心炎 さん プロフィール

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心炎さん: 虚空に絶望のためいきを太陽に希望の叫びを
ハンドル名心炎 さん
ブログタイトル虚空に絶望のためいきを太陽に希望の叫びを
ブログURLhttp://ecdysis.exblog.jp
サイト紹介文曽祖父の代から四代続けてACと共依存とアルコール依存症の家系で育った人間が、回復に向けてつづるブログ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供32回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2007/10/08 20:43

心炎 さんのブログ記事

  • 自分を小さくする異性・性愛への依存
  •  20年ほど前、夢の中で涼やかな若い女性の声が歌っていた。「自分で自分を小さくする人はだれ?」 これが時々思い返されて、どういう意味だろうかと考えてきた。 座禅してわかったのは、自我の欲念を満たそうとすると自分を小さくするのだということ。いわゆる願望充足・欲望充足に心が向くと自分を小さくするらしい。 俗欲の充足を目的にすると自分が小さくなるようだ。自分で自分を卑しめる行動が増える。他人の眼を気にす [続きを読む]
  • ゴルゴ13とネットカフェに感謝
  •  東日本大震災の直後ぐらいから、私は職場の近所のネットカフェで昼休みを過ごすようになった。マンガもそろっているし、昼寝できるし料金も手頃で好都合なので、ずっと使っている。 マンガがそろっていると書いたが、『ゴルゴ13』が全巻(当時すでに160巻以上)そろっているのには感動し、全部読んでやろうと決めたのが六年以上前。毎日のように1話から2話分をこつこつ昼休みに読み、五年がかりで読了した。それからは3 [続きを読む]
  • 身だしなみに気をつけろ〜社会の窓から
  •  一昨日もしてしまった失敗。 小さい頃から、いわゆるズボンの「社会の窓」が開いていると、母親によく注意されていた。ズボンをはいた後やトイレに行った後についうっかりして、閉め忘れてしまう。開いていても、見られると恥ずかしいということ以外には、特に緊急に困るようなことでもないので、つい忘れて繰り返してしまう。成人してからこの癖はしばらくは影をひそめていたのだが、三年ほど前からまた現れている。不注意な「 [続きを読む]
  • 見かけほど、みんな幸せじゃありません、という年末年始
  •  休日用の自宅の食品の買い物をスーパーでしていると、早くもクリスマスソングが流れてきて、毎年のことだが不安と罪悪感と取り残された感覚が生じて不愉快になった。 だが、数分後には私は、半分怒りながら、こう思っていた。「なんなんだ。このクリスマスソングの幸せモードの押し売りは。クリスマスは万人が一人残らず幸せでなければいけないとでもいうのか」 そう思いながら、私は自分の不愉快さの原因が、今まで言葉になら [続きを読む]
  • 貧しい心と豊かな祈り
  • 嗜癖の刺激にふければふけるほど、自分の心の貧しさを思い知らされる。 なんと貧しいのだろうと嘆息する。心の豊かさを実感するには、刺激への依存をやめる以外にない。痩せた土地に化学肥料や農薬をまいて人工的に作物を収穫しても、その土地が豊かであると素直に言える人はいないだろう。 同様に嗜癖の人工的な刺激は、人を豊かにせずに貧しく痩せた心にしてしまう。外見的表面的には一時的に満足し、ネガティブな感情から逃れ [続きを読む]
  • 天国にするつもりが地獄の薪(たきぎ)集めをしていたのだろう
  •  私は、人の醜い姿や堕落した姿、無残でみっともない姿をみたくないと思う。それらから離れた静かな美しい世界に生きたいと思う。 しかし、私はかつて、そしていまも醜いもの、くだらないもの、みっともないもの、罪なものを、みずから作り出してきたし、いまもつくり続けている。 ゆえに、私は過去に自分がつくった醜いものを罪悪であるものを穢れであるものをみずから目にし、触れて、嫌悪の想いを抱き、あるいは穢れを楽しむ [続きを読む]
  • 愛という名のとらわれ
  •  いままで愛欲にとらわれてきながら、私は最近まで、恋愛感情もとらわれである事に、全く気づかなかった。中学一年の初恋のときから、もう四十五年になろうとしているのに、恋愛とは、もっともわかりやすい愛の形であり、いいものだとひたすら頭から信じ込んでいた。母が「見合い結婚では私のように不幸になる。おまえは絶対に好きな人と恋愛結婚しなさい」と繰り返していたので、幸福になるには恋愛を経由しなければと信じこんで [続きを読む]
  • 私の好きな音楽
  •  人間をやる以上、自分のやることなすこと、すべてが人間稼業というか人間作業というか、なんでも人間心炎の生きるしるしになるので、AC方面のことだけでなく、日常的なことも書いておこう。 今回は音楽の趣味の話にしよう。 3年ほど前からYOUTUBEで音楽を聴くようになり、クラッシックはもとよりジャズや雅楽を楽しむようになった。 特にジャズは、Smoothjazz系統が好きで、ブライアン・カルバートソンやジョナサン [続きを読む]
  • 人間をやるために生まれてきた
  •  最近、私は、人間をやるために、この世に生まれてきたという気がする。 人間の全体を体験し、その可能性と限界を自ら試し見て、霊としての成長を遂げるために生まれてきたという感覚だ。 これまで、私はちゃんと人間ができてきたであろうか。喜怒哀楽、恥と外聞、利害と奉仕、恐怖と勇気、不安と安心、清さと穢れ、善と悪、強さと弱さ、良心と悪心、聖と俗、偽りと真実・・・等々、二つのこととその間のことについて体験し学ぶ [続きを読む]
  • 頭上を見上げて映してみる
  •  私の心は、うつむいて地面ばかりみてきた。空のあることを忘れていた。太陽と月と星が常に頭上にあって見下ろしていることに気づかなかった。 手のひらほどの水たまりでも、静かでありさえすれば、太陽の光を反射もすれば、月光も映し、星々も映し出す。青空も映せば、私の顔も、鳥の飛ぶ姿も、木々の姿も、あらゆるものを映し出す。 心静かでさえあれば、そのように私の心も万人万物を映し出すであろう。涅槃寂静(ねはんじゃ [続きを読む]
  • 徒(あだ)なる希(ねが)いに生きてきてしまった。
  •  山辺習学という戦前の仏教学者が書いた『地獄の話』という本を読んだ。昭和6年の著作が、文庫で出ている。 その中に、こんな一節があった。「ものを見ようとしない人々は自己の真の姿を知らずまたそれを知ろうとも願わない。彼はつねに生活の内容として、家庭の和楽を図り財と名の蓄積につかれ、あだなる子孫の繁栄を希(ねご)うている」 これは、ショックだった。「家庭の和楽を図り、財と名の蓄積に憑かれ、徒(あだ)なる [続きを読む]
  • 深奥の自分の感謝の念に驚く
  •  今年の夏の終わりに、私は座禅しながら、自分が、次の瞬間に死ぬとしたら、どういう気持ちで死ぬことになるだろうと真剣に想像してみた。本気で、明日には死ぬという前提で、いろんな人々やいろんな出来事を思い出し想いをめぐらせた。 そして、いよいよ最期の最期という臨終のときの想いにたどりついたとき、そこには思いがけない感情があった。 なんと「感謝」の想いが大きく広がっていることに気付いた。われながら、予想も [続きを読む]
  • 健全な生活に敬意をはらおう
  •  私は、アディクションに走らずにはいられない激しいストレスが起こったとき、アディクションに走ってもいいという、ちゃんと言い訳を用意しているのがわかった。 ほかに健全なストレス解消法はいくつか知っているのに、あえてそれを選ばずにアディクションによる解消を選ぶ。 その道筋が見えた。 要するに、私は健全な生活というものを信じていない。人間とはすべて不健康で不健全なものであり、健康な生活をしているように見 [続きを読む]
  • 根深い幻想からまた脱皮するけど楽じゃない
  •  なんということだろう。恋愛ははかなくその喜びも短いと知ったばかりだというのに、私はそれが結婚生活や家庭生活の喜びについても同じであると気づいてしまった。 恋の喜びは短くはかないが、結婚の喜びは長く確かなものだと信じた。恋愛は仮初(かりそめ)だが、結婚は堅実安定なものだと信じた。 しかし、それは事実ではなかった。結婚も子育ても家庭の維持も、その喜びも、過ぎてしまえばみなはかなく仮初に過ぎない。 恋 [続きを読む]
  • 「自分の自分による自分のための人生」を取り戻そう
  •  人間には、通常、「知情意」といって知性・感情・意志がそなわっている。この三つは哲学者カントが唱えたらしいが、健康でバランスのとれた知情意によって健康な生き方が保たれることは容易に推測がつく。 嗜癖をやめるとき、知識と分析、よくなりたいという願いと意志が必要だが、なかなかやめられないのはなぜかと悩んできた。 嗜癖はよくないしどうなるかの知識はある、感情的にも痛みや苦しみに嫌気がさしている。やめたい [続きを読む]
  • 刺激を楽しむ生き方から平安を楽しむ生き方へ
  •  私が依存した恋愛はじめさまざまな願望と欲望の達成を期待する気持ちは、心をうずうずさせ興奮させるものだった。その情動は、「刺激」そのものだった。だから、その「刺激」を楽しみ、心踊らせる生き方がこれまでの生き方だった。もちろん、現実には何も得られず、何の成果もない妄想だったのだが、とにかくそれを思い描くだけで気持ちよくなり、やる気と活気がでたのだから、その「刺激」に依存していたのはまちがいない。「刺 [続きを読む]
  • 長男なんかやめた
  •  私の中の親に虐待されたトラウマを持つ子供は、もうぼろの姿ではなくなった。彼は、自分の本当の親が神であり、肉親の両親は魂・精神の親ではないことを知るにいたった。今は、もしあのとき虐待を受けなかったら、あるいは受けるような環境でなかったら、どういう自分でいたかったか、どういう自分になりたかったのか、何を本当はしたかったのかを、想定しなおすところにきている。 今の私の自我の振り返りの中での焦点は、中学 [続きを読む]
  • 川の流れを見て笑う
  •  朝の出勤のとき、いつものように電車の窓から隅田川が見えた。 ブラジルの作家、コエーリョの『アルケミスト』を車中で読んでいたせいもあるだろうが、その濁った川の軟体動物の波打つ表面のような広い水の流れを見ているうちに、なんだか自分やまわりの人々の日常のこまごましたことや悩みや、過去のとらわれこだわりが、急にばかばかしく思えて笑いたくなった。こんな感覚は生まれて初めてだ。 私がどう変わろうと変わるまい [続きを読む]
  • 愛の飢餓にさいなまれる青少年だった
  •  このごろ、思春期から青年期にかけての自分の記憶と意識が活性化している。 ひょっこり思い出すことや切ない感情や、当時の激しい欲望などがまざまざとよみがえってくる。 実は、神様にむかって、思春期や青年期の心をどうか癒してください、その傷を治してくださいと祈ってからこうなった。 それにしても、中学2年の頃から、二十歳代の半ばまで、私はなんと愛に飢え渇いていたことだろうかと思う。 神の愛や友愛は、あるら [続きを読む]
  • 求めよ、されば与えられん。ただし・・・。
  •  過酷な家庭環境において、そのひどい家族間の緊張と病的ストレスから自らを解放するために、アルコールや薬物や摂食拒食や性陶酔に逃避するのは、当然すぎるほど当然の行為だ。こういう依存の問題に走らざるをえないACの問題を、当事者として解決を試行錯誤しながら思うのは、「酔いと陶酔」が最後の逃げ場になるという共通項だ。 酔いは、もちろん個人レベルだけでなく、群衆心理や大衆(特定のものごとへのファンなど)の熱 [続きを読む]
  • 悲哀から逃れるために快楽を求めたがそれも偽りだった
  •  寮生活をはじめた高校2年のときに学校のプールサイドで、家庭環境で受け続けてきたひどい過去体験のフラッシュバックを起こして、それとは気づかずに精神的に病気を発症した。 しかし、最近、思い返すのは、さらにさかのぼる1年前、高校に入学した頃に汽車通学していたころ、私はひどい憂鬱と悲哀の感覚に襲われ続けていたことだ。当時、自分ではセンチメンタルな性格が過度に表れているとしか思えなかったし、最近まで、それ [続きを読む]
  • 私の恐怖症は胎児段階からはじまっていた
  •  私の4歳のときの幼稚園でのいじめられ体験が、半世紀過ぎた今に至るまで、私の心を怒りと恐怖で支配し続け、その苦しみから逃避するためにアディクションを産んできたことを書いたが、その続きである。 実は、姑である祖母が、嫁である母を虐待し過酷なモラハラ・パワハラを働くようになったきっかけは、私を出産した直後より母乳の出が悪くて人工ミルクを授乳したことからだという。もちろん、それが最初のいいがかりだったこ [続きを読む]
  • 56歳の私が4歳のときのトラウマに支配されて生き続けてきたということ
  • 理不尽でいかれた行動をとる人たちや、不正を恥じない人間たちに感じる激しい怒りの正体がわかった気がする。 きっかけは今朝起き抜けに、私の心の奧から、小さいけれどはっきりした子供の意識の声が聞こえたことだ。 それは、こう訴えていた。「殺さないで、殺さないで、殺さないで」 自分を殺さないでと、だれかに哀願している。 いったいこの声は私の何歳頃の意識の声かと考えた。はじめは自分が胎児の頃に、もしかしたら父 [続きを読む]
  • 祖母についての棚卸し2(白い自傷行為と盗まれた母の愛)
  •  私の父方の祖母がどれほど気が狂っていたか、詳しく書けば相当な分量になるのでこの程度しか書けないが、1985年2月に、隣家の井戸に入って自殺するまで、祖母はずっと狂ったままだったし、いま思えば統合失調症も併発していたのではないかと思える。 とにかく、50年ほど前の段階で、祖母は地元の精神病院に二回入院している。田舎でまだ精神科が珍しく脳病院や気○○い病院などと呼ばれて、入院は村落共同体からの落伍者 [続きを読む]