ほし さん プロフィール

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ほしさん: 星ヶ嶺、斬られて候
ハンドル名ほし さん
ブログタイトル星ヶ嶺、斬られて候
ブログURLhttps://ameblo.jp/hoshigane
サイト紹介文城、相撲、歴史等の記事を掲載しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供27回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2008/08/05 16:58

ほし さんのブログ記事

  • 土俵の女人禁制を問う(その弐)
  • 前回の記事では仏教と血穢思想についてかいつまんでお話ししましたが、では何故、仏教の思想が神道と関係してくるのか。その背景には仏教と神道との深い関わりから説明しなければなりません。 そもそも日本土着の神道に対し、仏教はあくまでも外来の宗教。当然、いわゆる飛鳥時代にあってはその導入に対する反対や警戒が強かった訳ですが、これを神道と融合させることで仏教へのアレルギー反応を緩和しようと考え出されたのが神仏 [続きを読む]
  • 土俵の女人禁制を問う(その壱)
  • いささか前のことになりますが、土俵の女人禁制が巷で大きな話題になったことがありました。 ことの発端は今年(平成30年)の4月、京都府内での巡業中―。土俵上にて挨拶を行っていた市長が突然、昏倒し、これを救護せんと馳せつけた女性が土俵に上がるや、降りるようにとのアナウンスが流れたことが報じられ、世の中の関心を席捲しました。 時を同じくしてやはり巡業で従来、容認されていた女子児童の豆力士が土俵に上がるのを [続きを読む]
  • 相撲の神様・鹿島様(後編)
  • さて、前編では鹿島大神(タケミカヅチノカミ)を中心に相撲三神のあらましを紹介しましたが、実はこの相撲の神様、時代や史料によって顔触れが変わっており、中々、一筋縄では行かない曲者なのです。 まずは前回も紹介しました「相撲伝秘書」。この書は吉田司家の門人であった岩井左右馬が吉田家の礼式を著したということで、基本的には吉田司家の正規の礼法に則っているはずなんですが、当の吉田司家の在りし日頃には熊本の屋敷 [続きを読む]
  • 相撲の神様・鹿島様(前編)
  • 秋田県の中部から南部にかけて‘鹿島様‘と称される巨大な藁の人形を造って祀る風習があります。‘鹿島様‘が祀られるのは集落の境目、入り口であり、形態は各地で異なるところもあるが、概ね鎧をまとった武人の姿で、腰には相撲の横綱のようにしめ縄を巻いています。大きさは実に3〜4mほどと迫力があり、疫災の退散、五穀豊穣を祈願して造られるといふ。 いわゆる道祖神の一形態に分類されており、村内に魔物が侵入するのを防 [続きを読む]
  • 岩崎城(妙見城・秋田県湯沢市)
  • 前回に引き続き、湯沢市の城址より―。湯沢市内の北方にある岩崎地区の岩崎城を取り上げます。 地区の北側を流れているのが皆瀬川。皆瀬川といえば幕末・維新期に提灯たたみの荒業で恐れられた巨漢力士・武蔵潟の前名ですが、この四股名の由来は出身地である今の神奈川県足柄郡内の地名から―。さりながらここ秋田県は相撲の盛んな土地柄であり、相撲の神様と称された幡瀬川や清瀬川、若瀬川(栄蔵)など‘〜瀬川‘の名乗りを [続きを読む]
  • 湯沢城(秋田県湯沢市)
  • 秋田県南東部、南に山形県と県境を接する湯沢市―。古来、雄勝郡と呼ばれた当地は最上郡や奥州の大崎郡と接する要地であり、近世には院内銀山の開発で知られる所となりました。 さて、そんな湯沢市の中心部、JR・奥羽本線の湯沢駅を降りると東方に見える山がありますが、ここは古館山と呼ばれ湯沢城が築かれておりました。 中世、雄勝郡を治めていたのは小野寺氏で、鎌倉以降、その本拠地は稲庭(湯沢市)にありました。湯沢城 [続きを読む]
  • 鳥海柵(岩手県胆沢郡金ヶ崎町)
  • 前回の大林城に引き続き、今回も金ヶ崎町の城館から―。鳥海柵(とのみのさく)といふこれまた一風変わった城址を紹介します。 何が変わっているかというと、平安時代に俘囚の長として東北地方に独自の勢力権を築いていた安倍氏の城であることが唯一、確実視されているからで、この点は日本城郭史上から言っても貴重な存在です。 鳥海柵というのは「陸奥話記」などに見られる城名であり、その比定地は他にもあったのですが、発 [続きを読む]
  • 大林城(舞鶴城・岩手県胆沢郡金ヶ崎町)
  • 岩手県の金ヶ崎町に大林城といふいささか変わった城址が所在してしています。その創建については諸説ありますが、平安期には存在していたといわれ、当時は百岡城と呼ばれていたとかや。百岡城は東北の雄・安倍氏に関連する城であったと伝えられています。 鎌倉幕府が開かれてからは一帯は葛西氏の治める所となっており、その重臣であった柏山氏が百岡の地に入ります。柏山氏の初代であるといふ明広は元は千葉姓。千葉氏について [続きを読む]
  • 増尾城(千葉県柏市)
  • 前回取り上げた根木内城もそうですが、開発の進む東京の近郊にあっても松戸、柏のラインまで来ると遺構の残る城址が見られるように―。この増尾城もそんな城址の一つであり、東武野田線の新柏駅もしくは増尾駅から東へおよそ1.5kmほどの所に所在しています。 現状、二つの曲輪からなる小規模な城である増尾城の歴史は詳らかではありませんが、元は相馬氏領であったものが戦国期には高城氏領となり、高城家臣の平川若狭守が在城 [続きを読む]
  • 根木内城(千葉県松戸市)
  • JR常磐線・北小金駅の南口から徒歩小金10分といったところ。根木内城は住宅の並ぶ東京近郊にあってその遺構を比較的、良好に残している城址といえるかと思います。 根木内城の城主は千葉一門の高城氏。下総における千葉一門とくれば鎌倉以来の由緒があるのかと思いきや、この高城氏は大関・琴風ならず回り道をした家柄で、その発祥地は肥前国です。千葉氏のうち肥前千葉氏の一流として胤雅が高来郡(長崎県)に入ったのがその始 [続きを読む]
  • 中峠城(芝原城・千葉県我孫子市)
  • 中峠と書いて‘なかびょう‘と読むのださうで、これはかなり難読といっていいでせう。その地にある中峠城は芝原城の別称もあり、城主は柴原氏であったとも言いますが、戦国中期以降は河村氏が城主として歴史の舞台に顕れています。 河村氏については元は相模・波多野氏の別れであり、河村城(神奈川県山北町)の地にあった河村氏の流れを汲むといふ。河村城主であった河村の本家は室町中期に小田原の大森氏に追われて本貫地を失 [続きを読む]
  • 中島城(千葉県銚子市)
  • 中島城主の海上(うなかみ)氏は千葉一門の家柄で、下総の東部、銚子近傍を治める有力な豪族でした。その祖は千葉常兼の五男・常衡でしたが、この家系は甥の千葉常胤と対立したため没落し、その所領は常胤の六男・胤頼に始まる東氏の管理下に―。胤頼の孫・胤方(東重胤の次男)は海上氏を復興して勢力を扶植しましたが、その来歴には不明な点が多くあります。 断片的な事績の中でも鎌倉から室町にかけては比較的、勢力があっ [続きを読む]
  • 式守伊之助問題及び行司制度に関する提言
  • 立行司の式守伊之助(40代)がセクハラ問題を起こしてより早3か月以上が経ちます。ことの顛末は昨冬の巡業中に伊之助氏が泥酔して若手行司にセクハラ行為に及んだというもの。折しも横綱・日馬富士の暴行問題が取り沙汰されている時であり、相撲協会は伊之助氏の辞表を預かったうえで3場所の出場停止を宣告し、5月場所の終わるのを待って辞表を受理するとの方針と伝えられています。 確かに立行司ともなればその責任は重大であ [続きを読む]
  • 相撲百態・その考察(後編)
  • さて、2回に渡って紹介した相撲の百態(実際は二十態くらいですが)。ビーチ相撲や紙相撲など大相撲に酷似したものはさておき、その他の様々な相撲を概覧した時、大相撲とは余り似ていないものが少なからずあることに気付かれるかと思います。子供の遊びから発生したと思われる相撲の中では土俵を用いる尻相撲が大相撲スタイルで、他にケンケン相撲が土俵を採用することがあるやうですが、それ以外―座り相撲や手押し相撲、腕相撲 [続きを読む]
  • 相撲百態・その考察(前編)
  • さて、前回まで2回に渡り様々な相撲について概覧しましたが、今回はその簡単な考察です。 一口に「相撲」といった場合、皆さんが想像するのはきっと大相撲でせう。一般に相撲史では近世中期以降の歴史は実質的に大相撲史であり、近代以降のアマチュア相撲はその傍流的な扱いです。 現状の大相撲の特色を語るキーワードには‘競技‘、‘神事‘、‘芸能・興行‘などがあると思いますが、いわばアマチュア相撲はこの中の競技が突出 [続きを読む]
  • 相撲百態(後編)
  • 上編で取り上げた様々な相撲の形―。中編では人対人以外の相撲について取り上げます。 ◎紙相撲紙で作った力士を台の振動によって競わせるもので、倒れるか、土俵外に出たら負けといふ大相撲スタイル。木製やゴム製の人形を用いたトントン相撲もある。紙相撲では日本紙相撲協会が‘徳川式‘と呼ばれるルールで全国の会員による本場所が開催されており、メディアでも紹介された。 ◎草相撲といっても素人による草相撲ではなく、 [続きを読む]
  • 相撲百態(前編)
  • 前回の幕末維新力士伝で取り上げたのがプロレス、女相撲、力持ち・・・。大相撲を中心に構築された相撲の正史ではいずれも異端というべき存在に貶められておりますが、相撲文化の裾野を知るためには決して無視できない存在でありませう。色々と思い起こしてみると相撲と名の付く事例は実に数が多く、これらを見ていくことでかえって相撲の語の本質の一端を捉えることが出来てしまう。以下、こうした様々な相撲を概覧します。 ◎ [続きを読む]
  • 愛宕山城(碓氷城・群馬県安中市)
  • 「峠の釜めし」で知られるJR信越本線の横川駅。今や盲腸線のやうになってしまったが、かつては碓氷峠の険に挑むために機関車の連結が行われ、その停車時間に多くの乗客が釜めしを買う風景が名物でした。古くはアプト式といって歯車を咬み合わせて列車を押し上げたほどの急勾配で、アプト式が廃止された後も機関車を重連にしなければ峠を越えることが出来ないという鉄道界屈指の難所。この難所ぶりに長野新幹線(現・北陸新幹 [続きを読む]
  • 総社城(植野城・群馬県前橋市)
  • JR上越線、東京から向かうと新前橋のひとつ先に群馬総社といふ駅がありますが、その名の通り近くに上州の総社(惣社)が置かれたことに由来する地名です。総社とは旧国内の有力神社の祭神を合祀したもので、時節柄、初詣にはうってつけの所(上州では国内549社の祭神を祀る)。総社神社は元は国衙や国分寺の近傍にあったものであり、国司等が国内の有力神社へ参詣にゆく労を簡略化したのだといいます。ここ上州の総社j神社に [続きを読む]
  • 謹賀新年・平成戊戌
  • 新年明けましておめでとうございます。旧年中は弊ブログにお立ち寄りいただき誠にありがとうございました。本年も城と相撲の記事を中心に細々と更新していきたいと思います。 相撲といえば近年、稀にみる盛況ぶりであったのが、暴行問題とその後の不可解な経過もあって外野がやたらと騒がしい状況。一月場所後に控えている理事選における派閥争いも懸念の材料で、折角、盛り上がっている現状に水を差すことにならないか心配は尽き [続きを読む]
  • 板鼻城(鷹ノ巣城・群馬県安中市)
  • さて、前回、高津戸城の項において里見氏の存在をお伝えしましたが、その里見氏発祥の地は現在は高崎市となった碓氷郡の旧榛名町域にあった里見村であるとされています。現状でも上里見、下里見などの地名が残りますが、下里見のすぐ南は安中市との境。今回、紹介する板鼻城はその安中市、下里見の南に接する所に位置しています。 板鼻城は伝える所では後閑城主の依田光慶が天文7年(1538)に築いたとも、永禄8年(1565)に長 [続きを読む]
  • 高津戸城(要害山城・群馬県みどり市)
  • 旧国鉄の足尾線を引き継いだ第三セクターの通称「わ鐵」ことわたらせ渓谷鐵道の主要駅である大間々駅。桐生―間藤間の途中駅ながら「わ鐵」の本社が置かれた大間々は沿線随一の町であり、生糸や足尾の鉱物の集積地として栄えていました。近年までは大間々町といふ独立の自治体であったのが、笠懸町、東村と合併して、今はみどり市という歴史、文化に基づかないどこにあってもおかしくないが、どこにあるのだかわからない凡百な [続きを読む]
  • モロッコ城塞考〜カスバとクサルについて
  • 前回、アイト・ベン・ハッドゥの記事でカスバとクサルについて若干言及しましたが、今回はもう少し補足してみます。 あるガイドブックの記述によればクサルとは要塞化した村、集落であり、一方、カスバは城塞、城館を指し、主に領主や有力者の居館、住居であったとされています。ただ、アルジェリアのカスバを舞台とした「カスバの女」といふ流行歌があったやうにカスバにはもっと広い意味があったやうです。ここでいうアルジェリ [続きを読む]
  • ベルベルの赤い都・マラケッシュ(モロッコ王国マラケッシュ市)
  • モロッコの公用語はアラビア語とベルベル語です。ベルベル語を用いるベルベル人はサハラ以北の北アフリカに広く居住していますが、わけてもモロッコでは人口の半数以上がベルベル人であるといふ。ここでは便宜的にベルベル人と書きましたが、一口にベルベル人といっても多くの民族に分かれており、畢竟、ベルベル人の定義はベルベル語を母語とする人々と言えそうです。尤もその意味ではアラブ人もまたアラビア語を母語とする人 [続きを読む]