セールスジャパン社長井崎勝司ブログ さん プロフィール

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セールスジャパン社長井崎勝司ブログさん: セールスジャパン社長「今日の一言」
ハンドル名セールスジャパン社長井崎勝司ブログ さん
ブログタイトルセールスジャパン社長「今日の一言」
ブログURLhttps://ameblo.jp/salesjapan/
サイト紹介文「完全成功報酬型営業代行」株式会社セールスジャパン社長井崎勝司の「今日の一言」です。
自由文株式会社セールスジャパンは、「完全成功報酬型」営業代行会社として、2008年10月営業を開始しました。「初期費用ゼロ」「ランニング費用ゼロ」の「完全成功報酬型営業代行」ですので、大変ご利用しやすいと思います。新規販路開拓に是非ご活用下さい。社長ブログについては、「今日の一言」を毎日更新予定です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供76回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2008/10/24 20:44

セールスジャパン社長井崎勝司ブログ さんのブログ記事

  • 悔しさを忘れた時・・・・・
  • 昨夏、春夏連覇を目指した大阪桐蔭が、3回戦で仙台育英に敗れた。1−0でリードした9回裏、一塁手の2年生・中川が、2死1・2塁でショートからの送球を、ベースを踏みそこなっていなければ、そのまま勝っていた試合だった。ゲームは、その直後、仙台育英に逆転サヨナラ打が出て、昨年の選抜優勝校は敗れ去った。 試合後、泣き崩れる中川選手を、西谷監督は新チームの主将に指名する。。。「来年の選抜で、日本一になろう。お [続きを読む]
  • この現代日本の社会において・・・・・
  • この人の思考回路は、我々常人とは、かなりかけ離れた所にある。。。昨年日本に帰国した時、首脳陣は川崎をセカンドか、松田不調時のサードで使おうとしていた。。。案の上、松田は開幕から絶不調。。。ここはムネの出番かと思ったが、当の本人はベンチで何をしていたかと言うと、松田が打席に入ると、松田の背番号3を書き、「悪霊退散!」とばかりに呪文をかける様な仕草をしている。。。このケース、ライバルの不調を「自分の出 [続きを読む]
  • チームがピンチの時に・・・・・
  • 99年初優勝のもう一人の立役者として黒江助監督を上げたい。。。王監督就任後3年間は、チーム成績が低迷し、負ければ長時間のミーティングが行われる等、暗い感じの雰囲気が続いていた。帰りのバスも誰も口を開かず、お通夜の様な状態で宿舎に戻ることが多かったという。 「ワンちゃんを、何とか男にする!」そう宣言して助監督に就任した黒江氏は、「この暗いムードを何とかしないと。。。」とまず、思ったそうだ。。。皆を集 [続きを読む]
  • 人を育てるという事は・・・・・
  • 99年のダイエー初優勝は、尾花コーチのお蔭だと、私は思っている。野村南海が77年に防御率3.15を記録して以来、ホークス投手陣の防御率は、21年間、4点台以上であった。しかも、殆どがリーグ最下位である。。。「閉店間際のスーパー打線」が10点取っても、15点取られる様な試合ばかり見せられていた。 投手陣再建に頭を悩ませた王監督は、野村監督勇退でヤクルトの投手コーチ退任が決まった尾花氏に声を掛けた。。 [続きを読む]
  • 逆境に強かった前主将のように・・・・・
  • 1995年、入団2年目の小久保は、ホームラン王を獲得する。前年オフ参加したハワイ・ウインターリーグでMVPを取り、その勢いで突入したシーズン、猛練習の成果であった。。。ところがそのオフ、新しいヒーローの登場にマスコミが放っておかない。テレビ・ラジオに引っ張りダコになり、その他の日も、球団関係者やファンとの会食が入る。。。当然、練習時間が取れない。未調整のまま突入した96年は、大不振に陥った。前年の [続きを読む]
  • 地獄を見たチームに・・・・
  • 長いプロ野球の歴史の中で、ファンが味方のチームの選手に物を投げつけるようなシーンは、初めて見た。96年5月9日、日生球場での近鉄戦の「生卵事件」である。。。王監督就任1年目、チームが結束出来ず最下位に沈んだホークスは、2年目も負け続け、その日の時点で9勝22敗でダントツの最下位だった。 当日、レフトスタンドは、外野応援団「関西鷹狂会」を中心にかなり荒れており、発煙筒が投げ込まれたり、「王辞めろ」「 [続きを読む]
  • 選手として三流だったからこそ・・・・・
  • 選手として三流、監督として二流、GMとしては無双。。。そう評価された根本陸男氏は、昭和元年、茨城県水戸市出身。石神村の村長の家に生まれ、旧制日大三中時代は、バンカラ・硬派であった。。。根本氏らしいのは、他校と揉めた時、自らは前面に出ず、腕っぷしの強い連中を集めて、彼らを上手く使って揉め事を解決していったという。 法政大学を経由して捕手として近鉄に入団するが、選手としては芽が出ず186試合出場で引退 [続きを読む]
  • こうして世界一の打者は・・・・・
  • 昭和59年、王さんは第11代巨人軍監督という重責を担う事になった。しかしながら、前年、藤田監督の下、優勝したチームを預かりながら、5年間に1度しか優勝出来ず、OBや読売の本社筋から批判が相次ぎ、昭和63年オフ、事実上解任される。チーム運営が上手く行かなかった原因は、選手・コーチとのコミュニケーション不足にあった。 王監督は、現役時代の実績があまりにも凄く、監督に対して誰も意見が言えない。。。采配し [続きを読む]
  • 厳しい環境に遭遇した時・・・・・
  • ミニトマトを美味しくするには、茎をワザと曲げてストレスを加えると良いらしい。茎に外圧が加わる事で、トマト自身が「良い種を残さないと、厳しい環境に負け、種が絶滅してしまう。」と判断するからだそうだ。 住宅用建材で最高の木材と言われる尾鷲ヒノキも、とても厳しい環境で育てられる。日本一雨が多く、痩せた岩盤地質の尾鷲地域で、1haに1000本という「超過密状態」で密植する。そこで競争させ、負けたものは間引き [続きを読む]
  • 「もう駄目だ」ではなく・・・・・
  • 西武で引退したノムさんは、この頃、野球評論家として活躍されていた。「野村スコープ」等、新しい視点での野球解説で人気を集めていた。。。「野村本」も執筆し始め、私もむさぼる様に読ませて頂いた。。。そんな中の一節、人生の指針のようにさせて頂いてる部分があるので、原文のまま書かせて頂く。 「耳が何故ついているか。情報を入れる為だろう。だが、ただ耳を向けているだけでは、せっかくの貴重な情報も右から左へ流れて [続きを読む]
  • 信頼関係と言うものは・・・・・
  • 青学の名将・河原井監督が以前、こんな話をされていた。「巨人や阪神のスカウトは、スター選手が出た時だけしか来ない。一方、ホークスのスカウトは普段から頻繁に足を運んでくれて『いい選手はいませんか?』と、我々の評価も含めて情報収集されていた。。。」・・・小久保・松中・井口・・・アマ球界のトップ選手の逆指名を次々と成功させた背景には、ホークスでこの時期起こった『スカウト革命』にあった。 根本監督が就任して [続きを読む]
  • 何度も何度も足を運び・・・・・
  • 青学の名将・河原井監督が以前、こんな話をされていた。「巨人や阪神のスカウトは、スター選手が出た時だけしか来ない。しかも、ビデオで撮るだけで、こっちの話も聞かない。それに比べて、ホークスのスカウトは普段から頻繁に足を運んでくれて『いい選手はいませんか?』と、我々の評価も含めて情報収集されていた。。。」・・・小久保・松中・井口・・・アマ球界のトップ選手の逆指名を次々と成功させた背景には、ホークスでこの [続きを読む]
  • 様々な思いが・・・・・
  • 平和台移転後、ホークスは南海時代どうしても超えられなかった観客動員100万人の目標をあっさり更新し、初年度125万人を集めた。。。。明治通りからも見えるナイターのカクテル光線に誘われ、多くの博多っ子が球場に足を運んだ。。。「球団のある喜びをかみしめるような温かい応援だった。」と杉浦監督は振り返っている。 ある日のロッテ戦、9回裏2死走者1・2塁、代打にドカベン香川が出てきた。。。人気者の登場に場 [続きを読む]
  • 人を動かすものは・・・・・
  • 「球界の寝業師」とか、「根本マジック」という異名は、彼が手練手管で人を意のままに動かして来たというイメージがあるかもしれない。しかしながら、彼の仕事を詳細に見てみると、秘密は別のところににあるのではと、思えることがある。 下柳剛を見て、権藤投手コーチは、「こいつは球も強く、スタミナがある。ただ、見かけに寄らずハートが弱い。場慣れすれば、凄い投手になる。」と判断し、田淵監督に「1軍に上げ、出来るだけ [続きを読む]
  • 部下とコミュニケーションを・・・・・
  • 平和台移転初年度、ホークスはシーズン負け越しの4位であった。しかし、新天地に慣れてきた8月以降は、28勝19敗の好成績で、首位戦線を大いにかき回した。バナザード・アップショー・佐々木・山本が、チャンスに長打力を発揮し、岸川は日本記録に並ぶ3本のサヨナラホームランを放つ等、「閉店間際のダイエー野球」として、ファンを沸かせた。 シーズンオフ、阪神・西武で活躍した田淵新監督の就任を発表する。実力面で優勝 [続きを読む]
  • 苦労に苦労を重ねて・・・・・
  • 球団経営を軌道に乗せるには、観客動員と同時に、地元の企業支援が欠かせない。スポンサーや年間指定席購入など、福岡移転を果たしたホークスにとっては、地元財界に受け入れられないと経営は破綻してしまう。 当初、福岡の経済界は、新球団に非常に冷ややかであった。。。出自がライオンズのライバル・ホークスであった事、ダイエー本社自体の九州地区進出に警戒感があった事が主な原因である。。。新球団発足パーティーを地元財 [続きを読む]
  • ホークスはこうして・・・・・
  • 昭和が終わり、平成が始まった1989年、ホークスは博多に本拠地を移した。。。ライオンズの聖地で、九州の人に応援してもらえるだろうか・・・関西のファンの一番大きな心配はそこだった。。。平和台球場の西武との開幕戦、せめて少しでも応援する者がいないと、選手たちが不憫だと、内野の応援団を中心に30名ほどの有志が、ツアーを組んだ。。。ダイエー球団に届け出でると、「笛太鼓・ダイエー応援旗で応援すること」「南海 [続きを読む]
  • 優しい嘘に・・・・・
  • 南海狂いの親父の影響もあり、子供の頃から私の遊び場は中百舌鳥と大阪球場であった。。。親父が亡くなってからも、青春時代の思い出と言えば殆ど野球場においてのものだ。。。彼女にふられた時も、受験に失敗した時も、会社に入って行き詰った時も、いつも私を慰めてくれたのは、緑のユニフォームだった。。。名古屋に赴任した時も、土日は大抵、近鉄特急で難波まで通った。。。南海ホークスなしの人生なんて考えられなかった。 [続きを読む]
  • ホークスは・・・・・
  • 昭和41年から43年にかけて、南海電鉄は重大事故を立て続けに引き起こした。浅香山の置石による脱線事故、尾崎・樽井間の鉄橋からの転落事故、天下茶屋の急行電車の正面衝突事故・・・それぞれ、死傷者を200名以上出す大事故である。事態を重く見た運輸省は、管理体制の見直しに向け経営陣の刷新に着手する。白羽の矢が立ったのが日本スピンドル社長で関西経済同友会の重鎮・川勝傳氏である。 川勝社長は、大命題の安全対策 [続きを読む]
  • こんな好敵手の話・・・・・
  • 昭和30代の名勝負と言えば、長嶋・村山、野村・稲尾。。。40年代は、王・江夏。。。50年代は、門田・山田かもしれない。。。門田が生涯で一番多くのホームランを浴びせたのが山田で、山田が生涯で一番多くの三振を奪ったのは門田であった。。。山田は門田に対しては、伝家の宝刀・シンカーは投げた事がなく、すべてストレートで勝負した。「門さんを直球だけで三振に取れるかどうかが、僕の投手としての生命線。。。」と山田 [続きを読む]
  • 仲間想いの人は・・・・・
  • 昭和62年の南海は、珍しく8月まで優勝争いした。両山内・藤本・西川・加藤の先発陣が奮闘し、打線もその年2000本安打した門田・加藤秀司・佐々木・山本・湯上谷・河埜・香川・デビット・ハモンドらが援護し、盆明けには西武と並ぶ所まで粘った。。。。普段の年なら、秋口には首位と40ゲームは離されていたが、62年は1〜2ゲーム差・・・ファンも久しぶりに盛り上がり、大阪球場も観客動員記録を更新した。 残念ながら [続きを読む]
  • 今度こそ・・・・・
  • 「公園でおっさんがキャッチボールをしている様な球を、何故打てないんだ!」阪急ベンチの上田監督が、よくイライラしていた。。。そんな西川佳明のピッチングであった。。。PLのエースとして選抜優勝投手、法大時代は16連勝の六大学記録を持ち、鳴り物入りで昭和61年、南海に入団した。130キロの直球と、90キロのカーブで、打者のタイミングを外す投球術は「芸術品」のようでもあり、入団時、杉浦監督が「西川は投球術 [続きを読む]
  • 弱い時代にも・・・・・
  • 斉藤和巳21、和田38、摂津14、山内孝徳106。。。これは生涯の完投数である。。。ついでに無四球試合数を比べると、和巳5、和田9、摂津3、孝徳が28である。。。長期低迷時代のエースが、いかに凄い投手であったか御理解頂けると思う。「バックの守備力と、打線の援護があれば、彼は150〜200勝していた筈だ。それくらいの投手だった・・・」落合の評価である。 孝徳は、非常にキップの良い選手でもあった。完投 [続きを読む]
  • やはり、返事は・・・・
  • 門田博光は、孤高の人である。人と群れることが大嫌いで、試合前は誰とも話さない。マスコミやファン・チームメイトが話しかけても、返事が返ってこないのだ。。。ロッカールームで隣のカズ・山本が、「門さん、おはようございます!」と挨拶しても、いつも無視されていたという。。。「試合前は、気持ちを高めている時間帯・・・誰かと会話すると、折角の集中力が、どこかへ飛んで行ってしまう。。。」人と話さない理由を、門田は [続きを読む]
  • 今でも正月になると・・・・・
  • 昭和63年元旦、中百舌鳥の実家に帰っていた私は、テレビの正月番組にも飽き、家の近くを散歩していた。あたりは正月らしく、冷たく澄んだ空気が漂い、平和で静かな街並みが続いていた。暫く歩くと、遠くから「カーン!・・・カーン!」と乾いた音が聞こえてくる。。。中百舌鳥球場の方向である。。。近づいてみると、音は球場の室内練習場からのものであった。。。。 「元旦から練習している選手がいるんだ!」・・・驚いた私は [続きを読む]