阿久津裕彦 さん プロフィール

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阿久津裕彦さん: 彫刻と解剖学
ハンドル名阿久津裕彦 さん
ブログタイトル彫刻と解剖学
ブログURLhttp://hiblog2009.blogspot.com/
サイト紹介文彫刻と解剖学の接点から見えるもの
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2009/04/27 20:16

阿久津裕彦 さんのブログ記事

  • ポップアート
  • アートは人が作るのだから、その人が生活している空間や日常の影響を一番に受ける。だからアートは本質的に制作時の環境に依存している。それはポップアートも同じだ。ただ、鑑賞者にその環境との繋がりが直接的に伝わってくるとは限らない。むしろ、鑑賞者は自分を主体として見るから、自身の環境と絡めて作品を再構築しているのかもしれない。例えば、広告媒体をモチーフにするウォーホルの作品を見ると、モチーフが没個性的 [続きを読む]
  • 告知 土祭(ひじさい)にてレクチャーを行います。9月29日(土)
  • 栃木県益子町で開催される土祭(ひじさい)のイベントに参加いたします。 土祭は益子町の町興しから発展した文化的イベント。9月15日(土)からほぼ半月間に渡って開催されるこの祭りは、地域のいくつかのエリアを跨いで、展示やワークショップ、講演会やコンサートなどさまざまなイベントが企画されています。益子と言えば益子焼が思い浮かぶように、窯業と農業が盛んな同地にあって、自らの足元に広がる大地を構成する土を [続きを読む]
  • 数学的オブジェ
  • ゴムボック(Gomboc)という大人のげんこつ大ほどのオブジェがある。中身の詰まった物で、置くとゆらゆらと揺れる。少しオシャレな起き上がり小法師と言った感じなのだが、精密性を感じさせるシャープなエッジや球体に近い丸く膨らんだ充実した量感が気になる。実際のところ何なのかと言うと、数学的オブジェである。そのゆらゆら揺れる特性を前面に出して“ちょっと知的な贈り物”的な売り方をしている商品だ。私は某ショップ [続きを読む]
  • 人体構造と美術の見方
  • 先週末も、新宿の朝日カルチャーセンターで月1回の連続講座を行った。ここを受講される方のモチベーションは高い。純粋に自らの趣味に突き動かされているのだから、それも当然のことだろう。講座内容は一般的ではないが、それでも長く受講を続けてくれる人もいる。そういう人はその人なりの時間の過ごし方があって、たとえば私の講釈をラジオの様に聴き流しつつゆったり描く人もいる。そんな風に気楽に聞いてもらえるとこちらも [続きを読む]
  • 骨の人
  • 生活の糧としてではなく、骨標本を作り続けている人がいる。博物館の職員や大学の研究者ではなく、個人で作り続けている。その人の手による骨標本は骨好きのコレクターにはもちろんのこと、さまざまな博物館にも納入されている。学術的な正確さを持つ高品質の骨標本を作る技術と知識を持ちながら、学術的な領域とは一定の距離を保ち続けている。 先日は、その人の作業場に招いてもらった。もうその日は骨の話だけである。次か [続きを読む]
  • 古代美術は古くない
  • 縄文時代の土器や土偶についてのテレビを見て。番組の最初から最後まで通底するのは、「縄文時代なのにすごい」、「こんな昔なのに驚きだ」という表現である。これらの発言が生まれる根底には、過去より現在が優れているはずだという暗黙の前提がある。きっとこれは本能のようなもので、いつの時代の人も、自分が生きている今がこれまでで最も優れている時代だと感じるのだろう。だから、1万年前に作られた物が現代よりも優れて [続きを読む]
  • ミケランジェロと解剖学
  • 28日(土)は関東地方へ大型台風が近づく中、新宿の朝日カルチャセンターで「解剖学的に観るミケランジェロの人体表現」と題した講義を行った。天候が荒れる可能性があるにも関わらず、多くの方が聴講に来て下さった。同じ興味を抱く者として、芸術に対するその情熱を嬉しく感じる。 この講座は、上野の西洋美術館で開催中のミケランジェロ展を意識している。ミケランジェロの人体造形には、人体解剖の知識が存分に活かされて [続きを読む]
  • 不思議な話
  • 少し前の雨の日、勤め先の大学に着いた学生でごった返した学バスを降車して、階段を数段上がったところで後ろから声を掛けられた。振り返ると傘も差さずに女子学生がいた。「すみません。先生、ですよね。」私の格好からそう判断したのだろう。聞くと、バス内で私がスマホで読んでいた本が興味深いからタイトルが知りたいのだと言う。そのタイトルを表示して見せると、自分のケータイで撮影して学生は小雨の中を去って行った。 [続きを読む]
  • 技術と芸術
  • 彫刻における写実や具象表現と言うと、それは写真のように対象を正確にそのまま写し取るもののように考えがちだが、そうではない。対象と同じで良いなら、それをそのまま型取ればいいのだ。そのままを型取ったように見える彫刻でも、実際の人体と比べれば多くの点で異なっている。何が異なっているかを一言で言えるなら”強調”だろう。ある起伏はより大きく、別の起伏はずっとささやかなものへ。そうして、形態は実物より強調 [続きを読む]
  • 告知 東京造形大学オープンキャンパス2018
  • 来たる今週末の7月14日(土)と15日(日)、八王子の東京造形大学でオープンキャンパスが開催されます。オープンキャンパスとは、その名称通り大学を外部へ解放する行事です。大学の構内はどうなっているのか、科目ごとにどのようなことを学んでいるのかなどを一般の方が体験することができます。進学を考えている方はもちろんのこと、単純に大学内を見てみたい方でも入場料など掛からずに体験できます。大学祭とは異なりますが [続きを読む]
  • 美術における人体構造学
  • 最近では、人体の内部のつくりについての学問を「解剖学」の呼称にまとめることをせず、「人体構造学」と呼ぶことも多くなった。とは言え、一般的な認知度では相変わらず「解剖学」呼称の独り勝ちであることは、書店に並ぶ本のタイトルを見ればわかる。ではなぜ、大学の講座名や講義名では「解剖学」と呼ばなくなってきているのか。それはこの単語が持つ本来の意味と、行われている実質的内容との距離が開いてきたからであろう [続きを読む]
  • 美学
  • 視覚表現も言語体系の影響を受ける。私たちの世界の捉え方が言語体系に近いからだろう。高度に概念化された言語は、その性質に近い形を取っているのだと思える。視覚表現は、そのような認識のフィルターを通過して、言うならば、ある程度の整理がなされた状態を示している。だから、私たちの認識以前として存在する自然状態と比べて、必ずなんらかの強調が加えられているのである。そしてそれらは言語体系の組まれ方の方向を向 [続きを読む]
  • 置き方の価値  「組」展を観て
  • MA2ギャラリーで開催中の展覧会『組』を観た。複数のアーティストの作品が展示されているので、グループ展のように見えるが、それら作品はデザイナーの猿山修氏のセンスによって選択され配置されている。そのため出品作家も自分の作品がどのように置かれてるのかは、当日まで知らないのだという。 展示初日は夕刻からレセプションが開かれ、それは「BAR さる山」と称して猿山氏とアーティストを交えたトークガイドツアーとな [続きを読む]
  • コンポジション ― モノが持つルール ― 展を観て
  • 有楽町駅からすぐの無印良品の店舗に初めて入ったが、広く、階段状に上階へ展開する店内でとても都会的。個人的には90年代のはじめの頃がなぜか思い出された。まだ日本が元気だった頃。あの頃と違うのは客に外国人が多い事だ。日本がまた元気になりつつあるのかと感じた。広い二階フロアーに上がると、ゆるやかに区切られたカフェがあり賑わっている。書店コーナーもあるが、駅前スーパーのそれとはもちろん置かれている本の種 [続きを読む]
  • 実感 言語と非言語
  • 私たちは、自己の経験や思考を互いに伝え合い、理解し合うことができる。しかし、それが伝えられるものは非常に限られているはずだ。例えば言葉で伝えるなら、言葉になるものしか伝えられないのだから。いや“行間を読む”と言うではないか・・。しかし、行間をどう読むのかは読み手に委ねられている。言語は伝えるべき内容の輪郭を、それが正確かどうかは別として、非常にはっきりと見せる。そのために、私たちは日常的な言語 [続きを読む]
  • 診察の質 耳鼻科を受診して
  • 土曜日の夜に左耳の耳鳴りが強くなって不安になり、日曜日に診療してくれる耳鼻科として紹介された福原耳鼻咽喉科。ネットで調べると“おじいちゃん先生の古い病院”とある。はじめは別の診療所も紹介されたのだが、そちらへ電話すると実は休日診療は行なっていないなど、いくつかの電話先で断られて結局ここにたどり着き、電話をすると症状も名前も聞かずに「どうぞ」と言う。行ってみると、診察も含めて素晴らしい経験となっ [続きを読む]
  • さいころ
  •  サイコロの事を「乱数を発生させる道具」と言い換えると何だか人類の凄い発明品に見えてくる。例えばサイコロを知らない人にそう説明したら随分と大げさな機械などを想像するかもしれない。サイコロの働きは1から6までの数を理論上では完全にランダムな確率で示す。サイコロがいくつの目を出すのかは1/6の確率内で予想できない。 サイコロは、振って出た目の数によって自然のランダムさに意味を与える。その目が出る以前には、 [続きを読む]
  • 名作のポーズを女性モデルに取らせて
  •  先週末の3日(土)の朝日カルチャー講座では、女性ヌードモデルを使って名作のポーズを実際に取ってもらった。立ち、座り、寝ポーズの3種類で、立ちポーズはローマ彫刻『メディチのヴィーナス』とクラナッハ『ヴィーナスとキューピッド』、座りポーズはロダン『美しかりしオーミエール』と荻原碌山『女』とローマ彫刻『うずくまるヴィーナス』、寝ポーズはアングル『グランド・オダリスク』。 ところで、ロダンの老婆をモデルと [続きを読む]
  • リカちゃんのパパとバービーのケン 肉体の有無
  • 日本人なら誰でも知っているリカちゃん人形。アメリカのバービーも有名だ。それぞれ成人男性の人形もあって、リカちゃんでは「パパ」、バービーでは「ケン」である。 この日米の両者を並べてみると興味深い差異が見られた。 まず、両者の身長。人形の大きさは購買対象の女児が扱いやすいものになっているはずだ。両者を並べるとケンが頭半分ほど大きい。下に引いたグリッドは1センチなので、ケンが31センチ、パパが28センチ [続きを読む]
  • システィーナのアダム いつから人か
  • 先日の朝カルで受講生の方から、システィーナ礼拝堂の天井画のアダムについて洞察に満ちた意見を聞いた。 当日のモデルポーズでは、左腕を左脚の膝に預けるように置いてもらった。そうしないと、長時間の静止は難しいと考えたからである。実際、天井画のアダムも腕と膝とは重なって描かれ、置いているように見えなくもない。しかし、膝に腕を置いたモデルポーズでは腕がアダムのように上昇して行かず水平位に近いものになる。 [続きを読む]
  • 名作のポーズを男性モデルに取らせて
  •  カルチャーセンターで先週末、男性モデルに名作と同じポーズを取ってもらう試み。 今回は、ミケランジェロ『反抗する奴隷』と『システィーナ礼拝堂天井画のアダム』、ロダン『アダム』、ダ・ヴィンチ『聖ヒエロニムス』、古代ローマ『ラオコーン』、パルテノン神殿ペディメント彫像『河の神』。バリエーションとして、立ち、座り、寝ポーズをそれぞれ2つずつという設定。 『反抗する奴隷』は、体幹部つまり骨盤と胸郭の間での [続きを読む]
  • 作為の辺縁
  •  完全に真なる言葉など無いように、完全なる芸術も無い。 仮にそれが完全であったとしても、受け取る側がそのように受け取れるとも限らない。 完全であるか否かは主観であるなら、受け取る側の我々が完全で無い限り、完全などそもそも”感受しようが無い”。 これが何を意味しているか。私たちがどれだけ自己を信じ切り、絶対的に正しいと思われる判断を下し、それが実現するように行動できたとしてもなお、それは他者によって [続きを読む]
  • 展示と作品 卒展において
  •  表現文化についての会話の中である人が「日本人は全員が素人ですから」と言った。つまり、作る方も見る方も両方が”しろうと”だから本当に良いものがなかなか生まれないし評価されないという、歯がゆい現状をそう言い表したのだろう。その言葉を聞いたとき、先日観たばかりの芸大の卒展が思い出された。 美術館を貸し切ったような会場を回っていると、いくつかの作品の前にメモ帳や芳名帳とペンが置いてある。時には自作の名刺 [続きを読む]
  • 今しかない存在
  • 私たちは時間が流れるものと信じているから、そして、大人は自分がかつて子供で、そこから成長して今があると感じているから、さらに、今朝目覚めて今日が始まったことを知っているから、明日も来ると決めつける。私たちは皆、自分は人生という流れの途中に位置していると感じている。加えて、いわゆる社会は大人たちが作ったと決めつけているから、子供たちは“未完成の人間”だと信じきっているので、子供たちにもそう接する [続きを読む]
  • 言葉
  •  常々思うが、言葉は強いが虚しい。 真実も嘘も、多くは言葉で語られる。いや、正確に言えば、その始まりは言葉である。放たれた言葉が真実か嘘かは、別の形で証明される。つまり、本来言葉そのものは何らの価値を持っていないとも言える。仮のすがたであり担保であり象徴、幻だ。 そんな頼りないもので人間界は概ね成り立っている。それは、言葉をまずは信じるという前提が成り立っているからである。私たちは、言葉は真実を示 [続きを読む]