しょうちん さん プロフィール

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しょうちんさん: しょうちん公記「侍魂」
ハンドル名しょうちん さん
ブログタイトルしょうちん公記「侍魂」
ブログURLhttp://tugami555syou.blog94.fc2.com/
サイト紹介文お気に入り武将と「天下侍魂」の更新についてイラストつきで語ります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供1回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2007/10/12 19:10

しょうちん さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 天下侍魂を閲覧してくれた10万人の皆様有難うございました
  • ヤフージオシティーズのサービス終了にともない、忍者HPに移転しようと考え、手引きに従い移行を決行してみましたが・・・爆死です(涙)。再表示されなくなってしまったので、データ上手く読み込めなかったようです。さらば天下侍魂・・・・。長くご利用して下さった皆様、どうも有難うございました。織田信忠の評価や、一条信龍の評価、このHPで何十年か前の定説よりも上げることが出来たんじゃないでしょうか。無駄ではなかった [続きを読む]
  • 有難うございます
  • 本年度、上様の御前に駆け付けて頂いた忠臣は42名でした。次回の六月二日にも、どうぞ宜しくお願いいたします。(謹言)なんちゃって、で御座る。 ↑(^▽^)>ここを一発 で一票のご協力を宜しくお願いしま〜す”←こちらのランキングにも参加しています [続きを読む]
  • もうすぐ本能寺の日
  • 織田家家臣団の皆様!!6月2日明朝、本能寺防衛の為に、こちらに集って頂けると有り難いです。↓↓↓http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi2.htm ↑(^▽^)>ここを一発 で一票のご協力を宜しくお願いしま〜す”←こちらのランキングにも参加しています(旧暦ではありませんが・・(笑)) [続きを読む]
  • 傾国
  • 日本企業が傾いてゆく原因について、外国の分析が報道されていた。終身雇用制度による競争の低下が、社内にイノベーションをもたらせない的な内容の項目が多かった気がする。要は終身雇用を失くしてみんな派遣になりましょうという、労働環境を改悪したK政権の改革顧問のようなことを言っている。「はぁ?」労働環境をこれ以上改悪するようなことをすれば、会社が潰れるどころか、日本が潰れますよ。少子化の原因は、明らかに国民 [続きを読む]
  • 不思議に思う事
  • TVみてましたら、軍役=ぐんやく主家=しゅかとナレーターの方が読んでいました。あれ?弘安の役とかなら、役=えき ですよね。軍役=ぐんえき でいいのでは?それに、本家とか分家なら、ほんけにぶんけ。主家=しゅけ なのでは?。そのほか。昔、「ご苦労様でした」と、大変だったのですねという労いの意味で挨拶したら、お疲れ様が正しいと、否定されたことがありました。しかし、「大変な思いをされてお仕事されたのですね [続きを読む]
  • 祝・織田信長の家臣団と軍団ページ5万人突破!!
  • 活動報告みたいな感じですが、織田信長の家臣団と軍団のページ、カウンターを設置してから今日で5万人を突破していました!!!さすが信長様!全時代を網羅した『天下侍魂』のTOPページにあっという間に追いつきそうです。どれが看板ページか分からなくなりますね。最近は、『織田信忠―奇妙丸道中記―』という小説にこっていますので、それほど『天下侍魂』のページを更新していませんが、地味に手を加えたりしています。小説 [続きを読む]
  • 浅井長政の最大版図と金ヶ崎からの信長の逃げ道
  • 浅井長政の所領の最大版図について考えてみました。1560年の「野良田の合戦」に勝利して独立を勝ち取り、1563年の観音寺騒動で愛知川から東の国境を確定し、1565年に近江高島郡の高島佐々木氏を打倒(朽木氏本家)。そして朽木谷の朽木氏は将軍を匿った名族であるから今回は赦免すると温情を見せたという・・。堅田の水軍等は、反織田だったということは琵琶湖での商売上、湖北三湊を抑える浅井とは友好関係だと推測されます。浅井 [続きを読む]
  • 資料調べ
  • 人物の事績の調査方法について。質問がありましたので、参考にしてもらえればと自分の事を振り返ってみます。私の経験ですが、高校時代に、信長についてもっと知りたくて、新人物往来社の『信長公記』を買いました。そして、登場してくる人物をノートに書きだして、一人ずつ調べて行く訳です。吉川英治さんの小説や、司馬遼太郎さんの小説もありましたから、秀吉など主要人物は知っていましたが、太田牛一の書き残したリアルタイム [続きを読む]
  • 十三湊の福島城について
  • 奥州藤原系の城柵が当然、日本海側にも進出した平泉藤原氏の支流によって構築されていったことが考えられます。奥州藤原系河岸段丘型城柵のつづきを追っていきたいと思います。この十三湊の地では、河川の管理を主目的としていたであろう、河岸段丘型の城柵から、今度は湖の管理、そして海に面する湊の守備と、海洋交易を睨んでの城造りへと自然に発展していったと思われます。まず、入江となる十三湖に注ぐ川に面した段丘に、清原 [続きを読む]
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