issey さん プロフィール

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isseyさん: イッセーのエッセー
ハンドル名issey さん
ブログタイトルイッセーのエッセー
ブログURLhttps://ameblo.jp/kanmonya/
サイト紹介文『歴史的なこと』『旅や環境など』そして、『教育・人・食物』など、紹介したいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供47回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2008/02/19 10:42

issey さんのブログ記事

  • 「時代(とき)を拓(ひら)く」群像④-3 −印藤聿・熊野直介−
  •  印藤 聿=豊永長吉(いんどうのぶる=とよながちょうきち・1831〜1911)「時代を拓く」群像では、向かって左一番後ろにいる。 天保2年(1831)2月、長府藩士・下村又三郎の三男として生まれ、後に長府藩士・豊永吉郎左衛門の養子に迎えられた。明治時代の下関実業界では重要な人として貴重な存在である。 安政6年(1859)28歳のとき、長府藩の砲兵司令として外国船防禦の役につき、慶応元年(1865)の報国隊結成ではその軍監 [続きを読む]
  • 「時代(とき)を拓(ひら)く」群像④-2 −梶山鼎介・伊藤九三−
  •  下関歴史博物館光庭に設置された「時代を拓く」群像は、坂本龍馬夫妻に繋がる長府藩士たちである。幕末維新の中で華々しく名声を挙げた志士たちではなく、むしろその底辺で、たしかに時代の荒波の渦中を蠢き、新時代を切り開こうとした志士たちである。 「時代を拓く」群像に登場する志士たち5名を紹介しておこう。 像に向かって正面がこのメンバーでは一番若い梶山鼎介(かじやまていすけ・1848〜1933)で、慶応元年(1864) [続きを読む]
  • 時代(とき)を拓(ひら)く」群像④-1 −光庭の彫刻−
  •  長府に、下関市立歴史博物館が平成28年11月18日に開館した。その難行苦行の経緯、展示などについては、またの機会にして、先ずは玄関正面の光庭に設置された「時代を拓く」と名付けた群像について書いておきたい。 これは、志士の杜推進実行委員会(会長・山本徹氏)が広く浄財募金を呼びかけて製作設置し11月16日に除幕後、下関市に寄贈したもので、志士の杜のモニュメントとしては、既に「青春交響の塔」「風の予言者」に次 [続きを読む]
  • 吉見龍王神社御神幸祭
  •  今年(2016)の龍王神社の御神幸祭は、前夜半までの雨にもかかわらず、当日は朝から好天に恵まれ、10年に一度の大イベント・伝統行事が無事盛大に行われたことを嬉しく思った。 地元の方に話のきっかけとして「10年に一度ですからね」といったら「今回は100年に一度」といわれてビックリ。資料を頂いたり、自宅に帰ってから改めて「よしみ史誌」を見て、大正6年に合祠された龍王神社としては100年目だったことに納得した。 私 [続きを読む]
  • 朝鮮通信使⑤-5 下関の場合
  •  下関市立考古博物館の回廊は、現代から古代にいたる下関の歴史的事象を象徴的に誘導し、土笛の音色が聞こえてくるとそこは弥生の世界、タイムスリップのアプロ−チとなっている。その中間域に、朝鮮通信使・上々官第三船図の鮮やかな川御座船の絵がある。 この絵は、朝鮮通信使の淀川上りのために長府藩が仕立てた川御座船を描いたもので、?大阪市文化財協会から大阪歴史博物館に寄託されたもので貴重な資料である。平成20年 [続きを読む]
  • 朝鮮通信使⑤-4 蒲刈島
  •  呉市の下蒲刈町下島には、蒲刈島御番所(復元)、あかりの館(旧邸移設復元)、御馳走一番館(旧邸移設復元)、陶磁器館(旧木上邸復元)の4棟が、上蒲刈島を挟む瀬戸に面したところに配置され「松濤園」と呼ぶ施設がある。 この島には三之瀬御本陣跡、朝鮮通信使宿館跡(いずれも県史跡)や福島長雁木(当時のもの11段に、昭和になって3段が付け足され14段となり、長さは約55mある)など、朝鮮通信使を偲ぶ場所が存在する。 [続きを読む]
  • 朝鮮通信使⑤-3 瀬戸内市牛窓と福山市鞆の浦
  •  下関の港は、朝鮮通信使の日本国本土最初の上陸地点だったことから、私自身も旅をしながら、北前船とともに朝鮮通信使の寄港地は興味があり意識していた。 港とは言っても、瀬戸内海を辿る下関・上関・蒲刈・鞆・牛窓・室津・神戸津となれば、北前船や維新激動の志士たちの関わった道でもある。 陸路の各所では、たまたま静岡市の浅間神社境内にある市立文化財資料館で「東海道図屏風」に江戸市中に差し掛かったころの朝鮮通 [続きを読む]
  • 朝鮮通信使⑤-2 雨森芳洲
  •  今年、平成28年(2016)の馬関まつりで、朝鮮通信使行列再現には西中国信用金庫会長の山本透さんが雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)役を引き受けられたことで、その出発式あたりの記念写真を撮ってほしいと依頼され、老いの身に少々負担を感じながらお手伝い出来たような気がする。 ここでは、雨森芳洲とはどんな方だったかをまとめておきたい。 近江の国、現在の滋賀県長浜市高月町雨森の町医者の子として、寛文8年(1688.6 [続きを読む]
  • 朝鮮通信使⑤-1 朝鮮通信使とは
  •  下関で、夏の終わりの大賑わいとなる馬関祭りに、平成16年(2004)からスタートした「朝鮮通信使行列再現」が、日韓双方の多くの参加者を得て恒例行事に位置づけられ12年になる。その厳粛で華やかな行列の再現は、次第に市民にも馴染まれるようになった。 そもそも朝鮮通信使というのは、室町幕府の足利義満将軍から永和元年(1375)に派遣された使者と国書に対して、高麗王朝の返礼として信を通わす使者として派遣されたのが始ま [続きを読む]
  • 北前船おちこち(47)−鐙屋と本間家そして山居倉庫−
  •  さて、酒田市の町なかにある豪商に屋敷に向かったとき「ハナミズキの並木」が綺麗だったな!と思い出した。 最初に訪ねたのは、代々年寄りをつとめていた廻船問屋の鐙屋(あぶみや)で、内陸諸藩からの蔵米を保管する蔵宿を勤めていた。また、商品の卸売買、保管、さらに諸国から集まる商人の宿を営んで各地との商品取引も盛んに行っていたというお屋敷。入り口の土間に廻船の模型が置かれ、右の座敷は問屋の玄関。奥の [続きを読む]
  • 命の尊厳
  •  神奈川県相模原市の知的障害者で40数人の刺殺傷害事件(犯人が26歳)があってから1ヶ月、今度は埼玉県東松山市の河川敷で少年たちによって1人の少年(16歳)が殺ろされるという事件が起こった。 また、群馬県前橋市内では強姦致傷容疑で俳優(22歳)が逮捕され、母親(俳優)が謝罪会見した。母親としての気持ちは分からぬでもないが、成人した子どもに、親は何処まで責任を持たなければいけないのか?という疑問も感じ [続きを読む]
  • 時ならぬ消防自動車
  •  8月になって、市内各所で住宅火災が続いていた。それも朝刊を見てびっくりしたのは、見覚えのあるクラシックな家の輪郭で住所を確認すると友人宅の隣を消火放水中の写真だった。そのころ下関は2週間くらい日照りが続いて、夕立もまったくないカラカラの乾燥状態である。 新聞写真と記事を照らし合わせて、先ずは大丈夫だろうと思ったが朝刊を手にしたまま電話してみた。“電話は通じた”一軒は空き家、放火は怖い。 「 [続きを読む]
  • 北前船おちこち(45)−酒田の日和山公園−
  •  酒田市は、日本海に面し、古くは出羽の国府が置かれ現在の山形、秋田両県の政治・経済・文化の中心的な場所だった。 平成17年(2005)11月に、近隣の八幡町、松山町、平田町が合併して面積は約600?、人口約12万人、市の木「ケヤキ」、市の鳥「イヌワシ」、市の花「トビシマカンゾウ」。 「人いきいき、まち快適、未来想像都市・酒田」を目標に、対岸諸国との貿易・交流を通じて、北東アジアの主要都市として発展を目指してい [続きを読む]
  • 北前船おちこち(44)−新潟市から酒田市へ−
  •  東北といえば、私には「芭蕉」というイメージがある。芭蕉がたどった「奥の細道」の行程を見ると、新潟、酒田、象潟、羽黒、新庄、山寺、尾花沢などのコースで、この間を約1月半、尾花沢や酒田にはそれぞれ10日も滞在している。 それに比べて、私たちが訪ねた旅では、飛行機で新潟に着きその日のうちに新潟市を少し見学して、宿泊は酒田市の予定だった。奥の細道を掠めるわけでもなく、せめて国道7号線を、東北の気分を味わい [続きを読む]
  • 平岡さんの寄せ書き帳
  •  「当時、上海には日本人が20万人位いて、普通科のほかに商業、工業の中学校(現在の高等学校)が在りました。上海で生まれ、学校にあがって中学校の時には特攻隊にあこがれましてねぇ・・・念願かなって配属されたのが四国の松山航空隊でした」 下関市南部町在住の平岡さん(87)に、お話を聞くきっかけとなったのは『回天感懐』の写真展案内状(前回の写真展『軍艦島寸見』の芳名禄から送付)を受け取った方から「回天に関し [続きを読む]
  • 唐津の名護屋城址
  •  唐津城・唐津くんち・鯨組主の中尾家屋敷などと唐津は何度も訪ねているが、NHK大河ドラマ『真田丸』で、いよいよ文禄・慶長の役が始まりそうになったとき、名護屋城博物館では何か特別展でもあるかなと思うと、ついつい出かけたくなった。 ちょうど梅雨の中休みとなった日帰りで、福岡ICからは都市高速、西九州道と整備され2時間半で唐津に着く、久しぶりに海抜284mの鏡山に登ったみた。展望台の施設はまったく新しくなってい [続きを読む]
  • 大津島の回天 3-3
  •  現在「五卿登陸處」の碑は埠頭公園に移設されている、徳山港には、以前と同じように人間魚雷「回天」のレプリカが置かれ、そばに周南子ども百人一首「若者の命が散った徳山湾 今はスナメリのゆりかごとなり(周陽中3年 石丸奈緒子)」の看板があった。 渡船は「フェリー新大津島」、新造船だがフェリーだから島までの所要時間は45分。 ところで、黒髪島を過ぎたとき「カメラの人、こっち、こっち・・」と呼ばれて、海上に2 [続きを読む]