四十路 さん プロフィール

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四十路さん: 日本攻城掃苔録
ハンドル名四十路 さん
ブログタイトル日本攻城掃苔録
ブログURLhttp://mn98.blog50.fc2.com/
サイト紹介文埼玉から、日本全国の城跡を巡っています。
自由文城跡巡りやお墓参りがメインです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供117回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2008/10/26 01:23

四十路 さんのブログ記事

  • 南紀南勢遠征記(7) 〜 水野家墓所〜
  •  続きましては、新宮城主であった水野家の墓所に行きました。 城主とはいえ、水野家は紀伊徳川家の家老とういう立場だったので、大名ではありませんね。 場所は新宮高校の南側で、座標は (33.718557, 135.986537)←このあたりになっています。 倒木にも負けず石段を登って行けば… 初代・水野重仲以下歴代城主及び親族16基の墓碑が並んでいます。  一応この人の墓碑だけでも載せておきます。 初代・新宮城主の水野重仲で [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(4) 〜 岩尾城〜
  •  岩尾城主・大井氏の墓参りを済ませたら、その岩尾城を攻略しました。 駐車場は無いとのことだったので、桃源院から歩いて訪問しました。 桃源院から西に10分ほどの場所にある、伊豆箱根三島神社が城跡にあたります。 社殿がある場所が主郭になり、そこは少し高くなっていました。 正確にはこの奥が主郭との事でしたが… 真夏ということで、藪になっていて入ることが出来ませんでした。 本丸には、城主やここでの合戦が原因 [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(3) 〜 桃源院〜
  •  龍岡城の後は、桃源院に行きました。  龍岡城からは北西に10キロほどの場所にあります。  この桃源院は、近くの岩尾城主の岩尾大井氏の三代・大井行真によって祖父と父の菩提を弔うために16世紀半ばに開かれました。 というわけで、ここには岩尾大井氏の墓があります。  …っと、その前に、ここにはリアル『トイレの神様』がいらっしゃいました。 本堂にお参りしてから大井氏の墓参りですが、大井氏の墓は本堂の左奥にあ [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(6) 〜 堀内氏館〜
  •  つづいては堀内氏館です。 熊野速玉大社からは南に700mほどの場所にあり、今は全龍寺という寺になっています。 この堀内氏館は、戦国時代にこのあたりを治めた堀内氏の館です。  平城ですが、近くの山に詰城があったとの事なので、武田氏における躑躅ヶ崎のようなものなんでしょうか?  時の当主・氏善は、秀吉からはこの地を安堵されますが、関ヶ原で西軍についたために改易されます。 この館も、後にこの地に入った浅 [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(2) 〜 龍岡城〜
  •  依田信蕃の墓参りの後は、二つめの五稜郭でおなじみの龍岡城に行きました。 ここは三回目の登城ですが、今回は続日本100名城に選ばれたということで、スタンプ押印が目的です。 なので見学はサラッと… でもいつも思うのですが、なんでここに五稜郭を造ったのでしょうね? しかも規模が小さいので、戦国時代の火縄銃や槍でもすぐに落とせそうな感じがします。  建物遺構は、上の写真の『台所』のみです。 私が行った時は [続きを読む]
  • 車山高原と続日本100名城(1) 〜 蕃松院〜
  •  さて、ここからは7月の下旬に車山高原に行ったついでに、史跡めぐりをしてきた時のレポートです。 最初の目的地の龍岡城に着いたのは9時ちょっと前。 続100名城のスタンプを押せるのが9時半からだったので、近くの蕃松院に参拝してきました。 蕃松院は以前も紹介しましたが、戦国武将の依田信蕃がある寺です。 信蕃は武田氏の家臣で、武田氏が滅びると織田信長に仕えました。 本能寺の変の後は天正壬午の乱に巻き込まれ…  [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(4) 〜 阿須賀神社〜
  •  新宮城の後は阿須賀神社へとやってきました。 新宮城からは東へ600mほどの場所です。  創建は皇紀238年だそうで、西暦だと紀元前423年です。 こんなに小さくて人もいない神社ですが、世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)ですよ。 私がここに来た理由は別にありました。 阿須賀神社に併設されている博物館に、新宮城の100名城スタンップがあるのです。[紀伊国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(3) 〜新宮城〜
  •  続いては新宮城です。 和歌山県と三重県の境に流れる熊野川沿いにあり、案内も充実している為迷う事は無いでしょう。 駐車場も完備されていますが、上の写真の登城口とは違う場所です。 この新宮城は平安時代末期に築かれたとされていますが、今の近世城郭になったのは関ヶ原の功からこの地を与えられた浅野氏によるものだとされます。 その後一度廃城になっていますが、?川頼宣の紀州入府の時に家老であった水野氏が城主に [続きを読む]
  • 越中遠征記(最終回)・上野編 〜長年寺〜
  •  さて、越中遠征記も最終回です。 最後に訪れたのは長年寺です。 箕輪城からは南東に6キロほどの場所にあります。 もちろん、有名人の墓があります。 上の写真にあるように、箕輪城主・長野氏の墓です。  案内に沿って歩くと、そこに開基・業尚を中心とした長野氏累代の墓がありました。 もちろん武田信玄と激闘を繰り広げた、長野業政の墓もありますよ。(右から二番め。)[上野国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 越中遠征記(28)・上野編 〜龍門寺〜
  •  箕輪城のあとは、井伊直政創建と伝わる龍門寺に行きました。 箕輪城からは北に1キロほどと、歩いていける距離になります。 というわけで、ここには有名人の墓がありますよ。 それは松下源太郎です。 源太郎は、井伊直政の生母・永護院(奥山ひよ)の再婚相手なので、井伊直政の継父ということになります。 昨年の大河ドラマにも登場していましたよね。 写真の真ん中の大きな宝篋印塔は源太郎の息子のもので、その左にある [続きを読む]
  • 越中遠征記(27)・上野編 〜箕輪城〜
  •  越中遠征なのに、上野とはこれいかに… 日本海側が嵐ということで、急遽太平洋側の群馬県・箕輪城にやってきました。 山を一つ越えただけでこんなにも天気が変わるなんて、日本列島っておもしろいですね。 さて、私がこの箕輪城を訪れたのは、たぶん20年ぶりくらいだったでしょうが、ずいぶんと整備されたような印象です。  こちらは平成28年に復元された城門です。 井伊直政時代のものを忠実に復元したんだそうです。 [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(2) 〜熊野那智大社と青岸渡寺〜
  •  補陀落山寺の後は熊野那智大社に行きました。 補陀落山寺からは、内陸に20分ほどのドライブです。 駐車場からはご覧のような階段… 先が全く見えないよぉ… でもお城のような石垣が見えたらテンションが上がります! そしてようやく一の鳥居です。 観光客、特に外国の方が多いです。 おお!遠くに見える二の鳥居です。 あそこまで行けば社殿がありますよ。 あとで調べたら、ここまでで470段でした。 まあ、観音寺山城 [続きを読む]
  • 南紀南勢遠征記(1) 〜補陀洛山寺〜
  •  さて今日からは、5月に行った和歌山・三重の史跡めぐりのレポートです。 初日は移動に費やし、最初の目的地の那智勝浦に着いたのは夜8時頃でした。 それからホテルにチェックインし、名物のマグロを頂きましたよ。 翌朝最初に訪れたのは、補陀洛山寺です。 この寺は、補陀洛渡海の拠点となった寺でした。 補陀洛渡海とは、30日分の食料のみを携えて、遥か南方にあるとされていた浄土を船で目指すというもの。 所謂『捨身』 [続きを読む]
  • 越中遠征記(26)・越後編 〜春日山城史跡広場〜
  •   越中遠征記も最終日ですが、この日も生憎の嵐でした。 本来なら春日山城や林泉寺などをまわってから埼玉に帰る計画だったのですが、太平洋側は晴れているとの情報だったので、春日山城のスタンプだけ押したら急ぎ山を越えて関東に出ることにしました。 春日山城のスタンプはこの春日山城史跡公園内の『ものがたり館』にあります。 頂上ではなくて本当に良かった! 次回から越中遠征記・上野編がはじまります(笑)[越後国] [続きを読む]
  • 越中遠征記(25)・越後編 〜安福寺〜
  •  糸魚川の内陸部へとやってきました。 安福寺です。 ご覧のように、村上義清の墓がありますよ。 義清は北信濃の領主でしたが、武田信玄に敗れた後上杉謙信を頼り、後に根知城(糸魚川市)を任されました。 でも、結局信濃には帰ることなくこの地で亡くなったんだよね。 しかも仇敵信玄が亡くなる半年前のことですた。 まあ、義清が謙信に『助けて』と頼んだことによって川中島の名勝負が生まれたんだから、彼も歴史を動かし [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (最終回) 〜長禅寺〜
  •  最終回は長禅寺です。 本当は甲府駅近くに車を置いて、そこから自転車でいくつかの寺を廻ろうと思ったのですが、雨が降ってきたのと日没が近づいていたので、長禅寺を最後にしました。  デカい山門では、ライオンみたいなニャンコが雨宿りをしていましたよ。 んでこの長禅寺は1552年に創建されたとされています。 戦前までは立派な伽藍が残っていたそうですが、空襲でそのほとんどが焼けてしまったそうです。 上の写真の五 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (14) 〜甲府城〜
  •  続きましては甲府城です。 甲府城は甲府市の中心部、というより甲府駅の目の前にあります。 上の写真は甲府駅北口にある山手御門で、平成19年に復元されました。 山手御門の近くにある藤村記念館です。 こちらに続100名城の要害山城のスタンプが置いてあります。 縄張り図も置いてあるので、縄張り図をもらってから要害山城に向かった方がいいかもしれませんね。 甲府城は10年ぶり三度目のため、スタンプが置いてある稲荷 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (13) 〜東光寺〜
  •  続いては善光寺からも近い東光寺です。 平安時代創建とされ、信玄の時代には甲斐五山の一つとされました。 織田信長の甲斐侵攻時に火災にあい、伽藍は焼失しましたが、上の仏壇は焼失を免れて今では国の重要文化財に指定されています。 もちろんここにも有名人の墓がありましよ。 まずは諏訪頼重の墓。 頼重は信玄の妹婿ですが、信玄の父・信虎が甲斐から追放された直後に信玄に諏訪を攻められてしまいます。 もちろん戦い [続きを読む]
  • 越中遠征記(24)・越後編 〜清崎城〜
  •  越中遠征記といいながら、越後にやってきました。  暴風雨のなか、親不知を超えるのはけっこうキツかったっす。 目的の清崎城は、糸魚川市役所の近くの天津神社にあります。 上の写真は土塁でしょうか? わかりません… 神橋の下は濠跡のようです。 こちらは社殿。 茅葺の屋根がかっこいいですね。  上杉景勝が会津に移封になると越後には堀氏が入り、清崎城もこのときに築かれたとされます。 堀氏が改易になり、越後 [続きを読む]
  • 越中遠征記(23) 〜若栗城〜
  •  続いては若栗城です。 北陸新幹線・黒部宇奈月温泉駅の北東1キロほどの場所にあります。 近くまで来ると、田園風景の中に違和感のある土の高まりがあるのでわかりやすいでしょう。 この若栗城の築城時期は不明ですが、戦国時代の上杉謙信侵攻時に落城したとされます。 その時に女侍大将が活躍した『女侍大将伝説』が残るようです。  この城は方形の居館型の城だったようですが、今はその西側の三方の土塁が残っています。 [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (12) 〜甲斐善光寺〜
  • サッカー日本代表、決勝トーナメント進出おめでとう!終盤のあのパス回しについては、ノーコメントといたします。 さて、次に訪れたのは甲斐善光寺です。 武田信玄が、川中島の合戦の際に焼失してしまう事を恐れた為に、信濃善光寺の本尊・善光寺如来をここに移したのが始まりです。 そんな善光寺にも有名人の墓があります。 まずはこちら、横田尹松(よこたただとし)です。 尹松は武田24将の一人横田高松の孫で、徳川家康の [続きを読む]
  • 春の甲州攻め (11) 〜大泉寺〜
  •  信玄の奥さんの菩提寺の後は、信玄のお父さんの菩提寺・大泉寺です。 信玄のお父さんとはあの武田信虎ですが、彼は息子の信玄に甲斐から追放されてしまいました。 信虎は駿河の今川氏に保護されたり、京に遊び(?)に行ったりもしたようですが、亡くなるまで甲斐の地を再び踏むことはありませんでした。 武田信玄が上洛作戦の途中で亡くなるてから1年後の1574年に、息子の信廉が城主であった高遠城内にて亡くなりました。  [続きを読む]
  • 越中遠征記(22) 〜生地台場と謙信手植えの松〜
  •  写真は晴れていますがこの後大雨。 やはり予定していた山城散策は中止して正解でした。 代わりの史跡はなんかないかと探していたら、幕末に築いた台場を発見したので行ってみました。 生地台場(いくじだいば)です。 幕末の加賀藩が三つ築いた台場のうちの一つのようです。 これは復元された大砲ですが、これじゃ黒船になんか立ち向かえないよね(汗) んで、近くにはこんなものもありましたよ。 上杉謙信が旅僧姿でこの [続きを読む]
  • 越中遠征記(21) 〜天神山城〜
  •  続きましては、魚津市郊外にある天神山城を攻略しました。 天神山城は、1582年に上杉方の魚津城が織田の大軍に囲まれた時に、救援に駆け付けた上杉景勝が本陣を置いた場所です。 でもこの時の上杉家は日本海側を除く三方を敵に囲まれ、とても魚津城を救出できる状態じゃなかったんですよね。 結局 景勝は魚津城救出を諦めて春日山へ戻ったのですが、魚津城が落城したのは本能寺の変の翌日でした。 あともうちょっとだったの [続きを読む]