kenmorehills さん プロフィール

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kenmorehillsさん: サイゴン・トリビューン
ハンドル名kenmorehills さん
ブログタイトルサイゴン・トリビューン
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/kenmorehills/
サイト紹介文ベトナム・サイゴンでの生活や趣味の旅行の思い出を思いつきと出来心で書き綴るページ
自由文ベトナム・サイゴンでの2004年4月から2007年3月までの3年間の生活での思い出や現地情報満載です。また、旅行で訪れた場所やグルメの情報も細かく掲載中です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供156回 / 365日(平均3.0回/週) - 参加 2009/02/03 22:23

kenmorehills さんのブログ記事

  • 1992年08月 Kansas City, New York & Washington D.C.旅行 Part 03
  •  16:35に成田を出発したノ−スウエスト航空028便は、約9時間後に日付変更線を越えて同日の午前10:30にサンフランシスコ空港に着きました。入国審査・税関を通り抜け国内線への乗り継ぎのUSエア−のカウンタ−で、11:50発のカンザスシティ便がキャンセルとなりラスベガス経由便に振り替えとなることを告げられました。ラスベガスでの乗り継ぎ時間を考慮しても、16:10のカンザスシティ便の方が効率的だったので、16:10の便に振り [続きを読む]
  • 1992年08月 Kansas City, New York & Washington D.C.旅行 Part 02
  •  今回の旅行では、アメリカ西海岸への往復にはノースウエスト航空のボーイング747を利用しました。ノースウエスト航空は1989年12月に成田とホノルルの往復にも利用したことがありましたが、当時はパンナム航空撤退により参入したユナイテッド航空とノースウエスト航空がアメリカ本土やハワイなどへ向かう太平洋線の主な航空会社でした。また、ノースウエスト航空やユナイテッド航空は、日本からのアジア路線への以遠権があったの [続きを読む]
  • 1992年08月 Kansas City, New York & Washington D.C.旅行 Part 01
  •  1992年8月には、アメリカのカンザスシティへのホームステイと東海岸のニューヨークとワシントンを周遊する約二週間の旅行に行きました。成田空港とアメリカ西海岸のゲートウェイのサンフランシスコまでの往復にはノースウエスト航空を利用して、サンフランシスコからホームステイ先のカンザスシティへの乗り継ぎとカンザスシティから東海岸への周遊のアメリカ国内線にはUSエアーを利用しました。カンザスシティではホームステイ [続きを読む]
  • 1970年代と1980年代の軽井沢の思い出 - Leyton House レイトンハウス
  •  1980年代後半のバブル期には、旧軽井沢銀座通りにもデザイナーズ・ブランドのお店が軒を連ねるようになりました。ジーンズショップ「摩耶」前のロータリーから旧軽井沢銀座通り少し入った左側には、バブルを象徴するデザイナーズ・ブランドの「Leyton House レイトンハウス」がありました。F1やF3000などのフォーミュラカー・レースのワークスチームやレースの冠スポンサーとして、イタリアのBenetton ベネトンと肩を並べる日本 [続きを読む]
  • 1970年代と1980年代の軽井沢の思い出 - 紀伊國屋
  •  旧軽井沢銀座にあったジーンズショップ「摩耶」前のロータリーには、東京の高級スーパー「紀伊國屋」軽井沢店がありました。夏季のみ営業のリゾートショップでしたので、店舗自体はこじんまりとしたものでしたが、群馬県の在住の私にとっては、東京の高級スーパーにはどんなものが売られているのか覗いてみるのが楽しみでした。ちょっと背伸びをすれば手に入れるできる輸入物の高価な紅茶、ジュース、ジャム、缶詰などを買ってみ [続きを読む]
  • 1970年代と1980年代の軽井沢の思い出 - ザ・リリーズ
  •  軽井沢ベルコモンズのイベントスペースには、マリオンクレープの向かいに小さなステージもありました。私が小学生だった1970年代には、このステージで「ザ・リリーズ」のライブイベントを見たことがあります。ザ・リリーズは、1975年デビューで燕奈緒美と燕真由美のの双子姉妹のアイドルデュオで、1970年代後半を中心に活動していました。「ザ・リリーズ」は、1974年デビューの香港出身の双子姉妹アイドルデュオ「リンリン・ラン [続きを読む]
  • 1970年代と1980年代の軽井沢の思い出 - ベルコモンズ
  •  旧軽井沢銀座通りには,メインの通り以外にもお店の並ぶ横道があります。その中でも、細いアーケード街のようなベルコモンズは、必ず立ち寄る私のお気に入りでした。ベルコモンズ内の小道には、サンリオ、HOTMAN、マリオンクレープ、駄菓子屋、輸入雑貨を扱うお店、イベントスペースなどが立ち並び、万平ホテル方面の裏通りへ通り抜けることができました。旧軽井沢銀座通りの喧噪がそのままこのアーケードにもあり、歩き隙間もな [続きを読む]
  • 1970年代と1980年代の軽井沢の思い出 - 旧軽井沢銀座通り
  •  軽井沢駅南側に巨大なアウトレットモールができる前は、軽井沢の中心とエリアは、「歩行者天国で賑わった旧軽井沢銀座」と「西武デパートやスケートセンターがあった中軽井沢千ヶ滝」でした。軽井沢駅から旧軽井沢銀座にある町営旧軽井沢駐車場へ向かう道路は、7月から9月までの休日にはジーンズショップ「摩耶」前のロータリーまで常に大渋滞でした。ロータリーから北西の延びる旧軽井沢銀座は歩行者天国となっていて、歩く隙 [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 12
  •  サイパンのマニャガハ島のような無人島のDaydream Island デイドリームアイランドへの1日ツアーを現地で見つけて参加しました。Daydream Island デイドリームアイランドへ渡るクルーズ船の港は、Nadi ナンディーナンディーよりも北西にあったので、ホテルのあるコーラルコーストからマイクロバスに揺られて2時間以上の距離でした。クルーズ船に乗船したところからフレンドリーなスタッフたちの歌や踊りが始まり、シュノーケリ [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 11
  •  ビチレブ島南岸のコーラルコースト・エリアにあるWarwick Fiji ワーウィック・フィジー滞在中には雨の日もありましたので、雨で何もすることができない日に西部最大の都市Nadi ナンディーまで貸切タクシーで行ってみました。片道2時間くらいの距離でしたが、リゾートホテル以外何もないコーラルコースト・エリアと違って、フィジー伝統工芸のタパクロスを使ったお土産品を扱う観光客用のお土産屋さん以外にも、インド料理店や中 [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 10
  •  Sugar Cane Train さとうきび列車で到着したNatadola Beach ナタンドラビーチは、ビチレブ島でも指折りの美しいビーチとのことでした。2008年には「フォーブス」誌の選ぶ「世界のビーチベスト25」にも入り、リゾートエリアとして開発も進んでいるようですが、当時は美しい白い砂浜と透明なコーラルブルーの海以外に何もない場所でした。アクティビティなどもありませんでしたので、ビーチでのBBQランチの後は、帰りのさとうき [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 09
  •  フィジーの唯一の鉄道コーラル・コースト・レイルウェイに乗ってNatadola Beach ナタンドラビーチへ行く1日ツアーに参加しました。コーラルコーストレイルウェイは、Nadi ナンディから車で約1時間半のビチレブ島南岸の街Sigatoka シンガトカにあるフィジアンホテルの前から出発して、Natadola Beach ナタンドラビーチに向かうSugar Cane Train さとうきび列車です。さとうきびの栽培が盛んなフィジーで、収穫したさとうきびの [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 08
  •  FIJI BITTER フィジー・ビターは、フィジーを代表する国産ビールで、ラグビーフィジー代表のジャージにスポンサーとして名前が入っていた時代もありました。オーストラリア・メルボルンのローカルビールのVBによく似た寸胴型で茶色の可愛らしいボトルに緑色のラベルでFIJI BITTERと書いてあるのが特徴となります。この375mlの小さなボトルことを「stubby スタビー」と呼ぶのはオーストラリアと同じように思います。ビターという [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 07
  •  ホテルのレストランでは、フィジーの代表的な伝統料理「Lovo ロボ」を食べる機会がありました。ロボは、ニュージーランドのマオリ族伝統料理のハンギなど同じく、地面に掘った穴の中に焼けた石を詰め、バナナの葉やヤシの葉で包んだ食材を時間をかけて蒸し焼きにする南太平洋で伝統的な料理です。時間をかけてゆっくりと熱を通していくので、肉や魚は柔らかく、野菜は素材の味を残した仕上がりになります。地中のオーブンで調理 [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 06
  •  フィジーには「カバの儀式」と呼ばれる伝統的な儀式があり、ホテルのイベントや観光で訪れた村などで、経験することができました。カバは、お祝い事や来客のおもてなしに用いられる儀式で、フィジーだけでなくサモア、トンガ、バヌアツ、タヒチなどの南太平洋の島々で古くから行われています。見た目が泥水のようなカバは、胡椒科の根を乾燥させたものから作られる薬膳ドリンクで、飲むと舌先に痺れるような感覚が残ります。 [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 05
  •  Warwick Fiji ワーウィック・フィジーでは、夜のショータイムとして歌と踊りを織り交ぜたフィジーの伝統芸能「Meke メケ」がありました。フィジー伝統工芸のタパクロスを使った衣装に身を包んだ男性と女性が、来客者をもてなす女性の踊りと戦いを表現した男性の踊りが交互に演じられます。「太鼓」と「地面に打ち付ける竹筒」の2つの楽器と歌だけのシンプルな演奏ですが、優しい響きの歓迎の歌「Ni Sa Bula(ニ・サ・プラ)」で [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 04
  •  美しい海と手つかずの自然が残るフィジーでは、どこまでも続くサトウキビ畑や道を塞ぐようにゆっくり歩く牛など、日本では味わえないようなのどかな風景を目にしました。滞在先のコーラルコースト・エリアは、ビチレブ島南岸に位置する珊瑚礁の美しい海岸で、椰子の木が立ち並び南の島にのんびりしにきたという実感がもてる場所でした。フィジーは原住民のフィジアンと移民のインディアンが共生する国で、大らかでのんびりした性 [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 03
  •  フィジーでの滞在先は、ビチレブ島の南海岸でも有数の美しさを誇るコロレブビーチにあるWarwick Fiji ワーウィック・フィジーでした。私が訪れた1991年以前は、Hyatt Regency ハイヤット・リージェンシーとして営業していたようで、館内にはハイヤットホテル当時の表示が残っていました。ホテルの前には白砂のビーチとコーラルブルーのラグーンが拡がり、プール、ジャグジー、パットゴルフ、ビリヤード、レストラン、バーなどの施 [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 02
  •  成田国際空港とフィジーの玄関口のナンディー国際空港の往復には、フィジー国営航空のAir Pacific エア・パシフィック航空(現 Fiji Airways フィジー・エアウェイズ)の直行便を利用しました。はっきりとした記憶ではありませんが、成田からナンディへは片道10時間前後のフライトだったと思います。現在は日本への航空路は運休となっており、日本から直行便でのフィジーを訪れることはできませんので、オーストラリアやニュー [続きを読む]
  • 1991年08月 Fiji旅行 Part 01
  •  1991年8月には南太平洋のリゾート地「フィジー」に7日間のツアーに参加して友人と2人で行きました。フィジーの属するオセアニア地域は、「ポリネシア」「ミクロネシア」「メラネシア」3つ区分されており、オーストラリアの北東に位置するフィジーはメラネシアになります。ちなみに、ポリネシアはハワイ、ニュージーランド、イースター島を頂点とする三角形の地域、西側の残りの島々の赤道以南がメラネシア、赤道以北がミクロ [続きを読む]
  • SHAKE SHACK 東京国際フォーラム店 (東京 2017)
  •  東京国際フォーラムにあるSHAKE SHACK シェイクシャックは、2000年にニューヨークのマジソン・スクエア発祥、2015年日本初上陸のハンバーガー・ショップです。ファーストフードのハンバーガーチェーンとは一線を画す高品質のハンバーガーをコンセプトに、ホットドッグ、フライドポテト、シェイク(ミルクセーキ)、コンクリート(アイスクリーム)などのメニューが特徴です。オーダー入ってからお肉を焼くので、料理が運ばれるま [続きを読む]
  • 東京大学赤門(東京 2017)
  •  11月下旬に東京に用事があり東京ドームの近くに数泊しました。散歩のついでに本郷界隈まで足を延ばして東京大学の赤門前まで行ってみました。私には全く縁のない東京大学ですが、その赤門は一度は見てみたいと思っていました。この赤門は1827年に建立された国指定重要文化財で加賀藩主前田家が徳川将軍家から妻を迎えた時の住まいに建てられた朱塗りの門とのことです。朝の時間帯なので学生の姿はなく、通勤のサラリーマンや散歩 [続きを読む]