くろちゃんウォーキング さん プロフィール

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くろちゃんウォーキングさん: 房総、信州のウォーキング記録
ハンドル名くろちゃんウォーキング さん
ブログタイトル房総、信州のウォーキング記録
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/tatesinakurochan
サイト紹介文中年(?)夫婦の里山、里海ウォーキングを記録しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供365回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2008/11/28 22:20

くろちゃんウォーキング さんのブログ記事

  • 大多喜町の東長寺には貴重なものが伝えられていた
  •  大多喜城から町内と反対方面に降りて行くと、畑の中に東長寺がある。 この寺は、永正11年(1514年)、大多喜根古屋城主武田信清により開基。本多忠政の夫人熊姫の信仰が篤く、位牌所にもなった。 寺には、本多家所用の御膳、熊姫愛用の金欄袈裟などが伝えられている。また武田氏の系譜、正木大膳亮時茂の墨書銘のある蜀江錦法衣等も残っており、これらは熊姫の金欄袈裟等と共に、大多喜城内の博物館に収蔵されている。  [続きを読む]
  • 熊姫は大多喜町に10年
  •  天正18年(1590年)、熊姫は、14歳の時に本多忠勝の長男忠政と結婚して大多喜城へ輿入れし、その後長男忠刻、次男政朝らの生母となった。 慶長6年(1601年)、父忠勝が大多喜から桑名へ移動することになり、熊姫も桑名に移動する。 熊姫は大多喜町で10年余り生活した。 大多喜城に近い東長寺には熊姫愛用の金欄袈裟などが伝えられていることから、熊姫は度々東長寺を訪れていたことが伺える。領地のいすみ、御宿 [続きを読む]
  • 信長と家康の孫娘は「熊姫」
  •  「熊姫」と書いて「ゆいひめ」と読む。 家康の長男信康と信長の娘徳姫が結婚して、生まれて来た次女に、すごい名前を付けたものだ。「ゆいひめ」とは言うものの、「くまひめ」と呼ばれたであろう。 一方、長女は「登久姫」で、母親徳姫とは字は相違するものの読み方は同じ。 二人の娘は家康の孫であり、また信長の孫でもある。 それにしても娘に熊姫という名前はユニークで、この名前を付けた経緯には興味がある。男子を望ん [続きを読む]
  • 忠勝の長男「本多忠政」
  •  天正3年(1575年)、本多忠政は忠勝の長男として生まれる。 長じて忠政は結婚するが、お相手は家康の孫であり、同時に信長の孫でもある熊姫。いかに忠政が家康から信頼され、期待されていたかが伺える。 天正18年(1590年)の小田原征伐に初陣し、岩槻城攻めで功を立てた。関ケ原の戦いでは徳川秀忠軍に属して中山道を進み、上田合戦にも従軍。 慶長14年(1609年)に父忠勝が隠居したため、桑名藩主となる。 そ [続きを読む]
  • 大多喜町ゆかりの人「本多忠勝」
  •  大多喜町では大河ドラマを誘致している。その中心人物が本多忠勝。 天文17年(1548年)、忠勝は岡崎で生まれた。幼い頃から家康に仕え、永禄3年(1560年)、忠勝13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦で初陣する。 元亀元年(1570年)、姉川の戦いに参加し、朝倉軍1万に対して単騎駆けを敢行。この戦いで忠勝は、豪傑との一騎打ちで勇名を馳せた。 以降、多くの戦いの中で見せた豪胆な振舞いや活躍により、信長や秀吉か [続きを読む]
  • 珍しい現象が続けて現れた
  •  夕焼け鑑賞を楽しみにしている。 夕方になると西の空を見ながら、パソコンを開いている。 時には珍しい現象が続けて現れることがある。今年の1月12日、珍しい渦巻き状の夕焼けが現れた後、これもまた珍しく夕焼け空が一面真っ赤になった。1月12日17:031月12日17:10 [続きを読む]
  • 厚い雲に穴
  •  11月28日6:56、東の空を見ると、分厚い雲が一面に垂れ込み、それがダイナミックに移動しているのが分かる。 その様子をしばらく見ていると、一瞬、分厚い雲の一部に穴が開いて、太陽の光が海面に差し込んだ。その一瞬を撮った。 [続きを読む]
  • 東と西では大違い
  •  11月5日6:10過ぎ、勝浦部原から東の空を見ると、日の出直後の太平洋上に黄赤色の朝焼けが現れた。 同じ時刻、西の空を見ると、鴨川方面の尾根には白い雲、その上に黒い雲、わずかではあるが日の出の陽を受けた赤みがかった雲、が見えていた。 同じ時刻に、東と西では大違いの様相を示していた。6時14分6時10分鴨川方面 [続きを読む]
  • 勝浦沖に山脈
  •  11月27日、勝浦沖の海を見たら、勝浦八幡岬の沖に山脈が出現したかのように見える雲が、海面から連なっていた。 海面から湧き上がるように見える雲は、よく見かけるが、今回のように連なって見えることは少ない。 海面から雲が沸き上がることはあり得ないので、このような光景は、地球が丸いことを表している。 [続きを読む]
  • 勝浦沖にTUGS & SPECIAL CRAFT
  •  勝浦沖を見ていたら、大きなクレーンを持つ船とその前に何隻かの船が、ゆっくり左から右に動いている。 何か作業をしているのかと思い、船籍、行先等をパソコンで調べたところ、パソコン画面にはTUGS & SPECIAL CRAFTと表示があった。 タグボート(Tugboat引船)と特別船舶との意味と思うが、船籍等詳細は分からなかった。水深が相当深いあの場所で、どんな作業をしているか興味がある。 [続きを読む]
  • 青空に夕焼け
  •  夕方になっても、雲の少ない青空が残る時は、夕焼けを諦めている。 青空が空全面に残っている時に、薄いすじ状の雲が出ていると、時には、薄い雲が黄赤色に輝くことがある。 写真は、今年11月1日17:00から17:07までの勝浦部原から鴨川方面。 [続きを読む]
  • 黄色から赤に変わる夕焼け
  •  朝焼けの色は朱色に近い黄色、一方夕焼けは黄色、黄赤、赤等様々な色を見せてくれることが多い。 さらに色の変わり方を見ると、赤にならない時もあるが、黄色から始まって、黄赤に変わり、赤で終わる。 波長を調べたら、波長の短い紫から、青紫、青、青緑、緑、黄緑、黄、黄赤、赤の順で、赤は波長が最も長い。 波長が短いと空気中のチリ、分子等とぶつかって拡散するが、波長が長い黄色や赤は拡散しないで、遠くまで届く。  [続きを読む]
  • 趣が異なる三つの橋
  •  城下町大多喜は、大多喜城と大きく蛇行して流れる夷隅川に囲まれている。その夷隅川には、三つの橋「三口橋、行徳橋、外廻橋」が架かかっている。 大多喜城ビューポイントの一つ三口橋の傍らには三口橋碑があり、説明板には、「ひとたび大雨が降ると流れが急となり、旅人や地元の人達は難儀していた。町の商人の呼びかけで、文政5年(1822年)に長さ75m、幅1.5mの橋が架けられた。1町民の呼びかけにこたえて、多くの人達が協 [続きを読む]
  • 大多喜城が続日本100名城に選定されたのは昨年
  •  1521年に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのが大多喜城のはじまりとされる。 天文13年(1544年)に、真里谷氏は正木氏によってこの城を奪われ、以後3代に渡って正木氏が支配。 天正9年(1581年)、正木氏と里見氏との内紛で、里見氏の支配が始まる。天正18年(1590年)、里見氏が上総国を没収されると、同国は家康に与えられ、配下の本多忠勝が城主となり、大多喜藩10万石が成立。 忠勝は天守を持つ城に [続きを読む]
  • 大多喜高校校門は薬医門
  •  大多喜高校に行って驚いたが、薬医門が校門である。この門の横に立つ説明板によると・大多喜城内建造物で唯一の遺構で、二の丸御殿の門 ・本柱2本が中心より前方にあり、控柱を付けた薬医門系 ・明治4年廃藩置県の際、水道設置に功績のあった小高氏に払い下げ ・大正15年、小高氏のひまごが大多喜高校の校門として寄贈 ・大多喜高校新校舎建築の際に、解体保存 ・昭和48年、復元 とある。 説明の中の「本柱2本、控柱を付 [続きを読む]
  • 皇帝ダリア、皇帝ひまわりの一般公開
  •  御宿実谷の日本メキシコ友好の花畑で、11月24日から11月30日の間、満開で咲く皇帝ダリアと皇帝ひまわりが一般公開されている。 御宿駅方面から別荘地御宿台を抜けた突き当りに広い花畑がある。 入口には「花畑」とだけ書かれた標識はあるが、「日本メキシコ友好」、「皇帝ダリア、皇帝ひまわり」等の表示はない。 普段は鍵がかかっている花畑入口に入って、右手に行くと皇帝ダリアと皇帝ひまわりが咲く一帯に出る。  [続きを読む]
  • 今年も美味しい干し柿
  •  今年はどういう訳か、渋柿が不作のようである。 昨年、奥さんが作った干し柿が美味しかったため、今年も干し柿を作ろうと、渋柿を探していた。 しかしなかなか渋柿が手に入らず、今年は干し柿を諦めようかと話していた矢先、11月17日、御宿ユアパークで、販売している渋柿を見て、購入してきた。 早速、奥さんは、カキの皮をむいて、ひもでむすんで、ベランダに吊るした。天気予報を確認して、ベランダで吊るしたり家の中 [続きを読む]
  • 3連休で多くの車が駐車
  •  昨日(11月23日)からの3連休で、マンション駐車場には多くの車が駐車している。 昨日の勤労感謝の日は、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」国民の祝日で、1948年に制定。 稲の収穫を感謝する宮中儀式の新嘗祭(にいなめさい)が、11月23日に行われていることが起源と分かった。写真は11月22日の部原から鴨川方面。 [続きを読む]
  • 千葉県最古の水道
  •  大多喜城駐車場から天守に至る坂の途中に、江戸時代から計画され、明治3年に完成した千葉県最古の水道(5760m)が残っている。 人がやっと入れる程度の穴が掘られており、穴の先には向こう側の入口が見える。 説明板には、「城下町大多喜は、昔から良い飲み水に恵まれず、人々の苦労は絶えませんでした。最後の城主である松平正質の頃ようやく水道の工事が具体化し、明治二年十一月に工事を始め、翌明治三年五月工事が完成し [続きを読む]
  • 大多喜に存在していた隠れキリシタン
  •  大多喜城の天守内部にある千葉県立中央博物館大多喜城分館に行った。 ちょうど企画展が開催されており、貴重な展示を見ることができた。 その中に隠れキリシタンに関わる物2点があった。 一つは十字架で、「江戸時代はキリスト教はご禁制であったが、各地に隠れキリシタンは存在した。これは中央に仏像を刻み、役人の目をごまかそうとしたと思われる。」と解説されている。 もう一つは白磁製マリア像で、「下大多喜の行屋堂 [続きを読む]
  • おでんの季節
  •  朝晩の気温が下がり、おでんの季節になって、奥さんがおでんを作ってくれた。 ダイコン、たまご、コンブ、こんにゃく、厚揚げ、じゃがいも、ボール天、野菜天を煮込んで、二日連続で楽しんだ。 神戸出身の奥さんは、かつてはおでんを関東炊きと呼んでいた。この二つは、単に名前が違うだけではなく、スープの色も、微妙に相違しており、おでんは濃く、関東炊きは薄いと説明していた。 [続きを読む]
  • 朝焼けと夕焼けは色が違う
  •  勝浦の部原では、11月に入って連日のように朝焼けを楽しむことができている。 朝6時過ぎ、日の出に伴い、雲の合間から朱色に近い黄色の光が水平線に差し込んでいたり、雲と水平線の間が黄色に輝いたり、朱色の雲が空高く伸びたり、朱色の光が太陽の周りをボーっと照らしたり、様々な表情を見せてくれる。 朝焼けの色は、朱色に近い黄色が多く、夕焼けの色とは違うような気がしている。写真は、11月に入ってからの勝浦部原 [続きを読む]
  • 練習量が減った
  •  ゴルフコースには奥さんと、週に1、2回のペースで行っているが、練習量は激減した。 理由は今年の夏の暑さ。蓼科に居る時は茅野市内に降りて行って練習していたが、夏の昼間の茅野は暑い。涼しくなっても、一旦怠けると元に戻らない。 たまに練習場に行っても、以前100球を打っていたが、50球になってしまった。1球に集中して、50球をゆっくり打つようにしている。写真は、今日(11月18日)の勝浦沖。 [続きを読む]
  • 大多喜城内に高校
  •  大多喜城内には大多喜高校がある。 日本各地の城を相当数見ているが、城内に高校が存在している例は見ていない。 天正18年(1590年)、小田原城が秀吉により攻め落とされると家康が江戸城に入り、大多喜城を本多忠勝に与えて大多喜藩10万石が成立した。 忠勝は里見氏の北上を防止するために、天守を持つ城へ改築し、城下町を建設した。 明治の代に入って、明治3年(1870年)には、城は取り壊された。 その30年後、明 [続きを読む]