オンチャン さん プロフィール

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オンチャンさん: 南国土佐へ来てみいや
ハンドル名オンチャン さん
ブログタイトル南国土佐へ来てみいや
ブログURLhttp://nangokutosa.blog47.fc2.com/
サイト紹介文南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
自由文記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供19回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2008/03/12 00:04

オンチャン さんのブログ記事

  • 別府安宜 - 武市瑞山の叔母婿・国学者の鹿持雅澄の鹿門十晢の一人
  • [ 高知県高知市 ]別府と書いて、普通は「べっぷ」と読むろーけんど、土佐の姓の読みは「べふ」と読みます。別府安宜(べふ やすのぶ)、通称・隆平は寛政3年(1791)御小姓格・別府文五郎信胤の長男に生まれ、家督を継いで文化12年に土佐藩第9代藩主・山内豊雍の三男・西邸山内家初代・山内豊敬(登三郎)付きを務め、その後、藩の勘定奉行や御軍備御用等をも務め、大阪詰や江戸にも赴いちょります。書字に優れ、顔真卿(がんし [続きを読む]
  • 若一王子宮 - 鎌倉時代に紀州の熊野大社から勧請されたと伝わる
  • [ 高知県高知県高知市山ノ端町 ]高知市小高坂地区の鎮守産土神になる若一王子宮さんです。 御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。 沿革(省略)・・・勧請の年月等は神社明細帳では不詳としてありますが、鎌倉時代に紀州の熊野大社から勧請されたものと云われています。本殿には若一王子宮の本来の姿である「天照皇大神」御一神を祭祀し、一般の神社のように、外の神様は合祀してないのが特色です。「古事記は日本、 [続きを読む]
  • 浅尾沈下橋 - 仁淀川河口から三番目に架かる沈下橋
  • [ 高知県高岡郡越知町浅尾・鎌井田本村鎌井田 ... ]写真の県道18号・伊野仁淀線の右方面が高知市内、左は越知町から仁淀川村方面になるがですが、仁淀川に架かる橋の手前を右折して鎌井田へ。此処までのアクセスとしたら、高知道を経由して県外から来られる場合は、伊野ICからじゃと約30km程。また、列車じゃと土讃線のJR佐川駅から、車で20分前後じゃないかと思いますが・・・・・。 橋の手前を右折して約0.4Km辺りから見た浅 [続きを読む]
  • 高岳親王塚 - 平城天皇の第3皇子で出家し空海の十大弟子の1人に
  • [ 高知県土佐市高岡町 ]土佐市の北側にある清滝山の中腹に四国霊場第35番札所・清滝寺があるがですが、参道を上り詰めた清滝寺寺域内の左側に鬱蒼とした木々の繁る「不入の森」とされる小高い丘があり、「高知県史跡 高岳親王塚」と言う石碑が建てられちょります。前回投稿した、松尾八幡宮の記事でも書いた貞観3年(861)に土佐・高岡に来た人皇第51代・平城天皇の第3皇子・高岳親王の逆修塔(生前に自分の死後の冥福を祈るため [続きを読む]
  • 大黒元衛門清勝 - 無双直伝英信流正統第11代宗家、先祖は杓田城城主
  • [ 高知県高知市 ]先祖は、長宗我部家第6代・長宗我部満幸の五男が大黒氏を名乗った家系で、以前ご紹介しちょります大黒宗哲勝正は曾祖父になるがです。大黒宗哲勝正 - 先祖は長宗我部家臣・杓田城主 2013.06.11大黒宗哲勝正の次男で祖父になる馬廻百五十石・大黒文之丞衡勝が別家召出され御扈従二百石となり、嫡子で父になる大黒文之丞好勝が跡を継ぎ大目付を務め百石加増されちょります。大黒宗哲勝正は、大黒文之丞好勝の三 [続きを読む]
  • 片岡の茶園堂 - 戦国時代、14代片岡光綱によって設けられる
  • [ 高知県高岡郡越知町片岡 ... ]場所は、以前に御紹介しちょりますが同じ越知町片岡にある片岡の沈下橋の直ぐ傍の、県道18号・伊野仁淀線の道路脇に、この茶園堂はあるがです。片岡沈下橋 - 仁淀川 2012.02.15 茶園堂と盆踊り寺野城(黒岩郷)城主13代片岡茂光は、善政を施し城下に茶園堂を設けて、領民をして湯茶の接待をさせ、通行する旅人を慰労した。そして、茶園堂に領民を集わせ、盛大な盆踊り会を催した。14代片岡光綱 [続きを読む]
  • 板垣退助謫居の地 - 安政3年喧嘩がもとでこの地に謹慎蟄居
  • [ 高知県高知市上町二丁目 ]板垣退助の生誕地とされる高知市内本町にある高野寺から、南西の方角に直線距離で約3Kmの現・神田(こうだ)に、板垣退助が「城下四ケ村禁足」と言う処分を受け、4年間謫居しちょった場所じゃという碑が建てられちょります。板垣死すとも、自由は死せず - 板垣退助誕生地 2008.12.17 安政三年八月二十歳の乾退助は 不作法の挙動により 同六年五月まで 城下並びに四ヶ村禁足処分を受けたこの地は [続きを読む]
  • 森本磯衛 - 戊辰戦争に迅衝隊・砲隊士として従軍し白川で病死
  • [ 高知県高知市 ]戊辰戦争・会津戦に東山道御親征先鋒総督軍(土佐藩)の主力部隊・迅衝隊の砲隊士として従軍しちょりますが、明治元年10月5日に白河駅で病死し、福島県白河市の長寿院に眠っちょります。長寿院西軍墓地 2 - 故郷遠き白河に眠る土佐藩兵18名 2016.06.29 このお墓は、遺髪墓ながです。明治記元 戊辰四月 奥州出陣 同十月五日 開戦節於白川陣病死 同処葬 長寿院 以遺髪招魂 行年二十歳明治元年の戊辰の年の [続きを読む]
  • 佐田神社 - 龍馬の家の近くにある恵比寿さん
  • [ 高知県高知市上町二丁目 ]上町2丁目にある城西館さんから電車通りを挟んだ北側のビルの合間に、赤い鳥居を潜り約十段ほどの石段を上ると、畳3畳ほどの広さの境内にお堂がある佐田神社が鎮座しちょります。此処は、エビスさん(恵比寿様)。余談じゃけんど、赤い鳥居言うたら、お稲荷さんのイメージが強いけんど、赤(朱)の原料は水銀=丹ですき、木材を守る防腐剤の意味合いもあるけんど、古来から災厄を防ぐ色と言う意味で [続きを読む]
  • 立田天神 - 菅原道真と長男・高視朝臣の乳母を祀る天神さん 
  • [ 高知県南国市立田 ]「立田天神」の立田の読みは、「たつた」じゃのうて、「たてた」と読みますが、天神とあるように、菅原道真を祀る天神さんです。 延喜の昔 菅原高視朝臣の乳母某 菅公遺愛の八重の白梅一株を奉持し 土佐権守で当国潮江の里にお座せる高視朝臣の許へ下向の途中 当地で病死せられた 此処が其の御墓所だと伝えられている 【 参考・引用 】  石碑の碑文より菅原道真は、第59代・宇多天皇に重用されて [続きを読む]
  • 須崎城址 - 三つの峰からなる山城で元親の三男・津野孫次郎親忠の居城
  • [ 高知県須崎市 ]須崎城は、JR須崎駅のある須崎港の西側に南北に連なる三峰を称する城址で、地図じゃ城山と記載されちょりますが、地元じゃ古城山とも呼んじょります。 JR須崎駅の連絡橋から見た須崎城址で、左側が南になるがです。JR須崎駅の南側にある船溜まりから見た須崎城で、右側の山は桑田山(そうだやま)。 須崎湾の北側にある三つの峰からなる山城で、南の峰を鰯振城(鰯招城)、中の峰を犬帰城(犬戻城)、主郭のあ [続きを読む]
  • 西之寺観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場第8番
  • [ 高知県南国市岡豊町常通寺島 ]後で分かったことじゃけんど、県道252線の方から参道のような道があったけんど、この時にゃ気づかず周辺をうろうろ探し回り、 見つけたがは西之寺の西側を流れるこんまい用水沿いの裏口から入ったようながです・・・・・。用水路に架かるコンクリートの橋を渡った裏口からの境内右側にゃ、お地蔵さんが並んじょりました。 境内にゃ、写真の観音堂しか無いけんど、実は此処は、長宗我部氏の菩提寺 [続きを読む]
  • 野田城址 - 一条氏との戦い後、野田甚左衛門改め宿毛甚左衛門と名乗る
  • [ 高知県南国市下野田 ] 周辺は宅地と水田の広がる一角に、城八幡が祀られちゅう野田城址はあるがです。詳細は分からんけんど、ここ等が詰めだったがでしょうか・・・・・。右側の道路脇に、「野田城跡」の案内板があった。 野田城大将軍の宮の邊(辺)りにあり、秦(長宗我部)の国親支城也。城主野田甚左衛門、之を監す。野田氏の世系詳かならず。【 参考・引用 】  『土佐古城略史 全』 宮地森城・著将軍神社 - 変わっ [続きを読む]
  • 川原塚茂太郎 - 坂本龍馬の義兄で土佐勤王党には11番目に加盟
  • [ 高知県高知市 ]ブログ再開の最初の記事は、やはり坂本龍馬に関わりのある義兄・川原塚茂太郎ですき。川原塚茂太郎(かわらづか もたろう)は、文政13年(1830)に高知城下南奉公人町(現・高知市)の土佐藩徒歩格・川原塚重喜の子として生まれ、名は重幸と言うがです。前述で記した義兄と言うのは、坂本龍馬の兄・権平さんの妻・千野さんの弟になるからながです。川原塚茂太郎は、文久元年(1861)に武市瑞山が江戸留学中に土佐勤 [続きを読む]
  • 韮ヶ峠 - 文久2年(1862)3月坂本龍馬此処より土佐を出藩   
  • [ 高知県高岡郡檮原町 ]文久2年(1862)3月、坂本龍馬が土佐を出藩した際に通ったと云う韮ヶ峠(にらがとうげ)は、須崎から標高約400m程の場所に在る梼原迄バスで行き、其処から四万川の上流部になる標高960mまで標高差約560m程を、えっちらおっちら登り詰めた高知県高岡郡檮原町と愛媛県西予市の市町境に位置しちょります。檮原町の維新の門群像 ―(徒歩40分:4km)→宮野々番所跡―(徒歩2時間:8.5km)→茶や?の茶堂―(徒 [続きを読む]
  • 下元西州先生退筆塚 - 死後13年目に下元西州の門人たちが建てる
  • [ 高知県須崎市西町 ]この下元先生退筆塚ちゅうがは、須崎市の四国別格二十霊場第5番札所・大善寺の大師堂の脇に建てられちょります。下元西州塾跡 - 武市瑞山の叔父・鹿持雅澄も門人の一人じゃったと 2014.10.27 この石碑は下元西州の死後13年目の天保14年(1843)に、下元西州の門人じゃった人々によって建てたもので、廃筆を埋めた上にこの石碑が建てられちょるそうです。先生之書 白唐溯晋 特慕右軍 技与道進玩字読文  [続きを読む]
  • 釣船神社 - 御祭神はキスゴ様と呼ばれ熱切りの神様として信仰
  • [  高知県高知市はりまや町3丁目 ]高知城の北を流れる江ノ口川の畔に、元は高知城内の城八幡じゃった高知八幡宮があり、城下の鎮守神として鎮座しちり、その境内社の一つに、釣船神社がありキスゴ様と呼ばれちょります。高知八幡宮 - 元は高知城の城八幡 2011.08.15 キスゴって何?って御思いの方もいるかも・・・・・。魚のキス・シロギスの事じゃと云うたらお分かりかと思いますが、関西から西の地方じゃキスゴと呼ぶ所が多 [続きを読む]
  • 北寺 - 高知県の重要文化財(彫刻)の約1割が此処に安置
  • [ 高知県安芸郡安田町別所 ]土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線の安田駅から県道12号安田東洋線(馬路道)を安田川上流に約6Km程行くと別所という集落があるがです。ちょっと石段を登った先に、素朴な佇まいの北寺があるがです。正式にゃ、真言宗豊山派の寺院で金剛山弘泉院と言い、別名・瑠璃光寺とも呼ばれちょるそうです。何故、北寺と呼ばれるかと云うと、室戸岬の東寺(最御崎寺)、室戸の西寺(金剛頂寺)に対して、両寺 [続きを読む]
  • へんろ標柱 - 五台山・牧野植物園南園のお馬道傍にある標柱
  • [ 高知県高知市五台山・牧野植物園内 ]写真のへんろ標柱のある場所は、第31番札所・五台山竹林寺の東側にある牧野植物園南園のお馬道近くにあるがです。国分寺左手一本指(左・国分寺方向を指す)大島 長屋 婦人会世話人 山崎如何やら、この大島とは、山口県周防大島の事で、そこの長屋地区の婦人会の方々が建てた標柱じゃないかと思われます。時代的にゃ、新しい感じがします。それと場所的に見て、竹林寺を指し示すのであ [続きを読む]
  • 高知城百景 - 第56景 高知市と南国市の境、逢坂峠から見た高知城
  • [ 高知県高知市一宮 ]高知市と南国市の境にある逢坂峠を県道384号線土佐北街道が通っちょりますが、高知市側に峠を越えてちっくと下った所から見た、高知城ながです。標高は約60m、此処から高知城天守閣までは直線距離で約6.3Kmです。因みに、ここから県道384号線土佐北街道を約1Km程下って行くと、土佐一之宮・土佐神社と、四国霊場第30番札所・善楽寺に至るがです。 高いビルにでも上がったら天守閣が見える所はあるろうけん [続きを読む]
  • 土佐名勝地 (須崎)八幡宮境内 - 昭和8年新聞社主催の投票で決まった
  • [ 高知県須崎市西古市町  ]以前にも、宝永の大地震の時に津波で、御神輿が遠く伊豆まで流され、土佐から伊豆まで御神輿を迎えに行った事を御紹介した事のある須崎の八幡さんです。須崎八幡宮 - 宝永の大地震の津波で御神輿が下田に漂着 2010.10.17鳥居右側の木の下に、写真のような碑が建っちょりました。 土佐名勝地 八幡宮境内高知県名勝地推薦投票当選地昭和八年一月 高知日日新聞社此処は、子供の頃の遊び場の一つじゃっ [続きを読む]
  • 菅原高視朝臣 - 父・菅原道真に連座して土佐権守として土佐に左遷
  • [ 高知県高知市北高見町 ]菅原高視は、菅原道真の長男。昌泰4年=延喜元年(901)、左大臣・藤原時平の讒言により醍醐天皇が父・右大臣菅原道真を大宰府へ左遷した昌泰の変で、菅原高視朝臣も連座して土佐権守として京都を追われ土佐に左遷されちょります。昌泰の変昌泰4年(901)1月、左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした [続きを読む]