issey さん プロフィール

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isseyさん: イッセーのエッセー
ハンドル名issey さん
ブログタイトルイッセーのエッセー
ブログURLhttps://ameblo.jp/kanmonya/
サイト紹介文『歴史的なこと』『旅や環境など』そして、『教育・人・食物』など、紹介したいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供48回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2008/02/19 10:42

issey さんのブログ記事

  • 神仏分離令
  •  明治維新150年を祝福するかに見える現在の社会情勢に、ひそかに顔をしかめる私である。それは、大政奉還があって明治と改元されて150年になるので間違いではない。 しかし、慶応4年1月3日には日本国内を動乱の渦中に巻き込んだ戊辰戦争が鳥羽伏見に幕開けし、北海道函館の五稜郭に及んで戦火が終結したのが明治2年5月である。 戊辰戦争に出兵した長州藩の兵隊は総数約5千人、内奇兵隊は650人。その戦死者は75人負傷者145人と [続きを読む]
  • 本橋誠一写真展を見て
  •  福岡県田川市の美術館で、本橋誠一氏の写真展『在り処(ありか)』が6月16日から7月22日まで開催されたので見に行った。 1940年(S15)生まれの本橋氏は、マスコミなどを華々しく賑わかしている写真家ではないが、1968年に彼が筑豊などで炭鉱を写した写真で第5回太陽賞を授賞したとき、同じころ炭鉱を写していた多くのカメラマンの中に本橋という人が居たんだと意識した。 その後平成になって本屋さんでチェルノブイリ発電所 [続きを読む]
  • 梅雨末期の地震と豪雨
  •  「気候変動適応法」というなんとも妙な法律が成立した。地球温暖化による被害を軽減することを目指しているとはいえ、日常生活の現実では、寒いときは寒く今年の夏、暑さはまた格別に暑い。 6月の中旬、千葉房総沖で聞きなれない「スロースリップ」が関係しているという地震が続いていた。そして、18日には大阪北区で震度6弱の地震が発生し、高槻市では小学4年の女子児童が通学途中に同校プールのブロック塀倒壊によって死亡し [続きを読む]
  • 肥中港と肥中街道(2)−2
  •  一昨年あたりから「肥中街道を整備したり、歩く会があったり」と、しばしばその活動が新聞に出るようになった。 たまたま「今日は何してるん、なにも無かったら何処かに連れて行こうか?」とお誘いの電話があって、特に予定は無いが、最近の新聞に「肥中街道」楢原地区の記事が掲載されていたので「楢原地区の様子でも見に行きたい」と出かけて見た。 豊田町西市、稲見川が木屋川に合流するあたりが楢原で、自分が持っている地図に [続きを読む]
  • 肥中港と肥中街道(2)−1
  •  JR下関駅から国道191号線を響灘に沿って北上して約45km、特牛(こっとい)港を過ぎて、角島へ道が分かれるところの集落が肥中(ひじゅう)である。 ここから角島までは5kmほどのところだが、特牛と同様響灘に面した湾が自然の良港に恵まれて、室町時代にはすでに海上関が置かれていた。 中世、大内氏の時代(1350〜1550)大内盛見(1377〜1431)は、大内氏の居館がある吉敷郡(山口)と豊浦郡神田(下関市豊北町)肥中浦を [続きを読む]
  • 清盛塚(2)−2
  •  清盛生誕900年、誰も何も反応がないのは何故だろう。 昭和60年(1985)。あの年は、平家が滅んで800年というので全国的な源平ブームが起こり、下関でも赤間神宮の先々代・水野久直宮司は「800年祭は名誉、昭和の一大イベント」だと、先帝祭は、それまで4月24日に行われていたものが、宮中の安徳天皇のご命日である5月2日にあわせ、この年から繰り下げられた。その5月2日には天皇陛下の御名代としての勅使・高松宮様が安徳 [続きを読む]
  • 清盛塚(2)−1
  •  今年、平成30年(2018)は、平清盛の生誕900年になる。久しぶりに彦島江の浦にある「清盛塚」をたずねて見た。 杉田の峠には「清盛塚」の標識があり、民家の間の山道に入ると、すべりやすい登りとなるが、その突き当たりにはまた標識そしてまた標識と道?案内は実に丁寧親切なもの。杉田のバス停から10分足らずで到着する。 現在の町名では、彦島江の浦町3・4丁目の境界辺りにあたる。当時のものかどうかの詮索は別にしてその [続きを読む]
  • 下関三曲連盟定期演奏会
  •  下関三曲連盟というのがあって、このグループに我が妹が参加している。 三曲というのは、箏と三味線と胡弓または尺八との合奏をいうらしい。妹は、中学校か高校のころ母の勧めがあったのか、お琴(箏)を習い始めて、何時までやっていたのか記憶には無い。我が家の床の間に琴(箏)が立掛けてあったことだけは記憶している。 母が他界したのち、妹は何を思ったのか琴(箏)を弾くことに熱心になった。 4〜5年くらい前から、 [続きを読む]
  • 報国隊士軍服
  •  高杉晋作が奇兵隊を結成したことから、長州藩では各所に同じような遊撃隊・八幡隊、第二奇兵隊などと諸隊が結成された。その数は150隊ほど。隊の規模は、20名くらいから100人を超えるものも、奇兵隊は350人を超えたときもあった。 諸隊は、一応藩の統制下にあり武器や俸禄は藩から支給されているものの、それほどの隊員を何処に宿泊させ、どの様な賄いをしたか、服装や装備に関しての支給がどのようであったか、資料や文献はさ [続きを読む]
  • 日本遺産って言われても-5- 鉢谷ビル(旧日本捕鯨別館)
  •  平成24年(2012)に川棚の玉椿旅館とともに鉢谷ビルが文化財に答申されたとき、私はその存在を始めて知った。ずいぶん前のことだが、写真の例会でお世話になっていた岬之町町民館のすぐ前にその建物が在ったのに、夕方からの利用でまったく周辺を気にすることも無かった。 以前は、海峡に突き出た王子山の鼻(岬)で石垣をめぐらせた岡の上(岬之町13-7)に鉢谷ビルは建っていたはずなのだが、この周辺は広く埋め立てられ海側に [続きを読む]
  • 日出町にて②-2 −大神回天訓練基地跡−
  •  日出町には、回天訓練基地の遺構があると知りながら、山口県周南市の大津島を中心とした写真展『回天感懐』を開催したのが平成28年(2016)8月だったので、すでに1年半を過ぎてしまった。(この写真展のことはエッセーでも2016年7月ころに記載)  今回は、折角の機会だから「回天訓練基地跡」を見学しようと彼を誘った。 回天とは、「天を引き回すという意で、ここでは太平洋戦争の末期、日本軍が敵艦への体当たり攻撃に用い [続きを読む]
  • 日出町にて②-1 −大蘇鉄−
  •  「日出(ひじ)の蘇鉄(ソテツ)を見たい」という誘いを受けた。 日出というのは、国東半島の南側、別府湾の北西部に当たり行政的には大分県速見郡日出町。関ヶ原合戦の後(慶長6年=1601)、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所・おね)の甥にあたる木下延俊が日出藩を与えられて築いた日出城址をはじめ、木下家ゆかりの史跡が残っている。大分空港から車で30分足らず、人口は約2万8千人である。そもそも「日出」と書いて「ひ [続きを読む]
  • 趣味人万歳
  •  最近では、賀状の交友がある程度の宮崎義敬(以前・忌宮神社宮司)さん、私にしてみれば、とんでもなく偉いお方から、几帳面に書かれ「100人のための朗読と歌」のチラシが添えられたお手紙を頂いた。 お手紙には『今年は7回目の年男で84歳になり、戦時中の欠食児童がここまでよく生き延びられたと思うとき、生かされて生きる人生を感謝しないではいられません・・』などとある。私もほぼ同年輩で、昨年秋ごろまでは体力の衰え [続きを読む]
  • 日本遺産って言われても-4- 旧金ノ弦岬灯台
  •  明治初期における外国人技術者における国内の航路標識整備は、暗礁が多く潮の流れも複雑しかもS字型をなした関門海峡では、六連島灯台、部埼灯台だけで無く、灯台のほかに水先案内の制度が全国に先駆けて取り入れられ、ほかに光を放なたないものだが、船舶に岩礁や浅瀬をしらせる立標と呼ばれる航路標識がブラントンによって日本に始めて設置された。 暗礁名で鳴瀬・俎・与次兵衛立標と呼ばれ、例えば、こうした航路にあった [続きを読む]
  • こどもの広場②−2(学校図書選書会)
  •  「本を詰め込んだダンボールを運ぶ、これは大変な重労働だ。・・・そして、彼女が一冊の本を取り上げると、子どもたちは、もう本と彼女を見つめて、そわそわし始める」 『魔女の宅急便』の作者・角野栄子さんが、自分のことを『本の出前屋さん』という”子どもの広場”の横山眞佐子さんの、その出前屋さん振りを見ようとついて行った時の文章の最初である。 「・・・どきどき、わくわく、心が動いているのが解る。もうすっか [続きを読む]
  • こどもの広場②−1(本を子どもに)
  •  下関市は、ここから始まるという感じの郵便番号750-0001、幸せを呼びそうな地名の幸町がある。その幸町7−13に児童書専門店”(株)こどもの広場”がある。 ”こどもの広場”は、かれこれ40年前「児童書専門店をつくろう」という横山眞佐子さんの情熱により、同じ幸町だが近くの長屋の一部、わずか5坪(約16平方メートル)の店舗に500冊ほどの本を集めて誕生した。 もともと横山さんが本好きだったこともあるが、娘が小さかっ [続きを読む]
  • 春に先駆けての花木
  •  下関市長府の長府庭園にある「三の蔵」は、市内の写真クラブなどが写真展などを開くギャラリーとして利用されている。 マツムラカメラのお客さんが中心の海峡フオトクラブは、1年2回の発表をここで行っていて今春30回の展示を行っていた。 この三の蔵の側に、花を咲かせたマンサクを撮影していたら、その会のメンバーに鳥や花などに詳しい人がいて、花の一つをちぎって花の色合いから構造などを詳しく説明された。私は常々「 [続きを読む]
  • スミレとパンジー
  •  春先になると、バス停までの路傍それも石垣の間などに、けなげに咲いているスミレの花を見かけることがある。それも美しい紫色の花を突然に咲かせているから見事と言うほかはない。こんなところに咲いてくれたの!と、愛おしくなってしまう。 「山路来てなにやらゆかしすみれ草」聞き覚えのある俳句は松尾芭蕉の名句、その“なにやらゆかし”という気分に、しかし逞しくこんな場所に咲いてくれたという思いが重なってくるので [続きを読む]
  • 下関の工業高等学校2校が閉校
  •  山口県立下関工業高等学校(関工)と同下関中央工業高等学校(中央工)は、県立高校の再編統合によって、平成28年度から同下関工科高等学校として生まれ変わり、県下最大の工業高等学校として開校した。 当時の、在校生は旧学校名のまゝ進級し、本年(平成30年)3月の卒業を持って、関工、中央工の両校は閉校となった。 関工は昭和14年(1939)の開校から79年、中央工は明治43年(1910)市立下関実業補習学校として市内名池山 [続きを読む]
  • 冠梅園の梅見
  •  2月下旬のある日、妹が「何処か温泉にでも連れて行きましょうか」と誘いがあった。 このところ、寒さの関係で外出もほとんどせず、老人の暇人はテレビを点けては見るが、オリンピック放送ばかりが流れ、ライブならともかく、いささか食傷気味だった。 ありがたい誘いである。温泉も悪くはないが、折角の天気だから出来れば光市の冠天満宮に隣接する冠梅園の梅が見たいといった。 冠天満宮の由来は、藤原氏のざん言で、延喜元 [続きを読む]
  • 日本遺産って言われても-3- 六連島灯台
  •  下関市六連島は、武久海岸の西方約4?、竹の子島からは北西約3km。関門海峡、西の出入り口に当たる国際航路の要衝にある、面積は約0.69平方km、周囲3.9km、標高104m、人口は約100人、野菜、草花のハウス栽培が盛んな小島で、東側の高台、北緯33度58分30秒、東経130度52分13秒に六連島灯台がある。 灯台は、白色塔形の石造。毎10秒に1閃光。実効光度、閃光31万カンデラ。光達距離、閃光15.5海里(約29?)。塔高(地上-塔頂)10 [続きを読む]
  • 日本遺産って言われても-2-  長州藩前田台場跡
  •  「外夷来襲すればこれを掃壊せよ」という布告により、文久3年(1863)5月10日が決行の日と決っていた。そのころ、下関海峡には毛利能登守を総大将におよそ千人の兵力が集結。ここにアメリカの商船ペンプローグ号が海峡の入り口にかかり、藩兵が調べると長崎奉行宛公儀の書状を携えていたので攻撃は控えていたが、久坂玄瑞の率いる光明寺党が、5月11日これを攻撃した。 この砲撃をきっかけに、関門海峡では6次にわたる攘夷攻撃 [続きを読む]
  • 人間にとっての酸素
  •  少し大きめの洗濯ばさみのような器材で指先を挟むと、忽ち血中の酸素濃度が測定されるのである。若い看護師が「何だか赤外線で計れるそうですよ」と、学校で教わり試験問題を回答するように教えてくれた。 この検知器には「パルスオキシメーター」と商品名があって、調べてみると、身体に針を刺したり切ったりすることも無く、経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)と脈拍数をリアルタイムに測定するしろものである。 その原理は、発光 [続きを読む]
  • 看護師たち
  •  もう少し入院のことなど書いておきたい。 ずいぶん前に、看護学校での戴帽式授与式の写真を撮ったことを思い出しながら、入院生活の間に、看護師さんたちの働きをみつめた。 あの厳かな戴帽式の日、看護師を目指す”白衣の天使の卵たち”は「天使とは、美しい花をまき散らすものではなく、苦悩する者のために戦うものである」というナイチンゲールのことばを、どれほど理解していただろうか。 ある日、疲れきった表情の看護師 [続きを読む]
  • 田中勝の二・二六「昭和維新」決起
  •  慶応4年(1868)9月8日、年号が明治に改元されて平成30年(2018)は150年となることから、最近やたらと明治維新150年の声が聞かれる。 年が明けて、2月ともなると私は、二・二六事件をふと想い浮かべることがある。 二・二六事件は、昭和11年(1936)2月26日、主観的に天皇と国を思う至誠から、陸軍の皇道派青年将校らが約1500名の部隊を率いて首相官邸などを襲った行動(クーデター事件)で、内大臣・斎藤実、大蔵大臣・高橋 [続きを読む]