四十路 さん プロフィール

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四十路さん: 日本攻城掃苔録
ハンドル名四十路 さん
ブログタイトル日本攻城掃苔録
ブログURLhttp://mn98.blog50.fc2.com/
サイト紹介文埼玉から、日本全国の城跡を巡っています。
自由文城跡巡りやお墓参りがメインです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供121回 / 365日(平均2.3回/週) - 参加 2008/10/26 01:23

四十路 さんのブログ記事

  • 春の甲州攻め (最終回) 〜長禅寺〜
  •  最終回は長禅寺です。 本当は甲府駅近くに車を置いて、そこから自転車でいくつかの寺を廻ろうと思ったのですが、雨が降ってきたのと日没が近づいていたので、長禅寺を最後にしました。  デカい山門では、ライオンみたいなニャンコが雨宿りをしていましたよ。 んでこの長禅寺は1552年に創建されたとされています。 戦前までは立派な伽藍が残っていたそうですが、空襲でそのほとんどが焼けてしまったそうです。 上の写真の五 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (14) 〜甲府城〜
  •  続きましては甲府城です。 甲府城は甲府市の中心部、というより甲府駅の目の前にあります。 上の写真は甲府駅北口にある山手御門で、平成19年に復元されました。 山手御門の近くにある藤村記念館です。 こちらに続100名城の要害山城のスタンプが置いてあります。 縄張り図も置いてあるので、縄張り図をもらってから要害山城に向かった方がいいかもしれませんね。 甲府城は10年ぶり三度目のため、スタンプが置いてある稲荷 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (13) 〜東光寺〜
  •  続いては善光寺からも近い東光寺です。 平安時代創建とされ、信玄の時代には甲斐五山の一つとされました。 織田信長の甲斐侵攻時に火災にあい、伽藍は焼失しましたが、上の仏壇は焼失を免れて今では国の重要文化財に指定されています。 もちろんここにも有名人の墓がありましよ。 まずは諏訪頼重の墓。 頼重は信玄の妹婿ですが、信玄の父・信虎が甲斐から追放された直後に信玄に諏訪を攻められてしまいます。 もちろん戦い [続きを読む]
  • 越中遠征記(24)・越後編 〜清崎城〜
  •  越中遠征記といいながら、越後にやってきました。  暴風雨のなか、親不知を超えるのはけっこうキツかったっす。 目的の清崎城は、糸魚川市役所の近くの天津神社にあります。 上の写真は土塁でしょうか? わかりません… 神橋の下は濠跡のようです。 こちらは社殿。 茅葺の屋根がかっこいいですね。  上杉景勝が会津に移封になると越後には堀氏が入り、清崎城もこのときに築かれたとされます。 堀氏が改易になり、越後 [続きを読む]
  • 越中遠征記(23) 〜若栗城〜
  •  続いては若栗城です。 北陸新幹線・黒部宇奈月温泉駅の北東1キロほどの場所にあります。 近くまで来ると、田園風景の中に違和感のある土の高まりがあるのでわかりやすいでしょう。 この若栗城の築城時期は不明ですが、戦国時代の上杉謙信侵攻時に落城したとされます。 その時に女侍大将が活躍した『女侍大将伝説』が残るようです。  この城は方形の居館型の城だったようですが、今はその西側の三方の土塁が残っています。 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (12) 〜甲斐善光寺〜
  • サッカー日本代表、決勝トーナメント進出おめでとう!終盤のあのパス回しについては、ノーコメントといたします。 さて、次に訪れたのは甲斐善光寺です。 武田信玄が、川中島の合戦の際に焼失してしまう事を恐れた為に、信濃善光寺の本尊・善光寺如来をここに移したのが始まりです。 そんな善光寺にも有名人の墓があります。 まずはこちら、横田尹松(よこたただとし)です。 尹松は武田24将の一人横田高松の孫で、徳川家康の [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (11) 〜大泉寺〜
  •  信玄の奥さんの菩提寺の後は、信玄のお父さんの菩提寺・大泉寺です。 信玄のお父さんとはあの武田信虎ですが、彼は息子の信玄に甲斐から追放されてしまいました。 信虎は駿河の今川氏に保護されたり、京に遊び(?)に行ったりもしたようですが、亡くなるまで甲斐の地を再び踏むことはありませんでした。 武田信玄が上洛作戦の途中で亡くなるてから1年後の1574年に、息子の信廉が城主であった高遠城内にて亡くなりました。  [続きを読む]
  • 越中遠征記(22) 〜生地台場と謙信手植えの松〜
  •  写真は晴れていますがこの後大雨。 やはり予定していた山城散策は中止して正解でした。 代わりの史跡はなんかないかと探していたら、幕末に築いた台場を発見したので行ってみました。 生地台場(いくじだいば)です。 幕末の加賀藩が三つ築いた台場のうちの一つのようです。 これは復元された大砲ですが、これじゃ黒船になんか立ち向かえないよね(汗) んで、近くにはこんなものもありましたよ。 上杉謙信が旅僧姿でこの [続きを読む]
  • 越中遠征記(21) 〜天神山城〜
  •  続きましては、魚津市郊外にある天神山城を攻略しました。 天神山城は、1582年に上杉方の魚津城が織田の大軍に囲まれた時に、救援に駆け付けた上杉景勝が本陣を置いた場所です。 でもこの時の上杉家は日本海側を除く三方を敵に囲まれ、とても魚津城を救出できる状態じゃなかったんですよね。 結局 景勝は魚津城救出を諦めて春日山へ戻ったのですが、魚津城が落城したのは本能寺の変の翌日でした。 あともうちょっとだったの [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (10) 〜円光院〜
  •  続いては円光院です。 信玄公火葬塚からは歩いていける距離にあるので、歩いていきました。 戦国時代に武田信玄が制定した『甲府五山』のうちの一つで、信玄の正室である三条の方の墓所でもあります。 三条の方といえば、1988年に放送された大河ドラマ『武田信玄』で、紺野美紗子さんが演じていました。 紺野さん演じる三条の方は、とても嫉妬深く、信玄との仲もあまり良くなかったように描かれていました。 あの時代の [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (9) 〜信玄公火葬塚と河尻塚〜
  •  要害山城攻略で膝がガクガクになった後は、信玄公火葬塚にいきました。 場所はわかりにくいですが、ナビでは『北部幼児教育センター』と入力するのが良いでしょう。 そこに駐車場も用意されています。 火葬塚というだけあって、ここで荼毘に付されたということです。 他にも信濃の駒場で火葬したとかいう言い伝えがありますが、江戸時代に甲府の代官が信玄の戒名が入った瓶を発掘した事から、ここが信玄の墓とされたのだそう [続きを読む]
  • 梅雨の晴れ間に唐沢山。(後編)
  •  唐沢山城攻略の後は、佐野房綱の墓がある報恩寺に行きました。  佐野房綱の墓は、本堂のすぐ隣にあります。 房綱は、別名・佐野了伯とか天徳寺了伯とかいいますが、その別名のほうがなじみがある方も多いかもしれませんね。(ノブヤボとか…) 小さい頃から諸国を放浪し、後に秀吉に仕えた後に佐野氏の名跡を継ぎました。 子供がいなかった為に秀吉系の大名の子を養嗣子にして隠居したのですが、そのことが仇になって、徳川 [続きを読む]
  • 梅雨の晴れ間に唐沢山。(前篇)
  •  先日は栃木県佐野市にある、唐沢山城に行ってきました。 もちろん続100名城のスタンプ収集のためです。 私個人としては10年ぶり三回目の訪問でしょうか。 じつはここ、猫がいる城跡として有名なんです。  10年前はいなかったと思うんだけどニャ〜 駐車場で猫と戯れたら登城です。 現在の主郭は、この城を築いたとされている藤原秀郷を祀る唐沢山神社になっているのですが 手水舎では主と思われるニャンにロックオンされ [続きを読む]
  • 越中遠征記(20) 〜魚津城〜
  •  越中遠征四日目、最初の訪問地は魚津城です。 遺構は何もなく、今は小学校になっています。 『小学校になっています』と書きましたが、この小学校は2018年3月で廃校になったそうです。 子供の数が減っているのですね… この際、この小学校跡地を城址公園として整備する予定とかないんでしょうかね?  魚津城を散策(といっても写真を2〜3枚撮っただけですが)した後は、同じ魚津市内にある常泉寺に行きました。 戦国時代 [続きを読む]
  • 越中遠征記(19) 〜富山城と夕食〜
  •  この日の最後の訪問地は富山城です。 朝からずぅ〜っと雨だったけど、やっと晴れたよ。(遅すぎです…) 空いている駐車場を探していて適当に車を入れたら、そこは富山城の地下にある駐車場の様でした。 なので、外に出たらいきなり櫓が見えた。(ような気がしました) この櫓は戦後に建てられた鉄筋コンクリート造りの模擬天守ですが、歴史的な建物だとして国の有形文化財に指定されています。 この写真は礎石だったか石垣 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (8) 〜要害山城〜
  •  積翠寺の後は、その裏山にある要害山城に行きました。 甲斐武田氏の詰めの城として有名ですね。 場所は積翠寺の脇の道を山に向かって行けば、看板が出ているのでわかりやすいでしょう。  登山道から登るとすぐに遺構っぽい石垣が現れます。 この先登ればわかるのですが、遺構にはキチンと看板が出ているので、この石垣は遺構ではなさそうです。  こちらは竪堀と土塁の跡。 写真にするとわかりにくいですね。 こちらは門 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (7) 〜積翠寺〜
  •  続いては積翠寺です。 武田神社から北東に2キロほどの場所にあります。 いつもは正式な参道から入っていくのですが、駐車場のすぐ近くに怪しげなお堂があったので覗いてみました。 そこには信玄公が座っていましたよ。 ご存知の方も多いと思いますが、ここには信玄が生まれた時に使ったとされる産湯の井戸があるのです。  それは本堂の裏にありました。 賽銭がたくさん置いてあったので、皆さん多くの方が来られているの [続きを読む]
  • お台場に行ってきました。
  •  先日はお台場に行ってきましたよ。 もちろん続100名城のスタンプが目当てです。 スタンプは上の写真のマリーンハウス内にありました。  スタンプを押したら、早速『台場』散策です。 歩いて行ける第三台場の石垣です。 函館や長野県佐久市にある五稜郭と同じように、石垣の一番上の石がはみ出している『刎ね出し』が特徴ですね。 城郭検定試験に出ますよ! 四方を土塁に囲まれた正方形の要塞ですが、思っていたより土塁が [続きを読む]
  • 行田で、『おんな城主 直虎』
  •  先日は埼玉県行田市に史跡めぐりに行ってきました。 まずは桃林寺。 開基は奥平信昌の息子の松平忠明。 ちなみに忠明のおばあちゃんは、あの築山殿です。 奥平信昌といえば長篠城主。 長篠の戦いといえば、鳥居強右衛門の話が有名ですよね。 というわけで、ここには鳥居強右衛門の墓があります。 鳥居のマークがあるので、すぐ見つかりました(笑) とはいえこれは長篠の戦で有名な強右衛門の墓ではなく、その子孫の墓だ [続きを読む]
  • 越中遠征記(18) 〜白鳥城〜
  •  続いては白鳥城です。 安田城の北に見える山が白鳥城です。 上の写真のように頂上付近まで車道(しかも二車線!)が走っているので、お気軽に行ける山城になります。 この白鳥城は弥生時代から軍事的拠点だったとされていますが、今の形になったのは富山城の佐々成政を押さえる為、秀吉(または前田利家)が入った時とされています。 その後慶長年間に廃城になったとされます。 堀や曲輪など遺構が残っているとの事でしたが [続きを読む]
  • 越中遠征記(17) 〜安田城〜
  •  続いては安田城です。 富山駅からは南東に7キロほどの場所にあり、国の史跡にも指定されているので場所はわかりやすいでしょう。 この安田城は、戦国時代末期に豊臣秀吉が佐々成政の富山城を攻める為に築城されたとされます。 その後江戸時代に入る前に廃城になったようですが、それだけ短い期間しか存在しなかっただけでなく、遺構が破壊されやすい平城にもかかわらず、これだけの遺構が残るのはとても珍しいですよね。 国 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (5) 〜法泉寺〜
  •  続いては武田信武が開いた法泉寺です。 信武は鎌倉時代〜室町前期の武将で、武田信玄の9代前の甲斐武田氏当主です。 湯村山城を攻略する時に停めた緑が丘スポーツ公園の駐車場からも近いので、歩いて向かいました。 もちろん武田信武の墓がありますよ。 おっと、もう答が出ていますが、武田勝頼の墓もあります。 こちらが信武の墓。 そしてこちらが勝頼の墓です。 勝頼の墓は他にも何か所かありますが、ここが江戸幕府か [続きを読む]
  • 越中遠征記(16) 〜本覚寺〜
  •  富崎城の後はその近くにある本覚寺に行きました。 写真はなぜか、隣の神社… この本覚寺は、戦国時代にこの地を納めた神保氏の菩提寺とされます。  神保氏の墓所は残っていないのですが、神保氏が寄進した鐘が残っています。 この鐘は砂付釣鐘と呼ばれています。 佐々成政が建てた富山城内にも鐘があったのですが、この本覚寺の鐘の音が余りにも素晴らしいので成政は嫉妬し、この鐘の内側に砂を塗り付け音色を悪くしたのだ [続きを読む]
  • 越中遠征記(15) 〜富崎城〜
  •  続いては富崎城です。 場所は、富山市の夢の丘牧場を目指せばすぐにわかるでしょう。 ここにも素晴らしい遺構が残っているとの事でしたが、雨が強いので中に入る事は断念しました。 この富崎城は神保氏の城でしたが、本能寺の変後は佐々成政が治めました。 成政が秀吉に降った後は、廃城になったようです。 [越中国] ブログ村キーワード [続きを読む]