心炎 さん プロフィール

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心炎さん: 虚空に絶望のためいきを太陽に希望の叫びを
ハンドル名心炎 さん
ブログタイトル虚空に絶望のためいきを太陽に希望の叫びを
ブログURLhttps://ecdysis.exblog.jp
サイト紹介文曽祖父の代から四代続けてACと共依存とアルコール依存症の家系で育った人間が、回復に向けてつづるブログ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供56回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2007/10/08 20:43

心炎 さんのブログ記事

  • 私生活は子供っぽくした方がよい
  •  ACは不幸せな子供時代を送った人が、大人になっても、その不幸せの中で身に着けた不健康な習慣や考え方や生き方を気づかないで続けているパターンをいう。 では、健康でそこそこ幸せな子供時代を送った人達は、健全な大人になるらしいが、あいにく私もACなので実感をもってその人たちのことをコメントはできない。 ただ、プロスポーツに夢中になったりディズニーランドやユニバーサルスタジオや各種イベントやコンサートの [続きを読む]
  • アニメと内なる子供が泣くとき
  •  御多分にもれず、私もアニメ世代なので、大好きなアニメはいくつもあるが、特定のアニメやアニメソングの一節に、どうしても内なる子供が反応して涙ぐんだり、胸が熱くなったり、しまいにはトラウマを刺激する要素が強すぎるせいで再視聴ができない回があったりする。 筆頭は「アルプスの少女ハイジ」。フランクフルト編が再視聴できない。アルムの山でのびのび育ったハイジが、叔母の画策で都会のフランクフルトのクララの家に [続きを読む]
  • 被虐待児の切実な打算〜母の視線と正解への強迫観念
  •  あまりよく知らない人たちの間にいると、心のどこかがいつも緊張して落ち着かなくなる。外見はそうは見えないかもしれないが、小学校1年生ぐらいの自分が顔を出す。その子は、まわりの人たちに「ぼくって、いいこ? だいじょうぶな子?」と、何度も何度も繰り返し聞きたがる。 小学校一年生の初めての授業参観の日に、後ろに立っている母親が気になって気になってたまらず何度も何度も後ろを振り返ってみた記憶がある、。その [続きを読む]
  • でもよ、おまえ、いま生きてるじゃねーか
  •  今、東京から四百キロ離れた郷里にいる父親の、本人は満足しているが、はたからは惨めとしか思えない暮らしをしている建物やその内部の光景を思い出すたびにとらわれ、こちらも惨めな沈んだ気持ちになる。みっともなく恥ずかしいのだ。父が誇りとすることを私はとうてい誇りにはできず強い恥を感じる。 この惨めさと恥の感覚・記憶こそ、私が16歳のときに起こしたフラッシュバックの内容である。ものごころついた頃から16歳 [続きを読む]
  • 嗜癖は衝き動かすが、その原因は傷ついた子供の心
  •  各種の依存症は、そのありようが「嗜癖(アディクション)」と呼ばれるが、私の経験からいっても、その本源は、内なる過去の傷ついた子供たちの「表現すべきときに表現できなかった子供」のトラウマ感情にあるといえる。普通なら、泣いたりわめいたり叫んだり拒んだりすべき場面で、それができなかった子供の感情だ。そのため、大人になってから、傷ついた子供の心が表に現れることを求めて、身体言語として、あるいは習慣化した [続きを読む]
  • 「まともである」ということはどういうことか。
  •  仏教を学びはじめてから、「まとも」であるとは、どういうことかと、父母や親戚や世間一般の価値観で当然としてきた基準が大きく揺らいでいる。 「まとも」とは、常識的であるということか。常識という共通イメージに沿って、家庭や学校や職場や団体の規則・しきたり・世間の相場に従うことか。道徳を守るということか。協調性を大事にし、倫理的に他者に害をなさないということか。 私は、自分のAC性による疎外感と孤独感と [続きを読む]
  • 嗜癖を覚えたのは自分のため、それをやめるのも自分のため
  •  私が中学時代に、母がアルコール依存症になってしまい、私も弟もともに同じ問題を抱えていくのだが、そこに横たわっていたのは、母との深刻な共依存の問題だった。 アルコールをやめてうつ病になり自助会に通いはじめるまで、私は自分の共依存の問題が、どれほど深刻か、自覚がなかった。 けれども、色々なACや依存症関係の本を読んだり知人たちの話をきいているうちに、私はだんだんと自分のもって生まれた見方ではなく、母 [続きを読む]
  • 私の性欲の向こうにある怒り
  •  現在、毎日、座禅をしながら性欲の克服に挑戦している。 ACの特徴のひとつである「好色さ」という性依存の傾向を修正し、その奥にある古くからの感情と対面するためだ。 古くからの感情。それは「怒り」だ。理不尽なアルコール依存症者と精神障害者の家族のふるまいに対する子供の怒りだ。問題飲酒者の家族としての激しい怒りだ。 その怒りは激越だ。誰に対しても八つ当たりしたくなる衝動に駆られる。もちろん、性欲の抑圧 [続きを読む]
  • 超えられない試練は与えられないということ
  •  神は超えられない試練を与え給わないと、よくいわれる。 その意味は、ただそういうものであると思っていた。 しかし、より深く考えれば、試練とはなんだろうか。 それはテストと言い換えられる。 つまり、乗り越えられるかどうか、自ら志願してこの世に生まれて試験を受けていることになる。 試練となる逆境や事件事故は、いってみれば、それを乗り越えられれば、そのレベルまで人生学習が進んだということではなかろうか。 [続きを読む]
  • 自分を取り戻すには、刺激に依存しない時間を経験する
  •  友人と電話でアディクション(嗜癖)と瞑想について語り合っているうちに気づいた。 瞑想に対して理解も興味も持たなかった、かつての私のような人は、瞑想する人の姿に何も刺激を感じられず、効果のほども即効でみえるわけではないので、興味が持てなかったのだと。 アルコールへの依存等、嗜癖を持っている人は、自分の記憶やトラウマや感情的な本音に向き合わないために、常に新しい刺激を求めている人種だから、刺激なしに [続きを読む]
  • 依存症者はなぜ孤独なのか
  •  最近、やっと言葉になったのだが、よくアルコール依存症者は孤独だといわれる。 その理由が、はっきりわかった。これは、ほかのアディクションや共依存症の人も同じだと思う。 お酒をやめて、私自身が自助団体で、少しずつ回復をもらってきたおかげで、15年がかりで明確になったことがある。 それは、飲酒していたころ、私は孤独であったということだ。外面的には、そうは見えなくとも、原家族のことで悩み事が絶えず、経済 [続きを読む]
  • 高慢さと高ぶり〜パワハラ・モラハラの根源
  •  パワハラ・モラハラ・セクハラが、マスコミを通じて政治家やスポーツ選手の世界でかまびすしいが、それらを他人事だとは思っていない。 なぜなら、そこに横たわる加害者側の精神は一様に「おごり・高慢・たかぶり」に侵されているからだ。 もし、自分が加害者たちと同じ立場と境遇に置かれたら、同じことをしないとは断言できないし、未遂だったとしても心に誘惑や欲望を感じないでいられるという人がどれだけいるだろうか。私 [続きを読む]
  • 母の願いから離れる
  •  母の日が過ぎたばかりだが、亡くなって12年になる母が、私に望み実現を願ったことが、私にとっては大きな呪縛であったことが、仏典や曹洞宗の書物を読むことでわかってきた。 中学が最終学歴で、父もそうだが、家が貧乏だったために高校に行くのを泣く泣くあきらめた母だったから、願望や期待はいたって世俗的なものだった。 両親とも私を大学まで入れてくれたのは、そういう自分たちの想いがあったからだと、ありがたいと言 [続きを読む]
  • アダルトチャイルドは親を待つペンギンの雛
  •  たぶん、アダルトチャイルドどうしの男女や友人たちは、その心の奥にいる泣いている子供、おびえている子供、パニックになっている子供の気持ちでつながっている。 皇帝ペンギンの雛たちは、親たちが海まで何週間も餌をとりに出かけている間、おしくらまんじゅう状態で密集の群れをつくる。厳寒の中で雛たちは、密集団の内側から外側へ渦状に順繰りに移動し、もっとも外側で一番寒い状態をひとまわり受け持つと、内側にまた巻き [続きを読む]
  • 無常の詩(うた)
  • 無常の詩私はこの人生において知った。愛するものも愛されるものも消え去ることを。愛さないものも愛されないものも消え去ることを。愛したものも愛されたものも消え去ることを。愛さなかったものも愛されなかったものも消え去ることを。好きなものも嫌いなものも消え去る。甘いものも苦いものも消え去る。加害者も被害者も消え去る。善人も悪人も消え去る。およそ生じたもので滅せぬものはなく、現れたもので消えないものはない。 [続きを読む]
  • どこにも無い場所〜理想の家庭とユートピア
  •  以前、私の家庭願望は、マッチ売りの少女が売り物のマッチをすってその炎のあがる間だけ見える幻影のようなものだと、このブログにも書いた。その原因が、酔っ払った母親の妄想の言葉を真に受けたせいであったこともわかった。 その母の妄想を基準にしていたがために、私は悲惨な地獄のような家庭環境を、自分の努力で天国に変えようと生きる目標にした。 18歳のその決意は、その後の恋愛や結婚についての考え方に、夢想癖に [続きを読む]
  • 天才バカボンのパパのようにはいかないのだ。
  •  繰り返しになるが、私は中学2年の頃から、45年もの間、酔った母のひとこと、「サザエさんやホームドラマのような家庭をつくりたい」という妄想を、実在するものと信じて生きてきてしまった。偽りを真実と思い込んで生きてきたのだから、実のある幸せなど手に入るわけがなかったのだ。 これが、どんなにおかしなことだったか、別の表現もできると思いついた。 『サザエさん』ではないが『天才バカボン』のアニメでたとえれば [続きを読む]
  • 母親の「妄想」を「真実」と信じたことからAC性が重くなった。
  •  私がひどいACとして生きざるをえなくなった証拠は、原家族との関係が不健全であったことと、自分が継続的に親密な男女関係を維持できずに結婚にすら至れなかったことであると、これまで何度も書いてきた。 私が、「結婚」というものにとらわれて執着し、それが実現できないことに罪悪感を抱いてうつ病になったのは、母親ゆえであったことも書いてきた。それが、特に「恋愛結婚でなければならない」という思い込みをともなった [続きを読む]
  • 「生かされている」と感じることが救いのはじまりだった
  •  19歳の時に読んだカルト教祖の新書本全3巻の中で、たった一行、それについてだけは感謝できる文章があった。 新書3冊の中で役立った言葉が一行しかないというのも驚くべき無駄本だと思うし、その一行もほかの宗教や道徳の本を読めば、どこにでも書いてあるようなことなので、その本の著者名の教祖が格別すぐれていたなどということでは決してない。 それはともかく、私が衝撃を受けたのは「自分が生きているということと、 [続きを読む]
  • 「霊がくだかれる」ということ
  •  18歳の私は、無知による反発と反逆で神に歯向かい、自他への破壊行為ばかりを志す、仏教でいえば阿修羅のごとき安らぎなき少年だった。ふりかえれば、それはまさに、聖書の一節にある次のような言葉に合致するものだった。旧約聖書 「詩篇」第73章21節「わたしは心が騒ぎ はらわたの裂ける思いがする。 わたしは愚かで知識がなく あなた(神)に対して獣のようにふるまっていた」 そして、19歳のとき祖母と世界と神 [続きを読む]
  • 自我と高慢は、神と人々に生かされているという事実と対立する
  •  私の劣等感やひがみ根性の根底にあるのは「ほんとは、俺様はエリートなんだぞ」という根拠のない高慢な思い込みだ。 これは、アルコール依存者だった祖父も「おれは他の連中とはちがう。おれはやってやるんだ」と酔っ払って叫んでいたというし、祖母も自分は本当は大物になるべき人間なのだと、子供の頃の私につぶやいたこともあるし、父もそういう思い込みがあるし、まったくもって家族の病にすっかり伝染している。 私が目指 [続きを読む]
  • 病的な有力感は高慢心であるということ
  •  自分や原家族の高慢心のことを考えているうちに、依存症の業界でいう「他者への有力感」は、言い換えれば「他者への高慢心」であると気づいた。自分の劣等感や自己評価の低さを見たくないために、自分が支配しやすい、より弱い相手や病的な異性に惹きつけられるという特徴だ。 これは「有力感」という名前の「高慢心」が発現しているためだとわかった。つまり、他者への有力感を感じることで生き延びてきた依存症者は、自分を高 [続きを読む]
  • ひさしぶりに風邪をひいて心も風邪をひいたみたいだ
  •  風邪をひいたので、知人から風邪にはビタミンCと豚汁がいいと聞いたから、大量に豚汁を作り置きし、二日三日と自室にこもって誰とも言葉を交わさない寝て起きてばかりの時間を持った。すると、いつもとはちがった精神状態になってしまった。 よせばいいのに、時間があるから、普段から気になって手をつけそこねていたことをはじめたりする。ちょっと具合がよくなると数年放置していた机の引き出しの整理などはじめるから、思い [続きを読む]
  • 生まれっぱなしに育った子供の自分が悪いのではない
  •  私の中から声がする。それはこう語っている。「悩みあることを悩むなかれ。 人は世に生まれ、世に育ち、世に働き、世から去る。ただ、それだけのことなのである。 私たちは生滅の間にいる。生まれては死に、現れては消え、出会っては別れる。いまこのとき生まれつつあるといえるし死につつあるともいえる。現れつつあるといえるし消えつつあるともいえる。出会いつつあるともいえるし別れつつあるともいえる。生滅の間を行き過 [続きを読む]
  • 人は変わろうと思えば変われる(私の宗教遍歴の回顧)
  •  高慢は、「普遍の真理への無知から来る」と書いたが、お釈迦様の教えによれば「無明」ということになる。「無明」の反対語は「明智(めいち)」というが、いずれも軽々しく用いてよい言葉ではない。 では、そういった「無知」「無明」とは何か、また「明智」とは何がどう明らかに知られた智慧なのかと考えてみた。 簡単にいうと次の三つのことを知ろうとしないことは「無明」であるし、それに回答を与えるのが「明知」だと思う [続きを読む]