オンチャン さん プロフィール

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オンチャンさん: 南国土佐へ来てみいや
ハンドル名オンチャン さん
ブログタイトル南国土佐へ来てみいや
ブログURLhttp://nangokutosa.blog47.fc2.com/
サイト紹介文南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
自由文記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2008/03/12 00:04

オンチャン さんのブログ記事

  • 五台山竹林寺金色院聖天堂 - 土佐西国三十三観音霊場第1番
  • [ 高知県高知市五台山 ]土佐西国三十三観音霊場の第一番は、四国八十八ヶ所霊場・第三十一番札所になる五台山竹林寺にあるがです。本堂・文殊堂の東脇(向かって右側)から、奥に細い参道が続いちょり、鳥居を潜り参道を奥に進むと、聖天堂があるがです。御本尊は千手観音。千本の手と、その手のひらに目がある観音さんで、手のひらの千個の目を通して人々の苦難を見て救いの手を差し伸べてくれるという、ありがたい観音さんな [続きを読む]
  • 香宗城址 - 長宗我部元親の弟・親泰が養子に入り名跡を継ぐ  
  • [ 高知県香南市野市町土居 ]香宗川右岸、香南市野市町土居の周囲に田畑や宅地が広がる一角にある平城で、当時の遺構と思われるものは殆ど無く、辛うじて石碑と城八幡が鎮座しているので、昔、此処に城があったと気付かされる。写真は、南側から撮影。町指定史跡 香宗城址建久四年(1193)宗我部、深淵両郷の地頭職に補され中原秋家の嗣子としてこの地に下った太郎秋通を初代として400年間栄えた土佐の名族・香宗我部氏居城の跡 [続きを読む]
  • 二川元助重遠 - 戊辰戦争・迅衝隊十番隊長、長女は寺田寅彦の妻
  • [ 東京都港区南青山・青山霊園 ]二川元助重遠は、弘化3年(1847)高知城下中島町は土佐藩馬廻役300石・二川周五郎の長男に生まれ、維新後に改名し阪井重季と名乗っちょります。幕末、土佐藩兵小隊長となり上京し、乾退助(板垣退助)を助け討幕に奔走し、藩命に反し山田喜久馬(平左衛門)・山地忠七(元治)・吉松速之助(秀枝)等と伏見に土佐藩の小隊を率い倒幕に立ち上がるがです。山田平左衛門 - 土佐での始祖は山田去暦、その [続きを読む]
  • 三谷寺 弘法院 - 土佐西国三十三観音霊場第3番・千手観音菩薩
  • [ 高知県高知市三谷 ]高知市街地の北に連なる北山の中腹、標高約250mの処に、古くから三谷の集落があるがですが、その集落の上の方にこの三谷寺はあるがです。以前ご紹介しちょりますが、お寺の参道入口傍にゃ、谷干城の別荘跡地が残る場所ながです。谷干城別荘跡 - 北山の三谷集落で晩年を過ごした別荘跡 2015.12.23 秦泉寺から三谷へは、谷川沿いに山道が続き道沿いにゃ西国三十三観音石像が並んじょりましたが、今は如何な [続きを読む]
  • 大津天竺城址 - 城主は土佐守護・細川氏一族、天竺右近花氏
  • [ 高知県高知市大津 ]写真は、とさでん交通御免線の清和学園前電停の直ぐ西側にある、大津天竺城址の石碑と登り口ながです。大津天竺城址は、直ぐ北を東西に流れる舟入川の南面の丘陵に築かれちょります。 大津天竺城址足利の世、土佐の守護代細川氏の一族、天竺右近花氏(てんじくうこんはなうじ)が居城したところで天竺城と呼ばれtあ。応仁の乱で細川氏の後だてを失いその姿を史上から没し去るが落城については諸説があり詳 [続きを読む]
  • へんろ標柱 - 禅師峰寺から西約1kmに建つ角柱の標柱
  • [ 高知県南国市十市丸山 ]時代的にゃ、近年に建てられちゅう標柱じゃと思われます。へんろ道両方向に一本指差し三十三番 興福寺浜田きか建三十二番 峯寺三十二番 峯寺とは八葉山 求聞持院 禅師峰寺の事で、三十三番 興福寺は雪蹊寺の事で、正式にゃ高福山 高福院 雪蹊寺と言うがです。唯、雪蹊寺の事を興福寺と言うのを聞いた事がないけんど、考えられるのは、元々、空海(弘法大師)が開基した時は真言宗の少林山 高福寺 [続きを読む]
  • 浜口雄幸旧邸 - ライオン宰相と呼ばれ第27代内閣総理大臣を務める
  • [ 高知県安芸郡田野町 ... ]簡単に、浜口雄幸に関する記事は、これまでにも何度か掲載しちょりますが、大蔵大臣や内務大臣を務め、第27代内閣総理大臣にもなりその風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた郷土の偉人ながです。昭和5年(1930)11月14日、岡山県浅口市で行われる陸軍の演習の視察と、昭和天皇の行幸への付き添いの為列車に乗車しようとした東京駅のホームにて、至近距離から銃撃されるも一命を取り留めるが、翌年、退 [続きを読む]
  • 別府安宜 - 武市瑞山の叔母婿・国学者の鹿持雅澄の鹿門十晢の一人
  • [ 高知県高知市 ]別府と書いて、普通は「べっぷ」と読むろーけんど、土佐の姓の読みは「べふ」と読みます。別府安宜(べふ やすのぶ)、通称・隆平は寛政3年(1791)御小姓格・別府文五郎信胤の長男に生まれ、家督を継いで文化12年に土佐藩第9代藩主・山内豊雍の三男・西邸山内家初代・山内豊敬(登三郎)付きを務め、その後、藩の勘定奉行や御軍備御用等をも務め、大阪詰や江戸にも赴いちょります。書字に優れ、顔真卿(がんし [続きを読む]
  • 若一王子宮 - 鎌倉時代に紀州の熊野大社から勧請されたと伝わる
  • [ 高知県高知県高知市山ノ端町 ]高知市小高坂地区の鎮守産土神になる若一王子宮さんです。 御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。 沿革(省略)・・・勧請の年月等は神社明細帳では不詳としてありますが、鎌倉時代に紀州の熊野大社から勧請されたものと云われています。本殿には若一王子宮の本来の姿である「天照皇大神」御一神を祭祀し、一般の神社のように、外の神様は合祀してないのが特色です。「古事記は日本、 [続きを読む]
  • 浅尾沈下橋 - 仁淀川河口から三番目に架かる沈下橋
  • [ 高知県高岡郡越知町浅尾・鎌井田本村鎌井田 ... ]写真の県道18号・伊野仁淀線の右方面が高知市内、左は越知町から仁淀川村方面になるがですが、仁淀川に架かる橋の手前を右折して鎌井田へ。此処までのアクセスとしたら、高知道を経由して県外から来られる場合は、伊野ICからじゃと約30km程。また、列車じゃと土讃線のJR佐川駅から、車で20分前後じゃないかと思いますが・・・・・。 橋の手前を右折して約0.4Km辺りから見た浅 [続きを読む]
  • 高岳親王塚 - 平城天皇の第3皇子で出家し空海の十大弟子の1人に
  • [ 高知県土佐市高岡町 ]土佐市の北側にある清滝山の中腹に四国霊場第35番札所・清滝寺があるがですが、参道を上り詰めた清滝寺寺域内の左側に鬱蒼とした木々の繁る「不入の森」とされる小高い丘があり、「高知県史跡 高岳親王塚」と言う石碑が建てられちょります。前回投稿した、松尾八幡宮の記事でも書いた貞観3年(861)に土佐・高岡に来た人皇第51代・平城天皇の第3皇子・高岳親王の逆修塔(生前に自分の死後の冥福を祈るため [続きを読む]
  • 大黒元衛門清勝 - 無双直伝英信流正統第11代宗家、先祖は杓田城城主
  • [ 高知県高知市 ]先祖は、長宗我部家第6代・長宗我部満幸の五男が大黒氏を名乗った家系で、以前ご紹介しちょります大黒宗哲勝正は曾祖父になるがです。大黒宗哲勝正 - 先祖は長宗我部家臣・杓田城主 2013.06.11大黒宗哲勝正の次男で祖父になる馬廻百五十石・大黒文之丞衡勝が別家召出され御扈従二百石となり、嫡子で父になる大黒文之丞好勝が跡を継ぎ大目付を務め百石加増されちょります。大黒宗哲勝正は、大黒文之丞好勝の三 [続きを読む]
  • 片岡の茶園堂 - 戦国時代、14代片岡光綱によって設けられる
  • [ 高知県高岡郡越知町片岡 ... ]場所は、以前に御紹介しちょりますが同じ越知町片岡にある片岡の沈下橋の直ぐ傍の、県道18号・伊野仁淀線の道路脇に、この茶園堂はあるがです。片岡沈下橋 - 仁淀川 2012.02.15 茶園堂と盆踊り寺野城(黒岩郷)城主13代片岡茂光は、善政を施し城下に茶園堂を設けて、領民をして湯茶の接待をさせ、通行する旅人を慰労した。そして、茶園堂に領民を集わせ、盛大な盆踊り会を催した。14代片岡光綱 [続きを読む]
  • 板垣退助謫居の地 - 安政3年喧嘩がもとでこの地に謹慎蟄居
  • [ 高知県高知市上町二丁目 ]板垣退助の生誕地とされる高知市内本町にある高野寺から、南西の方角に直線距離で約3Kmの現・神田(こうだ)に、板垣退助が「城下四ケ村禁足」と言う処分を受け、4年間謫居しちょった場所じゃという碑が建てられちょります。板垣死すとも、自由は死せず - 板垣退助誕生地 2008.12.17 安政三年八月二十歳の乾退助は 不作法の挙動により 同六年五月まで 城下並びに四ヶ村禁足処分を受けたこの地は [続きを読む]
  • 森本磯衛 - 戊辰戦争に迅衝隊・砲隊士として従軍し白川で病死
  • [ 高知県高知市 ]戊辰戦争・会津戦に東山道御親征先鋒総督軍(土佐藩)の主力部隊・迅衝隊の砲隊士として従軍しちょりますが、明治元年10月5日に白河駅で病死し、福島県白河市の長寿院に眠っちょります。長寿院西軍墓地 2 - 故郷遠き白河に眠る土佐藩兵18名 2016.06.29 このお墓は、遺髪墓ながです。明治記元 戊辰四月 奥州出陣 同十月五日 開戦節於白川陣病死 同処葬 長寿院 以遺髪招魂 行年二十歳明治元年の戊辰の年の [続きを読む]
  • 佐田神社 - 龍馬の家の近くにある恵比寿さん
  • [ 高知県高知市上町二丁目 ]上町2丁目にある城西館さんから電車通りを挟んだ北側のビルの合間に、赤い鳥居を潜り約十段ほどの石段を上ると、畳3畳ほどの広さの境内にお堂がある佐田神社が鎮座しちょります。此処は、エビスさん(恵比寿様)。余談じゃけんど、赤い鳥居言うたら、お稲荷さんのイメージが強いけんど、赤(朱)の原料は水銀=丹ですき、木材を守る防腐剤の意味合いもあるけんど、古来から災厄を防ぐ色と言う意味で [続きを読む]
  • 立田天神 - 菅原道真と長男・高視朝臣の乳母を祀る天神さん 
  • [ 高知県南国市立田 ]「立田天神」の立田の読みは、「たつた」じゃのうて、「たてた」と読みますが、天神とあるように、菅原道真を祀る天神さんです。 延喜の昔 菅原高視朝臣の乳母某 菅公遺愛の八重の白梅一株を奉持し 土佐権守で当国潮江の里にお座せる高視朝臣の許へ下向の途中 当地で病死せられた 此処が其の御墓所だと伝えられている 【 参考・引用 】  石碑の碑文より菅原道真は、第59代・宇多天皇に重用されて [続きを読む]
  • 須崎城址 - 三つの峰からなる山城で元親の三男・津野孫次郎親忠の居城
  • [ 高知県須崎市 ]須崎城は、JR須崎駅のある須崎港の西側に南北に連なる三峰を称する城址で、地図じゃ城山と記載されちょりますが、地元じゃ古城山とも呼んじょります。 JR須崎駅の連絡橋から見た須崎城址で、左側が南になるがです。JR須崎駅の南側にある船溜まりから見た須崎城で、右側の山は桑田山(そうだやま)。 須崎湾の北側にある三つの峰からなる山城で、南の峰を鰯振城(鰯招城)、中の峰を犬帰城(犬戻城)、主郭のあ [続きを読む]
  • 西之寺観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場第8番
  • [ 高知県南国市岡豊町常通寺島 ]後で分かったことじゃけんど、県道252線の方から参道のような道があったけんど、この時にゃ気づかず周辺をうろうろ探し回り、 見つけたがは西之寺の西側を流れるこんまい用水沿いの裏口から入ったようながです・・・・・。用水路に架かるコンクリートの橋を渡った裏口からの境内右側にゃ、お地蔵さんが並んじょりました。 境内にゃ、写真の観音堂しか無いけんど、実は此処は、長宗我部氏の菩提寺 [続きを読む]
  • 野田城址 - 一条氏との戦い後、野田甚左衛門改め宿毛甚左衛門と名乗る
  • [ 高知県南国市下野田 ] 周辺は宅地と水田の広がる一角に、城八幡が祀られちゅう野田城址はあるがです。詳細は分からんけんど、ここ等が詰めだったがでしょうか・・・・・。右側の道路脇に、「野田城跡」の案内板があった。 野田城大将軍の宮の邊(辺)りにあり、秦(長宗我部)の国親支城也。城主野田甚左衛門、之を監す。野田氏の世系詳かならず。【 参考・引用 】  『土佐古城略史 全』 宮地森城・著将軍神社 - 変わっ [続きを読む]
  • 川原塚茂太郎 - 坂本龍馬の義兄で土佐勤王党には11番目に加盟
  • [ 高知県高知市 ]ブログ再開の最初の記事は、やはり坂本龍馬に関わりのある義兄・川原塚茂太郎ですき。川原塚茂太郎(かわらづか もたろう)は、文政13年(1830)に高知城下南奉公人町(現・高知市)の土佐藩徒歩格・川原塚重喜の子として生まれ、名は重幸と言うがです。前述で記した義兄と言うのは、坂本龍馬の兄・権平さんの妻・千野さんの弟になるからながです。川原塚茂太郎は、文久元年(1861)に武市瑞山が江戸留学中に土佐勤 [続きを読む]
  • 韮ヶ峠 - 文久2年(1862)3月坂本龍馬此処より土佐を出藩   
  • [ 高知県高岡郡檮原町 ]文久2年(1862)3月、坂本龍馬が土佐を出藩した際に通ったと云う韮ヶ峠(にらがとうげ)は、須崎から標高約400m程の場所に在る梼原迄バスで行き、其処から四万川の上流部になる標高960mまで標高差約560m程を、えっちらおっちら登り詰めた高知県高岡郡檮原町と愛媛県西予市の市町境に位置しちょります。檮原町の維新の門群像 ―(徒歩40分:4km)→宮野々番所跡―(徒歩2時間:8.5km)→茶や?の茶堂―(徒 [続きを読む]
  • 下元西州先生退筆塚 - 死後13年目に下元西州の門人たちが建てる
  • [ 高知県須崎市西町 ]この下元先生退筆塚ちゅうがは、須崎市の四国別格二十霊場第5番札所・大善寺の大師堂の脇に建てられちょります。下元西州塾跡 - 武市瑞山の叔父・鹿持雅澄も門人の一人じゃったと 2014.10.27 この石碑は下元西州の死後13年目の天保14年(1843)に、下元西州の門人じゃった人々によって建てたもので、廃筆を埋めた上にこの石碑が建てられちょるそうです。先生之書 白唐溯晋 特慕右軍 技与道進玩字読文  [続きを読む]