夏目漱石の『草枕』を読む。10
第十章鏡が池の場面である。画工は鏡が池に来る。画工の興味深い「自然論」が語られる。余は草を茵に太平の尻をそろりと卸した。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣はない。自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦も未練もない代りには、人に因って取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩崎や三井を眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今帝王の権威を風馬牛し得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、絶対の平等観を無辺際に樹立している。天下の羣小を麾いで、いたずらにタイモンの憤りを招くよりは、蘭を九畹に滋き、蕙を百畦に樹えて、独りその裏に起臥する方が遥かに得策である。世は公平と云い無私と云う。さほど大事なものならば、日に千人の小賊を戮して、満...夏目漱石の『草枕』を読む。10
2024/05/21 10:18