ほし さん プロフィール

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ほしさん: 星ヶ嶺、斬られて候
ハンドル名ほし さん
ブログタイトル星ヶ嶺、斬られて候
ブログURLhttps://ameblo.jp/hoshigane
サイト紹介文城、相撲、歴史等の記事を掲載しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供27回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2008/08/05 16:58

ほし さんのブログ記事

  • 中島城(千葉県銚子市)
  • 中島城主の海上(うなかみ)氏は千葉一門の家柄で、下総の東部、銚子近傍を治める有力な豪族でした。その祖は千葉常兼の五男・常衡でしたが、この家系は甥の千葉常胤と対立したため没落し、その所領は常胤の六男・胤頼に始まる東氏の管理下に―。胤頼の孫・胤方(東重胤の次男)は海上氏を復興して勢力を扶植しましたが、その来歴には不明な点が多くあります。 断片的な事績の中でも鎌倉から室町にかけては比較的、勢力があっ [続きを読む]
  • 式守伊之助問題及び行司制度に関する提言
  • 立行司の式守伊之助(40代)がセクハラ問題を起こしてより早3か月以上が経ちます。ことの顛末は昨冬の巡業中に伊之助氏が泥酔して若手行司にセクハラ行為に及んだというもの。折しも横綱・日馬富士の暴行問題が取り沙汰されている時であり、相撲協会は伊之助氏の辞表を預かったうえで3場所の出場停止を宣告し、5月場所の終わるのを待って辞表を受理するとの方針と伝えられています。 確かに立行司ともなればその責任は重大であ [続きを読む]
  • 相撲百態・その考察(後編)
  • さて、2回に渡って紹介した相撲の百態(実際は二十態くらいですが)。ビーチ相撲や紙相撲など大相撲に酷似したものはさておき、その他の様々な相撲を概覧した時、大相撲とは余り似ていないものが少なからずあることに気付かれるかと思います。子供の遊びから発生したと思われる相撲の中では土俵を用いる尻相撲が大相撲スタイルで、他にケンケン相撲が土俵を採用することがあるやうですが、それ以外―座り相撲や手押し相撲、腕相撲 [続きを読む]
  • 相撲百態・その考察(前編)
  • さて、前回まで2回に渡り様々な相撲について概覧しましたが、今回はその簡単な考察です。 一口に「相撲」といった場合、皆さんが想像するのはきっと大相撲でせう。一般に相撲史では近世中期以降の歴史は実質的に大相撲史であり、近代以降のアマチュア相撲はその傍流的な扱いです。 現状の大相撲の特色を語るキーワードには‘競技‘、‘神事‘、‘芸能・興行‘などがあると思いますが、いわばアマチュア相撲はこの中の競技が突出 [続きを読む]
  • 相撲百態(後編)
  • 上編で取り上げた様々な相撲の形―。中編では人対人以外の相撲について取り上げます。 ◎紙相撲紙で作った力士を台の振動によって競わせるもので、倒れるか、土俵外に出たら負けといふ大相撲スタイル。木製やゴム製の人形を用いたトントン相撲もある。紙相撲では日本紙相撲協会が‘徳川式‘と呼ばれるルールで全国の会員による本場所が開催されており、メディアでも紹介された。 ◎草相撲といっても素人による草相撲ではなく、 [続きを読む]
  • 相撲百態(前編)
  • 前回の幕末維新力士伝で取り上げたのがプロレス、女相撲、力持ち・・・。大相撲を中心に構築された相撲の正史ではいずれも異端というべき存在に貶められておりますが、相撲文化の裾野を知るためには決して無視できない存在でありませう。色々と思い起こしてみると相撲と名の付く事例は実に数が多く、これらを見ていくことでかえって相撲の語の本質の一端を捉えることが出来てしまう。以下、こうした様々な相撲を概覧します。 ◎ [続きを読む]
  • 愛宕山城(碓氷城・群馬県安中市)
  • 「峠の釜めし」で知られるJR信越本線の横川駅。今や盲腸線のやうになってしまったが、かつては碓氷峠の険に挑むために機関車の連結が行われ、その停車時間に多くの乗客が釜めしを買う風景が名物でした。古くはアプト式といって歯車を咬み合わせて列車を押し上げたほどの急勾配で、アプト式が廃止された後も機関車を重連にしなければ峠を越えることが出来ないという鉄道界屈指の難所。この難所ぶりに長野新幹線(現・北陸新幹 [続きを読む]
  • 総社城(植野城・群馬県前橋市)
  • JR上越線、東京から向かうと新前橋のひとつ先に群馬総社といふ駅がありますが、その名の通り近くに上州の総社(惣社)が置かれたことに由来する地名です。総社とは旧国内の有力神社の祭神を合祀したもので、時節柄、初詣にはうってつけの所(上州では国内549社の祭神を祀る)。総社神社は元は国衙や国分寺の近傍にあったものであり、国司等が国内の有力神社へ参詣にゆく労を簡略化したのだといいます。ここ上州の総社j神社に [続きを読む]
  • 謹賀新年・平成戊戌
  • 新年明けましておめでとうございます。旧年中は弊ブログにお立ち寄りいただき誠にありがとうございました。本年も城と相撲の記事を中心に細々と更新していきたいと思います。 相撲といえば近年、稀にみる盛況ぶりであったのが、暴行問題とその後の不可解な経過もあって外野がやたらと騒がしい状況。一月場所後に控えている理事選における派閥争いも懸念の材料で、折角、盛り上がっている現状に水を差すことにならないか心配は尽き [続きを読む]
  • 板鼻城(鷹ノ巣城・群馬県安中市)
  • さて、前回、高津戸城の項において里見氏の存在をお伝えしましたが、その里見氏発祥の地は現在は高崎市となった碓氷郡の旧榛名町域にあった里見村であるとされています。現状でも上里見、下里見などの地名が残りますが、下里見のすぐ南は安中市との境。今回、紹介する板鼻城はその安中市、下里見の南に接する所に位置しています。 板鼻城は伝える所では後閑城主の依田光慶が天文7年(1538)に築いたとも、永禄8年(1565)に長 [続きを読む]
  • 高津戸城(要害山城・群馬県みどり市)
  • 旧国鉄の足尾線を引き継いだ第三セクターの通称「わ鐵」ことわたらせ渓谷鐵道の主要駅である大間々駅。桐生―間藤間の途中駅ながら「わ鐵」の本社が置かれた大間々は沿線随一の町であり、生糸や足尾の鉱物の集積地として栄えていました。近年までは大間々町といふ独立の自治体であったのが、笠懸町、東村と合併して、今はみどり市という歴史、文化に基づかないどこにあってもおかしくないが、どこにあるのだかわからない凡百な [続きを読む]
  • モロッコ城塞考〜カスバとクサルについて
  • 前回、アイト・ベン・ハッドゥの記事でカスバとクサルについて若干言及しましたが、今回はもう少し補足してみます。 あるガイドブックの記述によればクサルとは要塞化した村、集落であり、一方、カスバは城塞、城館を指し、主に領主や有力者の居館、住居であったとされています。ただ、アルジェリアのカスバを舞台とした「カスバの女」といふ流行歌があったやうにカスバにはもっと広い意味があったやうです。ここでいうアルジェリ [続きを読む]
  • ベルベルの赤い都・マラケッシュ(モロッコ王国マラケッシュ市)
  • モロッコの公用語はアラビア語とベルベル語です。ベルベル語を用いるベルベル人はサハラ以北の北アフリカに広く居住していますが、わけてもモロッコでは人口の半数以上がベルベル人であるといふ。ここでは便宜的にベルベル人と書きましたが、一口にベルベル人といっても多くの民族に分かれており、畢竟、ベルベル人の定義はベルベル語を母語とする人々と言えそうです。尤もその意味ではアラブ人もまたアラビア語を母語とする人 [続きを読む]
  • 幕末維新力士伝(40) 黒田清隆が愛した力持ち 
  • 黒田清隆と言へば第2代の内閣総理大臣―。北海道開拓長官や陸軍中将の任にもあった薩摩閥の重鎮であり、長州閥の伊藤博文の跡を受けて政府首班に推されました。この黒田は大の相撲好きとしても知られており、鹿児島出身の西ノ海(初代)を贔屓としてその横綱免許に一役かったとも。西ノ海が‘藩閥横綱‘と呼ばれた所以です。 黒田は相撲も好きでしたが一方で力持ちをも贔屓にしていた。 力持ちとはすなわち力曲持のことで、力石 [続きを読む]
  • 幕末維新力士伝(39) 女相撲、胎動す 
  • 皆さんは女相撲と聞いてどのように感じるでせうか。今日でも競技としての女子相撲がありますが、この名称を巡ってはかつての女相撲を想起させるとして新相撲と称されたこともありました。 女相撲のイメージにはある種のいかがわしさがあり、実際、今日的見地からしたら不謹慎なものがあったのも事実ですが、一方で本格の相撲をもって客の評判を取った女相撲の事例も文献には散見されます。無論、この当時の三都の大相撲の巡業がそ [続きを読む]
  • 幕末維新力士伝(38) 土俵からリングへ!日本人初のプロレスラー
  • 相撲とプロレスの縁は深い。なんといっても戦後、空前のプロレスブームを巻き起こした力道山が関脇まで進んだ大相撲力士であり、その後も多くの力士がマット界へと転身、プロレスの屋台骨を支えました。土俵とリングの違いこそあれいずれも膂力と技量の限りを尽くして裸一貫ぶつかり合う‘スポーツ‘であり、豊登、上田馬之助、ラッシャー木村、キラー・カーン、天龍源一郎、田上明ら角界出身のスター選手も数多く、元横綱である [続きを読む]
  • 城市・カサブランカ(モロッコ王国カサブランカ市)
  • カサブランカは恐らくモロッコで最も著名な都市でせう。映画のタイトルや直接、町とは関係ないものの花(植物)の名前、鳥羽一郎の楽曲名に用いられているからで、その知名度たるや首都のラバト、世界遺産にも登録されている古都のフェズやマラケッシュを断然、凌駕しているといっても過言ではありますまい。実際、人口においても約330万なんなんとするアフリカ有数の大都市であり、100万人前後のフェズやサレ、マラケッシュ、 [続きを読む]
  • 城市・シェフシャウエン(モロッコ王国シェフシャウエン市)
  • 近年、モロッコでも人気の高まっている町にシェフシャウエンがあります。シャウエンとも呼ばれるこの町は山間の小都市といった趣で、モロッコの北端近く、いずれも世界遺産に登録されているフェズからティトゥアンへ向かう途中に位置しています。 私は南のフェズからバスで向かいましたがリフ山脈を越えての移動となり、かなり山中へと分け入ったとの印象。北のティトゥアンへ抜ける際もしばらくは山道であり、下界の喧騒を離れ [続きを読む]
  • 王都・フェズの城壁(モロッコ王国フェズ市)
  • ]] フェズはモロッコの古い王都です。バグダードのアッバース朝に対する反乱からアラビアを追われたムーレイ・イドリス1世がマグレブの地・モロッコで再起を期し誕生したのがイドリス朝であり、子のムーレイ・イドリス2世が808年に建設したのがこのフェズです。以来、消長はあれどモロッコに勃興した諸王朝の首都、あるいは重要な都市であったフェズは、その旧市街(メディナ)が世界遺産に登録されており、ネット上にも多くの [続きを読む]
  • 城市・タンジェ(モロッコ王国タンジェ市)
  • ヨーロッパとアフリカを隔てるジブラルタル海峡―。地中海西の関門であるこの海峡はその広さ概ね40km程度であり、天候に恵まれれば対岸を望見出来る距離です。この狭き海峡を挟んで向かい合うのはスペインとモロッコ。モロッコの北端、セウタ(スペイン領)と共にヨーロッパへ開かれた港町がタンジェであり、スペインのタリファ、アルヘシラス、英領ジブラルタルへのフェリーが発着しています。 ヨーロッパ、アフリカというと [続きを読む]
  • 曽我野陣屋を巡る謎
  • 曽我野陣屋は千葉県千葉市にあった陣屋です。最寄駅はJR内房線の蘇我駅であり、陣屋所在地も中央区の蘇我町。けだし曽我野のソガとは蘇我に同じといふ次第です。 この陣屋が存在した期間は極めて短く、明治3年(1870)、下野の高徳(現在の日光市周辺)から転封となった戸田忠綱によって造営されたものの、翌4年には廃藩置県で廃されたというから1年ほどしか存在しなかった。 戸田家は1万石のち1万3千石。慶応2年(1865)に [続きを読む]
  • 請西陣屋(真武根陣屋・千葉県木更津市)
  • 千葉県木更津市請西(じょうざい)に藩庁を構えた小藩・請西藩―。1万石に過ぎない目立たぬ藩かと思いきや、幕末の藩主・林忠崇の余りに意外な行動により巷間知られる所となっています。 その意外な行動とは藩主自らが脱藩したということ。時は慶応4年(1867)閏4月。世は既に徳川将軍の大政奉還により薩長等を事実上の首班とする明治新政府が樹立せられ、その軍勢が江戸へ向け進軍していましたが、上野寛永寺に自ら謹慎して [続きを読む]
  • 林城(長野県松本市)
  • 近世の城下町として人気が高い松本の市街地から薄川に沿って東へ進むと、前方に標高846m、比高200mほどのひときわ目立つ山塊があります。ここに築かれたのが林城であり、信濃守護の名族・小笠原氏が拠点とするところでした。小笠原氏が守護所として拠点を置いていたのが松本城の前身たる深志城でしたがいかんせん平地の平城。後世の記録によれば長禄3年(1459)に小笠原清宗が築いて井川(松本市)より移ったといい [続きを読む]
  • 現代四股名考(後編)
  • さて、前編で近年とみに本名のままの関取が増えているとやりましたが、実際のところどうなのか、各年代ごとに抽出し、比較してみませう。分類の基準は新入幕の場所とし、カッコ内に各年代の幕内力士の延べ人数と本名力士の延べ人数、及び本名力士の占める比率を示しました。 ◎昭和20〜24年(5/456、.011)岩平(→若葉山)、山口(→神錦)、藤田(→藤田山) ◎昭和25〜29年(12/884、.014)米川(→朝潮、一時、朝汐 [続きを読む]