阿久津裕彦 さん プロフィール

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阿久津裕彦さん: 彫刻と解剖学
ハンドル名阿久津裕彦 さん
ブログタイトル彫刻と解剖学
ブログURLhttp://hiblog2009.blogspot.com/
サイト紹介文彫刻と解剖学の接点から見えるもの
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2009/04/27 20:16

阿久津裕彦 さんのブログ記事

  • 診察の質 耳鼻科を受診して
  • 土曜日の夜に左耳の耳鳴りが強くなって不安になり、日曜日に診療してくれる耳鼻科として紹介された福原耳鼻咽喉科。ネットで調べると“おじいちゃん先生の古い病院”とある。はじめは別の診療所も紹介されたのだが、そちらへ電話すると実は休日診療は行なっていないなど、いくつかの電話先で断られて結局ここにたどり着き、電話をすると症状も名前も聞かずに「どうぞ」と言う。行ってみると、診察も含めて素晴らしい経験となっ [続きを読む]
  • さいころ
  •  サイコロの事を「乱数を発生させる道具」と言い換えると何だか人類の凄い発明品に見えてくる。例えばサイコロを知らない人にそう説明したら随分と大げさな機械などを想像するかもしれない。サイコロの働きは1から6までの数を理論上では完全にランダムな確率で示す。サイコロがいくつの目を出すのかは1/6の確率内で予想できない。 サイコロは、振って出た目の数によって自然のランダムさに意味を与える。その目が出る以前には、 [続きを読む]
  • 名作のポーズを女性モデルに取らせて
  •  先週末の3日(土)の朝日カルチャー講座では、女性ヌードモデルを使って名作のポーズを実際に取ってもらった。立ち、座り、寝ポーズの3種類で、立ちポーズはローマ彫刻『メディチのヴィーナス』とクラナッハ『ヴィーナスとキューピッド』、座りポーズはロダン『美しかりしオーミエール』と荻原碌山『女』とローマ彫刻『うずくまるヴィーナス』、寝ポーズはアングル『グランド・オダリスク』。 ところで、ロダンの老婆をモデルと [続きを読む]
  • リカちゃんのパパとバービーのケン 肉体の有無
  • 日本人なら誰でも知っているリカちゃん人形。アメリカのバービーも有名だ。それぞれ成人男性の人形もあって、リカちゃんでは「パパ」、バービーでは「ケン」である。 この日米の両者を並べてみると興味深い差異が見られた。 まず、両者の身長。人形の大きさは購買対象の女児が扱いやすいものになっているはずだ。両者を並べるとケンが頭半分ほど大きい。下に引いたグリッドは1センチなので、ケンが31センチ、パパが28センチ [続きを読む]
  • システィーナのアダム いつから人か
  • 先日の朝カルで受講生の方から、システィーナ礼拝堂の天井画のアダムについて洞察に満ちた意見を聞いた。 当日のモデルポーズでは、左腕を左脚の膝に預けるように置いてもらった。そうしないと、長時間の静止は難しいと考えたからである。実際、天井画のアダムも腕と膝とは重なって描かれ、置いているように見えなくもない。しかし、膝に腕を置いたモデルポーズでは腕がアダムのように上昇して行かず水平位に近いものになる。 [続きを読む]
  • 名作のポーズを男性モデルに取らせて
  •  カルチャーセンターで先週末、男性モデルに名作と同じポーズを取ってもらう試み。 今回は、ミケランジェロ『反抗する奴隷』と『システィーナ礼拝堂天井画のアダム』、ロダン『アダム』、ダ・ヴィンチ『聖ヒエロニムス』、古代ローマ『ラオコーン』、パルテノン神殿ペディメント彫像『河の神』。バリエーションとして、立ち、座り、寝ポーズをそれぞれ2つずつという設定。 『反抗する奴隷』は、体幹部つまり骨盤と胸郭の間での [続きを読む]
  • 作為の辺縁
  •  完全に真なる言葉など無いように、完全なる芸術も無い。 仮にそれが完全であったとしても、受け取る側がそのように受け取れるとも限らない。 完全であるか否かは主観であるなら、受け取る側の我々が完全で無い限り、完全などそもそも”感受しようが無い”。 これが何を意味しているか。私たちがどれだけ自己を信じ切り、絶対的に正しいと思われる判断を下し、それが実現するように行動できたとしてもなお、それは他者によって [続きを読む]
  • 展示と作品 卒展において
  •  表現文化についての会話の中である人が「日本人は全員が素人ですから」と言った。つまり、作る方も見る方も両方が”しろうと”だから本当に良いものがなかなか生まれないし評価されないという、歯がゆい現状をそう言い表したのだろう。その言葉を聞いたとき、先日観たばかりの芸大の卒展が思い出された。 美術館を貸し切ったような会場を回っていると、いくつかの作品の前にメモ帳や芳名帳とペンが置いてある。時には自作の名刺 [続きを読む]
  • 今しかない存在
  • 私たちは時間が流れるものと信じているから、そして、大人は自分がかつて子供で、そこから成長して今があると感じているから、さらに、今朝目覚めて今日が始まったことを知っているから、明日も来ると決めつける。私たちは皆、自分は人生という流れの途中に位置していると感じている。加えて、いわゆる社会は大人たちが作ったと決めつけているから、子供たちは“未完成の人間”だと信じきっているので、子供たちにもそう接する [続きを読む]
  • 言葉
  •  常々思うが、言葉は強いが虚しい。 真実も嘘も、多くは言葉で語られる。いや、正確に言えば、その始まりは言葉である。放たれた言葉が真実か嘘かは、別の形で証明される。つまり、本来言葉そのものは何らの価値を持っていないとも言える。仮のすがたであり担保であり象徴、幻だ。 そんな頼りないもので人間界は概ね成り立っている。それは、言葉をまずは信じるという前提が成り立っているからである。私たちは、言葉は真実を示 [続きを読む]
  • 彫刻考 技術と人間性
  • 禄山を通して色々考え続けている。 近代彫刻は即興性である。すなわち過程である。それは終わりなき行為の永遠なる途中なのだ。そうなると、大事なのは技術ではなくなる。技術とは暫定的であれ完成を終着点として見据えているからである。彫刻に技術が重要でないのならば、大事なのは作る人間の人間性である。だから、禄山もそれを磨こうとした。この重要性は時代を問わない。 しかし、作品として表す以上は必ず行為が伴い [続きを読む]
  • 告知 手の美術解剖学特別講座
  •  12月3日(日)に新宿美術学院にて、美術解剖学特別講座を開講します。 実習形式で、油土を用いて手を骨から造形していきます。皮膚はまとわせません。 手は、運動器が”身体を運ぶ”働きから解放され、マルチツール化したものだとも言えるでしょう。私たちの身の回りにあるほとんど全ては、この手によって動かされ変形された物です。手は最も鋭敏な感覚器であると同時に、脳内の想像物に形を与えるための出力器なのです。 どの [続きを読む]
  • Susan ciancioloの『The Great Tetrahedral Kite』
  •  ”ジャケ買い”したアートブック。Susan ciancioloの『The Great Tetrahedral Kite』。 色々なモノを貼り付けたノートブックをそのまま再現したような本。31ページほどしかない薄い物。 こういう落書き的な、雑多としたコラージュものに惹かれてしまう。似た物が他にも色々とあるが、例えばキャプションやページ数などがキレイなフォントで印刷されていたりすると、それだけでもう興ざめだ。日本ものに時々そういうものがある [続きを読む]
  • 鑑賞者の必要性 ー作品の価値判断ー
  •  彫刻家や芸術家は格闘家やアスリートのようだ。彼らが何を言っても結局はその作品の良し悪しで判断される。それも作品の良し悪しは見た瞬間にわかってしまうから、勝負は一瞬で片がつく。良いと言われるような作家でも、その作品の全てが良いことなど無い。「良い作家」を維持するには、良い作品を生み出す割合が高いことが大事である。長く続けている作家の作品を見ると、良し悪しの特徴が分かることがある。しかし、良くないよ [続きを読む]
  • 自然物と決め事
  •  化石研究者の発掘現場をテレビ番組が取材していた。今までほとんど発掘が行われていない砂漠の辺境地だが、めぼしいところは既に発掘されていた。それは盗掘だと言う。化石の採掘は国レベルで管理していることが良くある。それゆえ、許可なく掘れば盗掘となる。現場を前にして研究者は憤りを露わにしていた。盗掘者は乱暴に掘り出してお金になる頭部などだけを持ち去るのだと。 確かに、許可なく採掘するという違法行為だが、一 [続きを読む]
  • 運慶仏 仏から物へ
  •  運慶は、仏像に自分の名を記した初めての例と言われる。もちろん、発見されていないだけでその父である康慶がより早くそれをしていたかも知れないが、いずれにせよ最初期の事例であろう。 また、その仏像は「写実的」であるとか「リアリズム」という枕詞がしばしば付けて語られる。つまり、実際の人間の形に近づけて仏像を表現した。その写実性を助けた技法のひとつが玉眼である。人間の外見で視覚的な質感が大きく異なる眼を、 [続きを読む]
  • 彫刻の質や評価
  •  会話で名が出た若手彫刻家の作品をネットで見た。その場で高評価だったので期待したが、大きな人形に過ぎなかった。思い返せば、そこでの評価も彫りの技巧を「凄い」と言っていたのだった。 日本では技巧がそのまま芸術の価値になる。例えば絵画では「写真のような絵=上手な絵」の式が素直に受け入れられる。もちろんその価値観が間違っているわけではない。写真のように世界を描けることは人類の夢だったとさえ言えるだろう。 [続きを読む]
  • 「Treasures from the Wreck of the Unbelievable 」展の図録を見て
  •  ダミアン・ハースト「Treasures from the Wreck of the Unbelievable (難破船アンビリーバブル号の財宝)」展の図録を見て衝撃を受ける。ヴェネツィアで実際に観てきた学生のもので、巨大な図録の書籍だ。作品の内容、個々の作品のクオリティと点数、その全てが壮大で、更にはそれらが立体作品であることから、彫刻芸術として区切って見ても、間違いなく今世紀で最も優れた展覧会の1つだろう。実物を目撃できた人がうらやましい [続きを読む]
  • 複製された匿名の写真たち 情報から物へ
  • 初めて代官山の蔦屋へ行った。美術書も”当然”充実していて、特に写真集が豊富だ。そこだけで数時間過ごす。エディション付きの少部数ものも多い。うれしいのは、そういうものもサンプルとして中が見られるようにしてある。作家のノートやドローイングブックがそのまま写真集になったものが意外と多く(書店側がそのように集めたのだろうけれど)、それらは作家のプライベートがそのまま見られるようで興味深い。 その中で、写真 [続きを読む]
  • ミケランジェロのワックスモデル再び
  •  2回目の「レオナルド×ミケランジェロ展」に行った。今回は閉館1時間前を切っていて、満足するほどゆっくり見られなかったが、館内はガラガラで、1つの作品を1人で鑑賞する贅沢さがあった。今回は近距離双眼鏡を持参して、これが大活躍だった。これで見ると、肉眼での鑑賞との情報量の差が凄まじく、鑑賞が数倍楽しくなる。 看板作品になっているミケランジェロの素描では、紙葉の左下にペンの試し書き線が2つある。それが始ま [続きを読む]
  • 「無い」の脆弱性
  •  「無い」を証明することはできないと言う。1つでも「在る」ことが明らかになればそれは覆される。だから「無い」は常に暫定的決定である。とは言え、「無い」と決めないことには先に進まないこともたくさんあるので、我々は自らが決めたその暫定的な決定を、一旦は信じることにしている。何より、「無い」という言葉の持つ意味は強い。 「口をつぐむ」と言うが、相手に言いたいことがあるけれどもあえて言わない、もしくは関係 [続きを読む]
  • 機能を失い美術品となる
  •  今では、古代エジプト文明の彫像や古代ギリシア文明の彫刻たちは、美術のカテゴリーで語られ鑑賞されるが、それらが作られた当初では宗教的な目的を持った神聖な像だった。像によっては、一般に見せる目的すらなかったものもあったろう。それは、日本の仏像も同じで、美術館に仏像が運び込まれ、私たちはそれらを美術”品”として鑑賞する。品であるそれらは、まぎれもない”物”として扱われる。どこかの誰か、つまり人間の手に [続きを読む]
  • 東大寺の金剛力士像の建つ早さ
  •  古い家が取り壊されていると思っていたら、もう新築が建っている。雑草の生い茂る空き地だと思っていた所に、鉄筋のマンションが建とうとしている。建築物の建っていく早さには驚かされる。道路際で目にするのは、様々な建築材料が組み上がっていく様だけだが、そのように作業が動き出すまでに、紙面上で綿密に手順組みが成されているのだろう。実際に建設が始まると、現場ではできる限り無駄なく進行するように考えられているに [続きを読む]
  •  ホックニーの『秘密の知識』
  •  デイヴィッド・ホックニーの『秘密の知識』は、複数の意味でとても興味深い書籍だ。 まず、この本の内容が研究であること。始め、ホックニーの画集だろうと思って開く人がほとんどのはずだ。ところが中は膨大なルネサンス絵画から近代までの写実的人物画で埋め尽くされているので、戸惑ってしまう。一体、この本がなんなのか、しばらく分からないという人も多いはずだ。 近世、ルネサンスから突然現れる超写実表現に、主観に依 [続きを読む]
  • 単位と自意識
  •  様々な単位がある。それらは全て人間が人間のために考案したものだから、人間が最も取り扱いやすい範囲で切り取られている。もちろん、途方も無い単位もあるが、それは取り扱いやすい単位の延長である。そう考えると、単位は基本的に身体尺だと言える。もしくは、人間尺とでも言おうか。 例えば、宇宙はどれだけ大きいのかと想像すると、その途方もなさに、落ち着かない気分になる。宇宙に関する大きさの単位は、それこそ“天文 [続きを読む]