issey さん プロフィール

  •  
isseyさん: イッセーのエッセー
ハンドル名issey さん
ブログタイトルイッセーのエッセー
ブログURLhttps://ameblo.jp/kanmonya/
サイト紹介文『歴史的なこと』『旅や環境など』そして、『教育・人・食物』など、紹介したいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供48回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2008/02/19 10:42

issey さんのブログ記事

  • 高杉晋作の墓誌碑
  •  今年は高杉晋作150回忌で、高杉晋作(1839〜67)の眠る東行庵(下関市吉田)では、この150年を意識しながら、昭和31年(1956)に備前焼で建立された欠損するなどの傷みもある高杉晋作像の銅像建立を、平成26年(2014)に先ず実施された。 それから東行庵の清水山に、戦前建てられた山縣有朋公軍服姿の銅像があったが金属供出で撤去され、戦後その台座に高杉晋作陶像が建立された経緯がある。山縣公は、東行庵の開基からその維 [続きを読む]
  • 北前船おちこち(43)−新潟市立歴史博物館−
  •  新潟が、安政5年(1858)の修好通商条約で、神奈川、函館、長崎、兵庫と並んで開港場に選ばれ、明治元年(1868)に開港したとき、翌年、関税業務を行う新潟運上所として造られ、後に税関となったが旧税関庁舎で、新潟を象徴する開港当時の面影を伝える建物である。その柳島町の旧新潟税関庁舎(重文)を利用していた市立郷土資料館があったところを活用する形で、旧税関前には荷揚げ石段を復元し、さらに石造の銀行を移設したり [続きを読む]
  • 北前船おちこち(42)−白山神社の大絵馬−
  •  新潟の総鎮守と親しまれている白山神社の祭神は、菊理媛大神・伊弉諾大神・伊弉冉大神である。白山は、岐阜、石川、福井県の県境にある標高2702m.の霊山で、古くから信仰の山、頂上には全国に約2760社ある白山神社の総本山・白山比咩神社の奥宮があり、これが、新潟に祀られたのは延喜(901〜)とも寛治(1087〜)時代とも言われ、二度の火災で旧記を失っていて建立の年代がはっきりしていない。 現在の社殿は、新潟地震後に修 [続きを読む]
  • 北前船おちこち(41)−北野町の意気込み−
  •  まったく久しぶりに兵庫県の名湯・城崎温泉に行った。 桂小五郎が泊まったという「つたや旅館(当時は松本屋)」に泊まることが一つの目的。 旅館内の展示品、桂小五郎や司馬遼太郎などの遺墨などは、以前に増して多くなっているように感じた。この度は、大正14年の北但大震災と城崎のことを、貴重な写真を見せて頂きながら、ご主人からのご説明を頂いた。 下駄履き生活から遠ざかっている。舗装された道路のせいか、カラン [続きを読む]
  • 毛利秀元公銅像
  •  下関市長府では、早くから「長府藩々祖・毛利秀元公の銅像が地元にほしい」という声がささやかれていたが、一昨年あたりからこれが実現に向けて動き出し、ついに平成28年3月26日、待望の銅像が惣社町の毛利邸入り口に建立し除幕式が行われた。 これは、長府藩家老の子孫・勝原一明さんと、秀元の3男が初代藩主となった清末藩家老の子孫・内藤知則さんらが秀元の功績を顕彰する銅像の建立委員会を平成27年9月に立ち上げ募金活動 [続きを読む]
  • 北前船おちこち(40)−寺泊−
  •  良寛に興味が広がった私は、その日のうちに良寛が暮らしていたという隣接の寺泊町にある蜜蔵院に寄って寺泊の旅館に泊まった。 この旅館で「下関から来たこと」を告げたことから、思わず北前船の話が出て「ここのお宮に素晴らしい船絵馬が沢山ある。折角だから見てほしいものです、ただ急に行っても見せてもらえないが、誰かに頼んで見ましょう」といわれる。 当時、私は北前船に興味はあったものの、まだ余り知識もなく一寸 [続きを読む]
  • 北前船おちこち(39)−出雲崎・寺泊−
  •  定年退職後の間もないころ、佐渡観光旅行を終えて新潟の港に戻ったとき、自分がいま行って来たばかりの佐渡に、吉田松陰が嵐のために渡る事が出来ず空しく12日間を足止めされた“出雲崎”に「折角ここまで来たから行って見たい」と思いがつのり、団体から離れ足を伸ばしたことがある。 松陰の日記には『山川の勝無き越地・・寺僧、鈍劣愚闇・・雹雪の為に恰も俘囚の如く戸外に出えず實に旅愁に堪えなかった』と書かれている。 [続きを読む]
  • 清水恒治写真展『ひとすじの径(みち)』
  •  中学校からの友人・清水恒治君は、ともに写真をやってきて、昭和36年からの一時期はグループSYSとして共同制作をして発表してきた。 このたび、彼は自分の歩いてきた昭和25年(1950)からの記録として、下関美術館で写真展開催を決め2年間準備して『ひとすじの径』を発表した。それは70年近くの写真活動をまとめる自分史的発表なので、私は主観が入らないように傍観し、手伝うことも無く初日をむかえた。 正直なところ、「 [続きを読む]
  • 角島の万葉歌碑
  •  下関市の最北西部、響灘に横たわる周囲16kmの角島。集落は、元山と尾山に別れ、どちらかといえば、本土に近い元山は農耕、尾山は漁労が中心の集落で、元山から北に伸びる牧崎は、牛が放牧され岩礁にはダルマ菊が咲き、遥かに灯台を望む岬である。その灯台は、島の西側・尾山地区の北側にある。難破船の多かった夢ヶ崎に、光達距離18海里の初点灯が明治9年の一等灯台。周辺は水仙・ハマユウが群生する観光地。現在は美しい角島大 [続きを読む]
  • 山口新聞70周年
  •  テレビやインターネットで、世界中のあらゆる情報が瞬時に伝わり「もう新聞は要らない」と思って、長年、愛読し続けていた大手新聞の購読を断ってからかれこれ数年になる。 それでも新聞に愛着があるのは、記憶を留めておくためのスクラップを続けているため、地元記事が多い山口新聞の購読を続けてきた。 この山口新聞が、今年平成28年の建国の日「70周年」を迎えたという記事を見て、嬉しくなった。戦後、創業した先人の方々 [続きを読む]
  • 今一度の年賀状
  •  最近は見る気もなくなった紅白歌合戦が終わったとたんに新春となった。 正月早々に、北朝鮮は「初の水爆実験を成功させた」と発表。水爆の主張に懐疑的な見方もあった。歌会始では、天皇陛下の御歌がパラオの戦没者を追悼されたときの印象を詠まれた平和を願うものだった。その翌日は早朝の長野県スキーバス転覆事故、同日、廃棄食品の横流し、TPP交渉に心血を注がれた閣僚が「政治と金」の問題で辞任、台湾南部の地震で手抜き集 [続きを読む]
  • 野村望東尼④-4−終焉−
  •  晋作の病状は悪化し、白石正一郎宅ですぐの再開はなかったものの、晋作に付き添っての看病、このころ、おうのは22〜23歳、野村望東尼の訪れは、どんなにか心強いものがあっただろう。 病床の高杉晋作が 面白きこともなき世に面白く と読んだあと、望東尼に下の句を続けてくれという。望東尼は すみなすものは心なりけりと詠むと、晋作は「面白いのう」といった。面白きこともなき世に面白く すみなすものは心なりけり こ [続きを読む]
  • 野村望東尼?-3−流罪−
  •  望東尼は、晋作が再起することを願い、この間、晋作のために着物を縫っていた。 まごころをつくしのきぬは国の為 たちかえるべき衣手にせよ 晋作のために仕立てた衣服を渡して激励。長州に戻った晋作から届いたお礼の手紙には「常に死を賭して行動しているので、もはやこの世で会うことはないであろうが、来世で御礼をしたい」とあった。(2年後に再開があるのだが) 平尾山荘は、高杉が潜伏してからは勤王派の集会所のよう [続きを読む]
  • 野村望東尼?-2−晋作潜伏−
  •  夫が亡くなって2年後の文久元年(1861)11月、「一度は御所を見たい」とかねてから思っていたことと、大阪に行ったままの歌の師・大隈言道に再会したいという目的で、京都・大阪に旅たち、言道との感動的な再会を果たした後、京都の神社仏閣・名所旧跡を訪ね、翌・文久2年(1832)5月まで滞在。 この間、島津久光の上洛や寺田屋事件の発生、国政が乱れ、西南雄藩が中央に向かおうとしたことなど、京都では幕末の混沌とした様子を [続きを読む]
  • 野村望東尼?-1−勤王歌人−
  •  福岡藩出身の幕末の女流歌人、勤王家といわれた野村望東尼(ぼうとうに)が、高杉晋作と関係があったことから、そのドラマチックな生涯を記録しておこう。 文化3年9月6日(1806)、筑前国早良郡(現在の中央区六本松三丁目付近)に福岡藩士・浦野重右衛門勝幸、母・今泉みち子の三女として生まれた。名前は「もと」。 幼少より読書を好んでいた。17歳のころ20歳年上の藩士に嫁いだものの半年余りで離縁して生家に戻り、和歌 [続きを読む]
  • 柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)
  •  大分市では、昭和52年(1977)に開館した大分県立芸術会館が老朽化し、これに変わる大分県立美術館が、昨年4月に新設され、その第2回の記念企画展として、東洋と西洋のヴィーナスを出会わせるという「神々の黄昏」が開催されていて、その西洋の作品にグスタフ・クリムトの最高傑作『ヌーダ・ヴェリタス(真実の裸身)』がオーストリアから出展されているというので、正月早々、出かけていった。素晴らしい近代建築、ユニークで不 [続きを読む]
  • 丙申、還暦の流れ
  •  平成28年。もう一度、丙申(ひのえさる)の年を思う。 安倍総理は、年頭の挨拶で300年前の丙申の年、徳川吉宗は「享保の改革」を始めたと言った。60年を5回遡れば、そんな年になるが、80歳を過ぎた自分は60年前の丙申、昭和31年(1956)は、まだ20歳代、就職して幾らも経ってはいない時だった。 その頃の下関はどんな町だったのかと、市史年表をめくってみた。 日和山の高杉晋作陶像除幕式(4月14日)、下関商業短期大学開学式 [続きを読む]
  • 「神宿る島」も世界遺産に?
  •  最近、各所で世界遺産が取りざたされ、いささか世界遺産食傷気味(イサン過多)になっているが、福岡県に古代から続く「神宿る島」宗像信仰の遺産が、平成21年1月、『宗像・沖ノ島と関連遺産群』として世界遺産暫定リストに記載され、政府は昨平成27年(2015)9月8日に2017年の世界文化遺産候補として、ユネスコに推薦することを正式に決めた。 これによって今年の秋には、諮問機関の現地調査を受け2017年(来年)のユネスコ遺 [続きを読む]