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ガウスの旅のブログ https://blog.goo.ne.jp/gauss0jp/

日本中を旅して回り、現在は、岬と灯台、山や高原、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

ガウス
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2007/01/14

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  • 志段味古墳群と朝日遺跡を巡る

    今日は天気も良かったので、久しぶりに史跡巡りをしてきました。最初は、名古屋市守山区の志段味古墳群を訪れました。まず昨年開館した「しだみ古墳群ミュージアム」(展示室入室料200柄)を訪れて、古墳群の成り立ちや配置などの予備知識を得たうえで、古墳巡りをしました。国指定史跡となっていて、公園として整備されているので、散策コースや案内板もはっきりしていて、巡りやすくなっています。特に、志段味大塚古墳は、造成された当時の姿に復元され、埴輪も復元されていて、古墳の本来の姿をうかがい知ることが出来ました。さらに、白鳥塚古墳は周壕跡もよく残り、大きな前方後円′墳の全容が見て取れました。2時間ほどで散策を終えてから、昼食を取り、今度は清須市にある弥生時代の朝日遺跡へと向かいました。こちらも昨年資料館がリニューアルされ、遺跡公園も...志段味古墳群と朝日遺跡を巡る

  • 旅の豆知識「ため池百選」

    農村地帯をを旅していて、美しいため池に出会ったことはありませんか?稲作を主に行ってきた日本では、ため池は古来からの農村風景で、全国に約21万ヶ所もあると言われています。稲作を振興するためには、水利の確保が重要で、大規模な河川から農業用水を取得できない地域では、古来からため池が作られてきました。降雨の少ない地域では、多くのため池が作られて水不足を補い、農業を維持するには必要不可欠のものとされています。そんなため池には、農山村に溶け込んだ景勝地であったり、周辺に桜などが木々が植栽されて憩いの場になっていたり、水鳥などの集まる自然環境上の重要な場所であったり、釣り人の集う場所であったりと地域にとって重要な役割も担わされてきました。そんな中で、2010年(平成22)に、農林水産省が「ため池百選」として100ヶ所のため池...旅の豆知識「ため池百選」

  • 旅の豆知識 『太平記』

    〇南北朝時代1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府の滅亡後、建武の新政を経て、1336年(延元元/建武3)に足利尊氏による光明天皇の践祚、後醍醐天皇の吉野転居により朝廷が分裂してから、1392年(元中9/明徳3)に皇室が合一するまでの時代となります。この時代には、南朝(吉野)と北朝(京都)に2つの朝廷が存在していましたが、現在の皇室は南朝を正統としていて、元号も南朝のものが使われています。この時代には、近畿地方を中心に全国で南朝方と北朝方による騒乱が続きました。しかし、次第に南朝勢力が衰微し、1392年(元中9/明徳3)の南北朝合一に至ります。この過程で、地方の守護は指揮権、所得給与、課税権などの権限を拡大していき、守護大名へと発展していく過程をたどります。この中で農村では、百姓の自治的・地縁的結合による共同組...旅の豆知識『太平記』

  • 旅の豆知識「峠(歴史小説)」

    〇河井継之助と戊辰戦争河井継之助は、1827年(文政10)に越後の長岡城下に生まれました。諸国を遊学した後、長岡に戻り、その才知と先見性により、藩の要職を任されるようになります。幕末の越後長岡藩の家老上席で、戊辰長岡戦争の軍事総督でした。薩長諸藩と対峙する重大事に家老となり、奥羽越列藩同盟の結成に参加し、薩長軍(西軍)と対決することになります。地理的に、最初に西軍の攻撃を受け、会津藩等の支援を受け、奮戦しますが、長岡城が落城し、一度は八丁沖渡渉の奇襲により、奪還に成功しますが、再び敗走します。明治維新期の内戦として、多大な犠牲を払いながらも近代国家が形成されていく過程の出来事でした。これをテーマに書かれた小説はいくつかありますが、司馬遼太郎の『峠』は河井継之助に焦点を当てています。〇河井継之助の敗走した道『峠』...旅の豆知識「峠(歴史小説)」

  • 旅の豆知識「桃山文化」

    安土桃山時代に花開いた文化で、織田信長が室町幕府第15代将軍足利義昭を奉じて、京都に上った1568年(永禄11)から、1603年(慶長8)江戸幕府開設までの時代の文化です。その特徴は、①新創味溢れる豪華・壮大なものであること、②新興大名や豪商によって培われたこと、③南蛮文化の影響を受けていること、などとされてきました。この時代には、新興大名が成長し、織田信長と豊臣秀吉によって天下統一事業が進められて、戦乱の世が終結していきます。その中で、豪商が出現し、さかんな海外交渉などを背景として、南蛮文化の影響も受け、自由闊達で豪壮・華麗な文化が開花していきました。壮大な城郭が建築され、豪華雄大な障壁画が発達、千利休によって茶の湯が大成され、能楽が盛んとなり、浄瑠璃や阿国おくに歌舞伎などが発達しました。この文化の代表として...旅の豆知識「桃山文化」

  • 旅の豆知識「室町文化」

    室町時代に花開いた文化で、1392年(元中9/明徳3)に南北朝に分裂していた朝廷が合一してから、織田信長が室町幕府第15代将軍足利義昭を奉じて、京都に上った1568年(永禄11)までの時代の文化です。その特徴は、①諸文化が融合して日本独特なものが芽生えてきたこと、②禅宗文化が普及してきたこと、③庶民文化が発展してきたこと、④文化の地方伝播がみられてきたこと、などとされてきました。この時代には、京都を中心に第3代将軍足利義満の時代に北山文化が栄え、その後第8代将軍足利義政の時代に東山文化として成熟していきます。続く戦国時代の混乱期には、庶民の社会的地位が高まり、商工業の発展の中で、町衆や農民が文化の担い手として登場、地方への伝播がみられ、猿楽・狂言・連歌・茶道などが広がっていきました。この文化の代表として、興福寺...旅の豆知識「室町文化」

  • 旅の豆知識「南北朝文化」

    南北朝時代に花開いた文化で、1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府の滅亡後、建武の新政を経て、1336年(延元元/建武3)に足利尊氏による光明天皇の践祚、後醍醐天皇の吉野転居により朝廷が分裂してから、1392年(元中9/明徳3)に皇室が合一するまでの時代の文化です。その特徴は、①南北朝の動乱を反映したものであること、②新興武士による「バサラ」(華美で贅沢)の気風が興隆したこと、③正統性の証として歴史書や軍記物語が発達したものであったこと、などとされてきました。この時代には、近畿地方を中心に全国で南朝(吉野)方と北朝(京都)方による騒乱が続きました。しかし、次第に南朝勢力が衰微し、1392年(元中9/明徳3)の南北朝合一に至ります。この過程で、地方の守護は指揮権、所得給与、課税権などの権限を拡大していき、守護大名...旅の豆知識「南北朝文化」

  • 旅の豆知識「鎌倉文化」

    鎌倉時代に花開いた文化で、鎌倉幕府が成立する12世紀末からその滅亡する14世紀前期までの文化です。その特徴は、①鎌倉幕府を支える武士の生活と関わったものであること、②伝統的な貴族文化も継承しつつ、大陸からの文化も取り入れていったこと、③新しい鎌倉仏教の普及にも伴って、武士や庶民にも指示されたものであったこと、などとされてきました。貴族中心の支配体制が崩れ、本格的な武士の政権が誕生し、続いていきましたが、2回の元寇によって、御家人の不満が高まって、鎌倉幕府は衰退していきます。この時代には、新しい仏教の宗派が生まれて、民衆への布教活動が活発化しました。浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、法華宗の日蓮、時宗の一遍などが活躍し、その足跡が日本中に印されています。地方を旅すると○○が流刑になった所だとか、布教活動をした地だとか...旅の豆知識「鎌倉文化」

  • 旅の豆知識「院政期文化」

    平安時代後期に花開いた文化で、院政が開始された11世紀末から鎌倉幕府が成立する12世紀末までの文化です。その特徴は、①民間布教者による浄土教が全国へ広まってきたこと、②地方へ伝播し庶民や武士が担い手となってきたこと、③歴史物語、軍記物語、絵巻物などの展開がみられること、などとされてきました。貴族の摂関政治が衰え院政へと向かう転換期で、また武士が台頭してきていて、治安が乱れて戦乱が増え、1156年(保元元)の保元の乱、1159年(平治元)からの平治の乱、そして、源平合戦へと続いていきます。そして、1177年(治承元)の太郎焼亡、1178年(治承2)の次郎焼亡、1181年(養和元)の養和の大飢饉などの天変地異も加わって、社会不安が増大していくことになりました。その中で、阿弥陀仏信仰が民衆の中に広められていき、それと...旅の豆知識「院政期文化」

  • 旅の豆知識「国風文化」

    平安時代中期に花開いた文化で、遣唐使が廃止された894年(寛平6)から11世紀の摂関政治期を中心とする文化です。その特徴は、①遣唐使の中止などによって唐文化の影響が弱まり、日本の風土に合致したものとなってきたこと、②優美な貴族文化であること、③かな文字と国文学の発達がみられること、④浄土信仰の普及が見られること、などとされてきました。平安時代中期には、班田収授の法が崩れ、全国に寄進地系荘園が増加します。それを基盤に貴族が力を持ち、摂関政治を基に藤原氏が台頭していきます。また、それまでの寺院は、鎮護国家を唱える支配者のためか、学問の場でしたが、空也、源信などの登場によって、浄土教の教えが広がり、阿弥陀仏信仰が盛んになっていきました。その頃広まったのが、末法思想で、故に極楽浄土に救いを求める阿弥陀仏へすがるようにな...旅の豆知識「国風文化」

  • 旅の豆知識「弘仁・貞観文化」

    平安時代前期に花開いた文化で、平安京に遷都された794年(延暦13)から遣唐使が廃止された894年(寛平6)までの約1世紀の文化です。その特徴は、①平安京を中心とした貴族文化で、晩唐文化の影響が見られること、②天台宗・真言宗など密教の影響が濃い仏教文化でもあること、③神仏習合の動きが強まったのがこの時期であること、などとされてきました。平安時代前期には、班田収授の法が崩れはじめ、荘園が増加していきますが、まだ国衙、郡衙などの機能は維持されていきます。また、797年(延暦16)に坂上田村麻呂が征夷大将軍に就任し、東北地方の蝦夷との戦いが激化します。802年(延暦21)に胆沢城を築城、803年(延暦22)に志波城を築城し、徐々に支配権を北に拡大していきました。紆余曲折がありながら、811年(弘仁2)に文室綿麻呂が征...旅の豆知識「弘仁・貞観文化」

  • 旅の豆知識「天平文化」

    奈良時代に花開いた文化で、平城京に遷都された710年から平安京に遷都される7世紀末までの文化です。その特徴は、①律令国家完成期の豪壮さ・雄大さがあること、②鎮護国家思想に基づく仏教文化であること、③平城京を中心に開花した貴族文化であること、④盛唐文化の影響が強い国際色豊かな文化であること、などとされてきました。国家の保護下に南都六宗が栄え、鎮護国家思想に基づいて各地に国分寺が創建されて本格的な仏教文化が開花、貴族の教養として漢詩・文も重んじられましたが、和歌が日本人の日常的な表現手段として盛んとなり、多くの万葉歌人が活躍します。その代表として、唐招提寺金堂・講堂・経蔵・宝庫、東大寺法華堂(三月堂)・転害門、正倉院宝庫などの仏教建築、興福寺八部衆立像(阿修羅像など)・十大弟子立像、聖林寺十一面観音立像、唐招提寺金...旅の豆知識「天平文化」

  • 旅の豆知識「白鳳文化」

    飛鳥時代の後半に花開いた文化で、大化の改新以後の7世紀後半から平城京に遷都される8世紀初頭までの文化です。その特徴は、①律令国家形成期の生気ある若々しさがあること、②国家の仏教興隆策により仏教文化を基調としていること、③遣唐使によって初唐文化の影響を受けていること、などとされてきました。仏教に関する建築、彫刻、絵画、工芸などが発達し、その代表として、薬師寺の東塔、山田寺の回廊、法隆寺東院伝法堂などの建物、薬師寺の薬師三尊像・聖観音立像、法隆寺の阿弥陀三尊像(伝・橘夫人念持仏)・観音菩薩立像(夢違観音)、興福寺仏頭などがあげられ、法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画、キトラ古墳壁画などの絵画も有名です。また、文学にも発展があり、漢詩は大津皇子・大友皇子らが代表的な詩人で、奈良時代の『懐風藻』に収録され、和歌は天智・天武...旅の豆知識「白鳳文化」

  • 旅の豆知識「飛鳥文化」

    飛鳥時代の前半に花開いた文化で、仏教が伝来した6世紀半ばから大化の改新があった7世紀前半までの文化です。その特徴は、①中国六朝文化の影響を受けていること、②仏教を基調としていること、③都のあった飛鳥地方を中心に畿内とその周辺で花開いたこと、などとされてきました。仏教に関する建築、彫刻、絵画、工芸などに著しい発達がみられ、その代表として、法隆寺の建築物、仏像、絵画などがあげられ、石舞台古墳をはじめとして、多くの古墳も造営されています。〇飛鳥文化を巡る旅6題旅先で飛鳥文化の関係地を訪れ、良かった所を6つ、北から順に紹介します。(1)広隆寺<京都府京都市右京区太秦>京都市右京区太秦にある真言宗の寺院で、山号を蜂岡山といいます。推古天皇の時代の603年に、秦河勝が聖徳太子のために造立したと伝えられ、聖徳太子建立七大寺の...旅の豆知識「飛鳥文化」

  • 旅の豆知識「古墳文化」

    古墳文化は、古墳時代の文化という意味で使われ、大和朝廷による支配が全国に及び地方にも力を持った豪族がいて、その象徴として巨大な古墳が造られたものだ考えられています。3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多いのですが、終わりの方は、飛鳥時代(6世紀末~710年)と重なり、区別されるようになりました。円墳、方墳、上円下方墳、双円墳などいろいろな形の古墳がありますが、特に大型になるのは、前方後円墳で、だいたい3世紀半ば過ぎから6世紀末まで、北は東北地方から南は九州地方の南部まで造営され、見ごたえがあります。一方で多くの人々は、依然として竪穴住居に住み、営々として農耕生活を営んでいました。そして、支配者によって古墳や寺院の造営に駆り出されていきました。旅先で巨大な古墳を見ることもあるかと思いますが、...旅の豆知識「古墳文化」

  • 旅の豆知識「日本の棚田百選」

    山里を旅していて、美しい棚田に出会ったことはありませんか?稲作地帯の日本では、棚田は古来からの風景で、数が多いときには、千枚田などとも呼ばれて、親しまれてきました。食糧増産のためには、海や湖を干拓するか、山を開墾していくしかなく、里山では多くの棚田が作られてきました。水利条件や耕作条件が悪く、労力がかかり、山間地の過疎化の進行で、放棄された棚田も少なくありませんが、山間地の食糧確保、水資源の涵養、土砂の流失防備、自然景観の保全などのためには、その維持は欠かせないものです。そんな中で、1999年(平成11)に、農林水産省が「日本の棚田百選」として134ヶ所の棚田を選定しました。美しい自然景観の所が多いので、山里を訪れた時に立ち寄ってみることをお勧めします。〇「日本の棚田百選」とは?農林水産省が、1999年(平成1...旅の豆知識「日本の棚田百選」

  • 旅の豆知識「源義経」

    旅先で、源義経の足跡を訪ねたことはありませんか?源義経は、平安時代末期の源平合戦で活躍しましたが、兄・源頼朝と不仲になって、京を追われました。そして、奥州平泉に落ち延びたものの、藤原泰衡に攻めらて、この地で果てたとされています。それだけでも、北九州から東北地方に至るまで、いろいろと足跡を残しているのですが、後に、悲劇の英雄として伝説化され、北海道に落ち延びたという伝説まで、残されてきました。従って、それらを含めると日本各地に足跡や伝承地があることになります。日本各地を旅した時に、そのような義経関係地をめぐってみるのも、はるかな源平合戦に思いを馳せて、印象に残るのでは.....。〇源義経とは?平安時代末期の源平合戦で大きな戦功をあげた武将です。1159年(平治元)に、河内源氏の源義朝の九男(母は常盤)として生まれ...旅の豆知識「源義経」

  • 旅の豆知識「武田信玄」

    旅先で、戦国武将の足跡に触れることは結構あるのではないでしょうか?戦国時代の山城跡や古戦場、武将を祀った寺社仏閣、それらの武将が関わった鉱山や築堤、港などもあると思います。戦国時代には、数多くの武将が活躍していましたが、特に人気が高いのは、武田信玄、上杉謙信、織田信長、毛利元就などではないでしょうか。特に、関東地方北部から中部地方にかけては、武田信玄の足跡がよく残されています。旅先で、そんな場所を訪れて、戦国時代に思いを馳せてみるのも面白いのでは.....。〇武田信玄とは?戦国時代に活躍した戦国大名の一人で、実名は晴信といい、1521年(大永元)に、甲斐の守護武田信虎の長男として生まれました。1536年(天文5)に室町幕府将軍足利義晴の諱の1字を得て元服し、同年11月に11月には、佐久郡海ノ口城主平賀源心攻めで...旅の豆知識「武田信玄」

  • 旅の豆知識「織田信長」

    旅先で、特定の人物の足跡を訪ねて回ったことはありませんか?平安時代の貴族、鎌倉時代の武将、戦国時代の大名、江戸時代の武士、明治維新期の志士、大正・昭和時代の文学者だったり、いろいろと活躍した人物がいると思います。時には、特定の人物に的を絞って、歴史を追いかけながら、旅してみるのも面白いと思います。中でも、戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将は、結構興味を持って訪ねる人が多いように思いますし、NHKの大河ドラマなどで取り上げられると、関係地に観光客が押しかけたりします。特に、天下統一を目指した織田信長は、人気が高いようで、足跡を訪ねる人が多いようです。足跡は、領国のあった尾張地方をはじめ、中部地方から近畿地方へかけて、いろいろとありますので、いろいろと訪ねてみるのも面白いのでは....。〇織田信長とは?戦国時代...旅の豆知識「織田信長」

  • 旅の豆知識「文学館」

    旅先で、有名な文学の関係地や作家の生地などに立ち寄って、文学館を見学したことはありませんか?その土地土地には、ゆかりの作家がいて、そこをテーマとした小説とか詩などを書いていることは少なくないことだと思います。北海道旭川市の三浦綾子、青森県津軽の太宰治、岩手県の石川啄木、長野県の島崎藤村などは、出生地に関係した作品を多く残していますが、転居したり、旅先で成した作家の作品もいろいろとあります。旅に出て、そのような文学に触れるといっそう旅情も深まるものです。そんな時に、その作家や作品について知るには、文学館に入るのが一番だとではないでしょうか....。近年では、作家別の文学館やその地域ゆかりの作家を集めた文学館、また、その地域を描いた作品をメインとした文学館などいろいろと出来ていますので、旅先で立ち寄ってみることをお...旅の豆知識「文学館」

  • 旅の豆知識「日本さくら名所100選}

    旅先で、満開の桜を見ると誰でも感動するのではないでしょうか?昔から、日本的な美しさの代表とされてきました。満開のソメイヨシノも素晴らしいのですが、沖縄のカンヒザクラ、吉野山のシロヤマザクラ、伊豆半島のカワヅザクラ、角館武家屋敷街のシダレザクラなどその地域の特有の桜も美しいものです。桜の美を求めて旅する人も少なくないのではないかと思います。そんな中で、財団法人・日本さくらの会が1990年(平成2)に、「日本さくら名所100選}を選定しています。桜を訪ねる旅の参考にしてみてはいかがでしょうか.....。〇「日本さくら名所100選}とは?1990年(平成2)に、の創立25周年記念として、建設省、運輸省、環境庁、林野庁、全国知事会、財団法人国際花と緑の博覧会協会の後援によって選定したものです。全国知事会や花と緑の博覧会...旅の豆知識「日本さくら名所100選}

  • 旅の豆知識「富士山がある風景100選」

    旅先で、富士山を見て、感動しない人はまずいないのではないでしょうか?昔から、日本的な美しさの象徴とされてきました。古来から絵画や詩歌等によく描かれる代表的なものではないでしようか。見る場所、季節、時刻によって微妙に姿を変える富士山は、恰好の画題や詩歌題でした。江戸時代の浮世絵師葛飾北斎の「富嶽三十六景」は代表的なものですが、近代でも梅原龍三郎の赤富士などこれを題材にした画家はたくさんいますし、古代の万葉歌人をはじめ、多くの歌人・俳人・詩人が富士山を詩歌題としています。近年では、写真のテーマとして撮り続けている人もたくさんいます。私も、富士山周辺に出かけて、すばらしい姿を現しているときは、何枚もシャッターを切ります。旅に出て、はるかに見える富士山を描いたり、詩や歌・句にしたり、撮ったりしてみるなんて、とてもいいと...旅の豆知識「富士山がある風景100選」

  • 旅の豆知識「農山漁村の郷土料理百選」

    旅先で、郷土料理を食することも結構あるのではないでしょうか?その地域で、ご当地の食材を使い、脈々と受け継がれてきた郷土料理は、多くの地域の人々に愛されてきただけに、風土にマッチし、なかなか美味しいものです。また、その地域の食文化を解するうえで、欠かせないものと言えるでしょう。その土地に根付いた郷土料理を食べることで、旅情も一層無深まるのではないでしょうか....。そんな中で、2007年(平成19)に農林水産省が主催して、「農山漁村の郷土料理百選」が選定されています。その土地の郷土料理の代表的なものが選ばれていますので、旅先で郷土料理を食べるときの参考にしてはいかがでしょうか....。〇「農山漁村の郷土料理百選」とは?農林水産省が主催し、財団法人農村開発企画委員会を事務局として、2007年(平成19)に、全国各地...旅の豆知識「農山漁村の郷土料理百選」

  • 旅の豆知識「B級グルメ」

    旅先で、B級グルメを食べたことはありますか?昔からある郷土料理とは異なり、近年普及してきた安価で、贅沢でなく、庶民的なご当地の食べ物です。高級食のA級グルメに対比するもので、日本各地でいろいろと宣伝されたり、新たに町おこしとして開発されたものもあります。2006年(平成18)から、B級ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」が開催されるようになって、いっそう注目が集まるようになり、テレビで紹介されたりするようになりました。最近の旅のガイドブックには、必ずと言ってよいくらい掲載されるようになっています。結構美味しいものもありますし、安価で庶民的な食べ物ですので、旅先で気に入ったものがあれば食してみるのも良いと思います。〇B級グルメとは?安価で、贅沢でなく、庶民的でありながら、おいしいと評判の料理のこと、またそのよう...旅の豆知識「B級グルメ」

  • 旅の豆知識「新交通システム」

    旅先で、新交通システムの車両に乗ったことはありませんか?20~60人乗りの小型車両がライン状又はループ状の軌道をコンピュータ制御により自動走行(有人走行もある)するシステムで、従来の鉄道とバスの中間の輸送力といった感じです。高架軌道上を走る場合が多いので、見晴らしがよく、都市部がよく見渡せて、気分も爽快です。東京都のレインボーブリッジ上を走る「ゆりかもめ」は有名で、東京港を見渡せるので人気の路線ともなっています。都市部を旅行した時に一度乗ってみることをお勧めします。〇新交通システムとは?1960年代以降の高度経済成長の中で、モータリゼーションの進展により、都市部において自動車交通の著しい渋滞や騒音、大気汚染の問題等に対応するために研究・開発された新しい交通システムのことです。広義には、モノレール、エアクッション...旅の豆知識「新交通システム」

  • 旅の豆知識「文学と岬」

    岬の先端に立って海を眺めていると、言いしれぬ感慨に襲われることがあります。最果ての地に来たという思いと、広大な海と岩礁や木々が造り出す自然の造詣への畏怖といった感じでしょうか。そういう岬に、少なからず文学碑が建っていたりします。先人もこの地に来て、突き動かされるものがあって、文学になったのでしょうか...。そういう所で、あらためて、文学作品を読み直してみるのもいいものです。どちらか言うと韻文の方が似つかわしいような気がしますが、口から自然と出てくるような情景とマッチした詩や短歌などは感慨を深めてくれます。そんな岬を訪れ、文学に心を馳せて感動したところを選んでみましたので、岬めぐりの参考にしていただければと思います。〇近代文学に描かれたお勧めの岬(1)犬吠埼(千葉県銚子市)――佐藤春夫著詩集『佐藤春夫詩集』の「犬...旅の豆知識「文学と岬」

  • 日本の道100選

    旅行先で、いろいろな道を通ることも多いと思いますが、なにげなく歩いていたり、車で通ったら、とても印象に残る道があった。そういうことがありませんでしたか。松並木の並ぶ街道だったり、古い町並みの続く小径だったり、田舎ののんびりとした田んぼ道だったり、また、市街地に整備された近代的な道路だったり‥‥‥。石の道標や常夜灯、古ぼけた松や杉の大木、道端の道祖神などにほのぼのとしたものを感じたり、市街地の整然とした並木や遊歩道に心を癒されたり、そういう様々な道を通ってみると、旅人の思いを彷彿とさせることができる時があります。そのような中で、1986年(昭和61)に8月10日を「道の日」に制定したのを記念して、1986年度および1987年度に、建設省(現在の国土交通省)が「日本の道100選」として104本の道路が選定されていま...日本の道100選

  • 紀伊山中の旅③

    早朝起きだしたが、外がとても寒そうなので、恒例の朝の散歩を取りやめて、朝風呂に浸かって、体を温めることにした。ほんとうに心地よい硫黄泉(硫化水素型)で、浴後もポカポカしている。朝7時から朝食を取り、早めに「中村屋」を出て、国道168号を北上したが、この道は改良されて走りやすい部分とカーブが多く道幅が狭い部分が混在している。注意しながら運転していき、谷瀬の吊り橋に立ち寄っていくことにした。有料駐車場に車を入れ、吊り橋上を歩き始めたが、とても高さがあるので足がすくむ。真ん中近くまで来たが、怖くなってきたので、引き返すことにしたが、村の青年はこの吊り橋上をオートバイで走ると聞いて驚く。とはいっても、眺望は素晴らしく、橋上から何回かカメラのシャッターを切っておいた。車に戻って、再び北上を開始し、旧西吉野町を過ぎるあたり...紀伊山中の旅③

  • 紀伊山中の旅②

    早朝起きだして、少し明るくなってから洞川温泉街を散策してみることにしたが、標高も高く、かなり冷え込んでいるので、防寒対策をしっかりして、宿を出た。この温泉街は、とてもレトロな雰囲気が漂っていて、昭和時代前期の町並みを感じさせる稀有なところとなっている。今でも数は減ってきているものの、毎年5月から9月まで大峰山参拝の白装束の人々が団体で訪れているとのことなので、昔の風情を保っているのであろう。古いながらも、荒廃した様子がなく、「陀羅尼助」や「温泉宿」の看板が活きている気がする。そんなことを考えながら、町並みを巡り、気に入った風景をカメラに写しつつ、ゆっくり歩いていたが、結構寒さを感じた。それで、40分ほどで旅館へ戻り、朝風呂に浸かって、体を温めた。朝食後、「紀の国屋甚八」を出立したが、心和む温泉街だった。虻峠を越...紀伊山中の旅②

  • 紀伊山中の旅①

    今日から、2泊3日で紀伊山中を旅することにして、自家用車で出発したが、天気は曇っているもののまずまずだった。東名阪自動車道から西名阪道に入ったところで、この先で事故渋滞があるとの表示が出ていたのが、気になってくる。仕方がないので、伊賀インターで一端下に降りて、その区間を回避することにした。渋滞区間を通り過ぎて、友生インターから、再び西名阪道に復し、その後は順調に走って、針インターで下り、国道369号線を南下した。途中で国道370号線へと乗り換え、さらに南下して、大宇陀の町並みへと入ってきた。そこの道の駅に車を駐車して、徒歩で散策してみることにしたが、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているだけあって、レトロな建物が並んでいる。最初に、まちづくりセンター「千軒舎」を見学したが、この街並みが戦国時代から江戸時...紀伊山中の旅①

  • 銚子電気鉄道線乗りつぶしの旅

    今日は、真夏日にはなるが、猛暑にはならないとの予報だったので、いろいろと考えた末、余っている「青春18きっぷ」の最後を使って、日帰りで千葉県へ行って、銚子電気鉄道線の乗りつぶしをしてくることにした。特別に早起きをし、手早く朝食を済ませてから、自宅を出て、武蔵野線の始発電車へと乗り込み、東へと向かった。新松戸駅で常磐線へ乗り換えて北上して、我孫子駅で成田行き普通列車に乗り継ぐ。土曜日の早朝なので乗客は少なく、しばらくすると窓外には田園風景が広がってきた。電化はされているが単線なので、電車のすれ違いに時間がかかり、小林駅で5分ほど停車するとのことだったので、改札まで駆けて行って駅スタンプを押してきた。成田駅での乗り継ぎ時間が結構あったので、改札で駅スタンプを押してから、駅前のロータリーまで出て、駅舎の写真も撮影する...銚子電気鉄道線乗りつぶしの旅

  • JR両毛線・八高線乗りつぶしの旅

    今日は、台風21号が北上してきているものの、まだそれほとには天気は崩れず、関東一帯は曇りとの予報だった。そこで、余っている「青春18きっぷ」を使って、日帰りで北関東へ行って、JR両毛線と八高線の乗りつぶしをし、駅スタンプも収集してくることにした。特別に早起きをし、急いで朝食を済ませてから、自宅を出て、武蔵野線の始発電車へと乗り込み、西へと向かった。南浦和駅で京浜東北線へ乗り換え、ここから北進して、大宮駅で宇都宮行き普通列車に乗り継ぐ。平日の早朝なので、がらすきかと思ったが、結構通勤客が乗っていて、まどろんでいる。それでも、前の方の車両の席は空いていて、ゆったりと座ることができた。利根川を渡り、栃木県境も越えて、小山駅へと至って、両毛線へと乗り換えたが、待ち時間はそれほどない。ここから両毛線の旅となるが、のんびり...JR両毛線・八高線乗りつぶしの旅

  • 松本電鉄上高地線乗りつぶしの旅

    今日は、猛暑になるとの予報だったので、少しでも涼しいところはないかと考えた結果、余っている「青春18きっぷ」を使って、日帰りで長野県へ行って、アルピコ交通の松本電鉄上高地線の乗りつぶしをしてくることにした。特別に早起きをし、朝食を済ませてから、自宅を出て、武蔵野線の始発電車へと乗り込み、西へと向かった。西国分寺駅で中央本線へ乗り換えさらに西進して、高尾駅で松本行き普通列車に乗り継ぐ。土曜日の早朝なので、長野県方面へと向かう登山客が結構乗っていた。それでも座席を確保することができ、まどろみながら車窓を眺めていく。とにかく早起きしたために、睡魔が襲ってきて、目の焦点が合わなくなってきた。山梨県へ入ると雲が多くなり、途中雨がパラついたりしたが、中央本線の最高地駅である信濃境を過ぎるころには、晴れ模様になってきた。早朝...松本電鉄上高地線乗りつぶしの旅

  • 福島交通飯坂線乗りつぶしの旅

    今日は、天気が良くて気温もそれほど高くないとの予報だったので、余っている「青春18きっぷ」を使って、日帰りで福島県へ行って、福島交通飯坂線の乗りつぶしをしてくることにした。早起きをし、朝食を済ませてから、自宅を出て、5時過ぎには武蔵野線へと乗り込んだ。南浦和駅で、京浜東北線へ乗り換え、大宮駅で宇都宮線へ乗ろうと思ったが、小金井行の普通列車しかなかったので、とりあえずそれで進むことにした。すでに明るくなっていたので、ぼんやりと車窓を眺めながら、関東平野を北行していく。終着の小金井駅では、次の宇都宮行きまで少し時間があったので、改札を出て、駅のスタンプを押す。そろそろ通勤客が増えてきていたので、ホームへ戻って、電車を待ったが、まだのんびりした感じだった。しばらくして電車に乗り込み、宇都宮駅で黒磯行きへと乗り継ごうと...福島交通飯坂線乗りつぶしの旅

  • 近江鉄道乗りつぶしの旅

    お盆に愛知県の実家に帰省中だが、天気もまずまずとのことなので、「青春18きっぷ」を使って、日帰りで滋賀県へ行って、近江鉄道の乗りつぶしをしてくることにした。朝食後実家を出て、中央本線に乗って、金山駅まで行き、東海道本線の米原行き新快速に乗り換える。結構混んでいたが、なんとか窓側の席を確保して、ぼんやりと窓外の景色を眺めていた。電車は名古屋駅から満席となって、立っている人も多くなり、濃尾平野を順調に走って行って、米原駅へとたどり着く。米原駅で下車し、駅のスタンプを押してから、近江鉄道の改札口へと向かったが、次の電車までには30分以上の待ち時間があった。近江鉄道は、滋賀県内において、米原市の米原駅~甲賀市の貴生川駅間(47.7km・駅数25)を結ぶ本線と彦根市の高宮駅~犬上郡多賀町の多賀大社前駅間(2.5km・駅数...近江鉄道乗りつぶしの旅

  • イイナパーク川口・赤山城跡の旅

    天気も良く、数日来の猛暑も少し落ち着いたので、昼食後、新しく今年の4月にオープンした「イイナパーク川口」と赤山城跡へ行ってみることにした。自家用車で東京外環自動車道の下道を進み、川口ジャンクションから首都高速川口線の下道へと入っって行くと、しばらくして、「イイナパーク川口」仮駐車場の看板があったので左折する。この施設は、まだ建設途上で、駐車場も砂利敷きの仮のものではあるが、スペースは広かった。平日でもあるので、車はまばらにしか停まっていず、一番入口に近いところへ駐車する。しばらく砂利道を歩いていくと、川口市立の「歴史自然資料館」が開館していたので、見学していくこととした。入館は無料であるが、展示物は少なく、映像中心となっている。まず、土の家展示室に入ったが、「赤山陣屋と伊奈氏」、「安行の植木」がテーマとなってい...イイナパーク川口・赤山城跡の旅

  • 旅の豆知識「ダム湖百選」

    旅行先で、ダムやダム湖に立ち寄ることも少なくないかと思います。秋の紅葉、初夏の新緑、春の桜、冬の雪化粧など四季折々に、風情を感じ、湖上遊覧なども楽しめたり....。また、ダムそのものにも、きれいな弧を描くアーチ式、どっしりとした重力式、周辺の石材で固められたロックフィル式などそれぞれの構造美を感じられたりもします。しかし、その一方で水没を余儀なくされ、故郷を離れていった人々のことも忘れることができません。ダムサイトに水没した集落の暮らしぶりを展示する資料館などもあったりして、興味深いのです。ダムやダム湖を訪れたならば、自然の美しさとともに、そこにあった人々の歴史にも目を向けてみたいと思うのですが.....。そんな中で、「ダム湖百選」というのが、選定されていますので、ダムやダム湖巡りの時の参考にしてみてはいかがで...旅の豆知識「ダム湖百選」

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