坂の上のヒゲおやじ さん プロフィール

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坂の上のヒゲおやじさん: 坂の上のサインボード
ハンドル名坂の上のヒゲおやじ さん
ブログタイトル坂の上のサインボード
ブログURLhttps://signboard.exblog.jp/
サイト紹介文歴史、大河ドラマ、時事ネタ、野球ネタなどいろいろ。コメント歓迎です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供268回 / 365日(平均5.1回/週) - 参加 2009/02/08 18:58

坂の上のヒゲおやじ さんのブログ記事

  • 幕末京都逍遥 その42 「古高俊太郎邸跡」
  • 池田屋跡から500mほど南下した河原町通と木屋町通の間の細い路地の一角に、「古高俊太郎邸跡」と刻まれた石碑が建っています。古高俊太郎は攘夷派の志士で、池田屋事件の発端となった人物です。 古高俊太郎は近江国大津出身で、京都に移住したのち梅田雲浜に師事し、尊皇攘夷思想を学びます。その後、同士のひとりだった湯浅五郎兵衛の依頼で、... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その38 「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」
  • 三条大橋を東に渡って100mほど歩いたところに、「池田屋事変殉難志士墓所跡」と刻まれた石碑が建てられています。かつて、この場所には「三縁寺」という寺があり、元治元年6月5日(1864年7月8日)に起きた池田屋事件で討死した攘夷派志士たちが葬られていました。 事件発生後、現場に打ち捨てられたままになっていた志士たちの遺体は、ここにあった三縁寺に運... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その36 「池田屋跡」
  • 木屋町通りと河原町通りの間の三条通り沿いに、「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑があります。説明するまでもないと思いますが、「池田屋騒動」とは、元治元年6月5日(1864年7月8日)夜、在洛の長州、土州など諸藩の尊王攘夷派志士たちが謀議中に新撰組に急襲され、乱闘のすえ多くの志士が落命した事件です。「池田屋事件」「池田屋の変」ともいいますね。<... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その35 「二条大橋」
  • 二条大橋にやってきました。ここは、桂小五郎(木戸孝允)と幾松(木戸松子)の恋物語の舞台ですね。 元治元年7月19日(1864年8月20日)の禁門の変(蛤御門の変)で敗走した長州藩士は、朝敵として会津藩兵や新選組から追われる身となりますが、そのとき桂は、乞食の姿に身をやつして二条大橋の下に潜んでいました。その桂に、幾松が握り飯の入った包みを橋の上... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その34 「木戸孝允旧跡」
  • 前稿で紹介した長州藩邸から300mほど北上したあたりに、明治維新後に木戸孝允が邸を構えた場所があります。明治2年(1869年)、木戸は近衛邸を買い取って、自身の京都別邸としました。現在、「石長松菊園」という旅館の玄関前にその石碑が建っています。 「木戸孝允旧跡」と刻まれています。このあたり一帯に、かつ... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その33 「長州藩邸跡」
  • 京都市営地下鉄東西線「京都市役所前」駅をの地上にあるホテルオークラの南側に、「長州屋敷跡」と刻まれた石碑があります。かつてこのホテルの敷地には、長州藩邸がありました。 説明板によると、藩邸は、はじめ南北2か所に分かれ、北側屋敷は表口39間(約70m)、裏行31間(約56m)、南側屋敷は表口30間(約54m)、裏行8間(約14m)に及んだといいま... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その32 「桂小五郎・幾松寓居跡」
  • 前稿で紹介した大村益次郎遺址のすぐ近くに、木戸孝允とその愛人だった芸姑・幾松が住んでいたとされる場所があります。現在は、「幾松」という名の料理旅館となっています。 幾松は、若狭小浜藩士・木崎市兵衛の娘として生まれ、8歳で京都に出てきたのち、三本木の芸妓になりました。木戸孝允(当時は桂小五郎)と知り合ったのは、文久元年(18... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その31 「大村益次郎遺址」
  • 前稿で紹介した「佐久間象山・大村益次郎遭難之碑」から木屋町通を挟んでほぼ向かい側に、「兵部大輔従三位大村益次郎公遺址」と刻まれた石碑があります。ここは、大村益次郎が襲撃された宿所があった場所です。 明治2年(1869年)8月、大村益次郎は軍事施設視察と建設予定地の下見のため、京都に出張していました。そして9月4日、この地に... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その29 「佐久間象山寓居之跡」
  • 木屋町通り三条と木屋町御池の間に、佐久間象山寓居之跡があります。現在はビルとビルの間にある有料駐車場の入口脇に石碑が建つのみとなっています。写真のとおり、看板と店舗の壁の間にあって、見つけるのに苦労しました。 文化8年(1811年)、信濃国松代藩士の家に生まれた佐久間象山ですが、後世には松代藩士としてのイメージはあまり知ら... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その27 「本間精一郎遭難之地」
  • 土佐藩邸跡の石碑が立つ場所から木屋町通を挟んで真向かいのあたりに、「本間精一郎遭難之地」と刻まれた石碑があります。文久2年閏8月20日(1862年10月13日)夜、勤王の志士・本間精一郎はここで斬られたと伝わります。 本間精一郎は越後の商家に生まれ、江戸に出て勘定奉行・川路聖謨に仕えました。江戸では清河八郎らと親交を結び、... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その25 「土佐藩邸跡」
  • 坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃された近江屋跡の石碑から河原町通を挟んで真向かいに、土佐藩邸がありました。現在、石碑と立て札は、河原町通りではなく木屋町通り側の高瀬川沿いに建てられています。 この高瀬川を渡った西側、西は河原町通にいたる間、元立誠小学校あたりが土佐藩邸でした。高瀬川に面しても門が開かれ、土佐橋が架かっていたそうで... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その23 「坂本龍馬寓居之跡(酢屋)」
  • 坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃された近江屋跡の石碑から北へ300mほど上って東に入ったところに、「坂本龍馬寓居之趾」と刻まれた石碑があります。ここは「酢屋嘉兵衛」という享保6年(1721年)から現在まで290年続く材木商で、今なお営業されています。 慶応3年(1867)6月、龍馬は「船中八策」を発案したとされる長崎からの船旅後、ここ酢屋に身を寄せた... [続きを読む]
  • 幕末京都逍遥 その21 「明保野亭」
  • 観光客で賑わう東山の三年坂(産寧坂)に、「明保野亭」という会席料理店があります。ここは、幕末は旅館を兼ねた料亭で、攘夷派の志士たちの密議の場として多く利用されていたといいます。特に土佐系の志士たちによく利用され、坂本龍馬の京での定宿のひとつだったともいわれ、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でも、たびたび登場する場所です。 現在の... [続きを読む]