jc_brother さん プロフィール

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jc_brotherさん: 生活の中の聖書
ハンドル名jc_brother さん
ブログタイトル生活の中の聖書
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/jc_brother
サイト紹介文聖書から見る日々の生活
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供163回 / 365日(平均3.1回/週) - 参加 2009/02/24 10:17

jc_brother さんのブログ記事

  • 「独り言ではなく」
  •  たまたま駅前で立候補者の演説を聞いた。 しかし、目の前にいる多くの人々がいるのに その相手に語りかけることのない、 その中身は独り言のようで、こころに響かなかった。 独り言を聞き続けるのは、苦痛であり、退散した。 そこにあったのは自分の過去の業績であり、 組織の政策論であり、連呼、連呼、連呼があるだけ。 もちろん、おいしい約束もあるのだが。 例によって例の如し、終われば何事もなかったかのような、 [続きを読む]
  • 「ダビデは生きた、信仰に」
  •  信仰は神に信頼し、みことばに生きることだ。 神のために私たちが何かを働くのではなく、 私たちを通して神が働いてくださることに生きる。 信仰はそのことを確かなものとして、歩むことだ。 確かにその通りなのだが、現実はかなり怪しい。 けれども、神がすべてのことをなされる、 と困難に立ち向かった者がいた。  ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍 を持って、私に向かって来るが、私は、 [続きを読む]
  • 「聖霊の宮をゴミ屋敷としてはならない」
  •  ある人がゴミ屋敷の一歩手前状態になっていることに気がついた。 それで思い立って散らかって、汚らしく、スッキリしない、 部屋をきれいにしよう、と思って片付け始めた。  不用品やゴミの整理を忙しさを理由に、怠っていたために、 増えていき、あふれ、出るは出るは状態。 当たり前のことだが、そんなつもりはなかった。  何日か掛かって、それらを処分し、掃除をし、洗濯し、 久しぶりに広々とした部屋を取り戻した [続きを読む]
  • 「愛はかざすだけのものではなく、動きのあるもの」
  •  愛はかざすだけのものではなく、動きのあるもの、と教えられる。 愛は行いと真実の伴ったもの。 愛は親切であり、見返りを期待しない行為。 見返りを求めないこころを持つ。 イエスが言う「小さな者にしたことは、わたしにしたことだ。」 それで、機会のあるたびに、すべての人に対して、 特に信仰の家族の人たちに善を行なおう、と聖書は言っている。 なによりも、聖書は行ないを伴って現される親切に、 愛が表されると [続きを読む]
  • 「自分ではなく、他人の口によって」
  •  私たちは誰かから褒められたり、尊敬されたり、認められたい、 という認知欲求のこころがある。私もその一人だ。 自分の実績や過去の経歴を語り、評判を高めようとする。 そのために大物ぶりを自薦したり、 他人を用いてこの人は立派だ、素晴らしいとさせる。 右手のしたことを、左手に伝え、左手のしたことを、右手に返し、 顔を360度回転させて、ドヤ顔を示したいと思う者でもある。 そうするように教育されてきたこと [続きを読む]
  • 「選別しないイエス」
  •  仲間に加わりたかったら、 「金持って来い」 「私のやり方を認めよ」 「何が起こるかわからいが、黙って従え」 「いままでの考え方を捨てろ」 そうすれば、仲間に入れてやる。 「私が主人だ。」とただただ、上から目線。 こんな条件で、果たして仲間に入る気が起こるだろうか。 それでも入会者生き延びるために、 金を持参して、身分証明書用に写真を撮っている。 イエスはごちゃごちゃと条件をつけることなく、 安息 [続きを読む]
  • 「衣替えはまた、こころ変えでもある」
  •  季節は衣替えの時を迎えました。 夏から秋へ、秋から冬へであれば、薄着から厚着になるし、重ね 着にもなる。逆に冬から春へとなれば、段々と薄着になっていく。 どちらにしても、その季節感に合った服装をする。 汗やほこりがついた下着も脱ぎ、着替えるように。 また、季節に合った雰囲気になるように商店などが、 模様替えをしたりすることをいう。 衣替えの時期だからというわけではないだろうが、 古きことに立ち返 [続きを読む]
  • 「感情に流れない」
  •  いまは混乱の時、政治が、経済が、学問が、 何を頼りに生きればいいのか、 何んていうことだ、と叫ばせる。 そのために、ついつい感情で生きてしまう。 怒りに生き、失望に生き、苦しみに生き、悲しみに生き、 何かの出来事に目を向け、驚き、怪しみ、騒ぎ立てししまう。 私たちは自分を失ってしまう。 起こる出来事に正しく対処できない。 私たちはその時、どう振る舞ればいいのかが分からない。 人生は決して楽なもの [続きを読む]
  • 「激しいこころの表れ」
  •  私たちがのあわれみは、かわいそうに思う、同情することを指す。 現代はその弱みを利用して、いかにもその人のことを思っている かのようなふりをして、だます、詐欺行為が横行している。 けれども、神の深いあわれみは、見ているだけではなく、 まことの幸いに導き入れようと、断腸の思いをもって働かれる。 わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。 それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわなな [続きを読む]
  • 「さびしい話」
  •  学生が学ぶ期間をまっとうせず、途中で放棄すると、 あいつは落ちこぼれだ、不登校は良くない、 ヤンチャをすればどうしようもない、と言われる。 それに、勝手に学びの場を変更できるものでもない。 また、仕事先をコロコロ変えると、ダメな奴だ、 何をやっても長続きしない奴だ、と非難される。 結局、私利私欲のためだだからだ、と言われてしまう。 けれども、それとは無縁の世界があるようだ。 任期など、あってなき [続きを読む]
  • 「慰める者とされている」
  •  私たちには慰めが必要となる。 慰めは苦難や恐れの中に起こるもの。 何でもかんでも、ことばをかければいいものでもない。 苦しむヨブを慰めようとして友人が来たが、 傍らに座していのは良かったが、ことばを発することで、 さらに苦しめることとなった。 かように、慰めは難しい側面もある。 パウロはコリントにある教会の人々に言っている。 コリントの人々は自分の苦しみだけを見ていたために、 他人の苦しみに向き [続きを読む]
  • 「神の忍耐」
  •  聖書は私たちに忍耐しなさい、と語る。 でもそれは一方的な命令ではなく、神がそうなされているから、 私たちもそうするように、と言っていることなのだ。 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、な だめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身 の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を 神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時 にご自身の [続きを読む]
  • 「希望に結びつく試練」
  • 台風一過、青空が!みなさんのところはいかがですか。主の大いなる慰めと平安がありますように。 さて、パウロは苦難の只中にあって、このように言っている。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が 忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性 が希望を生み出すと知っているからです。ローマ5:3〜4 神の民とされ、さらに子どもとされたことを喜びとする。 この先に対して不安はある [続きを読む]
  • 「生きることとは」
  •  私たちは病気や経済的なことや、人間関係で苦しんでいるとき、 解放されるなら、それと引き換えに死んでも厭わないとする、 思いが湧き上がることがある。 それはテレビなどの放送で、天国に行った人が幸いに生きている、 ここは何の苦もないところだよ、安心して、 みたいなことを言っている影響が大きいだろう。 もちろん、いろいろな背景があり、理由があるのだろうが。 けれども、本当は普通に生きたいと思っているは [続きを読む]
  • 「忍耐して待ち望む」
  •  忍耐はゴールがどこであり、どのようになるのかを知って、 神の約束の希望を持って駆け抜けるものと、聖書は言う。 イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをも のともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 ヘブル12:2 パウロは何度も苦しみについて語っている。 パウロは多くの苦しみを知っている。 でもパウロの視点はいまではなく、未来へと向けられている。 苦しみの先にある、希望 [続きを読む]
  • 「子どもたちの洗礼に思う」
  •  教会の日曜学校の小学高学年の子、中学生の子が洗礼を受けることを決めた。 でも少し、不安があると。それでどうなるのかと。 入学時にこれから何があるのだろう、という不安と楽しみに通じるものかもしれない。 本当は、子どもは親の背中を見て育つ、と言われるように、 先に受けた大人が、新しく生まれ変わった姿を見せ、 また語って、打ち負かされることはあっても、ノックダウンしない、 弱さの中の強さを示す模範とな [続きを読む]
  • 「乗り越える力はキリストにある」
  •  今朝も、雨。でも雨雲の上には、輝く青空がある。 苦しみの中での励ましも、慰めも、望みも、乗り越える力も、 この世からは受け取ることが出来ない。 なぜなら、乗り越える力はキリストにあるからだ。    フランクル著「夜と霧」によれば、アウシュビッツで支えたもの、 それは生きることへの期待であり、見えない未来であった。 苦しみを耐えるものは確かな希望だと言っている。 パウロは多くの苦しみを知っている。 [続きを読む]
  • 「しばらくの間の試練」
  •  「9月9日9秒98」桐生が突き抜けた。素晴らしい! 悩み苦しむ中で、大いなる訓練と、努力の結果だろう。 これは誰でもが達成できるものではない。 信仰も栄光のゴールを目指して、ひたすら前に向かって走りぬく。 がむしゃらにではなく、神の助けと励ましを受けながら。 誰にでも苦しみを乗り越える知恵と力とを、 与え、支え、導いてくれている。 私たちを永遠の場に運ぶお方が、そう約束している。 信仰の試練はしばら [続きを読む]
  • 「脱出の道も備わっている」
  •  暗く長いトンネルの先には、明るい脱出口があるように、 試練の先にも脱出口がある。 順境の時ではなく、逆境の時、苦しい時の神頼みではなくて 神外しをしていることがある。 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではあり ません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのでき ないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、 耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も [続きを読む]
  • 「もう一つのjーJesusアラームが鳴っている」
  •  何かが鳴っている。Jアラートだった。 近くの頑丈な建物へ入れ。逃げるのだ、と。 発射からわずかで飛び越え、海に落下まで数分あまり。 はたしてどれだけの人が、行動できたのだろうか。 いつ、どこへ落ちるのかも分からない。 受けないかも分からないものを恐れる。 確かに、こんなことでいのちを落としたくはない。 けれども、私たちが本当に聞くべきものは もう一つのjーJesusアラームだ。 それはもうすでに鳴り響 [続きを読む]
  • 「信仰のゆえの苦しみは恵みだと」
  • どうも天候が不順で、心身ともスッキリしないが、今日も生かされている。 聖書は、福音はイエスを信じるなら、あなたの思う通りの バラ色の人生が待っているとは教えていない。 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたが わたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあって は患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに 世に勝ったのです。ヨハネ16:33 イエスはポンテオピラ [続きを読む]
  • 「父なる神の苦しみ」
  •  私たちは苦しむ。イエスも苦しみを経験した。 そして父なる神もまた、こころ痛まれ、苦しまれた。 父なる神の苦しみはイエスの十字架に示されている。 神はひとりでも滅びることを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる。 それで神から目をそらし、離れている人間を愛し、 見捨てるようなことを思わない。 わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 マタイ27:46 父なる神はイエ [続きを読む]
  • 「イエス・キリストの苦しみ」
  •  私たちには苦しみがある。けれども、私たちだけではなかった。 イエスは私たちの神であり救い主である。 そのイエスが十字架の上で、私たちの罪の罰を代わりに受けた。 イエスは神であるお方なのに、神の座を捨てて、 私たちと同じ人となって、十字架の死にまで従われた。 イエスを苦しめたのは神の怒りを受けるべき、 私たちの救いを成すためだった。 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のし ずく [続きを読む]
  • 「苦しみは解決済み」
  •  私たちの世界には不条理と思われることが起こる。 また、自分が蒔いた種によって苦しむことが、如何に多いことか。 これはアダムの犯した罪の結果として、私たちの世界に入ったもの。 「四苦八苦」という仏教用語がある。 私たちもまた、よく使うことばでもある。 生きるために働き、食し、運動し、眠ることでの苦しみ、 加齢とともに見た目も、精神的にも衰えていく老いることの苦しみ、 いつ癒やされるのかわからないよ [続きを読む]
  • 「苦しみは喜び」
  •  信仰とは神の約束を期待して待つことだ、と言われる。 けれども残念なことに、なかなかそれができない。  苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで あなたのおきてを学びました。詩篇119:71 聖書は語る。 私たちが不幸せなのは、神のおきてに生きてないからだと。 だから、神のことばに生きればいいのだ。 信仰によって生きる。 私たちは信じていのちを保つ者とされているからだと。 そんな私たち [続きを読む]