issey さん プロフィール

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isseyさん: イッセーのエッセー
ハンドル名issey さん
ブログタイトルイッセーのエッセー
ブログURLhttps://ameblo.jp/kanmonya/
サイト紹介文『歴史的なこと』『旅や環境など』そして、『教育・人・食物』など、紹介したいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供47回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2008/02/19 10:42

issey さんのブログ記事

  • 下関の遺跡群について②−1
  •  中国山地が西に延びてくると、そこは人口約27万人の下関市である。本州の最西端、響灘に面したこの海岸線はほぼ南北に約50km。下関はこれを一辺にした逆三角形、大きな鏃(やじり)の先端が、関門海峡を経て北九州に突き刺さった様にも見える。 鏃といえば、下関西海岸線の農地などからきらきら光る鏃が採取されていて、その後の調査で弥生時代前期から中期にかけての遺跡が多く、遺跡の宝庫として注目されるようになった。 [続きを読む]
  • 志士の杜京都史跡巡り(5)−5(天龍寺と禁門の変)
  •  天龍寺に着いたとき、お寺のガイドをされた田原宗務長は「山口県の方なら此方で話をしたい」と法堂の中に案内された。そして寺歴を簡単に話された後「特に禁門の変で長州藩の敗戦後、薩摩藩が残兵狩りと称して進駐し、この寺に火を掛けたのよ、別のところにあった選仏場が焼け残っていたのがこの法堂なのよ」と、部屋の前方にある位牌を指しながら長州藩士の慰霊を続けているとの説明があった。 法堂天井は、加山又造画伯の八方 [続きを読む]
  • 志士の杜京都史跡巡り(5)−4(祗園祭)
  •  志士の杜の史跡巡りは、秋ではなく夏真っ盛りの7月、京都祇園祭の山鉾巡行を見ようという魂胆であった。「維新」というのに祗園祭とは違和感もあるが、日本三大祭(京都八坂の祗園祭。大阪天満宮の天神祭。東京浅草の神田明神祭)として有名で魅力がある。 幕末に京都で起った重大事件に池田屋騒動があり、それは、元治元年(1864)6月5日、祇園祭の余韻が残る宵の事件である。平成30年7月17日は旧暦の6月5日。さらに、禁門の [続きを読む]
  • 志士の杜京都史跡巡り(5)−3(京都国立博物館と三十三間堂)
  •  今回、初日の史跡巡りは、一応、京の三屋敷で終わり、後は京都国立博物館と隣接の蓮華王院である。 京都国立博物館は、正面にロダンの『考える人』の像を据えた見事な建物で、以前拝観したときは多くの人が入場していたことを記憶している。 その経緯は、明治16年(1883)に京都府立博物館を引継ぎ明治30年に帝国京都博物館を開館。明治33年(1900)に京都帝室博物館と改称している。昭和27年(1952)に国へ移管され、昭和43 [続きを読む]
  • 志士の杜京都史跡巡り(5)−2(河原町・池田屋と近江屋)
  •  京都河原町あたりは「銀ブラ」に対して「河ブラ」と呼ぶそうだが、角倉了以が開削した高瀬川の運河の両側につくられた木屋町が遊興娯楽場所として栄え、幕末の青春群像も駆け抜けた所である。東海道の起終点三条大橋あたり現在でのもっとも賑わう場所で、貸し衣装でまとって歩く若者や外人観光客があふれ、食堂、ゲームセンターなどが建ち並ぶ。 三条小橋を北に遡れば、大村益次郎や佐久間象山の遭難碑、桂小五郎の寓居跡「旅館幾 [続きを読む]
  • 志士の杜京都史跡巡り(5)−1(伏見寺田屋)
  •  「志士の杜」が毎年実施している維新史跡巡りの第17回目は京都の第2弾で、昨年は体調の関係で参加できなかったが今回は同行させて頂いた。 新幹線の中で昼食を済ませ、京都駅の到着は11時34分。早速、伏見の寺田屋に向かった。寺田屋は船宿で、文久2年(1862)4月23日の夜、薩摩藩の急進派有馬新七ら30数名は攘夷決行をと集っていたが、島津久光の命を受けた鎮撫使奈良原喜八郎らとここで乱闘になり、有馬ら9名が死亡、鎮撫使 [続きを読む]
  • 日本遺産といわれても−6−(下関南部町郵便局庁舎)
  •  下関における通信事業としては金融業とともに早く整備され、郵便事業は全国180ヶ所に設置された明治4年(1871)に、赤間ヶ関郵便取扱所として西之端町に開設されたのが始まりで、同16年に赤間関郵便局となり外浜町に局舎を新築移転し電話局を統合、明治33年(1900)に新築移転したのが現在地の局舎建物であり、現役の郵便局舎では最古とされている。昭和20年(1945)の下関空襲の戦火に耐えた南部町郵便局は、昭和24年(1949) [続きを読む]
  • 神仏分離令
  •  明治維新150年を祝福するかに見える現在の社会情勢に、ひそかに顔をしかめる私である。それは、大政奉還があって明治と改元されて150年になるので間違いではない。 しかし、慶応4年1月3日には日本国内を動乱の渦中に巻き込んだ戊辰戦争が鳥羽伏見に幕開けし、北海道函館の五稜郭に及んで戦火が終結したのが明治2年5月である。 戊辰戦争に出兵した長州藩の兵隊は総数約5千人、内奇兵隊は650人。その戦死者は75人負傷者145人と [続きを読む]
  • 本橋誠一写真展を見て
  •  福岡県田川市の美術館で、本橋誠一氏の写真展『在り処(ありか)』が6月16日から7月22日まで開催されたので見に行った。 1940年(S15)生まれの本橋氏は、マスコミなどを華々しく賑わかしている写真家ではないが、1968年に彼が筑豊などで炭鉱を写した写真で第5回太陽賞を授賞したとき、同じころ炭鉱を写していた多くのカメラマンの中に本橋という人が居たんだと意識した。 その後平成になって本屋さんでチェルノブイリ発電所 [続きを読む]
  • 梅雨末期の地震と豪雨
  •  「気候変動適応法」というなんとも妙な法律が成立した。地球温暖化による被害を軽減することを目指しているとはいえ、日常生活の現実では、寒いときは寒く今年の夏、暑さはまた格別に暑い。 6月の中旬、千葉房総沖で聞きなれない「スロースリップ」が関係しているという地震が続いていた。そして、18日には大阪北区で震度6弱の地震が発生し、高槻市では小学4年の女子児童が通学途中に同校プールのブロック塀倒壊によって死亡し [続きを読む]
  • 肥中港と肥中街道(2)−2
  •  一昨年あたりから「肥中街道を整備したり、歩く会があったり」と、しばしばその活動が新聞に出るようになった。 たまたま「今日は何してるん、なにも無かったら何処かに連れて行こうか?」とお誘いの電話があって、特に予定は無いが、最近の新聞に「肥中街道」楢原地区の記事が掲載されていたので「楢原地区の様子でも見に行きたい」と出かけて見た。 豊田町西市、稲見川が木屋川に合流するあたりが楢原で、自分が持っている地図に [続きを読む]
  • 肥中港と肥中街道(2)−1
  •  JR下関駅から国道191号線を響灘に沿って北上して約45km、特牛(こっとい)港を過ぎて、角島へ道が分かれるところの集落が肥中(ひじゅう)である。 ここから角島までは5kmほどのところだが、特牛と同様響灘に面した湾が自然の良港に恵まれて、室町時代にはすでに海上関が置かれていた。 中世、大内氏の時代(1350〜1550)大内盛見(1377〜1431)は、大内氏の居館がある吉敷郡(山口)と豊浦郡神田(下関市豊北町)肥中浦を [続きを読む]
  • 清盛塚(2)−2
  •  清盛生誕900年、誰も何も反応がないのは何故だろう。 昭和60年(1985)。あの年は、平家が滅んで800年というので全国的な源平ブームが起こり、下関でも赤間神宮の先々代・水野久直宮司は「800年祭は名誉、昭和の一大イベント」だと、先帝祭は、それまで4月24日に行われていたものが、宮中の安徳天皇のご命日である5月2日にあわせ、この年から繰り下げられた。その5月2日には天皇陛下の御名代としての勅使・高松宮様が安徳 [続きを読む]
  • 清盛塚(2)−1
  •  今年、平成30年(2018)は、平清盛の生誕900年になる。久しぶりに彦島江の浦にある「清盛塚」をたずねて見た。 杉田の峠には「清盛塚」の標識があり、民家の間の山道に入ると、すべりやすい登りとなるが、その突き当たりにはまた標識そしてまた標識と道?案内は実に丁寧親切なもの。杉田のバス停から10分足らずで到着する。 現在の町名では、彦島江の浦町3・4丁目の境界辺りにあたる。当時のものかどうかの詮索は別にしてその [続きを読む]
  • 下関三曲連盟定期演奏会
  •  下関三曲連盟というのがあって、このグループに我が妹が参加している。 三曲というのは、箏と三味線と胡弓または尺八との合奏をいうらしい。妹は、中学校か高校のころ母の勧めがあったのか、お琴(箏)を習い始めて、何時までやっていたのか記憶には無い。我が家の床の間に琴(箏)が立掛けてあったことだけは記憶している。 母が他界したのち、妹は何を思ったのか琴(箏)を弾くことに熱心になった。 4〜5年くらい前から、 [続きを読む]
  • 報国隊士軍服
  •  高杉晋作が奇兵隊を結成したことから、長州藩では各所に同じような遊撃隊・八幡隊、第二奇兵隊などと諸隊が結成された。その数は150隊ほど。隊の規模は、20名くらいから100人を超えるものも、奇兵隊は350人を超えたときもあった。 諸隊は、一応藩の統制下にあり武器や俸禄は藩から支給されているものの、それほどの隊員を何処に宿泊させ、どの様な賄いをしたか、服装や装備に関しての支給がどのようであったか、資料や文献はさ [続きを読む]
  • 日本遺産って言われても-5- 鉢谷ビル(旧日本捕鯨別館)
  •  平成24年(2012)に川棚の玉椿旅館とともに鉢谷ビルが文化財に答申されたとき、私はその存在を始めて知った。ずいぶん前のことだが、写真の例会でお世話になっていた岬之町町民館のすぐ前にその建物が在ったのに、夕方からの利用でまったく周辺を気にすることも無かった。 以前は、海峡に突き出た王子山の鼻(岬)で石垣をめぐらせた岡の上(岬之町13-7)に鉢谷ビルは建っていたはずなのだが、この周辺は広く埋め立てられ海側に [続きを読む]
  • 日出町にて②-2 −大神回天訓練基地跡−
  •  日出町には、回天訓練基地の遺構があると知りながら、山口県周南市の大津島を中心とした写真展『回天感懐』を開催したのが平成28年(2016)8月だったので、すでに1年半を過ぎてしまった。(この写真展のことはエッセーでも2016年7月ころに記載)  今回は、折角の機会だから「回天訓練基地跡」を見学しようと彼を誘った。 回天とは、「天を引き回すという意で、ここでは太平洋戦争の末期、日本軍が敵艦への体当たり攻撃に用い [続きを読む]
  • 日出町にて②-1 −大蘇鉄−
  •  「日出(ひじ)の蘇鉄(ソテツ)を見たい」という誘いを受けた。 日出というのは、国東半島の南側、別府湾の北西部に当たり行政的には大分県速見郡日出町。関ヶ原合戦の後(慶長6年=1601)、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所・おね)の甥にあたる木下延俊が日出藩を与えられて築いた日出城址をはじめ、木下家ゆかりの史跡が残っている。大分空港から車で30分足らず、人口は約2万8千人である。そもそも「日出」と書いて「ひ [続きを読む]
  • 趣味人万歳
  •  最近では、賀状の交友がある程度の宮崎義敬(以前・忌宮神社宮司)さん、私にしてみれば、とんでもなく偉いお方から、几帳面に書かれ「100人のための朗読と歌」のチラシが添えられたお手紙を頂いた。 お手紙には『今年は7回目の年男で84歳になり、戦時中の欠食児童がここまでよく生き延びられたと思うとき、生かされて生きる人生を感謝しないではいられません・・』などとある。私もほぼ同年輩で、昨年秋ごろまでは体力の衰え [続きを読む]
  • 日本遺産って言われても-4- 旧金ノ弦岬灯台
  •  明治初期における外国人技術者における国内の航路標識整備は、暗礁が多く潮の流れも複雑しかもS字型をなした関門海峡では、六連島灯台、部埼灯台だけで無く、灯台のほかに水先案内の制度が全国に先駆けて取り入れられ、ほかに光を放なたないものだが、船舶に岩礁や浅瀬をしらせる立標と呼ばれる航路標識がブラントンによって日本に始めて設置された。 暗礁名で鳴瀬・俎・与次兵衛立標と呼ばれ、例えば、こうした航路にあった [続きを読む]
  • こどもの広場②−2(学校図書選書会)
  •  「本を詰め込んだダンボールを運ぶ、これは大変な重労働だ。・・・そして、彼女が一冊の本を取り上げると、子どもたちは、もう本と彼女を見つめて、そわそわし始める」 『魔女の宅急便』の作者・角野栄子さんが、自分のことを『本の出前屋さん』という”子どもの広場”の横山眞佐子さんの、その出前屋さん振りを見ようとついて行った時の文章の最初である。 「・・・どきどき、わくわく、心が動いているのが解る。もうすっか [続きを読む]
  • こどもの広場②−1(本を子どもに)
  •  下関市は、ここから始まるという感じの郵便番号750-0001、幸せを呼びそうな地名の幸町がある。その幸町7−13に児童書専門店”(株)こどもの広場”がある。 ”こどもの広場”は、かれこれ40年前「児童書専門店をつくろう」という横山眞佐子さんの情熱により、同じ幸町だが近くの長屋の一部、わずか5坪(約16平方メートル)の店舗に500冊ほどの本を集めて誕生した。 もともと横山さんが本好きだったこともあるが、娘が小さかっ [続きを読む]
  • 春に先駆けての花木
  •  下関市長府の長府庭園にある「三の蔵」は、市内の写真クラブなどが写真展などを開くギャラリーとして利用されている。 マツムラカメラのお客さんが中心の海峡フオトクラブは、1年2回の発表をここで行っていて今春30回の展示を行っていた。 この三の蔵の側に、花を咲かせたマンサクを撮影していたら、その会のメンバーに鳥や花などに詳しい人がいて、花の一つをちぎって花の色合いから構造などを詳しく説明された。私は常々「 [続きを読む]
  • スミレとパンジー
  •  春先になると、バス停までの路傍それも石垣の間などに、けなげに咲いているスミレの花を見かけることがある。それも美しい紫色の花を突然に咲かせているから見事と言うほかはない。こんなところに咲いてくれたの!と、愛おしくなってしまう。 「山路来てなにやらゆかしすみれ草」聞き覚えのある俳句は松尾芭蕉の名句、その“なにやらゆかし”という気分に、しかし逞しくこんな場所に咲いてくれたという思いが重なってくるので [続きを読む]