しんや1949 さん プロフィール

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しんや1949さん: 沖縄1968。
ハンドル名しんや1949 さん
ブログタイトル沖縄1968。
ブログURLhttps://ameblo.jp/lm089622
サイト紹介文19歳の僕たちを待っていたものは...熱く、そして哀しい、青春アンソロジー
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供48回 / 156日(平均2.2回/週) - 参加 2006/09/01 13:23

しんや1949 さんのブログ記事

  • 東京 1968 最終回
  • 水原さんからマイクを渡された勝さんは内山さんの耳元で何やらボソボソと... 「はい、わかりました。石橋さん、サンフランシスコね、イントロお願いしま〜す」 すかさず石橋さんがメロディを崩した感じでイントロを弾き始める。これなら歌い出しやすいってなわけで、さすが石橋さん、心得ておられる... ガンさんが席から立ち上がり、勝さんにブランデー・グラスを手渡す。それを左手に持ちながらゆっくりとグラスをまわす。 [続きを読む]
  • 東京 1968 その46
  • ガンさんは、控え室に真っ赤な顔をして入ってくると 「内山さん、オミズが次のステージで歌うって言ってますんでよろしくお願いしますわ」「えっ、大窪ちゃんのバンドじゃなくって?」 内山さんが目をまん丸にして訊ねると 「いえね、連中のとこで歌うと何か仕事の続きみたいになるからどうしても内山さんの方でって言うんですわ」 「成る程ね、それも一理ってもんだ。わかりました。じゃ、もうちょっと休んだら行きますよ。それと [続きを読む]
  • 東京 1968 その45
  • 相も変わらず連夜大盛り上がりの「最後の20セント」だった。 でも、僕はうすうす感じていた事があるのさ。 ある夜、僕は休憩時間にケニーを誘い表に出た。 「あのさ、ケニーはどう思う?今のままで大丈夫だって思ってる?」 「えっ、何の事さ?」 「バンドの事に決まってんじゃん」 「大丈夫って、どういう意味で?」 「毎晩あんなに盛り上がってるけどさ、俺達のバンドでやりくりできてるって思う?」 「ん〜、まあな。確かに皆 [続きを読む]
  • 東京 1968 その44
  • この頃「最後の20セント」に連日のように来ていた二人... その一人は安岡力也。 おそらく当時シャープ・ホークスは既に解散していたのかもしれないけれど、それにしても彼の人気はなかなかのもので、女性客なんかはおずおずと握手をしたりサインをせがんだりで、彼も満更でもないってな顔つきでそれに快く応じていたもんだ。 確かに、背も高く日本人離れした彫りの深い風貌と精悍な身体つきは男が見ても惚れ惚れする程のもの [続きを読む]
  • 東京 1968 その43
  • 「最後の20セント」の仕事はそんな調子で、何が起きるかわからないハプニングの連続の刺激的な毎日だった。 昼は昼で、僕とケニーはバンマスの内山さんのお供をしてのスタジオ巡りさ。 この時代はまさにスタジオ・ミュージシャン花盛りってなもんで、テレビCMや劇伴の音録り、レコーディング等々、都内の録音スタジオは早朝から深夜まで24時間フル稼動さ。 売れっ子ミュージシャンともなるとギリギリのスケジュール調整をし [続きを読む]
  • 東京 1968 その42
  • 山崎唯さんの次は桜井センリさんの登場だ。 「どうも、よろしくね」 桜井さんは、とっても腰の低い物静かな方で、とてもこの人がいつもテレビの中で大暴れしているあの人とはどうにも思えなかったもんさ。 「じゃ、B♭でブルースいきましょうかね」 そう言いながらおもむろにミディアムテンポでイントロを弾き始めた。そのサウンドが想像以上にダンモな事に僕とケニーは思わず顔を見合わせたもんだった。 さっそく皆がフロアに出 [続きを読む]
  • 東京 1968 その41
  • 石橋さんは山崎唯さんに呼ばれ、何やら水割りを手に話が弾んでいる。後で伺った話では、石橋さんは若い時分にウッドベースを弾いており、何と植木等さん(Gt)と山崎さん(Pf)と三人で米軍キャンプ回りの仕事をしていたらしい。世が世なら、石橋さんがクレイジーキャッツのメンバーだったなんてぇこともあったわけで...いやぁ、何とも楽しいや。 内山さんはガンさんの隣で内田裕也さんと談笑。 昔の武勇伝に花が咲いている [続きを読む]
  • 東京 1968 その40
  • 調理人をのぞいて総勢20人ほどのスタッフを前にジョーさんの訓示が始まった。 全員が僕達バンド同様「VAN」のスリーピース姿。 さすがガンさんが集めたというだけあって、見てくれも申し分ない若者が揃っていた。全員がヤル気まんまんってな感じでジョーさんの話に耳を傾けている。 「さ、いよいよ始まるぞ。今更もう細かい事は言わない。後は実践あるのみだ。自分の役割をしっかり認識して全力で奮闘してほしい、それだけだ [続きを読む]
  • 東京 1968 その39
  • ガンさんは「事務室」と書かれた扉を開け僕達を招き入れた。10畳ほどの室内には大きなデスクと、これまた大きな応接セットがデンと置かれており、壁際にはロッカーがズラリと並んでいる。 「このロッカー、自由に使ってくださって結構ですから。端から4つ、バンドさん専用って事でね。それと隅に出入り口、いちおう裏口って事なんですがね、普段はそこから出入りしてください。下駄箱も用意しておきますから。そのまま外に通じ [続きを読む]
  • 東京 1968 その38
  • 12月1日。夕方5時をまわった頃... 六本木の交差点を飯倉方面に向かい一本目の路地を曲がると、右手すぐに「瀬里奈」があり、その先はもう真っ暗さ。 その暗い道をさらに真っ直ぐ歩いていくと、突き当たりの右側に大きなマンションがあり、その一階全部が「最後の20セント」だった。 既に内山さんの買ったばかりの真っ白いコロナ・マークⅡが入り口付近に停まっており、内山さんは何やらトランクの中から荷物を出し入れし [続きを読む]
  • 東京 1968 その37
  • 5時半をちょっとまわった頃にギルビーに行くと、もう既に控え室にはケニーの姿が。隅っこの椅子に坐り一心不乱にスティックを振っている姿は「ザ・デイズ」の時のままだった。 「おっ、早いねえ」 「オッス、いや何か家にいても落ち着かなくってさ。コタニ楽器とかも見てきたんだ。バンマスとかはまだ来ねえんだろ?」 「うん、いつもは時間ギリギリに来るんだけど今日はケニーが来るっていうんで早目に出てくんじゃないかな。と [続きを読む]
  • 東京 1968 その36
  • 翌日、内山さんより電話が 「いやあ、実は東君のことなんだけどさ、今月いっぱいであがらせてくれって言われちゃってね。ちょっと日にちに余裕がなくって僕も困っちゃってるんだけど、菊地君、誰か若いタイコ(ドラム)知らないかなあ。以前に一緒にやってた人なんかどうだろ?ロックバンドやってたんでしょう?僕としても若くってやる気のある人が良いんだけどねえ。すぐにジャズはできなくても良いからさ」 「え、はい、前にやって [続きを読む]
  • 東京 1968 その35
  • 青山三丁目のヴァン・ジャケットで、ガンさんの言うがままに12月からのユニフォームを濃いグレーに細いピンクのストライプが入ったダブルの三つ揃いスーツに決めた僕たちは、試着を済ますと 「さて、軽く食事でもしましょうかね」 というガンさんの提案には異論のある筈もなく 「こんな時間か。この辺りで飯食えるとこ誰かご存知ですかね?」 というガンさんに、僕は待ってましたとばかりに 「あ、僕の知ってる店がありますが。 [続きを読む]
  • 東京 1968 その34
  • 内山さんはニコニコ顔で 「仕事のことなんですがね。実はガンさん、ま、本名は村上元一さんっていうんですが、来月六本木にオープンする店を全部任されてるそうでね、内装工事とかそういったものは全部済んでるらしいんですが、まだ専属のバンドが決まってないらしくって、それでウチのバンドはどうだろうかって話なんですよ。どうしてもヴァイブを入れたいらしいんです。ちょっと話としては急なんですがね、条件も良いし、ガンさ [続きを読む]
  • 東京 1968 その33
  • 新宿「ギルビー」は所謂コンパ・スタイル。 最近じゃ殆ど見かけなくなったけれど、まだ「養老の瀧」「駒忠」といった大衆居酒屋が普及する前の時代、洋風酒場としちゃ一番ポピュラーなスタイルで、仕事帰りのサラリーマンで連日大賑わいだったんだ。 週末土曜の夜ともなりゃ今度は映画を見終わったアベック(まだカップルなんて言葉は使われちゃいない頃さ)のデート・スポットに早変わりってなもんで、それはそれで大繁盛だった。 [続きを読む]
  • 東京 1968 その32
  • バンマスの内山さんは昭和ヒトケタ、栃木県の生まれ。芝工大卒業後に建築家を目指すも病気でダウン。宇都宮に戻り地元の新聞社に勤務。その傍らヴァイブを独学ってことらしい。何よりの自慢は、その時に当時高校生だったナベサダさんと一緒にバンド活動をしたこと。そしてナベサダさんの後を追って上京したんだそうな。 その後昭和29年頃からシックス・ジョーズに在籍し、まさにナベプロ隆盛の現場を内側から直ぐ傍で実体験して [続きを読む]
  • 東京 1968 その31
  • 「ギルビー」のバンド控え室は、さながら石橋さんのジャズ教室ってな様相を呈していた...「信也君ね、うちのレパートリーの殆どはシアリング・スタイルでやってるわけ。ほんとはヴァイブとピアノの他にギターも入るんですけどね。最近はシアリング風でやってるバンドが多いですから今のうちにモノにしておくと良いですよ」 そうなんだ、内田バンドの譜面の殆どには「シアリング・スタイルで」って注釈がついているのさ。勿論シ [続きを読む]
  • 東京 1968 その30
  • 1968年11月。新宿「ギルビー」 僕の事実上のプロとしてのスタートってわけさ。 僕は張り切って2時間も前にウッドベースを運び込み入念に指慣らしをした。 控え室に置いてあった分厚いベース用の譜面ノートを譜面台に乗せ、最初のページから目を通してみた。 知らない曲ばかりが100曲以上も、中にはベース音の指定されているものも数多くあり、僕はいちおうそれらをひと通りなぞってみる事にしたんだ。まだ指板をまったく [続きを読む]
  • 東京 1968 その29
  • 日曜日に久しぶりにハルから電話があり、夕方新宿「ピットイン」で会う約束をした。 待ち合わせよりもずい分と早く新宿に着いた僕は三丁目までぶらぶらと足を伸ばし、来月の職場になる「ギルビー」をちょっとのぞき(勿論、日曜日は休みで閉まってたわけで)冷やかし半分で世界堂に立ち寄り、ついでにコタニ楽器ものぞいてみた。 そこで僕はとんでもなく良いものをみつけたのさ。 それは、デルボ社という出版社から発行されたジャズ [続きを読む]
  • 東京 1968 その28
  • 「こういう練習方法もあるんだよ。例えば家でレコードを聴いてる時だったら、勿論ジャズじゃなくっても良いんだよ、ただしロックじゃなくってな。そんな時にユウも頭の中でベースを弾くわけだ。そしたら曲の途中でヴォリュームをゼロにするんだよ。でも勿論レコードはかけたままで、ユウもずっとベースを弾き続けるんだ。そしてしばらくたったらまたヴォリュームを上げるのさ。さあどうだい、テンポはズレてねえかい?これが結構難 [続きを読む]
  • 東京 1968 その27
  • 須田さんの講義はそれからも続く続く。酒の勢いもあり、まさに絶好調ってなもんさ。 「とにかく先ずユウがやるべきはウッドを弾く指作りが第一。それと同時に指板を見ないで弾けるようになんねえとな。ま、それも経験していく中で自然に身につくってなもんだけどね。メモリーでやってる分にゃそれでも何とかなるけどさ、譜面を使った演奏だったらもうお手上げになっちゃうだろ?いっぺんに両方は見れねぇわけだしさ。俺のようにフ [続きを読む]
  • 東京 1968 その26
  • 次のステージは須田さんがベースを... 心なしかコージも小西もちょっと緊張気味さ。 僕はといえば社長と一緒にグラスを傾けながら須田さんの一挙一動をしっかり観察てなもんだ。 社長が僕の耳元でささやく 「菊地君ね、よく見てごらんよ。須田さんは全然力が入ってるように見えないでしょう?でも明らかにヴォリュームが君とは違うのよ。わかるでしょ?そこがキャリアってもんなんだろうね、きっと。同じ楽器でも弾く人によって [続きを読む]
  • 東京 1968 その25
  • その日の夜、石橋さんが店に一人の男性を連れてきた。 「信也君ね、こちらベースの須田さん。僕の昔からの友人なんですよ。君の話をしたら一度会ってみたいって言うんでね、それで連れてきたんですよ。須田さんはフルバンドが長いんですがね、何でも聞きゃ良い、とことん教えてくれますよ」 「寛ちゃん(石橋さんの事さ)からユウの話聞いてさ、グループサウンズ出身だって?面白えね、今までそういう若者に会った事ねえから。ま、よ [続きを読む]
  • 東京 1968 その24
  • 社長の葉山の別荘で夢のような週末を過ごした僕は、月曜の昼前に東京に戻るとその足で相田先生の許に向かった。 「え?内山さんのバンドに、君が...」 先生は目を白黒させて僕の顔をまじまじと見入るばかりだった。 「はい、おかげ様で。誘われたっていうか何ていうか、とりあえず来月から行く事が決まりましたので、先ずは相田先生にご報告をしなきゃって思いまして、それで...」 「はぁ、そうですかぁ...いえね、内山さ [続きを読む]
  • 東京 1968 その23
  • 11月からの仕事が正式に決まり、翌日僕はさっそくコージと小西にその旨を伝えた。「そうか、決まったのか...ま、信也にとっちゃ、それが正解ってもんだよなぁ。そうか、来月からか...」 コージはそれでも半ば諦めきれない表情だった事はいうまでもないさ。 「信也、すごいねぇ。これでやっと本格的ジャズデビューってことじゃん。でも早いよなあ、この間ウッド買ったばっかりだっていうのにね。いいじゃん、よかったじゃ [続きを読む]