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ズッコケひかるの元気が出るブログ https://tara19.blog.ss-blog.jp/

沖縄から450キロ、南端超過疎小島、ランプで育った少年がTV界で活躍していく、珍騒動記。

タケシのデビュー番組、その後「ねるとん紅鯨団」など、当時不可能と思われた、オールロケ番組を手がける。 実際にあった、ノンフィックション番組です。

ひかる
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住所
墨田区
出身
竹富町
ブログ村参加

2008/01/08

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  • y1068 パーイ

    日本人のルーツは、南方説、北方説、中国説と、色々議論されていますが、南端の黒島では、南方説を裏付ける、珍しい方言が残っています。 例えば、農耕に使うクワの呼び方ですが、島では、「パーイ」と呼びます。 言語学者によると、ペルーの山奥の原住民が、同じ「パーイ」と、呼ぶとの事。 どうしてこのような事が起きるのか、学者自身も不思議がっていました。 一説によると、ペルーやミクロネシア諸島等、赤道付近の島から、黒潮により言葉や生活様式が、運ばれたのではないか、と言われています。 更に不思議な事に、島では、足の事を食べるパンと同じ、パンと発音します。 もしかすると、南の島で、足の事を、パンと呼ぶ所が、あるのではないだろうか。 個人的な推測ですが、食べるパンの語源が、どこから来たのかは分かりませんが、その昔、小麦粉を足で踏みこね、発酵させたか、麦踏の足に関係しているのではないだろうか。 そして、足の事を..

  • y1067 鼓動は泣きません

    これから先、何十年間、動いてくれるのだろうか・・ きのうも、明日もご苦労さん! どんなに、どんなに辛くても。 泣く事、知らない鼓動さん。 打ってみせます、淡々と・・ 淋しがり屋の、精神さん! 泣き虫、弱虫、飛んで行け! そうです、我々の精神は、淋しがり屋で、泣き虫です。 しかし、鼓動は泣きません。 しっかりとした足取りで、辛かろうが、嵐が来ようが、淡々と打ち続け、精神も一緒に頑張ろう、と元気ずけ、導いてくれる事でしょう。 人は、一人ぼっちだと思うから、辛いんです。 寂しいんです。 愛する人を失い、生きる事すら辛く寂しい時、貴方を命ある限り、励まし続ける・・ そうです、頼りになる味方が、身内にいたのです。 生涯の伴侶が、出来たのです。 現時点でスタートする鼓動や、最後の一鼓、役目を終わる鼓動あり。 例え五十億個の一つでも、響きに無意味はなく、人種や貧富、男女や宗教の差別や区別なく、全ての人..

  • y1066 鼓動との対話

    脳死という言葉がありますが、脳が死んでも鼓動は続いており、逆は成り立ちません。 不幸にして道半ば、やむなく止まる事を宣告され、残る鼓動をどう使うべきか、と思案に暮れる人生があるかと思うと、朝の目覚めに己の鼓動へ触れる時、昨夜来、全ての機能が休んでいる間も、元気に続けるこの響き。 値千金で、感謝せざるを得ません。 これほどすばらしい鼓動でも、一度止まったら終点。 例え、栄耀栄華を極め、いかなる名声を得ようとも、間違いなく止まる宿命を帯び、ただひたすら打ち続ける。 これしかなく、無意味に打たせれば、白髪とシワが増えるだけ。 しかし、精神には終点がありません。 音楽や芸術の世界、生き方など、先人達が残してくれた思想や、素晴らしい作品に、何百年後でも感動させられ、小さな事でもいい、自分の子供にだけでもいい。 何かを残せる人生を、歩みたいものです。 一人ぼっちで寂しい時、人生の嵐が襲い掛かり、苦し..

  • y1065 値千金

    我々の日常は、朝晩寝起きし、時計は回転して元に戻り、一年が終ると、また新しい年を迎える、が繰り返されています。 人生もまた、繰り返しの連続のように錯覚しがちですが、繰り返し以外にも、子供の誕生や親との別れ等、繰り返す事の少ない事もあり、人生が成り立っています。 人生を80歳まで、生きられると計算し、80センチの物差しに置き換えて見ましょう。 物差しの10ミリを12か月単位に置き換え、仕事や結婚の経歴、上段には親の年齢で、下段には女房や子供達の年齢を棒線で記入。 この一方通行のスケール上で、家族や人生を考えると、子供の進学や成人の時、自分は何歳で、子供達と、どのような会話が必要か。 教育資金が、一番必要な時期に、どう対応すべきか。 定年時、家族の年齢や状況が、どうなっているか。 位置付けが、よく理解出来、今後の展開等、色々な新しい事が、発見出来るかと思います。 人生は不確定要素があり、完璧..

  • y1064 ハブジャンプ

    また、ある虫が発生すると、ある魚種が近海に集まっている、と言う虫との間違いない関連もあります。 小さな島、周りの海から吹いて来る風、虫などの情報は、生きて行く大事な知恵でした。 ひかるが子供の頃、島の収入源は、サトウキビ生産で、サトウキビは、ネズミの格好の餌。 ネズミが繁殖し、その天敵として、猛毒を持ったハブが、大繁殖していました。 ハブは、脱皮をするので、皮を見ると、どれくらいの大きさか、ハブの棲家が、どの近辺かは、子供同士の情報交換で察知出来ます。 しかしハブは、かなりの行動範囲を持っているので、常に心の準備が必要でした。 ハブに噛まれた人を数多く見、ひかるも噛まれる直前の危険な目に何度か遭い、毒の猛威は、嫌という程知り尽くしていました。 噛み所によっては、命に関わります。 昔からの知恵で、島の道には、真っ白い砂を敷きつめてあり、美観の問題は勿論、夜道を歩く時、ハブが発見可能なように..

  • y1063 怒鳴られる

    ハブの性器は、メスには二つ、オスには四つあります。 数が合わないので、疑問に思いますが、オスの性器は、ペアになっており、しかもイボイボ状。 ペアでメスの性器へ挿入し、交尾。 蛇体は絞め縄の如く、もつれ喰い込み、飲まず食わず、執念深くエキスをむさぼりあう。 その姿はすさまじく、犬や牛馬の交尾とは比較にならず、ゾクゾクとさせられます。 しかし、ハブは害のみにあらず。 初夢にハブを見ると、大金が転がり込む、金運の女神、とも言われています。 興味は、海へも向けられます。 魚のヒレに切れ目を入れた場合、まともに泳げるか実験。 必死に、尾ビレで舵を取るにも、ほろ酔いチドリ泳ぎ。 残酷な事をしてしまった、と後悔させられました。 ある時、父が空を見上げ、急に、今日は、ハトッシ(方言魚名)が、大量に捕れる日だと、漁へ出かけ、間違いなく、言った通りの魚種を捕って来るのを目撃。 陸に居ながら、何んで海中の魚の..

  • y1062 画 ガニ股

    ガニ股。

  • 1061 似た者同士

    子供の好奇心、色々な事に、疑問を感じます。 ひかるは、野生のハトを生け捕り、飛べないよう羽先を切り、ニワトリ同様、飼い慣らそう、と実験。 難なく飼い猫に食べられてしまい、小さなウズラですら、野良猫に襲われても逃げ切れるのに、何んでいとも簡単に食べられるのだろうか、と考えさせられました。 やはり、空を飛ぶ鳥は空で生き、たとえ小さなウズラでも、地上で生きる代々の知恵が備わっているのだなぁと感心。 また、大空を飛び交う、ひばりを観察すると、巣へ入る時、直接巣には入りません。 わざと別な場所へ降り、茅の根を這って近づき、巣に入ります。 直接巣に入ると、カラスに巣の場所を狙われ、卵や雛を食べられる為、知恵を使っているのです。 しかし、巣から出る時は、直接飛び立ちます。 頭隠して、尻隠さず、の格言通り。 やる方もやる方、気付かない方も気付かない方。 どちらも、似たもの同士。 ..

  • y1060 時差処理

    生きていく中、誰もが持って生まれた財産、知恵を使わない方はありません。 基本的な知識は、学校なり、本を読む事で得られますが、知恵は見方、考え方、立場や状況等で、十人十色。 絞り出せば出す程、無尽蔵に出て来ます。 親子や将来に関する問題等、少なく見ても、一人30以上の問題があるかと思いますが、一つ一つの問題に対し、いま採れる最良の方法。これしかない! 道を選んでみましょう。 30通りの、これしかない! があるはず。 後は、その最良の方法を実行するだけ。 そして、30通りの問題すべてが矢と成り、自分の方へ向かって来ますが、すべての問題には時間差があり、その時間差を利用し、一つ一つ処理して行く。 100問題があったとしても、決して、処理不可能と言う事はありません。 今は小さな問題でも、将来は大きな問題になる場合もあり、それに対しては、今の内に手を打っておけば、大きくならずに済ます。 今は大きな..

  • y1059 母は母

    母は晩年、アルツハイマーとなりました。 上京させるべく父を説得するにも、「母の面倒は自分が見る」の一点張り。 やむなく、石垣島の療養施設へ入所させました。 アルツハイマー特有のものなのか、白衣の医者や看護婦、薬を極端に拒んだとの事ですが、東京のひかるの所へ行けるんだ、と言うと、素直に病院や薬も受け入れ、見知らぬ人を捕まえ、東京のひかるの所へ行くんだと口走っていたとの事。 日増しに容体が悪化しているとの連絡に帰郷。 しかし、あれだけ待ち望んだ対面は、まさかと思われる再会となってしまいました。 既に息子ひかるの面影は、母の記憶の領域に跡形も無くなっていたのです。 お母さん、帰って来たぞ! ひかるだぞ!と声をかけるにも後ずさりをし、部屋の隅へ逃げ、脅えて睨む拒否する眼差し。 妖気すら漂う、一度も見た事のない視線でした。 ひかるが帰って来たんだぞ、と近寄れば近寄る程、恐怖の色は濃くなるばかり。 ..

  • y1058 画 懺悔の丘

    懺悔の丘。

  • 1057 男泣き

    入社5年目、放送局では心臓部門の「テレシネ」職場へ配属されました。 放送開始から終了まで、交代制宿泊勤務がある、映画やアニメ、大量のコマーシャルなどを送出する職場。 数10台もの映写機がずらりと立ち並び、指定された映写機へ素材を装填。 魔法の箱の心臓部は、ミスが即全国へ流れ、緊張感がピリピリ伝わる職場です。 遂に自分自身の手で、フイルムをかけ、全国へ映画を流す時が来たのです。 興奮のあまり胸は高鳴り、震える手。 映写機の爪の噛み具合をニ、三度確認。 3秒前! 2秒前! 1秒前! スタート、オン! ・・大成功!! 遂に魔法の箱へ辿り着いた。 見果てぬ夢だと思っていたのに・・ 熱く込み上げるものがあり、私と同じ映画館に行けない子供達が、テレビで映画を観る事でしょう。 体が不自由な人で、映画館に行かなくても、家で映画が観られる。 病院で療養中の人も・・ お年..

  • y1056 正義の目

    また、テレビマンの世界は、視聴者には考えられない、過酷な職場でもあるのです。 ジェットコースターの後ろ向き乗り、後ろ向き走りや、高所恐怖症の解消は勿論。 野球中継などでは、どこへ飛ぶかも知れないホームランボールを、一瞬たりとも画面から外す、見逃す事は許されません。 小さなファインダーに望遠レンズ、当たった瞬間の初速度は想像出来るかと思いますが、球を捉え続けるのは至難の技で、かなりの熟練を必要とします。 また、一、三塁にランナーが出、一打同点の時等は、盗塁をするのか、先にホームを突かせるのか、両監督の腹の内を読み、全スタッフが瞬時に連係プレー。臨場感溢れる内容を放送。 他のスポーツのルールやマナーは勿論、政治経済、芸能界や水中撮影など、あらゆる分野の勉強と訓練。 そして、張り込み取材にいたっては、忍耐あるのみ。 ジェットコースター後ろ向き乗りで、フォーカス、ズーマーを自由に操作出来るカメラ..

  • y1055 人間セミ

    他にもテレビの裏側には、色々なエピソードがあります。 鉄塔での高所取材時、スタッフが本番終了までは無事でしたが、いざ降りる段になり、下を見た瞬間、高所恐怖症が走り、降りるに降りられなくなりました。 下から声をかけるにも、見向きもせずボンドで貼り付けたのではないか、と思われるくらいベッタリしがみ付き、ワナワナと震える姿は人間セミその物、お笑い番組のシーンのようで、笑ってしまいそうですが命にかかわる一大事。 救出作戦は大騒ぎになりました。 思い出したくない事件もあります。 雄巣鷹山日航機墜落事故。取材活動の帰社後、スタッフの食欲が進まず、落ち込みが激しかった事には参りました。 真夏の出来事、犠牲者と泣き崩れる遺族の姿が、あまりにも多過ぎ、山全体を覆う臭気と霊気中での取材。 規制線は無く、生々しい現場を見、精神的に受けたショックが大き過ぎたのです。 食べ物を見ても、衣服を焼き捨てても、風呂に何..

  • y1054 冷凍人間?

    テレビ界就職直後の昭和40年、晴海に新設された、零下30度という、冷凍倉庫取材に遭遇。 当時は冷蔵庫自体の普及率は低く、冷凍室付の冷蔵庫は未発売。 冷凍という言葉すらほとんど使われていませんでした。 冷凍倉庫自体も初めての開業で、大きな話題として取り上げられたのだ。 常夏の地で育ったひかるには、零下30度という世界は、かつて今まで生きて来た中では、とても考えられず、即座にコチコチの冷凍人間にされてしまう事しか頭に浮かんで来ません。 いよいよ本番になり、意地悪にも女性レポーターは奥の方へと入って行きます。 仕事なので、やらなければ、という意識はあるのですが、冷凍人間への拒否反応で足が竦み、何時でも逃げ出せるよう、入り口のノブに、しがみ付いているだけ。 本番が終ると、表へ飛び出すと同時に座り込み、二度とこのような仕事はやりたくない、と思いました。 周りからは、「テレビより、お前の恐怖に慄く顔..

  • y1053 画像

    天気予報報

  • y1052 美顔人「ビガント」

    そして、しかるべき国語として定め、教育にも取り入れ、外国にもアピール。 小中学生の女の子達が、大人に成った時、あの総称で呼ばれるような、素敵な女性に成りたいと、自分を磨き、実現出来た時、本当に、幸せを感じるのではないだろうか。 個人的な提案ですが、清らかで、品位のある、美しい心の素敵な女性、美顔人(ビガント)、と称したらいかがでしょうか。 発音は外国人にも、受けるかと思います。 思わず拍手喝采、乾杯! 乾杯! と言いたくなる、素敵な女性には、「ビガント!、ビガント!」 と賞賛しようではありませんか。 現実は、オバタリアンなる言葉が流行っており、残念至極。 もし、オバタリアンと呼ばれる行動があったとしたら、即、反省すべきではないだろうか。 日本女性として、ビガント姿。 子供達に、見せつけよう。 世界へ、見せつけよう。 オバタリアンと、呼ばれるな! オバタリアンと、呼ばせるな! オバタリアン..

  • y1051 オバタリアン

    現在、不愉快な言動ではあるが、オバタリアンが定着しています。 電車がホームに近づくと、周りをキョロキョロ、ソワソワ見、前の席が空くならともかく、所かまわず、空席を取らないと、人生が大損するかの如く、席を立つ人とぶつかり会いながらでも、席を確保する姿。 降りる流れに平気で逆らう姿。 娘時代は、そうでも無かったはずなのに、自分さえ良ければいいのか、と聞きたくなり、切符を買う時、乗り物に乗り込む時も品のない素行に度々会い、やはりオバタリアンだと認めざるを得ない場面に出会うのは事実である。 何も先んじたからとて、長生き出来る訳ではなし。 飛び抜けて幸せとも言えないだろう。 綺麗な衣装を纏い、化粧をしたとしても台無しで、悲しい限りだ。 おそらく、バーゲンやスーパーの限定品売り出し等で、早い者勝ちの行動が、何時の間にか身に染み付いているのであろう。 大売り出しは、直接財布に影響が出るのでやむを得ま..

  • y1050 障害者自立

    しっかり自信をつけ、笑顔が戻った妹に、1番辛かったのは、何んだったんだと聞くと、体育の時間が1番辛かった。何度体育の時間がなくなればいい、と思ったことか、と小さな声での呟き。 島の広い運動場、友達が木登りをし、飛び回る姿、一人で見ているのは辛かった事だろう。 手術の傷跡が多く残る足を「よくも私の足、魚の腹わたを取るように、あっちこっち切り開いてくれたもんだ」と笑って言っていました。 東京での生活、銭湯へ行くしかありません。 傷跡の多く残る、麻痺した足を人前にさらす事は、辛かっただろうに・・・ 耐えるしかなかったのです。 あれから何年か経った後、今度は、一級国家試験の更に上級、特級に挑戦するとの事で、ルートやパイ、微積分などの入り組んだ、ややこしい計算式を、どうしたら解けるのか教えて欲しい、と持ち込まれた。 特殊な電卓をプレゼントする。 問題は、どう考えても、大学卒業の学力を必要とした難..

  • y1049 神さま・・・

    片方の足でペダルをこぐ乗り方を必死に練習。 遊び盛りの姿を見、何んでこんな目に会うのか。 完全にマヒした足、妹は、いつも男の子のように、ズボンを履くしかありません。 他の女の子同様、スカートを履かせてやりたい・・ 何んで、スカートが履けない体になったんだ! 何んで3歳の女の子が、杖をついて歩かなければならないんだ! 何んの罪も犯していないのに・・・ 何んで幼い女の子に、過酷な試練を背負わせるんだ・・・ 何んで、不公平な扱いをされなければならないのか・・・ 神様がいるなら助けて欲しい・・・ 妹のマヒした足を見るたび、動作を見るたび、涙が止まりませんでした。 ひかるより妹のほうが、悔しい思いを数千、数万倍した事でしょう。 不自由な体での行動範囲はわずが、車を自由に乗り回し、本当の足代わり、見聞きする喜びは、人生最大の喜びだった事でしょう。 免許取得から数年後、妹の友人から連絡があり、電話は通..

  • y1048 杖つく少女

    やはり数年もの間、その一言が、忘れられなかったのでしょう。 「障害者が免許を取得する場合、東京都には奨励制度があるし、大丈夫だ」と説得すると、長期休暇が取れそうにもない、との事。 会社の方には、兄からお願いしよう。長年働き、休暇の目的もはっきりしている事だし、理解してもらえるはずだと。 妹は最後に、全ての段取りは、自分一人でやってみる、と言って納得しました。 数ヶ月後、「取れた! 免許が取れた!」と、弾んだ声で連絡があり、祝ってやりました。 よほど嬉しかったのでしょう。 無口で必要な事以外はしゃべらない、兄にすら一度も笑顔を見せなかった妹が、車庫入れで失敗した事や、S字カーブで踏み外した事など、笑顔でしゃべりまくっており、30年以上も背負って来た何かが吹っ切れた様子。 このきっかけが自信となり、妹の人生は大きく展開していきました。 車を購入、地方出身の同僚達と、お盆やお正月に友人の田舎へ..

  • y1047 乙女心

    ひかる24歳。妹が上京するとの事。 友人、及び親戚がなく、優しい言葉をかけてくれる人も居ない、厳しい東京で生きて行けるのだろうか。 片方の足は完全に麻痺しており、パスポート持参。15歳の少女である。 しかし、妹は余り干渉されない東京で、ひっそり生活したかったのでしょう。 小さな島、偏見の中で育ち、生きる全て、唯一の頼りは、兄だったのでしょう。 幸いにも東京都の身体障害者職業訓練校へ入学、卒業後、訓練校の紹介で縫製会社へ就職。会社の寮へ入れました。 数年後、同業他社へ転職した同僚から、「今までより条件が良いので来ないか、との誘いに乗りたい」との件で、相談。 無計画で、衝動的な行動に、思いっ切り叱ってやりました。 元気な友達は、あっちこっち転職するかも知れない。お前は障害者なのだから、他人の真似事はするな! じっと我慢しろ! と。 妹は寂しそうな、そして芯から怒っている、射抜く眼差しで睨みつ..

  • 1046 火風

    単純過ぎる答えの様ですが、登山者に、何んで山に登るのかと聞いたとしても、山が有るからだという答えの如く、岩と波がある限り、千年先も、1万年先も、只、「これしかない!」と繰り返す。 自然の摂理だったのです。 そして、台風が過ぎ去った翌日、父が畑を見回るのについて行きました。 大切に丹精込め、育て上げた作物は、揺さぶられ、薙ぎ倒されています。 うつろな眼差しで、何やらブツブツ呟き、根本に盛土する父の姿を見た時、哀れで、かわいそうに見え、反面、怒りを覚えました。 台風は、間違いなく毎年来る。近所の人達は、このような生活に見切りをつけ、歯が抜けるように、島から出ていく中、何んで父もそのような生活を求めないんだろうか。 この父は、馬鹿じゃなかろうか、と言いようのない失望感に襲われました。 しかし上京後、必死に生きる中で、父の本当の気持ちが、理解出来るようになったのです。 当時は、..

  • y1045 異様な音

    人工的に作られた防波堤に叩きつける波は、30メートルものしぶきをあげ、音も想像出来るかと思いますが、大自然の熾烈な戦いは、えぐれた岩の横腹に、下からしゃくり上げる時、しぶきは粉末状に、前方へ飛び散るだけ。 搾り出れる音も、これまた想像も出来ない、炸裂、唸り声の異様な合体音。 巨大な鯨が、押し潰され、もがき苦しみ、訳の分からない、悲痛の叫び声を出している様にも聞こえます。 「ドキューン」 「ドズーン」、言葉では表現のしようがありません。 そして台風通過後、一面に油を流し込んだような穏やかな水平線。 嵐の前の静けさ、という諺がありますが、嵐の後の静けさの方が、はるかに静かです。 なぜ、あれだけ熾烈な戦いをするのか? 静かにしていればいいのに・・・ なぜ無意味な戦いをするのか? 普段は遊園地であり、色とりどりの熱帯魚達が見せてくれる、アニメの世界。 穏やかで、母のように優しい海が、何んで異様な..

  • y1044 難問

    ひかるが中学生の頃、人生最大の難問にぶつかりました。 島の生活や子供達にとって、海は切っても切り離せない重要な存在。 都会の子供達が、公園や遊園地で遊ぶように、海と魚は、遊園地や動物園であり、熱帯魚と戯れ、遊んで育ちました。 しかし、一度台風が荒れ狂うと、恐ろしい海に変化します。 瞬間最大風速、70メートルの台風が暴れ狂った時の事を想像してみてください。 普段は、波と岩が何気なく、仲よく調和しており、さざ波が、えぐれた岩の横腹をくすぐり、今は、眠たいから、くすぐるのはやめてくれよ、と戯れているように見えますが、 一度台風が襲い暴れだす時、目の前に現れた姿は、凄まじいものでした。 木々は否応なしに揺さぶり、ねじ伏せられ、風雲は、摩擦のあまり、雷音稲妻と化し、 海は、怒涛のうねりを片時も休む事なく送り続け、攻撃の手を緩めません。 海鳴りは耳をつん裂き、雨は天から降らず、横から殴りつけ、風雲波..

  • y1043 VTR

    ロケーションを多用した番組作り、ひかるにとって、それ自体は朝飯前の仕事だ。 並行して、大きな壁が目の前に立ちはだかったのである。 それは、VTRの問題だ。 当時日本では、アメリカアンペックス社のテープ幅2インチVTRが導入され、独占していた。 勿論、ローカル局では買えない代物で、キー局に5、6台納入されていたから、NHKも含め、国内には30台前後が導入されていたであろう。 なんといっても、目玉が飛び出る程の値段で、日本のメーカーでは、パテントなどがあって、真似の出来ない。 極めつけは、可搬型のVR3000という、旅行トランク大の機種で、アンペックス社とNASAが軍事偵察機搭載用に開発したという、当時の最先端技術が集約された機械だ。 キー局すら持てず、パビックという会社とひかるの八峯テレビしか持っていないため、ドラマロケやスタートしたVCM等で重宝されていた。 ひかるはこの機械で稼げば稼ぐ..

  • 1042 熱意

    どうせなら、半端でない覚悟を持って、一気に攻めよう、それしか道はない」 と説いたのである。 いや、間違いなく、説教だった。 あまりの熱意に社長は、反省をした。 飛び出した連中は、折あらば、更に社の弱体化をさせよう、取って代わるべく、虎視眈々と狙っている。 それに比べ、注目もされず、黙々と仕事をし、管理職の機会を与えられなかったこの男が、本気で社を憂い、例へどのような事があっても、最後まで残って踏ん張ると言い切る。 「飛び出したい人は、飛び出せ! 自分は最後まで残る、看板は俺がはずす!」と不動の姿を見せるひかるを見直したのである。 逞しく、一回りも二回りも大きく脱皮した姿で、全社員に号令を発したのである。 社長は、自分の人材登用が間違っていた・・と そして最後に言った。 責任は、すべて社長である自分がとる、社長の采配すべて任せる、存分に暴れてみろ・・と ひかるが思..

  • 1041 パスポートから解放

    そして沖縄の本土復帰、パスポートを焼き捨てた時、本土の同期の連中と論争も出来る、ケンカも対等に出来る、と目に見えない鎖の呪縛から解放されたのである。 そんな事は多分、体験した人にしか分からない事であろう。 そんな時、窓外族から、社の中心へ戻るはめになったのだ。 そしてひかるは暴走した。今度はいい意味での暴走だ。 同期の連中は先に管理職として登用され、会社の経営にまで携わり、後輩達からは一目もニ目もおかれていた。 それが、徒党を組んで会社に反旗を翻したのである。 ひかるにとって、その行為は許せなかった。 今まで従いて来た後輩たち、女房子供もいるだろうに・・ 自分の利益ばかり考えていいものか! と頭へ来たのである。 社の中心に座ると、ひかるは重役や社長を論破した。 そして社長には、三日三晩、いやと言われても追いかけ回し。 「取り巻く状況は最悪だ、しかし守りに回っている..

  • 1040 360円時代

    ひかるは、入社早々ある事件を起こした。 友人、上司と府中駅前の飲み屋へ行った時の事である。 スナック風の飲み屋で、4人で楽しく飲んでいた。 店はママさんと、若い女の子が一人手伝っているだけで、小ぢんまりした店であった。 かなりアルコールも回った頃、米兵のお客が二人入って来た。 近くに調府基地があり、その近辺は結構米兵がいたらしい。 思春期を沖縄で過ごし、敗戦後、米兵はやりたい放題。 勝ち誇った米軍による犯罪、本土では報じられない事が日常茶飯事起きていた。 犯人は沖縄の裁判所で裁く訳にはいかない。勿論、日本の法律も通用しない。 米国へ送還され、どういう処罰が下されたか知る権利もなかったのだ。 当然、この地区で青春時代を過ごした連中は、否応なしに反米感情が叩き込まれていたのである。 米兵が入ってくると、ママさんの態度は一変、目いっぱい色気、愛想を振りまいているのである..

  • y1042 熱意

    どうせなら、半端でない覚悟を持って、一気に攻めよう、それしか道はない」 と説いたのである。 いや、間違いなく、説教だった。 あまりの熱意に社長は、反省をした。 飛び出した連中は、折あらば、更に社の弱体化をさせよう、取って代わるべく、虎視眈々と狙っている。 それに比べ、注目もされず、黙々と仕事をし、管理職の機会を与えられなかったこの男が、本気で社を憂い、例へどのような事があっても、最後まで残って踏ん張ると言い切る。 「飛び出したい人は、飛び出せ! 自分は最後まで残る、看板は俺がはずす!」と不動の姿を見せるひかるを見直したのである。 逞しく、一回りも二回りも大きく脱皮した姿で、全社員に号令を発したのである。 社長は、自分の人材登用が間違っていた・・と そして最後に言った。 責任は、すべて社長である自分がとる、社長の采配すべて任せる、存分に暴れてみろ・・と ひかるが思い切った、電光石火の行動が..

  • y1041 パスポートから解放

    そして沖縄の本土復帰、パスポートを焼き捨てた時、本土の同期の連中と論争も出来る、ケンカも対等に出来る、と目に見えない鎖の呪縛から解放されたのである。 そんな事は多分、体験した人にしか分からない事であろう。 そんな時、窓外族から、社の中心へ戻るはめになったのだ。 そしてひかるは暴走した。今度はいい意味での暴走だ。 同期の連中は先に管理職として登用され、会社の経営にまで携わり、後輩達からは一目もニ目もおかれていた。 それが、徒党を組んで会社に反旗を翻したのである。 ひかるにとって、その行為は許せなかった。 今まで従いて来た後輩たち、女房子供もいるだろうに・・ 自分の利益ばかり考えていいものか! と頭へ来たのである。 社の中心に座ると、ひかるは重役や社長を論破した。 そして社長には、三日三晩、いやと言われても追いかけ回し。 「取り巻く状況は最悪だ、しかし守りに回っていると、さらに社員は、歯が抜..

  • y1040 360円時代

    ひかるは、入社早々ある事件を起こした。 友人、上司と府中駅前の飲み屋へ行った時の事である。 スナック風の飲み屋で、4人で楽しく飲んでいた。 店はママさんと、若い女の子が一人手伝っているだけで、小ぢんまりした店であった。 かなりアルコールも回った頃、米兵のお客が二人入って来た。 近くに調府基地があり、その近辺は結構米兵がいたらしい。 思春期を沖縄で過ごし、敗戦後、米兵はやりたい放題。 勝ち誇った米軍による犯罪、本土では報じられない事が日常茶飯事起きていた。 犯人は沖縄の裁判所で裁く訳にはいかない。勿論、日本の法律も通用しない。 米国へ送還され、どういう処罰が下されたか知る権利もなかったのだ。 当然、この地区で青春時代を過ごした連中は、否応なしに反米感情が叩き込まれていたのである。 米兵が入ってくると、ママさんの態度は一変、目いっぱい色気、愛想を振りまいているのである。 当時は1ドル360円..

  • 1039 おいタケシ! ヤバかったぜ2

    年齢的にはタケシとテリー伊藤君の間、番組作りはベテラン中のベテランで、不慣れなテリー君のフォローとタケシの間を取り持て、と指示。 またMカメラマンはフジテレビ日曜日ゴールデンタイム8時からの萩本欽一「オールスター家族対抗歌合戦」のチーフカメラをやっていた人物で同時進行中。 収録日程を確認し、民放キー局8チャンネルの裏番組4チャンネル、ゴールデンタイム同時間帯に同一チーフカメラマンを起用したのである。 ひかるはお笑い番組もやっていたのでタケシとは顔見知りだ。 これといった印象はないが関西に対抗する東京のお笑い界の起爆剤人になるのではないかと見ていた。 ひかるは毎日平均して15本前後のスタジオ番組や中継、ロケやニュースの取材等忙しい思いをしていたがMカメラマンにタケシの番組、細かに報告するよう指示してあった。 ロケが終わると必ずMカメラマンとは時間を取り状況報告は受ける..

  • y1038 おいタケシ! ヤバかったぜ!

    話はタケシの話に戻す。 タケシは20代ツービートで漫才をやっていたがチョボチョボでヒットしなかった。 当時は大阪の上方漫才、西川ヤスキヨがブームで、東京では萩本欽一と坂上二郎のコント55号、伊東四朗のテンプクトリオやドリフターズが人気。 テレビ界で影の薄くなったタケシを起用し、大雨で中止になる野球中継番組の代替え、フィラーの雨傘番組企画が持ち上がった。当時後楽園球場はドーム化されていなかった。 王選手と長嶋茂雄の属する巨人軍大ブーム、読売日本テレビの野球中継が雨で中止になった場合に流す、いわゆる雨傘番組「天才タケシの元気が出るTV」での起用。売れているタレントなら断るだろうがタケシは、雨傘番組だとしても初めてタケシの名前が番組の冠に付くタイトル、鬼瓦権蔵役だ。 この番組はスタジオメインでロケの映像、話題をどれだけ取り込めるかにポイントがあった。 ひかるはそのロケの部分を請け負ったのである..

  • y1037 番組、ねるとん紅鯨団

    タケシの番組でロケを担当させたMカメラマンを、ねるとんに起用、ロケの経験が豊富で、他のカメラマンとの連携がスムーズに行ったのである。 勿論オールロケで、これ程充実した内容の番組が出来る、という事で、業界では予想以上の評価を得る事になったのである。 労使問題で青息吐息だった会社が、誰もが目を疑う活況ぶりだ。 当然、業界では注目され、後にフジテレビ100%子会社と成って行く。 アナウンサーの早稲田出身、露木氏はじめ、東大、慶応出身者が周りにゴロゴロいるが、ひかるは益々異彩を発揮していく。 威張る事なく、腰が低い、テレビの命は番組だ!、と茶の間を意識。 人間として生まれ、一番愚かな事、一番の不幸は、せっかく親から貰った知恵を、使う事なく、墓場へ持っていく事だ! とひかるの口癖は響き渡っていた。 当時、テレビ局はカラー放送、ネット局充実へと殆んどの資金、人材が当てられ、番組の内容がスタジオ中心で..

  • y1036 不毛の時間帯

    この番組の放送時間帯は、不毛の時間帯と言われ、なかなか視聴率がとれない売り物にならない時間帯だったが、一変したのだ。 この番組が放送されると、業界の人達から見ると、中継車を持ち込んで、かなりケーブルを引き回し、番組が作られていると、思ったらしい。 コスト的に中継車をキープすれば、キープしただけで一日百万以上はかかってしまう。 こんな時間帯に、中継車を使って、番組を作るなんて、とても考えられない・・・・といわれたのである。 この番組は、スタジオで番組を作る以上の、素晴らしい画が、低コストで、茶の間に届けられたのである。 ロケの場合、だいたいバッテリーは5、6個持っていく。 ねるとんは、4チェーン必要なので、照明やVTRなどを含めても、30個前後あれば十分だ。 他にも、海外や国内ロケがあるが、トータル的には問題なし。 このシステムは、威力を発揮したのである。 スタジオの音楽番組やドラマなどは..

  • y1035 多重ロケ方式

    ねるとんでは、今迄にない、全く新しい多重ロケ方式が採り入れられた。 常に、4台のカメラとVTRが対になっており、同時にスタートさせ、テープが終わるまで、一切ストップをさせない。 4台のカメラVTRが回っている状態で、映画で使われていたガチィンコを撮りスタートマークにする。 4台のカメラは、自由に動き回り、あらゆる角度から収録。例えばグラスを落として割るシーンなど、手元と落ちる床面を撮るカメラを決め撮影。 編集時に、スタートマークを揃え、同時にスタート、4分割画面に、それぞれの画をはめ込んで編集ポイントをチェックする。 早い話が、4画面を見て、タッチをしていけば、面白い表情が、リアルに編集出来るというシステムだ。 もちろん、素人相手なので、従来のストップ、スタートを繰り返していたのでは、とても表情が硬く画像にならない。 まかり間違い、演技をつければ、完璧なやらせになってしまう。 勿論、常に..

  • y1034 フローティングシステム

    ロケを採り入れた番組を作りたい、誰もが考えうる発想だが、具体化するには何らかの着想が不可欠だ。 当時のロケ、一番の難点はバッテリー問題だった。ひかるもカーバッテリー等、あらゆるバッテリーを考え、実験したが、やはり無理だった。 試行錯誤、明けても暮れても実験中、小型弁当箱大、きゃしゃに見えるが、ビニール樹脂でコーティングされた物が目に止まった。 テストをすると十分行ける代物だ。ひかるは、これで放送業界を一変させられる、と小躍りした。 BP90という型名で、早速チャージャーを分解、誰もが驚く75連のフローティング式チャージャーを部下を動因し、一月もたたない内に完成させたのである。 メーカーが四個チャージ出来る4連式を得意になって売り込みに来たが、75連を見せると、腰を抜かさんばかりに驚いた。 こんな事をする人など、想像も出来なかったであろう。 タケシの番組で威力を発揮したが、さらに多重ロケ..

  • y1033 窓外族

    20代後半、沖縄が本土復帰をする。 ひかるは大事にしていたパスポートを焼きすてた。 ひかるの中で何かが吹っ切れたようだ。 そしてちょうどその頃、社内には、一大異変が起きていた。 第一期入社の同期の連中は、管理職として各部門を統括していたが、よりによって、その連中が束になって会社を辞め、別会社を設立し、従来の仕事をそっくり持って独立していったのだ。 労使問題でガタガタしているとはいえ、発注先であるフジテレビ゛が、設立されたばかりの、資本の入っていない独立会社へ翌日から仕事を廻す。 明らかに契約違反であり、フジテレビは、ひかるの所属する会社を潰しにかかった、と解釈されても仕方のない事情であった。 取り巻く周りからもかなり注目されている中、唯一残った第一期生、ひかるは社のどまん中へ担ぎ出されてしまったのである。 しかし、ひかるは苦境に立たされれば立たされる程、頭を使う。 次から次と、誰もがあ..

  • y1032 倒産

    東通は、TBSから社長が送り込まれ、経営陣もTBS色が強かった。 第一事業所がTBS内に置かれ、第二事業所が、フジテレビ内に置かれた。 頭が良く入社試験の成績の良い人がTBS内第一事業所に配属されたと言れたが、たぶん事実であろう。 TBSはドラマ制作に力を入れ、ドラマのTBSというイメージで、フジテレビは、ピンポンパンなど子供番組がヒット、母と子のフジテレビというイメージで、両局とも快調に業績を伸ばしていった。 そして、お互いがライバル局として見るようになり、第二事業所は、後に100%フジテレビ子会社化していくのである。 バブル時、東通の経営陣が、巨額の資金をゴルフ場開発に注ぎ込み、バブル崩壊と同時にあっけなく倒産した。 新聞紙上を賑わせ、昨日まで社長と崇めた社長を、今度は社員が放送カメラを持って犯人扱いで追い回すという、考えられない事が起きたのだ。 第一事業所配属、同期の連中は、設立..

  • y1031 巨人戦

    野球放送は、巨人戦を中心に編成されている事は言うまでもない。 野球ファンの5割は巨人ファンと言われ、アンチ巨人が2割いるとすれば、7割が巨人戦、観戦という事になる。 同時間帯に、巨人戦以外のカードを放送しても、なかなか視聴率が取れないのである。 巨人戦は、資本関係にある、日本テレビが過半数の放送権を持っている。 年間、140試合とすると、70試合は、日本テレビが放送する。 残りの70試合が、五つの球団、14試合ずつ分割されるという事だ。 横浜は、TBSと資本関係にあり、横浜対巨人戦14試合は、必然的に放送する。 フジテレビは、ヤクルトとの資本関係で、ヤクルト巨人戦14試合を、必然的に放送する。 それ以外に中日、阪神、広島もそれぞれ14試合ずつ権利がある。 例えばフジテレビだと、ネット系列の関西テレビが、阪神や広島などと交渉し、放送権を獲得する。 それを、関西テレビ発、フジテレビ系列で全国..

  • y1030 TV界、就職状況

    昭和30年代、NHKに続き、4チャンネルの日本テレビ、6チャンネルのTBS、8チャンネルのフジテレビ、10チャンネルのテレビ朝日、12チャンネルのテレビ東京の順に、民放は開局していった。 NHKは、ニュースが主体で、民放は、王、長嶋選手が活躍する野球放送、力道山が活躍するプロレス中継が、横綱的存在の番組であった。 世相も、戦後の混乱期を脱しバブルの助走時代、人々は工場で汗、油まみれに働き、野球放送とプロレス放送を見ることによってストレスをはらしていた。 当然まだ白黒放送で、放送時間も、現在みたいに、一日中放送しているわけではない。 夜のゴールデンタイムと昼メロが主で、昭和30年代後半になると、朝のモーニングショーがヒットし、その後、午後3時代の番組も放送されるようになったのである。 民放では、巨人戦、プロレスの放送権を持つ日本テレビは、後から開局したTBSやフジテレビに比べるとダントツで..

  • y1029 主の役目

    避難場までは、1キロくらいあり、風速70メートルの逆巻く突風は、前後左右から揺さぶって吹き、決して同一方向から、均一的に吹いて来ません。 会話は嵐の中へ千切れ飛び、痛い程叩き付ける雨に、目も開けられず、風圧で、息をする事すら苦しく、顔をあげておられません。 大人ですら、進むのが困難な状況である。 闇夜の畦道、吹き飛ばされ、足に纏わり付き、やっとの思いで、避難場へ到着。 不安な一夜を過ごしました。 抗し難い、大自然の力とは言え、コツコツと築き上げた我が家が吹き飛ぶ。 翌日からの生活を思い巡らし、家を後にする時、父親の気持ちはどのようなものだったのだろうか。 南国の真夏、殆んど着る事の無いオーバーコートを着、荒れ狂う嵐に悠然と立ち向い、家族を守る。 父の背中はあまりにも大きく、凛々しい姿として瞼に焼き付けられ、ひかるが生きていく中、人生の厳しさに背を向ける事なく、前向きに立ち向い、家族を守る..

  • y1028 画像

    台風

  • y1027 真夏のオーバーコート

    ひかるが小学校へ入る前の出来事で、瞬間最大風速70メートルくらいはあったでしょうか。 大型の台風が、島を直撃。平たんな島は、風圧をまともに受け、遮る物は何も有りません。 電気は無く、真っ暗闇の真夜中、轟音渦巻く風の音、激しく叩き付ける雨の音、そして、家がギシギシとマッチ箱を揺するが如く、激しく揺れ動いているのに目が覚めました。 暗闇に目を凝らすと、父と母が、いつもと違う、重苦しい不安げな顔で天井を見つめ、会話を交わしております。 父は、「台風は我が家を直撃する。この分だと屋根が吹き飛び、危険なので避難をする」と、ため息を残し、立ちあがりました。 母は、「この嵐の中、どうやって避難所まで、行き着くのか」と、脅え声。 (台風は目に向かって、左回りに風が吹き、一点にいて、刻々変わる、風向きと風力で、台風の目がこちらへ向かって来るのか、逸れて行くのか判断出来ます) 具体的に北東の風が東になり、時..

  • y1026 脳内アルバム

    ひかるが、南の島へ帰郷した際、ある85歳のおじいちゃんと、ゆっくり話をする機会が有りました。 おじいちゃんは、10人もの子だくさんで、孫やひ孫を数えると、40人は、いるとの事。 子供達は、高校がないので、一度島を離れますが、もう二度と島には帰って来ません。 おばあちゃんと二人っ切りは、淋しそうに見えるのですが、私は一番幸せ者だ、と自慢。 事実、温和な丸みのある、幸せが滲み出ているのが、感じられます。 何んでそれ程までに、幸せを周りに放射出来るのだろうか? 体力的には、庭の散歩がやっとで、寝ている時間が大半のおじいちゃん。 不思議な力を感じ、その場を離れるのが勿体無く、ついつい色々な話をし、時を過ごしてしまいました。 「今にも天国から、迎えが来るかも知れない」と平気でしゃべっている姿からは、死に対する不安が、微塵も感じられません。 どうしてなのだろうか? 話を聞くと、おじいちゃんの人生は、..

  • 1025 またまた、大失敗

    上京直後、組み立て配線工として働いていた時、またまた大失敗です。 昼食には、出前をとっていました。 食べ物の名前は初めて聞くものばかりです。 周りの注文を見聞きしながら覚えていこうと考え、真似をする事に決めこみました。 初日は、天丼、ラーメン、チャーハン、焼飯と、みんなが注文するのを聞き、唯一知っているメニューで、焼飯を注文。 その日は、無事に何事も起こりませんでした。 翌日、例によって皆なが注文をした後、中身は知らないけど、しゃれた名前なのでチャーハンを注文。 みんなが取った後に残った物が、チャーハンだろうとの考え。 待っていると、残っているのは前日と同じ焼飯。 「誰か注文を間違えた人はいませんか!?」と大声で聞きました。 誰も間違えていないとの事。 「君、何を注文したのだ?」と聞かれたので、 「誰か注文を、間違えているはずです。私は間違いなく、チャー..

  • y1024 画像

    焼き飯

  • y1023 あれ〜

    前席の女高生だと思われる女の子が、あれ〜と甲高い声を出し、椅子を軋ませ逃げ出す。 周りの客は、針でつっ突かれたかの如く、一斉に注目。 見るとテーブル上は、運悪く、ツユが前の方へ流れています。 娘が飛んで来て、ツユを拭き、お客に誤り、調理場からもう1本ツユを持って来ました。 こぼしたものと勘違いをしたのです。 さて、2本目です。 どうするか?? あまりの出来事に、多くの客も、野次馬気分で立ち上がっての見物。 前の女高生はすでに避難し、どうしてよいのか分からず、恥ずかしさと冷や汗。 当人は完全に、舞い上がっています。 店全体の視線を一身に受け、仕方なく、そばを一本ずつ、ツユに浸しながら食べていると、隣の客が親切に教えてくれましたが、時すでに遅し。 周りの雰囲気からして、何が何んだか食べた気がしません。 さて、次は下のご飯だぞ! はやる気持ち、ぎこちない手つきで、すのこを取りました。 何んだ..

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    おおもり

  • y1021 見事な閃き

    だけどいいや・・・ おそらく、そばの下に、ご飯がたっぷり有るだろうと、一人合点し、空腹から湧き出る食欲と、生唾を飲み込む。 さあー食べようか! 初めての食べ物、食べ方が分かりません。 大もりの下に、お盆があるのですが、隣の客には敷いてありません。 注文を運ぶお盆を忘れ、そのうち取りに来るだろうと気を使い、お盆を横に置き、器を直接テーブルに置きました。 更に、ツユ壺の上に、ツユ入れが被せてあるのに、それが分からず大失敗の因。 ツユ壺に被せてあるツユ入れを、フタだと思い、伏せたままお盆の上へ置きました。 さて、その後どうやって食べるのか? ハシでツユを確認。 そばを1本1本、ツユ壺に入れて食べるのか? 試しに1本やってみましたが、どうも具合が悪い。 腕組みをし、しばらく考えました。 どうしても、周りの視線が気になります。 過疎の村で外食とは関係なく育ったひかる、食事作法を知らずオロオロ上目..

  • y1020 おおもり

    毎日が、ひもじい思いをし、夢にまで食べ物が出てくる上京当時の出来事。 一度でいいから、腹一杯ご飯を食べてみたい、という願望を叶えるべく、アルバイトのお金が初めて入った時、思いっ切り食べようと心に決め、外食をすることにしました。 子供の頃から、外食の経験がなく、今日は腹一杯食べられる。 自分の稼いだお金で、思いっ切り食べよう、という期待に胸をはずませ店に入りました。 日曜日の昼時で、ほぼ満席の状況。 何を食べようか? 壁に貼ってあるメニューを、ひと通り往復して見ました。 だいたいのお客は、椅子について注文を考えます。 壁の前をウロウロし、しかも顔色が浅黒く、栄養失調ぎみの飢えた目。 変な男が入って来た、と他の客が注目しているのは視線で感じられます。 女子高生と思われる、女の子二人との相席でした。 店は、母親と娘なのでしょうか、中学生くらいの女の子が手伝っておりました。 メニューで一番、腹..

  • y1019 就職

    早速、翌日から職探し。 皿洗いや組み立て配線工、自転車での配達等経験しましたが、日給が5百円程度と安く、生計を維持するには無理がありました。 そこで日給8百円で、なんとか生活可能な、トラックの助手の仕事を見つけ、会社の寮へ入れてもらいました。 毎日、鈴や亜鉛のインゴットを満載し配達周りの力仕事でしたが、運転手は荷物には何一つ手をつけず、栄養不足と睡眠不足の体には、過酷な仕事でした。 過労の為なのだろうか。腰がふらつき、時々目まいが襲います。 作業中、荷物に指をはさみ、潰してしまいましたが病院へ行く金もなく、休めば食べていけません。 潰れた指を手袋で隠し、なにげない様子で翌日も働き続け、あまりの痛さに指が腐るのではないかと、心配でしたが何時の間にか治りました。 人は過酷などん底生活の中、己の体につけた傷跡や心に染み込んだ教訓は、生涯忘れられません。 今でも辛い時は、傷跡を見、あの時の痛..

  • y1018 貧食時代

    現在の飽食時代、パンの耳で過ごす事等、考えられないかも知れませんが、日記に昭和40年当時の状況を見る事が出来ます。 「3月29日、月曜日、今日は朝から会社は休み、給料日は目の前だけど、どうしても金が不足。 しかたないので、電子工学、図解パルス工学、電気論の3冊、2000円相当を古本屋に売りに行った。 売りたくない気持ちは山々、そうかと言って、飯を食べずに過ごす訳にもいかない。 ある一軒の古本屋に入り、買ってくれと頼むと、今はその本ありますから、との事で、この本屋を出る。 この場に成って、自分ではよく分からない程の本に対する未練が出てきて、そのまま帰る事にした。 やっぱりどんな事があっても、参考書だけは、今後売るような事はしないようにしよう。 仕方ないので、今日は朝から食パン1個で、1日中過ごす。腹の虫がグーグー鳴っている。 ペンさえも、いつもと違い、ふらふら千鳥足、残る2日間の我慢だ。..

  • y1017 何んだ、これは!

    今考えると栄養状態は極度に悪く、凍死寸前の状態だったのです。 食べ物が欲しい・・。 着るものが欲しい・・。 誰か話し相手が欲しい・・。 頼る人が一人でもいてくれれば・・・ お金はみるみる底をついて行き、孤独、辛さに、このまま生き続けられるのだろうか? 不安のどん底に陥りました。 父が、やっとの思いで作ってくれたお金、周りの反対を黙って押し切ってくれた事、あの拗ね顔を思い出すと、おめおめと島へ戻る訳にもいかず、自分自身が情けなく、疲れ果てたある日、一人で天井を見つめ、孤独をかみしめながら、何気なく手を胸に当ててみました。 「何んだ、これは!」 思わず、声が出ました。 これだけ辛い思いをし、悲しんでいるはずなのに、鼓動は平常通り、何事もなく、すがすがしい響で脈を打っていたのです。 身も心も一心同体、体全体で苦しんでいるはずが、孤独、寂しさ、辛さは、精神だけの問題にすぎず、鼓動は平常通り淡々..

  • y1016 パンの耳

    ひかる19歳。パスポート持参で、貧しい中での上京。 頼る人とて無く、バイトに夜学。 バイトの金が入るとラーメンを箱ごと買い込み、コッペパンとの連続。 食べ物さえ確保するのが大変な時期でした。 何時ものパン屋へ行った、ある日の出来事。 顔色は浅黒く頬は痩せこけ、明らかに上京したての田舎顔。 手はズボンのポケットへ入れ、十円玉を数え、買えるかどうか思案中。 目は卑しくも買えるはずのない、美味しそうなケーキの方へ行ってしまいます。 一度でいいから、ケーキを食べてみたい・・ しかし金がない。 空腹、みじめ・・ 飢えた目で周りのパンをキョロキョロ見ている姿、気の毒に思えたのでしょう。 店のおばちゃんが、他の客がいないのを見計らい、紙袋をそっと渡してくれました。 部屋へ帰り開けると、パンの耳でした。 他人様から始めて貰った食べ物、心から有難いと感謝したのは言うまでもありません。 早速、コップに水を入..

  • y1015 テレビ初対面

    大勢の人が行き来し、ビルへ吸い込まれていく様子を見た時、これはアリンコの世界だと直感。 家の庭に数えられないくらいのアリ達が、それぞれの巣を作り、せっせせっせかと働き、食べ物を蓄えていた姿にそっくり。 東京の人々が一段と小さく見え、何んで人間がアりンコになってしまうのだろうか、と考えさせられました。 そして翌日、魔法の箱としか思えないテレビを一刻も早く見たいと、早速新橋駅前の街頭テレビを見に行きました。 黒山の人だかりで、全ての人がテレビのプロレス中継一点に集中。 確かに、プロレスは別の場所で行われ、テレビにはそれが写っているのです。 夢にまで見続けたテレビ、魔法の箱ではなかった。 そして力道山の空手チョップに群衆が熱中し、興奮している姿を見た時、テレビに挑戦しても、間違いではないと確信。 夢は大きく膨らんでいったのです。 見果てぬ夢がある限り、命を張って生きてみよう。 何時の日か、我が..

  • y1014大パニック

    急に走り出す事を全く想定していなかったので、心の準備が出来ておりません。 いきなりバランスを崩し、「どう成っているんだ! あー あ〜!」と見事に転倒。 瞬間、恐怖と驚きで頭の中は大パニック、「止めろ! 止めろー!」と絶叫してしまったのだ。 周りは何事が起きたのか、と一斉に注目、総立ちになりました。 昔の電車、急発進、オーバーランは、日常茶飯事。 電車は何事もなく走り出しているのです。 四つん這いになり、起き上がる時、総立ちで見ている人々の視線の冷たさ。 田舎者! バカ! トンマ! いい加減にしろ! と言いたげな視線は、今でも忘れられません。 車内の今にも吹き出したい気持ち、我慢しながら見ている視線を、一身に受け続ける事は、なんとも気まずいもので、恥ずかしさを通り越し、居たたまれない雰囲気。 追われるように、次の駅で飛び降り、後続電車に乗り換えました。 また、右を向いても目、後ろを向いても..

  • y1013 画像

    発電車 (ちなみに、徳島の読者より我が県に電車が無い、沖縄にはモノレールがあるではないか、との指摘をうけた。ひかるが上京時、モノレールはなかった)

  • y1012 初! 自動ドア

    昭和38年4月、一週間も船に揺られ上京。 沖縄は電車のない県ですが、島には車や耕運機すらなく、電車という乗り物は初めての体験。 (現在はゆいモノレールが走っています) けたたましく責め立てるベルに、前の人に連られ急いで乗り込みました。 すると、あまりにもタイミング良く待っていたかのように、ゴロゴロとドアが背後で閉まったのです。 生まれて初めて見る自動ドア。 好奇心旺盛な少年は、ドアに目が付いているはずだ・・ ドアの目がどこに付いているのか、と探しておりました。 次の瞬間、電車は走り出したのです。 自然の息吹と共に伸び伸びと育った、少年の初めての電車。

  • y1011 生き別れ

    今更、船から飛び降り戻る訳にはいかない・・ 戻れない・・ 親子の全てを断ち切った! 木の葉のような橋渡船の父に、最後の別れを一言。 「許してくれ! 息子は亡き者と、諦めてくれ・・!」 心底絞り出す言葉は、声になりません。 千切れんばかりに手を振り、今後の無事を、ひたすら願うしかありませんでした。 船は全ての未練を断ち切り、一路北へ・・・ この船の進む先に、ロマンがある・・ そしてテレビがある・・ 過酷な試練が、刻々と近付いているのも露知らず・・ ひかる少年は帆先へ立ち、目を大きく見開き、未来を見つめるだけでした。 (これから先、ひかるはテレビ界で縦横無尽に活躍、結果的に両親の死水は取れなかった)

  • y1010 夕陽の涙

    年老いた両親と、体の不自由な妹を島に残し、旅立つ息子は親不幸なのだろうか・ 10歳の遊び盛りに、足の不自由な妹の遊び相手は誰がするのだろうか・・ 何時迄も、何時までも、元気に暮らして欲しい・・・ 夕陽は周り一面を真っ赤に染め、西の海へ深々と物悲しく沈んでいきます。 なびく髪、風さえも赤く染められ、心に滲み渡る蛍の光。 大海原に落とす夕陽の涙は、今生の別れを惜しんでいるのだろうか・・ 無常にも二度目の汽笛は空と海へ途切れ、鳴り渡るドラの音に一段と激しく身を揺するエンジン振動。 溢れる涙に視界はこぼれ落ちて行きます。 未練の糸なのだろうか、夕日に赤く染まった海面に尾を引く白い航跡。 橋渡船の父と本船の少年は、縋る甲斐なく引き離され、大きな人生の別れをするのでした。 この先、妹は兄の帰りを待ち切れなかった。 東京がどんなに厳しい戦場なのかつゆ知らず、松葉杖を突いて着の身着のまま、兄を頼りに上..

  • y1009 画像

    別れ船・・

  • y1008 別れの杯

    空路が開かれた今では想像出来ませんが、当時、上京するには黒島から朝一便の船で石垣島迄行き、夕方石垣を出港し翌日の昼頃那覇港着、夕方那覇港を出、東京の晴海埠頭まで3泊4日、便数も週2便しかなく更にパスポート持参での上京。 もし危篤の知らせがあったとしても、帰郷するには最低一週間は必要。 ニキビだらけのあどけない顔の少年ながら、決して死に水は取れないだろうと、覚悟しました。 両親を前に生き別れの杯を交わさせてくれと頼み、別れの杯を交わしての旅立ちと成りました。 杯を交わす時、父は決して目を合わせまい、としていました。 拗ねているように視線を外し、何かを必死で耐えている様子。 多分、視線が合えば、上京は取りやめなさい、と口から出るのを耐えていたのでしょう。 両親にとって一番辛い時だったのかも知れません。 ひかる少年は、心から寂しがる両親の横顔を見せつけられ、白髪の様子や禿げ具合、シワの数まで..

  • y1007小さな寝息

    米国の統治下、勿論、保険制度もなく手術や渡航滞在費等、細々と暮らす一家にとって、とてつもない費用。 遊び疲れたのだろうか、妹は膝に抱かれ小さな寝息、ランプの薄灯かりに映し出される、疲れ切った父の横顔は、藁をもつかむ眼差し。 普段ですら無口な父は、更に無口になって行きました。 11歳の多感なひかる少年は、この大きな試練に家族が押しつぶされるのではないか、と不安に成り子供心にも明るく振る舞う。 無邪気な妹の遊び相手をするよう、心掛けたのでした。 そのうち小児マヒが伝染病でない事が分かり、明るさを取り戻して行ったのです。 9年後の昭和38年、ひかるは高校卒業と同時に東京へ出、魔法の箱、テレビを解明しようと決心。 経済的、精神的にもまだ暗いトンネルの中、上京は誰が考えても無理な相談。 心の内を父に相談すると、「自分の思った通りやればいい・・」と一言。 しかし周りは大反対、年老いた両親と足の悪い..

  • y1006 小児麻痺

    ひかる11歳、妹が3歳の昭和29年夏。 父は漁へ出かけ、母は野良仕事。 やっと走りまわれるようになった、妹の遊び相手をしていると、元気がなくなり、そのうちグッタリ倒れてしまいました。 急いで母を呼び戻した頃には、泣き声一つ出す力さえなく、痙攣の合間に断続的にひきつけを起こす程の異常な高熱。 40度以上の高熱が続いているのだろうか。 火照った体は風呂上がり状で、体内はそれ以上の高温でしょう。 解熱剤なるもの、薬と呼べるものは何一つなく、助けを求めるにも近所には誰一人いません。 母は知恵熱やカゼ、普通の発熱でない事を咄嗟に感じ取っていたのでしょう。 取り乱し、「助けて欲しい!」と叫ぶその只事でない形相に、命に危険が迫っている事が感じられます。 次々と他界した、子供達の事が脳裏をよぎっているのだろうか。 脈をとったまま、水!、水をくれ、との催促に冷たい井戸水を汲み続けました。 母は無我夢中で冷..

  • y1005 3文字

    情報の全くなかった島、電波など考えられなかった島で育った少年には、そんな望遠鏡が有るはずがない! 魔法使いにでも出来ないはずだ、と思えるのでした。 しかし、何度読み返しても5コマ漫画は同じ答えしか出してくれません。 以後、テレビの3文字は少年の脳裏に焼き付けられたのです。 どうしても映画が観たい・・ この映画が、家に居ながら観られる・・ だったらテレビを勉強してみたい・・ 解明してみたい・・ 何時の間にか、ひかるは5コマ漫画の世界へ夢を膨らませ、魔法の箱解明に人生を賭けてみたい、と行動を起こすのでした。

  • y1004 挑戦!TV界

    昭和18年8月、八重山地区の黒島にひかる誕生。 出産設備や病院のない島で、生まれた子供が次々と3人も他界した後、3歳違いの長女に続く男子、ひかる誕生で、両親の喜びはひとしお、八年後、母43歳で妹が誕生、妹は高齢出産の子、特別可愛がられ幸せな五人家族でした。 小さな島には電気はなく、勿論、水道もありません。 情報と呼べるものは、特にありません。 飲み水は雨水を瓶に溜め、大事に飲みます。 ボウフラが湧き、瓶の首をコント叩き、潜った瞬間すくって飲む、ボウフラとの協同生活。 ランプのホヤを拭くのは、大人の手が入らないので子供の仕事と言われ、何の抵抗もなく毎日拭かされ、何度かホヤを割り叱られて育ちました。 サンゴ礁で出来た島では、岩だらけの合間に点在する、猫の額程の畑を耕し、家庭菜園に毛が生えたような自給自足の生活。 小学校高学年の頃には、島の貧しい生活に見切りを付け、石垣島や沖縄本島へと引っ越す..

  • y1003 貴重な財産

    台風情報を一番先に捉える、日本南端の石垣島気象台で知られ、空から見下ろすと全てサンゴ礁で縁どられ、そこへ打ち寄せるさざ波は白くリング状に取り巻く鮮やかなコバルトブルーから、濃いネイビーブルーへと変化。 まばゆい紺碧、膨大な絵の具を流し込んだのではないか、とさえ思われる風光明媚な大自然が豊富に残されています。 またこの地区は郷土芸能の宝庫とも言われ、マタハーリヌ、チンダラカヌシャマヨー、と歌われる、沖縄県を代表する安里屋ユンタ等、数多くの民謡や踊りを生み、方言や風習等、貴重な財産として引き継がれ、サンゴの種類や規模の大きさ等でも世界屈指の群棲地として注目の的となっています。 現在、テレビは全国の家庭に入り込み生活の一部となっている事は言うまでもありません。 信じがたい事ですが、この地区は5万人もの人口を有するにも関わらず平成5年末迄、NHK以外の民放テレビの電波が届きませんでした。 沖縄本..

  • y1002 埋蔵石油

    60年を過ぎた今、やっと沖縄も少しは注目されるようになって来たのである。 沖縄本島より450キロ南、県2番目に大きな西表島、3番目に大きな石垣島を中心とした、19の島々からなる、八重山地区は、日本最南端、波照間島、および最西端、与那国島を有する、日本の最南西地区。 また、今は無人島ですが、以前はカツオ漁が盛んに行われた魚釣り島もこの地区にあり、海底にはかなりの石油が埋蔵されているとの、調査結果があり、中国、台湾も帰属を主張し、国際的にも関心が寄せられています。 西表島は起伏に富んだ山だらけ、人口二千人の島で、周囲75キロの90%以上が、マングローブや亜熱帯の原生林に覆われ、東洋のアマゾンと呼ばれる生まれたままの自然が残された日本最後の秘境の島である。 またこの島には、天然記念物の西表ヤマネコが生息。 この猫は、中国大陸と日本が陸続きだった大昔、この島の山に取り残され、そのまま生息している..

  • y1001 TV少年、南の島から東京へ

    沖縄県は120の島々で構成され、第二次世界大戦最後の上陸激戦地となり、戦後は昭和47年まで米国が統治。 復帰後の今なお敗戦の傷跡を多く残しています。 本土は原爆で一瞬だったが、沖縄は上陸掃討作戦、戦車と火炎砲で横一列に焼き尽くしていく。 壕に住民が潜んでいたとしても、軍人が混じっているので焼き尽くす。 やむを得ないといえばやむを得ないだろう。 極度に鬼畜と教え込まれた敵兵が目前、恐怖の中から捕虜として集められ住民は生き延びる。 焦土と化した広大な土地に、米軍は極東を睨んだ巨大な基地を作った。 残された猫の額程の親兄弟の血のしみこんだ土地を耕すしかなかった。 食糧難、沖縄の人たちは米軍に物乞いの如く、縋りついて生きるしかなかった。 そして戦後は米国統治のままである。 沖縄から見ると本土は自分達の繁栄、復興に必死で、沖縄は見放された状態に映る。 親が自分の身を守る為、子供が切り捨てられたと言..

  • 1249 ズッコケ通信~

    途中からご覧の方もあるかと思います。 大好評で、再度ナンバー1番より送信いたします。 未成年、学生でも結構、あくまでも、健全サイトを貫きます。 よろしかったら、友人等お薦め下さい。 このサイト、ビュワー数二千万を突破しています。

  • y1248 鼓動を残す

    母性本能という言葉があるが、解釈は鼓動を繋ぐ事ではないか。 人間は何の為に生きるのかと言えば鼓動を残す、引き継ぐ為に大半があり、本能があると言っても過言ではない。 若い内は感じないかも知れないが80歳目前の今、孫を抱きしめ鼓動を重ね合わせるとこの世に生まれて来た己に感謝。 しみじみ幸せを感じ、己の存在を納得出来る。 男共よ貴方の鼓動、女性である母が育んで今が有る。 また貴方の鼓動、この世に残せるのは女性なくして有り得ない。 神様という言葉があるが、いかような科学や技術をしても鼓動を育めない。 神様だからとて、いくら拝んでも、有り金全てを寄進しても貴方の鼓動を引き継いだ子供を産んではくれない。 神に勝る存在、遥かに超越した存在が女性と言えよう。 ある国では女性は顔を隠し教育も受けさせない、奴隷か品物の如く扱うようだが、貴方は母がいるだろう。 母に抱かれ乳を飲まされお尻を拭かれ、あの優し..

  • y1247 ハイテク資産

    更に素晴らしいメカニズムといえば目ではないかと思います。 目に関してはCCD開発、カラー放送開発が始まってたった50年、8K画像を見ると素晴らしい、と改めて感動しますが、我々の目は何んと千年も、いや遥か以前から今の性能が引き継がれています。 改めて8K画像を見、確認する度に目に手を当て、何度でも何度でも「お母さん有難う」と感謝の気持ちが溢れ出てきます。 この目で必ず、確実に生涯愛し合えるパートナーを見付けます・・と 人生を論じる時、まず己を知るべしと言われます。 このサイトでは己の原点、いわゆる20億の鼓動、それこそが想像を絶するメカニズムのマシーンであると解ました。 80年間もモデルチェンジする事なく、1分たりとも休む事なく動作を続ける、とんでもないメカニズム、それこそが己の原点です。 人体の機能全てがよくよく考えると己だけではなかったのです。 両親や祖父母、何百年も前からその機能を..

  • y1246 20億鼓

    ここで重要な役目を担う己を知る、いわゆる鼓動が何かを考えてみたいと思います。 平均寿命80歳とし、その間に脈打つ鼓動は20億鼓と言われ、血管には動脈や静脈そしてそれらを繋ぐ毛細血管等大小さまざまな血管が張り巡らされ、全てを繋ぐと約10万kmもの長さになると言われ、なんと地球を二周出来る程の長さだとの事です。 また心臓から出た血液が体内を廻り戻って来る迄に要する時間は約30秒。 深夜とて一刻たりとも眠る事無く休む事無く10年や20年ならともかく80年間も打ち続け、心臓から体内を廻り戻って来る迄どれだけの血量を移動させるのだろうか。 人体にまつわる恐るべき現象と言えるものは鼓動のみにあらず、他にも驚きの現象と言えるものは多々あります。 まずは腸について、日本人の平均的な大腸の長さは約1.5メートル 小腸の長さは7メートルと言われております。 腸は内側が細かいひだや突起になっており、ここで..

  • 1245 不滅の鼓動

    不滅のコーナーでは今迄聞いた事もない鼓動哲学の話をしたいと思います。 哲学と言うと難しい論理理屈と思いきや、一人一人の生きる糧、空気みたいな生きる道しるべ、と受け止めて下さい。 老若男女,宗教や人種、国や肌の色、古代から現代の時空を超えた人間の有り様、生きる上での思考等、脳の基本的な条件の第一関門がここで言う鼓動に関する問答では無いかと思います。 何も考えずただ生きるだけで良いのか、何の為に生きているのか。これから先どう有るべきか考えるのは当たり前。 人間は考える動物です。 求める中で、避けて通れないのが鼓動で、何故鼓動は脈打っているのだろうか。そこに鼓動哲学があります。 突き詰めて考えると鼓動とどう立ち向かい、どう折り合いを付けるかが鼓動哲学。 よって鼓動哲学が十人十色有って当然。 産声を上げた鼓動、翌日からの糧に事欠き親の権利だと止めれば、殺人罪です。 我..

  • y1244 豚のしっぽ

    島の方言で能無し無能 役立たず人間のことを「ワーヌ ズー」と言う。 訳すると「豚のしっぽ」「豚(ワー)の(ヌ)しっぽ(ズー)」である。 なんで役立たずが豚のしっぽなのだろうか? 皆さん豚のしっぽご存知ですか。なかなか思い出せないかと思いますが豚のしっぽは ほんのちょっと有るのか無いのかなくらい目立たない。 ぜんまい状にちょこんと付いているだけです。 牛や馬犬や猫にしても糞をした場合 ティッシュペーパーやウォシュレットが有る訳ではない。 糞の後処理 お尻の糞の周りにハエが集るが しっぽで追い払い 立派に役目を果たしています。 ところが豚のしっぽは ほんのちょっとだけ ぜんまい状にくるりんぱ とあるだけなのでハエも追えません。 全く役に立たない 能が無いただのお飾りしっぽです。 だから方言ではこの事を引用して、無能で役に立たない人間のことは「あいつはワーヌ ズー(豚のしっぽ)」だと表現するの..

  • y1243 新しい農業

    作業後は今度はBさんがトラックでAさんの指定されたGPSの場所に届ければ問題ない。 作物の配送から農機具の輸送など自動輸送が早い時期に確立するでしょう。 現在農業高校や大学など将来の農業を目指す人達には1日も早く渦巻き耕法を取り入れる機材の開発から新しい農業のあり方を目指していただきたい。 渦巻き耕法に関してオープン情報にしているので、特許は確立できません。 早い者勝ちですので農業を目指す人達が集い、新しい農業を目指してもらいたいものです。 高齢化や過疎化で休耕地があるかと思います。直径1キロ2キロという広い畑は確保できるのではないかと考えます。 人間生きる為、食料確保は神代の昔から未来永劫必要です。 食料もありますが養鶏や畜産などの飼料生産なども考えられます。 今回の発想は農業をベルトコンベヤー化する工場化発想で、畑が動かせなければGPS使用で渦巻き状に機械をベルトの如く動かす発想で..

  • y1242 耕運機

    更に考えを前へ進めます。 渦巻き図2を見てください。 耕運機を2台用意します。S字動作が終わった復路の矢印部分から1号機をスタートさせます。 今度は2号機を黒矢印の軌道を逆に追いかけスタートさせます。 2台の耕運機を使うと時間が2分の1に短縮できます。 さらに考えを進めると耕運幅1メーターだったものを2メートルの軌道に設定すれば4台の耕運機が同時に使えます。 作業時間は短縮され場合によっては6台8台と台数を増やすことも可能です。 直径2キロ あるいは3キロ4キロの面積があったとしても蟻のごとく機械が耕運してくれます。 スタート時に走行距離を2,3,4、号機に其々マイナス1メータを入力すれば、終点では1メータずつ手前に止まっており農機は接触しません。 当然、ウネ作り機や種植え機等あらゆる農機を渦巻き状に動作させていきます。 この方式だと四隅に行き届かない部分が出ますが、そこは自家菜園にす..

  • y1241 S字マジック

    GPSを使った位置制御システム 自動車の運転では10センチ未満の制御が可能だと言われています。 自動車産業はともかく、次に大きな変革をもたらすのが農業機械のGPS制御ではないだろうか。 農業機械を渦巻き状に動作させる渦巻き耕法の原理を発表します。 渦巻き図1をご覧になってください。 まず畑の上下左右、幅の一番狭い所の直径とその中心地点GPSデーターを入力記憶させます。 そのGPSデータを中心に直径10メータ、半径5メータをS字ターンエリヤとします。 例として今回510メータの直径、半径255メータの丸い円を描き、外周軌道とします。 渦巻き図1の右端、外周5から黒い矢印の通りに中心GPSを目指し、黒い矢印通り正確に渦巻き状に耕運機をスタートさせます。 耕運機の耕運幅50センチと想定し、一周したところで1メーター内側を通る渦巻きプログラムで動作させます。 中心地点GPS 半径5メーター圏内..

  • y1240 画 拡大

    渦巻き動作拡大

  • y1239 画 渦巻

    渦巻き動作

  • y1238 位置情報

    別荘を構えていた人達が果たして別荘が必要なのだろうか。 全国の民宿や旅館を利用する事によってもっともっと観光が楽しくなるのではないだろうか 今後高齢化が進み70代80代の人でもペーパードライバーでも車が自由に利用出来るという事。 若ければ自動運転のキャンピングカーを買いな・・ 自動運転の車を一家で所有していれば、主人の駅までの送り迎え、奥さんのパートへの送り迎え、爺ちゃん婆ちゃんの病院や郵便局、買い物なども車を自由に使えます。 場合によっては子供の学校の送り迎えも車が自動的にするでしょう。 過疎地での年寄りの買い物の足が問題になっていますが、そういう問題も全てクリアされる事になるでしょう。 レンタカー事業やタクシー産業にも余程の知恵を絞らない限り存続出来なくなる可能性もあるのではないか。 タクシーは従来のように流すのではなくスマホの位置情報で近くのタクシー会社へつながり自動的にタクシー..

  • y1237 空間産業

    テレビは60年前やっとカラー放送が始まりました。この60年間の激変ぶりは目を見張るものがあります。 テレビに遅れること5年、今度は航空産業が軌道に乗り出します。 さらに25年前今度は携帯電話が世に出てきます。 この3つの産業の発展ぶりは自動車が出現した同等の社会的な変化をもたらしました。 現在携帯やスマホは殆んどの人が持っており、この2次産業としてアマゾンや楽天等、通販産業の物流変化です。 テレビが出、たった50年で何万年も続いた人間社会に激変が起きた。 これから5年先とんでもない激変が予測されます。果たして皆さんはお気づきでしょうか。 テレビや携帯が世の中に大きなインパクトを与えましたが、原因はと言うとこれは電波という空間を使う事です。 土地や建物は法律によって個人や企業の所有物です。 ところが電波は空間を使うため全ての土地やトイレの中まで入ってきます。 航空産業も同じで自分の土地の上..

  • y1236 拒否感

    現役時代、部下で課長をさせていたY君が夏のお盆休みを取らずに仕事をすると言い出した。 年は48歳で福島の田舎へ帰ると、親兄弟が見合いを進め、嫌なので帰らないと言い出した。 ひかるは二日間ぶっ続けで説教をしてやった。 定年迄は仕事があるからいいが、それ以降は会社から放り出される。 年金を積立、これから第二の人生、楽しい人生が始まると言うのに君は一人でごちょごちょ料理を作り、洗濯をし、夜は一人で膝を抱いて寝るのか。 これからでも遅くない、私の言う通り結婚をしろ。 親兄弟から言われると、先に拒否感が出る。 上司から言われたのでしぶしぶ了解をしてお盆休みに故郷へ帰った。 報告があり、結婚を決意したとの事であった。 相手は寮母をし婚期を逃した。四十代なので子供は出来ないかも知れないが、二人で結婚生活をするとの事だった。 暫らくして女房と二人の貯金を合わせ、五千万の土地付き一軒家を現金で買ったと言う..

  • y1235 土俵

    結婚とは、育ちも境遇も違う者同士が、二人だけのルールの土俵を作るという事だ。 当然双方の親との事もあるので、更に土俵の外に大きな輪が出来る。 二人だけの土俵、子供が出来れば当然膨らむ事は事実である。 離婚劇というのは夫婦が描く土俵の形が、いびつになっているという事である。 二人で話し合い、丸い土俵に直せば良い事ではないか。 その努力をせず相手を罵るだけでは丸い土俵にはならない。 相撲はちょっとでも俵から出れば勝敗がつく。 夫婦の場合勇み足をしたとて、土俵を確認し維持していく確認が取れれば解決出来る。 よく性格が合わない、生活のすれ違い等と言うが、そんな事は結婚する前から分かっていたはずである。 丸い土俵を維持する努力を怠って罵る顔は見苦しいとしか言いようがない。 確かに土俵の上では睨み合いや突っ張り等、夫婦生活の中では結構バトルもあるかとは思います。 結婚生活そのものが一つの土俵であると..

  • y1234 鬼嫁

    数年後女房を連れて島へ行った。 すると島のおじさんやおばさん達が私の女房を鬼嫁と呼んでいる。 東京から来た鬼嫁の顔が見たいから夜行くぞと言う。 鬼滅の刃と関係が有るのか、何んで鬼嫁にされたのか理由を聞くと、両親が上京した際、女房は私が夜な夜な焼き鳥屋で酒を飲んでいる体の為にと一生懸命野菜サラダを作って食卓に出していたのだ。 その野菜サラダがなんと鬼嫁の原因だった。 島では暑い為、腐るのが早い。取り立ての魚の刺身は生で食べるが、他は大体火を通して食べる習慣がある。 女房が一生懸命体の事を考えて出した、あの野菜サラダなるものは見た事も食べた事もない食べ物だった。 島へ帰ると、東京の嫁はあれは鬼嫁だ、葉っぱを水でチョロチョロと洗ってそのまま、料理もせずに食卓へ出す。 親を何んと思っているのか。 うさぎじゃないんだから、生の葉っぱを食えとはあまりにも酷過ぎる。 このままでは殺される、と急いで帰っ..

  • y1233 食器洗

    吊り合いが取れない、習慣が違うという面ではいくらでも書きたてられる。 ひかるの田舎では人が亡くなった場合、頭を西向き、太陽が沈む方向にするのだ。 女房は北向きだと言う、さて布団やベッドにしても西向きと北向き、縁起が悪いので我が家ではやってはいけない事になる。 お互い譲らなければ夫婦喧嘩に発展する。 それでは子供達にどう教えようかという事になるが、我が家ではお母さんが亡くなった時は北向き、お父さんが亡くなった時は西向きにしろと言ってある。孫達の教育は自分達で判断しろ、と。 ひかるは長男なので南の島に住む両親の面倒を見ようと考え、まず一ヶ月間東京で同居する事をテスト的に試みた。 広い庭を用意、農業で長年生活した両親に家庭菜園をさせれば何んとか成るだろうという事で呼び寄せた。 すると、生活環境の違いがモロに出てきた。 周囲が12キロの小さな島、井戸はあるが汲み上げると海水だ。 現在のようにポリ..

  • y1232 交番

    昭和30年代から40年にかけて沖縄出身者の心はかなり荒んでいた。 パスポートや離島と言う経済的なハンディ、或いは孤独や孤立等が原因だったでしょう。 犯罪のニュースには沖縄の苗字が結構出てきたのである。 それが偏見となってアパートには沖縄出身者の入居お断りという看板が出ていた程である。 ひかるは結婚にもろに反対され、最後は「犬や猫がくっつく訳ではない、式くらい挙げたらどうか」という相手の言葉に了解が取れたと飛び上がらんばかりに喜んだ。 しかし一緒にいたい気持ちが先走りし、結婚式の事など全く考えていなかったのです。 急ぎ結婚式を挙げなければと考えるのですがまったく金がありません。 悩んだ末、交番へ駆け込みました。 まだ24歳で明らかに田舎っぺの顔、沖縄の顔つき。 式を挙げなければ結婚出来ない、深刻に結婚したいと言う悩みは、なんと奇跡が起きたのです。 交番のお巡りさんが任せておけ、と引き受け警..

  • 1231 価値感

    最初から結婚をしないと決め込んで生きて来た友人を数多く知っておりますが60代になって大きな分かれ道が出てきます。 経済的にも余裕が出来これから友人仲間と数多く付き合って人生楽しむという事になるのですが、ところがどっこいそう簡単には行きません。 周りの話題は子供や孫の話、嫁さんの悪口であったり亭主がどーのこーのであったり、病気の話題であったり殆んど話題に入っていけません。 結果的に同年代の人達と輪になって楽しむ、が人間性や価値感に大きな違いが出、孤立して行きます。 若い時には予測出来なかった事が目の前に出てきます。 ですから年寄りの言う事と聞き流さずに、人生の総仕上げ、出来れば結婚をするのが一番ベターではないかと言います。 結婚感についても、例えばイケメンである程度金持ち、ちょっと条件を付け過ぎではないだろうか。 若い時から金持ちと言うよりは、二人でゼロから築き上..

  • y1230 結婚

    私の場合両親が80手前で他界しました。 たぶん私は80歳までは生きられるだろうと考えております。 現在78歳、あと2年後には鼓動が止まる計算になります。 私の人生は80センチの物差しで考えておりましたがもう2年先なんて言うのはあっと言う間に過ぎてしまいます。 人生最後の総仕上げ、悔いのないようにしたいのが今の段階です。 出来れば85歳90歳まで生き延び、ひ孫の誕生、そして鼓動を重ね合い、鼓動がひ孫まで伝わっているんだと言う実感を感じたいのが一番の願いです。 最近テレビで結婚をしないとか或いは子供を作らない事を自慢気に話す人がおります。 私の考え方からすると鼓動を己の代で止めてしまう、本当に自殺に等しいのではないか、と残念でしょうがありません。 子供が出来ない場合はともかくとして、親から引き継いだ鼓動、己の代で止めてしまう。 あってはならない事だと思います。 確かに子供がいなければ金もかか..

  • y1229 ワンカット

    その後80まで生きたとしても20年間は果たして体が思ったように動くのか先の保証はありません。 そう考えてみると何をしなければならないのか、何の為にこの世に自分が生まれて来たのか、疑問が湧いてきます。 そんな中から一日でも無駄に出来ない、ワンカットの積み重ね、いわゆる鼓動哲学の原点を見出したのです。 あれから55数年、今78歳ですが自分ながらよくぞ己の鼓動と対話をし無駄のない日々を過ごして来たものだと感心しております。 これから世に出て活躍する若い人達に是非鼓動哲学、これを頭の隅に置いて自分の鼓動をどう使い切るか本気で考えて欲しい。 願いを込めて今回鼓動哲学を公表しました。 常に若かろうが年をとろうが鼓動という側面から己を見つめ、そして周りを見つめてワンカットワンカットの人生アルバムを積み重ねて欲しいと切に願うものです。 我々は普段哲学と言うと頭の問題、脳の事しか浮かんで来ませんが、その..

  • y1228 老若男女

    過去から現在、そして未来と己の人生を鼓動という側面かな分析展開していく事がいかに大事であるかは、きっとある程度年齢を重ねれば解るかと思います。 私の提唱する鼓動哲学とは、一人一人が其々の生き様としての哲学であって欲しい、 其々が己の哲学を持つべきだと主張します。 癌患者と鼓動哲学論をした事がある。 ややもすると癌の重圧に耐えかねていた。 朝晩鼓動と対話し、思った通りワンカットずつの積み重ね、残り少ない余命を全う出来る、と鼓動哲学論に涙を流しました。 自由だの人権論だの色々ありますが、己にとっての大事な鼓動哲学論が欠けている。 体の不自由な人、元気な人、緩和ケアが必要な人、老若男女 鼓動哲学論が出て来る事を願うものである。 ひかるはテレビ業界に入った時、IT に関する知識が乏しく IT 最先端企業ではたしてやっていけるのか悩んだ時期がありました。 人は悩んだ時、何かに縋りたくなるものです..

  • y1227 一鼓一会

    ひかるは15歳時、四角いブラックボックスTVの解明を目指し、生涯天職として貫きました。 早い時期に方向付けが出来、その分幸せが大きかったと思います。 親からもらった己の鼓動、いずれ止まる宿命を背負っています。 昨夜来 一分たりとも休むことなくポコンポコンと何んのため、これから先、何んのため・・ 全ての人々が境遇は違うかも知れませんが、一人一人鼓動に対する哲学が必要です。 恋人がいてこれから結婚する人なら結婚と鼓動、或いは子供に対する考え方の鼓動哲学があっても良いと思います。 50代の人ならば孫の事も想定した鼓動哲学が必要でしょ。 70代なら孫と家族、先祖と子供に対する考え方の哲学があっても良いのではないだろうか 私は初めて孫が出来た時、孫を抱いてお風呂に入りました。 母親の匂いと違う為か、孫は小さな手足をばたつかせ、ありったけの声で泣いておりました。 耳元でお爺ちゃんだから怖がらなくて..

  • y1226 脳内酵母論

    聞いた話ではあるが、ある男が弁護士になるのだと言って司法試験を受けたそうだが、20回を数えても合格出来なかったそうである。 年も50を過ぎ、奥さんが子供達の教育資金もままならないので、諦めて欲しいと懇願。男は挑戦する事に意義がある、と女房を一喝。 70歳過ぎて亡くなるまで合格出来なかったそうだ。 何のための人生だったのか・・ 立派な風貌と弁も立つ、他の事をやっていれば素晴らしい人格者に成っていただろうに、と笑い話になってしまった。 若い内に己の脳質を少しでも検討すればよかったのに。 私は脳学者ではない、個人的な勝手な脳内酵母論、信じるか否かは個々に任せる。 自分なりにどのように舵を取るかによってその結果に幸せが感じられるのではないだろうか。 ここで自分なりに思った通りに生きる事がなかなか難しい。 人は産声を上げ、無の状況から色々見聞き、脳内に知識を蓄え、二十歳までは親の庇護の下に生き..

  • y1225 最先端企業

    ひかるは中学迄ランプで育ち、地区に高校は理系が無く商業科、簿記そろばんを勉強せざるを得ませんでした。 その後人生をやり直すべく東京へ出、理系の専門学校へ通いテレビ局へ入ります。 当時のテレビ局は IT の最先端企業で、夜間の専門学校で2年間理系の勉強をしたからとて、とてもテレビ業界は務まるような所ではない、と悩みました。 しかしよくよく考えると父は南の小さな島で手先が器用で、お土産物など小物を内職として夜な夜な作っておりました。 いわゆる物作りの得意な父だった事を思い出し、私にも物作りという点ではたぶん大丈夫ではないだろうかと考えました。 そこからテレビの番組作り、物作りに通じるのだと考え、天職として一生番組作りをして見ようと腹に決めのです。 40年間勤め振り返ると、やはり間違いではなかった、番組作り物作りが一番向いていたんだと納得しています。 これから羽ばたく若者には是非、己の先祖や..

  • 1224 宿命

    貧しくて設備が確保出来ない場合にはこれはどうしようもありません。 鼓動を維持する為に多くの人を犠牲にする、それもまた考えものです。 そのような観点からして私はその環境の中で鼓動を維持する大切さ、鼓動の大事さは説きますが極限の状況では是是非で良いのではないかと主張します。 しかしその鼓動「滅せぬ者のあるべきか・・」と言われ、いずれ止まる宿命を帯びています。 人生とは何んぞやと聞かれると、私は即座に己の鼓動を思った通りに使うのが人生である、と答える。 流れのままに生きたのか己の思った通り、鼓動を使い切ったか、それこそが幸せの度合いと言えるのではないだろうか。 貴方の鼓動は親だとて止められません、誰にも止められません。 そしてその鼓動の使い方はまた、貴方しか決められません。 周りに流され、浮き草のような人生では心もとない話です。 またそこで重要な役割を果たすのが脳..

  • y1223 千差万別

    人間(ジンカン)五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり・・・ 一度生を授け、滅せぬ者のあるべきか・・ これは織田信長が口ずさんでいたという敦盛の一節である。 権力や名声を欲しいままにした秀吉や家康、勿論、近年においても財閥を成した人とて、滅せぬ者のあるべきか・・・ そうです今宵は己の鼓動と会話してみようではないか。 貴方は生まれた時、目も見えず耳も聞こえない、触覚や嗅覚とて白紙の状態。ただ一つ鼓動の響きのみだった。 乳房を吸う事により母の体温や匂い、声や顔を脳内に一つずつ記憶されて来たのは言うまでもない。 人間の原点に戻り、突き詰めると鼓動に行き着く。 男や女の区別なく、年寄りや子供、宗教や国家、肌の色や言葉の違いに関係なく、この世に生を授けた全ての人には平等に鼓動が与えられている。 そこで私は鼓動という側面から己を見極めるべき哲学が必要ではないかと、ここに動哲学論を展開いたします..

  • y1222 パンツ帽子

    新造爺さんはまだら呆けを越している。 五歳になる孫芳美が大好きで ママごと遊び、かくれんぼの日々。 風呂も食事も寝る時も一緒。 芳美はママやお婆ちゃんに ツルツル頭とやり込められる爺さんを助けたいと子供ながらに考える。 お風呂で下の毛はふさふさ、そうだパンツを履いているからふさふさなんだ。 お爺ちゃんの頭、パンツを履けばふさふさになるよ、と提案。 その晩から芳美は自分のパンツを大好きなお爺ちゃんへ被らせ寝る事になった。 かくしてママごと遊び、食事の時も孫のパンツを頭に被ったまま。 皆が出かけた後、公園へ遊びに行くがパンツを被ったまま。 大勢の人だかりが出来る。 さあー家族にバレたらどうなるか・・・・ 耳元まで口が裂け バトルが始まるであろう・・・ ・・妄想家族 バトル編

  • y1221 阪神ファン

    これまた超話題となり町中が色とりどりのマドロス帽にラクダももひき姿が大流行。 飲み屋も喫茶店も歩いている人々も色とりどりのマドロス帽にラクダももひきシャツ姿。 観光客は島へ来るなり、ここは宇宙かと勘違いする程。 大阪で会社を経営している社長が業績が上がらず悩んで旅行中、この光景を見て閃き、膝を叩いた。 社長は大阪へ帰るといきなりラクダファッションで出社。 警察も肌を露出してる訳では無いので手が出せない。 社長はまた大の阪神ファンときている。 ラクダファッションにそれこそ縦縞をつけて甲子園球場へ応援に行く。 縦縞ラクダファッションの社長が応援に行くと、これまた完全に負けの試合が最終回に逆転勝利、連勝記録が話題となりこれまた球場全体がラクダファッションとなってしまう。 ラクダファッションは新聞テレビで話題となり、社長は大量に売りさばき社員の給料倍増。 そして社員に我が社の作業衣をこれにすると..

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