坂の上のヒゲおやじ さん プロフィール

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坂の上のヒゲおやじさん: 坂の上のサインボード
ハンドル名坂の上のヒゲおやじ さん
ブログタイトル坂の上のサインボード
ブログURLhttps://signboard.exblog.jp/
サイト紹介文歴史、大河ドラマ、時事ネタ、野球ネタなどいろいろ。コメント歓迎です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供283回 / 365日(平均5.4回/週) - 参加 2009/02/08 18:58

坂の上のヒゲおやじ さんのブログ記事

  • 江戸城を歩く。 その6 「本丸」
  • 「その5」のつづきです。中雀門を入ると、本丸跡です。現在は芝生広場になっていますが、かつてはここに本丸御殿がありました。御殿など建物は、長い江戸時代のなかで何度も焼失しては再建されてきましたが、文久3年(1863年)の火災で焼失し、その後は再建されませんでした。 御殿は南から表・奥・大奥の三区域から成... [続きを読む]
  • 西郷どん 第46話「西南戦争」その4 〜西郷軍解散と木戸孝允の死〜
  •  昨日の続きです 田原坂の陣を奪われた西郷軍は、以後、退却を重ねていくことになります。3月20日に田原坂をあとにした西郷軍の本営は、4月以降、神瀬、木山を経て、もともと薩摩国に接し、薩摩の影響の強い人吉へと移されました。ここで西郷隆盛は、負傷した別府晋介を鹿児島に帰らせ、先に熊本から帰郷していた桂久武とともに、新たな兵員の募集に当たらせました。この期に及んで、まだ西郷は... [続きを読む]
  • 西郷どん 第46話「西南戦争」その2 〜熊本城攻防戦〜
  •  昨日の続きです。 東上を開始した西郷軍は、連日の雪のためにその行軍は難行しましたが、明治10年(1877年)2月21日、熊本城下に到着しました。当時、熊本城には日本陸軍の熊本鎮台が置かれていました。ここで西郷軍は軍議を開き、全軍をもって熊本城を攻撃するか、一部の兵で城を攻撃し、残りはこのまま熊本城を捨て置いて北上するかが話し合われます。冷静に考えれば、彼らの目的が上京して政府に詰問するため... [続きを読む]
  • 西郷どん 第46話「西南戦争」その1 〜西郷の挙兵〜
  •  明治10年(1877年)2月15日に挙兵した西郷軍は、出水街道と大口街道の二道に分かれて東上を開始。そしてその総大将である西郷隆盛も、2月17日に鹿児島を発ちます。このとき、南国の鹿児島では珍しい50年に一度と言われた大雪が数日前から降り続き、町を白く染めていたと伝えられます。西郷軍は出陣するにあたって7大隊を編成し、篠原国幹、村田新八、永山弥一郎、桐野利秋、池上四郎、別府晋介に、それぞれ... [続きを読む]
  • 江戸城を歩く。 その5 「三ノ丸〜二の丸」
  • 「その4」の続きです。皇居外苑から北上し、大手門に向かいます。 慶長8年(1603年)に徳川家康が幕府を開くと、天下普請と称して全国の諸大名に散財させ、大坂城に負けない豪壮な城の拡張に着手し、やがてその事業は2代将軍・徳川秀忠、3代将軍・徳川家光に引き継がれ、寛永13年(1636年)に内外郭合わせてほぼ全容を完成させました。現在、江戸城の中心... [続きを読む]
  • 江戸城を歩く。 その3 「桜田門」
  • 「その2」の続きです。皇居正門から二重橋濠沿いに南へ歩きます。打込み接ぎの高い石垣が続きます。 濠が直角に西へ曲がったところに、渡櫓門が見えます。皇居から霞が関エリアに抜ける「桜田門」です。 桜田門といえば、なんと言っても思い出されるのは、幕末に起きた「桜田門外の変」でしょう。</o:... [続きを読む]
  • 西郷どん 第45話「西郷立つ」その3 〜弾薬庫襲撃事件〜
  • 昨日の続きです。 西郷隆盛の暗殺計画が持ち上がる少し前、政府内では鹿児島の不穏な動向に対処すべく、ある計画を立案します。その計画とは、鹿児島の兵器弾薬製造所を大阪へ移すというものでした。もちろん、これは鹿児島での反乱の発生を視野に入れた緊急対策でした。この製造所は、かつては薩摩藩の弾薬庫でしたが、維新後は政府軍の管轄下になっていました。国のものである以上、政府がこれをど... [続きを読む]
  • 西郷どん 第45話「西郷立つ」その2 〜西郷暗殺計画〜
  •  昨日の続きです。 各地で不平士族の反乱が勃発していた同じ頃、鹿児島県では、県令・大山綱良以下の役人には一人も県外人を入れず、すべて私学校とその分校の幹部を就かせて、県政は中央政府の法令には一切従わず、私学校の指導で行われていました。県下の租税はいっさい中央にあげず、県下では秩禄処分もなく、太陽暦も採用せず旧暦を守り、士族は相変わらず刀を帯び、ひとたび西郷隆盛の命令が下... [続きを読む]
  • 西郷どん 第45話「西郷立つ」その1 〜神風連・秋月・萩の乱〜
  •  明治2年(1869年)の版籍奉還から明治4年(1871年)の廃藩置県によって武士は一律士族とされ、藩士としての知行を失いますが、そこで士族たちはいきなり収入がなくなったわけではなく、しばらくは明治政府から知行の代わりに家禄が支給されていました。この家禄は、武士時代の知行に比べると大幅な減額だったのですが、武士時代と違って藩の職務はありませんから、その間に商売をはじめたり、家禄で土地を買って... [続きを読む]
  • 江戸城を歩く。 その1 「和田倉門〜巽櫓〜桔梗門」
  • 東京のド中心部にある天皇陛下のお住まい、皇居。江戸時代は徳川幕府の政庁・江戸城だったことは誰もが知るところだと思います。ただ、そのすべてが皇居となっているわけではなく、皇居として使用されているのはかつての西の丸のみで、江戸城の中心部にあたる本丸、二の丸、三の丸の一部は、皇居東御苑として一般公開されています。過日、東京を訪れた際... [続きを読む]
  • ブログ開設10周年のご報告。
  • 唐突ですが、本日は手前味噌なご報告です。2008年11月より続けてまいりました当ブログですが、今月でなんと10周年を迎えることとなりました。これもひとえに皆々様のご厚情あってのことと、厚く御礼申し上げます。この間に起稿した拙文数は1,635稿、いただいたコメント数は2,773件(このうち約半分は自身の返答ですが)、この10年間... [続きを読む]
  • 西郷どん 第44話「士族たちの動乱」その3 〜私学校の創設〜
  • 昨日の続きです。明治6年の政変によって西郷隆盛は下野し、明治6年(1873年)11月10日に鹿児島に帰郷しますが、このとき、西郷に追従するかたちで多くの官僚、軍人が辞職しました。その人数は、鹿児島県だけでも数百名に及んだといいます。代表的なところでは、桐野利秋、篠原国幹、淵辺群平、別府晋介、河野主一郎、辺見十郎太などで、彼らは、朝命で東京に残るよう命令されていたにも関わ... [続きを読む]
  • 西郷どん 第44話「士族たちの動乱」その2 〜佐賀の乱〜
  •  昨日の続きです。  新政府に対する不平士族たちの反乱の狼煙は、まず九州の佐賀において上がります。佐賀は、いわゆる「薩長土肥」の一角として維新政府に人材を輩出していましたが、その実は薩長主導のもとその風下に立たされており、佐賀人はその憤懣を募らせていました。そんな背景のなか、明治6年の政変によって、江藤新平、副島種臣が政府からはじき出されたことが導火線となり、明治7年(1876年)2月1日、... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その167 「臥雲山即宗院」
  • 「その164」で紹介した東福寺の塔頭のひとつである臥雲山即宗院は、薩摩藩ゆかりの寺院として知られています。 即宗院は、南北朝時代の元中4年(1387年)に薩摩国の守護大名だった6代目・島津氏久の菩提を弔うため創建されました。その後、永禄12年(1569年)に火災で焼失しますが、慶長18年(1613年)、島津家久よって再興され、以来、薩摩藩の畿内... [続きを読む]