史郎 さん プロフィール

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史郎さん: 伊那の谷から古代が見える!
ハンドル名史郎 さん
ブログタイトル伊那の谷から古代が見える!
ブログURLhttps://utukusinom.exblog.jp/
サイト紹介文古代文字で書かれた 大御食(おおみけ)神社の古記録『美しの社社伝記』の秘密を解明しています。
自由文思兼尊・倭武尊・神代文字「アヒル草文字」の読み方・「壬申の乱」以降の信濃の変遷など、いろんな切り口から地方の古代史を読み解こうと、ぶらり旅に出ました。どこかでお会いしたら、お話をしましょう。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供21回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2009/02/05 06:58

史郎 さんのブログ記事

  • 縄文に潜む「殷」の影
  • ①刻文付有孔石斧山形県羽黒町中川代遺跡から、縄文中期の土器と共に磨製石斧が出土している。但し、大陸に文字ないし記号入りの玉鉞は、いままで見出されていない。文字は「之」の甲骨文字である。②三崎山の青銅刀この青銅刀は山形県北部、庄内地方の鳥海山西麓、日本海に臨む地点から、縄文後期の土器と共に出土した。中国の殷(3,700〜3,100年前)の時代盛期のもの、それも河南省に殷の遺跡... [続きを読む]
  • 日本人Y-D2(D1b) は、世界最古の民族。(ニコイの水芭蕉 より)
  • ①刻文付有孔石斧山形県羽黒町中川代遺跡から、縄文中期の土器と共に磨製石斧が出土している。但し、大陸に文字ないし記号入りの玉鉞は、いままで見出されていない。文字は「之」の甲骨文字である。②三崎山の青銅刀この青銅刀は山形県北部、庄内地方の鳥海山西麓、日本海に臨む地点から、縄文後期の土器と共に出土した。中国の殷(3,700〜3,100年前)の時代盛期のもの、それも河南省に殷の遺跡... [続きを読む]
  • 美しの杜物語のエピソード
  • 菅江 真澄(すがえ ますみ:1754-1829)が、1784年、信濃国本洗馬村に逗留していたときの著書に「洲輪の海(スワノウミ)」がある。その中で、江原村(元塩尻市広丘郷原:ゴウバラ)で見たという「西行上人の筆なるを写しきし」を紹介している。 神祇道ハ我国ノ大租ナレバ糸竹ノ直ナランコト ムネニタエナカラン   駒ガ嶽 スソ野ノ森ニ 来テ見レバ   小町ガ... [続きを読む]
  • 稲 ということばはいつ頃からあったのだろうか?
  • 菅江 真澄(すがえ ますみ:1754-1829)が、1784年、信濃国本洗馬村に逗留していたときの著書に「洲輪の海(スワノウミ)」がある。その中で、江原村(元塩尻市広丘郷原:ゴウバラ)で見たという「西行上人の筆なるを写しきし」を紹介している。 神祇道ハ我国ノ大租ナレバ糸竹ノ直ナランコト ムネニタエナカラン   駒ガ嶽 スソ野ノ森ニ 来テ見レバ   小町ガ... [続きを読む]
  • 音曲と結界
  • 宇野功芳という音楽評論家の著書に、「音楽には神も悪魔もいる」という本がある。もう半世紀も前のことだ。美しい調べは心を和ませると同時に、邪悪な波動を消してくれる。だから古代から音曲を用いて結界を張り、神事を行ったのではあるまいか?今 多くの演奏家らが、言霊を曲に乗せて奏でているが、素晴らしいことだと思う。西洋の宗教曲なども素晴らしい。レクイエムやスターバト・マーテルなど、多くの巨匠が曲... [続きを読む]
  • アヒル草文字で書かれた「大御食神社社伝記」01
  • アヒル草文字で書かれた「大御食神社社伝記」01纏向の日代ノ宮に 天下 治ろしめし給ひし、大足彦忍代別ノ天皇[景行天皇]の御代、日本武尊 東の蝦夷ら征平和給ひて、美鈴刈る信濃ノ国を御還りましし給ひし時に、この赤須ノ里に至りましぬ。日本武尊がこの地に来た年は、大足彦忍代別ノ天皇の御代、とだけあり、年数は書いてない。明治十二年内務省達による神社明細帳には、「景行天皇四十一年、日... [続きを読む]
  • 八華形之御鏡と、花禽双鸞八花鏡
  • 八華形之御鏡(やつはながたのみかがみ) と、花禽双鸞八花鏡(かきんそうらんはちかきょう) 阿智村 阿布知神社は、駒ヶ根市 大御食(おおみけ) 神社の本家筋に当たる。阿智村 阿布知神社の御鏡 花禽双鸞八花鏡は、和泉市久保惣記念美術館蔵の花禽双鸞八花鏡の踏み返しの鏡である。踏み返し技法とは、原型鏡の文様を写した鋳型を使い作る方法のことで、阿布知神社の鏡は、比較的原型に近く、地元伊... [続きを読む]
  • 霊宗道の神髄「日抱きの御魂鎮め」
  • 今話題の「あじまりかん」は「吾道(思兼尊) の円鏡(まるかかみ)」のことであり、霊宗道の物実(ものざね) です。霊宗道の神髄「日抱きの御魂鎮め」 霊宗道【鎮魂帰神法】の変遷飛騨地方に30以上あったという日抱宮には、最近まで「日抱きの御魂鎮め」が伝わっていたという。「日抱きの御魂鎮め」は、先祖の亡骸を埋めた傍に池を造りその池を囲んで心を静めた。一方、宮中には「祝(は... [続きを読む]
  • 現代に生きている「神代文字」
  • 荒神山神社滋賀県彦根市清崎町1931【御祭神】 火産霊神  ほむすびのかみ 奥津日子神 おきつひこのかみ 奥津比売神 おきつひめのかみ【お神札】  おきつひこのみこと ほきつひのおほかみ  おきつひめのみこと(奥津は、カマドの下の燃え残りをオキまたはオキ火ということから生れたと思われます) [続きを読む]
  • 日本書紀には、高皇産霊尊系列を葬ったことを記してある。
  • 日本書紀には、高皇産霊尊系列を葬ったことを巧妙に記してある。「第九段一書 大物主神を祀った始まり」高皇産靈尊因勅曰「吾、則起樹天津神籬及天津磐境、當爲吾孫奉齋矣。汝、天兒屋命・太玉命、宜持天津神籬、降於葦原中国、亦爲吾孫奉齋焉。」乃使二神、陪從天忍穗耳尊以降之。高皇産靈尊は命じた。「わたしは神が宿る『樹』の天津神籬(アマツヒモロキ) と神が宿る『岩』の天津磐境(アマツイワサカ... [続きを読む]
  • 「蘇民将来、来福之守」は、哀しい話し!
  • ★ 哀しい「蘇民将来、来福之守」の話し!古代大化改新以前の日本では、新羅系の蘇我と白山が主導権を握っていた。その蘇我(白山連合) 権力を倒したのが大化改新で、百済系の奈良王朝(中大兄皇子) と中国系の吉備王朝(藤原鎌足) が連合してのクーデターだ。律令体制はそのままで、六世紀頃には神奈川県の蘇我川畔に栄えていた蘇我(蘇民) らの末裔は全国に散らばった。哀しいことに列島... [続きを読む]
  • ホツマの姿が今に残る「諏訪」
  • ホツマの姿が今に残る「諏訪」!諏訪大社上社境外摂社に「御射山神社」がある。御祭神は、建御名方神・大己貴神・高志沼河姫神・ 国常立命古来、この辺は狩場であり、この地で行われる御狩の神事は全国的にも有名で、諏訪信仰の広める一因でもあった。ホツマツタヱにこうある。アマテル神は言った。スワの神(建御名方) が山深き国からやって来て願い出るのには、「信濃は大層寒... [続きを読む]
  • 神歌
  • かみうた(神歌)ドイツ人、ケンパーマンがローマ字表記したものです。 かみうた かみはゆく としきはとまね かねこなる ますみのかかみ おもかははりてや あ吾郷清彦 訳(読み違いがあるとしてます) カミウタ         (神歌) カミハユク        (神は行く) ヒキコハヒカヒ カヒヤフル (?) マスミノカカミ      (真澄の鑑) オモハ... [続きを読む]