デジプリ さん プロフィール

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デジプリさん: 地球を愛するプリキュア&デジモンサイト
ハンドル名デジプリ さん
ブログタイトル地球を愛するプリキュア&デジモンサイト
ブログURLhttps://dejipuri.exblog.jp/
サイト紹介文プリキュアやデジモンたちに、力を貸してもらい、全宇宙地球を、愛することを伝えていくブログです。
自由文私は、全世界(地球)・全宇宙に
生きる人たちのために、ブログを毎日更新して作っています。
<地球を愛するプリキュア&デジモンサイト
と言うブログです。
プリキュアやデジモンたちに、力を貸してもらい、地球を愛することを伝えていくブログです。
是非、遊びに来てください。
御待ちしております。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供365回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2008/05/03 20:39

デジプリ さんのブログ記事

  • 発見の旅・海に乗り出す中国編3・中国の磁器(再)
  • 発見の旅・海に乗り出す中国編3・中国の磁器(再)●中国の磁器磁器は陶器よりずっと硬く、表面がガラスのように輝く焼き物です。特別の粘土に恵まれた中国では、早くから磁器をつくる技術が発達したのです。中国磁器が、はじめてヨーロッパに持ち込まれたのは、12世紀のこと、磁器はたちまち人気を、博したが、値段が高く、裕福な人にしか買えなかったのです。ヨーロッパの職人も磁器を焼こうと、工夫したが、中国磁器程、質の高 [続きを読む]
  • 発見の旅・海に乗り出す中国編1・航路を見つける&海の船(再)
  • 発見の旅・海に乗り出す中国編1・航路を見つける&海の船(再)●航路を見つける偉大な発明の幾つかは、中国で生まれました。ある絵には磁気をおびた針を鉢の水に浮かべる初期の羅針盤が描かれていました。船乗りたちは、この器具をつかって、海上で正確に針路を決めることができたのです。●海の船鄭和の乗った中国の帆船、ジャンクはポルトガルの帆船カラベルの5倍もあったのです。ポルトガルのエンリケ航海王子は、自分の船に [続きを読む]
  • 発見の旅・海に乗り出す中国(再)
  • 発見の旅・海に乗り出す中国(再)中国人は滅多に海を越えて旅をしませんでした。ほかの国が交易をしたり、宗教を広めたり、新しい土地を見つけようとどんどん航海に乗り出して、行く間も必要な物は、全て国内で手に入ると考えていました。だが、やがて中国も広大な帝国の力や富を世界に、知らせたいと思うようになったのです。15世紀の初め、明王朝の氷楽帝は、南海遠征のための、艦隊を作り、鄭和を指揮官に任命した。財宝を積ん [続きを読む]
  • 発見の旅・東方への旅編4・海を行くジャンク&紙のお金(再)
  • 発見の旅・東方への旅編4・海を行くジャンク&紙のお金(再)●海を行くジャンク1292年、マルコ・ポーロ一行は中国の泉州を出発する。船にはペルシャ方面にあった。イル・ハン国の王に嫁ぐ、元朝の姫も乗っていたのです。●紙のお金中国人は7世紀に紙幣を使い始めました。13世紀に中国を旅したマルコ・ポーロは、人々が硬貨ではなく紙のお金で品物を買っているのを見て驚きました。ただの紙切れが価値を持つということは、ヨーロ [続きを読む]
  • 発見の旅・東方への旅(再)
  • 発見の旅・東方への旅(再)マルコ・ポーロは歴史上最も有名な旅行家の一人です。1271年、マルコは商人である父と叔父と共に、東方を目指して故郷ベネチアを出発したのです。一行はペルシャ湾を下り、アフガニスタンの険しい山並みや、危険なゴビ砂漠を越えて進みました。3年後、マルコは中国に元王朝を建てた皇帝フビライ・ハンの宮廷に就く。フビライは、モンゴル帝国をつくった、チンギス・ハンの孫でマルコはこの皇帝に命じら [続きを読む]
  • 旅と交易・砂漠の船編2・砂漠で取れる塩&砂漠を越えて(再)
  • 旅と交易・砂漠の船編2・砂漠で取れる塩&砂漠を越えて(再)●砂漠で取れる塩古代世界では塩は大変な貴重品で同じ重さの黄金と交換して、やっと手に入るぐらいでした。殆んどが、サハラ砂漠で天然に産する岩塩でした。地面につくった窪みの中に水を溜めると、地中の塩分が溶け出し、水が、蒸発するとそこに塩が残ります。これを、救い出し、板の形に固めて運ぶのです。●砂漠を越えてラクダのキャラバンがサハラ砂漠を苦労して進 [続きを読む]
  • 旅と交易・砂漠の船編1・黄金の都&金の護衛(再)
  • 旅と交易・砂漠の船編1・黄金の都&金の護衛(再)●黄金の都13世紀から16世紀にかけて、トンブクトゥはアフリカでいちばん豊かな都市でした。商人たちは、塩、織物、銅、ナツメヤシの実、イチジク、金属製品などを、トンブクトゥに運び、金や象牙、コーラノキの種子、奴隷などと交換したのです。●金の護衛西アフリカで豊富に採れる金からは硬貨がつくられました。サハラ砂漠の中の交易基地に金を運ぶ時には、ある像のように、武 [続きを読む]
  • 旅と交易・砂漠の船(再)
  • 旅と交易・砂漠の船(再)サハラ砂漠は北アメリカに東西5600キロメートル以上にわたって広がる、世界最大の砂漠です。乾ききったこの砂と岩の世界を商人たちはラクダを使って旅をした。長い間飲まず食わずで、重い荷物を、1日30〜40キロメートルも運ぶことが出来るラクダは、言わば「砂漠の船」でした。ラクダのキャラバンは砂漠の中に点々とあるオアシスで休憩をしながら、ヨーロッパや西アジアの物産を、アフリカの奥地に運ぶの [続きを読む]
  • 旅と交易・ヨーロッパの商人編3・腺ベスト&同盟への加入(再)
  • 旅と交易・ヨーロッパの商人編3・腺ベスト&同盟への加入(再)●腺ベスト黒死病と呼ばれた腺ベストは、中世のヨーロッパを何度も襲いました。1347年、黒海周辺から戻ったジェノバの商船に、ベスト菌をもったネズミが紛れ込んでいて、ヨーロッパに菌を運んだのです。このときの大流行ではヨーロッパの人口の約3分の1が命を落としたのです。●同盟への加入ハンザ同盟のコグ船が、ドイツのハンブルグで荷物を積み込みます。14世紀に [続きを読む]
  • 旅と交易・ヨーロッパの商人編2・イタリアの銀行業(再)
  • 旅と交易・ヨーロッパの商人編2・イタリアの銀行業(再)商業が発達した13世紀、国中に取引きの、手を広げる商人は町から町へ大金を持ち運ぶことに、危険を感じるようになったのです。やがて、北イタリアで金銭を預けると引き換えに証書が貰える銀行の制度が考え出されました。証書さえあれば、ほかの町でも同じ金銭を受け取る事が出来る仕組みです。こうして、やがて貨幣は土地よりも、重きをおかれるようになり、封建制度は次第 [続きを読む]
  • 旅と交易・ヨーロッパの商人(再)
  • 旅と交易・ヨーロッパの商人(再)中世のヨーロッパは、11世紀から12世紀にかけて一気に発展し始める。土地の開拓が進んで農業の技術も進歩し人口も増えたのです。中世ヨーロッパの社会では人は3つの身分に分けられていました。戦争で戦う王や騎士、土地を耕す農民、そして、神に祈る聖職者です。身分が上の者は下の者に土地を与え、身分が下の者はその見返りに、上の者を守り、家来として忠実に使える。土地を中心としたこのよう [続きを読む]
  • 旅と交易・十字軍編3・兵士たちの末路&東方での生活(再)
  • 旅と交易・十字軍編3・兵士たちの末路&東方での生活(再)●兵士たちの末路男たちは、妻子を家に残して十字軍に参加し、遠い異国の戦場で傷ついていたのです。病気や食料不足で命を落としたり、奴隷になる者もいました。1212年の少年十字軍では参加した3万人以上の、子供たちのほとんどが、故郷に戻らなかったと言います。●東方での生活東方の国の豊かさや生活スタイルは、十字軍の兵士たちにとって強烈な魅力でした。干しブド [続きを読む]
  • 旅と交易・十字軍編2・東方との貿易(再)
  • 旅と交易・十字軍編2・東方との貿易(再)ジェノバやピサやベネチアの船主たちは、地中海を横切り、十字軍を戦場へ送りました。その見返りにコンスタンティノープルなどの、イスラム都市を十字軍が占領すると、これらの、土地で商売をする権利を手に入れました。こうして、イタリア商人は、イスラム商人の手をへずに、アジアの国々と、直接取引きして、莫大な富を得たのです。だが、イタリアの都市とコンスタンティノープルは、通 [続きを読む]
  • 旅と交易・十字軍編1・聖なる都市&巡礼の記念品(再)
  • 旅と交易・十字軍編1・聖なる都市&巡礼の記念品(再)●聖なる都市パレスチナの町エルサレムはキリスト教でも、イスラム教でも、ユダヤ教でも、特別な聖地でした。1099年の第1次十字軍で、キリスト教徒の兵士たちは、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に、集まり、エルサレムへ進軍したのです。十字軍は町を占領して男たちを殺め、金や宝物や女たちを奪ったが、最期にはイスラム教徒が、町を奪い返したのです。● [続きを読む]
  • 旅と交易・十字軍(再)
  • 旅と交易・十字軍(再)1095年、ローマ教皇ウルパヌス2世は、キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教徒から、奪い返そうと、ヨーロッパの王たちに呼びかけました。昔、イエス・キリストが、最初に教えを広めた、エルサレムの土地はこの頃にはイスラム教徒のものになっていたからです。その後200年にわたって、ヨーロッパの王や騎士は、教皇の呼びかけに応じて大規模な十字軍を3度送りました。また、1096年の先発隊のように民集が [続きを読む]
  • 旅と交易・シルクロード編3・大陸をまたにかけて&絹の秘密(再)
  • 旅と交易・シルクロード編3・大陸をまたにかけて&絹の秘密(再)●大陸をまたにかけて様々な国の商人や旅人がシルクロードを行き交ったのです。●絹の秘密絹は中国の特産品で、作り方は秘密にされていましたしなやかで光沢のある絹布はカイコのまゆから、出来る細い糸をおったものでした。500gの糸を紡ぐのに2500個以上のまゆを解さなければならないので絹は大変高価でした。中国人は、絹布に刺繍したり絵を描いたり服に仕立 [続きを読む]
  • 旅と交易・シルクロード(再)
  • 旅と交易・シルクロード(再)中国は何世紀もの間、山脈や森林、広大な砂漠などによって、周りの世界から隔てられていました。だが、紀元前138年頃、西方への使節として張騫一行を送る。北方民族の侵攻に対抗するための同盟国と、強い軍馬を探すためでした。張騫によって、異国の情報や物品が齎されると、商人や旅人も、遥か西方へ出かけて行くようになりました。アジアを横断する、シルクロード(絹の道)と、呼ばれる交易のネッ [続きを読む]