荒野人 さん プロフィール

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荒野人さん: エピローグ
ハンドル名荒野人 さん
ブログタイトルエピローグ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/epilogue_001/
サイト紹介文団塊の世代のど真ん中。折り返し地点を、遥か置いてきたエピローグの始まりを粛々と描く。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供145回 / 365日(平均2.8回/週) - 参加 2009/06/21 06:39

荒野人 さんのブログ記事

  • 枯木立
  • 枯木立、語感が相好きだ。季節も気配も、居住まいも全てが感覚的に捉えられる。何度も云ってみると良い。枯木立、枯木立・・・と。全てが、初冬の気配となって心身を包んでくれるのである。冬の包容力は、ただものではない。厳しさの中にこそ、無辺の豊漁... [続きを読む]
  • 沈黙は金か!
  • 大相撲のファン、である。栃若時代もそうだけれど、テレビ中継が始まってからずっと見ている。若貴もそうだ、そうそう朝潮太郎もいたな。柏鵬時代も凄かった。でも、やはり貴乃花の横綱は綺麗だった。土俵入りの時の、あの足をピンと上げた姿は美しかった。... [続きを読む]
  • 侘助
  • 茶花としては、上花に位置すると云って良い。名前からして、誠に床しい。おちょぼ口であって、開ききれない事への花としての思いが深い。その思いを、茶を点てる思いと同化させる。同化するとは、一体化すると云う意味合いと同じである。洗練されてこその... [続きを読む]
  • 鴨来る
  • 例年よりも、鴨の数は少ない。これからだろう・・・。光が丘公園の、鴨の飛来する池である。小さな小さな池である。先ずは、小春日和の暖かさに水浴びで愉しむ。リラックスしている、のである。その後は、身繕いする。丹念に丹念に、身繕う。長旅... [続きを読む]
  • 逆光の冬薔薇
  • バラ園でしばし憩った。冬薔薇のかほりは、甘く切ない。その切なさは、夢のようであった昨日の事でもある。とりわけ、逆光の中に在る冬薔薇は切ない。一つひとつの薔薇に,語りかけてみる。薔薇は応えず・・・微笑んでいるだけだ。それで良い、のかもし... [続きを読む]
  • 晩秋はセピア色
  • 晩秋の色は、セピア色である。春夏秋冬で、秋は白と決まっている。だがしかし、物見な枯れる晩秋にはセピア色へと移ろうのだ。この林の中へ踏み込むのは、心躍る。心躍らせつつ、迷い込む。ぼくは、すっかり老人になったと云うのにまだ迷う。散歩の常道は... [続きを読む]
  • 池の周り
  • 池を回るのは楽しい。往古の「回遊式庭園」の結構は、その証左である。最近「六義園」に出かけたけれど、大名庭園はその結構が多い。池の面に映る景色は、異次元でもある。殊に秋、そのさまは一層である。沼沢でも、この姿である。「小春日や池の... [続きを読む]
  • 野の仏
  • 野の仏は、我が家の近く・・・。とある辻に、鎮座して居られる。そこへゆく道すがら、カラタチの木が一本ある。もう、刺刺だけになっている。刺刺の中に、一つ実が黒くなって残っている。決して獲る事は出来ない。刺刺に護られている。その獲る事が出... [続きを読む]
  • 竹林
  • 竹林は、どこか魔性の物の怪の気配がする。怪しいのである。まして、竹林へと誘う木戸口は潜るに戸惑う。この竹林は、木戸口から少し下ると木のベンチがある。湧水の源の、脇を固める竹林である。今ごろの竹林は、季語となっていない。「竹の春(仲春... [続きを読む]
  • 冬の川
  • 東久留米の湧水を源流とする、落合川である。この水神さまは、湧水の地点に鎮座している。明日、お見せしたいと思うけれど竹林の脇にある。水神さまの、すぐ下のせせらぎである。湧水地点では、これほど多くの水が湧いているとは思えないのだけれど・・・... [続きを読む]
  • いてふ紅葉
  • 目に優しい、云うまでも無いことだ。例えば、タンポポ。例えば、向日葵。例えば、黄色いハンカチ。例えば、石蕗の花。例えば、欅黄葉。例えば、獅子柚子。連想が、次々と浮かんできて狂ほしい。例えば、向日葵。ソフィア・ローレンの、情熱的な唇... [続きを読む]
  • 平林寺の紅葉川
  • 平林寺の色合は、この近在では類を見ない。加えて、長い紅葉のトンネルは何本もある。シャッターチャンスの多い所以、である。ただ、理も無く人が映ってしまう。結果として、肖像権をおかしてしまうのだ。空を見上げて、こうした写真を撮っていてもつまら... [続きを読む]
  • 平林寺の紅葉
  • ネット上では、関東紅葉名所の5〜6番目と云う。平林寺は、全山紅葉であって比較する必要も無い。素晴らしい紅葉、である。丁度、今が盛りかもしれない。毎年、この時期には訪れる事としている。今年は紅葉が早めに進んでいる。道一つ隔てた「睡足軒」... [続きを読む]
  • 山茶花
  • 間もなく「侘助」も咲き始めるだろう。茶花としては「上花」である。今日は、山茶花。深紅である。この赤さは、誠に漆黒の紅である。紅も深まると、漆黒の闇の様相を呈する。情熱の花言葉の所以、である。「山茶花や陽の翳るとき覗くとき」... [続きを読む]
  • 冬めいて・・・枯葉
  • 冬めいて・・・そんな公園を歩く。昨日は定点のショットを何枚か載せた。その場所を過ぎ去る人たちの気配が、溜まらなく生き物の匂いを発していたからである。そんな瞬間、ぼくは生きている喜びを感じる。「見上ぐれば広がる空の紅葉かな」見... [続きを読む]
  • 冬めいて・・・街
  • 街の中が、すっかり冬めいてきた。衿を立てて歩く、そんなこの頃である。ぼくは、一昨日耳あてを買ってしまった。耳が誠に暖かい。この耳あてをすると、心の中までほっこりしてくるから不思議である。だとすると、この童謡であろう。◆K40. 12月たき火(... [続きを読む]
  • 富士大山道
  • 富士大山道、古道である。今、ぼくは棲息している地域である。この地域には、何本かの古道が通っている。鎌倉古道も通っている。大山古道の一里塚、と看板がある。どこから一理なのか、それは判然としない。そして何故なのか、子安地蔵が安置されている。... [続きを読む]
  • 水たまり
  • にはたずみ・・・である。俳句の世界では「にはたずみ」と云う。漢字一文字で表記できるのだけれど、このパソコンではさっと出てこない。おそらく、標準が違う。検索すれば出てくると思うけれど、面倒なのでやめる。因に、今ぼくが愛用している「ポメラ」ですら... [続きを読む]
  • 柿簾
  • 朝方、ぼくの部屋から吊してある柿がシルエットで浮かんでくる。朝の陽射しの凛冽さが、柿を生き生きと映すのだ。ぼくの机は、本と書類と・・・書きかけの原稿と、そして句帳で溢れている。従って、朝方の凛冽の光の中でしかお見せできない。そろそろ、干し... [続きを読む]
  • 柊の花
  • ひひらぎの花、である。ひそ、と咲いているのである。今年は、あまり咲いていない。なんとも素晴らしい匂い、がする。とりわけ、この木は花の付きが悪い。かなり大きな木だったけれど、花はほんの数輪だった。そうだとしても、ぼくは納得していたのだけ... [続きを読む]
  • 秋の終わりに
  • この歌を聞きたくなる・・・それが秋。いままで、何人かの「落葉松」をアップしてきたけれど・・・。下村雅人氏のこの曲は素晴らしい。伸びやかな声、好きなテナーだ。下村 雅人  "落葉松"  真島 圭(ピアノ) 野上 彰 詩/小林秀雄 曲小林秀... [続きを読む]
  • 石蕗の花
  • 石蕗の艶艶とした葉の青さ。なんと云う事も無い花だけれど、季節を鋭く告げる。痛くはないけれど、切り込むように知覚させてくれる。そうした存在感が、石蕗の花にはあるのだ。「石蕗の花深き森から風の来る」印象としては日陰に咲く花だけれ... [続きを読む]
  • 枯尾花
  • 冬芒・・・でも良い。冬も大分深まった頃、季語としてその力を発揮する。この枯れ具合は、相当早いのかもしれない。けれど、芒が枯れる事をこれほど慈しむ日本人の感性には感服する。その優しさに、である。「芒枯る人の思いの深さほど」... [続きを読む]
  • 柿すだれ
  • この季節の風物詩、であることに間違いは無い。過日、八ヶ岳の麓に出かけたおりに百目柿を買い求めてきたのであった。百目柿以外の渋柿も、三袋。合わせて求めた。帰宅後直ちに皮を剥き、軒下に吊した。毎年の習い、である。一番下の孫が、この吊るし柿が... [続きを読む]