メゾフォルテ さん プロフィール

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メゾフォルテさん: メゾフォルテからあなたへ
ハンドル名メゾフォルテ さん
ブログタイトルメゾフォルテからあなたへ
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/dorci/
サイト紹介文歴史にまつわる物語などで、あなたの心の扉をノックします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供105回 / 365日(平均2.0回/週) - 参加 2006/04/22 16:52

メゾフォルテ さんのブログ記事

  • 2018年12月の東北新幹線で
  • 新青森駅の私にとっての定点からの写真です。八甲田山は雲の中でした。私が乗る新幹線は福島には停まらないため、仙台あたりからカメラを用意しておきます。この地点で2回目撮影に成功。・・・・・何度か失敗しております(汗ランキング低迷中につき、なにとぞご協力をお願いいたします(汗人気ブログランキングへ>にほんブログ村 [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔259〕
  • 太宰治「恥」は、異色の作品として感じられる。→ こちら太宰治が心身ともに充実していたころの作品なので、大いに深読みが必要なのではないだろうか。まず恥という字の耳は、恥ずかしさで耳が赤くなる、という意味があるのだという。考えてみれば、心がつくり側にある漢字は他にはないようである。この作品においては、太宰治が他とは違って堂々としているように描かれていて、題名が「恥」となっている。筑摩全集類聚 太宰治全 [続きを読む]
  • 激動の秋に
  • 庭木の剪定のせいで、我が家の庭が晩秋らしくなく光あふれる状態になっているんです。この写真から、植物の知性というものが感じられないでしょうか。ごまかしではない環境保全というものにしっかりと取り組む必要があると思います。そのためには、平和が大事であることはいうまでもないことだと訴えているようですね。ランキング低迷中につき、なにとぞご協力をお願いいたします(汗人気ブログランキングへ>にほんブログ村 [続きを読む]
  • 遺品の整理 その5〔4〕
  • 付箋には村人 (老人、女性、子供))がこの教会に集められ焼き殺される。642人(うち男子約200名は広場で銃殺)が犠牲。うち小学生198名 教会から脱出したのは、たった1名とあります。主人の見解としてナチSSは何を狙ったか。米英軍ノルマンジー上陸(6月4日)でドイツの敗戦確実。それまでもレジスタンス狩りと称して、フランス人の村を襲う。フランス人は、金、宝石を持つ習慣からドイツ兵はそれを巻き上げ、私財 [続きを読む]
  • 遺品の整理 その5〔1〕
  • 主人の残したあれこれの中から、23枚ほどの写真の綴りが出てきました。主人は、何度か一人で外国へ出かけて、戦争で有名となった場所を巡り歩いていました。1997.6.8.撮影「オラドゥール・シュール・グラーヌ」の廃跡事件1944.6.10.発生ナチ親衛隊武装師団”ダス・ライヒ”による蛮行たった400軒ほどの集落に路面電車がつくれる豊かな村 人口1574人ランキング低迷中につき、なにとぞご協力をお願いい [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔258〕
  • まだまだ太宰治を読み足りないような気がする。しかし、ある程度のまとめをしておきたい、とも思われる。豊島与志雄、井伏鱒二は太宰治の葬儀委員長、副葬儀委員長であった。太宰治が亡くなる前の1947年秋に豊島与志雄「高尾ざんげ」解説 および 「井伏鱒二選集」後記というものを書いている。「高尾ざんげ」解説より・ 音楽家で言えば、ショパンでもあろうか。日本の浪花節(なにわぶし)みたいな、また、講釈師みたいな、 [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔257〕
  • 太宰治は無頼派である、といわれている。当たり前ながら、無頼派とは組織から自らはぐれた者という意味だろうから、組織に属する人間にとっては、太宰治の人物評について虚偽を書いても何ら構わない、ということであったように感じられる。たとえば、芥川龍之介について、他の友人の発言を芥川龍之介がしたかのように小説に書かれていものがあった。同じように、友人たちの大半が酒癖が悪かったりして、それが太宰治の酔態であった [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔256〕
  • 松山悦三「太宰治読本」読売新聞社 昭和49年の表紙解説から・人間の深淵を見つめた真摯な文学。人間太宰は気の弱い、道化役者まがいの行動の人であったという。編集者として直接太宰と面識のあった著者が、太宰を語り、同時に太宰の交友録、新発見の手紙等々から新しい視点で、太宰文学を探求した格好の入門書。 p.146・著者が、はじめて豊島氏宅を訪れたのは大正十一年の晩秋で、著者が雑誌「人間」の編集長をしていたころであ [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔255〕
  • パソコンが高齢化していますので、この太宰治を読むシリーズの先を急ぐことにいたします。私にとって、なぜ豊島与志雄が太宰治の葬儀委員長であったのか、というのが難問として残っていた。太宰治による豊島与志雄作品の書評は投げやりとさえ感じられるものであったのに。太宰治が晩年に山崎富栄を伴って豊島宅を訪問したことはよく知られている。太宰治は他者による自分の行動記録を大いに意識していたのだから、太宰治の長い指が [続きを読む]
  • 2018年11月の青森 その3
  • 陸奥湾の港への道の街路樹や街灯が美しく感じられます。私は旅人なのかその土地の人間なのか。このホテルの窓からの景色になじんてしまうと、かなり不思議な感覚に思えたりするんですが。この写真を撮ったすぐ前だったかすぐ後だったか陸奥湾を震源とする地震が起こったのにはびっくり。青森には山の神と海の神がいるような気がしてきました。なんとしても味方にする必要がありそうです。首都圏であまりに開発が進んでいる、という [続きを読む]
  • 2018年11月の青森 その2
  • 青森に住む人間にとって、秋とは厳しい冬の前の時期であり、たくさんの大根が干してあったりします。けっこう薪ストーブを使うお宅もあるようです。生協系の店舗や病院、介護施設があったりして、低所得者層のことも比較的考えられているようにも思われます。もしかしたら、いまや青森の暮らしのほうが先取りかもしれない、と思わないでもありません。青森市民憲章です。またも、カメラを構える婆さんの影が・・・・(汗こちらは青 [続きを読む]
  • 2018年11月の青森 その1
  • 11月の青森に3泊で出かけました。思いがけなくの小春日和が続きました。このごろは青森にも外国人観光客が増えているのだとか。その観光客たちの中には、はっきりと主張する人たちがいてびっくりするとのこと。なるほど諦めのよい青森の人間にとっては、目を見張ることかもしれません。その主張が、今まで我慢してきたことを気づかせることになったりするのでしょうか。ランキング低迷中につき、なにとぞご協力をお願いいたしま [続きを読む]
  • 遺品の整理 その4
  • 主人の遺品の整理がなかなか進まないのですが・・・・主人は整理好きなタイプであったため、手紙類は厳選して残したものかもしれません。その中に、私の父から主人宛てに送ったコピーの綴りがありました。旧制弘前高等学校同窓会発行の「北溟 第3号」1997年7月 とあるものです。北溟とは「ほくめい」と読み、海水の黒ずんでいる大海のことのようです。私の父はあちこちに小文を投稿するのが趣味でした。私はその点が似てい [続きを読む]
  • あおもり市議会だより「ぎかいの森」
  • 中核市議会議長会総会の議会報コンクールで、あおもり市議会だより「ぎかいの森」が優秀賞を受賞したとのことです。たしかに読みやすくまとめられていると思いますので、ご紹介いたします。→ こちら離れてみると、意外にも青森は民主的なところだったりします。というか、女性が生き生きしているような気がします。青森市の動画である青森チャンネルの1つはこちらです。 ランキング低迷中につき、なにとぞご協力をお願いいたし [続きを読む]
  • 秋の空
  • 悠々と飛行機が青い空を飛んでいるのをブログで世界中に自慢したくなります。何か語り掛けられているような気もするんですけれどえっ、まさか激励とか?この青い空は世界中に広がっているだけではなく過去にも未来にも広がっているって知っていますか。えっ、知らないの?ランキング低迷中につき、なにとぞご協力をお願いいたします(汗人気ブログランキングへにほんブログ村 [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔254〕
  • 大佛次郎(おさらぎ・じろう)について全くといいほど知らなかったのだけれど鎌倉に地図を持たないで出かけて気の向くまま歩いたら、寿福寺の墓地に出てそこに大佛次郎の墓があった。その後、気になっていたので、大佛次郎「天皇の世紀」全10巻 朝日新聞社 2006年 を購入して本棚に並べておいたのだが、何年もその本を開くことはなかった。森鷗外「能久親王事蹟」から、明治維新のあたりを詳しく知りたくなって「天皇の世 [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔253〕
  • 松本清張は、森鷗外を師のように感じていただろう。松本清張全集は66巻(文藝春秋)、森鷗外全集は38巻(岩波書店)ふと松本清張は66巻の中に埋め込んだものがかなりあるのかもしれない、それは森鷗外を見習ったのではないか、などと思ってみた。ブログ「椿峰のまち」で寛永寺での上野戦争を調べて、森鷗外がそのときの寛永寺貫主であった輪王寺宮、のちの北白川宮能久親王について「能久親王事蹟」というものを残しているこ [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔252〕
  • 数学の問題集をつくったりした体験から、ついつい疑問とその答えのセットを考えているこのごろ。材料を得るために明治維新前後と戦争前後の個人の体験記を乱読していたら、開き直りの気分になりつつある。若い人たちは、私たちの世代よりも体験が少ないように思われるので、ぜひ読書で補ってほしいと思う。たとえば、「私の履歴書 ―中間小説の黄金時代 井伏鱒二 舟橋聖一 井上靖 水上勉」日経ビジネス文庫 2006年などが [続きを読む]
  • ちのかたち
  • 1928年に生まれた主人は、戦争によって勉学の時間を奪われ、広島で原爆を体験して、亡くなるまでなぜ戦争が起きるのか、を考え続けていたように思います。40代後半で2人の息子を得て、子育てに熱心な父親でありました。主人の両親はともに小学校教員で、父親は主人には教育費のかからない高等師範学校に入ってもらいたかったようですが、母親が本人の希望する旧制高等学校に行かせればよいと主張したとのこと。この母親に主 [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔251〕
  • 江戸時代以前も津軽や南部は流刑の地であったことだろう。もしかしたら、流刑になるような人間のほうが厳しい自然の中で生き延びることができたのかもしれない。津軽藩の歴史は苦難の連続であったりする。→ こちらたとえば4代藩主津軽信政については こちら幕末から明治時代にかけては、キリスト教主義教育の先駆者である本多庸一について → こちらジャーナリスト・評論家 陸羯南(くがかつなん)について → こちら孫文 [続きを読む]
  • 2018年暑い夏との戦いに
  • ほんとうに暑い夏でした。あちこちで被災され、避難先での暮らしを続けられている方にとっては、あの暑さもより厳しいものではなかったか、と想像しております。私は室内外の気温差のほうが気になってしまうので、クーラーをつけないで過ごしてみました。何度か書いておりますが、庭木を茂らせておくとだいぶ楽です。家の中からはびっしょりと汗をかき、何度もシャワーを浴びることができることに感謝しつつなんとかクーラーを使わ [続きを読む]
  • 太宰治を読む〔250〕
  • 津軽藩というものについてあまり考えたことがなかったのだけれど・・・・・江戸時代初期、対馬藩の家老であった柳川調興(やながわしげおき)なる人物が津軽藩に流罪となったという話は興味深い。柳川調興については こちら対馬藩の藩主と家老の対立という柳川一件については こちら柳川調興は流罪とはいえ、津軽藩では丁重に扱われて、文化的な人生を送ったようである。柳川調興の祖父は柳川調信(やながわしげのぶ)で外交で秀 [続きを読む]