岡林リョウ さん プロフィール

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岡林リョウさん: 揺りかごから酒場まで☆少額微動隊
ハンドル名岡林リョウ さん
ブログタイトル揺りかごから酒場まで☆少額微動隊
ブログURLhttps://okab.exblog.jp/
サイト紹介文不思議ニュース、ふつうの話、オリジナルまんがやらくがき、写真などの思い付き日記どす。
自由文いろんなブログに書いていたものを一本にまとめているので、記事にばらつきがあるのはすいません。シリーズでSFぽいモノとか書いてましたが、設定倒れを繰り返してます。今はただマイブーム思い付きブログです。翻訳ものが多いかなあ。旅行ものや写真もやります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供116回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2007/09/07 09:37

岡林リョウ さんのブログ記事

  • 怪物図録:識名坂の遺念火、アカカナジャー
  • 怪物図録(古写真書込)2:沖縄識名坂の遺念火写真が皆無だったので新聞使用すいません💧識名坂の遺念火。首里からの金城町の下り坂をおりて向かい側の上りの急坂。ここは古い真珠道という石畳の一部だった(最近発掘されている)。昔仲睦まじい夫婦が商売をして身を立てていた。その幸せな様子を妬んだ者が男に妻の不貞を吹き込む。嘆いた男は坂下の識名川に身を投げた。妻は嘆きあとを追った... [続きを読む]
  • 東京下谷の御行の松
  • 東京下谷の御行の松、お不動さんの松。時雨の松ともいう。その下に石像が埋められているともいい本尊は今も不動石仏。しんとした風景の中にあったというが今は戦争を経て町家の中の広場のものとなっている。江戸時代すでに古松で知られた大木で大正時代前後についに力尽き、戦後二代目を植えると、程なくその残りの2メートルほどの切り株がズシーンと倒れたという。その木を使って前立の不動尊が彫られ、一部が記念の祠に祀... [続きを読む]
  • 写真を称してキリシタンと呼び荒神様に怒られると
  • 江崎明治四年、江崎禮ニ?濱より歸來して其宇田川町荒物屋武藏屋の二階借りして寫眞師となりしが、まだこの頃ほひは、寫眞を称してキリシタンと呼ぶ迷信なり、御客といって極めてあらず、赤貧縫うが如き生活、或時飯を焚かんとすれど燃料に苦しみ、隣家で捨てた古下駄を拾って、彌々飯を炊いてゐる處へ、武蔵屋の妻君に見付かり、荒神?に罰が当ると叱りを受け、折角燃いているを搔き消し、切火を打つやら、塩を振りま... [続きを読む]
  • 死んでも離さない
  • 死せる勇士の戰車操縱昭和十ニ年九月、楊行鎭攻略後、呉家宅附近の戦闘で、 敵陣間近に進撃した岡林准尉の指揮する戦車隊は、阿修羅の如く荒れまはつて、敵の野砲陣地を打つ潰して、三百五十メートル手前の味方の陣地ヘ悠々と引きあげて來た。其の岡林准尉の乗っていた戦車は、藤野清人上等兵が操縦して、甲斐大作一等兵が砲撃してゐたが、甲斐一等兵が重傷を負ったので、其の後は岡林准尉と岡村一等兵が代って... [続きを読む]
  • 乃木将軍の愛馬
  • 乃木將軍の愛馬日露の戦争の時、乃木希典将軍と、露将ステッセルが水師營に會見して、旅順開城のことを議した時、ステッセルが水師營の棗の木の下で、乃木将軍に贈った愛馬は、なかなかの逸物で毛並が真白であった。其の馬は乃木将軍が亡くなると、島根県選出の某代議士の許に引きとられてゐたが、昭和五年になって其の馬は死んでしまった。ところで昭和七年になって、それをひきとってゐた代議士も亡くなったが、其... [続きを読む]
  • 若紫哀話と若紫怪談、浄閑寺にて
  • 浄閑寺といえば新吉原の投げ込み寺として著名である。明治になって事情は変わるとはいえ娼妓は年季のあけるまで、即ち楼主に「全ての」借金(事実上の買値)を返すまでは苦界の身分として、死んだとしても墓石に名の一つも刻まれず、多くは夜中に墓守りへ幾ばくかの金を与えて共同墓に放り込んでもらう、これを投げ込みといい新吉原だけで3箇所あったと聞いている。この投げ込みというよろしくない話がいつの時代のど... [続きを読む]
  • 純粋日記(twitterまとめ)スマホらくがき、海の日など;2018/7/10-16
  • 純粋日記(twitterまとめ)海の日など;2018/7/10-16歴史でもなんでもない、登場人物も傍観者もほとんど残ってる事柄を文献から掘るのは、文献嫌いの性からすると違和感があるけど、そうでもしなきゃ当事者はみな口閉ざすから何もわからないわな。。仕方ないかposted at 16:23:25オウムの顛末から感じたことは「面白ければ何でもいい」風潮の終焉だ。放送メディアの遅きバブル崩... [続きを読む]