ハル さん プロフィール

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ハルさん: 金田治のスケッチ日記
ハンドル名ハル さん
ブログタイトル金田治のスケッチ日記
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/onbi99
サイト紹介文裸婦スケッチを元に詩や物語を織り込んだ絵作りを楽しんでいます。
自由文絵に様々な陰影を与える物語を感じながら鑑賞する絵を求めて自作の絵画やエスキースを載せています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供93回 / 365日(平均1.8回/週) - 参加 2008/04/08 15:16

ハル さんのブログ記事

  • 最近のクロッキー173 絵の上手いとは
  • 最近のクロッキー173 絵の上手いとは前回、『絵の上手い下手は物語としての「絵画」の面白いかとは別物』と述べましたが、「絵」は下手で良いのだというのではありません。文章を書く時に言葉を選ぶように、内容に対して的確な「絵」の表現を選ぶべきです。丁寧であるとか、主体的であるとか、謙譲のつつましさを持たせるとか、時に漢語的な形式ばった様式や時にはくつろいだ口語やタメ語のような柔軟な「絵」を使うといった [続きを読む]
  • 最近のクロッキー173  「絵」と「絵画」
  • 最近のクロッキー173  「絵」と「絵画」あけましておめでとうございます。年頭ですので改めて絵画の本質問題を考えてみます。皆さまにも実りの多い年となりますように祈っております。さて、「絵」と「絵画」とは同じでしょうか。「絵」は対象を五感を通して捉えられるように、視覚的に対象化した仮象を作ります。「絵画」はその「絵」を言葉として文章化したものです。絵画は画面全体に展開する世界で、そこには鳥がさえずり、木 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー172 「絵」と「図」その5
  • 最近のクロッキー172 「絵」と「図」その5美意識は「美術」の根本的な動機です。美しさを感じるものを作ろうとするのは人間の欲望であり、本能です。多様な用途や要請の中で造形される建築などでは、様々な造形物を切り捨てることによって「美」を作り出すこともあります。時として絵画は建築においては無用であるか、建築の目的からは演繹されないことはありえます。絵画は虚構ですから、実用にのみ価値を見出す建築が多くあるの [続きを読む]
  • 最近のクロッキー171 「絵」と「図」その4
  • 最近のクロッキー171 「絵」と「図」その4元気な花の絵があっても、元気が対象とされた絵はありません。優しいリンゴの絵があっても、優しさを対象とした絵はありません。それに対し、元気な模様や優しさをテーマにした色彩やデザインなどは「美術」の基本であるといえるほどに一般の美術の姿です。「絵」も「美術」の一部なので元気な絵や優しさを目的とする絵はありますが、そうした画面上の美術の「表現」をもって即「絵」とは [続きを読む]
  • 最近のクロッキー170 「絵」と「図」その3
  • 最近のクロッキー170 「絵」と「図」その3「絵」と「図」についての問題をわかりにくくしているのは20世紀的な問題です。20世紀の文化は英語圏の言葉の概念によって先導され、それまでの概念が大きくゆがみました。英語圏は絵画については多くの伝統を持ちませんでしたし、「画論」のような専門的な理論書や議論の伝統を持ちませんでしたから、「ペインティング」だの「ドローイング」だの「アート」だのの土着のプリミティブな概 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー169 「絵」と「図」2
  • 最近のクロッキー169 「絵」と「図」その2「絵」と「図」の成立を考えてみると、「絵」は対象から直接受けた五感の印象を伝えようとしたところから生まれます。対象を見る人が主体となって主観的な印象すなわち感性がそのまま反映されます。ある人は太陽は赤だといい、ある人は黄色だと、また白だということになります。しかし、「図」は伝達の手段ですので、共通の概念を描きます。共通であるためには、言語と同じ受け手との共通 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー168 「絵」と「図」
  • 最近のクロッキー168 「絵」と「図」様々にとり散らかった部屋の片づけなどをしていたら、いくつかのメモが出てきました。年末の総括として記しておきます。最近日本語の不備に気づきました。現在の日本語には「絵」に関してのしかっりと説明する言葉がなく、「絵」「画」「図」「挿絵」「絵画」などほとんど定義もなく漠然と使いまわしています。特に20世紀の美術になってくると無規定も甚だしい。無規定であることをもってアート [続きを読む]
  • 最近のクロッキー167 暮れの木枯らし
  • 最近のクロッキー167 暮れの木枯らし美術史というとすぐに絵の歴史が説明されます。そして20世紀の美術となると模様であれ立体であれ形を成したものすべてに創作の意図があるとアートといわれ、絵の歴史を発展展開したもののように語られます。実のところは、理解しがたい絵の魅力よりも多くの人が感じ取りやすい物質的な創作の魅力に席を譲ったということなのでしょう。多くの人がそうした20世紀の美術やデザインで満足して [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 166
  • 最近のクロッキー 166 12月も中旬にいたり、今年もあとわずかです。今年は「英国の夢 ラファエル前派展」から始まり、「カラヴァッジョ展」、「ボッティチェリ展」、「ルノワール展」、「ヴェネツィア・ルネッサンスの巨匠たち展」と大規模な名品展が続きました。展覧会の鑑賞は盛んで多くの人が訪れ、絵画の面白さを味わったのでしょうが、一向にそうした画家は現れません。音楽の世界でもラップだのロックだのすぐにクリ [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 165 「平安古筆の名品」展2
  • 最近のクロッキー 165 「平安古筆の名品」展2西洋は量感的で日本は線的な文化といいますが、単にメディアの違いだったように思えます。線的な表現の美術は西洋はクラーナハ展でも観たように、日本独自のものではありません。できるだけ多くの情報を多くの人に配るには線的な表現が有利です。そのような位置にある浮世絵の線と我が国の書における線とでは線の意味が全く違います。ともに線的な美を追及したものですが、浮世 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 164 「平安古筆の名品」展
  • 最近のクロッキー 164 「平安古筆の名品」展飯島春敬の観た珠玉の作品と副題がありますが、正に名品ぞろいの展覧会です。伝紀貫之、小野道風、紫式部、西行や実朝らの真筆と伝えられる書がずらりと並んでいます。書からは作者の息遣いが伝わってきます。五島美術館の土塀や散る紅葉の風情が古に心を誘うのかもしれません。彩色下絵、金銀の箔、きら刷りの地紋、破り継ぎなど、料紙との共演がまた美しいのです。ポリフォニー [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 163 秋の散策
  • 最近のクロッキー 163 秋の散策秋になると様々展覧会などを巡って作品などを鑑賞するのですが、それよりも新宿御苑などに行って秋深い木々に囲まれてゆったりとする時間を過ごした時のほうが印象に残ります。この頃になると「そもそも論」が頭をもたげてきます。自然を曲がりなりにも描写して、少しでもそれらしく描けたとしたところで生きた自然に及ぶものではありません。自然を絵にするなら、絵のほうが勝っている感動の [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 162 クラーナハ展6
  • 最近のクロッキー 162 クラーナハ展6クラーナハが選んだ黒バックは宗教感情の表れだとする考えがテーヌの著書に見られます。黒バックには色彩や光の戯れを楽しむ感情を抑えて、モチーフの内面へ意識を集中して、感情を昇華しようとする傾向があります。あらゆる人間の行為が宗教的な感情の中で鑑賞されるならば日常的な感情は停止して、観念の図式となります。宗教的な感情の中に現れる世俗の姿は欲望であり官能です。それは裸婦 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 161 クラーナハ展5
  • 最近のクロッキー 161 クラーナハ展5クラーナハの肖像画は背景を無地一色にして、人物の地位や生活を一切切り捨てて、人物像そのものに集中します。「マルティン・ルターの肖像」は歴史を大きく動かした人物の気迫が伝わってきます。狂信的ではなく、合理的な論理によって近代を切り開いた人物らしさが伝わるのです。クラーナハの肖像画はマーガレット・キャメロンのような優れた肖像写真家のように、人物像を顔のみによって描き [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 160 クラーナハ展4
  • 最近のクロッキー 160 クラーナハ展4クラーナハの絵には押し花のようなリアリティーがあります。三次元を二次元に変換した奇妙な魅力です。人間の押し花なんて絵画だからこそできる異次元の世界です。写真のように光や空間の三次元を三次元的に再現するのではなく線という二次元に翻訳して空想の余地を作り出したことでファンタジーが生まれています。北方のルネッサンスはやはり彼らのメンタリティーを反映して、寡黙で孤独で観 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 159 クラーナハ展3
  • 最近のクロッキー 159 クラーナハ展3今回のクラーナハ展では宗教画から次第に世俗画に移ってゆく過程も示されています。ルターの聖書を出版したり、版画や油絵を次々に送り出す工房を経営していたクラーナハにとって、晩年の絵画はやはり根強い人気のあるヴィーナス像のヴァリエイションでした。必ず売れるものを生産しなければならなかったのでしょう。その点、とても現代的です。エロティシズムは常にある時代が最盛期を過ぎ下 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 158 クラーナハ展2
  • 最近のクロッキー 158 クラーナハ展2今回のクラーナハ展、展示の一部がクラーナハの影響を受けた画家たちの作品が並んでいます。その中でもレイラ・パズーキ「絵画コンペティション」と題する百枚の模写の展示はユニークでした。中国で絵画コピーを生業とする村の模写画家百人に制限60分でクラーナハの「正義の寓意」を描かせるという企画で描かれたものを巨大な壁面に展示しています。いくつも問題点があるような企画で投げかけ [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 157 クラーナハ展1
  • 最近のクロッキー 157 クラーナハ展1今回のクラーナハ展が日本初の本格的なクラーナハ展なのだそうです。ドイツ好きの日本人にしては意外です。ルネッサンスではもっぱらイタリアが取り上げられて同時代のクラーナハやデューラーに話題が集まることがありません。デューラーはイタリア滞在が長かったこともあってドイツ的に緻密であると同時にイタリア風に壮大で豪壮な雰囲気があり引用も多くしばしば紹介されますが、クラーナハ [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 156 ダリ展6
  • 最近のクロッキー 156 ダリ展6ダリ展に限らず展覧会を読み解くのは鑑賞後の楽しみです。作品の余韻がある中で画家の心情、意図、時代背景、伝統などに思いをはせるのは小説を読むように楽しいものです。ナンセンス、荒唐無稽に見えるダリの絵ですが、全体を俯瞰してみると展開の論理は明快で、ある意味西欧の伝統的なテーマに終始した制作態度が見えてきます。20世紀に至って露呈した行為と意味の乖離やイメージと情報の氾濫に対 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 155 ダリ展5
  • 最近のクロッキー 155 ダリ展5ダリの作品の展開を見るとシュールレアリズムがいかにも20世紀的な冒険であったのが解ります。ダリとともにシュールレアリズム理論で具体的に行動した映画のルイス・ブニュエルや写真のフィリップ・ハルスマンには共通した論理から試みられた手法がとられています。シュールレアリズムは日本で思われている不条理な感覚的、情緒的な無意識の表現に終始するのではなく、言語学的な分析に基づく極めて [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 154 ダリ展4
  • 最近のクロッキー 154 ダリ展4形態と意味とが結び合っているものが日常の概念であるとすると、シュールレアリズムはその絆をたち他の概念と結び合わせます。本来の意味と形態をバラバラに切り離し、日常の組み合わせとは異なる結合をして新たな概念を創ります。ダリのシンボルのように使われる「柔らかな形態の時計」がその例です。フィリップ・ハルスマンの「死の快楽の中で」と題したダリと髑髏の写真があります。死が骸骨で表 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 153 ダリ展3
  • 最近のクロッキー 153 ダリ展3ダリは絵画において空間表現を必要条件と考えています。具体的な表現においても、抽象的な形態の表現においても、背景や形態自体に強烈な空間表現を用います。具体的な表現では水平線の見えるポルト・リガトの風景を繰り返し描き、遠近法図法の具体的な表現ではグリット化された立方体や球を画面に描きます。それはルネッサンスにおける線遠近法を近代的なフェイスに変換したものなのでしょう。20世 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 152 ダリ展2
  • 最近のクロッキー 152 ダリ展2今回のダリ展では、シュールレアリズム創設の動機や方法論が解る展示となっています。大変に実験的な展示だと思いますが、会場内でダリと同時にシュールレアリズムを推し進めた映画作家のルイス・ブニュエルの90分にもなる作品の映写をしています。これによって、ダリとブニュエルが話し合ったであろうシュールレアリズムの方法論が見えてきます。事柄にはそれぞれ固有の概念形象と概念意味とがあり [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 151 ダリ展1
  • 最近のクロッキー 151 ダリ展1シュールレアリズムの創始者のひとりであるサルバドール・ダリの足取りの解る展覧会です。日本では奇抜やナンセンスと兎角感覚的に受け止められているシュールレアリズムですが、ダリにおいては精神分析学が学問であるとするならば彼のシュールレアリズムも同様に学問的であろうといえる論理的な正確さをもって展開していたことが解ります。第一にロールシャッハテストが実施される根拠である同形同 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー150 ピーターラビット展3
  • 最近のクロッキー 150 ピーターラビット展3ビアトリクス・ポターの多くの作品を見てもスタイルへの変更は初期からほとんどありません。初めから動物は愛らしく、背景は優しい自然に包まれています。小さいものへのまなざしは小動物への愛情だけでなく、小さな小さな暗号文や日記などにも注がれます。小さなもは異次元の幻想に誘います。まるでネズミの仕立て屋の手になるかのように小さな小さなスケッチや文章が生まれてきます。 [続きを読む]