mozart08 さん プロフィール

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mozart08さん: 羽鳥ログハウスの四季
ハンドル名mozart08 さん
ブログタイトル羽鳥ログハウスの四季
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/mozart08/
サイト紹介文福島県羽鳥に建てたログハウス。その四季の中で考えたこと、読んだ本の感想を中心に語ります。
自由文会社生活も50歳を超え、そろそろゴールをイメージしなければなりません。「成仏」と表現した人もいますが、なるほどギラギラしたものを廃して感謝の気持ちで日々を送れれば良いですね。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供120回 / 365日(平均2.3回/週) - 参加 2009/03/29 11:17

mozart08 さんのブログ記事

  • 『ジュリアス・シーザー』 シェイクスピア
  • シェイクスピアの「悲劇の時代」の始まりを飾る第一作。今回は岩波文庫で中野好夫さん訳となる。中野さんの訳は新潮文庫のジェーン・オースティン『自負と高慢』を読み、上手な翻訳だなあと感心した。題名からして良く目にするのは『高慢と偏見』だが中野訳では『自負と偏見』。「高慢」はネガティブ用語で「偏見」も同様だから題名が両極の感情の対位法を表現するなら、ここは「自負」というポジティブな訳の方が座りが良いように [続きを読む]
  • 『オセロー』 シェイクスピア
  • 『マクベス』が思いのほか面白かったので引き続いてシェイクスピアを読んでいる。四大悲劇と呼称されるうち、もしかしたら『オセロー』は読んでいなかったかもしれない、あるいは読んでいてもまったく意識に残っていない、つまり面白くなかったのかもしれない。今回読後感は新鮮だった。新潮文庫、訳は福田恒存さん。book offで108年也。オセロー (新潮文庫) [文庫]シェイクスピア新潮社1951-08-01良くできた芝居というのがあるが [続きを読む]
  • 金閣寺と有為子
  • 『金閣寺』でもっとも魅力的な人物は誰か。おそらく柏木という応えが最も多いのではないか。有為子は実は類型的な女である。脱走兵が山の共同体に逃げ込んできての極限状況の物語なら、実は三島由紀夫の対極に位置する大江健三郎さんの作品と類似する。『芽むしり仔撃ち』の少女も、どこかにいるようでどこにもいない、抽象的な「少女」であった。有為子も似ている。柏木は、もう一人の数少ない友人である鶴川ともども主人公の自問 [続きを読む]
  • 『金閣寺』 三島由紀夫 著
  • 先週水曜日以降異様な暑さは退いて随分過ごしやすい。夜も眠れる。しかしうつ病ではないかと首をかしげたくなるほど、心が晴れない。オウム事件の死刑囚13人が処刑されたことも一因だと思っている。この国の最高刑が死刑である以上、13人の何人かはその執行も致し方ない。が短時日に13人をまとめて処分する司法行政には強い違和感を感じる。あるいは死刑執行の前夜、その行政命令書にサインした当の女は酒宴で盛り上がっていたとい [続きを読む]
  • 『紀州 木の国・根の国物語』 中上健次さん
  • 豚が統治する国はそこいらじゅう、臭い。すべて腐臭に変えるこの暑さは、豚の頬のたるみを思わせる面(つら)を、針の孔一つで膿の吹き出す腐肉に変える。暑さがたまらない、この国の臭みが嫌いだ、議論の出来ない貧相な知能が眉間の神経質な皺ににじみ出ている、そういう顔が権力者としてのうのうと生きているのを考えると絶望の果ての空しさを感じる。夏。暑くて何を書く気もしなかった。例年ここまで体にこたえることはなかった [続きを読む]
  • 『マクベスの幽靈に就いて』 夏目漱石
  • 3連休、しかし暑くて家を逃げ出し近所の図書館「自習室」に来ている。空調を効かせて快適な環境を無料で提供してくれるのは有難い話ながら、どうして公共機関というのはバランスを欠いた運用を行うのか、自習室に使用可能な電源がなく、張り紙に「コンセント使用を固く禁止」なのだそうだ。おかげでPCを持ち込んでいるもののバッテリが切れればそれまで。こでだけガンガン冷風を吐きかける運営とでもコンセント使用を禁止する運営 [続きを読む]
  • 『マクベス』 シェイクスピア(福田恆存 訳)
  • 大上段にシェイクスピアとなると気恥ずかしい。新潮文庫で読んだのは高校の頃だったか。新潮文庫で読んだのはブックカバーが好きだったから。改めて特に『マクベス』を読み直す目的は二つ。漱石が東京帝国大学の英文学講師だったとき、マクベスの講義の評判が頗る良かった。まだ通読していないが『マクベスの幽靈に就いて』という文章を明治37年1月10日・帝國文學に発表している。そうした諸々の関心に基づく。もうひとつはこれか [続きを読む]
  • 携帯新調の記
  • もう2週間になるが6月25日(月)、起床してPCを起動(radikoでFM聴くため)。毎朝のFM番組を聴きながら充電中の携帯を手にする。起動しない。電源切れ?一晩充電していたはずなのに「変だな」と思いながら鞄に入れて出勤。会社で充電を始めたが起動しない。壊れた。1年11ケ月前に購入したASUS・Zenfon、確か2万円ちょっとの格安スマホ。携帯に思い入れはないので安きゃ何でもよい、ただ壊れないで4〜5年使えれば。それがあっさり [続きを読む]
  • 『夕陽の河岸』 安岡正太郎さん
  • 漱石と宮沢賢治関連の読書に集中していると煮詰まってくる。少し別の本で気分転換を図る。最近のbookoff はたんなる小奇麗なだけの売れ筋リサイクル本が並ぶだけのつまらない空間になり果てたが、時間つぶしで立ち寄った時、安岡正太郎さんの文庫本を見つけた。安岡さんの本は珍しい。『夕陽の河岸』。余談ながらAmazonの検索でkindle版しか表示されないのは驚きだ。あまりに味気ない画像だったので、文庫本のカバー画像を探して張 [続きを読む]
  • 夜の雑感
  • 今日も帰宅したら23時。もう3週間くらいこんな生活パターン。還暦過ぎて現役のSEなみの業務はちとキツイ。最初は久しぶりの現役を楽しんでいたが、こう長くなると疲れる。昨日は人間ドックのため休暇。人生初めての胃カメラを体験。いろいろ話を聞いていたので少し緊張して受診。思いのほか軽い反応で乗り切り。元気いっぱいの女医さんからは「胃はきれいなものです!」とお墨付きをいただきほっとする。少し買い物などして帰宅し [続きを読む]
  • 淋しい三つの風景〜漱石作品のなかから
  • 『畏怖する人間』で関係性の狭間の割れ目に見るグロテスクなあるもの、それを「淋しい(さむしい)」ものであると書いてみた。須永市蔵がそのことを知ったあとの旅先から送った手紙の、なんと清明な描写であったことか。虚無が透き通って事物の陰影を自然に浮かび上がらせる、くりくり頭の二人の老婆の滑稽と不気味さ。たぶん深いため息とともに、そうでしかありえない事物のあるがままの姿に驚き、その次にはある淋しさを感じたこ [続きを読む]
  • 『畏怖する人間』(3)淋しさ(さぶしさ)
  • 『畏怖する人間』の感想文を書いているのか、漱石の作品自体の感想を書いているのか、段々境目があいまいになる。柄谷さんの漱石試論Ⅰ・Ⅱは小論文ながら触発されるところの多い内容から、ついあらぬ方向に思いが爆ぜてしまう。良い論文とはそうしたものなのだ。だから勝手にもう少し散歩する。漱石の最初の作品群から順繰りに再読をはじめ、『彼岸過迄』にきたころ、少しは先人がどのように漱石を読んだのかも知りたくなり評論集 [続きを読む]
  • 『畏怖する人間』(2) 〜無視された作品
  • 「意識と自然」では上手に漱石作品を網羅してコメントしている。主に論じられるのは『夢十夜』『坑夫』『道草』『明暗』であり、『それから』は主題の扱い方が不十分な失敗作の例としてたびたび引き合いに出される。『虞美人草』も漱石作品に通底する主題、「自然の命令に従って虞美人草をかいて仕舞はねばならぬ」(鈴木三重吉宛書簡)というセオリーの典型として説明している。ここで使われる「自然」についてこのように述べてい [続きを読む]
  • 『畏怖する人間』柄谷行人さん(1)
  • 柄谷行人さんは「漱石試論」で評論家デビューしている。別途「漱石論集成」を読むつもりだったが手元に『畏怖する人間』があり、巻頭をかざる論文が『漱石試論Ⅰ・Ⅱ』である。とりあえずここから入門とする。本来『畏怖する人間』一冊で感想を書くべきだろうが、夏目漱石の文脈で読んでいるので漱石論としての柄谷行人作品を取り上げる。さらに言うと、ここしばらく漱石関連の評論その他を読み、この場で感想文らしきことを書いて [続きを読む]
  • 武蔵野市民交響楽団 第85回室内楽定期演奏会
  • 武蔵野市民交響楽団の第85回室内楽定期演奏会に行ってきた。Homepageで演奏会履歴を調べたら、前回は1月21日。そうか、ほぼ5か月の時の経過がある。毎回演奏会後のアンケートで、演奏会に来た理由を選ぶ欄があるが、もちろんこの楽団の実力と選曲の妙に惹かれてというのが第一。そして中学3年まで武蔵野市に暮らし、武蔵野市立第四中学校を卒業した初老の男にとって、土地の空気にも惹かれ、そこここに残る思い出の欠片に喜び、恩 [続きを読む]
  • 『夏目漱石と倫敦を歩く』出口保夫さん
  • 春期のオープンカレッジ講座『漱石文学の世界』は先週土曜日で終了。全8回の内訳は『吾輩は猫である』4回、『倫敦塔』『琴のそら音』『趣味の遺伝』『坊ちゃん』が各1回。『漾虚集』の短編を扱っているのだが、注意喚起が必要なのはその期間『猫』が同時に連載されていたこと。初期作品のすべてを『猫』連載が覆い包むようにしてあるのだ(『猫』は明治38年〜39年連載、「ホトトギス」の明治39年4月号には『猫(最終回)』と『坊ち [続きを読む]
  • 随筆集『夜の紅茶』 江藤淳さん
  • まず目次を繰るとそこに装幀が「著者自装」、口絵の写真が「著者撮影」と印刷されている。あざとい表示ではないものの、目次の活字と同じ大きさの一連の印刷だから否応なく目にする。本文の中、最近の日本の書籍があまりにも貧しい作りであって、欧州たとえば英国の書籍などはいかに国力が(ヴィクトリア朝とは比べるべくもないものの)劣るイギリスでさへ、書籍のつくりは百年の風雪に耐える。そういう不満を述べる江藤さんが、で [続きを読む]
  • 森田草平さんなど「門下生」から見えていた漱石像
  • 森田草平さんの著書『夏目漱石』を読んでいて思ったことがある。漱石を誰のものとして考える思考法の異様さ。漱石親族の一端にある半藤一利さんの著書はその逆で、親族の感情として所謂「門下生」に対して良い印象を持たれていない感覚と好一対。半藤さんは小宮豊隆さんの文章をあげなから「余計なことを書く」と平然と言ってのける。一方小宮豊隆の『夏目漱石』では漱石死後の家族(特に鏡子夫人)に対して不快感を隠さない。が、 [続きを読む]
  • 『夏目漱石』 森田草平
  • 漱石山房の一翼を担った森田草平による師・漱石を評した文集である。古本屋のゾッキ本で200円で見つけて購入。筑摩叢書、昭和49年2月発行第7刷。夏目漱石 (筑摩叢書 90) [単行本]森田 草平筑摩書房1967-08漱石は自分とは異なる才能の草平を、何といえばよいのだろう、「小癪な奴」といった感じで面白がって交わっていた様子。そうした漱石山房の主要な登場人物である森田草平の、恩師・漱石に対する「追憶であり、思慕の情を披歴し [続きを読む]
  • 『コロンブスの卵』 丸谷才一さん〜徴兵忌避者としての漱石
  • 漱石が精神に変調をきたす理由として、徴兵忌避者としての自責の念が大きな戦争のたびに再燃するとした丸谷才一さんの説はつとに有名である。半藤一利さんの『漱石先生ぞな、もし』でも、身内の人間の立場から「有力な説」として評価されている。そうした論文は引用または又聞きで認識していたが、肝心の論文の名称など基本的な情報が不足していて未確認であった。『夏目漱石の文学』講座の第6回が、高橋敏夫先生による『趣味の遺 [続きを読む]
  • 武蔵野市民交響楽団 第88回管弦楽定期演奏会
  • 本当は先週日曜日、この演奏会が終わった日の夜に書かなければならなかった。大変に感動的で素晴らしい演奏は、その感動冷めやらぬうちに記しておくべきだったと後悔する。この楽団を最初に聴いたのは2012年6月24日。それからほぼ毎回楽しみに通ってきたから今回が13回目になる。管弦楽演奏会の特徴は、ふだんCDその他で聴く機会の少ない珍しい名曲が聴けること。そして大規模な曲の演奏でハマったとき。第88回の定期演奏でいうと [続きを読む]
  • 『仔犬のいる部屋』 江藤淳さん
  • 江藤淳さんの随筆集。昭和四十四年から五十四年にいたる十年間の文章が集められたもので、書評の大半は新聞の書評欄に掲載されたもの。再就職先の会社が御茶ノ水にあることを何回か書いているが、古本屋街の神保町が近いので昼休みの散歩先にしている。良く覗く古本屋さんは、専門は囲碁・将棋関連の書籍を並べているのだけれど店先のゾッキ本は、なんでもありの100円の安さ。ここで本書を購入して読んでみたわけ。仔犬のいる部 [続きを読む]
  • 私事ながら 退職時の後始末。
  • 還暦の後、再就職で仕事を始めたが、通勤が都心に向かう京王線でこれがすこぶる苦痛。単に肉体的な話以上に、車内アナウンスが小学生相手の道徳のような論調、しかもそれをがなりたてるのが若い男性の声だったりすると、こっちのぎゅうずめの車両の中に身を置いてしゃべって見ろよ!という感情で聴いてしまう。還暦後の再就職としてこれで良かったかと思うことだってある。が、これはもう仕方ない。既に新しい関係の中に身を置いて [続きを読む]
  • 私事ながら 退職時の後始末
  • 還暦の後、再就職で仕事を始めたが、通勤が都心に向かう京王線でこれがすこぶる苦痛。単に肉体的な話以上に、車内アナウンスが小学生相手の道徳のような論調、しかもそれをがなりたてるのが若い男性の声だったりすると、こっちのぎゅうずめの車両の中に身を置いてしゃべって見ろよ!という感情で聴いてしまう。還暦後の再就職としてこれで良かったかと思うことだってある。が、これはもう仕方ない。既に新しい関係の中に身を置いて [続きを読む]
  • 漱石愛読者の反撃
  • 土曜日はオープンカレッジで「漱石文学の世界」。全8回コースの5回目だった。石原千秋先生による『吾輩は猫である(第三章〜第七章)』であった。漱石研究の専門的な論文以外でも、一般書籍で漱石ものの多い石原千秋先生は漱石研究のスター的な存在。その意味で楽しみにしていた。吾輩は猫である (新潮文庫) [文庫]夏目 漱石新潮社2003-06昨年の秋季講座でも同講座を受講、石原先生は『明暗』を担当されていた。今どきの漱石研究に [続きを読む]