四十路 さん プロフィール

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四十路さん: 日本攻城掃苔録
ハンドル名四十路 さん
ブログタイトル日本攻城掃苔録
ブログURLhttp://mn98.blog50.fc2.com/
サイト紹介文埼玉から、日本全国の城跡を巡っています。
自由文城跡巡りやお墓参りがメインです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供114回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2008/10/26 01:23

四十路 さんのブログ記事

  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(27) 〜久保田城〜
  •  さて、奥津軽と秋田沿岸の旅も最終日です。 最終日の最初に向かったのは、秋田市の中心部にも近い久保田城です。 続日本100名城に選ばれた『秋田城』とは違う城なのでお間違えなく!! 最初の写真は大手付近ですが、そこからゆるい坂を登っていくと、松下門という門があった場所に着きます。 このあたりにも駐車場はありますが、麓の駐車場に停めて登ってきたほうが登城の雰囲気が出るので、こちらをおすすめします。 そ [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(26) 〜湊城〜
  •  続いては湊城です。 場所は土崎駅前にある土崎神明社です。 この土崎神明社とその脇の公園が湊城の跡のようですが、遺構などはなにもありません。 どこかに土塁があるということだったのですが、どこにも見当たりませんでした。 あったのは、保存状態の悪いデゴイチのくらい。 ここは二つに分かれた安東氏の一つ、湊安東氏の本拠でした。 しかし、戦国末期に安東愛季によって安東氏を一つに統一すると、その息子が湊城を本 [続きを読む]
  • 長岡遠征記(最終回) 〜秋葉公園〜
  •  長岡遠征記最終回は、上杉謙信縁の地です。 栃尾地区にある秋葉公園がその場所なのです。 もちろん謙信初陣の地として有名な栃尾城も攻略予定だったのですが、夕方になってしまったこともあって登るのは止めることにしました。 クマに襲われるのも嫌ですしね… この栃尾にてこの日の史跡めぐりは終了ですが、帰りに道の駅によって栃尾名物油揚げをいただきました。 普通の油揚げと違って、分厚くて大きいです。 焼きたてに [続きを読む]
  • 長岡遠征記(11) 〜龍隠院〜
  •  普済寺の後は、龍隠院に行きましたよ。 場所は乙吉運動広場の脇です。 アクセス道の幅は狭いですが、ちゃんと駐車場はあります。 この寺の開基は源義家とされています。 んで、中興開基は上杉謙信の家臣であった、あの鬼小島弥太郎です。  というわけで、鬼小島弥太郎の墓がありますよ。 それがコレ! と思ったのですが、これは昭和44年に建てられた『鬼児嶋彌太郎城址萬霊供養塔』というものだそう。 あとで調べたら [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(25) 〜脇本城〜
  •  続いては脇本城です。 昨年に続日本100名城に選ばれたこの城も、元々国の史跡なので地図にも載っていて迷うことは無いでしょう。 築城時期はわかっていませんが、戦国時代後期には湊・檜山の両安東氏を統一した安東愛季か居城としました。 そして、佐竹氏が秋田に移封になった際に廃城になったようです。 実は私、この城をとても楽しみにしていたのです。 がしかし、写真ではわかりにくいですが、草が膝くらいまで生い茂 [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(24) 〜染川城〜
  •  続いては染川城です。 場所の座標はここ(39°57'18.7"N 139°48'12.0"E)なのですが、グーグルマップだとキレイに草刈がされていますね。 城域は道の左側の高いところなのですが、どこから入るのかがわかりませんでした。 結局、事前に調べてきた大きな堀切がどこにあるかもわかりませんでした。 道の終点は海になっていました。[出羽国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 長岡遠征記(9) 〜悠久山公園〜
  •  続きましては悠久山公園です。 このあたりでは有名な公園なので、迷うことは無いでしょう。 もちろんお城がありますよ! と思ったら、郷土資料館でした。 ここに城があった事実はありません。 でも、資料館の石垣の一部は、実際に長岡城で使用されていた石が使われています。 資料館内の推しメンは、やっぱり河井継之助でした。 悠久山公園には、長岡藩主を祀った蒼柴神社があります。 随身門は改修しがち〜♪ 拝殿は国 [続きを読む]
  • 長岡遠征記(10) 〜普済寺〜
  •  続いては普済寺です。 場所は長岡駅から東に車で20分ほどの所です。 この寺の裏山にある栖吉城城主・古志長尾氏(謙信の母親が出身)の菩提寺とされたようですが、創建時期などはわかっていないようです。 栖吉城も残念ながら攻略しませんでした。 栖吉城主の墓は残っていませんが、初代長岡藩主・牧野忠成の墓が残っています。  ものすごく登りにくい石段を登っていくとそれはありました。 牧野忠成は1600年の上田城攻めや [続きを読む]
  • 初滑り2018
  •  先日は群馬県川場村にある、川場スキー場に初滑りに行ってきましたよ! そしてアフタースキーは史跡巡りだね! この日は群馬県沼田市にある、成孝院に行きました。 参道には早速、庄田太郎平憲景の墓がありました。 で、庄田憲景色ってだれ? そんな庄田さんの墓はどうでもよく(すいません)、本来の目的はこちら… それは歴代住職の墓地内にありました。 真田信武の墓です。 信武は真田信政の三男でしたが、1645年に [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(23) 〜浦城〜
  •  都合により、秋田県の内陸のほうに寄り道をしてしまいましたが、沿岸部に戻ってまいりました。 浦城です。 築城年代は定かではありませんが、千葉氏や三浦氏が城主だったとされています。 三浦氏が城主だったころに、湊安東氏と檜山安東氏の争いに巻き込まれて落城し、そのまま廃城になったようです。 場所は八郎潟の東側にある常福院の裏山です。 常福院には文化財にも指定されている五輪塔もあったのですが、誰のものかは [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(22) 〜十狐城〜
  •  続いては浅利氏の居城・十狐(とっこ)城です。 この城は、16世紀の初めに甲斐から下向したとされる浅利氏によって築かれました。 その後、安東氏の配下になったり南部氏の配下になったりしたようですが、1598年に安東氏によって浅利氏が滅亡させられたと同時に廃城になたようです。 大館市役所(大館城跡)から、南に10キロほどの場所にあります。 大日神社を目指せば、そこに駐車場もあるので良いでしょう。 大日神社からは、 [続きを読む]
  • 長岡遠征記(8) 〜町田城〜
  •  続いては町田城です。 入口の場所はここ(37.410650, 138.861911)で、長岡駅からですと南に5キロほどの場所です。 先程の登城口から少し登れば、主郭に出ることが出来ます。 単郭の城だったようで、ここ意外には帯郭以外の郭は見当たりませんでした。 景色はまあまあ… 主郭の登城道の反対側の入口には堀にかかる橋があります。 下には見事な堀がありましたが、写真にするとわからないですね。 堀底に通じる道もあったよ [続きを読む]
  • 長岡遠征記(7) 〜栄涼寺〜
  •  続いては栄涼寺です。 長岡駅から北に1キロほどの場所にあります。 線路沿いに歩いていけばすぐに着きますよ。 この栄涼寺は、長岡藩主であった牧野氏の菩提寺です。 遠江時代から、牧野氏と一緒にくっついてきました。 もちろん、有名人の墓がありますよ。 上の写真は、北越戦争の戦没者の供養塔です。 幕末の戊辰戦争の戦いの一つですが、新政府軍と長岡藩を中心とする奥羽越列藩同盟軍と合わせて2000名ほどの犠牲者が [続きを読む]
  • 2017年を振り返る
  •  というわけで、今年も後数時間… 今年最後の記事は、恒例の今年を振り返るものです。 まず、4月。 福島県の日本100名城のスタンプの収集の目的で二本松と会津に行ってきました。 『続』のほうも発表になったので、また近いうちに訪れるでしょうね。 5月も東北でした。 こちらもスタンプ目的で、弘前城と久保田城のスタンプをゲットしました。 『続』も残っているので、弘前城の天守が復旧した辺りにでも行こうかと計 [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(21) 〜一心院〜
  •  大館城の近くに一心院があります。 ここは佐竹氏の家臣の菩提寺なのですが… そこにはなんと、真田幸村の墓があります。 なんでも大坂の陣で死んだはずの幸村は、秀頼と共に薩摩に逃れたのですが、そこでも島津氏が徳川に従順したことで居づらくなり、秋田に移住したとのことです。 秋田では『信濃屋』という商人として一生を終えたそうです。 薩摩が居づらいのなら、秋田はもっと居づらいと思うのですが…   まぁ、そう [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(20) 〜大館城〜
  •  『秋田沿岸部の旅』と書いておきながら、チョット時間に余裕があったので、内陸部の大館市に向かいました。 目的は大館城です。 この大館城は、16世紀後半に浅利氏によって築かれたとされます。 この場所は安東氏・津軽氏・南部氏によって取り合いになりますが、関ヶ原後に佐竹氏が移封してからは、久保田藩の支城になりました。 そして幕末には戊辰戦争(秋田戦争)で焼けてしまい、廃城になりました。 大館市役所のあたりが [続きを読む]
  • 長岡遠征記(6) 〜長岡城〜
  •  続いては長岡城です。 現在のJR長岡駅が城址です。 駅前の大名庭園風(?)の滝がある場所に、城址碑があります。 遺構が何も残っていないのは、明治維新時に新政府に刃向ったために、徹底的に破壊されたのでしょうね。 ↑ ということもあるでしょうが、鉄道敷設前までは公園として残っていたようなのですが、その公園に駅を作ることになってしまったので、開発が進んで遺構が消滅してしまったのでしょうね。 駅前の『アオー [続きを読む]
  • 長岡遠征記(5) 〜蔵王堂城〜
  •  続きましては蔵王堂城へとやってきました。 場所は長岡駅から北に3キロほどの場所にある、金嶺神社がある蔵王公園です。 最初は越後守護の上杉氏の城でしたが、後に古志長尾氏→堀氏と城主が変わり、堀直寄の時に長岡城が完成した為にそこに移って、この蔵王堂城は廃城になりました。 今は水濠と土塁が残っているのみです。 その土塁と、この城を整備した堀直寄の像です。 土塁の上に城址碑がありました。[長岡情報] ブログ [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(19) 〜檜山城〜
  •  続いては淨明寺からも近い、檜山安東氏の居城・檜山城に行きました。 淨明寺から多宝院に向かう途中にあります。 車で主郭近くまで行けますが、麓から登りたい人は多宝院の駐車場を借りるといいでしょう。 かなり傾斜のきつい霧山天神の参道を登れば、社殿が見えてきます。 ここも檜山城の曲輪だったのかな? どんどん進めば、遺構を見ることが出来ます。 立派な堀切! 石碑が建っている場所が二の郭。 檜山城は、檜山安 [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(18) 〜淨明寺〜
  •  秋田県は能代市の淨明寺へとやってきました。 この門は、近くにある檜山城の移築門との伝承があるそうです。  15世紀前半に、檜山安東氏が開いたとされますが、もちろん有名人の墓がありますよ。 それは浅利勝頼の首塚です。 勝頼はあの比内鶏で有名な比内郡の国人領主の二男(か三男)でしたが、安東氏に唆されたかなんかで兄を殺して当主におさまり、安藤氏の傘下になりました。 んが、後に檜山城で行われた酒宴に招かれた [続きを読む]
  • 長岡遠征記(4) 〜与板城〜
  •  続いては与板城です。 与板城とは、あの愛の武将・直江兼続が築いたとされる城です。 天正年間に本与板城からこの与板城に移ってきましたが、主家の上杉氏が会津に移封されたときに廃城になったようです。 場所はm県道69号線を西に向かっていればこんな看板が見えるので、迷うことは無いでしょう。 大河ドラマなどで取り上げられることで、城址が整備されたり駐車場が出来たりするのでありがたいですね。 駐車場からは1 [続きを読む]
  • 長岡遠征記(3) 〜与板陣屋〜
  •  続いては、お船兼続ミュージアムから1キロほどの場所にある『与板陣屋』に行きました。 上の写真には『与板城址』と書いてありますが、次の記事の与板城と区別するためにあえて陣屋とさせていただきました。 この陣屋は、牧野氏が17世紀の前半に与板藩と立藩した際に築かれました。 その後、掛川から井伊家(彦根の分家)が移ってきて後に石高が増やされて城主格になった為に、与板陣屋は陣屋から城にクラスアップしたのです [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(17) 〜本館城〜
  •  日本海側の道を南下し、秋田県は八峰町へとやってきました。 秋田県で最初に訪れたのは、本館城(もとだてじょう)です。  案内看板の近くには駐車場が見当たらなかったので、路上駐車をしてひたすら城址を目指して歩きます。 登城道は一応轍がついているので車も登れるのでしょうが、すれ違うスペースがまったくありませんでした。 最初の看板から15分ほど歩けば、主郭と思われる場所に到着します。 この本館城は、16 [続きを読む]
  • 奥津軽と秋田沿岸部の旅(16) 〜茶右衛門館〜
  •  円覚寺から日本海側の道を通り、30分ほどで茶右衛門館に到着です。 このときばかりは、撮鉄になりたかった! 茶右衛門館の場所(登り口)はここ(40.558165, 139.932825)です。 駐車場は無いですが、近くの踏切を渡ると車2〜3台ほど停めるスペースがあったので、そこに停めさせていただきました。 登りは急ですが、10分ほどで主郭と思われる最頂部に到着でsきます。 これは堀切か? これは柱状節理ですねw(ブラタモリ [続きを読む]
  • 東京で、『おんな城主 直虎』(2)
  •  先日は野暮用で都心に行ってきました。 用事がすんだら、やっぱり史跡めぐりですね♪ まず向かったのが、湯島駅からも近い称仰院です。 ここには井伊谷三人衆の一人、近藤康用の息子の近藤秀用の墓があります。 秀用は大河ドラマに出てくるかはわかりませんが、井伊直政とはそりが合わなかったらしく、後に出奔したそうです。 が、墓は上の写真の車の奥の囲いに囲まれてしまっていて、お参りすることはできませんでした。  [続きを読む]