りせ さん プロフィール

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りせさん: 京都を歩くアルバム
ハンドル名りせ さん
ブログタイトル京都を歩くアルバム
ブログURLhttp://kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/
サイト紹介文季節とともに移り変わる京都の風景や行事を絵画のように切り撮っています。2006年1月から毎日更新中
自由文YouTubeの「京都の四季」も作っています。ご覧ください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2007/02/19 00:25

りせ さんのブログ記事

  • 浄福寺 開創伝承と史実
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の浄福寺通の南に浄福寺の朱塗りの東門(赤門)があります(上は南門)。「浄福寺」は山号を恵照山という浄土宗の寺院ですが、この門から赤門寺とも呼ばれています。赤門は17世紀前半の再建。江戸時代の天明の大火(1788年)では京都中が炎に包まれ、寺にも火が迫りましたがこの門の前で止まったといわれます。鞍馬から天狗が [続きを読む]
  • 今出川通を歩く 千本通から浄福寺通へ
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。過去何回か千本今出川あたりの寺院を記事にしてきましたが、今日は千本通から浄福寺通まで、今出川通を東に歩きます。上の写真は千本今出川通西の護念寺のそばにある「串しずか」と「喫茶静香」、二つの建物は奥でつながっています。下は千本今出川の交差点、北東の角(中央)で大規模な工事(建物の解体と整地)をしています。左は舞妓 [続きを読む]
  • 般舟院 皇室ゆかりの寺院と事件の顛末
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。千本今出川の交差点の東、今出川通に面して天皇陵、嘉楽中学校、西圓寺が並んでいます。そこは、かつて般舟院(はんしゅういん、はんじゅういん)という寺院があった場所です。「般舟院」は、山号を指月山、正式名称を「般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)」という天台宗延暦寺派の寺院です。室町時代の1464年、後土御門天皇(1442-1500)は即 [続きを読む]
  • 千本今出川 浄土院と護念寺
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。千本今出川の交差点の西にある二つの尼寺を訪れました。先日記事にした上善寺の西隣に浄土院があります。いつも門を閉ざしていますが由緒のある寺です。「浄土院」の創建は古く平安時代の藤原期(894-1285)の末、宗印が開基となり般舟院(はんじゅういん)の隠居所として創建されたといいます。安土桃山時代の1587年、豊臣秀吉が北野大 [続きを読む]
  • 伏見稲荷大社 神田と啼鳥庵
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の玉山稲荷社の前に戻り、左の道を行くと稲荷山に上るもう一つの参道の入口があります。この参道は、裏参道と表参道の間にあり、千本鳥居の入口付近か熊鷹社の前で表参道に合流します。入口左手に納札所があります。古いご神札やお守りを納める場所で、それら以外のご神霊、ご神体、お社等を納める場合は本殿の左側にある受付 [続きを読む]
  • 伏見稲荷大社 末社と石碑を訪ねて
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。西陣(千本通)の記事が続いたので、今日は伏見稲荷大社にしました。今年になってから初詣を始め何回か訪れていますが、その時境内に多数ある摂末社や石碑が気になっていました。中央参道の左に広場があり三つの末社が並んでいます。「霊魂社」 慶応3年(1867)に建立され例祭は秋分の日、瑞穂講社や講務本庁の特別崇敬者など当社に係り [続きを読む]
  • 千本通を歩く 瑞雲院と上善寺
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。一昨日の記事の釘抜地蔵の向かいに瑞雲院があります。「瑞雲院」は山号を仏迎山(ぶつこうざん)という浄土宗知恩院派の寺院です。山門が閉まっていますが、本尊の阿弥陀如来像はあどけない表情から「児如来(ちごによらい)」と呼ばれ、不思議な話が伝わっています。平安時代の天徳年間(957-961)、江州高島郡(滋賀県安曇野町)の長者夫婦に3 [続きを読む]
  • 首途八幡宮 9月15日は例大祭
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。今出川通を歩いていると、首途(かどで)八幡宮の前に露店が出ていたので立ち寄ってみました。昨日は宵宮祭でしたが、行事はほとんど終わりかけていました。このあたりは平安京の大内裏の北東に位置し、「首途八幡宮」は王城鎮護の神として鎮座してきました。皇后たちの崇敬も厚く、『源氏物語』に登場する桃園親王の旧跡としても知られ [続きを読む]
  • 石像寺 釘抜地蔵となった理由は?
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の乾隆小学校の隣に石像(しゃくじょう)寺があります。「石像寺」は、正式には家隆山光明遍照院石像寺という浄土宗の寺院で、知恩院の末寺です。一般には「釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)」と呼ばれています。平安時代初めの弘仁10年(819)弘法大師空海が石像を彫り、人々を苦しみから救おうと「苦抜(くぬき)地蔵」と名づけまし [続きを読む]
  • 千本通を歩く 鞍馬口から寺之内へ
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。千本通の二つの寺院を訪れてきましたが、その他にも通りには様々な見どころがあります。上品蓮台寺はかって支院が12もあり、現在でもその付近は十二坊町と呼ばれています。上は北十二坊のお地蔵さん。「十二坊交番」 あたかも上品蓮台寺の守衛のような場所にあります。ここから少し南の千本通東側に上品蓮台寺の(かっての)支院・普門 [続きを読む]
  • 千本ゑんま堂 小野篁と紫式部
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の上品蓮台寺を出て、千本通を南に行くと質素な冠木門があります。一般には「千本ゑんま堂」とよばれ、正式名称を「引接寺」という高野山真言宗の寺院です。「引接」は「引導」と同じ意味で、仏の道に導くことだそうです。平安時代前期の歌人でもあった官僚・小野篁(802-853)は、この世とあの世を行き来する神通力があり、昼 [続きを読む]
  • 上品蓮台寺 9月の花めぐり
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。千本北大路から少し下がったところにある上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)を訪れました。「上品蓮台寺」は、山号を蓮華金宝山(れんげこんぽうざん)、院号を九品三昧院(くぼんざんまいいん)という真言宗智山派の寺院です。枝垂れ桜で有名ですが、いつ訪れても様々な花が咲く寺です。上品蓮台寺の創建は古く、飛鳥時代に聖徳太子が [続きを読む]
  • 豊国廟と秀吉没後の歴史
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の女坂の東端には豊国廟(ほうこくびょう)の二の鳥居と石段があります(一の鳥居は新日吉神宮の横です)。「豊国廟」は豊臣秀吉の墓所ですが、秀吉没後の歴史に翻弄され、様々な変遷を経てきました。安土桃山時代の1598年8月 豊臣秀吉は伏見城で63歳で死去しました。その死は当初、極秘扱いにされ、翌1599年4月遺言によって [続きを読む]
  • 「女坂」を歩く
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。「女坂(おんなざか)」とは、東山七条にある智積院と妙法院の間から東方向の阿弥陀ヶ峰へ延びていく坂道のことです。「イル・パッパラルド」 イタリア料理のレストランで、ミシュランガイドのビルグルマンに選ばれました。ビルグルマンは2014年から導入された評価指標で、良質な料理をお手軽な値段(主に5000円以内)で楽しめる店だそ [続きを読む]
  • 台風被害 宗忠神社と大将軍神社(東山三条)
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の竹中稲荷神社の前に宗忠神社があります。「宗忠神社」は江戸時代後期に黒住宗忠が開いた「黒住教」の神社で教祖・宗忠を祀ります。宗忠の死後、京都で黒住教の布教をしていた高弟・赤木忠春が吉田神社からこの地を譲渡されて宗忠神社を創建したのは幕末の1862年です。(境内には台風で落ちた枝があちこちにまとめられていま [続きを読む]
  • 台風被害 吉田神社と最新被害情報
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の百万遍知恩寺から吉田神社を訪れました。参道の坂道の横にある「吉田幼稚園」にクレーン車が出ていました(上の写真)。以下では、台風21号による京都府の文化財被害の最新情報も合せて紹介します。台風によって左横の木の枝が多数折れ、そのまま引っかかっているのを落としていました。翌日から幼稚園を再開するために作業 [続きを読む]
  • 台風被害 下鴨神社と知恩寺
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。一昨日(9月4日)に近畿地方を襲った台風21号は、京都の文化財にも多くの被害がありました。家の近くの気になる寺社の写真とともに、昨日の段階で判明している京都府の文化財被害をお知らせします。上は下鴨神社の表参道の入口で、宮司の新木直人氏が通りかかりました。下は下鴨神社の東の塀からも倒木が見えます。いつも下鴨神社に入る [続きを読む]
  • 新日吉神宮 (台風被害は後程)
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。台風21号によって京都の寺社や観光名所にも被害があったようです。下鴨神社、吉田神社、宇治神社、仁和寺、大覚寺などで鳥居や建物の一部が破損したり倒木があり、渡月橋の欄干が破損しました。詳しい情報が分かったらお知らせします。昨日の記事の香雪院の前の通りを南に行くと、女坂の向かいに新日吉(いまひえ)神宮があります。鳥居 [続きを読む]
  • 東山聖天 尼寺・香雪院
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の喜運寺の南の通りを下ると、渋谷街道と女坂を結ぶ通りに出ます。その通りにある「香雪院」は、妙法院の塔頭寺院で東山聖天ともよばれます。妙法院は豊臣秀吉が造営した天台宗の門跡寺院で、東山七条の智積院の北にあります。山門を入った右に「鎮守社」があります。香雪院は江戸時代初期の寛保年間(1741-1743)妙法院23世・尭 [続きを読む]
  • 喜運寺 元・五条坂の弁財天
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の小松谷正林寺の境内に接して、喜運(きうん)寺の山門があります。「喜運寺」は山号を紫雲山という浄土宗の寺院で、正林寺の塔頭ではありません。*山号が「延命山」となっている情報もありますが、御朱印には紫雲山と書かれています。喜運寺の開山・開基は不明ですが、江戸時代前期の寛永年間(1624-1645)に創建され、当初は [続きを読む]
  • 小松谷正林寺 平重盛と九条兼実
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。渋谷街道(渋谷通)を東に行くと、右手に正林(しょうりん)寺の山門が見えてきます。「正林寺」は山号を清涼山、院号を光明真言院という浄土宗の寺院で、かって小松谷御坊とよばれていました。平安時代末期、この地には平家の武将・平重盛(1138-1179)の別邸・小松殿がありました。その殿内には48の灯籠をともして念仏させたという灯籠 [続きを読む]
  • 旧市街と地蔵盆 もう一つの寺町通・最終回
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の渋谷街道の続きは明日にして、今日は先日から続いてきた「もう一つの寺町通」の最終回です。今まで、新間之町通と新堺町通から東の寺院①〜⑪を中心に見てきました。その西は寺は少ないので、目についた建物(お店)も紹介します。上は新東洞院通と仁王門通の交差点北西にある「新洞小学校」の跡地で、この小学校は明治2年( [続きを読む]
  • 渋谷街道と三嶋神社
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。東大路通の馬町交差点から東に続く府道は「渋谷(しぶたに)街道」と呼ばれます。渋谷越とも呼ばれ、東山を越えて洛中と山科を結ぶ通りの一つです。かっては滑谷(しるたに)や汁谷とも記され、沢の水や落ち葉などにより滑りやすい道だったことに由来するそうです。上の花屋さんの横の道に「佐藤継信・忠信之塚 正六位政養之碑」の石標 [続きを読む]
  • 新堺町通と新間之町通を歩く
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事に続いて、仁王門通に交わる南北の通りを歩きます。最初に仁王門通に戻ると、信行寺の西に⑦清光寺があります。浄土宗の寺院で、中央が本堂、右に寺務所があります。本堂には本尊・阿弥陀如来を祀り、本堂の左手、寺務所の向かいに勢至堂と観音堂があります。このあたりの仁王門通を中心に、江戸時代中期の「宝永の大火」の後 [続きを読む]
  • もう一つの寺町通 新高倉通
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。先日、仁王門通の信行寺と寂光寺、東山三条北の要法寺を記事にしました。それらの宗派は異なりますが、共通するのは江戸時代の「宝永の大火」(1708)によって被災、鴨東の現在地に移転してきたことです。江戸時代前期の「寛文の大火」(1661)によって、檀王法林寺(浄土宗)と頂妙寺(日蓮宗)が現在地に移転してきました。?光心寺  [続きを読む]