蟠龍斎 さん プロフィール

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蟠龍斎さん: 蟠龍戦記
ハンドル名蟠龍斎 さん
ブログタイトル蟠龍戦記
ブログURLhttp://banryu.blog51.fc2.com/
サイト紹介文自分の巡った城・城跡を紹介します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供354回 / 365日(平均6.8回/週) - 参加 2008/01/29 00:18

蟠龍斎 さんのブログ記事

  • 上総大椎城
  • 大椎城(おおじいじょう)は、平安時代に房総で反乱を起こした平忠常が築城したと伝えられています。その後、曾孫にあたる千葉常兼より千葉氏を名乗り居城としたことがあるので、千葉氏発祥の地ともいわれています。さらにその後、常兼の子・常重が亥鼻城(千葉城)を築城し居城としました。戦国時代には、土気城を居城とする酒井氏の支城として利用されました。場所は千葉市緑区にある、あすみが丘第8緑地になっており、高級住宅 [続きを読む]
  • 上総立山城
  • 立川城へは、千葉房総有料道路の大木戸ICから北東へ進みます。団地へ入る手前(新大椎橋より西で道を登りきったところ)に北へ曲がる道(曲がったあとは数メートル道沿いを北東します)があります。これをまっすぐ進むと、写真の石碑が右手に現れます。正直、ちょっとわかりにくいです。案の定、自分は北へ曲がる道を間違えて、関係のないところをさ迷ってしまいました。北へ曲がる手前に車を停め、北東方面へ登ると山道へ入り、少 [続きを読む]
  • おんな城主直虎第41回『この玄関の片隅で』
  • いや〜面白かったですね。個人的に今回のような歴史とうま〜くリンクさせた史実っぽいお話好きです。長篠合戦で馬防柵を作るために木材を準備させる、よく考えられたストーリーのように思いました。さらに、それを妨害する直虎。というより、確かに井伊谷は近藤家の領地なのでまさに正論です。あと、あの鷹匠、本多正信だったんですね。これは、気付きませんでした。本多忠勝が怒りだしたぐらいで、なるほどと思いました。これもよ [続きを読む]
  • 下総生実城
  • 生実城(おゆみじょう)の説明板は、生実神社に陣屋と一緒になったものがあります。神社にある堀跡などは、お城の遺構にも見えますが、本丸は神社から北西の住宅街にある児童公園になるようです。(写真)ここにも説明板があり、『北小弓城跡(生実城)』と書かれています。説明板によると、第一次国府台合戦後に小弓公方が滅亡し、その後に築城されたそうです。北小弓城としているのは、小弓城(小弓公方の居城)の北に築城された [続きを読む]
  • 下総生実陣屋
  • 生実陣屋と書いて『おゆみじんや』と読みます。やはり場所は、小弓城の近くで生実神社になります。神社南側の県道66号線には、『森川氏城址』と書かれたの石碑が立っています。もともとここには、生実城(小弓城とは別)がありましたが、江戸時代に生実陣屋が新たに築かれました。そのため神社内には、生実城と生実陣屋の説明板がありました。やはり神社ということもあって遺構少ないですが、西側に大きな堀・東側には土塁らしき [続きを読む]
  • 下総小弓城
  • 皆さんは小弓公方はご存知でしょうか?室町時代、足利一門の鎌倉公方が古河公方と堀越公方に分かれ、さらに古河公方から小弓公方が独立しました。その小弓公方の居城がこの小弓城になります。というか、ここを居城にしたので、小弓公方と呼ばれるようになったのでしょう。自分も古河・堀越両公方は知っていましたが、小弓公方については知りませんでした。信長の野望シリーズに登場するようになって、その存在を知り調べてみると、 [続きを読む]
  • 九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義
  • 大島光義って、個人的に全く知らない武将でしたが、この小説にて知りました。美濃の人ということで、最初は斉藤氏の家臣から始まり、織田氏、丹羽氏、豊臣氏と渡り歩き、そして関ヶ原合戦を向かえ徳川氏に仕えるまでを描いています。タイトル通り、弓の名手で関ヶ原合戦時で93歳、その4年後に亡くなりました。常に弓にこだわり続ける職人、天下人の絡みなど、知らなかった武将だけに面白かったです。弓つながりで太田牛一も登場 [続きを読む]
  • 上総菊間陣屋
  • 菊間陣屋は現在、菊間中学校の西にある公園となっています。ただ、この公園は普通の公園で特に遺構はありません。写真のように若干土が盛り上がっているのが、土塁っぽくも見えますが、違うかな〜写真のやや右手にある白い標柱が陣屋を示す標柱なのですが、かすれて文字が読めませんでした。この陣屋は、明治時代に入って築かれました。というのも徳川宗家16代当主の徳川家達が、駿府へ移封となり、沼津藩の水野氏が玉突きでここ [続きを読む]
  • 上総椎津城
  • 鶴牧陣屋があった市原市立姉崎小学校から一方通行を西へ行ったところに椎津城の登城口があります。ちょっとわかりにくいのですが、『史跡椎津城跡』と書かれた幟が立っています。そこのわき道を南へ行くと、小山があり、そこが椎津城になります。小さな説明板があり、それによると、民有地らしく地権者様が管理されているそうです。おそらく、お城ファンのために開放してくれているのでしょう。有り難い事です。斜面から切岸のよう [続きを読む]
  • おんな城主直虎第40回『天正の草履番』
  • ↓直虎紀行第40回にて、紹介された『遠江頭陀寺城』(左)『上野箕輪城』(右)  前回から始まった直政出世物語。今日は草履番編。それよりも何よりも今日は、直政の養父松下源太郎が、すべて持っていったようなそんな感じの回でしたね。何ともいえない人柄、それだからこそ井伊家の家老になれたのでしょう。(いや、単に養父だったからかな?)直虎紀行は、そんな松下家と関係のある頭陀寺城。そして、徳川家が関東移封の際、 [続きを読む]
  • 上総鶴牧陣屋
  • 鶴牧陣屋は現在、市原市立姉崎小学校となっています。 小学校ということもあり遺構はありません。北側の門から入った左手に写真の石碑と標柱が立っていました。よく見ると『鶴牧城跡』と書かれています。『城?』と思い調べてみると、戦国時代に築かれたお城ではなく、江戸時代末期に築かれたものでした。鶴牧藩は、譜代の小藩なので陣屋規模なのですが、藩主の水野氏が城主格の大名であったことから、鶴牧城とも呼ばれたようです [続きを読む]
  • 上総五井陣屋
  • 国道16号線を使って千葉へ入り、県道24号線を使って南下していました。五井陣屋は、現在のJR五井駅に建っていましたが、遺構は何も無いと下調べ済みでした。それでも、県道から五井駅が近いこともあって、ついでに立ち寄りました。あわよくば、「新しい石碑や標柱でも立っていないかな〜」とあまい考えを持って探索しましたが、やはり何もありませんでした…。仕方なく、近代的な駅を撮影して、虚しく立ち去りました。 [続きを読む]
  • 戦国武将の辞世
  • 書籍のタイトルは辞世となっていますが、掲載されている武将全員が、いわゆる辞世の句というわけでもなく、武将の名言集に近いかもしれません。そういう意味で、サブタイトルの『〜遺言に秘められた真実〜』というわけでもありません。最初に織田信長の言葉から紹介されますが、柴田勝家に越前一国を与えた時の書いた手紙です。さすがにこれは遺言ではないでしょう…。また、毛利元就は、いわゆる三矢の教え『三子教訓状』が掲載さ [続きを読む]
  • 相模小沢城
  • 小沢古城があるということは、小沢城もあります。こちらは説明板によると、室町時代初期による築城だそうです。場所は小沢古城の南方の小山になり、県道65号線沿いに小さな説明板があります。このわき道を進むと、右手にフェンスで囲まれた水道施設があり、そこにも小さな説明板がありました。その隣は畑になっており、ここが主郭と思われます。写真のように、なんとなく土塁で囲まれているように見えました。周囲も歩きましたが [続きを読む]
  • 相模小沢古城
  • 場所は、愛甲郡愛川町内にある諏訪神社になります。神社の入口に小さいですが、説明板がありました。階段を登ってすぐ神社ですが、ここも曲輪跡なんでしょう、平地になっていました。ここからさらに登る階段があり、山の斜面も登れますが、特に遺構はありませんでした。説明板によると、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武士団の館跡との事。時代が古いことを考えると、遺構も残っていないのでしょう。説明板があることに [続きを読む]
  • 決戦!関ヶ原2
  • 『決戦!』もシリーズ化され、関ヶ原合戦を取り扱うのは2回目になります。今回の主人公となる7人の武将は、黒田長政・島左近・仙石久勝・小川祐忠・本多忠勝・小早川秀秋・大谷吉継です。個人的に面白かったのは、仙石久勝・小川祐忠・本多忠勝かな〜短編だからこそ、主人公になりえたそんな感じがします。1冊の本に7人もの作家による競作、なかなかに面白いですね。仙石久勝(仙石秀久の兄弟)は、正直知らない人物だったので [続きを読む]
  • おんな城主直虎第39回『虎松の野望』
  • ↓直虎紀行第39回にて、紹介された『遠江曳馬城』(左)『遠江浜松城』(右) 今日は、なかなか面白かったですね。お目見えに直虎が絡んでいないのもなんか史実っぽくってよかったです。無理に活躍するよりはね。オチもよかったですし。直虎紀行は、家康の居城・浜松城とその前身の曳馬城。ちょうどこの夏、登城したところでした。まさに今日の現場だったところですね。次回からは、直虎より直政の活躍が見れそうですね。徳川家 [続きを読む]
  • 相模田代城
  • 田代城の場所は、愛川中学校の辺りになり、写真の説明板がありました。ちょうど、細野城から中津川を挟んだ対岸の位置にあたります。説明板によると、中学校が城域主要部だったようなので、立地的に城というより館だったのかもしれません。このすぐ東に、武田軍と北条軍が争ったといわれる三増合戦場跡があります。石碑や説明板があり、詳しく案内されています。個人的に三増峠合戦と思っていたので、もっと山がちな場所かと思って [続きを読む]
  • 相模細野城
  • 国道412号線を北西へ進み、中津川が大きく蛇行している辺り(愛川中学校の西方)に細野城がありました。国道沿いに写真の説明板が立っています。企業の寮が前に建ち周囲も民家が建っているので、それほど散策しませんでしたが、遺構はほとんど無さそうです。説明板にも、国道の開通により消滅した、と書かれていました。ただ、丘の上に立っているし、中津川が堀の役目を果たしていたことを考えると立地的に良さそうな感じでした [続きを読む]
  • 相模糟屋館
  • 糟屋館とは、聞きなれない名前かもしれませんが、いわゆる太田道灌が暗殺された場所として知られています。道灌は主君・扇谷上杉氏の上杉定正に呼び出され、本拠・上杉氏館とも呼ぶべき糟屋館の風呂場にて暗殺されました。その死際に「当方滅亡」と言い残したといわれています。ということで、太田道灌ゆかりの地とも呼ぶべきこの地へ行ってきました。まずは、道灌のお墓のある洞昌院へ、ここに車を停めて歩いて散策しました。すぐ [続きを読む]
  • 相模沼田城
  • 上野沼田城ではなく、相模の沼田城です。場所は、足柄香粧株式会社の西にある小山になります。周辺は道が狭いので、少し離れたところに車を停めて、現地まで歩きました。南側からアクセスするのですが、手製の古い案内がありそれ登っていくと、木製で『沼田城址』と書かれた綺麗な看板がありました。周囲は畑になっており遺構はほとんど見当たりませんでした。帰り東側に竹薮があり、中に入れそうだったので覗いてみると、写真のよ [続きを読む]
  • 相模北条屋敷
  • 北条屋敷としましたが、別名を北条幻庵屋敷跡とも呼ばれています。大河ドラマの直虎紀行でも紹介されたので立ち寄ってみました。北条幻庵は、初代早雲の息子にも関わらず、氏綱、氏康、氏政、氏直と四代に渡って活躍しました。幸か不幸か、小田原征伐の数ヶ月前に亡くなり、北条氏の滅亡を見ることはありませんでした。場所は、小田原城から北西になり、足柄街道から1本中に入った久野保育園の前になります。石碑や説明板はありま [続きを読む]
  • 織田信長の城
  • 織田信長が築城・改修したお城を紹介していく書籍です。小牧山城・岐阜城・安土城はもちろんですが、最初の居城・清洲城についても触れています。信長公記やルイス・フロイスの記述や発掘調査などから当時のお城の様子を検討していきます。結論(ネタバレ?)から申しますと、防御機能が低い城でむしろ、『見せるための城』、信長の権威の象徴としての城造りを目指したとの事です。たしかに豊臣政権〜江戸時代の城といえば、天守を [続きを読む]
  • おんな城主直虎第38回『井伊を共に去りぬ』
  • 今日何より衝撃的だったのが、信玄の死。何の前触れも無く吐血、そして死。井伊家にとってもそれなりに衝撃のある事件だったと思われますが、案外あっさりしているように見えました。そして1年後。ついに大きくなった虎松こと井伊直政の登場。それでも井伊家を再興しないという直虎。来週以降はこの話なのかな〜直虎紀行は、信玄の死に関連して、恵林寺。大昔に訪問しています。いろんな意味で有名ですので一度は行っておいたほう [続きを読む]
  • 相模湯坂城
  • 箱根峠のお城といえば山中城が有名ですが、他にもいくつかお城があり、湯坂城もその1つになります。伊勢宗瑞(北条早雲)が相模侵攻する前、西相模に勢力を張っていた大森氏が築城したといわれています。大森氏といえば、小田原城を居城としていたので、まさに西の箱根を守るお城だったのでしょう。ここもハイキングコースの途中にあるお城になります。国道1号線の箱根湯本・函嶺洞門のあたりに『湯坂路(鎌倉古道)』と書かれた [続きを読む]