kenmorehills さん プロフィール

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kenmorehillsさん: サイゴン・トリビューン
ハンドル名kenmorehills さん
ブログタイトルサイゴン・トリビューン
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/kenmorehills/
サイト紹介文ベトナム・サイゴンでの生活や趣味の旅行の思い出を思いつきと出来心で書き綴るページ
自由文ベトナム・サイゴンでの2004年4月から2007年3月までの3年間の生活での思い出や現地情報満載です。また、旅行で訪れた場所やグルメの情報も細かく掲載中です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供151回 / 365日(平均2.9回/週) - 参加 2009/02/03 22:23

kenmorehills さんのブログ記事

  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 18
  •  CDショップの店員さんが、香港で人気の女性ボーカルならと紹介してくれたのが、「關淑怡 shirley kwan(シャーリー・クァン)」でした。1989年には、「徳永英明の妹」という売り込みで、カタカナ名の「シャーリー・カーン」として日本でもデビューしましたが、ヒットに恵まれず1990年には日本の芸能界からは撤退しています。「Roxette(ロクセット)」の名曲「Listen to Your Heart」の広東語カバー曲「這是我心裏對白」が、「關 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 17
  •  香港の人気歌手「李克勤 Hacken Lee(ハッケン・リー)」は、日本のヒット曲の広東語カバーを歌っていることで知られています。「安全地帯」の「I Love Youからはじめよう」のカバー曲「夏日之神話」や「大事MANブラザーズバンド」の「それが大事」のカバー曲「紅日」が代表曲です。購入したCDジャケットには「オードリー」の春日のようなへアー・スタイルの「李克勤 Hacken Lee(ハッケン・リー)」が見られました。 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 16
  •  旺角(Mon Kok)の女人街では、お土産品やアクセサリーが並ぶ屋台には目もくれずに、香港の人気歌手のCDを買うためにCDショップを探して歩きました。香港の観光ブックには必ず!!出てくるこの女人街の正式な通りの名前は、通菜街で彌敦道(Nathan Road)から東側へ2本入った通りとなります。CDショップの店員さんに香港の人気歌手を薦めてもらい、「李克勤 Hacken Lee(ハッケン・リー)」「關淑怡 shirley kwan(シャーリー・ク [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 15
  •  旺角(Mon Kok)は九龍半島中部にある繁華街で、彌敦道(Nathan Road)を中心に香港のイメージとなっている通りを覆い尽くす漢字の看板が並びます。脇道に入ると、雀仔街(バード・ストリート)、花墟道(フラワーマーケット)、花園街(スニーカー・ストリート)、通菜街(女人街や金魚ストリート)などがあることでも知られています。地下鉄やバスの発着も頻繁な交通の要所で、飲食店や生活雑貨店そこかしこにあり、通りは一日 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 14
  •  当時の香港には、日本国内よりもリーズナブルな価格で、また1時間程度の待ち時間で眼鏡を作ってくれる眼鏡屋さんがたくさんありました。彌敦道(Nathan Road)を旺角(Mon Kok)方面に歩いて南下している途中で何軒かの眼鏡屋さん立ち寄りました。海外で眼鏡を作るのは初めてでしたが、気に入ったフレームが見つかったので、思い切って購入してみました。フレームを選んだ後は日本の眼鏡屋さんと同じく検眼になりますが、検眼器 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 13
  •  香港二日目は朝から飲茶を楽しもうと考えていましたので、ホテルのある太子(Prince Edward)から彌敦道(Nathan Road)を旺角(Mon Kok)方面に歩いて南下しました。MTR旺角(Mongkok)站の近くにある英語も日本語も通じないローカルな飲茶のお店を見つけて、友だちと2人で身振りと手振りだけで注文しました。蒸籠を積んだワゴンがテーブルを回る昔ながらのワゴン・サービス形式のお店だった思います。来るものを拒まずに食べ [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 12
  •  ビクトリア・ピークからの帰りには、香港サイドの中環(Central)からMTRを利用して九龍サイドの尖沙咀(Tsim Sha Tsui)へ向かいました。MTRのホームでは、日本鉄道のように電車から降りるお客さん優先で開く扉の脇に並んでいたら、順番を守らない人々に押し出されて地下鉄に乗ることができませんでした。比較的図々しい方の私ともっと勢いのある友人の二人連れでしたが、香港の人の多さに圧倒されて記憶があります。ホームで自 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 11
  •  ピークトラムの山頂駅には展望台のピーク・タワーがあり、標高552mの山頂からは香港島や九龍の超高層ビル群やヴィクトリア・ハーバーを見渡すことができます。1990年当時には、高層ビルの数が現在ほど多くはありませんでしたし、IFCやICCなどのような超高層ビルもありませんでしたので、ヴィクトリア・ハーバー九龍サイドの眺めを遮るものはありませんでした。訪れた時期が年末でしたので、クリスマスと新年の特別な装飾が施さ [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 10
  •  香港到着の初日は、ホテルにチャック・インしてすぐに、香港の100万ドルの夜景を見るために地下鉄と徒歩でピーク・トラム駅へ向かいました。ビクトリア・ピークへの往復にはピークトラムを利用しましたが、最大傾斜20度以上急勾配なので強烈な重力を感じました。全長約距離1.4kmの道のりを約10分で結びますが、予想以上の急勾配と住宅地や高層ビルの合間をスレスレに上り下りするトラムの凄さに驚きました。 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 09
  •  香港啓徳国際空港は、香港の玄関口として世界一離着陸が難しいことで有名でした。市街地に近い立地条件でしたので、ネオンサインなどが滑走路の誘導灯と混同することがないように、市街地では点滅する照明の設置が規制されていました。香港の「100万ドルの夜景」は、このような啓徳空港の規制によって産まれたものでした。限られたこうしたちょっと変った規則があってこそ、出来上がったものなのです。1997年7月の香港返還の1 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 08
  •  香港での滞在先は、旺角(Mongkok)にある1990年開業のConcourse Hotel(京港酒店)でした。MTR旺角站から一駅先のMTR太子(Prince Edward)站からも近くて、周囲には地元の人々で賑わうお店が並んでいました。現在は、リニューアルしてMetropark Hotel Mongkok 旺角維景酒店として営業しているようですが、当時はオープン間もない時期でしたので、外観も内装もピカピカでした。ホテル内にあるベーカリーのパンの種類が豊富で、 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 07
  •  当時もアジアの重要なハブ空港として存在していた香港啓徳国際空港でしたが、狭い土地にいろいろなものが詰め込まれていた香港という国を象徴するかのように、一本しかない滑走路や手狭な空港施設に旅客機や乗客がごった返していました。啓徳空港に到着すると、空港ターミナル内にはライフル銃を持った兵隊が立ち並ぶものものしさを目にするほど、日本にはない空港内の厳戒態勢を感じました。ターミナルの外に出ると、無法地帯と [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 06
  •  初めてのビジネスクラスでは、機内のエンターテーメントを楽しみながらゆったり過ごすことができました。白い高層ビルが乱立する香港の街が見えてきた香港到着直前には、Mizuno KELVIN THERMO 2のCMの挿入歌だった高野寛の「Besten Dank ベステンダンク」がヘッドフォンを通して流れていた記憶があります。Besten Dankとはドイツ語で「ありがとう」という意味になるそうですが、歌詞の中にある「こんなところにも 壁が待ってい [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 05
  •  香港へ向かう機内からは、台湾上空を通過して台湾海峡に出ると、進行方向右手に何もない茶色い陸地が見えてきました。しばらくその陸地を眺めていると、突然に白い高層ビルが乱立する香港の街が見えてくると、「香港アプローチ」や「香港カーブ」と呼ばれる香港島上空から右へ旋回して啓徳空港へのランディングが始まります。旋回する飛行機の先には、滑走路が1本しかなかった啓徳空港へのランディングの順番を待つ旅客機が数機 [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 04
  •  1990年に日本航空が運航開始した最新鋭のハイテク旅客機B747-400は「スカイクルーザー」の愛称で呼ばれていました。ビジネスクラスには可動式の個人モニターを導入するなど、当時としては1ランク上のサービスを提供していました。いつかはビジネスクラスに乗ってみたい、最新鋭機B747-400に乗ってみたい、と憧れていましたので、この旅行で思い切って正規運賃を払い成田香港間で日本航空 B747-400「スカイクルーザー」のビジネ [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 03
  •  初めての香港への旅行は、年末年始の繁忙期で格安のパックツアーや格安航空券が満席状態でしたので、成田香港往復の正規運賃のチケットを購入しました。正規運賃ですのでビジネスクラスの利用と正規運賃の周遊ルールを使い航空会社を自由に選ぶことができるので、単純に成田と香港を同一の航空会社で往復するのではなく、以下のような計画で移動しました。1 日本航空 成田 → 香港2 中華航空 香港 → 高雄3 中華航空 [続きを読む]
  • HONG KONG NIGHT SIGHT - 松任谷由実
  •  松任谷由実の「HONG KONG NIGHT SIGHT」は、香港啓徳空港へランディングする旅客機の機内アナウンスで始まる曲です。当時高校生だった私にとっては、いつかは行ってみたいと思えた香港をイメージする曲でしたが、今ではかつての香港国際空港の啓徳空港を思い出す曲となっています。香港島上空から右へ旋回して啓徳空港へのランディングが始まる「香港カーブ」と呼ばれた啓徳空港への着陸進入法を歌詞にした「旋回してる斜めの入 [続きを読む]
  • スラバヤ通りの妹へ - 松任谷由実
  •  松任谷由実のアルバム「水の中のASIAへ」の中で一番好きな曲「スラバヤ通りの妹へ」は、インドネシアの首都ジャカルタに実際にある通りの名前で、オランダ統治時代の雰囲気が残る場所とのことです。戦争中のの日本軍による占領を憂う様子の歴史やオランダ統治時代の建物が高層ビルに変わってゆく情景が脳裏に浮かんでくる曲です。ちなみに歌詞に出てくるインドネシア語やマーレー語の「RASA SAYANG GEH」は、英語でFeeling of Lo [続きを読む]
  • 水の中のASIAへ - 松任谷由実
  •  1981年5月リリースの「水の中のASIAへ」は、松任谷由実の11枚目のオリジナルアルバムとして当時流行の12インチ版レコードでした。1980年代になると、「なるほどザワールド」や「世界まるごとHow much」などの世界の様子を伝える情報番組が放映されて、少しずつ海外旅行も身近に感じるようになりましたが、このアルバムを聴いてアジアの異国情緒あふれる街に思いを馳せていたように思います。12インチ版レコードでしたので「ス [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 02
  •  子供の頃には海外旅行は一生に一度の旅行になるかもしないと本気で考えていたくらい、身近なものではありませんでした。1ドルが360円だった頃の思いでしたので、現在の為替レートからは想像もできないくらいお金のかかるものであったことは間違いありません。松任谷由実の1981年のアルバム「水の中のASIAへ」は、私がアジアに目を向けるきっかけとなった作品でした。FMラジオの番組でこのアルバムについて紹介するユーミンの [続きを読む]
  • 1990年12月 Hong Kong & Taiwan旅行 Part 01
  •  就職して最初の年末年始には、友人と二人で香港と台湾を旅行しました。予約が遅くなって格安のパックツアーや格安航空券は満席状態でしたので、成田香港往復の正規運賃のチケットを購入して、正規運賃の周遊ルールを使って「成田 → 香港 → 高雄 → 台北 → 成田」の順に回りました。香港は初めてでしたのでホテルを予約しておきましたが、台湾は大学4年の夏に一人旅を経験しているので、その時に知り合った現地の友人 [続きを読む]
  • 1990年8月 Korea旅行 Part 20
  •  ソウル最終日は、雨に降られてホテルの近くで買い物をする程度しか外出することができませんでした。お昼前には空港への送迎バスに乗り込んで、空港近くのキムチ屋さんに立ち寄っただけで、金浦空港へ向かいました。飛行機の時間までは、空港内でショッピングをしたり、レストランで昼食を食べたりしながら過ごしました。空港内のレストランでは、最後の韓国料理ということで、コチュジャンで食べる「さしみ丼」を注文しました。 [続きを読む]
  • 1990年8月 Korea旅行 Part 19
  •  ソウル最後の夜は、明洞中心部にある韓国料理店の韓日館(韓一館かもしれない?)でプルコギと鯛のチゲ鍋を満喫しました。ソウル滞在中には、韓国でビールシェアを分け合っていたOBビールとhiteビールの両方を飲み比べていましたが、最後にプルコギをつまみにOBビールを飲もうと入ったお店でした。少しだけ日本語のわかる店員さんが、美味しい魚が入ったチゲ鍋がお薦めと話していたので注文してみました。大きな鍋が運ばれると中 [続きを読む]
  • 1990年8月 Korea旅行 Part 18
  •  当時のソウルでは、Hyundai(現代自動車)の中型車を使った88(パルパル)タクシー やHyundai の小型車Pony2を使った一般タクシーがありました。一般タクシーは通りすがりの路上で同じ方面のお客さんを拾う相乗りもあり、目的地に真っ直ぐに向かっているのかどうか不安になることもありましたが、88(パルパル)タクシーだけでなく割安の一般タクシーも利用してみました。HyundaiのPonyやPony2は三菱自動車の技術をベースに作ら [続きを読む]
  • 1990年8月 Korea旅行 Part 17
  •  明洞では、事前に調べておいた味付け牛カルビの老舗「長寿カルビ」に立ち寄りました。長寿カルビは韓国式に目の前で焼いてくれるタイプの焼肉店ではなく、ステーキハウスのように調理済みのカルビが熱々のステーキ皿で提供されるお店です。長寿カルビのメニューは「ヤンニョムソカルビ(味付け牛カルビ)」「長寿プルコギ長寿カルビグク(あっさり味のカルビスープ)」「長寿クッパプ(辛いカルビスープ)」の4種類が中心ですが [続きを読む]