馬念 さん プロフィール

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馬念さん: 古城の風景〜馬念の訪城〜
ハンドル名馬念 さん
ブログタイトル古城の風景〜馬念の訪城〜
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/siro04132001
サイト紹介文好きな山城を徒然なるままに訪れて、感じたことなどを書き込んでいます。 時に温泉もあります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2009/05/01 21:38

馬念 さんのブログ記事

  • 春日山城
  •  春日山城は、長野市七二会御射山にある山城です。城址内まで車で行けます。戸屋城の説明板では、鎌倉期に地頭として入った春日氏が最初に居城としたのがこの春日山城であると。しかし、城というより屋敷地といった感じです。                                           訪城日:2018.9.28 晴れ城址へは、長野市街より国19ごうを西進し、明治橋を過ぎた先の瀬脇信号を右 [続きを読む]
  • 戸屋城
  •  戸屋城は、長野市七二会地蔵堂にある比高15m(駐車地点より)の山城です。萩野城のあるやぐら峰から南に下る丘陵の末端部にあり、かって春日氏が治めた七二会が一望される地にあります。鎌倉期より戦国末までの長い時期にわたり当地を治めた春日氏の本城です。                  訪城日:2018.9.28 晴れ城址へは、長野市街より国19ごうを西進し、明治橋を過ぎた先の瀬脇信号を右折して道なりに市 [続きを読む]
  • 笹平城
  •  笹平城は、長野市七二会(なにあい)笹平にある比高15mの丘城です。当城は、戦国期に七二会から旧中条村にかけて21カ村三千貫を領した春日氏の戦国末期の本城といわれます。今回は、この春日氏の諸城めぐりとして七二会地区を訪れました。                                      訪城日:2018.9.28 晴れ 城址へは、長野市街より国19号を西進し、犀川にかかる明治橋を渡り、 [続きを読む]
  • 福平城−長野市指定史跡
  •  福平城は、別名溝口城とも呼ばれ、長野市戸隠栃原福平にある比高26mの平山城です。福平城は、戸隠神社の南側の裾花川右岸の比較的平坦な丘陵地帯で、旧戸隠村の中心部の栃原地区にあります。戸隠神社周辺のにぎわにとはほぼ無縁などこにでもある信州の山村といえます。とはいえ、古き時期より人々が住んでおり、中世の時期にかかわる小規模な城館があまた見られます。          訪城日:2018.4.13 晴れ城 [続きを読む]
  • 戸隠の古城(ふるじょう)
  •  古城は、長野市戸隠宇和原にある比高30m(駐車地点より)の山城です。戸隠といえば、戸隠神社や蕎麦というのがすぐに思い浮かべます。今回は、戸隠神社のある所から南側の旧戸隠村の中心部周辺に点在する城館巡りで、時間があれば戸隠蕎麦も食したいと思っていました。この地域は、古くから開けていたようで、小規模な城館が点在しています。ただ、山間部で狭い道が多く、目指す城を探すのに結構難儀しました。         [続きを読む]
  • 深志城考ーその弐ー
  •  宮坂氏は、小笠原氏が{田川、薄川、女鳥羽川を越えずに、手前に居るのは、それなりの理由があったのではないか」と指摘しています。それがになにを意味するのか分かりませんが、私なり考えてみたいと思います。 小笠原氏が、松本平の支配拠点とした、井川城と林城は、確かに松本平の中南部にあり、薄川・女鳥羽川を超えではいません。薄川を超えた女鳥羽川左岸と薄川右岸に囲まれた地区は、国衙が置かれ浅間宿などもあり、古代 [続きを読む]
  • 深志城考−その壱ー
  • 松本城は、松本市丸の内にある平城です。松本城については、以前いただいたコメントに「 松本城がないのが残念です 国宝なのにー 」というのがありましたが、 国宝でもありいろいろな方々が紹介されていますので、当ブロクではあえて載せることもないかとお返事したことがありました。今回、松本城を取り上げるのも、松本城の紹介というよりその以前の深志城について考えてみたい思ったからです。   訪城日:2018.7.1 [続きを読む]
  • 金沢城石垣めぐりーその肆ー
  •  金沢城石垣めぐりの最終編です。鶴の丸から東の丸北面石垣を見て、石川門により、河北門をくぐって新丸に出て大手の尾坂門です。埋められた白鳥堀跡の遊歩道を通って利家像のあるスタート地点に戻ります。⑬東の丸北面石垣利家が最初に石垣改修を手掛けたのがこの箇所のようで、天正11年(1583)に入城して9年後の文禄元年(1592)のことです。城の改修が遅れたのは、その間に隣国の佐々成政との攻防や秀吉の全国制覇に駆り出され [続きを読む]
  • 金沢城石垣めぐりーその参ー
  •  金沢城石垣めぐりの続きです。⑧二の丸北面石垣寛永8年(1631)頃に造られ、寛文8年(1668)に改修されています。「粗加工石積み」の中で、最も完成されたものといわれているようです。このことからすると、野面→切込みハギ→切込みハギの進化だけではないその城独自の美学があったと。二の丸裏門があった場所で、この左手に二の丸北面石垣が続きます。形や大きさをそろえた粗加工石で積まれ姿は、なんと表現したらよいものなのか [続きを読む]
  • 金沢城石垣めぐりーその弐ー
  •  金沢城石垣をめぐってきた順に進めていきます。まずは、見学したコースを載せておきます。 車は、お城と兼六園に一番近い石川県営兼六駐車場(駐車料金が安いので、午前中に満車になることが多い)を利用しました。 そこからすぐの兼六園下信号を渡ると前田利家の像のところに出ます。トイレもあります。城内に入るまでトイレがありませんから、ここで用を済ませるといいです。S スタート地点 前田利家之像像は、かっての白鳥 [続きを読む]
  • 金沢城石垣めぐりーその壱ー
  •  金沢城の石垣を見てきました。何度か、金沢市には行っていまして、観光名所というところは大方訪れていますので、今回は金沢城の石垣のみを見てみようと思った次第です。ただ、足を痛めていましたので、城外と城内全てを見てこれるか一抹の不安を持って出かけました。              訪城日:2018.5.29  晴れ 左図は、江戸期の金沢城主要部の縄張図です。現在、これらがすべて残っているわけではありま [続きを読む]
  • 佐生城
  •  佐生城は、別名佐野山城、佐生日吉城とも呼ばれ、東近江市佐生町・五箇荘日吉町にある比高65mの山城です。      訪城日:2018.5.27  晴れ 城址へは、東海道本線能登川駅近くから県道52号を東に約1.3kmwで右折し、すぐ先の橋(新浄土橋か?)を無目指します。橋の西詰に「佐宗日吉城」の案内標識があり、そこが [続きを読む]
  • 小丸城
  • 小丸城は、越前市五分市町にある平城です。珍しい屋根形態(本殿と拝殿が屋根が接続している)のある大瀧神社・岡太神社の里宮(越前市大滝町)を訪れました。その際に、ナビに小丸城跡の表示を見つけ、これは行かなければと思い、早速訪れたしだいです。                      訪城日:2018.5..28  晴れ城址へは、北陸武生ICを降り、県道262号を約9km程東進すると、右手に小丸城跡の案内表示 [続きを読む]
  • 萩町城
  • 萩町城は、大野郡白川村萩町にある比高(60m、駐車地点からは0m)の丘城です。城址は、庄川右岸の台地上にあり、現在は南麓に広がる萩町合掌集落を一望する展望広場となっています。ここには、3回ほど訪れていまして、お城址とは知っていましたが、遺構らしきものも見当たらず、素晴らしい合掌集落の景観を見るだけでした。白川郷の合掌集落すばらしさを再度見たいとは思っていましたが、ここのところの外国の方々の訪れや [続きを読む]
  • 帰雲城(かえりくも)
  • 帰雲城は、城址の所在地が特定されていませんが、推定地として岐阜県大野郡白川村保木脇にあった城館です。白川郷には、何度か訪れ展望台になっている萩町城跡にも行っていますが、あまりにも観光地化されすぎていることもあってちっと避けてきました。今回、金沢城の石垣めぐりの帰りに五箇山を訪れたましたので、久しぶりに萩町城を訪れ、以前から気になっていた帰雲城の推定地も見てみたいと思い、行ってきました。      [続きを読む]
  • 会津黒川城
  •  会津黒川城といわれてもピンとくる方は、さほど多くはないと思いますが、現在の会津若松城の中世においての名称です。会津若松城については、多くの方のHPやブログなどで紹介され、戊辰戦争での白虎隊の悲劇などでも知られていて、訪れた方も多いと思います。 わたしも大学が福島で、しかも連れ合いが会津若松市出身ということもあり、度々会津若松市を訪れお城にも幾たびか訪れていました。ただ、天守には、一度も登ったこと [続きを読む]
  • 的場城ーその弐ー
  •  的場城の続きです。概念図を載せておきます。4郭の南面から2郭の西側直下まで横堀が巡らされています。4郭北側の3郭で、長さ30m幅6〜7m程の通路状の郭です。両側の5mほど下に横堀(西側)と腰郭(東側)があります。3郭北端の右手を進むと、坂虎口の2郭東虎口(虎口4)です。2郭は、37×10m程の長方形状の郭で、土塁が全周しています。虎口は二か所で西側の虎口は枡形状、東側は平虎口です。西虎口は、西側の横堀 [続きを読む]
  • 的場城
  •  的場城は、伊那市高遠町的場字城山にある比高160mの山城です。ここへは、以前2回訪れています。1回目は、10数年も前で登城路がわからず蓮華寺の背後からやみくもに登っり、藪に覆われたところをあちらこちら見ましたが、果たしてここが城址なのか定かではなかったです。2回目は、やはり蓮華寺の背後の斜面を登り、それなりに遺構を見ていました。今回は、前回下城した道が登城路であることがわかりましたので、そこから登城 [続きを読む]
  • 西城
  •  西城は、別名薄ヶ尾城あるいは烏帽子形城とも呼ばれ、青木村村松薄ヶ尾にある比高210m程の山城です。当城の東側の尾根に東城があり、この両城へは以前から訪城したいと思っていました。西城へは、尾根先から寺山の砦を経て行けることがわかり、ちっと長い尾根を登るようですが、段毒としては比較的安全と思われるので、行ってきました。                                   訪城日:20 [続きを読む]
  • 寺山の砦
  •  寺山の砦は、青木村村松寺山にある比高140m程の山城です。子檀嶺岳から南に延びる尾根上にあり、当砦の北側約400m上にある西城の出砦としてあったものと考えられます。西城へは、以前から訪城したいと思っていましたが、止め山であることから秋にはいきにくく、単独での訪城もどうかな〜と思ったりで、なかなか行く気がしませんでした。今回、ようやっと行く気になり、距離は長いようですが、単独でも行きやすい寺山の砦 [続きを読む]
  • 土佐山田城(市指定史跡)
  •  山田城は、別名楠目城城とも呼ばれ、香美市土佐山田町楠目にある比高60mの山城です。城主であった山田氏は、戦国前期に土佐七雄の一つに数えられる有力な国衆でした。(七雄で、香宗我部氏に代えて言われることもある。)  市指定史跡                        訪城日:2018.3.20  くもり一時小雨 城址へは、国195号の香美市役所のある交差点から東に役1.2km先の交差点(しまむら [続きを読む]
  • 岡豊城(国指定)−その弐―
  •  岡豊城の続きで、詰(主郭)の西側下段に続く三ノ段・四ノ段と谷を挟んである伝厩跡曲輪です。※『中世城郭事典Ⅲ』にある池田誠氏作図の縄張図を借用し、説明のため加筆しています。 三ノ段は、詰の南から西側を取り巻く腰郭です。南側は幅約5m、長さ約45mで、西側は幅約4〜6m、長さ50も程で、土塁で区画されています。重要なのは、西側の郭です。四ノ段からは左右の虎口を通り中央部の階段を経て詰に至るようです。左 [続きを読む]
  • 岡豊城(国指定)ーその壱―
  •  岡豊城は、南国市岡豊町八幡の通称岡豊山にある比高94m(駐車地点からだと比高30m程)の山城です。当城は、戦国期後半、土佐国を統一した長宗我部氏が南北期頃から天正13年(1585)に大高坂山に移るまで本拠地としたところです。今回の阿波・土佐遠征の訪城先の目玉の一つとしていたところです。 訪城日:2018 [続きを読む]
  • 小倉城
  •  小倉城は、郡山市湖南町中野字諏訪前にある比高20mほどの丘城です。白河から白河街道を通って会津若松に向かう途中に鞍馬城に寄りましたが、その主城に当たる小倉城があるとのことで、すこし寄り道をして小倉城に向かいました。戦国中期頃に構築された鞍馬城に比べると、かなり古い時期の城という感じでした。                                                 訪城日:2 [続きを読む]
  • 白河街道
  •  会津盆地へは年に1〜2回ほど訪れる地です。以前は、よく高速道(東北道→磐越道)を利用していましたが、近頃は白河で高速を降り国289号で下郷町で国121(118)号を経て会津若松に行くことが多くなりました。この国121号が、会津西街道(下野街道)と呼ばれています。昨年は、会津西街道を通らずに白河街道と道沿いの城址もいいのではと思い、通行してきました。下図は、白河街道(白河市側からは会津本街道や会津越後街道)の概念 [続きを読む]