己自身の煩悩や欲望に打ち勝って...荘子物語、自分自神を知る道、心斎2。

  • 荘子物語、自分自神を知る道1。

    荘子は、孔子の名を借りて、一つの物語を紹介している。「昔、一羽のカモメが魯の国の宮殿に飛んで来た。魯の国の王さまは、この珍しいカモメを尊重して、宮殿の中で飼う事にした。そして、最高の音楽を演奏して、このカモメの歓心を買い、更に美酒や美食を以って歓待につとめた。しかし、この世にカモメは困惑し、戸惑って、美酒を、飲まず、美食を口にせず、悶々として、楽しまず、三日にして死んでしまったのである。」荘子が言うには、これらは、人の考えをカモメに押し付けて失敗したのである。カモメを飼育する方法を以ってカモメを飼えば問題は無かったのである。仮に、人の好みや礼儀作法を以ってカモメに強制しても、カモメはこれを、全て受け入れることは出来ず、カモメの習性に任せるのである。このような考え方や、やり方はわれわれの日常の生活に、於いて...荘子物語、自分自神を知る道1。

  • 小宇宙道

    人は、矮小であり、勝手であり、我のみ良しであり、我が一族郎党の幸せを望む。人の小我は、つまる所は、詰まらない。それが魄を持つ人種である。様々な銀河から、錘太し、地球に堕ちて来た存在もあり、樹木、草花、石が炁に触れて、晴れて、人なる種へ臨んだ存在もあり、哀しみの輪廻を繰り返して、地球に依存する魂魄もあり、神界の使命ありて、再三再誕される神人もおられる。複合共鳴体の魂が地球に集うのである。全ては夢物語。しかし、肉体を持ちて、真実証を未だに、悟れないのは、現世のみを見るからである。我がある故に我が在る、物質次元のみを識るからである。今の人の心の病を癒すには、前世と血筋の因果を究めねば、それを治療することは出来ない。医者と精神科医は、人を迎合し、言葉を合わせ、病名を作るのみ。善き医者は、病を癒す手助けをする。つま...小宇宙道

  • 黙真人訓、月燈三昧経道。

    仏教の月燈三昧経で、お釈迦様が言われるには、或る人が冥坐しておられた、この冥坐とは、黙坐(黙して坐す)のことである。この冥坐には、十種類の功徳やご利益がある。この十種類とは何であろうか。第一に、心が澄んでいて、濁らないということである。第二に、心が住(とどま)っていて散乱しない。第三に、三世の諸仏が加護してくださる。第四に、正法(正しい覚りの行いや方法)を実行する。第五に、仏の慧智を疑わない。第六に、恩恵を疑わない。第七に、正法を誹謗しない。第八に、善く戒律を守って犯さない。第九に、調伏に到る(身・口・意によって作られた三つの罪業を消滅して心身を調和する)のである。第十に、四つの無礙智を実証する。この十種類の功徳や利点について、討論してみよう。これらは、静黙の坐の全ての工夫を説明している。坐によってこれを...黙真人訓、月燈三昧経道。

  • 酒仙済仏訓、元気道。

    人の初めの炁は天地である。天地の炁は炁胞である。天地人は一炁胞を本として、貫通感応するので、自ら天然の関係があるのである。故に人身は一小天地であり、天地は一大人身である。養生家の言に、「天下の人は生を養う事が出来れば、病を無くす事が出来る。医科の著書で言うには、生を養うところの要点は元を保つより大なるものはないと。元を保つというのは、元気を保存することである。」おもうに、人はこの世に生を受ける初めに、既に定まっている分があり、この定まっている分というのが元気である。これは、視ようとしても視ることができず、これを求めようとして、求めることが出来ず、気血の内に寓していて、気血の先を宰(つかさ)どっており、五臓の真精はみな元気の分体である。その根本の所在を道教では、これを丹田と言い、難経では、これを命門といい...酒仙済仏訓、元気道。

  • 令和四年十月 三六九神示

    この西暦二千二十二年は年頭に世界の大禊の年と申してあるぞよ。万象崩壊、建設と破壊、立替立直しの神気激しく起る年であるぞよ。これまで、人類の積み重ねて来た善悪の因縁が芽吹き現れ、不用のものは破壊され浄化されてゆくのであるぞ。扇の要(かなめ)の外れた如く世界も日本も不測の事が起こり大荒れであるぞよ。治りのつかぬが如き荒れる世を末に治めてまいるのが神の四九三であるぞよ。人民は益々世の中荒れすさび、その末滅びてしまうと案じてある者も多いが滅びさせては、神の四九三が成らぬから、まずは三千年この方積み重ねて来た、利己主義(われよし)の強い者勝ちの思凝を一たんは、皆浮かび上がらせ打ち壊して新しき世を開くのであるぞよ。是が世の元の国常立大神の奇しき四九三であり、あんな者がこんな者、あんな事がこんな事と、様々の人を使い変化...令和四年十月三六九神示

  • 令和四年十月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    奈良県十津川村の玉置神社や玉石が拝され、玉石は朝日を受けて白く輝いていました。次に奈良県天川村の天河弁財天社の神体山、弥山奥宮や御手洗渓谷が拝されました。(注玉置神社の主宰神は国常立尊であり、玉石は、神代の昔、天照国照彦火明命(饒速日命、本体は日の出の神)が熊野川から玉石を上げ、その下に十種の神宝を鎮めた伝承がある。天川村の天河神社の御祭神は、日輪弁財天と称し伊勢荒祭の宮の神と同体と伝えられている。伊勢荒祭の神、即ち瀬織津姫神であり、玉石の天照国照神の偶神となる。要するに日の出の神と瀬織津姫の神(龍宮乙姫)の出現を願い、特に昭和四十八年より旧暦の重ね日(三月三日等)には幾度も玉置天河の神業に奉仕する。日の出の神と龍宮乙姫の結びは丹後の男島女島の仕組みが、その元であり、龍宮乙姫と日の出の神、連れそうて現われ...令和四年十月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 黙真人訓、福徳への道。

    福徳を修めて報いを求めることは、一般の人の希望するところである。或いは、ただ一回の善功によって、幸福を希み、長寿を求め、災いを化(な)くし、疾(やまい)をはらいのける事を求め、子供のいない者は子供を求め、財の無い者は多くの財を求めるのである。しかしながら、徳の無い者が、徳を求める者は無く、また、身を修めない者が、これを修める事を求める者は少ないのである。そのしかる所以は、志(目標、目的)がただ、報いを求めることにだけあって、自ら修めることをおろそかにしているのである。たとえ、福徳を修めると言っても、ただ僅かばかりの善い事を行うことに過ぎず、そして自分自身の修養や、霊性を養うことについては、全然これを求めようとせず、全く無知なのである。そこで、或る人が言うには、功徳があるから、幸福を求めて幸福を得、長寿を...黙真人訓、福徳への道。

  • 三六九神示、酉。

    輝き昇る天津日の光清(ひかりさやか)かに明けそめし酉の御年や天が下四方の波風荒らけれど鶏鳴曉旦新年を祝いて訳す筆始め寄せ来る波に揺れ動く日本の国にあるなれどぐるりと海で取り囲み龍宮界が守るなり昇る日の出に世も明けて新の四九三の幕開けぞ荒れる世界のその中に狂わぬ真柱打立てて日本自立の始まりぞ虎の衣を着る狐では通れぬ世界と鳴門海渦は逆巻く世界にぞこれより始まる大芝居善も悪も使いなし世を立替す神四九三進めてまいると訳すなり行方も知れぬ世の中に道の知る辺と言霊を宣りて伝うる翁なり天照国照日の出神十種宝とふるべゆらふるべゆらゆら打ふるい世の闇晴す神の業龍宮乙姫秘めおきし玉手筥をば開きては活言霊の響きにて滅びとする世界おば蘇らせて舞鶴の沖に浮かぶは神の島男島女島の昔より国常立大神が四九三も来る図り事深き神意を実らせて...三六九神示、酉。

  • 三六九神示、申。

    潮の八百道(やほじ)の八潮道の八重雲分けて昇る日や天照国照日の出神現れます時と鳴り成りぬ男島(おしま)女島(めしま)は神の島国常立大神の裏に隠れて三千年炒りたる豆に花の咲く時節を待ちて神議(はか)り梅(埋)で開いてその道は竹の節をば打超えて常磐の松の深緑松で治むる三六九世を開かんとする願いなり裏に隠れた神々は艱難辛苦耐へ忍び体主霊従(からたま)の世と荒びたる現の世の立替立直し美(うま)し御国を開かんと仕組み議りて時待ちぬ瀬織津姫の織りなせし太占奇路(ふとまにくしろ)ぞ畏(かしこ)けれ瀬織津姫の織なせる神の奇路を括るのは白山比咩の神の業(わざ)括り結びて鳴り成らせ色つけ形に現すは丹生都(にぶつ)の神と言うならむさあさあ幕は開けたり猿田の神は道開き思凝霊(しこりがみ)等の荒ぶりに道義礼節うち忘れ乱る現の世を立...三六九神示、申。

  • 三六九神示。

    雲分けて昇る日の出の御光に明そめにける天が下戊犬の年始め宣りに伝える九十〇(言霊)は海の御中の塩土(水火土)の翁が伝う神示なり天の御陰を豊受けて天地弥栄祈るべし世界平和を祈るべし人の世は荒(すさ)べども神の奇路(くしろ)は弥栄に奇しき光を発するなり神の光は天空に虹の如くに立ち上がり光の籠を編みなして日の本の国をすっぽりと覆いて守りあると知れ是神の代に豊宇氣が輝く鳥の籠のごと天降りたと伝えあり光の籠を編む神は白山菊理比咩の神火水からみて編みなして虹の如くに輝ける籠に守られてある事を人民知らず荒ぶりて悪事は絶へぬ世なれども善人悪人皆共に生かしてあるのは虹の籠光の籠の守護なるぞ籠は加護に通ずるなり神の加護ありてこそ人世の縁も保たれて世の営みも成るものぞ眼(まなこ)を開けよ人民よ目先の損得自我や欲迷いの渕にさまよ...三六九神示。

  • ダイエット道2

    ダイエットを始めてから、早、二ヶ月となりました。休みの日は、早朝、近くの神社を走って、五社(一社増えました。)まわり、帰ったら、筋トレします。増えた、神社です。福住吉神社。御神霊が一柱、眷族三体。大野川緑陰道路近くにあります。仕事の行き帰りも自転車をなるべく使い、尚且つ、早く仕事が終わった時は、自宅近くの大野川遊歩道を7.8キロ走り、その後は一時間ぐらいかけて、筋トレをしております。筋トレも効果が出るトレーニングをユウチュウブで学び、また、誤った姿勢を正すようにしました。(腹筋ローラー、腹筋運動の見直し、腕立て伏せ、バックランジの活用。)筋トレも下半身を重点にやってましたが、中々下腹の脂肪が落ちないので、手で痛いくらい揉みながら腹筋をレッグレイズにて鍛えましたら、それから割と早く脂肪が解消されて行き、腹筋...ダイエット道2

  • 令和四年九月 三六九神示

    九月九日を前にして、九月八日は大事な日と申してあるぞよ。陰陽、霊体、日月、男女、あらゆる物を括り結び、天之御中なる宇宙の均衡調和を司る、白山菊理比咩の神は、地球神界に於いて、大地の金神金勝要神とも現れて機(はた)の四九三とも申す。経緯(たてよこ)綾に神々の働きを織り上げて見事な錦旗といたすぞよ。金勝要神の神霊は丹波大本教に於いて、出口澄殿の御魂と現れて、厳の神霊出口直殿、瑞霊(みずみたま)出口王仁三郎殿の神業の結びの役目を果たしたのであるぞ。神々や人民の異なる働きを経緯綾に見事に織り上げて神人和楽、万物共存共生の三六九の世を開く要(かなめ)の役を果たすのが金勝要神であり、表に出ぬが、裏にあって総べてを結ぶ要であるぞよ。(注出口澄様の手織は、昭和十年大本教弾圧の折、但馬出身の国森常松氏が預かられる。国森常松...令和四年九月三六九神示

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、鬼雷さんをフォローしませんか?

ハンドル名
鬼雷さん
ブログタイトル
玄徳道
フォロー
玄徳道

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用