坂の上のヒゲおやじ さん プロフィール

  •  
坂の上のヒゲおやじさん: 坂の上のサインボード
ハンドル名坂の上のヒゲおやじ さん
ブログタイトル坂の上のサインボード
ブログURLhttps://signboard.exblog.jp/
サイト紹介文歴史、大河ドラマ、時事ネタ、野球ネタなどいろいろ。コメント歓迎です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供283回 / 365日(平均5.4回/週) - 参加 2009/02/08 18:58

坂の上のヒゲおやじ さんのブログ記事

  • 幕末京都逍遥 その152 「城南宮」
  • 「その150」で紹介した小枝橋から300mほど東にある城南宮は、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いの際、薩摩軍が陣を布いた場所です。 鳥羽街道を北上してきた旧幕府軍に対して、薩摩藩を中心とする新政府軍は、ここ城南宮から小枝橋方面に東西に長い陣を布いて北上軍への備えとしました。境内には、鳥羽・伏見の戦いを説明する駒札が建てられていま... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その151 「鳥羽離宮跡」
  • 「その150」で紹介した小枝橋の石碑が建つ場所のすぐ南側に、鳥羽離宮跡があります。鳥羽離宮は平安時代後期に白河天皇(第72代天皇)、鳥羽天皇(第74代天皇)、後白河天皇(第77代天皇)が院政を行った御殿があったところです。ここも、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦い時には戦場となりました。 現... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その149 「魚三楼(弾痕)」
  • 「その147」で紹介した伏見奉行所の近くにある料亭・魚三楼には、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に勃発した鳥羽・伏見の戦いにおける銃撃戦でできたとされる弾痕があります。 城下町である伏見は、L字路、T字路といった敵から見通せないように工夫された街路がいくつも組み合わさった「遠見遮断」と言われる構造になっています。そのため、鳥羽伏見の戦い... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その148 「伏見口の戦い激戦地跡」
  • 「その137」 「その138」で紹介した寺田屋のすぐ西側にある京橋の傍に、「伏見口の戦い激戦地跡」と刻まれた石碑があります。 京橋は宇治川に注ぐ川に架かる橋です。江戸時代、京橋周辺は船着場として栄えました。寺田屋がその船着場の旅館として幕末ににぎわっていたという話は、以前の稿でお話ししたかと思います。... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その147 「伏見奉行所跡」
  • 「その146」で紹介した御香宮神社から200mほど南下したところに、かつて伏見奉行所がありました。現在、その跡地には石碑が建てられ、往時を思わせる塀が演出されています。 慶応3年12月9日(1868年1月3日)に王政復古の大号令が下されると、4日後の12月13日に会津藩の命を受けた新選組は、伏見方面の治安維持の名目で伏見奉行所へ駐屯することとな... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その146 「御香宮神社(薩摩軍本営跡)」
  • 伏見にある御香宮神社を訪れました。ここは、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いで、薩摩藩の本営が置かれていた場所です。 御香宮神社の創建の由緒は不詳ですが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録があるほど古い神社です。現地説明板によると、慶応3年12月9日(1868年1月3日)、王政復古の大号令が下されます... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その145 「伏見土佐藩邸跡」
  • 前稿で伏見長州藩邸跡、前々稿で伏見薩摩藩邸跡を見て回ったので、となれば、次は土佐藩邸跡に行かないわけにはいきません。 土佐藩邸跡の石碑は、長州藩邸から300mほど東に建てられています。 慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いで、土佐藩兵は警備についてはいましたが、前藩主の山内容堂は、この戦いは薩摩・長州と会津・桑... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その141 「坂本龍馬避難の材木小屋跡」
  • 「その138」で紹介した寺田屋で伏見奉行所の捕り方の襲撃を受けた坂本龍馬と三吉慎蔵は、からくも脱出に成功しますが、龍馬は数日前から風邪をひいていて熱があり、また、襲撃時の戦闘によって負傷した指の傷がかなり深く、出血多量による極度の貧血も重なって動けなくなります。やむを得ず、川端の材木小屋を見つけて密かに忍び込み、身を潜めました。現在、その材木小屋が... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その140 「伏見竜馬通り」
  • 史跡ではありませんが、伏見には「伏見竜馬通り」と名付けられた商店街があります。 この付近は伏見宿の本陣・脇本陣・旅籠・船宿が軒を連ね、大いに賑わった町でした。この通りは、はじめ本陣木津屋の前の図子(づし・小路のこと)だったことから、木津屋図子とも呼ばれ、のちに南納屋町とも称しました。 江戸時代、伏見は水運陸運の要衝でし... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その139 「お登勢の墓(松林院)」
  • 寺田屋から300mほど南西にある松林院の墓地に、幕末の寺田屋の女将・お登勢の墓があります。 6代目寺田屋伊助の妻・お登勢は、放蕩者だった伊助の死後、寺田屋の女将となって店を切り盛りしました。もともとお登勢の実家は近江国大津の旅館だったらしく、子供の頃から女将になるためのスキルを十分に磨いてきた女性だったのでしょうね。お登勢... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その138 「寺田屋 その2」
  • 「その137」に続いて寺田屋です。本稿では、慶応2年1月23日(1866年3月9日)に起きた寺田屋事件、いわゆる坂本龍馬襲撃事件を追います。 この事件が起きたのは、坂本龍馬が尽力したとされる「薩長同盟」が締結された翌々日のことでした。この時点では、まだ幕府側には薩長同盟の事実は漏れていませんでしたが、坂本龍馬が長州の桂小五... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その137 「寺田屋 その1」
  • 伏見にやってきました。「幕末」「伏見」といえば、まず訪れなければならないのは、船宿の寺田屋でしょう。寺田屋は大阪と京都をを結ぶ通船の京側の発着点にあり、西国雄藩の志士たちの足溜りとして幕末当時はたいへんな賑わいだったと伝えられます。 幕末、ここ寺田屋ではふたつの大きな事件が起きています。ひとつは、文久... [続きを読む]