四十路 さん プロフィール

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四十路さん: 日本攻城掃苔録
ハンドル名四十路 さん
ブログタイトル日本攻城掃苔録
ブログURLhttp://mn98.blog50.fc2.com/
サイト紹介文埼玉から、日本全国の城跡を巡っています。
自由文城跡巡りやお墓参りがメインです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供107回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2008/10/26 01:23

四十路 さんのブログ記事

  • 車山高原と続日本100名城(9) 〜車山高原〜
  •  というわけで毎年恒例の車山高原にやってきました。 いつもどおり登りだけリフトを使い、帰りは高山植物を愛でながら下りることにしました。 頂上の気象レーダーは年に一度公開するそうな。 そして下り…  いつも梅雨明けを狙って休みを取るんですけど、今年の梅雨明けはとても早かったですよね。 そのおかげでニッコウキスゲの見ごろもとっくに過ぎてしまっていて、遊歩道の近くで咲いていたのはほんの数輪でしたよ。 休 [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(12) 〜獅子岩と夕食〜
  •  赤木城を堪能した後は、この日の宿がある熊野市中心部に向かいました。 夕飯を食べようと移動していると、上のようなものを発見しましたよ。 獅子岩というより、ゴジラ岩ですね。 そしてこの日の夕食は、小六さんという店で “てんぷらうどん” をいただきました。 エビがとても大きくておいしかったです。 店主の苗字が蜂須賀なので、店の名前が『小六』なんだニャ[紀伊国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(11) 〜赤木城〜
  •  続いては赤木城です。  と、その前に。 ここは天正・慶長あたりにこのあたりの領主であった藤堂高虎らに背いた、一揆勢の処刑場跡とのことでした。  その処刑場から1キロほどの場所に赤木城があります。 続100名城に選ばれましたが、もし選ばれていなくてもいつか来たいと思っていた憧れの城址です。 ちなみにスタンプは、ここから6キロほど離れた鉱山資料館にあります。 さて、駐車場から少し上るとこのような石垣が出 [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(8) 〜光徳寺〜
  •  続いては光徳寺です。 津金寺からは、南に2キロほどの場所にあります。 この光徳寺は、芦田光玄が初代芦田城主である、父の芦田光徳の菩提を弔うために15世紀後半に建立したとされています。  もちろん芦田光徳の墓がありますよ。 それは本堂の裏山にあるのですが、標識も何もないので探すのに少し苦労しました。 墓石の脇に『芦田光徳』と書いてあったので、これで間違いないです。[信濃国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(7) 〜津金寺〜
  •  続いては金津寺(つがねじ)です。 望月城からは、西に8キロほどの場所にあります。 駐車場の前にある藁ぶきの仁王門には、武田菱が誇らしげ。 鎌倉時代に滋野氏の庇護を受けていたらしいのですが、戦国時代からは武田氏が庇護をしたそうです。 こちらは観音堂。 18世紀の建物で、立科町の文化財に指定されています。 そしてここにも有名人?の墓があります。 13世紀に建てられた、滋野氏の供養塔のようです。 どれが誰 [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(10) 〜熊野本宮大社〜
  •  つづいては熊野本宮大社です。 やっぱりここまで来たら、熊野三山を制覇しなきゃね! 貴祢谷社からは約一時間のドライブでしたが、熊野川沿いの道はとても気持ちよく走ることができました。 まさかの長い階段を登ると、社殿が見えてきます。 ここにもヤタガラスがいますね。 ここから先は撮影禁止なので、気をつけましょう。 中には四つの本殿(第一殿〜第四殿)と、お守り売り場や御朱印受付がありました。 本来は予定に [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(9) 〜貴祢谷社〜
  •  続いて向かったのは貴祢谷社です。 振り仮名がないと『きねがたにしゃ』なんて読めないですよね… 鵜殿城からも近く、ここには駐車場が無いので鵜殿城から歩いていきました。 場所は日比野生コンという会社が目印で、その会社に行けば看板(33.733598, 136.001031)が出ています。 でも私の目的は神社ではなく、この墓石です。 これは先日紹介した鵜殿城を治めた『鵜殿氏一門』の墓で、鎌倉・南北朝期のものなんだそうです [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(6) 〜望月城〜
  •  続きましては望月城です。 望月氏の菩提寺側から徒歩で登ることもできますが、今年の酷暑では徒歩で登ることは命の危険すらあるとの判断から、車で行くことにしました。 上の写真の看板をナビに登録すればすぐに到着できますよ。 看板の近くに駒つなぎ場という名の駐車場があるので、ここに車を止めて歩きます。 左に行く道が登城道です。 歩き出すとすぐに遺構がありますが、土の城だと夏場は草だらけでなにがなんだかわか [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(5) 〜淨光院〜
  •  続きましては、佐久市望月地区にある淨光院に行きました。 この淨光院は15世紀半ばに、望月氏の菩提寺として建立さたそうです。 もちろん望月氏の墓があるのですが、その前にこのあたりの名主であった真山(さなやま)氏の墓が見つかりました。  そしてこちらが望月氏の墓です。 望月氏はこのあたりを治めた豪族で、戦国時代に武田氏が進出してくるとその傘下に入り、例の第四回川中島合戦にも武田軍の一員として参加しまし [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(8) 〜鵜殿城〜
  •  新宮城の脇を流れる熊野川を渡れば三重県です。 水野家の墓参りを済ませたら、三重県に渡り鵜殿城を攻略しました。 登城口は、紀宝町ふるさと歴史館のすぐ近くにある、このローラー滑り台の脇です。 少し登れば、堀切らしきものが見えてきます。 また少し登れば主郭に出ます。 しっかりと土塁で囲まれていますね。 この鵜殿城は、鎌倉時代に鵜殿氏によって築かれたといいます。 その後南北朝の騒乱が収まると、鵜殿氏は三 [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(7) 〜 水野家墓所〜
  •  続きましては、新宮城主であった水野家の墓所に行きました。 城主とはいえ、水野家は紀伊徳川家の家老とういう立場だったので、大名ではありませんね。 場所は新宮高校の南側で、座標は (33.718557, 135.986537)←このあたりになっています。 倒木にも負けず石段を登って行けば… 初代・水野重仲以下歴代城主及び親族16基の墓碑が並んでいます。  一応この人の墓碑だけでも載せておきます。 初代・新宮城主の水野重仲で [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(4) 〜 岩尾城〜
  •  岩尾城主・大井氏の墓参りを済ませたら、その岩尾城を攻略しました。 駐車場は無いとのことだったので、桃源院から歩いて訪問しました。 桃源院から西に10分ほどの場所にある、伊豆箱根三島神社が城跡にあたります。 社殿がある場所が主郭になり、そこは少し高くなっていました。 正確にはこの奥が主郭との事でしたが… 真夏ということで、藪になっていて入ることが出来ませんでした。 本丸には、城主やここでの合戦が原因 [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(3) 〜 桃源院〜
  •  龍岡城の後は、桃源院に行きました。  龍岡城からは北西に10キロほどの場所にあります。  この桃源院は、近くの岩尾城主の岩尾大井氏の三代・大井行真によって祖父と父の菩提を弔うために16世紀半ばに開かれました。 というわけで、ここには岩尾大井氏の墓があります。  …っと、その前に、ここにはリアル『トイレの神様』がいらっしゃいました。 本堂にお参りしてから大井氏の墓参りですが、大井氏の墓は本堂の左奥にあ [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(6) 〜 堀内氏館〜
  •  つづいては堀内氏館です。 熊野速玉大社からは南に700mほどの場所にあり、今は全龍寺という寺になっています。 この堀内氏館は、戦国時代にこのあたりを治めた堀内氏の館です。  平城ですが、近くの山に詰城があったとの事なので、武田氏における躑躅ヶ崎のようなものなんでしょうか?  時の当主・氏善は、秀吉からはこの地を安堵されますが、関ヶ原で西軍についたために改易されます。 この館も、後にこの地に入った浅 [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(2) 〜 龍岡城〜
  •  依田信蕃の墓参りの後は、二つめの五稜郭でおなじみの龍岡城に行きました。 ここは三回目の登城ですが、今回は続日本100名城に選ばれたということで、スタンプ押印が目的です。 なので見学はサラッと… でもいつも思うのですが、なんでここに五稜郭を造ったのでしょうね? しかも規模が小さいので、戦国時代の火縄銃や槍でもすぐに落とせそうな感じがします。  建物遺構は、上の写真の『台所』のみです。 私が行った時は [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(1) 〜 蕃松院〜
  •  さて、ここからは7月の下旬に車山高原に行ったついでに、史跡めぐりをしてきた時のレポートです。 最初の目的地の龍岡城に着いたのは9時ちょっと前。 続100名城のスタンプを押せるのが9時半からだったので、近くの蕃松院に参拝してきました。 蕃松院は以前も紹介しましたが、戦国武将の依田信蕃がある寺です。 信蕃は武田氏の家臣で、武田氏が滅びると織田信長に仕えました。 本能寺の変の後は天正壬午の乱に巻き込まれ…  [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(4) 〜 阿須賀神社〜
  •  新宮城の後は阿須賀神社へとやってきました。 新宮城からは東へ600mほどの場所です。  創建は皇紀238年だそうで、西暦だと紀元前423年です。 こんなに小さくて人もいない神社ですが、世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)ですよ。 私がここに来た理由は別にありました。 阿須賀神社に併設されている博物館に、新宮城の100名城スタンップがあるのです。[紀伊国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(3) 〜新宮城〜
  •  続いては新宮城です。 和歌山県と三重県の境に流れる熊野川沿いにあり、案内も充実している為迷う事は無いでしょう。 駐車場も完備されていますが、上の写真の登城口とは違う場所です。 この新宮城は平安時代末期に築かれたとされていますが、今の近世城郭になったのは関ヶ原の功からこの地を与えられた浅野氏によるものだとされます。 その後一度廃城になっていますが、?川頼宣の紀州入府の時に家老であった水野氏が城主に [続きを読む]
  • 越中遠征記(最終回)・上野編 〜長年寺〜
  •  さて、越中遠征記も最終回です。 最後に訪れたのは長年寺です。 箕輪城からは南東に6キロほどの場所にあります。 もちろん、有名人の墓があります。 上の写真にあるように、箕輪城主・長野氏の墓です。  案内に沿って歩くと、そこに開基・業尚を中心とした長野氏累代の墓がありました。 もちろん武田信玄と激闘を繰り広げた、長野業政の墓もありますよ。(右から二番め。)[上野国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 越中遠征記(28)・上野編 〜龍門寺〜
  •  箕輪城のあとは、井伊直政創建と伝わる龍門寺に行きました。 箕輪城からは北に1キロほどと、歩いていける距離になります。 というわけで、ここには有名人の墓がありますよ。 それは松下源太郎です。 源太郎は、井伊直政の生母・永護院(奥山ひよ)の再婚相手なので、井伊直政の継父ということになります。 昨年の大河ドラマにも登場していましたよね。 写真の真ん中の大きな宝篋印塔は源太郎の息子のもので、その左にある [続きを読む]
  • 越中遠征記(27)・上野編 〜箕輪城〜
  •  越中遠征なのに、上野とはこれいかに… 日本海側が嵐ということで、急遽太平洋側の群馬県・箕輪城にやってきました。 山を一つ越えただけでこんなにも天気が変わるなんて、日本列島っておもしろいですね。 さて、私がこの箕輪城を訪れたのは、たぶん20年ぶりくらいだったでしょうが、ずいぶんと整備されたような印象です。  こちらは平成28年に復元された城門です。 井伊直政時代のものを忠実に復元したんだそうです。 [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(2) 〜熊野那智大社と青岸渡寺〜
  •  補陀落山寺の後は熊野那智大社に行きました。 補陀落山寺からは、内陸に20分ほどのドライブです。 駐車場からはご覧のような階段… 先が全く見えないよぉ… でもお城のような石垣が見えたらテンションが上がります! そしてようやく一の鳥居です。 観光客、特に外国の方が多いです。 おお!遠くに見える二の鳥居です。 あそこまで行けば社殿がありますよ。 あとで調べたら、ここまでで470段でした。 まあ、観音寺山城 [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(1) 〜補陀洛山寺〜
  •  さて今日からは、5月に行った和歌山・三重の史跡めぐりのレポートです。 初日は移動に費やし、最初の目的地の那智勝浦に着いたのは夜8時頃でした。 それからホテルにチェックインし、名物のマグロを頂きましたよ。 翌朝最初に訪れたのは、補陀洛山寺です。 この寺は、補陀洛渡海の拠点となった寺でした。 補陀洛渡海とは、30日分の食料のみを携えて、遥か南方にあるとされていた浄土を船で目指すというもの。 所謂『捨身』 [続きを読む]
  • 越中遠征記(26)・越後編 〜春日山城史跡広場〜
  •   越中遠征記も最終日ですが、この日も生憎の嵐でした。 本来なら春日山城や林泉寺などをまわってから埼玉に帰る計画だったのですが、太平洋側は晴れているとの情報だったので、春日山城のスタンプだけ押したら急ぎ山を越えて関東に出ることにしました。 春日山城のスタンプはこの春日山城史跡公園内の『ものがたり館』にあります。 頂上ではなくて本当に良かった! 次回から越中遠征記・上野編がはじまります(笑)[越後国] [続きを読む]