四十路 さん プロフィール

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四十路さん: 四十路直前日記?
ハンドル名四十路 さん
ブログタイトル四十路直前日記?
ブログURLhttp://mn98.blog50.fc2.com/
サイト紹介文四十路直前男の、くだらない日記
自由文城跡巡りやドライブがメインです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供119回 / 365日(平均2.3回/週) - 参加 2008/10/26 01:23

四十路 さんのブログ記事

  • 長岡遠征記(1) 〜与板歴史民俗資料館〜
  •  ここからは、9月に行った新潟県長岡市の史跡めぐりのレポートです。 まず最初は与板地区にある歴史民俗資料館。 通称『兼続・お船ミュージアム』です。 与板は直江兼続が城主を務めた与板城があることで有名ですが、江戸時代は井伊家が治めた与板藩がありました。 というわけで、大河ドラマにあやかった井伊家名宝展をやっていましたよ。 井伊直政が伊賀越えの功で家康から拝領した『孔雀の陣羽織』が展示されるというので [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(15) 〜円覚寺〜
  •  深浦町へとやってきました。 道の駅だかでトイレを借りたついでに良さげな寺を発見! 坂上田村麻呂建立の古刹だそうな。 主に海運業者の信仰を集めたそうで、納められた宝物は航海安全を祈願するののが多いようです。 特に有名人の墓があるというわけではないので、5分ほどで退散です。[奥津軽] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(14) 〜御仮屋〜
  •  内陸の種里城を攻略したら、沿岸部に戻って海沿いを走りました。 途中、千畳敷なる観光地を通ってから到着したのは… 御仮屋です。 上の写真は虎口っぽいですね。 御仮屋とは参勤交代や鷹狩の途中で大名などが休憩する場所のことなので、全国にその名を見ることが出来ます。 ここの御仮屋は、特に9代津軽藩主のお気に入りの御仮屋なんだそうです。 このすばらしい景色を見たら、お気に入りにもなるでしょうな。[奥津軽] ブ [続きを読む]
  • 青蓮寺@東松山
  •  先日は埼玉県東松山市にあります、青蓮寺(しょうれんじ)に行ってきましたよ。 武蔵七党の児玉党に属する入西遠弘がここ小代郷に居を構え、小代氏を名乗ります。 その小代氏の館跡に建てられたのが、この青蓮寺です。 山門の前で振り返れば少し崖のようになっているので、河岸段丘の端に建てられている事がわかります。 (奥に見えるのは、越辺川の土手) その小代氏は元寇の時に九州に派遣されて、そのまま九州の肥後 [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (最終回) 〜香取神宮〜
  •  最終回は下総国一宮・香取神宮です。 神武天皇18年創建というから、紀元前ですよね。 午後五時頃に到着したので、門前町の商店街もほとんど閉店してしまっていて、参拝客も私しかいませんでした。 写真に写っている人物は、門を閉めに回っている神社の方です。 主要な場所は24時間参拝できるのでしょうが、宝物館や社務所などは閉まるんでしょうね。 こちらは重要文化財の楼門です。 近くの鹿島神宮の楼門にも負けず劣らず [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (13) 〜小見川城〜
  •  千葉県は香取市にあります、小見川城へとやってきました。 現在は小見川城山公園になっています。  この小見川城は、12世紀後半に粟飯原氏によって築かれたとされます。 代々粟飯原氏の居城でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めの際は北条氏側に付いたために落城。 その後徳川氏の家臣が入りましたが、まもなく廃城になったようです。 土塁や堀などの遺構が残っていて、写真がもっとあったはずなのですが、なぜか3枚しか残って [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(13) 〜種里城〜
  •  鰺ヶ沢奉行所から車で30分、種里城に到着です。 最初の写真にあるよに、ここは津軽藩発祥の地とされています。 南部氏が安東氏に対抗するために、一族の大浦光信をこの種里城の城主としました。 異説はありますが、その光信の曾孫の大浦為信が津軽地方を統一し、津軽為信と名乗って津軽藩を立藩したことから、ここが津軽藩発祥の地とされるのです。 本郭付近に光信の銅像がありました。 本郭の南には、その大浦光信の墓所が [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (12) 〜島崎城〜
  •  続いては島崎城です。 佐竹氏による三十三館の仕置きで滅亡した島崎氏の居城です。 駐車場が無いので、古宿農村集落センターに車を停めさせていただきました。 城址の看板がある場所に向かうと、こんな場所を通るのですが、堀切でしょうか?  本郭へ行く道は草が生い茂り、先に行くことができませんでした。 後から調べると、御札神社へ行く道があり、その神社の社殿がある場所が本郭だそうです。[鹿行] ブログ村キーワー [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (11) 〜堀之内大台城〜
  •  続いては堀之内大台城です。 佐竹氏は例の『南方三十三館の仕置き』の後、島崎氏の島崎城を落城させます。 その後、この島崎近辺を支配するために佐竹氏が建てた城が、この堀之内大台城です。 しかし、佐竹氏は関ヶ原であいまいな態度をとったために秋田に転封になった為に、わずか数年で廃城になりました。 今は城址には牛堀ちゅう学校が建ち、遺構なんて何も残っていません。 中学校建設時に発掘調査がされたようですが、 [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(11) 〜柴崎城〜
  •  続いては柴崎城です。 小泊港の観光用駐車場があるので、そこから登ります。 柴崎城の築城時期は不明ですが、鎌倉時代から安東氏の居城だったようです。 室町時代に南部氏に十三湊を追われると、最後にこの柴崎城に立て篭もり、さらにこの港から蝦夷地に逃れたそうです。 後に戻ってきて、現在の秋田県能代市の檜山城を本拠とする檜山安東氏となるのですが、それはまた後の話です。 最初の写真の鳥居からは案内が出ているの [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (10) 〜海了寺〜
  •  麻生城の後は、麻生藩主の墓がある海了寺に行きました。 場所は麻生城の麓です。 写真の左上の山が麻生城ですよ。 麻生藩は初代・新庄直頼の時に立藩したのですが、初代の墓はありません。 あるのは四代目の直時のものだけです。  江戸時代には大伽藍を誇ったようですが、明治以降は徐々に衰退し、今では震災で倒れた墓石も修復できないくらい資金難に陥っているようです。 [鹿行] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (9) 〜麻生城〜
  •  島並城の後は麻生城です。 羽黒山公園が麻生城跡なので、迷う事は無いでしょう。 上の写真は現存建築物ではなくて、駐車場にあったトイレですよ。 この麻生城の築城時期は不明ですが、戦国時代には大掾氏一族の島崎氏が奪ったようです。  が、その島崎氏も、佐竹氏の南方三十三館の仕置きによって滅亡しました。 遺構はというと、堀や土塁が鮮明に残っていますよ。 これは遺構かどうか…? たぶん、主郭。[鹿行] ブログ [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(10) 〜十三湊〜
  •  続いては十三湊(とさみなと)です。 十三湊とは鎌倉以降の安東氏の本拠で、アイヌとの貿易の拠点でした。 室町時代に安藤氏が南部氏に追われると、急激に衰退したそうです。 最初の写真の小学校跡あたりに安東氏の館があったそうで、今はどの館の土塁が残る程度です。 これがその土塁です。  奥には十三湖(じゅうさんこ)が広がっていました。[奥津軽] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(9) 〜唐川城〜
  •  福島城の後は唐川城に行きました。 場所はここ(41.072173, 140.356011)です。 国道339号線のこの交差点(41.060425, 140.352765)かこの交差点(41.063198, 140.339548)から行くことができますが、後者の交差点からのほうが楽でしょう。 私は前者の交差点から向かって、途中で諦めてしまいました(汗) 峠がある場所が唐川城の駐車場になっています。  その駐車場からの眺め。 手前が大沼で、奥が十三湖です。 この唐川城 [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (8) 〜是心院・島並城〜
  •  続いては島並城です。 常光院からは南に4キロほどの場所にあります。 今は島並城主の菩提寺・是心院の境内になっています。 案内は無かったけど、これが島並氏の墓かな? 島並氏の情報も島並城の情報もないけれど、このあたりの他の城と同じく、佐竹氏の三十三館の謀殺によって落城したのかもしれません。 怪しい土の盛り上がりは土塁かもね。[鹿行] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (7) 〜常光院〜
  •  続いては常光院です。 この常光院は、佐竹氏中興の祖といわれた佐竹義舜(よしきよ)の開基です。 戦国時代に鬼義重と呼ばれた佐竹義重の曽祖父に当たります。 火災から免れ、創建当時からの姿を今に伝えるこの山門には、佐竹氏の家紋が彫刻されていました。 本堂は再建ですよ。 そして誰のかはわかりませんが、佐竹氏の供養塔がありました。 常光院の裏山は小高城という城なのですが、入口がどこだかわかりませんでした…[ [続きを読む]
  • 江戸城を歩く 2017 〜虎ノ門〜
  •  先日は秋葉原に行ってきました。 というのも、カメラのイメージセンサの表面ではなく奥のほうに埃がついてしまったようで、メーカーまで行って掃除してもらいにいに行ってきたのです。 上の写真だと、左上に影が映っています。 うん、埃は無くなりました♪ 用事が済んだら地下鉄に乗って、虎ノ門まで行きました。 虎の門駅の11番出口に向かいます。 するとこんな看板が… 少し歩くと見えてきました。 これは、この付近 [続きを読む]
  • 加須で、『おんな城主 直虎』
  •  先日は埼玉県加須市(かぞし)旧騎西町にあります、大英寺に行ってきました。 この寺は、騎西城主・松平康重が父である松平康親(松井忠次)の菩提を弔うために、1591年に建立しました。 というわけで、松井松平家の墓があのるかと思ったけれど、それは今は無いようです。 この寺を建立した松平康重の母親は江原政秀の娘で、康重が騎西に転封になった時に一緒についてきて、1599年に亡くなりこの寺に葬られました。 その江原の娘 [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(8) 〜福島城〜
  •  続いては福島城です。 鏡城からは西へ36キロほどの場所にあり、国道339号を走っていると上のような目印があります。 そこから100mほど歩けば、上の写真のような復元された門が出迎えてくれます。 ここは内城といわれる主郭部分で、水濠の跡も良く残っています。 内部は例によって草がボーボーでありました。  [鹿行] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(7) 〜鏡城〜
  •  続いては鏡城です。 中里城からは北へ車で30分ほどの場所にあり、保食神社が目印になります。 主郭付近にも駐車場はあるようですが、保食神社用の駐車場があるので、そこに車を置き歩きました。 城址は今は太田ふれあい公園という公園になっています。 城とは全く関係ないオブジェがありました。  ちょっと登ると主郭らしき場所に到着できますが、ここも草刈が出来ておらず、展望台までたどり着くことが出来ませんでした [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (6) 〜相賀城〜
  •  続いては相賀城(おうがじょう)です。 津賀城の南西5キロほどの場所にあります。 最初の写真の龍翔寺(相賀城主の菩提寺らしい)を目印に、となりの神社が登城口になります。 写真にあるように85mで主郭に到着できます。 切岸っぽいが… そして主郭に建つ神社です。 事前の調査ではこのあたりに櫓を模した展望台があると聞いたのですが、探しても見当たりませんでした。 社殿の裏には土塁らしきものがありました。 この奥 [続きを読む]
  • 鹿行遠征記 (5) 〜津賀城〜
  •  続いては津賀城です。  卜伝の墓からは、北北西に8キロほどの場所にあります。 最初の写真のように公園として整備されているので、ナビで行けば迷う事は無いでしょう。 この津賀城址公園は最近整備されたようで、山頂の主郭付近以外は工事で改変されてしまっているようです。 とはいえ主郭付近は、土塁や堀・虎口などの遺構が良好に残っています。 物見櫓?に登ってみました。 北浦がよく見えました。[鹿行] ブログ村キー [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(5) 〜高楯城〜
  •  続いては高楯城です。 上の写真の五所川原市妙龍寺が城の入口になります。 城を見る前に、立派な仁王門を見ていきましょう! …って、仁王様がいないじゃないか〜 と思ったら… こんなマンガチックな仁王様が扉に張り付いていました(笑) さて、先ほどの妙龍寺の前の道を登っていくと、怪しい城郭建築が見えてきます。 これは公民館らしいのですが、草がボウボウで近づくことが出来ませんでした。 こちらは切岸っぽい遺構 [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(6) 〜中里城〜
  •  高楯城の後は中里城です。 中泊町営中里墓地へ向かう途中に、上の写真の駐車場があります。 高楯城からは北へ20キロほどでした。 階段を登るとすぐ遺構が見えますが、ここも高楯城同様に草が生い茂り、自由に散策することが出来ませんでした。 私が訪れたのは5月中旬だったのですが、色々あるでしょうが、せめて観光シーズンのゴールデンウイークには草刈をしてほしいですよね… この中里城は、築城時期や城主もわかってい [続きを読む]