namoamidabutsu18 さん プロフィール

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namoamidabutsu18 さん: 京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草
ハンドル名namoamidabutsu18 さん
ブログタイトル京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18
サイト紹介文京都、仏教etc、拙き日暮らしを駄文に写真を添えて書き記しておく、我が備忘録。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供64回 / 365日(平均1.2回/週) - 参加 2007/04/28 03:23

namoamidabutsu18 さんのブログ記事

  • 魚山勝林院、「慈母讃嘆報恩会式」。
  • 残暑厳しき28日、魚山勝林院にて『慈母讃嘆報恩会式』(← )が尼僧のみの式衆で厳修された。この法儀は、「百石讃嘆(ももしゃくさんだん)」を中心に編まれている。「百石讚嘆」は、光明皇后が詠んだ和讚で、平安時代に唐より魚山聲明を伝えた慈覚大師円仁が作曲したと伝える音曲である。昨年まで寂光院で勤められていたが、今回は勝林院での開闢となった。従って本尊は阿弥陀如来となり、昨年まで始経は『地蔵菩薩本願経』 [続きを読む]
  • 當麻寺遊行。
  • 【1】【2】【3】ちょうど1年ぶりやあらん、友人と奈良に遊ぶ。奈良国立博物館『糸のみほとけ』展へ行った。小学生以来だと記憶するが、法隆寺所蔵「天寿国曼荼羅繍帳」を見ることができた。そして初めて、当麻寺所蔵の見事な刺繍の曼荼羅「観無量寿経変相図」原本を見る。中将姫が蓮の茎から紡いだ糸で、一夜にして織り上げたと伝わる曼荼羅である。『仏説観無量寿経』に説かれる姿を絵画に表現したもので、画面一杯に阿弥陀三尊 [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −49−
  • 【1】    一、十四行偈上に記す如く幸雄僧都の墨譜にして懺法例時両経段の墨譜を以てつくれり    然れ共幸雄の意初心の目安の為に墨譜のすがたをかへおかれたるところあり    よりて両経段の体をあはせたるものとはしりがたし故に唱ふるもの二伝三伝して    終(つひ)に諷詠のおもむきを失へり    余往年西光寺賢従に此偈をさずかる    賢従の諷詠するところ大に他の僧侶に異なり余かつてこれをあやしむ [続きを読む]
  • 台風一過、琵琶湖夏景。
  • 台風一過の琵琶湖、下阪本からの風光。近畿地方は何とか無難に通り過ぎて行ってくれたが、この異常気象は、年々、度を超えている感がある。それにしても早い梅雨明けの後、殺人的な暑さに我が思考はマヒしがちである。それでもメンタル的に憂鬱な春先よりかは、幾分ましなのかも知れない。やはりこうして琵琶湖を眺めていると、少しなりとも精神衛生には良いものだ………。相変わらず、モラハラやパワハラの話題をここかしこで聞く [続きを読む]
  • 炎暑、祇園御霊会後祭宵山。
  • 父親に付き合い、祇園御霊会後祭宵山に遊ぶ。烏丸通六角辺りに自家用車を駐車し、六角通を西に歩く。途中、六角通烏丸西入ルの浄妙山を見て、新町通に至る。六角通から、新町通を少し南下したところにあるのが北観音山である。北観音山会所の斜め向かいに、父親の高校時代の後輩の屋敷がある。父親はこの後輩と年に一度、祇園祭に出会うのを楽しみにしている。しばしこの屋敷で催される酒宴に過ごす。ここに京都の夏を想う。それに [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −48−
  • 【1】【2】    一、入出二門偈は法華懺法六根段の墨譜を用ゆ    あながち滞るところなしといへども六根段を唱ふるおもむきなし     右等の数品何人の製することをきかず                             光隆寺知影『魚山余響』第65条「入出二門偈」とは、宗祖親鸞の撰述になる偈文である。浄土真宗各派においては、高田派などもこれを勤行に用いる。現今の西本願寺では、御正忌報恩講の中 [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −47−
  • 【1】【2】【3】【1・2】安政本『聲明品』所収の「文讃」。【3】『合行曼荼羅供』中の「九方便」。ここにも中山玄雄師によって、四箇拍子のことが註記されている。    一、文讃は九方便による    九方便は一拍子にても半拍子にても唱ふるなり    吾山内にて文讃を半拍子にて唱ふることをしりたる人なし    半拍子の方殊勝なり    毎歳九月二十七日大谷十一月二十四日本山    右両度の逮夜文讃を依用したま [続きを読む]
  • 【INDEX No.117】 アーカイブスガイド
  • ■真夏の午後、山科築堤を快走する117系シティーライナー新快速。1985年8月4日撮影。■  ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)佛光寺伽藍の南側、高辻通に面して、大きな伝道掲示板が設えられてある。この掲示板には「佛光寺8行標語」と称して、8行の言葉が毎月更新されて掲示される。私はこれを見るのを、とても楽しみにしている。モンテーニュの『エセー』の如く、あるいはゲーテの『格言集』のように明快な言 [続きを読む]
  • 拙ブログ開設13年目に。
  • 早いもので、また1年が経過すれば、拙ブログも13年目を迎えることとなった。気が付けばアクセス数も750000を超えている。まことに有難いことと思う。最近は、聲明に特化した内容ばかりが多くなっている感がある。私が今まで学んできた事柄を、形として記録しておきたい思いを強くしている。自身の存在意義などいよいよ曖昧であり、意味をなすこともない。もし僧籍に在ることに自己の存在意義を見出そうとするならば、それはただた [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −46−
  • 【1】【2】    一、自帰讃は哭仏讃による    勧帰讃は仏讃によれり                                 光隆寺知影『魚山余響』前項から引き続く条文である。『自帰讃』は『哭仏讃(こくぶつさん)』の譜面を転用し、『勧帰讃』は『仏讃』から転用した音曲である。『哭仏讃』は、天台宗においては釈尊が入滅した「涅槃会」で勤められる、『涅槃講式』に引き続いて唱えられる讃である。その [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −45−
  • 【1】【2】【3】  一、五眼讃 仏吼讃 諸智讃は宝暦中五百回御忌前に新譜なるよし    五眼讃は四智梵語ノ讃 仏吼讃は僧讃 諸智讃は心略讃によれり      何人の作と云ことをしらず    いずれ面白からぬものなり    五眼讃などは尤滞るところ多し                            光隆寺知影『魚山余響』慶証寺玄智(1734−1794)が著した『考信録』によれば、   本山の聲明特改 [続きを読む]
  • 南志賀田園引水風光。
  • 実家の北側にある田んぼに、水が引かれた。田植えが済んだ水田も見受けられる。昼と夜との寒暖差が激しすぎる感が否めないが、昼間はややもすれば初夏の気色だ……。さまざまなる思いが去来する、5月の連休である。昨日は母親が往生して、ちょうど2年の歳月が流れた。後日、改めて法要は執り行うことにしているが、三回忌の祥月命日だった。そして奇しくもその日は、父親にとって84歳になりなんとする誕生日でもある。昨日は大阪 [続きを読む]
  • 「善導大師画讃」。−知影著『魚山余響』を読む。《40》補遺−
  • 【1】【2】過日、拙ブログ《知影著『魚山余響』を読む。−40−》(← )において、『魚山余響』第56条について書き付けた。即ち、「善導画讃」をいささか考察した訳だが、西本願寺第14世・寂如が新調した、「七高僧御影」中に自らしたためた「画讃」ではないことが改めて解った。隣山興正寺に知影が書き写した奥書と全く同じ奥書を持つ、「善導画讃」の写本が存在していた。この写本は、興正寺第27世門主・本寂(華園摂信・ [続きを読む]
  • 魚山聲明・調子笛の《返伝》。
  • 【1】【2】【3】【4】【1】老師僧が魚山浄蓮華院の師僧を前に、魚山相伝の調子笛を託す旨を記した、「贈り状」を読み上げられているところ。【2・3・4】老師僧から、魚山の師僧に《返伝》された調子笛。箱の蓋の表裏に、相伝した者の名が記されている。調子笛は竹製で朱の漆が施され、各管に金字で音名が記されている。欲しい音の先端を吸うと、調律された音が出る。去んぬる4月17日、私は播州におわす老師僧の御自坊に在った。昨 [続きを読む]
  • 湖都春望。−柳が崎・長等山−
  • 弥生25日、久しく柳が崎の湖畔に立ちて詠みし歌。       冬はてて霞む弥生の柳が崎             そぞろたちたつたそがれのころ同じき28日、所用にて札の辻へ行きし時に、長等山に麓にさしかかりて、早くに満開に咲きたる桜をみるに………      ひととせはせきてすぎなむ去年今年(こぞことし)                     せちに想ひし三井のさくらは弥生の明けて卯月となれども朝夕の寒さ [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −44−
  • 【1】  一、勧請は我弟子 我今 三世 諸天讃を学ぶべし    勧請の品あまたあれどもこの四箇の墨譜を出さるなり    この四品ともみな古代の墨譜なればふかく意をつけてならふべし    敬礼勧請も一種の体あれども    しひてならふべきほどのこともなきか                                 光隆寺知影『魚山余響』「勧請」とは法要の開始に際して、本尊や諸仏諸菩薩諸天の来臨 [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −43−
  •   一、嘆仏文願生偈略譜 信慧院殿の御作と申つたへたり    二偈ともに重誓偈の躰なり                                 光隆寺知影『魚山余響』信慧院とは、西本願寺第17世・法如(1707−1789)のことである。西本願寺における法如の治世は、長年の念願であった本山阿弥陀堂が再建されるなど、大事業が推進された時代だった。さらに本願寺歴代の遠忌法要が勤められたりして、それが以後の [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −42−
  • 【1】  一、弥陀懺法に法華懺法の墨譜をつけたる本西光寺にあり    これかの寺の先住賢従の作なるべし    余賢従に聲明をならふときこの本あることしらず    このごろかの庫中にあるを見る    往年知観僧正真身観の墨譜をくだされたるときも    この本あることをしらず    今これを観僧正の作にくらぶるに経題の墨譜などはいづれ是非しがたし    各ふかく意を用るのところあり此事余別論あり    [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −41−
  • 【1】  一、弥陀懺法は四明遵式の撰といひつたへたり    墨譜は何人の作なるや古代の製と見へたり     全早懺法の体にならへり 殊勝なるものなり    吾山内にて五十年ばかり前まで例年十一月二十一日逮夜に依用したまふよし    近年はこれをやめられ十二光礼を依用したまふ    去年文化八年辛未四月    前住信入院殿十三回忌御法会第七逮夜に弥陀懺法を依用したまふ    奉請段などはのぞきて唱ふ [続きを読む]
  • 山科毘沙門堂の桜。
  • 山科の北端に所在するのが、毘沙門堂門跡である。つぶさには護法山出雲寺といい、天台五箇室門跡の1つである。小学生の頃、琵琶湖疏水(← )からこの辺りにかけては楽しい遊び場だった。毘沙門堂の境内や裏山を駆けめぐった日々が、懐かしく思い出される。春の桜の美しさは昔日のままだが、それにしても随分と観光客が増えた。午後2時を過ぎる頃に訪れると、本堂内陣左側の不動明王の尊前で、護摩供がひっそりと勤められ [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −40−
  • ▲文化元年刊・3冊本『聲明集』ないし、安政4年刊・4冊本『聲明品』から書写された聲明帳に見える「仏徳頌」。「仏徳頌」は、真宗興正派では現在も依用されている。1行目1字目の「如」は、現行『真宗興正派 常用聲明集』では、《ソリ・ユリ二》となっている。  一、善導画讃は台家の画讃によれり     何人の墨譜をつけられたるやしりがたし    専修寺所蔵の本の奥書に云        右善導画讃以吾山之古本対 [続きを読む]
  • 空の名残…
  • なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし もたらぬ身に、たゞ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。これは吉田兼好に成る、『徒然草』第20段の全文である。「ある世捨て人が、この世では何も束縛されるものを持たない身の上とはなったが、《ただ過ぎ去ろうとする時の流れだけが惜しく思える…》と言っていたが、本当にその通りだと思う」といった意味である。ここにある「空の名残」とは古来か [続きを読む]
  • 桜咲く頃、南滋賀駅にて。
  • 母親の誕生日である。生きておれば、今日で79歳たらん。間もなく三回忌を迎える。2年という歳月が、あっという間に流れた。何やらここ数年、毎年春になると京阪石坂線・南滋賀駅での写真をアップしている。過日のダイヤ改正を機に、旧「浜大津」「別所」「皇子山」「坂本」の各駅名が、それぞれ「びわ湖浜大津」「大津市役所前」「京阪大津京」「坂本比叡山口」と改称された。観光客誘致の対策と、JRとのアクセスを意識してのこ [続きを読む]
  • 枳殻邸の春。
  • 昨日、父親が東本願寺の枳殻邸へ行きたいと言うので付き合った。枳殻邸とは、正しくは渉成園と称する東本願寺の別邸である。徳川家光が寄進し、石川丈山の作庭なのだという。かつては鴨川に接する広さだったというが、現在も広大な庭園である。枳殻邸の持仏堂である園林堂と、その正門たる傍花閣の周辺は、4月を待たずして桜が満開となっていた。例年よりも一週間以上早い開花にしてそれも満開というのは、何やらほんの少し、得を [続きを読む]
  • 「千本釈迦念仏」。
  •   千本の釈迦念仏は、文永の比(ころ)、如輪上人、これを始められけり。………とは、吉田兼好の『徒然草』第228段である。如輪上人とは、千本釈迦堂大報恩寺第2世である。法然の弟子・長西に師事した、浄土門を修めた僧侶でもある。彼岸中日の翌日、千本釈迦堂へ「釈迦念仏」を聴聞すべく参詣した。具さには、『釈迦念仏遺教経会』という。中心となるのは、『仏垂般涅槃略説教誡経』を読むものである。本来は2月の涅槃会前日 [続きを読む]