hathu さん プロフィール

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hathuさん: 『はつかいち』ぶらり
ハンドル名hathu さん
ブログタイトル『はつかいち』ぶらり
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/hera_001
サイト紹介文安芸の宮島がある廿日市−見たままを紹介します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供365回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2007/05/12 08:23

hathu さんのブログ記事

  • 平等院拝観
  • 本日は早朝から近畿方面への観光旅行で18年ぶりに宇治の平等院を拝観した。前回訪れた時には博物館の鳳翔館の工事中で池の発掘調査中であった。連休中でどこも混雑気味であった。長浜市のホテルから慣れないタブレットで送信。明日はどんなところに行くのだろう。 [続きを読む]
  • 広電宮島線の架線用電柱
  • 広電宮島線の架線用電柱の多くはコンクリートポールとされているが所々に緑色に塗装された従来の鉄骨電柱がみられる。これらの鉄骨電柱は路面電車開設当時に使用していた段付きレール(ステップレール)を利用して組立てた柱であり、加工方法が5タイプあると以前... [続きを読む]
  • 彼岸花
  • 雨の予報であったので昨日墓所の掃除をすませた。今日は彼岸の入りであり田畑の畔端や井出端、里道などに彼岸花が季節を違えずに咲いている。ここの場所はかつて田んぼか畑であったのであろうか彼岸花が群生している。 [続きを読む]
  • 俵みこしの俵づくり−8
  • 俵の単体6俵と飾り縄、飾り房が出来たので最後の仕上げに取り掛かる。3俵、2俵、1俵と積み重ねて後方側から黒紐で亀の甲状(先人が亀の甲に編むと言っていた)に編んでいくのであるが、不整形であり亀の甲のように綺麗には出来ない。前方側も同じように亀の... [続きを読む]
  • 敬老会デビュー
  • 当ブログ主は後期高齢者に仲間入り、敬老会の案内があり昨日平良地区の敬老会に初参加した。当方は新入りであり実行委員会の人達や中学生以外はすべて先輩たちである。来賓の祝辞の後、アトラクションで七尾中学校吹奏楽部の演奏、平良保育園年長組の合唱・ダン... [続きを読む]
  • 三田尻御茶屋(英雲荘)
  • 防府市にある旧毛利家本邸は何度か訪れているが三田尻御茶屋(英雲荘)は初めて訪れた。三田尻御茶屋は萩藩の毛利氏が参勤交代や領地視察などの際に休憩や宿舎とした公館だったようで、後に藩主の隠居所などと何度か改修され、明治期、大正期の増改築を経て現在... [続きを読む]
  • 西部石油㈱山口製油所
  • 山陽小野田市にある西部石油㈱の山口製油所を見学させてもらった。広大な敷地内には巨大な原油タンクが数多くあり、迷路のように張り巡らせられたパイプ・・・ここの製油所は提供資料によると中東から原油を輸入して、石油製品を精製しているようで、原油か... [続きを読む]
  • 柳井の街並み−犬矢来(駒寄せ)
  • 町屋の正面にある多くの装置は装飾的な要素を与えるものであり、柳井の町屋の中で犬走りの部分には意匠を兼ねた犬矢来(駒寄せ)という竹柵を設けて軒下の空間を通りから区切っている町屋が3軒みられた。木の柵で垂直に立てられているものは地御前の町屋でみら... [続きを読む]
  • 柳井の街並み
  • 昨日は何十年ぶりであろうか柳井の街並みを探訪したが、団体旅行なので気儘に徘徊することができなかった。柳井の街並みでは平入の町屋が所々にみられるが多くは妻入りの町屋が多いことであった。 [続きを読む]
  • 俵みこしの俵づくり−7
  • 俵の単体6俵が出来たので俵の前後に飾る飾り縄と飾り房を作っていく。正面側の飾り縄の中心部は装飾用結びで襖の引手結びのようであるが作り方は全く違っておりこのような作り方の呼称は不明である。この飾り縄は先人が作っていたものを継承したもので... [続きを読む]
  • 浅原保育園跡
  • 旧浅原保育園があったところには本郷集会所と須賀神社があり一見すると同一敷地内のようにみられる。浅原保育園は定員20名の施設であったようであるが、平成25年には園児3人で翌年には休園しており閉園に追い込まれたようである。須賀神社は先に紹介し... [続きを読む]
  • 亀山神社奉納額
  • 昨日紹介した亀山神社の拝殿には三十六歌仙額の36面や数多くの奉納額が掲額されている。武将の一騎打ち画面が多いようにみられるが、拝殿は吹きさらしのため退色、剥離が進んでおり、何を描いているのか定かでない。 [続きを読む]
  • 亀山神社
  • 浅原地区にある亀山神社で、江戸期には「河内大明神・八幡宮・御鉾大明神」三社相殿であったようであるが明治期に亀山神社と称したようである。本殿の妻壁には旧神社を表すような「鉾大明神・一位八幡宮・河内大明神」とある神額がみられるがなぜこのような... [続きを読む]
  • 旧中道村災害復旧記念碑
  • 中道集落の入口、中道川に架かる中道橋の袂に建立されている災害復旧記念碑で、刻銘によると昭和26年(1951)10月14日夜のルース台風による中道村の被害が刻されている。村内60戸の内全壊8戸、半壊埋没9戸、死者6名、重傷者2名、田畑流出5町歩... [続きを読む]
  • 小瀬川流域の水害碑
  • 保曽原集落水害碑白河集落水害碑浅原地区を流れている小瀬川(木野川)流域の保曽原集落と白河集落の2か所に水害碑がみられる。碑文によると大正14年(1925)9月1日の台風で小瀬川の各所で氾濫したようであり、保曽原水害碑のある地点まで水没した... [続きを読む]
  • 新旧保曽原トンネル
  • 浅原地区を通る県道293号沿いの戸屋原地区手前の戸屋の尾根に新旧の保曽原トンネルがみられる。大正2年(1913)に保曽原隧道が完成したようであり、それまでは戸屋原峠をこえていたようである。新保曽原トンネルは平成5年(1993)3月に完成し... [続きを読む]
  • 福槌の蔵飾り消滅
  • 旧浅原小学校に隣接した民家の土蔵に福槌の蔵飾りが施されているのを以前紹介し、先行きがどうなるのかと心配していたがすでに土蔵は取り壊されていた。「福槌」は当ブログ主の呼称で、大黒天の持つ打ち出の小槌で福を呼び込むよう縁起をかついで設... [続きを読む]
  • 旧浅原小学校跡
  • 浅原地区は過疎化が進んでいるようで当地区にあった浅原小学校が平成27年3月で閉校となり津田小学校に統合されている。旧浅原小学校跡の校舎は取り壊されており体育館が残されていた。浅原小学校を偲ぶものとしては門柱と体育館前に3基の記念碑が... [続きを読む]
  • 古代米・黒米の田んぼが !
  • 津田地区を走っていたら周囲の田んぼとは違った色の田んぼがあり、穂の色をみると古代米の黒米のようである。黒米は各遺跡から出土する木簡に黒米と記されているが、どのように使用されていたのかは定かでないようである。この黒米はどのように使用されるの... [続きを読む]