阿久津裕彦 さん プロフィール

  •  
阿久津裕彦さん: 彫刻と解剖学
ハンドル名阿久津裕彦 さん
ブログタイトル彫刻と解剖学
ブログURLhttp://hiblog2009.blogspot.com/
サイト紹介文彫刻と解剖学の接点から見えるもの
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供47回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2009/04/27 20:16

阿久津裕彦 さんのブログ記事

  • 告知 手の美術解剖学特別講座
  •  12月3日(日)に新宿美術学院にて、美術解剖学特別講座を開講します。 実習形式で、油土を用いて手を骨から造形していきます。皮膚はまとわせません。 手は、運動器が”身体を運ぶ”働きから解放され、マルチツール化したものだとも言えるでしょう。私たちの身の回りにあるほとんど全ては、この手によって動かされ変形された物です。手は最も鋭敏な感覚器であると同時に、脳内の想像物に形を与えるための出力器なのです。 どの [続きを読む]
  • Susan ciancioloの『The Great Tetrahedral Kite』
  •  ”ジャケ買い”したアートブック。Susan ciancioloの『The Great Tetrahedral Kite』。 色々なモノを貼り付けたノートブックをそのまま再現したような本。31ページほどしかない薄い物。 こういう落書き的な、雑多としたコラージュものに惹かれてしまう。似た物が他にも色々とあるが、例えばキャプションやページ数などがキレイなフォントで印刷されていたりすると、それだけでもう興ざめだ。日本ものに時々そういうものがある [続きを読む]
  • 鑑賞者の必要性 ー作品の価値判断ー
  •  彫刻家や芸術家は格闘家やアスリートのようだ。彼らが何を言っても結局はその作品の良し悪しで判断される。それも作品の良し悪しは見た瞬間にわかってしまうから、勝負は一瞬で片がつく。良いと言われるような作家でも、その作品の全てが良いことなど無い。「良い作家」を維持するには、良い作品を生み出す割合が高いことが大事である。長く続けている作家の作品を見ると、良し悪しの特徴が分かることがある。しかし、良くないよ [続きを読む]
  • 自然物と決め事
  •  化石研究者の発掘現場をテレビ番組が取材していた。今までほとんど発掘が行われていない砂漠の辺境地だが、めぼしいところは既に発掘されていた。それは盗掘だと言う。化石の採掘は国レベルで管理していることが良くある。それゆえ、許可なく掘れば盗掘となる。現場を前にして研究者は憤りを露わにしていた。盗掘者は乱暴に掘り出してお金になる頭部などだけを持ち去るのだと。 確かに、許可なく採掘するという違法行為だが、一 [続きを読む]
  • 運慶仏 仏から物へ
  •  運慶は、仏像に自分の名を記した初めての例と言われる。もちろん、発見されていないだけでその父である康慶がより早くそれをしていたかも知れないが、いずれにせよ最初期の事例であろう。 また、その仏像は「写実的」であるとか「リアリズム」という枕詞がしばしば付けて語られる。つまり、実際の人間の形に近づけて仏像を表現した。その写実性を助けた技法のひとつが玉眼である。人間の外見で視覚的な質感が大きく異なる眼を、 [続きを読む]
  • 彫刻の質や評価
  •  会話で名が出た若手彫刻家の作品をネットで見た。その場で高評価だったので期待したが、大きな人形に過ぎなかった。思い返せば、そこでの評価も彫りの技巧を「凄い」と言っていたのだった。 日本では技巧がそのまま芸術の価値になる。例えば絵画では「写真のような絵=上手な絵」の式が素直に受け入れられる。もちろんその価値観が間違っているわけではない。写真のように世界を描けることは人類の夢だったとさえ言えるだろう。 [続きを読む]
  • 「Treasures from the Wreck of the Unbelievable 」展の図録を見て
  •  ダミアン・ハースト「Treasures from the Wreck of the Unbelievable (難破船アンビリーバブル号の財宝)」展の図録を見て衝撃を受ける。ヴェネツィアで実際に観てきた学生のもので、巨大な図録の書籍だ。作品の内容、個々の作品のクオリティと点数、その全てが壮大で、更にはそれらが立体作品であることから、彫刻芸術として区切って見ても、間違いなく今世紀で最も優れた展覧会の1つだろう。実物を目撃できた人がうらやましい [続きを読む]
  • 複製された匿名の写真たち 情報から物へ
  • 初めて代官山の蔦屋へ行った。美術書も”当然”充実していて、特に写真集が豊富だ。そこだけで数時間過ごす。エディション付きの少部数ものも多い。うれしいのは、そういうものもサンプルとして中が見られるようにしてある。作家のノートやドローイングブックがそのまま写真集になったものが意外と多く(書店側がそのように集めたのだろうけれど)、それらは作家のプライベートがそのまま見られるようで興味深い。 その中で、写真 [続きを読む]
  • ミケランジェロのワックスモデル再び
  •  2回目の「レオナルド×ミケランジェロ展」に行った。今回は閉館1時間前を切っていて、満足するほどゆっくり見られなかったが、館内はガラガラで、1つの作品を1人で鑑賞する贅沢さがあった。今回は近距離双眼鏡を持参して、これが大活躍だった。これで見ると、肉眼での鑑賞との情報量の差が凄まじく、鑑賞が数倍楽しくなる。 看板作品になっているミケランジェロの素描では、紙葉の左下にペンの試し書き線が2つある。それが始ま [続きを読む]
  • 「無い」の脆弱性
  •  「無い」を証明することはできないと言う。1つでも「在る」ことが明らかになればそれは覆される。だから「無い」は常に暫定的決定である。とは言え、「無い」と決めないことには先に進まないこともたくさんあるので、我々は自らが決めたその暫定的な決定を、一旦は信じることにしている。何より、「無い」という言葉の持つ意味は強い。 「口をつぐむ」と言うが、相手に言いたいことがあるけれどもあえて言わない、もしくは関係 [続きを読む]
  • 機能を失い美術品となる
  •  今では、古代エジプト文明の彫像や古代ギリシア文明の彫刻たちは、美術のカテゴリーで語られ鑑賞されるが、それらが作られた当初では宗教的な目的を持った神聖な像だった。像によっては、一般に見せる目的すらなかったものもあったろう。それは、日本の仏像も同じで、美術館に仏像が運び込まれ、私たちはそれらを美術”品”として鑑賞する。品であるそれらは、まぎれもない”物”として扱われる。どこかの誰か、つまり人間の手に [続きを読む]
  • 東大寺の金剛力士像の建つ早さ
  •  古い家が取り壊されていると思っていたら、もう新築が建っている。雑草の生い茂る空き地だと思っていた所に、鉄筋のマンションが建とうとしている。建築物の建っていく早さには驚かされる。道路際で目にするのは、様々な建築材料が組み上がっていく様だけだが、そのように作業が動き出すまでに、紙面上で綿密に手順組みが成されているのだろう。実際に建設が始まると、現場ではできる限り無駄なく進行するように考えられているに [続きを読む]
  •  ホックニーの『秘密の知識』
  •  デイヴィッド・ホックニーの『秘密の知識』は、複数の意味でとても興味深い書籍だ。 まず、この本の内容が研究であること。始め、ホックニーの画集だろうと思って開く人がほとんどのはずだ。ところが中は膨大なルネサンス絵画から近代までの写実的人物画で埋め尽くされているので、戸惑ってしまう。一体、この本がなんなのか、しばらく分からないという人も多いはずだ。 近世、ルネサンスから突然現れる超写実表現に、主観に依 [続きを読む]
  • 単位と自意識
  •  様々な単位がある。それらは全て人間が人間のために考案したものだから、人間が最も取り扱いやすい範囲で切り取られている。もちろん、途方も無い単位もあるが、それは取り扱いやすい単位の延長である。そう考えると、単位は基本的に身体尺だと言える。もしくは、人間尺とでも言おうか。 例えば、宇宙はどれだけ大きいのかと想像すると、その途方もなさに、落ち着かない気分になる。宇宙に関する大きさの単位は、それこそ“天文 [続きを読む]
  • 嫌いがあっての好き
  •  ずっと以前、予備校生時代に同級生が、「流行に乗らないって言う人は、それが既に流行なんだ」と言って、巧いこと言うなと関心して今でも覚えている。自らや周囲の人の観察から、確かにそういう傾向はあると今でも思っている。 「私は流行には乗らない」と意識的になるには、まず流行に意識的である前提がある。だから、「流行に乗らないファッション」と、「流行に無頓着なファッション」とは、その結果的な格好が似ていたとし [続きを読む]
  • 「見せる」か「見る」か
  •  イギリスの大英博物館やナショナルギャラリーなどの大きさになると、鑑賞者は世界中からやって来て、その数も凄まじい。さらに、これらは入場料を取らないので、再入場の手続きなども存在しない。館内での写真撮影は自由である。驚くことに、飲料などを片手に持ちながら鑑賞している人もいる。あれもこれも駄目という日本の美術館鑑賞に慣れていると驚いてしまう。ただ、日本ではあまり目にしない”自撮り棒”は禁止されている。 [続きを読む]
  • 生きる者がつくる死
  •  死、死、死。ニュースでは日々、誰かの死が伝えられる。交通事故、火事、転落、夏休み中のこの時期は「溺れた」、「流された」という水難も多い。その他に殺人事件も数日おきに報道される。いずれにせよ、ニュースになる死は、どれも「無かったはずの死」である。彼らのほとんど全員が、今日が自らの最後の日だとは思っていなかったはずだ。私たちと同様に、漠然と寿命まで生きると思っていたはずだし、大小さまざまな人生の予定 [続きを読む]
  • 仁王像について
  •  「あうんの呼吸」と言われる仁王像の阿形と吽形。二人ペアで、阿形が口を開け、吽形は閉じている。呼吸と言うのだから、2体のどちらかが息を吐いていて、どちらかが吸っているという事か。しかし、吽形の口は閉じている。ググってみても、阿形が息を吸って吽形が吐いていると説明しているものもあれば、その逆もある。ただし、「あ」も「うん」も、元々はその音を発声することらしく、つまり、本来は「あ・うん」はどちらも呼気 [続きを読む]
  • ミケランジェロのダヴィデ像のポーズをモデルに取らせて
  •  2017年8月5日に朝日カルチャーセンターで行った、ミケランジェロのダヴィデ像のポーズを男性モデルに取ってもらいそれを観察する講座では、興味深い発見が幾つかあった。 ダヴィデ像は、特徴的で人々の記憶に残りやすい姿勢をしている。いわゆる片脚重心の姿勢で、休めの姿勢とも普通に言われる。美術用語ではコントラポストとも言われるこの姿勢は、古代ギリシア時代の彫刻に初めて採用されてから、現代まで選ばれ続ける、立位 [続きを読む]
  • ジャコメッティとロダンの『歩く男』
  •  現在開催中のジャコメッティ展のメイン作品の1つである、『歩く男』(1960)は、動きの少ない人物像がほとんどのジャコメッティ作品の中で目立つ存在だ。 彫刻家は、それぞれの感性において、人間の存在について考えている。ジャコメッティもそれは同じだろう。細くなったことはその回答の1つであり、上へ伸びたこともそうである。 確かに、脊椎動物で脊柱を天に向けて縦に立たせるという大胆な姿勢を取った動物は人間しかいな [続きを読む]
  • 「レオナルド×ミケランジェロ」展の感想
  •  先日、「レオナルド×ミケランジェロ」展へ行った。当日は、仕事の合間、前夜睡眠不足、猛暑日など重なって疲労感を感じつつの鑑賞だった。もう一度、万全の体調で鑑賞し直したい。それ位思うほどには良い展示だった。 ポスターにもなっているメインの素描2点が、入ってすぐに展示されていて驚いた。メイン以外も良い素描が多く来ていた。裏テーマ(?)のパラゴーネ、すなわち絵画か彫刻かという比較競争も随所で感じられる。 [続きを読む]
  • エヴァは重荷を背負っているか
  •  ふと、街で重たそうな荷物を背中に担いでいる年配の女性が目に入った。細身の体でそれを支えるために、背中を丸めて立っている。頭は下垂し、視線は下を向いていた。 体型や年齢は全く違うが、メッシーナ作のエヴァが思い出された。この、イタリア人彫刻家の手による等身大の女性裸体像は、いわゆる休めの姿勢をしているが、その片脚に全体重を乗せんばかりで、背中は丸められ頭部は前方へと落とされている。その印象は、ぐった [続きを読む]
  • デジデリオダセッティニャーノ
  •  癖になる語感。長いけれど、つい口にしたくなるので、覚えてしまう。 ルネサンス期イタリアの彫刻家の名前だ。最近まで知らなかったのだけど、著名な彫刻家の方が最も好きな彫刻の1つの作家の名前として教えてもらった。 正しくは、デジデリオ・ダ・セッティニャーノなので、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、”セッティニャーノ村のデジデリオ”という意味合いの名前だ。 [続きを読む]