フンメルノート さん プロフィール

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フンメルノートさん: フンメル研究ノート〜Review〜
ハンドル名フンメルノート さん
ブログタイトルフンメル研究ノート〜Review〜
ブログURLhttp://hummelnote.doorblog.jp/
サイト紹介文作曲家フンメルの個人研究サイトのブログ。CD紹介をはじめ、関連ニュース等を紹介していきます。
自由文 このブログは、クラシック音楽鑑賞を趣味とする一個人が、ヨハン・ネポムク・フンメルの音楽の魅力に取り付かれ、永年かけて収集した情報・データをメモ代わりに掲載している「フンメル研究ノート」のレビューページにあたります。
http://hummelnote.wix.com/hummelnote
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供19回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2009/10/10 15:30

フンメルノート さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 生涯14.幸福なワイマール時代①〜文化芸術都市の発展
  • ワイマールでのフンメルの契約は理想的なものであった。エステールハージ時代やシュトゥットガルト時代とは大きく異なり、かなりの報酬と自由を与えられたもので、彼の演奏旅行も自由にとれる環境となった。そうした背景にはこの都市を統治してきた未亡人となったアンナ・アマーリアと二人の息子がさの風土を作り上げていったといえる。 フンメルは1817年の年末、1756年以来、ワイマールで楽長してきたバッハの名づけ子でもあるの [続きを読む]
  • 生涯13.ヴュルテンベルクでの苦難
  • フンメルを高く評価してくれたフリードリヒ1世は、フンメルが就任して1週間ほどで急逝してしまったのだ。跡を継いだのは息子のヴィルヘルムであったが、彼は音楽に対する造詣もなく興味もなかった。 演奏活動に復帰したフンメルであったが、どうしても気がかりなことがあった。 それは一家の大黒柱として、妻子を養っていかなければならない事、その為には不安定な演奏活動だけでは心もとない、何とか安定した生活を維持したい [続きを読む]
  • 生涯12. ウイーンでの活躍と結婚②
  •  エリザベートとの結婚生活と共にフンメルの作曲家としての名声も活動も充実の一途をたどっていた。この頃にフンメルは二人の息子を授かった。長男のエードゥアルトは後にピアニストに、次男カールは画家となった。カールは後にショパンのスケッチを書くことにもなる。しかし、この「職業作曲家」としてのピークを迎えようとしている時期に、若い妻は歴史に影響する助言をフンメルに与えることとなる。 エリザベートは、フンメル [続きを読む]
  • 生涯11. ウイーンでの活躍と結婚①
  • エリザベートは、フンメルのピアノ演奏を高く評価しており、またそんな才能ある彼が作曲やレッスンだけに追われている日々を憂いでいた。ある日夫がステージ活動から離れていることに懸念を示し、「あなたほど弾ける人がもったいない。是非ステージに復帰すべき」と助言したのだった。 1811年に再びウィーンに戻った後フンメルはピアノの公演は行わず、ピアノ曲、室内楽曲、劇音楽の作曲家として大いに活躍した。当時の人気と知名 [続きを読む]
  • 生涯10. ハイドンの後継者として③
  •  ニコラス王子は、フンメルと同様に有名なベートーヴェンにもミサ曲の作曲依頼をして、1807年に初演された(ミサ曲ハ長調,Op.80)。それを聞いたニコラス王子はベートーヴェンの作品には好感が持てなかったらしく、「親愛なるベートーヴェン、貴方のこの作品は一体なんですか?」と言ったらしい。隣にいたフンメルはこの発言に「苦笑い」をしていたのだが、ベートーヴェンは猛烈に怒り狂い、フンメルの態度を罵倒した。これはベート [続きを読む]
  • 生涯9. ハイドンの後継者として②
  •  フンメルには1200グルデンの年俸とアイゼンシュタットに宿舎が与えられた。作曲することと約100人から成る礼拝堂楽団を指揮することのほかに、義務として少年聖歌隊員にピアノ、ヴァイオリン、チェロを教えること、ハイドン関係の書類の整理があった。 しかし順調という訳ではなかった。フンメルのエステルハージ邸での仕事は全てが分担制になっており、権限がない部分も多く、この楽団を上手く一つにまとめ上げることができな [続きを読む]
  • 生涯8. ハイドンの後継者として①
  • この時代は彼に宗教音楽と劇音楽において貴重な経験を与え、彼はオーケストラと歌劇場を運営し、大きな音楽団体の雑事を一手に引き受けた。またウィーンに近いことも幸いし、この楽都に揺るぎのない足掛かりを築いた。この時代は彼に宗教音楽と劇音楽において貴重な経験を与え、彼はオーケストラと歌劇場を運営し、大きな音楽団体の雑事を一手に引き受けた。またウィーンに近いことも幸いし、この楽都に揺るぎのない足掛かりを築い [続きを読む]
  • 生涯7. ウィーン帰還とベートーヴェン②
  • ベートーヴェンとフンメルの良き親友の関係は、途中に何回も喧嘩で疎遠になった時期もあるが、ベートーヴェンの死まで続いたことは確かな事実であり、音楽史上の奇跡である。 フンメルは早い段階でベートーヴェンの才能が巨大であることに気付いていた。そしてその才能に尊敬の念を抱いていたが、やがて自信喪失になっていった。ベートーヴェンの生み出す新作作品には、新しさと才能に溢れる、他の作曲家には見られない独自性があ [続きを読む]
  • 生涯6. ウィーン帰還とベートーヴェン①
  • ベートーヴェンとフンメルの良き親友の関係は、途中に何回も喧嘩で疎遠になった時期もあるが、ベートーヴェンの死まで続いたことは確かな事実であり、音楽史上の奇跡である。 フンメル家は、 1793年の春にウィーンで生活に戻って定住し始めた。ヨハンはアントニオ・サリエリやアルブレヒツベルガーに合唱、和声法、対位法など、作曲家として必要な知識、理論を学んだ。サリエリやアルブレヒツベルガーは、この時期一足早くウイー [続きを読む]
  • 生涯5. 実り多きヨーロッパ演奏旅行③
  •  ロンドン滞在中のこの時期、師匠のモーツァルトと競演した事で有名なクレメンティからピアノ演奏の総仕上げとも言うべき指導を受けている。モーツァルトからウィーン式演奏法を、ロンドン楽派の基礎なるクレメンティからは力強いイギリス式演奏法を習得した最初の演奏家となった。フンメル父子は、2年間のロンドン滞在後は、さらにフランスかスペインに演奏旅行を続けようと計画していたが、革命による混乱に妨げられ、1792年秋 [続きを読む]
  • 生涯4. 実り多きヨーロッパ演奏旅行②
  •  若いフンメルはその驚くべき演奏技量で、エジンバラでは盛大な歓迎を受けた、引っ張りだことなったため、数カ月にわたって滞在している。その間は、御前演奏や特別計画されたコンサートに出演し、その他ピアノのレッスン依頼が殺到した。  その後、父子はダーラムとケンブリッジ経由で南下し、ロンドンへ向かった。1990年の秋にはロンドンに到着し、そこから2年もの間滞在することとなる。 時を同じくしてJ.ハイドンもロンド [続きを読む]
  • 生涯3. 実り多きヨーロッパ演奏旅行①
  • 実際にフンメルに会い、その演奏を聴いたロンドンの著名なビジネスマンで音楽愛好家ウィリアム・ガードナーは、次のように書き残している。 「幼いモーツァルトを除いて、このロンドンを訪問した多くの中で、最も驚くべき演奏だった」 フンメルの演奏旅行のスタートは、12月の氷と雪の凶悪な条件の元でスタートした。こうした当時の旅行は過酷であり、現代のヨーロッパ旅行、ロマンチック街道、古城めぐり等と異なり、ロマンチッ [続きを読む]
  • 生涯2. 幼少期とモーツァルトとの生活②
  • 生涯の恩師、モーツァルトとの出会い、弟子入り。絶頂期のモーツァルトの自宅に住込みでレッスンを受け、生活を見て、作曲する姿をみて、そして語り合いその精神を受け継ぐための初めてにして貴重で重要な2年間。彼はすぐにヨハンを連れて、モーツァルトの住むアパートへ赴いた。 当時はピアノ演奏にオペラの作曲にと多忙を極めていたモーツァルトであったが、ヨハンの演奏をじっくりと聞いた。ヨハンは7曲を披露したらしい。  [続きを読む]
  • 生涯1. 幼少期とモーツァルトとの生活①
  • 生涯の恩師、モーツァルトとの出会い、弟子入り。絶頂期のモーツァルトの自宅に住込みでレッスンを受け、生活を見て、作曲する姿をみて、そして語り合いその精神を受け継ぐための初めてにして貴重で重要な2年間のこと。 ヨハン・ネポムク・フンメル(以下ヨハン)はウイーンから東へ80kmほどの距離に位置するハンガリーの都市:プレスブルク(現在のスロバキア共和国の首都:ブラチスラヴァ)で、1778年11月14日に生まれた。 彼の父親 [続きを読む]
  • イエイン・クイン/18世紀の響き
  • 新譜の紹介です。今回紹介するのは、ウイーン古典派のオルガン作品集です。イエイン・クイン/18世紀の響きモーツァルト、ベートーヴェン、フンメルの作品集ダブリン大学トリニティ・カレッジのオルガン演奏THE ENLIGHTENMENT INFLUENCEMozart, Beethoven, Hummel. Iain Quinn. Organ of Trinity College, Cambridge.オルガン曲といっても、収録曲の中で純粋にチャーチオルガンのために書かれた曲はベートーヴェンの全長調にわたる2 [続きを読む]
  • イエイン・クイン/18世紀の響き
  • 新譜の紹介です。今回紹介するのは、ウイーン古典派のオルガン作品集です。イエイン・クイン/18世紀の響きモーツァルト、ベートーヴェン、フンメルの作品集ダブリン大学トリニティ・カレッジのオルガン演奏THE ENLIGHTENMENT INFLUENCEMozart, Beethoven, Hummel. Iain Quinn. Organ of Trinity College, Cambridge.オルガン曲といっても、収録曲の中で純粋にチャーチオルガンのために書かれた曲はベートーヴェンの全長調にわたる2 [続きを読む]
  • クロンマーの交響曲集
  •  今回紹介したいのは、フランティシェク・ヴィンツェンツ・クラマーシュ(František Vincenc Kramař)の交響曲第1番、第2番、第3番 ハワード・グリフィス&スイス・イタリア語放送管弦楽団。 クラマーシュは一般的にはドイツ名で フランツ・クロンマー と表記されていますので、ここでもクロンマーと表記します。 クロンマーは、モーツァルトが生まれた三年後の1759年ボヘミア生まれ、親戚にヴァイオリンと作曲の手ほどきを [続きを読む]
  • モーツァルトの命日
  • 本日12月5日はモーツァルトの亡くなった日です。1791年。ウイーン郊外の聖マルクス墓地に埋葬されましたが、集団埋葬だったこと、遺族が誰も立ち会わなかったことで、遺骨が不明になり、ここに埋められたであろうという場所に記念碑の墓石が設置されてます。写真は1994年の旅行時のもの [続きを読む]
  • フンメルの命日
  • フンメルは1837年10月17日に亡くなっています。その最後の数年に関しては、メインのページ「Hummel Note  生涯:11.最後の10年と死」にまとめております。ご興味ある方は是非。下記の【打込音源】は後期のオーケストラ曲で、独立した管弦楽序曲です。  [続きを読む]
  • モーツァルトのライバルと実の息子の協奏曲集
  • フランツ・クサーヴァー・モーツァルト(1791-1844、以下フランツ)は、父モーツァルトが亡くなる4ヶ月前に末息子(第6子)として誕生。5歳の時、プラハでニーメチェク(父モーツァルトの伝記作家)からピアノの初レッスンを受け、7歳の頃からピアニストを目指して父の簡単な作品を弾くようになり、同時に父のライバルとされたサリエリに歌唱と和声法のレッスンを受けます。また大巨匠のハイドンからも教育を受けたり、さらに父の一 [続きを読む]
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