オンチャン さん プロフィール

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オンチャンさん: 南国土佐へ来てみいや
ハンドル名オンチャン さん
ブログタイトル南国土佐へ来てみいや
ブログURLhttp://nangokutosa.blog47.fc2.com/
サイト紹介文南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
自由文記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供31回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2008/03/12 00:04

オンチャン さんのブログ記事

  • 船上神社 - 長宗我部元親の一條内政の子・千代丸殺害に関わる霊を祭る
  • [ 高知県高知市五台山 ]護国神社のある南側の法師ヶ鼻を東に回ったすんぐの処に、船上神社・久保神社という二つの神社名のある扁額がかかった鳥居があるがです。以前より此処を通る度んびに何じゃろーと思い気にはなっちょた神社ながです。 法師ヶ鼻 - かっては夢窓疎石が選んだ「吸江十景」の一つ泊船岸 2013-10-30 場所的には、ちょうど護国神社社務所の南崖下あたりになるようながです。、 石段を登って行くと、何の変哲も [続きを読む]
  • 竹村東野宅跡付近 - 家老・桐間蔵人に召し抱えられ多くの逸材を輩出
  • [ 高知県香南市のいち町東野 ]以前、竹村東野の墓で簡単に説明を記載しちょりますが、改めて。竹村東野墓 - 塾生に中岡慎太郎・大石圓・宮地宜蔵ら・・・ 2010-08-05竹村東野は、文化元年(1804)に香美郡野市村(現・香南市野市町)に生まれ、名は節之進、字は静夫と言い、東野は号ながです。家業は農業の傍ら瓦の製造をしよったと言う。文政9年(1826)、江戸に出て、儒者・岡萬助に師事し、弱冠にして名を成すに至り、名声は高 [続きを読む]
  • 千松公園の碑 - 土佐十景の一つ
  • [ 高知県高知市種崎 ]浦戸湾口を挟んで、桂浜の対岸・種崎地区にあるのが千松公園じゃがですが、その松林の一角に土佐十景・千松公園の碑が建っちょります。 防風林として植えられた松林ながですが、目の前(南側)の種崎浜は海水浴場となっちょります。 昔は海水浴客で大賑わいしちょったよですが、今は当時のような賑わいは感じられません。下の写真は、当方所持の戦前の絵葉書ながです。 土佐十景とは、大正15年2月に現・高 [続きを読む]
  • 津野神社 - 津野孫次郎親忠公の遺徳を忍び御祭神として祀る
  • [ 高知県須崎市西古市町・須崎八幡宮境内 ]須崎八幡宮の本殿からちょっと東に離れた場所に、この祠はあり、御祭神は津野孫次郎親忠公ながです。なぜ此処に津野神社があるかと言うと、親忠公が埋葬されちょるのは香美市の方じゃけんど、ここ須崎は津野孫次郎親忠公の領地で拠点じゃった事や、祠のある須崎八幡宮は親忠公が修復し鰯振之城(須崎城)の城内鎮護の城八幡の神として祀っちょるからながです。須崎城址 - 三つの峰から [続きを読む]
  • 大石甚吉邸跡 - 堺事件の責めを負わされ4番目に切腹、兄は大石正巳
  • [ 高知県高知市五台山 ]慶応4年(1868)2月15日に起きた泉州堺事件で切腹させられた土佐藩士11名は、外交政策にも無知で横暴極まりない幕府が下した理不尽な処罰の犠牲者とも言える。その一人が、大石甚吉さん。大石甚吉 - 堺事件・四番目に切腹 2015.02.06烈士殉難碑 - 堺事件関係者 2011.02.22 土佐のお墓は、以前ご紹介しちょりますが、今回は邸跡を探してみたがです。 『五臺山誌』 に、下記のような記述がある。大石 [続きを読む]
  • 荒尾幾久弥祐正 - 戊辰戦争鼠ヶ関戦で負傷し帰国も、土佐で亡くなる
  • [ 高知県高知市 ]墓碑にゃ、下記のようにある。明治元年會津役起取道於北陸至越後戦中濱中銃治療敷月創未癒同二年五月〇家同年九月廿七日終為落命享年二五今の山形県と新潟県の日本海に近い県境で、北国街道と羽州浜街道の境になる、鼠ヶ関の戦いで負傷したようです。慶応4年8月23日、長岡城が落ちると新政府軍は北上し、8月23日鼠ヶ関で庄内藩との攻防が始まるがです。そして、9月1日新政府軍は鼠ヶ関に総攻撃をかけちょります [続きを読む]
  • 五台山竹林寺金色院聖天堂 - 土佐西国三十三観音霊場第1番
  • [ 高知県高知市五台山 ]土佐西国三十三観音霊場の第一番は、四国八十八ヶ所霊場・第三十一番札所になる五台山竹林寺にあるがです。本堂・文殊堂の東脇(向かって右側)から、奥に細い参道が続いちょり、鳥居を潜り参道を奥に進むと、聖天堂があるがです。御本尊は千手観音。千本の手と、その手のひらに目がある観音さんで、手のひらの千個の目を通して人々の苦難を見て救いの手を差し伸べてくれるという、ありがたい観音さんな [続きを読む]
  • 香宗城址 - 長宗我部元親の弟・親泰が養子に入り名跡を継ぐ  
  • [ 高知県香南市野市町土居 ]香宗川右岸、香南市野市町土居の周囲に田畑や宅地が広がる一角にある平城で、当時の遺構と思われるものは殆ど無く、辛うじて石碑と城八幡が鎮座しているので、昔、此処に城があったと気付かされる。写真は、南側から撮影。町指定史跡 香宗城址建久四年(1193)宗我部、深淵両郷の地頭職に補され中原秋家の嗣子としてこの地に下った太郎秋通を初代として400年間栄えた土佐の名族・香宗我部氏居城の跡 [続きを読む]
  • 二川元助重遠 - 戊辰戦争・迅衝隊十番隊長、長女は寺田寅彦の妻
  • [ 東京都港区南青山・青山霊園 ]二川元助重遠は、弘化3年(1847)高知城下中島町は土佐藩馬廻役300石・二川周五郎の長男に生まれ、維新後に改名し阪井重季と名乗っちょります。幕末、土佐藩兵小隊長となり上京し、乾退助(板垣退助)を助け討幕に奔走し、藩命に反し山田喜久馬(平左衛門)・山地忠七(元治)・吉松速之助(秀枝)等と伏見に土佐藩の小隊を率い倒幕に立ち上がるがです。山田平左衛門 - 土佐での始祖は山田去暦、その [続きを読む]
  • 三谷寺 弘法院 - 土佐西国三十三観音霊場第3番・千手観音菩薩
  • [ 高知県高知市三谷 ]高知市街地の北に連なる北山の中腹、標高約250mの処に、古くから三谷の集落があるがですが、その集落の上の方にこの三谷寺はあるがです。以前ご紹介しちょりますが、お寺の参道入口傍にゃ、谷干城の別荘跡地が残る場所ながです。谷干城別荘跡 - 北山の三谷集落で晩年を過ごした別荘跡 2015.12.23 秦泉寺から三谷へは、谷川沿いに山道が続き道沿いにゃ西国三十三観音石像が並んじょりましたが、今は如何な [続きを読む]
  • 大津天竺城址 - 城主は土佐守護・細川氏一族、天竺右近花氏
  • [ 高知県高知市大津 ]写真は、とさでん交通御免線の清和学園前電停の直ぐ西側にある、大津天竺城址の石碑と登り口ながです。大津天竺城址は、直ぐ北を東西に流れる舟入川の南面の丘陵に築かれちょります。 大津天竺城址足利の世、土佐の守護代細川氏の一族、天竺右近花氏(てんじくうこんはなうじ)が居城したところで天竺城と呼ばれtあ。応仁の乱で細川氏の後だてを失いその姿を史上から没し去るが落城については諸説があり詳 [続きを読む]
  • へんろ標柱 - 禅師峰寺から西約1kmに建つ角柱の標柱
  • [ 高知県南国市十市丸山 ]時代的にゃ、近年に建てられちゅう標柱じゃと思われます。へんろ道両方向に一本指差し三十三番 興福寺浜田きか建三十二番 峯寺三十二番 峯寺とは八葉山 求聞持院 禅師峰寺の事で、三十三番 興福寺は雪蹊寺の事で、正式にゃ高福山 高福院 雪蹊寺と言うがです。唯、雪蹊寺の事を興福寺と言うのを聞いた事がないけんど、考えられるのは、元々、空海(弘法大師)が開基した時は真言宗の少林山 高福寺 [続きを読む]
  • 浜口雄幸旧邸 - ライオン宰相と呼ばれ第27代内閣総理大臣を務める
  • [ 高知県安芸郡田野町 ... ]簡単に、浜口雄幸に関する記事は、これまでにも何度か掲載しちょりますが、大蔵大臣や内務大臣を務め、第27代内閣総理大臣にもなりその風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた郷土の偉人ながです。昭和5年(1930)11月14日、岡山県浅口市で行われる陸軍の演習の視察と、昭和天皇の行幸への付き添いの為列車に乗車しようとした東京駅のホームにて、至近距離から銃撃されるも一命を取り留めるが、翌年、退 [続きを読む]
  • 別府安宜 - 武市瑞山の叔母婿・国学者の鹿持雅澄の鹿門十晢の一人
  • [ 高知県高知市 ]別府と書いて、普通は「べっぷ」と読むろーけんど、土佐の姓の読みは「べふ」と読みます。別府安宜(べふ やすのぶ)、通称・隆平は寛政3年(1791)御小姓格・別府文五郎信胤の長男に生まれ、家督を継いで文化12年に土佐藩第9代藩主・山内豊雍の三男・西邸山内家初代・山内豊敬(登三郎)付きを務め、その後、藩の勘定奉行や御軍備御用等をも務め、大阪詰や江戸にも赴いちょります。書字に優れ、顔真卿(がんし [続きを読む]
  • 若一王子宮 - 鎌倉時代に紀州の熊野大社から勧請されたと伝わる
  • [ 高知県高知県高知市山ノ端町 ]高知市小高坂地区の鎮守産土神になる若一王子宮さんです。 御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。 沿革(省略)・・・勧請の年月等は神社明細帳では不詳としてありますが、鎌倉時代に紀州の熊野大社から勧請されたものと云われています。本殿には若一王子宮の本来の姿である「天照皇大神」御一神を祭祀し、一般の神社のように、外の神様は合祀してないのが特色です。「古事記は日本、 [続きを読む]
  • 浅尾沈下橋 - 仁淀川河口から三番目に架かる沈下橋
  • [ 高知県高岡郡越知町浅尾・鎌井田本村鎌井田 ... ]写真の県道18号・伊野仁淀線の右方面が高知市内、左は越知町から仁淀川村方面になるがですが、仁淀川に架かる橋の手前を右折して鎌井田へ。此処までのアクセスとしたら、高知道を経由して県外から来られる場合は、伊野ICからじゃと約30km程。また、列車じゃと土讃線のJR佐川駅から、車で20分前後じゃないかと思いますが・・・・・。 橋の手前を右折して約0.4Km辺りから見た浅 [続きを読む]
  • 高岳親王塚 - 平城天皇の第3皇子で出家し空海の十大弟子の1人に
  • [ 高知県土佐市高岡町 ]土佐市の北側にある清滝山の中腹に四国霊場第35番札所・清滝寺があるがですが、参道を上り詰めた清滝寺寺域内の左側に鬱蒼とした木々の繁る「不入の森」とされる小高い丘があり、「高知県史跡 高岳親王塚」と言う石碑が建てられちょります。前回投稿した、松尾八幡宮の記事でも書いた貞観3年(861)に土佐・高岡に来た人皇第51代・平城天皇の第3皇子・高岳親王の逆修塔(生前に自分の死後の冥福を祈るため [続きを読む]
  • 大黒元衛門清勝 - 無双直伝英信流正統第11代宗家、先祖は杓田城城主
  • [ 高知県高知市 ]先祖は、長宗我部家第6代・長宗我部満幸の五男が大黒氏を名乗った家系で、以前ご紹介しちょります大黒宗哲勝正は曾祖父になるがです。大黒宗哲勝正 - 先祖は長宗我部家臣・杓田城主 2013.06.11大黒宗哲勝正の次男で祖父になる馬廻百五十石・大黒文之丞衡勝が別家召出され御扈従二百石となり、嫡子で父になる大黒文之丞好勝が跡を継ぎ大目付を務め百石加増されちょります。大黒宗哲勝正は、大黒文之丞好勝の三 [続きを読む]
  • 片岡の茶園堂 - 戦国時代、14代片岡光綱によって設けられる
  • [ 高知県高岡郡越知町片岡 ... ]場所は、以前に御紹介しちょりますが同じ越知町片岡にある片岡の沈下橋の直ぐ傍の、県道18号・伊野仁淀線の道路脇に、この茶園堂はあるがです。片岡沈下橋 - 仁淀川 2012.02.15 茶園堂と盆踊り寺野城(黒岩郷)城主13代片岡茂光は、善政を施し城下に茶園堂を設けて、領民をして湯茶の接待をさせ、通行する旅人を慰労した。そして、茶園堂に領民を集わせ、盛大な盆踊り会を催した。14代片岡光綱 [続きを読む]
  • 板垣退助謫居の地 - 安政3年喧嘩がもとでこの地に謹慎蟄居
  • [ 高知県高知市上町二丁目 ]板垣退助の生誕地とされる高知市内本町にある高野寺から、南西の方角に直線距離で約3Kmの現・神田(こうだ)に、板垣退助が「城下四ケ村禁足」と言う処分を受け、4年間謫居しちょった場所じゃという碑が建てられちょります。板垣死すとも、自由は死せず - 板垣退助誕生地 2008.12.17 安政三年八月二十歳の乾退助は 不作法の挙動により 同六年五月まで 城下並びに四ヶ村禁足処分を受けたこの地は [続きを読む]
  • 森本磯衛 - 戊辰戦争に迅衝隊・砲隊士として従軍し白川で病死
  • [ 高知県高知市 ]戊辰戦争・会津戦に東山道御親征先鋒総督軍(土佐藩)の主力部隊・迅衝隊の砲隊士として従軍しちょりますが、明治元年10月5日に白河駅で病死し、福島県白河市の長寿院に眠っちょります。長寿院西軍墓地 2 - 故郷遠き白河に眠る土佐藩兵18名 2016.06.29 このお墓は、遺髪墓ながです。明治記元 戊辰四月 奥州出陣 同十月五日 開戦節於白川陣病死 同処葬 長寿院 以遺髪招魂 行年二十歳明治元年の戊辰の年の [続きを読む]