sekirai さん プロフィール

  •  
sekiraiさん: SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-
ハンドル名sekirai さん
ブログタイトルSENgoKU anD VISIon -乱世を追う-
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/sengokuranse/
サイト紹介文戦国、武将、城、武装。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供100回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2007/10/25 00:17

sekirai さんのブログ記事

  • 1709 東京国立博物館 近衞信尹と三藐院流の書
  • 夜の東博近衞信尹と三藐院流の書−近世初期の名筆−期間:8月29日(火) 〜 10月9日(月)「近衞信尹(1565〜1614)は、本阿弥光悦、松花堂昭乗とあわせて、「三筆」(いわゆる「寛永の三筆」)に称えられます。上代様を基礎にして、雄渾な独特の和様の筆致である信尹の書風は、三藐院流と呼ばれて流行しました。本特集では、近衞信尹の書の魅力を紹介するとともに、信尹の書風を引き継ぐ近衞信尋ほか三藐院流の書を展示します。」 [続きを読む]
  • 1709 サントリー美術館 天下を治めた絵師 狩野元信
  • 東京は赤坂サントリー美術館天下を治めた絵師 狩野元信期間:9月16日(土)〜11月5日(日)細川澄元像 狩野元信筆永青文庫蔵。上部に永正4年(1507)相国寺の景徐周麟の賛がある。細川澄元は細川政元の養子となった人物。政元には他に澄之・高国2人の養子がいたが、永正4年澄元は家督継承争いに勝利、足利尊氏の甲冑像を見てこの絵の製作を命じたとされる。鄧林宗棟像 狩野元信筆竜安寺蔵。鄧林宗棟の自賛に狩野元信が絵を描い [続きを読む]
  • 1709 吐月峰 柴屋寺
  • 静岡は丸子吐月峰 柴屋寺今川家に仕えた連歌師・宗長が永正元年(1504)または永正三年に元は太田道灌の家臣で、後に今川家の家臣となった斎藤安元の援助で結んだ草庵・柴屋軒が前身。宝物も多く展示してあり、後水尾天皇短冊・足利義政より拝領の文福茶釜(芦屋釜)・一休宗純より宗長が賜った鉄鉢・宗長所持の青磁香炉・今川氏親寄進の螺鈿菓子器・今川義元寄進の横笛・武田信玄寄進の高麗茶碗「村雲」・細川幽斎寄進の南蛮焼獅 [続きを読む]
  • 1709 久能山東照宮博物館 秋季名刀展
  • 今回は静岡久能山東照宮最初はここ久能山東照宮博物館秋季名刀展期間:9月17日(日)〜10月9日(月)徳川家康所用 太刀 無銘 伝光世作(ソハヤノツルキ)三池典太光世の作と伝わるが不明。切付銘(表)「妙純伝持 ソハヤノツルキ」(裏)「ウツスナリ」とあり、室町時代、美濃の武将・斎藤妙純が所持していたと思われる。ソハヤノツルキは坂上田村麻呂の愛刀「ソハヤの剣」の事と思われそれを写したものらしい。徳川家康は他界 [続きを読む]
  • 1709 爽籟軒庭園 明喜庵
  • 今回も尾道爽籟軒庭園江戸時代の豪商橋本家の別荘。茶室「明喜庵」があります。早速中へ腰掛待合茶室「明喜庵」国宝茶室「待庵」の写しだそうです。躙口は待庵同様に通常の茶室より大きい。現在の待庵には無い刀掛があります。内部は二畳。床は本家同様に室床。露地池尾道に待庵写しの茶室で驚きましたが、よく考えてみれば尾道には燕庵写し(露滴庵)も有り、それほど大きくないこの街に利休と織部好みの茶室があるのは不思議。他 [続きを読む]
  • 1709 おのみち歴史博物館 瀬戸内海の覇者 村上海賊の武具
  • 今回は尾道おのみち歴史博物館瀬戸内海の覇者 村上海賊の武具期間:9月2日(土) 〜 10月15日(日)紫糸威胴丸星兜には鍬形と剣に巻きついた龍の前立。兜や胴の金具には豊後森藩・久留島氏の家紋「折敷に三文字」が施されている。森藩・久留島氏は来島村上氏の後裔で村上水軍三家で唯一大名となった家。太刀 銘 正信刀身は南北朝時代、備後三原の刀工・正信の作。拵は柄・鞘を錦で包み藤を巻いた錦包藤巻太刀拵で厳島神社蔵の物を模 [続きを読む]
  • 1709 岡山県立博物館 備前刀 ―日本刀の王者―
  • 今回は岡山岡山県立博物館特別展 「備前刀 ―日本刀の王者―」 期間:9月8日(金)〜10月15日(日)太刀 銘 成高刃長80.4cm。平安末期から鎌倉初期の刀工・成高の作。源頼朝より御家人の工藤祐時に与え、後にその子孫から石見の益田家に贈られた。 太刀 銘 一 (群鳥文兵庫鎖太刀「号 上杉太刀」)国宝。刃長77.8cm。鎌倉時代、福岡一文字派の作。関東管領上杉家より伊豆一宮の三嶋大社へ奉納された。 刀 金象嵌銘 備前国 [続きを読む]
  • 1708 8月の京博
  • 京都国立博物館五輪塔六字名号頭立兜変り兜の一種で、木製の五輪塔形頭立には「南無阿弥陀仏」の六字名号と家紋の「丸に士」文字が施されている。今治藩主4代松平定基が甲冑師の岩井家に製作させた。薄鶉蒔絵文台金蓮寺。文台とは書籍や短冊などを載せるために使われた机状の台で、蒔絵で装飾が施されている。脚の作りが華奢で古式とされる。室町幕府六代将軍・足利義教が金蓮寺に寄進したとされる。日月蒔絵硯箱仁和寺蔵。蓋表に [続きを読む]
  • 1708 拾翠亭
  • 今回も京都京都御苑内拾翠亭江戸時代後期に五摂家のひとつ九條家の別邸として 建築された二階建の数寄屋風書院造一階には10畳の広間があり勾玉池(九条池)に面して広縁が廻る床には千少庵筆書状の写し。西陣織の織屋・井関妙持に宛て一緒に俵屋宗達の茶会に同行しようと誘っている茶室内部は三畳躙口から床を見る二階座敷は踏込床格子の丁子七宝四阿の円窓高倉橋より勾玉池(九条池)越しに見る拾翠亭江戸後期ながら珍しい貴族の [続きを読む]
  • 1708 大雲院
  • 今回も「京の夏の旅」から大雲院天正15年(1587)正親町天皇の勅命を受け貞安上人を開山として、織田信長の子信忠の菩提を弔うために創建された祇園閣鉄筋コンクリート製3階建の建物。山鉾を模した形が印象的それでは内部へ・・・・ですが撮影禁止です次は墓所織田信長・信忠の碑石川五右衛門の墓島津以久の墓島津以久は佐土原藩主で島津4兄弟の従兄弟鐘楼元は北野天満宮にあったものこの他には宝物館も拝見できました。展示は後陽 [続きを読む]
  • 1708 渉成園 蘆菴
  • 今回は京都「第42回 京の夏の旅 文化財特別公開」の渉成園池泉回遊式庭園をもつ東本願寺(真宗本廟)の飛地境内。寛永18年(1641)に徳川家光からこの場所を寄進され、石川丈山が作庭した。現在の建物は明治から昭和にかけての再建。高石垣大玄関大宮御所より移築早速庭内へ今回特別公開中の蘆菴珍しい二階建ての茶室(煎茶席)2階の主室4畳半、次の間は3畳台目床の円窓。障子を開けると半円になる渉成園の他の建物も外観だけです [続きを読む]
  • 1708 居初氏庭園  天然図画亭
  • 今回は彦根から琵琶湖をぐるっと周って堅田へ居初氏庭園琵琶湖の湖上舟運の実権を握っていた堅田衆のひとつ居初家の書院・庭園居初氏住居主屋天然図画亭茶人の藤村庸軒と堅田の郷士・北村幽安による合作とされる「庸軒詩集」の中に「題居初氏茶店」という天和元年(1681)の作がある事から、この頃に作られたと思われる。北村幽安の妻は居初氏出身であり、藤村庸軒と北村幽安は茶の湯では師弟関係にあたる。そんな事からこの席は2 [続きを読む]
  • 佐和山城
  • さらに彦根佐和山城鎌倉時代に佐々木氏が砦を築いたのは始まりとされる。以後六角・浅井・織田・豊臣と支配者は変遷し支城として機能していた。織田時代には丹羽長秀そして豊臣時代には石田三成が城主を務めている。石田三成公像佐和山麓にある三成像。ここからスタート!「直虎ゆかりの地」の幟の横から登って行きます。塩硝櫓跡だいぶ端折ってますwここまででも結構な山道。西の丸跡3段の曲輪からなり、「塩硝櫓」もそのひとつに [続きを読む]
  • 彦根 龍潭寺
  • 今回も彦根龍潭寺井伊直政が石田三成の旧領佐和山に転封となったのを機に、遠江にあった井伊家の菩提寺・龍潭寺より昊天禅師を招き創建した。元和三年(1617)諸堂が完成。龍潭寺庭園も江戸初期に造られた。早速内へ方丈南庭「ふだらくの庭」昊天禅師の作とされる、観音菩薩のいる補陀洛山をかたどった枯山水の庭。内部には鎧などの展示も書院書院東庭「鶴亀蓬莱庭園」昊天禅師と小堀遠州の合作とされる書院北庭「露地庭園」飄々庵 [続きを読む]
  • 1708 彦根城博物館 日本刀鑑賞のススメ
  • 今回は滋賀県は彦根左←か右→か悩むところ。最初は左ご存知ゆるキャラひこにゃんのいる彦根城博物館日本刀鑑賞のススメ−井伊家伝来名刀尽−7月28日(金)〜9月5日(火)太刀 銘 国宗(備前二代)井伊直政の指料太刀 銘 国宗(伯耆)井伊家12代・直亮の指料次は備前刀を三振小太刀 銘 友成(号 君万歳)鎌倉時代初期の作太刀 銘 吉守鎌倉時代前期の作太刀 銘 正恒平安時代末期の作次は常設展より朱漆塗紺糸威縫延腰取二 [続きを読む]
  • 1708 会津行6 新撰組
  • 会津に残る新撰組の足跡をいくつか紹介最初は奴郎ヶ前の近く天寧寺新撰組局長・近藤勇の墓と副長・土方歳三の碑刀工・和泉守兼定の墓も次は七日町の近く阿弥陀寺新撰組三番隊組長・斉藤一の墓御三階もとは会津若松城内にあった。明治3年に移築最後は会津新撰組記念館新撰組を中心に戊辰戦争に関する史料を展示これにて会津編は終了。麟閣をはじめ良い所が沢山ありまた訪れたいところです。 [続きを読む]
  • 1708 会津行5 御薬園、会津武家屋敷
  • 御薬園室町時代に蘆名盛氏が別荘を建てたのがはじまり。会津松平氏三代・松平正容によって、本格的な池泉回遊式の山水庭園へと改造された楽寿亭元禄年間に建てられた茶席そして次は御茶屋御殿ですががーん。残念ながら改修工事中。次回の楽しみにしておきます場所を移動会津武家屋敷移築、復元された歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館復元された会津家老・西郷頼母邸茶室西郷四郎像西郷頼母の養子で柔道家。小説「姿三四郎」のモ [続きを読む]
  • 1708 会津行4 飯盛山
  • 今回は飯盛山と周辺最初は滝沢本陣藩主が参勤交代や領内巡視などの際に休憩所として使われ、戊辰戦争の際は松平容保が陣を敷き白虎隊に出陣を命じたとされています。遠州流とされる庭園もあります次はいよいよ「動く坂道」スロープコンベアで飯盛山へ白虎隊十九士の墓白虎隊自刃の場ちょっと下って会津さざえ堂正式名称「円通三匝堂」、寛政8年(1796)の建立です螺旋構造の特異な姿が印象的ですさざえ堂の特徴は昇り降りが別のル [続きを読む]
  • 1708 会津行3 蒲生三代
  • 会津若松の基礎を作った蒲生氏郷と二代・秀行、三代・忠郷の墓所を紹介市役所の近く興徳寺にあるのが蒲生氏郷の墓秀吉より会津を賜った蒲生氏郷はこの地に七層の天守と城下町を造ったが、文禄4年(1595年)伏見の屋敷にて40歳で病死。わずか5年の会津城主時代だった。次は薬師公園・館薬師堂に隣接した所にある蒲生秀行の墓立派な木造の覆屋です蒲生秀行は父・氏郷の跡を継ぎ会津若松城主になりましたが、程なくして宇都宮へ減封と [続きを読む]
  • 1708 会津行2 麟閣
  • 会津若松城内麟閣へ寄付中門腰掛待合蹲そしていよいよ麟閣天正19年(1591)千利休が秀吉の命で切腹すると、その子・少庵は利休の高弟のひとり蒲生氏郷の所領会津へ匿われ、文禄3年(1594)秀吉より赦免され京へ帰還した。麟閣はその間に少庵が氏郷に請われて建てたと伝わる麟閣と蒲鶴亭(鎖の間)の平面図麟閣は三畳台目に相伴席が付く燕庵形式の茶室。異なる点として本家の燕庵より点前座が50cmほど前に出ている事。その為、燕庵 [続きを読む]
  • 1708 会津行1 会津若松城
  • やって来ました会津若松!そしていきなりメイン会津若松城(鶴ヶ城)元は蘆名氏の居城。桃山時代から江戸時代に掛けて城主は目まぐるしく代わった。主な城主は伊達政宗・蒲生氏郷・上杉景勝・加藤嘉明・保科正之と、錚々たる人物が揃っている。幕末の戊辰戦争では藩主・松平容保が旧幕府軍として戦い、激戦の舞台となった。明治時代に入り天守以下の建造物は取り壊されたが、昭和40年再建された。廊下橋鉄門武者走上杉謙信公仮廟所 [続きを読む]
  • 1707 徳川美術館 天下人の城
  • 今回は愛知徳川美術館天下人の城−信長・秀吉・家康−期間:7月15日(土)〜9月10日(日)色々威大鎧 愛知・明眼院蔵。「集古十種」に平(藤原)景清所用として載る甲冑だが、形式的には南北朝時代のものとされている。兜は三十六間筋兜に大鍬形が付く。胴は色々威だが元は紅糸威だったそう。「張州雑志」によれば織田家が明眼院に納めたとされる。脇指 無銘 号 あざ丸 熱田神宮蔵。鎌倉時代の作とされるが作者は不明。「あざ丸 [続きを読む]
  • 1707 東海大学湘南キャンパス付属図書館展示室 連歌展 
  • 神奈川は東海大学湘南キャンパス付属図書館展示室連歌展 〜貴族から武士、そして民衆へ〜期間:6月19日(月)〜7月31日(月)水無瀬三吟百韻長享2年(1488)正月22日、連歌師・宗祇とその高弟・肖柏・宗長により後鳥羽院御影堂(水無瀬神宮)に奉納された百韻連歌。22日は後鳥羽院の月忌にあたる。この年の三月に宗祇は北野連歌所宗匠となり名実共に連歌界の第一人者となった、また肖柏・宗長も完成期にあたる事から連歌黄金期の [続きを読む]
  • 1707 小田原城 小田原城武者揃え
  • 今回は小田原小田原城天守閣・常盤木門SAMURAI館特別展「小田原城武者揃え 〜戦の時代の装い〜」期間:7月8日(土)〜9月24日(日)※特別展・常設展示織り交ぜて紹介佐竹義重所用 鉄茶羅紗包腰取丸胴具足幕末作成の佐竹家「甲冑目録」に「義重公 脇建 鹿角」とあるもの。佐竹義重は鹿の角を付けた兜をかぶり、自ら陣頭に立ち戦い「鬼義重」と恐れられた。金小札紫糸威二枚胴童具足小田原藩大久保家伝来黒漆塗海有軍陣鞍・鐙伊 [続きを読む]
  • 1707 徳川ミュージアム 刀剣プロジェクト成果展Ⅰ
  • 今回は水戸徳川ミュージアム刀剣プロジェクト成果展Ⅰ-鼓動-期間:6月17日 (土)〜 9月3日 (土)※「刀剣プロジェクト成果展Ⅰ」「水戸徳川家の名宝展」「黄門さまのひみつ」織り交ぜて紹介太刀 銘 長光(名物 鉋切長光)「鉋切」の銘は、この太刀を所持していた人物が大工に化けた怪物を鉋もろとも切り捨てた事から付けられたという。伝来は佐々木(六角)氏、織田信長(一説には松永久秀が入手し献上)から丹羽長秀に与えられた [続きを読む]