羽柴茶々 さん プロフィール

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羽柴茶々さん: 今日は何の日?徒然日記
ハンドル名羽柴茶々 さん
ブログタイトル今日は何の日?徒然日記
ブログURLhttp://indoor-mama.cocolog-nifty.com/
サイト紹介文おかげ様で2000万アクセス突破!感謝です…その日の出来事や歴史ウラ話を楽しくわかりやすく♪
自由文その日に起こった出来事を中心に、武将の勇ましさはもちろん!神の奇跡から下世話なウワサまで、歴史のあんな事こんな事書いてます。
その日の主役を飾った1000名を越える歴史人物!
2500を越える歴史エピソード!
ご一緒に歴史を楽しんでいきましょう
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供57回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2007/04/01 21:24

羽柴茶々 さんのブログ記事

  • 信長VS顕如・石山合戦〜高屋・新堀城の戦い
  • 天正三年(1575年)4月21日、織田信長と本願寺顕如による石山合戦での高屋・新堀城の戦いが終結しました。・・・・・・・・・・永禄十一年(1568年)に、第15代室町幕府将軍=足利義昭(よしあき・義秋)を奉じて上洛(9月7日参照>>)を果たした織田信長(おだのぶなが)・・・信長上洛の際、それまで畿内を牛耳っていた三好(みよし)家では、嫡流の三好義継(よしつぐ=長慶の甥で養子)と重臣の松永久秀(まつながひさひで) [続きを読む]
  • 永享の乱後の結城合戦〜関東と大和と東北と…
  • 永享十三年(1441年)4月16日、幕府に反発した結城氏朝らによる結城合戦で、結城城が陥落しました。・・・・・・・・・・・南北朝の不穏な空気が収まらなかった事から、本拠地が関東でありながら京都は室町(むろまち=京都市上京区)にて幕府を開く事になった足利尊氏(あしかがたかうじ)(8月11日参照>>)は、将軍職を三男の義詮(よしらきら)に継がせ、四男の基氏(もとうじ)を鎌倉公方(かまくらくぼう)として関東の支配 [続きを読む]
  • 赤松VS山名の最終決戦〜英賀坂本城の戦い
  • 長享二年(1488年)4月7日、山名政豊の播磨坂本城を赤松政則が攻めた英賀坂本城の戦いがありました。・・・・・・・・・・・嘉吉元年(1441年)、播磨・備前・美作(みまさか=岡山県北東部)の守護(しゅご=現在の県知事みたいな?)であった赤松満祐(あかまつみつすけ)が、時の室町幕府将軍=足利義教(あしかがよしのり=第6代)を暗殺した嘉吉の乱(かきつのらん)(6月24日参照>>)・・・この事件により赤松家は衰退する [続きを読む]
  • 秀吉の中国攻め〜播磨英賀城の戦い
  • 天正八年(1580年)4月1日、織田信長の命で中国攻略中の羽柴秀吉が播磨英賀城を攻撃しました。・・・・・・・・・・・天正元年(1573年)・・・7月に第15代室町幕府将軍=足利義昭(よしあき・義秋)を槇島城(まきしまじょう=京都府宇治市槇島町)に攻め(7月18日参照>>)、翌8月には越前(えちぜん=福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ)(8月6日参照>>)と、北近江(きたおうみ=滋賀県北部)の浅井長政(あざいながま [続きを読む]
  • 徳川家康、徹底根絶やし〜気賀堀川城一揆
  • 永禄十二年(1569年)3月27日、徳川家康の最大の汚点とも言われる気賀・堀川一揆がありました。・・・・・・・・・・・昨年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、その賑やかさが記憶に新しい気賀(きが=浜松市北区細江)。ドラマでもあったように、この町は、南に浜名湖(はまなこ=静岡県浜松市から湖西市)を持ち、東に川が流れ、北を街道が通るという陸路&水路の便利さがあるとともに、満潮になると周辺が湿地帯となるその地形 [続きを読む]
  • 小牧長久手〜峯城&松ヶ島城の攻防戦
  • 天正十二年(1584年)3月19日、小牧長久手の北伊勢方面の戦いである松ヶ島城の戦いが終結しました。・・・・・・・・・・織田信長(おだのぶなが)亡き後(6月2日参照>>)、仇となった明智光秀(あけちみつひで)を山崎(やまざき=京都府)に討って(6月13日参照>>)織田家家臣内で優位に立ち、その後の清州(清須)会議(6月27日参照>>)を仕切った羽柴秀吉(はしばひでよし=後の豊臣秀吉)を味方につけ、後継のライバル [続きを読む]
  • 小牧長久手・前哨戦〜亀山城の戦い
  • 天正十二年(1584年)3月12日、小牧長久手の戦いの北伊勢方面の攻防となる亀山城の戦いがありました。・・・・・・・・・・・天正十年(1582年)6月2日の『本能寺の変』によって命を落とした織田信長(おだのぶなが)・・・(6月2日参照>>) 信長と同時に、すでに家督を譲られていた嫡男の信忠(のぶただ)(11月28日参照>>)も亡くなってしまった事から、織田家の後継者は、信長の次男の織田信雄(のぶお・のぶかつ=北畠信意 [続きを読む]
  • 久米田の戦い〜三好実休が討死す
  • 永禄五年(1562年)3月5日、久米田の戦いで三好実休が討死しました。・・・・・・・・・・室町幕府管領(かんれい=将軍の補佐役)として絶大な力を持っていた細川政元(まさもと)(6月20日参照>>)亡き後の主導権争いに打ち勝って政権を握った細川晴元(はるもと)に対し、天文十八年(1549年)に江口の戦い(6月4日参照>>)にて勝利して彼を近江(おうみ=滋賀県)へと敗走させた三好長慶(みよしながよし・ちょうけい)は [続きを読む]
  • 島津斉彬の江戸入りと「お庭方」西郷隆盛
  • 嘉永七年(安政元年=1854年)3月1日、島津斉彬の江戸入りに西郷隆盛が随行し、「お庭方」役につきました。・・・・・・・・・・・ご存じ!今年の大河ドラマ「西郷どん」の主役=西郷隆盛(さいごうたかもり=本名:隆永、通称:吉之助→善兵衛→吉兵衛→1周回って吉之助)です。(実は「隆盛」はお父さんの名前…維新後、位階を受ける際に友人が間違って父親の名を提出してしまったため、以後、自ら「隆盛」と名乗る事にしたらし [続きを読む]
  • 織田信長の雑賀攻め序盤〜孝子峠の戦いと中野落城
  • 天正五年(1577年)2月22日、織田信長による雑賀攻め初の交戦=孝子峠の戦いがありました。・・・・・・・・・・・元亀四年(天正元年=1573年)には、自らが担いでいた神輿(9月7日参照>>)=第15代室町幕府将軍=足利義昭(よしあき・義秋)を追放(7月18日参照>>)し、その1ヶ月後には、越前(えちぜん=福井県東部)の朝倉義景(あさくらよしかげ)(8月6日参照>>)、近江(おうみ=滋賀県)の浅井長政(あさいながまさ [続きを読む]
  • 猿掛城攻防〜庄為資と毛利元就と三村家親と…
  • 永禄二年(1559年)2月15日、三村家親から救援要請を受けた毛利元就が猿掛城を攻撃すべく、備中伊原に布陣しました。・・・・・・・・・・備中(びっちゅう=岡山県西部)猿掛城(さるかけじょう=岡山県小田郡矢掛町)は標高230mの猿掛山に築かれた山城で、山の北側には東西に流れる小田川があり、それと並行するように走る旧山陽道を抑えた要所にありました。その歴史は古く、平安時代の終わり頃には、ここに領地を与えられた庄 [続きを読む]
  • 永享の乱〜鎌倉公方・足利持氏が自刃
  • 永享十一年(1439年)2月10日、『永享の乱』で敗れた第4代鎌倉公方=足利持氏が自刃しました。・・・・・・・・・ともに鎌倉幕府を倒した(5月22日参照>>)後醍醐(ごだいご)天皇と対立し、室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)(8月11日参照>>)でしたが、当時は、一方の後醍醐天皇が吉野(よしの=奈良県)にて南朝を開いており、未だ動乱の真っ只中・・・故に結局、尊氏は、足利家の本拠地が関東であるにも関わ [続きを読む]
  • 織田信長〜本圀寺の変からの二条御所の築造
  • 永禄十二年(1569年)2月2日、織田信長が足利義昭の新御所の築造を開始しました。・・・・・・・・・・ややこしいので、まずは・・・京都において歴史上、二条御所(にじょうごしょ)と呼ばれた建物は3つあり、二条城(にじょうじょう)と呼ばれる城も3つあります。ただし、このうち、1番目の二条御所が二条城と呼ばれる事はほとんど無く、2番目&3番目の二条御所が二条城とも呼ばれてカブッていて、最後の二条城が二条御所と呼ば [続きを読む]
  • 枚方宿〜夜歩き地蔵と遊女の話
  • 本日は、大阪は枚方(ひらかた)に伝わる昔話?民話?言い伝え?伝説?的なお話を一つ・・・(今日は何の日?でなくてスミマセンm(_ _)m)・‥…━━━☆枚方は、京都から大阪湾へと流れる淀川(よどがわ)沿いの中間あたりに位置する事から、古くは『古事記』や『日本書紀』にもその名が登場するほどに、古来より人の往来の盛んな場所でしたが、江戸時代の京街道と枚方の地図↑ で大きく(背景は地理院地図>>) やがて [続きを読む]
  • 武田VS北条〜薩埵峠の戦い(第2次)
  • 永禄十二年(1569年)1月18日、北条氏政が武田信玄を攻撃するため四万五千の軍を率いて駿河に出陣し、薩埵峠に布陣しました。・・・・・・・・・・・北東方面へと手を伸ばしたい甲斐(かい=山梨県)の武田信玄(たけだしんげん)、上洛を見据えて西へと手を広げたい駿河(するが=静岡県中北部)の今川義元(いまがわよしもと)、関東支配を強めたい相模(さがみ=神奈川県)の北条氏康(ほうじょううじやす)・・・お互いの利害 [続きを読む]
  • 細川管領家後継者争い〜高国VS澄元の腰水城の戦い
  • 永正十七年(1520年)1月10日、細川高国が摂津越水城を包囲する細川澄元&三好之長勢に決戦を挑みました。・・・・・・・・・・・・あの応仁の乱に終止符を打ち乱世の梟雄と呼ばれた管領(かんれい=将軍の補佐役)=細川政元(ほそかわまさもと=細川勝元の息子)・・・この政元に実子がいなかった事から、その死後に3人の養子関白・九条政基(まさもと)の子・澄之(すみゆき)、阿波(徳島県)の細川家から来た澄元(すみもと) [続きを読む]
  • 日本史の新発見&発掘…2017年総まとめ
  • いよいよ、2017年も終わりに近づきました・・・て事で、またまた一年の締めくくりに、今年に報じられた様々な日本史の発見や発掘のニュースを総まとめにして振り返ってみたいと思います。ただ、いつものように・・・専門家で無い茶々の知り得るところのニュースでありますので、あくまで一般に公表&公開された公共性のある物である事、また、私が関西在住という事もあっての地域性(他の場所のニュースはなかなか知り得ない)・ [続きを読む]
  • 松永久秀、信長に2度目の降伏〜多聞山城の戦い
  • 天正元年(1573年)12月26日、筒井順慶を主力にるす織田信長軍に攻められた松永久秀父子が多聞城を明け渡しました。・・・・・・・・畿内を制する三好長慶(みよしながよし)(5月9日参照>>)の家臣として活躍していた松永久秀(まつながひさひで)・・・主君の命を受けて永禄二年(1559年)頃から大和(やまと=奈良県)への侵攻を開始し(11月24日参照>>)、間もなく信貴山城(しぎさんじょう=奈良県生駒郡平群町)を改修し [続きを読む]
  • 赤沢朝経率いる京軍の大和侵攻〜奈良の戦国
  • 明応八年(1499年)12月18日、赤沢朝経率いる京軍が大和衆の籠る秋篠城を攻撃しました。・・・・・・・・・・・日本が真っ二つに分かれて戦った応仁の乱(5月20日参照>>)・・・約10年に渡るこの大乱は文明九年(1477年)11月に終わりを告げました(11月11日参照>>)が、もともと、将軍家や管領家などの複数の後継者争いが発端だった事や、そのそれぞれを支持する地方の武将が、それぞれ東西に分かれて戦った事、結果的にどっ [続きを読む]
  • 戦国の幕開け〜将軍・足利義材による六角征討
  • 明応元年(1492年)12月13日、足利義材による六角高頼の征討が終わり、義材が帰京の途につきました。・・・・・・・・・・・そもそもは・・・さっさと将軍を辞めて趣味の世界に生きたい第8代室町幕府将軍の足利義政(あしかがよしまさ)が、仏門に入っていた弟=足利義視(よしみ)(1月7日参照>>)を呼び戻して次期将軍に指名したものの、その途端に正室=日野富子(ひのとみこ)との間に男の子=足利義尚(よしひさ)が生まれ [続きを読む]
  • 家康愛刀「ソハヤノツルキ」の持ち主〜斎藤妙純の最期
  • 明応五年(1496年)12月7日、近江の六角高頼を攻めた斎藤妙純父子が、土一揆に襲われて死亡しました。・・・・・・・・・・・・斎藤妙純(さいとうみょうじゅん=利国)は、美濃(みの=岐阜県)の守護代だった斎藤利永(としなが)の次男で、叔父である斎藤妙椿(みょうちん)の養子となって、妙椿の家系である持是院家(じぜいんけ)を継いでいます。応仁の乱の際には、西軍として、養父=妙椿とともに伊勢周辺に出兵し、この乱 [続きを読む]
  • 秀吉の中国攻め〜黒田&竹中=二兵衛が迫る福原城の戦い
  • 天正五年(1577年)12月1日、信長の命を受けた秀吉の中国攻めの福原城の戦いで、福原則尚の福原城が開城されました。・・・・・・・・・・元亀四年(天正元年=1573年)7月に、第15代室町幕府将軍=足利義昭(あしかがよしあき)の槇島城(まきしまじょう)を攻撃し(7月18日参照>>)、続く8月に越前の朝倉と北近江の浅井を倒し(8月28日参照>>)、翌・天正二年(1574年)に長島一向一揆をせん滅し(9月29日参照>>)、さらに [続きを読む]
  • 三好長慶に衰退の影迫る〜将軍地蔵山の戦い
  • 永禄四年(1561年)11月24日、三好義興が松永久秀とともに山城勝軍地蔵山に布陣中の六角義賢に攻めた将軍地蔵山の戦いがありました。・・・・・・・・・・室町幕府管領(かんれい=将軍の補佐役)として絶大な力を持っていた細川政元(まさもと)(6月20日参照>>)亡き後の混乱する主導権争いに打ち勝ち、畿内に政権を樹立した細川晴元(はるもと)・・・もちろん、政権樹立と言っても、時は室町時代なので、晴元は管領で時の将 [続きを読む]
  • 京都の覇権を巡って〜東山・川勝寺口の戦い
  • 大永七年(1527年)11月19日、京都奪回を目指す足利義晴&細川高国勢が三好元長&柳本賢治らと激戦を繰り広げた東山・川勝寺口の戦いがありました。・・・・・・・・・・・・応仁の乱の混乱修復後、室町幕府管領(かんれい=将軍の補佐役)として政権を掌握した細川政元(まさもと)・・・ その政元亡き後に勃発した、細川澄之(すみゆき)、細川澄元(すみもと)、細川高国(たかくに)の3人の養子たちによる後継者争いに打ち勝っ [続きを読む]